昼寝ネコの雑記帳

情けない話だが、今の私は半分寝ている状態だ

Bill Evans - I Fall in Love Too Easily (1962)

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 ちょっと集中力が途切れてしまっているようだ。・・・長い月日のうちには、そんなこともあるだろう。深刻には考えないようにしている。

 少し格好をつけて表現するなら、今は自分との戦いの最中である。頭の中では、行動に移るメニューが明確になっている。しかし、どうも意思がそこまで到達しない。

 昨晩は、ときどき言葉が出ないことの原因が、脳内疲労の蓄積が原因なのか、あるいはアルツハイマーが発症しているのか、はっきりさせたくて、試しに寝る前に氷枕で後頭部を冷却してみた。朝起きると、頭がすっきりしていたので、少し安堵した。ますます暑くなるので、ときどき後頭部を冷却した方がいいだろうと思っている。

 もう何日か前に、保守系ブログが攻撃対象になっているという記事を読んだ。行橋市議会議員の小坪しんやさんのブログだ。なんでも、そのブログに広告出稿している企業に対しクレームが寄せられ、企業が広告出稿を取り止めたのが原因のようだ。想像の域を出ないが、目障りに思う人たちが大勢でスポンサー企業に電話やファックス、あるいはメールで抗議の声を送ったのではないだろうか。

 小坪議員は行動派らしく、何かノベルティグッズを企画して販売することで、そのブログが資金的に継続できるよう支援する計画だと書いていた。なんでも一日30万人がアクセスするブログだと紹介している。モンスターブログであり、人に与える影響力はかなりのものだろうと想像している。下手をすると都道府県レベルの知事選や、国政選挙に対しても、少なからぬ影響力を与えるのではないだろうか。

 もし仮に、この保守系ブログに対して間接的に攻撃を加えたのが、国籍を問わず、いわゆる反日・左翼勢力だと仮定すると、水面下での現実的な戦争が始まっていることになると認識している。

 表舞台では、弁護士に対する懲戒請求から、被請求者である弁護士から請求者個人への恫喝的訴訟に派生し、今度は逆に請求者の個人情報の漏洩や目的外使用という論拠で、訴訟した弁護士に対する集団訴訟に至りつつあるようだ。

 一般論として、弁護士から恫喝的な訴訟を起こされると、どうしていいか分からず、不安感が昂じて請求取り下げ、和解、和解金の支払いという流れになってもおかしくない。和解に応じる人たちが増えると、他の多くの請求者の皆さんにも不安と動揺が伝播し、雪崩を打つように和解者が増える・・・当事者の弁護士はそのように踏んだのではないだろうか。

 ところが、余命ブログでは逐一解説を加え、当該弁護士に対する集団訴訟までのシナリオを開示してしまった。一度和解に応じた人も戦列に復帰したようで、結局は和解に応じた人はいなかったのではないだろうか。それどころか、弁護士に対して一人当たり数百万円の賠償を求める集団訴訟をするのだから、もし弁護士側が敗訴するなら、数十億円という金額の支払いに応じなければならなくなる。

 この流れを見ていて、かつて余命ブログで「遺稿記事」として紹介されていた「106 兵の強弱と全滅の定義」の記述内容を思い出した。以下にその一部を転載して、半分寝てしまっている、今日のボケ記事を終わらせていただく。少々長いが、もしまだお読みになっていなければ、興味深い内容だと思う。日本人は、軍人でなくても同じような気質を持っている。日本人は本来は昔から戦闘民族だ、といった人がいるが、おそらくそうなのだろうと思っている。


(以下余命記事より一部転載開始)
「106 兵の強弱と全滅の定義」
 *前略
 兵の強弱を語るとき常に最初に出てくるのは日本兵最強説である。これは欧米等しく認めるところである。そして逆に語られるのが中国、韓国兵最弱説である。これは日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦及び、その間の事変、争乱において、世界各国が評価しているもので自画自賛ではない。
 一方で中国兵といえば兵といえる代物ではなかった。日中戦争は中国軍敗走の歴史であった。また韓国軍にしてもまったく同様で、朝鮮戦争においては、その無様なありさまに実質米軍は崩壊、3万もの犠牲を出してしまったのは主として韓国軍のだらしなさにあったといわれている。
 兵の強弱は肉体的資質ではない。とくに近代戦になれば個々が肉弾相打つような戦闘は皆無だ。そういう中では義務感と責任感をいかに持って精神的に耐えるかという資質が問われる。
 そこの資質がしっかりしていると敵の強弱は問題でなくなる。逆にそこが弱いと、強い敵にはひれ伏し,逃げ惑い、弱い敵には残虐、非道、蛮行のやり放題という現象を引き起こす。
 中国の通州事件や韓国の日本人に対する戦後の蛮行やベトナム戦争におけるライタイハン事件はその典型だ。
 朝鮮戦争勃発時、そのきっかけとなったのは韓国軍10万で日本全土占領という目的で南方に移動していた軍の輸送待ちをとらえた北朝鮮軍の侵攻であった。当初は中国は介入していなかったのにもかかわらず一気に釜山まで追い詰められたのはそれが原因であった。これは米軍にも極秘の作戦だったのである。もし実現していたら日本は悲惨なことになっていただろう。このような経緯を知る自衛隊は韓国軍を嫌悪し殲滅演習を繰り返している。その原点がここにある。
資質の問題は戦闘そのものについて大きな影響を与える。戦闘部隊が交戦において被害を受けたとき、その被害状況の認識、判断をするのは総合的な状況を把握できる部隊中枢であるが、現実には前線戦闘部隊の兵士の戦意にもろにあらわれる。
 欧米において特に英独仏の陸戦においては被害の程度をランク付けし、それに応じた作戦を立てていた。そのランクにおいて死傷3~4割を超えるとこの部隊は全滅と判断される。物理的な兵員の損害の問題ではない。部隊としての戦闘能力がなくなればその判断は当然のことだ。ところがその常識が通用しない軍隊がいた。それが日本軍だ。その玉砕戦闘は世界に例がない。これは教育ではなく民族気質だから現状の自衛隊にも延々とつながっていることは間違いない。味方にすると最強。敵に回してしまうと最悪の軍。これが日本軍なのだ。
全滅の定義は各国の軍、それも陸海空でそれぞれ違う。仮想敵国の陸軍と戦闘が予測される場合、相手国の全滅指数が3割であれば、初戦奇襲をもって1~2割を殲滅し、以降1割の殲滅に全力をあげるというのが通常の戦術だ。これであいて部隊は戦闘継続意欲と戦意を喪失する。ところが玉砕日本軍はそうはいかない。実質、日本軍殲滅は不可能だ。
 日華事変当時、日本軍は中国軍との戦闘に5倍、10倍の兵力差は気にしなかったという。つまり全滅指数は2割弱ということだ。韓国軍については、一時は日本軍として戦った経験から見ると1割もないだろうといわれている。
 この仮想敵国が日本に対し軍事的圧力をかけているということがいかに実態からかけ離れた夢想行為であるかがこれで明らかであろう。
 こんな日本軍が引いて専守防衛となれば戦争を仕掛けた方が自動的につぶれてしまう。少なくとも現役の軍の肩書きを持つものであれば戦争など不可能なことは常識だ。
 *後略
(以上余命記事より一部転載終了)
・引用元記事:「106 兵の強弱と全滅の定義」


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by hirune-neko | 2018-07-03 23:45 | インテリジェンス | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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