明確な境界線を引くことの難しい領域がある ゴールデンウィークの最中だが、製本屋さんが2週間分を溜めると翌週の作業が大変になるというので、1週間分を車に積み、製本が完了した先週分を引き取りに行ってきた。帰社後、納品書を作成してもらうのに必要な基礎資料をまとめるのに、夕方過ぎまでかかった。 少し迷ったが、そこで連続した一連の作業を休止し、脳内を停止状態にしてみた。いわゆる、動の環境から一転して静の環境に自分を置いてみた。普段、ほとんどの時間は何らかの作業をしているので、目に見えるものにしか注意が向かず、ある種の思考停止状態になっていると自覚している。ところが、動から静の環境に身を置くと、一瞬にして脳内空間が拡がり、いろいろなイメージが交錯し始める。 ふと思い出したのは、以前、読者のcaualさんが紹介してくれた映画だった。とても興味を持ったのでダウンロード購入していたが、今日まで観る機会がなかった。1時間50分もの時間を割いて観るだけの余裕はなかったので、予告編を観てみた。映画のタイトルは「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」で、エドガー・アラン・ポーの原作だ。英国・オックスフォード大学の学生が、精神科医としての実習のため、辺境の地にある精神病院を訪れる・・・という設定だ。 2分弱の、ほんの短い予告編だったが、雰囲気はなんとなく味わうことができた。画像と字幕を目にしながら、人間の内面を占める狂気と正気、さらには異常と正常との間には、果たして明確な境界線を引けるのだろうかと考えていた。誰にでも人前での自分と、誰からも見られていないときの自分、という二面性があると思う。高揚した気持ちのときもあれば、自閉的で鬱的な状態に陥ることもある。それは自然なことだと思う。 政治ブログにも少しの時間を割いて閲覧した。昨日の続きで、余命三年時事日記とせんたくチャンネル関連の記事を読んだ。そこで「terumi_satohと悪魔の提唱者」が目に留まり、訪問してみた。せと弘幸BLOGでは「これが卑劣な連帯ユニオン関西生コンの連中です」という動画を閲覧した。 そのような時間を過ごしながら、創作するというのは、そんなに簡単なことではないと再認識した。しかし、短時間だったものの、印象に残った要素を反芻していたとき、ある設定が思い浮かんだ。 テロリストは常識的には違法で危険な存在だ。しかし、正義感と絶望感に突き動かされ、テロしか選択肢がなくなってしまった人物が思い浮かんだ。 父親の経営する会社に、連日街宣車と暴力団まがいの集団が押し寄せる。父親が、彼等の理不尽な要求を拒絶したためだ。やがて彼等は、従業員やその家族にもつきまとい、日常業務にも大きな支障が出て、会社は倒産してしまう。大きな負債を抱え、父親は心労のため急性心不全で他界する。最期まで父を支えた母も倒れ、施設で寝たきりの状態になってしまう。 当時の彼は、親の理解もあって一般の大学ではなく、神学校に進学した。事業や政治活動とは無縁な世界で、聖書や神学、キリスト教の歴史、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語の勉強に明け暮れていた。そんな彼は、両親と従業員が被った理不尽な被害を知らされても、聖書の教えにある「敵を憎んではならない。復讐は私のするところである」という言葉を心深くに刻んでいた。 そんなある日、父親の弟で弁護士だった叔父が事故死したことを知らされた。しばらくして、叔父の妻である叔母から一通の手紙が届いた。長い手紙だったが要約すると、父の代理人として暴力集団への訴訟を起こしたのだが、その過程で警察の上層部のみならず、一部の検察官が政治家を介して、暴力集団に籠絡されていたことが判明したという。証拠不十分という理由で訴訟が却下され、上告しようとした矢先にひき逃げ事故に遭い、亡くなったという。(裁判の仕組みに関しては無知なので誤表現があるかもしれない) 卒業を前にして、彼は神学校に退学届を提出した。引き留める学校関係者には何も説明せず、彼は神学校の寮を出た。 その後しばらくして、不思議な事件が相次いで起こるようになった。屈強な男性が次々と不審死を遂げたのである。被害者は、企業に街宣車で押しかけ業務の妨害をして、無理難題を押しつけていた団体の構成員だった。被害者は警察上層部や検察官にまで拡大し、警察には捜査本部が設置されたが、犯人の特定は困難を極めた。 数年後のある日、全国紙や週刊誌に「犯行声明の手紙」が送られてきた。消印はアメリカ中西部の都市で、差出人は、かつて両親や叔父夫婦を悲惨な目に遭わされ、神学校を退学した彼だった。声明文には、暴力集団だけでなく、癒着していた警察上層部、検察、政治家の実名が記され、糾弾されていた。海外逃亡と判断し、彼は国際指名手配されたが、その行方は杳として知れず、やがては迷宮入りとなってしまった。 実は、彼は国外に逃亡せず、整形手術によって容貌を変え、ホームレスから戸籍を購入して他人になりすまし、今でもひっそりと、ここ日本で生活を送っている。 ・・・とまあ、このようなストーリーが思い浮かんだ次第だ。理不尽な社会情勢を放置していると、このようなテロリストも出現しうるのではないかと思い巡らしていた。気がつくと、主人公の彼が私の脳内に現れて、ことの次第を独白してくれたので、ざっと概要を書き残した次第だ。 いつか、遠い将来でもいいので、水平線の見えるアトリエで、思う存分作品を書けるような生活が送れるといいなと、淡い希望を持っている。しかし、そのような生活環境に浸りきってしまうと、逆に、仕事に追われる忙しく充実した時間を懐かしむようになるのではないだろうか。結局は、仕事と創作の二足のわらじを履き続けるのが、自分の宿命なのではないだろうかと、そう思うこともある。
by hirune-neko
| 2018-05-03 23:51
| 創作への道
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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