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昼寝ネコの雑記帳

濃霧に覆われた分水嶺を彷徨う旅人のように

Shirley Horn - Here's To Life (Verve Records 1992)

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 誰でも人生を振り向けば、分岐点だったと思える時期があったと思う。ある意味では、毎日が分岐点かもしれない。そして、重大な選択を迫られるとき、まるで濃霧に視界を遮られ、明確な判断ができない旅人のように、運命そのものの分岐点となることもあるだろう。分水嶺に到達し、これまでの苦しく辛かった上り斜面から、一転して下りに転ずる劇的な変化もあるかもしれない。

 朱に交われば赤くなるといわれる。人間は誰しも、何かを共有する仲間に囲まれていれば安心感を感じる。ある団体に帰属していれば、あたかも運命共同体のように、自分が保護されるように感じる。しかし、それには時として自己主張を放棄し、ある程度の思考停止に甘んじる方が楽なことが多い。

 しかし残念なことに、一見すると強固に見える組織や団体も、時間経過や社会全体の変化とともに脆弱化し、衰退してしまうリスクをはらんでいる。つまり、運命共同体であるが故に自分だけが逃れるのは困難であり、沈没船の乗客のように一蓮托生で海の底に沈んでしまうことになる可能性が高まる。

 一方、孤立を怖れず、自分の意思・主張・哲学・理念を、妥協せずに貫こうとする人間は、人知れず波にのまれ、助けを得られずに消え去ってしまうかもしれない。しかし、ある種の崇高な生き方は本人の心に刻まれ、後悔することはないだろうと想像している。

 自分の人生で、最も価値のあるものは何かと考え続ける人間の結論は、どのような内容だろうか。とても興味深く思う。誰にとっても価値のあるものは多いと思う。健康や体力、資産や財力、社会的地位・名声、仕事上の業績など、いろいろあると思う。政治活動やボランティアなどの活動かもしれない。文字通り人それぞれなので、議論して決めるテーマではないだろう。

 私自身は、公の場で何か声高に主張できるようなことは何も持っていない。ただ強いて何かひとつを挙げるとすれば、私心を捨てるということを大事にしたいと思っているようだ。誰かに接したときに、私心のない人だと感じるのはとても心地いいものだ。私心がないというのは、人間的に高潔な人格を有していることであり、弱者に対しても慈愛の気持ちを持てることであり、金銭や名声のために自分の理念を売り渡さないということでもある。

 もうかなり以前のことになるが、始めてドイツ語の歌を習った。歌曲でシューベルトの冬の旅の1曲だった。先生はウィーンに留学されていた方で、おかげで初めてのドイツ語も、ある程度は読めるようになった。次いで、モーツァルトのオペラ魔笛から、ザラストラのアリアを習った。始めてバス歌手のクルト・モールを知り、食わず嫌いだったモーツァルトの良さを感じることができた。今でも、クラシック音楽の持つ「深さ」は芸術だと思っている。世俗から隔絶された領域で、人生を崇高な視点から眺望し、芸術的な解釈を行っていると、そのように感じる。

 今日、最初はDiana Krallの歌を選んだのだが、以前のようにしっくりこない。久しぶりにShirley Hornを聴こうと思って見つけた動画がある。ステージから離れた場所からの撮影なので表情が見えない。声質も異なる。拡大しみたらびっくりしてしまった。どんな高齢者にだって若いときがあったのは当然だ。しかし、このShirley Hornは若いというのは別にして、歌そのものに味わいが感じられない。もし最初にこの動画を観たら、Shirley Hornという歌手には魅力を感じず、そのまま通り過ぎてしまっただろうと思う。晩年の歌には、長い人生を生きた間に培われた達観、洞察がほどよい苦みを伴って表現されている。ほっとして聴けるゆえんである。

 私には画を描く才能がない。小学校低学年の通信簿は、図画・工作が2だった。音楽を聴くのは好きだが、歌ったり演奏する才能がない。営業が下手くそで商売の才覚がない。人間関係でも如才なく誰とでも上手に接することができず、つまり、何かしら形而上学的な領域を共有できる相手でないと、発展的な人間関係を築くことが難しい。すなわち、単に利害や得失だけで付き合うことができない。

 こんなに不器用で処世論を振りかざす青臭い高齢者にも拘わらず、そして周りの「理解者」の皆さんに迷惑をかけながらも、相変わらず濃い霧の中を、自分の直感力を頼りながら、まだまだ流浪の旅を続けようとしている。おめでたい、阿呆、世間知らず、身の程知らず、などなどたくさんの石つぶてを投げつけられても、なんとか分水嶺を越えようとしている。もしかしたらやはり、私は地球人ではないのかもしれない。宇宙人、海底人、地底人・・・さて、どれなのだろうか。

 歩き、ジムに通い、心を鬼にして甘い物を遠ざけ、夜は早く寝るようにして、アンドリュー・マーシャルのように、90歳過ぎまで現役で自分の領域を追求したい。・・・ブログにこのような決意の文章を書ける気力が出てきているのは、何よりも嬉しいことだ。


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by hirune-neko | 2018-04-17 01:26 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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