昼寝ネコの雑記帳

亡命者はモスクワをめざすか、あるいはすぐに帰国する


Shirley Horn - Here's To Life (Verve Records 1992)
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 インターネットを閲覧していると、ここ数日にわたり、やたらと「亡命」という言葉が目に付く。辛淑玉さんが、「私がドイツに逃れたのは、極右テロからの自衛であり、事実上の『亡命』です。」と述べ、実際にドイツに渡航したからだ。3月4日にドイツに渡り、その4日後の3月8日には帰国したことになる。そうか、期間限定の短期亡命ということもできるのだ、と感心した。

 日本ではあまり亡命という言葉を聞いた記憶がない。今日、ふとブライアン・フリーマントルの作品で「亡命者」という言葉が入ったタイトルがあったことを思い出した。調べたら「亡命者はモスクワをめざす」であり、原題は「Charlie Muffin and Russian Rose」だった。

 フリーマントルは「デイリー・メイル紙に勤務。外報部長を務める1973年に処女作『GOODBYE TO AN OLDFRIEND』でデビュー。1975年に退職し、ジャーナリストとして活動。特派員として30カ国以上に滞在。」(Wikipedia)という経歴の持ち主である。彼の作品のひとつに、チャーリー・マフィンが主人公のシリーズがある。チャーリー・マフィンは風采の上がらない中年男性だが、英国の対外情報部であるMI6に所属する切れ者、という設定だ。

 そのチャーリー・マフィンは、ある一定期間をモスクワで過ごす。現地のロシア人女性との間に娘を設け、一緒に暮らしているという設定のストーリーだ。私の記憶に間違いが無ければ、チャーリー・マフィンはロシアの要人を英国に亡命させる指令を受けていたはずだ。

 邦題は「亡命者はモスクワをめざす」だが、原題の「Charlie Muffin and Russian Rose」のRussian Roseが、チャーリー・マフィンの相手女性ということになる。

 チャーリー・マフィンシリーズは、すべて読んだと思っていたが、どうやらその後に新刊が出たようで、記憶に無いタイトルがあった。フリーマントルはいくつもの名前を使い分けて作品を書いている。しかし日本では全てが、フリーマントルの名前で出版されている。「さらばスパイよ」という哀切感溢れる作品は、最初は日本でもジャック・ウィンチェスターという著者名で出版され、それがフリーマントル作品との最初の出会いだった。

 一方でフリーマントルはノンフィクションも書いている。新潮選書から出版された「CIA」や「KGB」などだ。なかなか異色の作家だが、数十年前にはすっかり傾倒して読んでいた。一般書籍の小さな文字だと読むのに苦労するだろうが、ひょっとしてKindle版で出ていればまた読みたいと考えて調べた。驚いたことに、日本語で電子書籍化されている作品は皆無だった。それでは原書にチャレンジしようと思い、調べたところ、チャーリー・マフィンシリーズの第一作目「消されかけた男」(原題はCharlie Muffin)が目に留まった。早速ダウンロード購入しようとしたら、すでにライブラリーに存在するというエラーが表示された。確認したところ、なるほど、いつだったかは記憶に無いが、ちゃんとiPadに収まっていた。

 そんなこんなで、今日ばかりは辛淑玉さんの亡命騒ぎのおかげで、数十年ぶりにチャーリー・マフィンと再会することができた。しかし、そんな昔から情報機関に対する興味を持っていただなんて、自分でも意外な思いだった。

 私が創設したいと考えている、家庭や個人のための情報機関は、あくまでも公開情報の収集と分析である。国家の情報機関のように、あらゆる手段を使って情報収集したり、さらには工作活動に手を染める考えは無いし、その必要も無い。しかし、国家の情報機関が、情報の収集と分析を経て、即ちインフォメーションからインテリジェンスに昇華させるプロセスを、どのように機能させているかにはとても興味を持っている。

 私の場合はまだ余命宣告されていないが、果たしてあと何年で、それなりの機能を構築できるだろうか。気の長い話である。かと思うと、話し好きの集配人の男性との今日の会話を思い出している。彼はサーファーであり、東南アジアの島々や沿岸地域を転々としながら住んでいたそうだ。フィリピン、タイ、ベトナムなどの話を聞くうちに、温暖で水平線の見えるホテルの一室で、涼しい潮風に吹かれながら、のんびりする生活を想像し、魅力を感じていた。いつか仕事が一段落して時間が確保できるようになったら、期間限定でベトナムに亡命し、何作かの短編作品を仕上げる生活も悪くないと思ってしまった。

 まったくもって、緊張感のない情報分析官である。ちなみに、ベトナムでは英語よりもフランス語の方が通じるそうだ。はなはだ動機は不純ではあるものの、少しはフランス語の勉強時間も確保しようかという誘惑に負けそうになっている。

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by hirune-neko | 2018-03-11 00:44 | 心の中のできごと | Comments(0)
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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