昼寝ネコの雑記帳

納品書作成に追われ、相変わらずの深夜ブログである


Baden Powell - O que tinha de ser

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 納品書には、発送日、絵本番号、出産日、健診日、母親名、子ども名を記載する。当たり前だが、どれも間違えてはいけない項目なので、かなり集中しながら作成している。これまでは他の人に依頼していたのだが、今年は納品書の枚数が増える、すなわち契約相手が増えると予測しているので、今までのようにExcelで作成していたのではパンクしてしまうと考えた。データベースソフトの4Dで作成したいと思っているので、改めて受注データから納品書や請求書を作成するプロセスを、自分の手で再構築しようとしている。

 何時間か連続して集中していると、血液がすべて頭の方に行ってしまう感じで効率が悪くなる。夜になって一度、セブンイレブンまで往復した。昨晩と比べるとはるかに歩きやすくなっていた。帰ってきてドアを開ける前に郵便受けを確認した。普段は午前中に一度だけ郵便配達が来るのだが、今日はどういうわけか二度来たらしい。レターパックが入っていた。差出人を見ると、昨日電話をくれた産婦人科の院長夫人だった。

 堕胎せずに子どもを産み、実際に育ててくれる両親にその子どもを託す。私には想像の域を出ない状況なので、新聞記事などの資料を送ってくれた。資料を読めば、子どもと生き別れになる母親の切ない心情が、よりリアルに理解できるだろうと考えて送ってくださったものだ。院長先生のご苦労はかなりのものだろうと思うが、そこまでして小さな生命を守ろうとし、さらには出産する女性に対し、挫折感と自責の念を乗り越え、平安と希望を抱いて新たな道を歩んでもらおうとするその努力に、改めて敬意を表したいと思う。

 資料と一緒に、院長夫人から「いい文章を期待します」、というメッセージが入っていた。正直言うとプレッシャーを感じるが、資料に目を通すうちに自然と心に文章が思い浮かぶだろうと思う。もう何年も経つが、ある産婦人科の院長を訪問した。沈んだ暗い表情だった。何年も不妊治療を続けやっと妊娠したのだが、分娩中にへその緒が首に絡まり、赤ちゃんが亡くなったそうだ。「大切なわが子へ」というタイトルで絵本の文章を考えたときは、赤ちゃんとお母さん、そしてお父さんの姿を思い浮かべて一気に書き上げた。しかし、現実に目の前で起きた悲しい出来事を聞かされ、そのご両親と次の世界に旅立って行った赤ちゃんの心を癒やす文章を書きたいと思った。

 帰宅したのは夜だったが、心に思い浮かぶままに文章を作成し、何度も推敲して作り終えたのは深夜3時過ぎだったと記憶している。その天使版の文章のモチーフになったのは、私自身の経験である。以前にも書いたと思うが、次男の出産直前に母親が水疱瘡に感染した。後で分かったのだが、胎内で水疱瘡に感染したのを、医学的には先天性水疱瘡というらしい。日本では初めての症例なので、学会で発表すると言われた。

 小児科医にお願いして、広尾の愛育病院を紹介してもらった。次男は保育器に入れられ、疲労困憊していた家内は、ようやくひとりで横になることができた。私は保育器の横に椅子を置き、ずっと次男の様子を見ていた。深夜が過ぎ、長い時間が経過した。夜が明けて空が明るくなれば、この後は助かるだろうと考えた。早朝の5時過ぎだっただろうか。カーテン越しに外が明るくなり始めた。ようやく峠を越すだろうと思った瞬間、次男は呼吸呼吸を止めた。あっという間に全身が土色に変色した。どうしていいか分からず、保育器の丸い穴から手を入れ、次男の手を握って振りながら何度も名前を呼んだ。すると不思議なことに、次男は呼吸を始めた。ほっとする間もなく、また呼吸が停止し全身が土色になった。蘇生と呼吸停止を何度か繰り返した。

 最終的には病院の判断で、救急車を呼び感染症専門の都立駒込病院へ搬送してもらった。完全看護なので帰宅してくださいと言われ、緊張感からは解放されたが、その時には次男の葬儀について考えながら帰宅した。その後、肺炎を併発し危険な状態が続いたが、約4週間後に退院することができた。主治医の先生の説明によれば、アメリカで発表された論文に先天性水疱瘡の治療法は、帯状疱疹の患者から採取した血清しかないと書かれていたのを読み、つい数週間前に来院した帯状疱疹の方の血清を保存していたそうだ。たまたまその方は次男と同じ血液型だった。

 帰宅して天使版の文章を考え始めたとき、目の前でわが子が呼吸を停止し全身が土色に変色した情景が甦った。あの経験がなければ、天使版の文章は、きれいで繊細な言葉をガラス細工のように書き連ねたただけのものになっただろうと思う。そんなに多くはないが、楽しみにしていたわわが子を亡くされたご両親から、心が癒されたという報告を聞き嬉しく思ったことがある。その延長線上に、東日本大震災で子どもや親を亡くされた方々を慰める文章がある。福祉団体からの依頼で文章を考え、数百のご家族がこの絵本を手にされた。津波で思い出の品々を全て失った空虚な心に、新たな思い出を与えられ、平安を取り戻したというメッセージが、印象に残っている。

 次男は絵を描くことに興味を持ち、やがてコンピュータで書籍を電子的に編集する技術を習得した。これまでに製作した約5万冊の絵本は、全て次男が作業を受け持っている。もうかれこれ40年以上前の出来事が起点となるが、人生というのは、どのように変遷していくか予測がつかないものである。次男との経験が文章と化して人を慰め、次男自身も運命的な使命感を感じて、過酷な作業である絵本の製作をしているのだろうと思う。

 私の想像とは異なり、子どもを産んだ母親は養父母に引き渡す前に、自ら母乳を与え束の間の日々を母親として子どもと過ごすように、院長が配慮してくれているようだ。その時にその母親は生まれて間もないわが子に対し、どのような気持ちで接しているのだろうか。どのような気持ちでわが子を手放し、養父母に託すのだろうか。やがて年月が過ぎ、母親の心の中では子どもに対する気持ちに、どのような変化が生じているのだろうか。まだまだ想像の世界ではあるが、そのような母親の心情を深く理解し、平安と慰め、そして人生に対する新たな希望を手で掴んでいただけるような、励ましの文章を作りたいと願っている。

 このように、まだまだ深夜ブログからは脱却できないようである。


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by hirune-neko | 2018-01-25 02:29 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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