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昼寝ネコの雑記帳

「大切なわが子へ」の第5の文章を考え始めている


J.S.Bach BWV 853 - Patricia Hase

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 夕方、ある産婦人科の院長夫人から電話があった。珍しいことだ。何かクレームかと思ったが、そうではなかった。

 その産婦人科の院長は、優生保護法の規定があっても人工中絶をしない主義だ。たとえ肉眼では見ることのできない胎児であっても、中絶は殺人になるという考えを持っている。では、出産できない、あるいはしたくない女性が中絶を希望した場合、どのように対応しているのか。

 一方で、子どもがほしくても授からない夫婦が存在する。院長は、中絶希望の女性を説得し、出産と同時に子どもを待ち望んでいる夫婦の子どもとして、出生届を出すよう勧めている。妊娠という事実を闇に葬るのではなく、幼い命を殺めず、その子を大切に育ててくれる夫婦に託すよう説得するとに使命感を持っている。

 院長夫人の説明を黙って聞いていた。女の子は15歳だそうだ。新生児を育てることになった夫婦が、お腹を痛めて産んだ母親である彼女の心のケアに、絵本をプレゼントしたいと申し出てきたそうだ。開業した最初から、私が文章を書いている絵本「大切なわが子へ」を、出産祝いに使ってくれており、累計で1万冊を超える絵本を届けている。絵本の文章は現在、ご両親と赤ちゃん、お母さんと赤ちゃん、天使になった赤ちゃん、先天性の障がいを持つ赤ちゃん、の4種類である。

 子どもを産んだ瞬間に子どもから隔離され、おそらくは一生涯対面することの叶わない、わが子に対する母親の気持ちを文章にすることになる。私にとっては第5の文章となる。できるだけ個々の状況に寄り添った文章を、と考えて何種類かの文章を作ってきたのだが、院長夫人の依頼はさすがに想定していない内容だった。特別版になるので費用は払う、と申し出てくれたが、即座に辞退した。そのような境遇の、おそらくは若いであろう「母親」の気持ちを癒やす文章を書くことに、絶対の自信を持っている訳ではない。しかし、もしその女性が特別版の「大切なわが子へ」という絵本を読むことで、肩を震わせ、大粒の涙とともに慚愧の思いを自身の外に流し出し、新たな人生を歩む勇気と気力、そして希望を持ってくれたなら、それが私にとっては最上の対価である。

 出産を楽しみにしていたわが子が天使になってしまった苦しみや悲しみは、やがて次の受胎と出産で癒やされるケースをいくつも見ている。しかし、この若い「母親」は、実在するわが子の名前を呼ぶことすらできず、抱き寄せることもできない。これからの人生で、幾度となく自分が産んだ子どもに思いを馳せることがあるだろう。悔いと自責の念を、まるでゴルゴダの丘に向かって十字架を背負うがごとく、独りで背負い歩き続けなくてはならない。

 そのような境遇の女性の前に、ある日天使が訪れ、「汝の罪は赦された。心に平安を与えよう」と告げられたら、どれだけ至福の気持ちになれるだろうか。私には神学的に赦すような権限はないものの、心の痛みと重荷を一緒に背負いたいという気持ちを、文章にしたいと思っている。簡単には思い浮かばないものの、イメージは蓄積しつつある。

 表面的な美辞麗句は人の心深くには届かない。読む人が自身の存在の根底から揺さぶられ、本来の生き方を覚醒させられる要素は、言葉や理論を超越した領域に存在する。その抽象的な概念やイメージを平易な言葉に変換して表現するには、ある種独特の感性が不可欠であることを、改めて痛感している。

 人工中絶をせず、養子縁組を紹介する方針の院長なので今後も継続的に、この第5の文章の絵本を使いたい、と言い残して院長夫人は説明を終えた。受話器を置いた瞬間から、その少女の姿が蜃気楼のようにまとわりつき、今も脳裏から離れない。そして、文章を書き始める前から、すでに感動が心に満ちている。我ながら、なんて奇妙な感性を持ち合わせているのだろうと思っている。


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by hirune-neko | 2018-01-22 23:02 | 創作への道 | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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