昼寝ネコの雑記帳

雨上がりの静けさに浮かび上がる、寂しげなカレンダー


Bill Evans - Never Let Me Go


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 外出から帰ったが、ふたつの緊張するミーティングに出席したせいか、集中力が低下してしまった。ぼんやりとパソコンの画面を眺めていたら、「誕生日」という文字と一緒に、明日の日付が表示された。一瞬、誰の誕生日なのかと思ったが、明日は亡き母の誕生日だった。生きていれば、94歳を迎えたのだろうか。

 まだ納骨を済ませていない。一番奥の部屋の、小さな座卓に安置したままになっている。一体いつになったら納骨するつもりなのか、部屋に入ってきても声もかけない、とうとう私の誕生日も忘れてしまったのか・・・などなど、いくもの小言が聞こえるようだ。昨日だったか、母との電話の会話をブログに記したのを目にした。当時は笑って読むようなやりとりだったが、改めて読み返すとある種の喪失感があるのを自覚する。

 亡くなる1年ちょっと前の会話だが、思い出に一部だけを再掲載したい。自分の作った短歌なんて、ドロドロした感情のはけ口だったから、人に見せる価値はない。死んだらそのまま燃やして灰にしてほしい・・・と言い張る母をおだててなだめ、本人も徐々にその気になった頃のやりとりである。

【老母との深刻な会話〜その2】
(転載開始)
 前半省略
母:いや、だからつくづく短歌のいい先生に学んでれば、
  もっとちゃんとしたのを作れたのにと思ってね、
  こういうのを書いてみたんだけど、最後の部分が
  どう表現していいか、思い浮かばなくて。
私:いってみな。
母:うん。
  「師につきて学びし歌にあらざれば
   書き残さるるは○○○○○○○」
  この○○○○○○○の部分が、「心に重し」だと
  ちょっと情感に欠けるなと思ってね。
私:なるほどね。(2秒考えて)じゃあさ、
  ○○○○○○○の部分は「面(おも)はゆくあり」
  なんていうの、どう?
母:ああ、「面(おも)はゆくあり」ね。悪くないね。
  (2秒間を置いて)うん、いいね。それに決めたわ。
私:そう。じゃあさ、この短歌は親子の合作ということに
  してもらうからね。
母:きゃはは。

とまあ、いつ逝くかもしれぬ老母と、
その老母より先に逝くかもしれぬ、
親孝行か親不孝か判然としない息子との、珍しくも
文芸的なやりとりに終始した時間だった。
(転載終了)2014/01/25

 母のケアマネージャーとして、最期まで寄り添ってくれた女性から、数日前にメールが届いた。インフルエンザでダウンし、高熱状態だというのに、母が何かの紙に書き残した短歌が出てきた、といってメールで送ってくれた。以下に紹介させていただく。


出先より子の送りきし京菓子をふくみて胸の温かくなる

暑きなかを仕事先より送られし品よく美味なる京の手瑠璃

小さき菓子大けき愛のこもりいてしばし至福の時を過ごせり

苦しみを逃るる我の苦しみを背負いて生きむ子の行く末を(思いやる)


 いつ頃の作品か分からないが、仕事で京都に行ったというのなら、かなり昔のことになる。当時は大阪大学、同志社大学、京都大学へ営業でたびたび訪れた。グリーティング絵本を商品化する前なので、少なくとも15年以上前のことだ。無謀な営業手法だった。大阪大学は紹介者があったが、他は飛び込みだった。結局、契約には至らなかった。その後、絵本の営業で大阪、奈良、兵庫と回ったが壊滅状態だった。すっかり営業に対する自信を失い、その後は北海道から関東までだけを視野に入れるようになってしまった。そんな頃のほろ苦い心象が思い出された。

 しかし、真夏の暑い時期に営業活動で辛酸をなめながら、母に京菓子を送っていたなんて、まったく記憶になかった。親不孝息子だと、いつも小言を言われていたが、これらの短歌を読んでみると、かなり親孝行な息子だったのではないだろうか。生存期間だけ見ると、母方の祖父、父、義父を超えてしまっている。かなり以前から早世の予感と強迫観念に囚われていたのだが、最近は世のため人のため、という考えを大切にするようになっているせいか、天の配剤で、もしかしたら旧訳時代の預言者たちのように、数百歳まで生きるかもしれないと、図々しい妄想をするようになっている。

 Googleカレンダーに登録している母の誕生を削除すれば、来年からは表示されなくなる。それが現実的な判断だと思う。しかし、今のような多忙な生活環境では、母の痕跡を思い出させてくれるのは、唯一Googleカレンダーぐらいのものだろうか。改めて、母の遺作集を出版しようと心を新たにしている。そのためにも、カレンダーからの削除はしないでおこうと思う。


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by hirune-neko | 2018-01-17 23:58 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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