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昼寝ネコの雑記帳

増補版 迷える子羊の教会(オリジナル版:2016.04.24)


Bill Evans Trio - Young and Foolish

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 スーツケースひとつを車のトランクに入れ、とりあえず西に向かってハイウェイを走った。デンバーから何時間か走り、日が陰ってきたのでハイウェイを出て、目についた安ホテルに投宿した。あれからもう、1週間になる。

 最初の数日は何も考えられなかった。少しは思考力が戻って来たような気がするが、訪ねてくる人など存在せず、どこにも行く当てがない。食欲もないし眠気も感じない。スケジュールは全てキャンセルされ、何の予定も入っていない。電話をかける相手も、メールを送る相手もいなくなってしまった。実在するけれど、社会的には不存在の人間。そんな自分は、このままこの安ホテルで朽ち果てるのも、ありかもしれないと思い始めていた。人目を気にすることもないので、外見がどうでも良くなってしまい、シャワーを浴びる程度で、ヒゲも剃っていない。

 思い出したくないあれこれが、徐々に湧き上がってくるのを感じた。

 あの日、懲罰評議会で除名を言い渡され帰宅した夜、いつもは明かりが点いているはずの家が、闇の中に溶け込んでいた。厭な予感がして家に入り、居間の照明のスィッチを入れると、テーブルの上の書類が目に飛び込んできた。さらに厭な予感がした。
 手に取って見ると、妻からの短い手紙と、離婚承諾書、郵送用の封筒だった。

「これからの生涯を、汚名とともに生きるだけの勇気はありません。書類に署名して投函してください。弁護士から連絡させますので、連絡が取れるようにしてください。 ジェニファー」

 もうこのまま、家族と会う機会は訪れないのだろうか。突然の環境の変化に、戸惑いと不安、そして孤立感を感じた。そんな感傷に浸る余裕もなく、その夜遅く、懲罰評議会の代理人だと名乗る弁護士から電話があった。48時間以内に住まいを明け渡すようにとの通告だった。家内と娘たちの荷物は、代理人が引き取りに行くので手を触れないようにともいわれた。私物はそんなに多くはないし、その家に住み続けたいという気もなかった。私は48時間以内に、車で家を後にした。

 5月に入ったばかりなのに、少し蒸し暑いような気がした。ホテルのエアコンの効きが悪いのかもしれない。
 脳内のパニックが少しずつ鎮まって、やや客観的に考えられるようになってきたようだ。今、自分はどこにいるのだろうか。まだコロラド州内なのだろうか。それともユタなのか、あるいはもうネバダなのか。

 東部で生まれ育った子どもの頃の情景が、次々と浮かんできた。ボストン郊外に住んでいたが、父親の仕事の関係で何度も市内のコモンパークに連れて行ってもらい、芝生の上を歩き回るリスたちを追いかけたことを思い出した。
 父はビジネスマンであり、商工会議所の理事を務め、多くの政治家との親交もあった。男の子は私一人だったので、私が会社を継ぐのが当然だと思っていたようだ。妹たちも異存がなかったようだし、母も期待してくれていたのだろう。

 父はいつの頃からか、私がハーヴァード大学に進み、そのままビジネススクールで学ぶというコースを、既定路線だと考えるようになっていた。大学受験を意識しだした頃、父は私に、試験は形式的に受けるだけでいい、と告げた。つまり、なんらかの方法で、すでに私の合格が決められていたのだと知った。
 感謝して、そのまま父の母校でもあるハーヴァードを受験していたら、そしてそのまま卒業し、ビジネススクールも修了して、父の紹介の企業で訓練を積み、最終的には父の会社を手伝うのが、一番無難な人生だったのかもしれない。

 私が、神学校に進みたいといったとき、テーブルで食事中だった家族全員が手を止め、言葉を失ってしまった。あの時の情景は、今でもよく憶えている。私の出自が火星人だと知ったときのような、そんな驚きようだった。

 家族関係は気まずくなっでしまったが、私は自分の我を通し、奨学金を得て自力で神学校を卒業した。卒業後は、コロラド州内の教会で修行し、数年後にはジェニファーを紹介されて結婚することになった。ジェニファーの父親は、教会のコロラド州を統括する聖職者だった。同窓生は皆、これで私の将来が安泰だと羨んだ。
 なるほど、その後の私は教会の実務を離れ、コロラド州本部の財務や法務の仕事に就くようになった。そんなある日、私は目にしてはならないものを見てしまった。
 教会は政治的な中立を宗規としているのだが、教会員に対して、特定の上院議員と下院議員に投票を誘導する、巧妙に作られた計画書を目にした。さらには、同様に特定の議員に対し、いくつかの慈善団体を経由して選挙資金を提供する、アクションプログラムが承認されている議事録を目にした。
 私はすぐさま、ジェニファーの父親を訪ね、ことの次第を報告した。あのときの彼の表情は、今でもよく憶えている。聖職者の表情が崩れ、苦悶と困惑の表情になった。彼は鋭い視線を私に向け、いった

「ブライアン、聖なる業をこの地上に広めるときは、地の汚れを浄めるために、まず私たち自身が、その汚れの中に足を踏み入れなくてはいけないんだよ。それと、ジェニファーと娘たちの生活を守りたいと思わないのかね。」

 ジェニファーに相談できる内容ではなかった。私は3日間熟考し、最終的に確信が持てた選択を行った。ワシントンDCにある教会の本部を訪ね、法務部のディレクターに面会申し込みをし、経緯を説明することにした。そのディレクターは、私の勇気ある行動を讃え、コロラドに帰って待機するように告げた。さすがに教会の本部では、正義が通用するのだと、安堵して家路についた。

 その3日後、私はコロラド州本部の懲罰評議会から呼び出しを受けた。いつでも証言できるように、経緯を正確に資料化していた。懲罰評議会は、10分もかからずに終結した。「法務および財務の重要機密を開示した重篤な責任」を問われ、私は教会そのものから除名処分を受けてしまった。つまり、ワシントンDCの教会本部が承認の上で全てを進めており、私は一気に危険人物として浮上してしまったのだと、そのときにようやく気づいた。

 私は、何か神聖なものに裏切られたような心境だった。突然、拠り所を失い方向感覚がなくなってしまった思いだった。

 突然ドアがノックされた。ルームサービスなど頼んだ覚えはない。クレジットカードにトラブルでも発生したのだろうか。ドアの外に立っていたのは、身なりのいい男性二人だった。私の両親の依頼を受けた弁護士だというので、招き入れた。

 私の居所を突き止めたのにも驚いたが、さらに驚いたのは両親からの申し出だった。私の身に起こった全容を知らされた両親は、コロラド州の隣に位置するネブラスカ州の片田舎で売りに出されていた建物を購入したという。長く独立系の教会として使われていた建物だが、急逝した聖職者の後継者が見つからず、閉鎖されることになったらしい。その建物で、自分が正しいと考える教えを広めるよう支援したい。それが両親からの申し出だという。
 父や家族の期待を裏切り、教会でも自分の正義感を通し、ジェニファーや娘たちを悲惨な境遇に追い込んでしまった私。そんな私の行動を理解し、受け入れ、寛容に接してくれる両親に、心から素直に感謝の気持ちを持つことができた。

 代理人の弁護士は、今すぐに結論を出す必要はないといった。時間をかけて、これからの自分の人生を設計し直すよう勧め、名刺をテーブルの上に並べた。ドアに向かって歩く途中で振り返っていった。

「もうひとつ伝言があります。お母さんが、お父さんに内緒であなたの銀行口座に1万ドルを振り込んだそうです。ゆっくり旅行していい景色を楽しむように、と伝えるよういわれました。ああ、それともうひとつ。ストレスのせいにして、ドーナツを食べ過ぎないよう注意してくれともいわれました」

 その夜は、疲れ切った頭では何も考えられず、深い眠りに落ちていったようだ。

 朝方、鮮明な夢を見た。私はスペインの荒野で羊飼いをしていた。囲いには100匹の羊を入れて、番をしていた。ちょうど100匹で、それぞれ1匹ずつには名前が付けられていた。毎日3度、羊たち全てが揃っていることを確認することが、義務づけられていた。夕方、何度数えても羊は99匹しかいなかった。囲いの入口を丈夫な綱で固定し、失ってしまった1匹の羊を探しに荒野に向かった。
 徐々に日が陰り、不気味な闇が濃さを増していた。私は途中で引き返す気持ちになれず、もしかしたら危険な目に遭っているかもしれない羊の安否が気がかりで、いつも持っている鈴の音を響かせながら、あてどもなく探し回った。

 突然、何かの気配がした。2頭の狼だった。1頭が右から飛びかかってきたので、杖で殴打したが、その隙に左から飛びかかられ、足に噛みつかれた。必死で抵抗し、痛さをこらえて杖で何度も殴打するうち、狼はぐったりと動かなくなった。薬草で応急手当てし、私はまた羊を探し始めた。

 かすかに羊の鳴き声が聞こえた。私が鳴き声のする暗闇に向かって声をかけると、鳴き声が大きくなり、やがて私の方に駆け寄って来る子羊の姿が目に入った。子羊は安堵したように、私に飛びついてきた。私は子羊を抱きしめると、肩の上に担いで囲いに向かって歩き始めた。

 かなりの時間を費やしていたのだろう。東の空が少しずつ赤みを増し始め、辺りの景色が鮮明になっていた。

 そこで私は目が覚めた。夢の世界から、一気に現実に引き戻されたが、子羊の感触も足の痛みもまだ残っていると感じるほど、鮮明な夢だった。理由もなく、心の底から感動が湧き上がり、涙が溢れ出した。

 両親からの申し出を受けるべきだと、強く感じた。私にはなんの権能もない。地位もなければ、正当な権威もない。しかし、荒野で迷っている子羊を救い出すのに一体、何の権威や地位が必要だというのだろうか。安全な囲いの中で、しばし平安に過ごせるよう手助けし、その後は自分の意思と判断で、必要とすればどの宗教を目指してもいいではないか。

 そう考えると、とても気楽になった。しばしの休息を得て、新たな道を目指して行けるよう手伝うことなら、私にでもできるかもしれない。
 迷える子羊の教会: The Church for the Lost Sheep。今の私にできる精一杯のことなのではないだろうか。そう考えたとき、聖書の一節が思い浮かんだ。

『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』

     ◆    ◆    ◆    ◆    

 両親が購入してくれた建物は、アメリカの中央に位置すると言われる、ネブラスカ州オマハから数十キロの郊外にあった。ミズーリ川からもそんなに遠くない、閑静な田園地帯だった。地元の不動産業者に連絡を取り、現地を案内してもらったが、彼は車の中で急逝した前任の聖職者のことをいろいろ説明してくれた。

 人格者で人望があり、地域の住民たちからの信頼と尊敬を集めていたことが良く理解できた。ブライアンは、それなりの規模と知名度を有する教会を追われ、家族とも離別し、文字通り孤立無援の立場になっていたが、かえって純粋な信仰心を培う良き機会だと考えていた。

 建物は思ったよりも大きかった。L字形の平屋建てで、教会の礼拝堂といくつかの教室、事務所、それに住まいが併設されていた。不動産業者の男性は、いくつかの鍵の説明を終えると、鍵束と一緒に権利関係の書類を事務所のデスクの上に置いた。そして、両親からの手紙を預かっているといい、ジャケットの内ポケットから取り出して手渡すと、別れを告げた。

 封を切ると、父と母それぞれからの手紙が入っていた。椅子に座り直して読みながら、両親の期待を裏切ってビジネススクールではなく神学校に進学した頃の、家の中に充満していた冷たい空気を思い出した。両親と妹たちに背を向け、わがままな選択をした私に対する両親からの寛大で思いやり溢れる行為に、改めて家族の絆を感じ感動の涙が溢れてきた。

 教会はあくまでも迷える子羊たちのために運営する決意だった。地元の新聞社に相談して記事にしてもらい、とりあえず日曜日は礼拝行事と日曜学校からスタートすることにした。果たして、どのような考えの人がどのような動機で教会に足を運んでくれるのか、まったく予測がつかなかった。

     ◆    ◆    ◆    ◆    

 あっという間に半年が過ぎ去った。他界した聖職者を慕っていた「信者」の皆さんが、少しずつ集まってくるようになり、ブライアンは平日にも、いろいろな相談に乗る時間を過ごすようにした。毎日曜日の礼拝行事の時に、出席した皆さんの表情に平安な輝きを感じることが、とても張り合いになっていた。

 ある日曜日、いつものように小さな礼拝堂に入り、説教台から出席者一人ひとりの表情を確かめながら、お話しを始めた。その時、ブライアンの視界に、最後列に座るジェニファーと娘たちの姿が飛び込んできた。一瞬、言葉が出なくなってしまったが、頭の片隅では離婚して離れていた妻と娘たちが、なぜこの場所に存在しているのかを思い巡らしながら、その日のために用意した話しを続けた。

 礼拝行事の後、ブライアンはジェニファーと娘たちを事務所に招き入れた。激動の時期を独りで乗り切ろうとしていた矢先なので、妻たちの突然の来訪の意図を計りかねた。いきなり本題に入るのがためらわれ、健康状態や娘たちの学校の様子などを質問した。

 ジェニファーはブライアンの狼狽を察して、ストレートに説明を始めた。ブライアンの許を去った妻のジェニファーは、後に父親から歪曲された虚偽の経緯を説明されていたことを知った。その後、教団の一部の人間たちが宗規に反して、特定の政治家へ投票させようとしたり、いくつもの慈善団体を迂回して政治献金を行ったことが表面化し、ブライアンの行動の正当性が認められ、評価されたことがジェニファーの口から語られた。しかしブライアンには、遠く過ぎ去った、すでに終結してしまった出来事だとしか思えなかった。

 ジェニファーは軽率な判断をしたことを謝罪し、ブライアンの生き方に共感していることを伝えた。その日、十分な時間をかけて家族で話し合い、ジェニファーと娘たちはブライアンと一緒に生活することを決めた。

 ほどなく、ジェニファーと娘たちはブライアンを手伝うようになり、家族揃って、この小さな教会の運営に励むようになった。

 その後、ブライアンを除名した教団の上層部から連絡があり、除名が誤りであったことを謝罪すると同時に、教会の管理・運営に必要な権限と資金的援助を与えるので、今後は独立系の教会としてではなく、全米組織である彼等の教団に所属して教会を運営するよう申し出があった。
 ブライアンは、かつての夢の中で、囲いから迷い出た一匹の子羊を捜すために荒野に出たこと、狼に襲われ傷つきながらも、見つけ出した子羊を肩に担いで囲いに戻ったときに味わった、深い達成感を忘れてはいなかった。著名な宗教組織への復帰は名誉あることかもしれないが、ブライアンとジェニファーは、そのまま名も無い小さな教会を維持し、いつ悩める子羊が迷い込んできても、心を込めて世話をできるよう、「迷える子羊の教会」の看板をそのまま掲げることにした。

 ある意味で、人生には終わりが無く永遠に続くとしたら、最も小さき者の明日の希望と平安のためには、今日の苦難を甘んじて引き受ける、真の信仰者の犠牲心がネブラスカの片田舎だけでなく、世界中に存在するのではないだろうか。

【創作メモ】
 今年もクリスマスの時期に、私の創作作品を期待してくれている人たちが存在する(ようなのだが・・・)。新たに納得のいく作品を創作するだけの時間が確保できないため、1年半前に創作し気に入っているこの作品の、終盤を省略せず仕上げることにした。読み返してみて、我ながら良くできた作品だと勝手に自画自賛している。ブライアンのような人物が身近にいたら、友だちになりたいと思っている。


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by hirune-neko | 2017-12-15 02:02 | 創作への道 | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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