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昼寝ネコの雑記帳

昼寝ネコの箴言 本編第1章 〜旧約テイスト

Astor Piazzolla - Viaje de Bodas

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 地が騒然とする直前に忽然と現れる、この箴言を目にする者は幸いである。世の中が数々の噂や虚言に満ち溢れ、真理が覆い隠されるとき、多くの人々は偽りの預言者とその陰謀によって、闇の深みに導かれる。闇の中には光がなく、従って希望も存在しない。それまで所有していた豊富な金銀財宝は朽ち果てて、瞬時に蛆(うじ)の住処となる。声をかけても応える人がなく、勝ち誇り蔑む笑い声のみが、闇の中に響き渡っている。

 その日、世界の耳目が東の果ての小国に注がれる。その国の王は金箔を身に纏ったまま、世界の国々に対して高らかに恫喝の雄叫びを上げる。国民は飢えに苦しみ、餓死の恐怖とともに絶望の淵に沈む。勇ましいはずの兵士の腹は寄生虫の住処となり、士気が失せる。圧政と暴虐に満ちた小国は、やがて数奇な運命を辿る。

 世界平和のためと称して、ともに敵対する大国の王たちは一堂に会する。大胆な東の国の王、狡猾な南の国の王、そして深謀遠慮に富む北の国の王それぞれは、自国の砦とするために小国を影響下に治めようと策をめぐらす。密偵が蠢き、それぞれの王は主導権を握るための策謀を命じる。

 小国とは大海を挟んで対峙する黄金の国では、国王が中心となり心ある国民の多くが一丸となって、国内外の敵対勢力を削ぎ落とすために知恵を絞る。善と正義に満ちた神聖な力は国全体に及び、国を滅ぼそうと企てていた悪人たちは、国を追われて行き場を失う。

 知恵ある者は耳を澄まし、地の底から響く勧告に耳を傾けるべきである。善良な者は目を開き、天から降ってくる古代の預言者たちの言葉に目を留めるべきである。ああ、地が荒廃しようとするそのときに、人は何に頼れるだろうか。金銀財宝だろうか、地位や過去の名声だろうか。動乱の国土を彷徨い、行き場を失った荒廃の地で、ひと抱えの純金を持っていたとしても、それが一体なんの役に立つだろうか。過去の誉れや地位が、一体何の役に立つだろうか。

 知恵ある者、善良な者は自らの心に尋ねるべきである。混乱する時代が到来する前に、人間にとって真に価値あるものは何か、という問いに対する答えを、自らの心に問うてみるべきである。人間は生まれる前、即ち霊として存在していた前世で、すでにその真理を心深くに刻まれていたのだから。

 長い忘却と苦難の道を経て、大地が終焉の渦に呑み込まれる前のこの時期にこそ、改めて耳を澄まし目を開いて、自己との神聖な対話を重ねるべき時が満ちている。長い旅路の果てに、還るべき本来の場所がどこにあるのかを見つけること、それが人生の崇高な目的であると確信できれば、たとえ地に暴虐が満ち、荒廃しようとも、人の心には決して損なわれることのない、平安と安息が満ちるのである。

(創作メモ)
 ちょっぴり旧約時代の、見習い預言者になったつもりで書いてみた。実際に、イザヤやエレミヤなど旧約時代の預言者の記述を読むと、明らかに現代の我々に対して告げる内容になっている。そこで日頃から、国家のインテリジェンス、個人のインテリジェンスに加え、神学的インテリジェンスの必要性を感じている次第だ。ファミリー・インテリジェンスという概念は、世界中で誰も視野に入れていないようだ。ましてや、神学的インテリジェンスだなんて公言しようものなら、変人扱いされることは間違いないだろう。しかし、そのようなことは一向に気にしない性格なので、我が道を行く、である、改めて、ピアソラの曲想の根幹にある独自性、特異性、妥協を許さない心意気・・・そのような部分に共感を持っているのだろうと思っている。


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by hirune-neko | 2017-11-23 00:01 | 創作への道 | Comments(0)
<< 休日返上で、とうとう午前2時に... まるで実在しないかのような女性... >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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