闘い続けてていると、いつかは活路が拓けるものだ 先日、ブログ読者の皆さんに公開質問させていただいたが、今日早速、匿名希望の方からいくつものYouTube動画と、ブログの推薦をいただいた。投稿してくださった方には、この場をお借りしてお礼申し上げる。 時間の関係で数種類しか閲覧できなかったが、なかなか貴重な情報源だと思う。よく「政治的覚醒」という言葉が使われるが、この情報戦争の状況下では、印象操作や世論誘導の影響を減衰する防波堤になることが期待される。しばらくはじっと蓄積し、紹介方法を考えたいと思う。こうしてブログを通じて、貴重な情報をいただくことができて、大変有難いと思っている。 「ひょうたんから駒」という言葉がある。 今日、営業対象のデータ作成の一環で、全国の都道府県に所在する、ある組織の所在を確認しようとした。いちいち検索するのは大変なので、日本全体を統括する本部のサイトを探したが、サイトででそれらしきページを見つけられなかった。やむを得ず電話して事情を説明したところ、サイト内の一覧表示場所を教えていただいた。電話の目的は達したのだが、なぜか少し説明して助言をいただくべきだと、心に促しを感じた。 実はこれこれで、各都道府県の会長さんに連絡し、登録会員の方に推薦をお願いしたいんです、と目的を簡潔にしかしストレートに伝えた。その際、全国統括事務所から各都道府県の会長さんに推薦紹介していただくことはお願いできないか、とだめ元で質問してみた。すると、依頼内容を書面で送るようにと言われ、次の会議の日程を教えてくれた。 もし可能性がゼロならば、門前払いだっただろうと思う。しかし事務局の方が、確信に満ちた口調で受け付けてくれたので、とりあえず可能性は閉じられず、逆に説得力のある適切な概要書を送り、全都道府県の会長さんたちに推薦していただけることになったら、それだけでも大変有難いことだ。 改めて、チャンスがどこから生まれるか、予測がつかないものだと思った。電話の方は女性だった。 「十数年前から産婦人科の院長先生に特化した、赤ちゃんの名入り絵本を製作し、ずっと改良し続けています。出産シーンはさまざまで、全ての赤ちゃんに両親が揃っているわけではなく、お母さん一人で育てなくてはならない場合もあります。(深く頷くのを感じた)待ち望んでいた赤ちゃんが天使になってしまいお母さんが精神的に立ち直れない場合、先天性の障がいを持って生まれてくる場合などいろいろです。私たちは、どんな状況のご家庭に対しても、心に寄り添いたいと考え、シングルマザー版、天使版、先天性障がい児版の文章を作成しています。(さらに深く頷くのを感じた)」 あくまでも私の妄想なのだが、この女性は長年、産婦人科病院で助産師として勤務していた方なので、私の説明に深く共感したのだと思う。いろいろなシーンの母親の表情を回想していたに違いない。 わが社では営業の第一線は、未だに私一人だけである。製作内容、作業工程、オプションなど全てを一人で説明するのが困難だからだ。 かつては娘が兵庫県内に住んでいたので、鬱陶しがられながら娘の住まいを拠点に、関西圏を営業して回った、見事に連戦全敗だった。基本的に営業が下手なのを自覚している。奇をてらわず、あくまでも正攻法で正論をぶつける。それで共感してくれない先生なら、それは仕方がない・・・という、ベテラン営業マンの方から見れば、笑われて馬鹿にされるような、まことにぶきっちょな営業手法である。しかし、わが社の名入り絵本を理解し、採用してくれた新規開業の先生たちは、例外なく分娩数が順調に増えている。 私たちは医薬品や医療器具を扱っているのではなく、生まれてくる赤ちゃん、お母さん、お父さん、院長先生、助産師さんが感動を共有し、退院後も院長先生と出産されたご家庭の絆が継続するよう、そればかりを考えてきた。それを理解してくれる先生たちは、この絵本をずっと大切にしてくれている。 社内ではすっかり呆れられているのだが、普通は院長先生の所に、少なくとも盆暮れには顔出しに行くと言われる。私の場合は、数年間、一度も顔を出していない。大量に生産できる工業製品ではなく、文字通り一冊ずつが手作りだ。名前や身長・体重などミスが許されないし、一カ月健診に間に合わせるという大変さもある。 しかし今年は顔を出すようにと、社内からはブーイングを浴びている。こんなに無精な営業責任者は存在しないだろうと思う。普通の会社なら、とっくに左遷されていると思う。左遷されない最大の理由は、絵本の文章はすべて私が書いており、天使版の文章の微妙な修正も私でなければ書けない。社内のみんなには申し訳ないと思うが、私の流儀を通させてもらってきた。おまけに、すべてのサイトは私の手作りなので、私を北海道とか沖縄に左遷すると、便利に使える人間がいなくなり、困るのだろう。 しかし、ようやくインテリジェンス・サービス「みるとす」を再構築し、近々正式公開できるところまでこぎ着けているので、今年の秋口からは北海道を皮切りに取引先の院長先生を訪問し、説明してこようと思っている。これまでの下積みの経験を生かし、説得力ある営業展開にしたいと決意している。 ・・・ブログ読者の方で産婦人科の院長先生や師長さんがいらっしゃったら、是非ご検討いただきたい。ご連絡をいただければ、社内唯一の営業担当者である私が説明にお伺いさせていただく(笑)。 匿名希望の方から投稿していただいたYouTube動画のひとつを、以下にご紹介させていただく。
by hirune-neko
| 2017-08-25 01:02
| 心の中のできごと
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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