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昼寝ネコの雑記帳

高場将美先生、ご覧になっていますか?


El exilio de Gardel Tango


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 掲載した動画は、アルゼンチンの映画監督ソラナスによる「ガルデルの亡命」の冒頭シーンだ。音質も画質も良くないが、ピアソラが作曲を担当したという三部作のうちの1つだ。この映画3作品ともDVDを購入し、大事に持っている。初めてこのシーンを観たとき、バンドネオンのソロ演奏でピアソラの曲が演奏されたのを耳にして、とても感銘を覚えた。

 どのような経路だったか覚えていないが、おそらくコロンビアの福岡貞夫さんと高場将美先生がFacebook友達であり、偶然私のブログをご覧になった福岡さんと私がFacebook友達になり、その流れで私が高場将美先生に友達申請をしたのだろうと思う。

 その高場先生のタイムラインに、3月14日付でヴォーカリストの峰さんが、高場先生の入院についてコメントを入れていらっしゃった。様子は皆目わからないが、高場先生のご快復を願っている。

 高場先生は東京外語大学のご出身で、ご専門はスペイン語とポルトガル語だ。一度だけ恵比寿で開かれたスペイン語講座に、参加させていただいたことがある。かつてピアソラが来日したときに、 通訳をされたり取材をされたとおっしゃっていた。お仕事で中南米音楽にも精通されており、色々と教わることの多い先生である。

 この映画、ガルデンの亡命はすべてピアソラが作曲したとばかり思っていた。それにしては、ピアソラらしくない曲があるなとブログに書いたことがある。すると即、何曲かは監督のソラナス自身が作曲したのだと、確か仙台の鈴木さんが指摘してくれた。その後、高場先生がコメントを入れてくれて、それに対し福岡貞夫さんが参入してきた。私が読んでも、あまりにも内容が専門的すぎて、ある種の畏敬の念を感じたのを覚えている。当時、「ピアソラ音の出る図書館」という名のサイトを、ネット上に設置していた。 クレモナ・モダンタンゴ五重奏団のアレンジャーである梶さんと知り合いになったのも、この図書館がきっかけだった。 

 今日は、入院中の高場将美先生への お見舞いメッセージとして、当時の図書館に保存した、やりとりを以下にご紹介したいと思う。

(高場先生へ)
 高場先生、実は私は極度の怠け者ですが、語学に対して異常な執着を持っています。一段落したら先生のスペイン語クラスとポルトガル語クラスを受講させていただきたいと、ずっと思っているのですがなかなか果たせないでいます。先生が退院されてお元気になられたら、何とか時間をやりくりして勉強させていただきたいと思っています。私がこんなことを申し上げても、何の励みにもならないとは思いますが、どうぞゆっくり養生なさり、無事に退院なさってください。お願いいたします

(ピアソラ音の出る図書館から転載)

 福岡貞夫さんが、Archivos BoesmiのコレクションをFacebookに掲載し、そこから自然発生的に交わされた対話をそのまま、転載します。へたに手を入れずに、そのまま転載した方が対話の息づかいが再現されると思いますので、リアルなサイト上鼎談をお楽しみください。(本当は、編集作業が面倒なだけだったりして)とくに、高場将美先生の解説にご注目ください。なお、文中の敬称は省略させていただきます。

福岡 貞夫
何回見ても橋の上で踊るグロリアとエドァルドの姿に釘ずけになってしまう・・・

高場 将美
福岡さん情報をありがとうございます! じつは、ついこないだ、この映画をレンタル・ヴィデオで借りて、コピーしようかなと思っていましたが、めんどくさいので返してしまい、今になって「また借りて、こんどこそコピー」と思っていたのでした。YouTubeの画質は、わたしのPCの画面で見るくらいならVHSと、まぁ変わりないですね。音はこちらのほうが鮮明でしたよ。また、この映画の日本語字幕はヘタクソなので(アルゼンチン人はおしゃべりすぎるので、短い字幕ではむずかしいのではありますが)、ないほうがスッキリしますね。ほんとに大発見ですね!

福岡 貞夫
高場さん、お役に立てて幸いです。これも偶然です。ボゴタで上映された時は何度も観に行きました。繰り返し、繰り返しでもあきませんね。終わり近くになるとカルロス・ガルデルが登場するシーンがありますが・・・ここで当地の映画館は観衆総べての拍手で騒然となります。これには感動しました。今でも彼ガルデルはアイドルなのですねー。

高場 将美
あのシーンは、わたしも最初に見たとき、そして今でも、うれしくて涙が出ます。まず街頭に人影が見えて、「あれ? もしかして、ガルデール先生がいらっしゃるのでは・・・」と思わせるではないですか。すぐに、やっぱりホンモノだ!と大感激します。3度めか4度めになると、なんだこの役者は顔も変だし、セリフもヘタクソだなぁ、と腹が立つんですが(わたしのほうが上手にガルデールみたいにしゃべれるぞ!)、わたしの大好きな曲、またこの場にふさわしい «Anclao en París»をうたうのは、本当にホンモノだから大感激です。歌がうまいこと! 当たり前ですがね。福岡さんがグローリアとエドゥワルドなら、わたしはガルデールに会うために、この映画を何回も見てきました。

福岡 貞夫
あれ、ガルデルの本物ではないんですか???ぼんやりしていて気が付きませんでした。そうかしゃべり方に気を付ければいいんですね^コロンビア人達も気が付いていないんですよ・・・

高場 将美
「ガルデルだー!」と感激して、目がくらまされるんですね。また、生きていると信じたい気持ちがありますから。そして、なんたって歌声はホンモノですからね。

昼寝 ネコ
福岡さん、有難うございます。日本語字幕のものを一度だけ観ましたが、ガルデルもどきの役者の登場には気付きませんでした。たしか、終わり頃に公衆電話のシーンでガルデルが話題になり・・・そのシーンに登場したのでしょうか。恥ずかしながら、その当時はガルデルについて全く知らなかったものですから、感動もせずただ見過ごしてしまいました。

高場 将美
最後のほうでガルデールとサンマルティン将軍がマテ茶をのみながら、『ボルベール(帰郷)』のレコードを聴きますよね。将軍はどうでもいいですが(失礼!)、ガルデール(になった役者)の顔は見えないようにして、また話もさせないでほしかったですね。逆光のシルエットで歌いダンスするシーンは、いまYouTubeで見て、わたしは、また感動しましたよ!

昼寝 ネコ
高場先生が役者と知りつつ感動なさるとは、高場先生もかなりのガルデル教信者のようですね。もし私がガルデルにも傾倒してしまったら、そして十分な蓄えができたら、もしかしたらアルゼンチンに行ってしまいそうな気がします。

高場 将美
昼寝ネコさま 公衆電話のところに出てくるのは、作詞作曲家のディセーポロです。これもニセモノとすぐわかりますが、そんなこと言ったら監督にも役者さんにも悪いですよね。すぐその次のシーンで、ガルデールがタクシーから下りてきて、2人のギタリストとともに『パリに錨をおろして』を歌います。このギタリストたちも、嘘っぽい……なーんて、勝手なことばかり言っちゃいけませんね。ガルデール自身は「よくできた。いい監督だね」と喜んでいるでしょう。彼は、「出演料はいらないから、この映画に出たかったけれど、いろいろ障害があって、うまくいかなかった」と、わたしに語っています。

昼寝 ネコ
以前、福岡さんかSuzukiさんの記事で、高場先生がピアソラの通訳をされたとか、コンサートのミキシングを担当されたとか目にしていましたので、ちょっと時系列が錯綜していました。さらにガルデル(ガルデール?)との会話だなんて、ますます不思議な感じがします。

高場 将美
ガルデル――わたしはガルデールと書きますが、カタカナ表記はどれが正しいというわけではないんです――がお話してくれるようになったのは、ごく最近です。すごく集中して、いっしょうけんめいレコードを聴いてきたので、「よしよし」と認めてくれたのでしょう。私生活の話はしないようにしています。ハハハ・・・

昼寝 ネコ
なるほど。そうですね、私生活のリアルな部分は横に置いて、引き続きお話しをなさってください。最近になってようやく、ピアソラがあまりにしつこい私の追求にうんざりしたのか、ときどき話し相手になってくれています。なのでオール「ピアソラ・プログラム」で、一度コンサートをプロデュースしたいと申し出たら快諾してくれました。でも、出演だけは勘弁してくれと念を押されてしまいました。残念ですけど仕方ないですね。なので、現存する演奏家候補を物色中です。気の長いお話しです。私が墓に入る前に実現するかどうか、少し弱気になっている次第です。

福岡 貞夫
高場さん、昼寝ネコさん、お二人の楽しそうな話題に割り込むのもどうかと躊躇しますがあつかましく・・・この映画をはじめからじっくり良く見ないと駄目だなと思います。PCの画面では俳優さんの顔もろくに判明も出来ないし、それ以前に感動が邪魔して平静に画面を見ていないんですよ。映画を見てたときもそんな状態だった。と思い出します。それから私はガルデルの傍に居るんだと一人よがりの上に彼に構わずに私生活をほじくりアサリ、今、後悔の念にさいなまされています。

高場 将美
一人よがりは、わたしも含めて、みんなそうじゃないですか??? 後悔なんかするな、とガルデルも言って・・・なかったですかね。ハハハ

昼寝 ネコ
高場先生に同感です。自分が忘れ去られていない、と思えるのは誰にとっても悪い気がしないものですよ、きっと。だから、そのうち福岡さんの夢にガルデルが現れて、グラシャスというか、メルシーっていうかわかりませんが、感謝の意を伝えることがあるだろうと想像しています。

福岡 貞夫
後悔しているといいながら・・・ガルデルの事ばかり書いている。ところで、ソラナース監督がこの映画に「ガルデルの亡命」となずけた意味を考えたのですが、やはり彼も亡命者であった。だからフアン2に彼の心情を語らせた。ではガルデルは?彼も当事アルゼンチンではウルグアイ人ゆえに阻害されたのです。サンマルティンも政治亡命ゆえにパリで病死したわけですから。私はアルゼンチンから軍事クーデターの直前に逃げ出した一人です。外国人である者が他国の政治情勢を語る事は触れませんが。

高場 将美
この映画のための歌をぜんぶ作曲したカスティニェイラ(ほんとは、もっと長々しい名前なんですが)も亡命者です。ソロを歌っている女性歌手スサーナ・ラゴは彼の奥さんでいっしょに亡命しました。彼女は、すごく個性的な魅力ある、要するにわたしの好きなタイプの顔のひとなんですが、画面には出てきません。それに、コーラスとまじっているので、ソロも目立たなくて、わたしは口惜しいです。それから、ピアソーラの演奏以外で聞こえるバンドネオンは、たぶんモサリーニだと思いますが、彼も亡命者ですね。ピアソーラだって精神的には亡命者みたいなものですよね。

福岡 貞夫
そうすると、亡命者達が作った映画。ともかく稀に見るよい映画だと思います。ピアソラのフアンとしてはテーマ曲に酔い、ガルデルの登場でとどめを刺される。あの軍事政権はありとあらゆる人権蹂躙を行ないましたから・・・モサリーニもそうでしたか。たしかにピアソラもにたような者。娘さんのディアナさんもメキシコに政治亡命していました。

昼寝 ネコ
ちょっと高場先生、待ってください。過日、この映画で使用されているTngo-Tangoを最もピアソラらしくない曲だと書きましたら、Suzukiさんから、これはソラナス自身の作品であり、ピアソラは一部しか作曲していないという指摘をいただいたばかりです。全曲そのカステラとかなんとかいう人の作曲なんですか?私は冒頭のDuo de Amorを聴いた瞬間、悶絶したというのに、ピアソラが最も情熱を傾けて作曲した映画だというのはまやかしなんですか?Soloという曲も、たぶんゴジェネチェが歌っていると思うのですが、聴いて、さすがピアソラ=ゴジェネチェのゴールデンコンビだと思っていたんです。ああ、なんだか詐欺師にだまされた気分になってきました。人生の終盤で、思いがけない真実に直面するというのは残酷なものですね。でも、ピアソラ図書館では事実を公開しなければいけませんので、高場先生のコメントと引用しつつ、皆さんにも落胆の気持ちを共有していただこうと思いますが、よろしいでしょうか?すみませんが許諾を宜しくお願いいたします。

高場 将美
引用に許諾なんかいりません。情報は、ご自由に使ってください。補足しますと――Duo de amor など、ピアソーラの演奏で聞こえる曲は、もちろんすべてピアソーラ作曲です。どこかに挟んで、バンドネオンのソロでガルデルの『想いのとどく日』を短く弾いていたように思いますが、とにかくピアソーラ作曲です。Tango-Tango や Solo など、歌の入る曲はすべて、脚本・監督を担当したソラーナスが歌詞をつくり、それにカスティニェイラ・デ・ディオスが作曲・編曲しました。歌の伴奏の一部分にバンドネオンが聞こえますが、これはパリにいたモサリーニが弾いていると思います(わたしの推定です。確率70%くらい???)。「ピアソーラが最も情熱を傾けて作曲した映画」というのは意味がよくわかりませんね。彼のような特別な存在でなくても、ほとんどすべての音楽家は、どんな曲でも、そのときのすべての情熱をそそいで作曲しています。それから、映画音楽は、じぶんが演奏するための曲と違って、画面の邪魔にならないように、多くの人の耳に親しみやすいように、より、わかりやすい音楽を作曲するのがプロですね。どんなシーンに使うかという、たとえ大ざっぱでも監督からの指示があって、いちおう制約の中で作曲するので、自由な創造活動ではありません。でも、かえって具体的なイメージがあればインスピレーションもわくでしょうね。もちろん作曲しているときは「最も情熱を傾け」ますよ。結果として、とてもすてきな曲ばかりで、映画を離れて演奏のみの曲としても愛され、(ふつうの?ピアソーラは気に食わない人も含めて)多くの人を感動させ、ピアソーラ本人もたいへん満足した音楽になりました。タンゲディアという造語は「タンゴとトラヘディア(悲劇)を合成したもので……」と、映画のことをなにも知らなかったときのわたしに解説してくれましたので、ソラナス監督の考えに、ピアソーラもとても共感していたのでしょう。

福岡 貞夫
高場さん:解説ありがとうございます。この映画を繰り返し見るのに益々楽しくなります。

高場 将美
ありがとうと言われると恥ずかしいです。暑さで1ヶ所忘れていました。造語タンゲディアには「コメディア(喜劇)も含まれています。タンゴ悲喜劇ですね。ついでに、ホセ・ルイス・カスティニェイラ・デ・ディオス José Luis Castiñeira de Dios (これがフルネーム)について、わたしの書いたものを引用します。「1947年生まれ。(中略)77年のフランス公演を機会に、パリに亡命(中略)、ほとんど同時に、別ルートで亡命してきたモサリーニとともに(共演したわけではないが)、パリにアルゼンチンあるいはラテンアメリカ音楽の場所を育て、守ってきた。ギター、エレキ・ベースなどを弾くが、リーダー、作曲、アレンジといった面が主である。フォルクローレからタンゴにいたる、非常に多くのアーティストをサポートしてきた。自身での活動は、前面に妻のスサーナ・ラゴ(1939年生まれ)を立てる。スサーナは個性的で力強い魅力をもった歌手で、すぐれたピアニスト、民俗楽器もこなす。(齋藤充正/西村秀人・編『ピアソラ タンゴの名曲を聴く』 2000年、立石書房発行より)

福岡 貞夫
貴重な追加情報も興味あふれるものです。感謝です。

昼寝 ネコ
高場先生 大変貴重なコメントを有難うございます。書籍『ピアソラ タンゴの名曲を聴く』の中に、高場先生が寄稿されている、ということですね?ピアソラ図書館は、単純に作品紹介と鑑賞を目的に始めましたが、高場先生や福岡さんのコメントも「ピアソラうんちく」というコーナーを新設し、紹介させていただきたいと思います。引き続き、宜しくお願いいたします。

福岡 貞夫
この映画の解説は多く見つかるのですが、高場先生の解説のように各テーマ曲まで裏の裏までの詳しく説明された貴重なエピソードがありません。

高場 将美
昼寝ネコさま その本の執筆者は10数名おり、上記はわたしが書いたものです。ピアソーラへのインタビューも載っています。本の制作に当たり、書房の編集者の方々、そして編者たちがすごい情熱を傾けてつくった本で、内容はなかなか熱いです。

*引用元・ピアソラ音の出る図書館:http://www.piazzolla-library.com/index.php?go=nsu6JZ


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by hirune-neko | 2017-03-26 01:03 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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