自己との対話〜Conversations With MyselfBill Evans - Gary's theme いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。 ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスが遺したアルバムに 「自己との対話〜Conversations With Myself」がある。 ジャズ喫茶に足繁く通った高校時代から、大学生の頃にかけて ほとんど、ビル・エヴァンスの演奏しか聴かなかったように思う。 音楽評論家ではないので、あれこれ詳しいことは説明できない。 ただ、ビル・エヴァンスが創り上げる、独特の音楽の世界に浸りきり、 感覚的に平安になれたし、寛ぐことができた。 ビル・エヴァンスの演奏は、温度でいえば決して熱くなく、 生ぬるくもなく、どちらかといえば超然としたクールさを湛えている。 彼の私生活については何も知らない。 聴衆に媚びず、端正な理論を貫き通したという印象がある。 今頃になって、ビル・エヴァンスについて調べてみた。 (以下はWikipediaからの抜粋) 1929年8月16日 - 1980年9月15日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト。 モダン・ジャズを代表するピアニストとして知られ、ドビュッシー、ラヴェルなどのクラシックに影響を受けた印象主義的な和音、スタンダード楽曲を題材とした創意に富んだアレンジと優美なピアノ・タッチ、いち早く取り入れたインター・プレイといった演奏は、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットなど多くのピアニストたちに多大な影響を与えたほか、ジョン・マクラフリンといった他楽器のプレイヤーにも影響を与えている。 エヴァンスは、前述のキーストン・コーナーでのライヴに続き、1980年9月9日にニューヨーク市の ライブハウス「ファッツ・チューズデイ」において同バンド出演初日演奏を行った。既に激しい体調不良に見舞われていたものの、ジョンソンやラバーバラによ る演奏中止要請を振り切って演奏を続行した。しかし、同バンドの開催2日目にあたる9月11日、ついに演奏を続行できない状態となり、やむなく演奏を中止 し自宅で親しい人達によって3日間にわたり看護された。9月14日に再度ラバーバラの説得により、市内のマウント・サイナイ病院に搬送されたが、翌9月15日の月曜日に死去した。51歳没。 死因は肝硬変ならびに出血性潰瘍による失血性ショック死であった。永年の飲酒・薬物使用で、人体の薬物・異物分解処理を司る肝臓に過剰な負担をかけ続けた結末で、疫学的には周知されている結果であった。肝臓疾患はエヴァンス自身も自覚していた長年の持病と言うべきものであったが、ことに晩年の数年は必要な療養をとろうともせず、死の間際に至るまで頑なに治療を拒み続けた結果病状を悪化させ、死を早めたのだった。 自らが自殺の原因を作ったエレインと、兄弟・音楽の両面で絆の深かった兄ハリーの2人の自殺が、晩年のエヴァンスの破滅志向に影響を与えていたとする批評 も見られるが、真相は定かでない。ジャズ評論家で生前のエヴァンスと親しく、「ワルツ・フォー・デビー」「ターン・アウト・ザ・スターズ」の作詞者でも あったジーン・リースは、エヴァンスの最期について「彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった」と述懐している。 (以上はWikipediaからの抜粋) 約半世紀の長い間、ビル・エヴァンスの音楽の世界にだけ留まり、 彼の私生活については全く関心を持たず、また知る必要を感じなかった。 しかし自分自身が高齢者(とは思っていないのだが)になり、 改めてビル・エヴァンスの波乱に富んでいたであろう私生活に 視線を向けてみると、51歳とは早世だったなと思う。 彼の訃報を目にしたときは、軽いショックを受け まったく面識はなかったものの、喪失感に包まれたのを記憶している。 「彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった」 いつも漂わせていた独特のストイックさに、今頃になって得心している。 早世の家系に生まれ、30代の頃から、何歳まで生きられうだろうかと 常に強迫観念を忘れることはなかった。 今日の仕事に区切りをつけ、こうしてブログ記事の文章に、 自分自身の心象を織り込んで、ある種の記録を残せるのは、 いつの間にか、毎日の不可欠で、充実した習慣になっている。 目には見えないが、読んでくださる方の存在が励みになっている。 改めてお礼を申し上げたい。 この時間は、誰にも邪魔されず、電話で中断されることもなく、 静かに集中して、かすかに残っている思索の痕跡を組み立てている。 不思議なことに、耳には聞こえず言葉にならない、ある種の印象が 具体的なイメージとして姿を現す。 こうして、少しずつではあるけれど、抽象的な概念やイメージが、 長い年月をかけて、徐々に現実化しつつあるのを実感できるのは、 飲酒や喫煙、薬物に距離を置いている自分への、天啓の恵みだという 気がすることがある。 もう数十年、飲酒や喫煙、薬物に距離を置いてはいるのだが、 なかなか甘い食べ物と距離を置くことができず、苦しんでいる。 甘いものだって、際限なく食べ続けていると、「時間をかけた自殺」 になりかねないので、この部分は「自己との対話」ではなく、 「自己との闘い」になっているようだ。 今しがた、私の健康を気遣ってくれた、読者の日本晴れさんが、 玄米雑穀や青菜だかの、メニューを勧めるメールを送ってくれた。 有難いことだ。 ようやく本当の意味で、人生のスタートラインに立っているような 気がしている。 永年の構想をきちんと構築して、徐々に任せられるよう人材を育成し、 「取材旅行」に出かけられるような環境を作りたいと希望している。 短編作品を書くのが、結局は一番自分の性質に合っていると思う。 あくまでも自己満足の世界ではあるが、世の中に多く存在するであろう、 弱り果てた人たちの心に届く作品を書ければ、本望だと思っている。 いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。
by hirune-neko
| 2016-07-07 01:30
| 心の中のできごと
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Comments(4)
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きいろ香
at 2016-07-07 08:33
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おはようございます。
今年はいつになく猛暑の予想がされていますので、いつもよりは身体に気を使った方が良いかもしれませんね。 私も早速、知人から教えて貰った、甘酒とルイボスティーを購入しました。 我が家は昼寝ネコ様のエアコンのように高性能ではありませんので、すだれとルイボスティーで頑張ります。 まだ梅雨明けしていないのに、この日照りと暑さでグッタリです。 という訳で、またおすすめボサノヴァです。 アース・ウィンド&ファイアの「September」をボサノヴァにアレンジしたものです。 ゆる〜いSeptemberもなかなか良いですよ(^-^)/ マルセラ・マンガベイラ「September」 https://m.youtube.com/watch?v=8D27bJv0pz8 彼女はちゃんとスタンダードも歌っています。 マルセラ・マンガベイラ「コルコヴァード」 https://m.youtube.com/watch?v=Oh_ZsS_Uu4s
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hirune-neko at 2016-07-07 15:48
きいろ香さん
本当に暑くなりましたね。 世界的に異常気象のようですから、日中、直射日光の当たる場所には 出ない方がいいかもしれませんね。 投稿していただいたオリジナル曲も歌手も、初めて聴きました。 新しい発見があるのは嬉しいものです。 ボサノヴァはいいですね。 そのうち、1曲ぐらいは何か弾き語りができるといいな、 と思っています。練習時間がとれないので、当分先になりそうです。 有難うございました。
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日本晴れ
at 2016-07-08 00:42
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お疲れ様です。
いやあ、ビル・エヴァンスといい、他のアーティストもしかり、「天才は生き急ぐ」のと「不運・不幸に見舞われる⁉︎ 不幸を芸の糧にする⁉︎」傾向にあるのかもしれませんね。 不思議なものです。 他人様の聞きかじりですが、「生き急ぐのも生き怠るのも良くない、中庸であれ」という仏陀の言葉を最近よく噛み締めています。実際、難しいですが... ところで、‘青菜だか’ではなく、‘青汁’ですよ(笑) 確信犯ですね、いつものごとく(笑)
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hirune-neko at 2016-07-08 10:21
日本晴れさん
青汁でしたっけ?青菜サラダだというイメージが 残っていました。 こうして考えてみると、人間の感性は 身体的な特徴と違い、目で見て判断することはできませんが、 人の生き方を決定づける重要な要素ですね。 いくつになっても、感性は大事にしたいと思います。 有難うございました。
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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