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昼寝ネコの雑記帳

遅れての新春雑感「対立と敵対に超然として生きる感性を」


Tango Los Mareados por Adriana Varela

いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。


相変わらず咳き込んだり、声が出にくかったりで、
まだまだ本調子ではない。
でも、思考力が少し戻ってきたようだし、
感覚も生気を取り戻しつつある。

年末年始は、すっかり受け身状態でいろいろな人たちの、
考えに目を通した。
改めて今年2016年が、大きな転換点になるだろうと実感している。

何やら今年は衆参同時選挙があるという人が、増えつつあるようだ。
目立つのは、現安倍政権にストップをかけ、政権の座から
引きずり落とそうとする主張を前面に出し、日本共産党が
「国民連合政府」構想を呼びかけていることだろうか。
そこに参集するのは民主党や社民党だとか、小沢一郎さん、
山本太郎と仲間たちなど、なんとも賑やかである。

安倍晋三総理は次々と悪法案を成立させ、
平和憲法を踏みにじって戦争をする国、徴兵する国を目指している、
これが今年の選挙の最大の争点なのだろうか。

これから上程されるのではないかと噂されているのは、スパイ防止法や
外患誘致罪などのようで、他の詳細は理解していない。

ひとつだけに絞ってみるが、「戦争のできる国」と
「戦争のできない国」のどちらを国民は望むだろうか。
(「戦争のできない国」と「戦争をしない国」は異なる)

誰だって凄惨で悲惨な戦争を望む人はいないだろう。
しかし、軍隊を解散し、国家として武器を所持せず、
他国が攻めてきたときには、外交・話し合いで解決すべき、
というのが彼等の主張なのだろうか。

日本という国は武装放棄し、戦わない国だと認定されたら、
危険に晒されるのは日本という国、日本人なのではないのだろうか。
他国の軍隊は易々と日本に侵攻し、あっいう間に日本を支配するだろう。
そうなったとき、日本人がどれだけ悲惨な立場に落とされるか、
彼等は考えているのだろうか。
あるいは、他国の侵略に手を貸す政策を実行する、売国・反日集団
なのだろうか。

いろいろな主義主張があって、議論が活性化するのは
大いに結構なことだと思っている。
ある意味で、対立構造が存在するのは議論を深め、闊達な議論を呼ぶ。
もともと議論をあまり得意としない日本民族は、表立っての意見対立を
避ける傾向にあると思う。

意見が対立したとき、人間関係を損なってはいけないとの配慮がある。
昔から、和をもって尊しとすべし、という言葉に代表されるように、
争いを避け、平和裡に物事を進めようとする国民性がある。
それはそれで結構な心掛けではないだろうか。

しかし冷静に考えてみると、「対立関係」と「敵対関係」は
根本的に異なるのではないだろうか。

意見や考え方が異なり、例え対立したとしても、お互いに
相手の立場や名誉を尊重し、理性的で寛容な心で議論できれば、
何も問題は起きないし、かえって人間関係が深化するかもしれない。

ところが、敵対するとなると、そこには根深い感情的な敵愾心が巣くう。
憎悪、呪詛、拒絶などの究極的な感情領域に埋没してしまい、
そこから脱却するのは、大変に困難な状況になるだろう。

私が初めて渡米したのは20歳代の後半なので、30数年前のことだ。
個人的な経験に過ぎないが、仕事を含むさまざまなケースで、
アメリカ人と接する機会が増えた。
最初の頃は、どきまぎし躊躇いながら自分の考えを主張した。
何度も何度も繰り返すうちに、自己主張することにも馴れるようになった。

議論というかディベートするにも、オープンに相手の意見を聴き、
例え対立する考えの人であっても同意できる点には同意を示す。
相手の意見を識ることで、相手の人格をも把握することができる。

なので個人的には、公の人間に対して公的な場で、
「ぶった切ってやる」とか「史上最悪の総理だ」などと
公言している「識者」を見ていると、驚きと落胆を隠せない。

議論は有益にもなるし、無益な悪しき感情の源泉にもなり得る。
学生の頃、伝統的形式論理学という本を読んだ記憶がある。
お互いに、何気なく使用する言葉の概念を共有していると思っていても、
言葉には「外延」と「内包」という歴然とした2面性があり、
悪意から議論を進めていくなら、究極的には決して生産的で建設的な
概念を構築することはできない。

世の中には良く勉強している人が多い。知識が豊富であり、
言葉巧みに、自分の考えが正しいという方向に誘導できる
卓越した能力を持ち合わせている。相手の主張を、いとも簡単に論破する。
国会の論戦を聴いても、無理矢理に独りよがりの自分の土俵に
相手を引っ張り込み、どうすれば返答に窮するかを狙っているようにしか
思えない国会議員の先生たちが存在する。

長々と書き連ねてしまったが、私なりの結論をいわせていただく。

知識と言葉の量だけに頼る議論は、表面的にはもっともらしく聞こえても、
最終的には不毛なものに終わってしまう。
本来の議論は、知識の量や理屈で相手より優位に立とうとするのではなく、
お互いに指摘し合い、補完し合うことによって、より良い結論を導くものだ。

知識と言葉が異常に多い人たちは、逆に知恵に欠けることが多いようだ。
そういう人たちの陥穽を見逃さず、矛盾を指摘するためには、
私たちは知識や言葉で競うのではなく、自分自身に具わっている
感性力を顕在化させ、あるいは育てるという視点を持つことだ。

要は、単に饒舌で信のない人たちには注意を払うべきであり、
場合によっては遠ざけるべきだと思う。
その判断力は、生き残る上で重要な要素だと思うようになった。

立場上、特定の政党や政治家に対する評価は避けるが、
まあ、察してくださっても結構だ。
迷ったら、ネコの眼を見つめて対話することだ。


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by hirune-neko | 2016-01-05 22:57 | インテリジェンス | Comments(2)
Commented by 薔薇姫s at 2016-01-06 13:21 x
今日は。

知識と知恵の違いは重要ですね。

知るコトと知ってそれを愛他的に生かすことにより知識を血肉にする…それが知恵なのではなかろうか・・・。知識を他のために生かすことによって知識が血肉になって・・・知恵として…なんて思いました。

多弁でない人のほうが思いが深い場合もあります。
Commented by hirune-neko at 2016-01-06 21:35
薔薇姫sさん

いつもお読みくださり、またコメントを有難うございます。
私も同感で、知識は知恵に昇華させないと価値が低いままですね。
あまり人のことはいえませんが、知恵を蓄えられるよう
日頃から深く考えるよう努力したいと思います。
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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