昼寝ネコの雑記帳

観劇記 川崎郷土・市民劇「華やかな散歩」


Oblivion - Marios Stefano Pietrodarchi Luca Lucini

いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。


開演冒頭は、舞台上に何人かの男女が並び、
タイトルになっている詩「華やかな散歩」の一節を
交互に読むシーンから始まった。
その詩に寄り添うように、下手から男性ギタリストの
演奏が流れる。

大ホールだが、空間の大きさに負けず、控え目だが
丁寧な音色が観客の感性を包み込むようだった。
すぐに思い浮かべたのは、確かイタリア人だったと思うが
ギター奏者のLuca Luciniだった。そのLuciniに
似通った演奏で、奇をてらわず、音楽性豊かな演奏だった。

川崎市民劇は、隔年で催されている。
今年は第5回目のようで、基本的には
川崎に縁の人物が登場する。

時代的には江戸の作品もあったが、今回は
昭和初期で、詩人の佐藤惣之助だった。

プログラムでは

「赤城の子守歌」「人生の並木道」「湖畔の宿」
「六甲おろし」・・・の作詞者・佐藤惣之助は
川崎が生んだ詩人

と説明されている。

以前同様、プログラムには一切目を通さず、
したがって、なんの予備知識もない状態で観劇した。

時代はおよそ70年ほど前の昭和初期から始まる。
全体に通底するテーマはいくつかあるように思う。
詩人の感性と葛藤、人の輪、戦争や政治判断の
大きな流れに翻弄される市井の人々・・・。

これまでずっと脚本は小川信夫氏が手がけている。
小川信夫作品に共通するのは、社会的に小さな
存在と見なされる一般市民への愛情ある視点
ではないだろうか。

それと、戦争の勃発、情報部の高圧的な強要、
クーデター、徴兵、戦死などという社会的な
テーマに対しても一方的な見解を強要しない。
逆に、非情な役割を担う人物の持つ良心や葛藤、
人間性など、内面に宿る多面的な陰影を
包括することによって、作品が奥行きを生み出し、
さらにはリアリティを増している。

照明は、運命的出会いを演出する雷鳴、
空襲の炎を連想させる赤色、それ意外は極めて
写実的に現実感を与えていたと思う。

劇中で演奏された音楽は、おそらくオリジナルで
作曲されたのではないかと思うが、これもまた
舞台上で再現されているシーンのイメージを
損なうことなく、登場人物の心象風景に
自然に寄り添って雰囲気を作っていた。

川崎・砂子と東京・雪が谷の佐藤邸内部は
舞台セットとは思えないほど、当時の雰囲気を
醸し出し、精巧な出来映えだったと思う。

衣装は気をつけて見たつもりだが、おそらくは
限られた予算の中で、昭和初期のイメージを出すのに
相当の苦心をされたのではないだろうか。

スタッフの皆さんの、目に見えない努力が
舞台に生命を吹き込んでいたように思う。

今回も舞台は上下2層に作られ、回想シーンや
幻想シーンを、全体の進行が中断されることなく
効果的かつテンポある流れに収めていたと感じる。

キャストの皆さんにはプロの方とアマチュアの方が
混在し、協演されているはずだ。
しかし、一人ひとりの方が熱演し、人物の内面を
とてもよく反映していたと思う。
決してオーバーアクションにならず、自然な演技で
説得力があった。
演技しているというのではなく、まさしく
登場人物になりきっていた。

ストーリーのプロットも精緻な構成であり、
終わってみれば、途中で冗漫に感じることのない
密度の高い流れだった。

日本人のメンタリティに訴え、涙を誘うシーンが
いくつもあった。

佐藤惣之助の先妻は、病気で他界したのだが
愛する夫の才能を高く評価し、同時に夫の
葛藤のよき理解者でもあった。
自らの死をも乗り越えて、夫に託した
期待と愛情を込めた行為が露見するシーンは
観客の心に感動を伝えたのではないだろうか。

情報部の部下は、非情になって
職責を果たさなければならない立場だったが、
自らの良心との葛藤に苛まれていたことが
最後に分かる。いや、途中のいくつかのシーンでも
決して言葉には出さなかったものの、
高潔な信念を持つ人物であることが表現されており、
その葛藤を推測させる心象が伝わっていた。

一体どれぐらいの準備期間を経て上演されたのか
私には分からない。
昨今のデジタル化された作品は、いとも簡単に
コピーしたり転送したりできる。
しかし、生の舞台劇というのは、観客にしてみれば
その時間にホールまで足を運ばなくてはならない。

それ以上に、スタッフ、キャストの皆さんは
かなりの時間と回数をかけて、上演の日まで準備を
継続してきている。

なんでもあっという間に検索できて、簡単に鑑賞できる
現代人にとって、電子書籍があれば紙に印刷された書籍は
不要になるのだろうか。

そうではないと思う。
今日の舞台のように、長い年月を積み重ねて練習した
登場人物が言外に発する感情、さらには唐突に脳内に浮かぶ
促しの気持ちなど、実は多くの要素が舞台には隠されている。

それを見出すのは、観客の感性に依存するところが大きい。
感性は目に見えない領域に存在する要素を感得させる。
さらにいえば、観客の感性は舞台上の人物の演技を通して、
自分自身に疑似体験を積み重ねることができる。
それは相手の心情を洞察し、理解し、寛容さを育む
貴重なきっかけとなる。

「華やかな散歩」には、そんな要素がたくさん散らばっていた。
とてもいい作品だったと思う。
いい作品であるためには、脚本の内容だけでなく、演出家のセンス、
音楽、照明、舞台装置、衣装、メーク、大道具、小道具、そして
登場人物一人ひとりの人間性・個性によって総合的に創造される
まさに瞬間芸術だと・・・そのように思わせる感動的な作品に
仕上がっていた。

残念ながら正確な表現は忘れたが、主役・佐藤惣之助の台詞に
「詩人の感性は予感の中に生きる」というような表現があった。

70年前の昭和初期に生きた登場人物たち。
そして平成27年の現代に生きる私たち。
大きな時代の変化は経たが、当時と同じ状況を感じる。

一見すると日本は平和な国に思える。
しかし本当にそうだろうか。そうとは思えない。
現代の全面戦争は、おそらくは事態解決の最終手段だろう。

その前段階に極地紛争があり、さらにその前には情報戦争がある。
つまり、世界中どこの国家も行っているプロパガンダ活動がある。
当時と今の大きな違いは、ほとんどの情報をマスメディアから
得て判断するしか方法がなかったのに較べると、現代人には
能動的になれば、かなりの情報量を収集し、
自分なりに分析できる環境が整ってきている点だろう。

旧約聖書は古代の歴史書の側面もあるが、実は現代人に向けて
書かれたメッセージだという神学者も存在する。

「華やかな散歩」で主人公が語った
「詩人の感性は予感の中に生きる」という一節は
実に示唆に富んでいると思う。

国家インテリジェンスでは、人々は「国民」という
集合体で捉えられてしまうが、実は国家の構成単位は
個人であり家庭であるという点を考えれば、
われわれ現代人は、個々を守り生かすための平和で安全な
国家の姿を予感しなければならない。
個々人が、感性によって知識や情報を識別し、自らが
考える国民として、真の愛国心や郷土愛について
予感しながら生きることが、実は最終的に平和で
健全な郷土を形成し、国を形作るのではないだろうか。

人生という行程を華やかに散歩しながら、
将来を予感できるような感性を育む・・・
私たち一般市民には誰にでも、そのような詩人の魂が
生まれながらに具わっているのだと、そう励まされた
秀作の舞台作品だった。

今後も、皆さんの活躍の場が継続するよう期待したい。

*今後の公演
  ・5月23日(土) 午後2時〜 川崎教育文化会館
  ・5月24日(日) 午後2時〜 川崎教育文化会館


いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2015-05-23 01:11 | 創作への道 | Comments(0)
<< グローバル化ともボーダーレスと... ささいなことが、かなり嬉しいものだ >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
千波矢さん コメン..
by hirune-neko at 07:10
鶴と亀さん コメン..
by hirune-neko at 17:45
causalさん ..
by hirune-neko at 13:11
こんにちは。 「思い出..
by causal at 11:40
千波矢さん コメ..
by hirune-neko at 18:11
記事ランキング
以前の記事
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ