目を疑った後、余命3年時事日記の話題Sleeping - Astor Piazzolla いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。 これまでに何度か紹介している 「余命3年時事日記」というブログがある。 かなりのアクセス数があり、読者数も多いはずだ。 人気ブログランキングの政治部門でトップのブログより さらにアクセス数が多いといえば、そのすごさを 想像していただけるだろうか。 私以上に、いろいろなブログが「余命3年時事日記」を 紹介し、あるいは引用している。 なので、ときどきGoogleで「余命3年時事日記」を キーワードに検索することがある。 いつ頃からか検索結果の20位台にリストアップされ、 最近は何度か10位以内だったり10位台だったり・・・ 別に順位は関係ないので、ほぉ〜と思う程度だった。 今朝、いつものように検索したら目を疑った。 本家の「余命3年時事日記」が1位なのは当たり前だが、 以前このブログに掲載した記事 「沈黙から饒舌のブログへ・余命3年時事日記」が なんと227,000件のうち、2番目に位置していた。 ご本家のすぐ次ということになる。 最近のGoogleの検索エンジンは特にお利口なので 果たしてどんな基準で順番を決めているのか、 よくは分からない。 明後日から、約1週間の予定で北海道を往復する。 飛行機を利用するので、万が一に備えて 旅行傷害保険に申し込み、関係書類が届いた。 なので、法定相続人になる家内と子どもたちに 保険の概要と、使途に関する基本的な指針を文章化し メールで送ったところだ。 たとえ一瞬でも、そして架空の話であったとしても、 飛行機事故に遭遇することを想像すると、何かを 言葉にして残しておきたいと考えるのは自然なのだろう。 以前、やはりこのブログで「余命3年時事日記」の 全記事を保管している旨を書いたことがある。 ある方が、コメントを残して行った。 最近になって「余命3年時事日記」を知ったので 以前の記事が読めなくなっている。 全文を保管している昼寝ネコが羨ましい、と 書かれていた。 ちなみに全文を保管するよう勧めたのは 既に故人となった「余命3年時事日記」の初代ブログ主 「かずさん」その人だった。 その都度更新される「余命3年時事日記」の記事を サイトからコピーし、QuarkXpressというDTPソフトで 文書化している。さらに、毎回PDFに変換して保存している。 PDFファイルだと、特定のキーワードでの検索が瞬時に 可能なため、とても便利だ。 ところが、A4判で500ページを超えた頃から、動作不良を 起こし始めた。当時はまだ、クォークジャパンという 日本人のスタッフによる会社があったので、相談してみた。 するとやはり、500ページを超えてしまうと、動作不良は 避けられないそうだ。 なので仕方なく分冊にすることにした。その結果 第1部は477ページ、第2部は402ページ、そして最新の 「通報実戦アラカルト」(2015-05-04 19:56)までを含む 第3部はまだ39ページだが、合計すると918ページという 大変な分量になっている。 ちなみに、「余命3年時事日記」からの情報を必要としてる 読者の皆さんのために追記すると、本家のブログの カレンダー表示を1か月ずつ、手間はかかるが戻していくと 一番最初の記事(2012年8月16日)から読むことができる。 その最初の記事の冒頭に、「かずさん」は次のように記している。 「余命3年と宣告されて1年が過ぎた。ほぼ同時期に 同様の病に倒れた友人3名は闘病むなしく余命3年を全うできずに 世を去った。小生も残る時間はいくらもないと思うが 約70年の人生経験を一人でも多くの次世代に伝えるべく 我が一族郎党32名の声と情報を併せて発信することとした。 よってブログの更新が止まったときはそういうことかと ご理解いただきたく思う。 情報ソースのかなりの部分は 小生と父母の実経験による。残る部分の大半も一族の信頼できる 情報による。ここに、ねつ造や虚偽はない。」 これがブログ主の本音であり、切なる思いだったと推測する。 「よってブログの更新が止まったときはそういうことかと ご理解いただきたく思う。」 この後、「余命3年時事日記から余命0年時事日記へ」となり、 ついに他界されたことになる。 有志の皆さんが、先代「かずさん」の遺志を継ぐ形で 今もなお、貴重な情報を発信し続けている。 あるブログ主の方は、「余命3年時事日記」の予測が あまりにも的確に実現するため、プロファイリングという 手法で検証した結果、この「余命3年時事日記」は 安倍政権に近い人の依頼によって書かれた情報だと断定している。 その真偽は、もちろん私には判断ができないことだ。 しかし、大切なことは、情報発信の源泉や背景を あれこれ詮索・推測することではなく、的確な情報源だと 認めるのならば、この日本社会がどのような構造になっているのか、 さらには、国際社会ではどの国のどのような勢力が影響力を 及ぼしているかに目を向け、自分自身と自分の家族、さらには 知人・友人に至るまで、どのようにすれば、自分たちが 平和に安心できる暮らしを確保できるかの方策を 考えるべきなのではないだろうか。 誰かが、日本とイスラエルはよく似た国だといっている。 両方とも小さな国で周りを敵国に囲まれている。 また、日本語とヘブライ語の両方に酷似する言葉が 多いことから、日本国の源泉はイスラエルだと断じる人もいる。 私はイスラエルに行ったことがないので、両国の近似する あるいは異なる点を説明することはできない。 しかし、最近の多くの日本人の目覚めに直面し、 さらには、戦後の大転換点を迎えつつある展開を知り、 また日本人の持つ勤勉さ、潔癖さ、慈悲深さ、公徳心、 などあれこれをつなぎ合わせると、2千数百年続いてきた とされるこの大和の国は、もしかしたら特別な役割を 果たすべく、この末日まで護られてきたのではないか という気さえする。 一方のイスラエルは、建国まで幾多の困難を乗り越えた。 しかし今では、アメリカ大統領ですら、在米の イスラエルロビー団体の意向を無視できないと聞いている。 過日、青学の大学院入試で受けた面接官に、そのことを ぶつけてみた。肯定も否定もせず、無言だった。 ということは、やはり事実なのだろうと思う。 調べたらその女性教授は、アメリカ最大の学会である 世界国際関係学会(International Studies Association)の 次期副会長だそうだ。 日本国内は国内で、深刻な問題を抱えているのは事実だ。 同様に、国際社会でイスラエルがどのように動いていくかも 目を離せない重要要素なのではないだろうか。 まだちゃんと調べてはいないが、日本ではイスラエルに関する 情報があまり報道されていないのではないだろうか。 話題が横道にそれてしまったが、改めて 「余命3年時事日記」の先代ブログ主である「かずさん」と 後継者の皆さんのご努力を、大切に受けとめたいと思っている。 そういえば、わたしのファーストネームも「かずさん」だった。 イスラエルについて知りたくて、旧約聖書を何回か読んでいる。 意味不明な言葉は読み飛ばしていたが、今年はちゃんと 調べるようにしている。 全地にききんがあったとき、ヤコブはエジプトを治めている人間が 息子のヨセフだとは知らず、こどもたちに土地の特産品を 持たせたが、没薬や香料と一緒に「ふすだしう」と「あめんどう」 という言葉が並んでいた。 調べたら「あめんどう」はアーモンドのことだった。 なんとなく類推できる。で、「ふすだしう」はピスタチオだった。 それ以来、セブンイレブンで「ミックスナッツ」を買うときに ピスタチオも購入するようになった。 殻から取り出すのに難儀はしているが、なかなか美味しいものだ。 記念にここに掲示しておきたい。 いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。
by hirune-neko
| 2015-05-05 15:03
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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