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逝く人もいれば、来る人もいるJulia Zenko Chiquilín de Bachín ![]() いつも有難うございます。クリックしていただくと励みになります。 誰でもいつかは逝く人となる存在だ めずらしく睡魔に負けて、夕方過ぎから 仮眠をしてしまった。 脳内の疲労の種類と程度によって、 どうやら肉体の欲求の内容が異なるようだ。 82歳の先輩が他界し、空虚な気持ちだったが、 考えてみたら、数週間前に孫が誕生していた。 生後3週間の画像が送られてきたが、 もうすでに眼を開いている。 不思議と、ぜんぜん赤ちゃんらしい表情がない。 まるで悟りきった老人が、赤ん坊の姿で地上に現れ 周囲の大人たちを吟味するような、老成した表情だ。 これでやがて笑ったり、何やら無邪気なことを話せば 赤ちゃんらしさも感じられるのだろう。 久しぶりに Chiquilín de Bachín(チキリン・デ・バチン) という曲を聴いてみた。 知恵遅れの孤児が、ステーキハウスで花を売り、 夜は荷車の下で過ごす。 いつも空腹で、野良ネコに履き物を持って行かれる。 早朝、道ばたで息をしなくなっているのが見つかり 人は「この子は天国に行った」とささやく。 アメリタ・バルタール、ロベルト・ゴジェネチェのう 歌を聴いてみた。ピアソラの演奏も聴いてみた。 でも、何度聴いても、Julia Zenko(フリア・センコ)の 歌とイントロのメロディーに惹かれる。 記憶違いかもしれないが、オペラ形式の 「ブエノス・アイレスのマリア」は、フェレールか ピアソラのどちらかが、このJulia Zenkoを想定して 作ったのだと、誰かが記述していたように思う。 もうじき90歳の老母は、かろうじて日常生活を ほぼ自力で過ごしている。 電話すると、毎日自分の葬儀の方法をあれこれ指示する。 まあ、ある意味では幸せな人生なのではないだろうか。 同居中の義母は、食も細くほとんど骨と皮、 という表現がぴったりだ。 すでに92歳で、よくここまで生きてきたものだ。 自分の妄想世界から出て、現実生活に視線を移すと、 あれこれと課題が多いことを認識している。 改めて、ピアソラという作曲家について 思い巡らしてみた。 絶望の中でも楽観的な気持ちを失わない、 そんな力強さがピアソラ作品の根底にあると感じる。 「悲観的な楽観主義」とでもいえばいいのだろうか。 おそらく、その部分に最も共鳴しているのでは ないだろうかと思いながら、仕事もせずに ぼんやりとピアソラを聞き流している。 ![]() いつも有難うございます。クリックしていただくと励みになります。 ■
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by hirune-neko
| 2014-10-21 01:22
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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