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昼寝ネコの雑記帳

老母との深刻な会話〜その2


Piazzolla · Amelita Baltar - Che Tango Che


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老母との深刻な会話〜その2

中学生の時に父親が急逝し、長女だった母は
まだ幼い何人もの弟や妹のために、学業を断念した。
独学で短歌を学び、チラシや手近の紙に
思い浮かんだ歌を記した。
それが、苦しさや辛さを注ぎ出すはけ口となった。
書きためた短歌は、相当膨大な量になるらしい。
最近は体力も衰え弱気になっているため、
励ますつもりで、それらの作品の推敲を兼ねて整理し、
残してくれるよう依頼している。

今日は少し時間に余裕があったので、電話で長話をした。

母:お前から電話があったら訊こうと思ってたんだけど。
私:何?
母:「たまずさ」って聞いたことあるかい?
私:「たまずさ」?いや、記憶にないね。何それ?
母:去年、亡くなったYさんは、短歌は作らなかったけど
  俳句の才能がある人でね、亡くなる直前、
  私に手紙をくれたんだよ。俳句が書かれてて、
  その中で使われてた言葉なんだよ。
私:(母の話を聞きながら、将棋をせずにgoogle検索をして)
  ああ、これかな?「たまずさ」は漢字で書くと
  玉梓または玉章だね。意味は、手紙とか消息とかだよ。
母:ああ、なるほど。Yさんは、かなり体調に自信をなくして
  これが最後の手紙になるかもしれないって、いってたもの。
  子どものいない独り暮らしの人だったけど、私に対しては
  心を開ける唯一の、かけがいのない人だって
  いってくれてたんだよ。
私:ふ〜ん(パソコンを見ながら)文例としては、泉鏡花が
  よくその言葉を使ってるみたいだね。古いのは万葉集にも
  出典があるよ。
母:Yさんが亡くなった日に、10個ほどあった黄水仙の球根の
  1個だけが花を咲かせたんだよ。そのときに思い浮かんだ
  短歌を書いてあるんだ。
私:へえ、どんな内容なの?
母:待ってね。どっこいしょ。
  「如月(きさらぎ)の窓辺にすがしき黄水仙(きすいせん)
   一輪(いちりん)咲きぬ友逝(ゆ)きし朝」
私:ほう、なかなかいいね。
母:もし短歌の先生について勉強してれば、もっとちゃんとした
  短歌を作れたと思うんだけど。私は、思い浮かんだときに
  そのまま書き残してるだけだからね。
私:あのね、大学で文学教える先生や文章を書き馴れてる人たちは
  いい文章は書けると思うけど、人の心に伝わる文章の
  書き方なんて、教えてもらってできるもんじゃないよ。
  天性の感覚であり感性だよ。それと、地面に這いつくばるような
  苦難の道を歩いた経験がないと、人の心を動かす文書なんて
  そう簡単に書けるものじゃないと思うよ。
母:お前は、いい文章を書くね。
私:そう思う?オレ誰にも文章の書き方なんて習ってないよ。
母:お前に書きためた短歌を捨てずに、整理して取っておくように
  いわれたとき、作った歌があるんだよ。
私:へえ、どんな内容なの?
母:ちょっと待って、どっこいしょ。
  「物書きを生業(なりわい)となす吾子(あこ)なれば
   つたなきわれの歌残すとう」
私:生業ってね、そりゃそうなれば理想だけど、毎日毎日
  馬車馬みたいに働いてばかりで、著述業なんて
  ほど遠いんだよ、まだ。でもまあ、81歳までは
  まだあと20年近くあるから、ゆっくりノーベル文学賞は
  狙おうと思ってるけどね。
母:またお前はアホな冗談ばかりいって。中には冗談が
  通じない人だっているんだから、聞く人が聞いたら
  軽く見られるよ。
私:あいあい、勝手に見ればいいんだよ。
母:いや、だからつくづく短歌のいい先生に学んでれば
  もっとちゃんとしたのを作れたのにと思ってね、
  こういうのを書いてみたんだけど、最後の部分が
  どう表現していいか、思い浮かばなくて。
私:いってみな。
母:うん。
  「師につきて学びし歌にあらざれば
   書き残さるるは○○○○○○○」
  この○○○○○○○の部分が、「心に重し」だと
  ちょっと情感に欠けるなと思ってね。
私:なるほどね。(2秒考えて)じゃあさ、
  ○○○○○○○の部分は「面(おも)はゆくあり」
  なんていうの、どう?
母:ああ、「面(おも)はゆくあり」ね。悪くないね。
  (2秒間を置いて)うん、いいね。それに決めたわ。
私:そう。じゃあさ、この短歌は親子の合作ということに
  してもらうからね。
母:きゃはは。

とまあ、いつ逝くかもしれぬ老母と、
その老母より先に逝くかもしれぬ、
親孝行か親不孝か判然としない息子との、珍しくも
文芸的なやりとりに終始した時間だった。


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by hirune-neko | 2014-01-25 00:28 | 創作への道 | Comments(2)
Commented by El Bohemio at 2014-01-25 00:58 x
昼寝ネコさん、

母上との会話、ほのぼのとしますね。
俳句を作られるとは、私の父は短歌を
作っていました。作品をまとめて本に
したと聞いていますが姉の家が火事に
合い消滅したと聞いています。
Commented by hirune-neko at 2014-01-25 12:52
El Bohemioさん

火事で焼けてしまったんですか?それは残念ですね。
最近は母も、ようやく自分の作品を整理する気になったようです。
89歳ですから、よくここまで生きてきたなと感心しています。
<< 現実不適応症候群・・・なのだきっと 朝から失速した一日だった >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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