昼寝ネコの雑記帳

自己との対話〜自己分析と逃れの世界

Bill Evans The Peacocks


幼児期の体験は、忘れ去ったことばかりだが
きっと、感性が形成される過程で、
幼児期の体験や印象というものが
自分の内壁面にこびりつき、後々に影響を及ぼし続けて
今日に至っているのではないかと、
最近になってそう思うようになった。

おそらく30年は経っていると思うが
ある頃から、自分が客観的にどう映るのかに
興味を憶え、適当に選んでカウンセリングを受けてみた。
あるときはゲシュタルト療法とかいう名称で
女性カウンセラーだった。
数度通ってみたが
「何も問題はありません。疲れているだけでしょう」
と言われた。

あるときは、精神科医の極めて専門家らしい
男性のカウンセラーだった。
なぜ専門家だと感じたのか・・・
ずっと聞き役に徹し、一切意見を言わなかったからだ。
そこは一度行っただけだった。

またあるときは、新聞広告で見つけ
ちょっと遠かったが行ってみた。
女性カウンセラーだった。
明らかに勉強を始めたばかりの
俄かカウンセラ−だと思ったが、
仕方がない。話しに付き合うことにした。
「これまでの人生で、嫌だった経験を話してください」
はっ?嫌な経験?・・・そんなに嫌だったら
いつまでも憶えていたくないから
とっくに忘れているさ。
「そうですね・・・
あれは私が小学校低学年のころでしたが・・・」
嫌な経験を思い出すというのは、当然
結構嫌なものだと思ったが、話し始めた。
ほぼ言い尽くした頃、女性カウンセラーは言った。
「それはもの凄い、深刻なトラウマですよ」
はっ?トラウマ?・・・深く考えなかった言葉だった。
調べてみたら、トラウマは英語でもTrauma。
フランス語ではtraumatisme。
最後の言葉がまた良かった。
「わたし、嫌なことを思い出させてしまいましたね」
だって、最初にそれを言えって命じたじゃないの。

それ以来、カウンセリングを受けるのを止めた。
人間の内面を理解するなんて、そう簡単なことではない。
そう結論づけてしまった。

仕事で、アメリカ・オレゴン州のポートランドに滞在した。
初めて行く街だったが、歴史を感じさせる街並みだった。
思ったより仕事が早く片付いたので
現地の新聞を、興味本位で拡げた。
目に飛び込んだのは「ジェンダー・カウンセラー」
というタイトルだった。
好奇心で電話をしてみたら、当日の予約は受けないという。
旅行者なので、明日は出発だと言うと、受け付けてくれた。
おそらくは60歳代後半の女性だった。
もともとは通常のカウンセラーだったが、
市からの依頼で、いわゆる「性同一性障害」の
カウンセリングを引き受けているという。
幼児期の影響で「性同一性障害」が引き起こされる
という考え方に接したが、参考になった。
その後、商談先のポートランドの会社は
英国の同業企業に買収され、それっきり
ポートランドには行っていない。

あれやこれやは、ずっと忘れていた。
だが、最近ふとしたことから、突然
その俄かカウンセラーとのやりとりを思い出した。

母方の祖父は、太宰治とほぼ同世代で太宰と同じ菩提寺だった。
津軽の金木村(当時)出身で、なかなか優秀だったらしく
後に室蘭の日本製鋼所という会社で、30代の工場長だったらしい。
母の言うことなので、確認はしていないが
とにかく仕事ができて部下の人望も厚く、
多趣味な人間だったそうだ。
その祖父は、仕事上の過労から健康を害し
39歳で他界した。早世とはこのことだ。
昨年、その金木を訪ね、偶然に「津島家別邸」を
初めて訪れた。
太宰が作品を書いたという和室に通され
太宰が愛用したという火鉢に手を触れてみた。
案内人の方にお願いし、しばらく独りにしてもらった。
なかなか感慨深い時間だった。

父方の祖父とは同居していたので
記憶が鮮明だ。
50歳前にはすでに仕事をせず、
毎日家でごろごろしていた。
無類の酒好きであり、横にはいつも
日本酒の一升瓶があったように思う。
夜になると、ほぼ毎日、やはり酒好きの弟が来て
時には近所の酒好きも加わり、酒宴が始まる。
お決まりなのは、ささいなことで口論になり
グラスを叩きつけて割るのに始まり、
最後はお膳をひっくり返す。
床中に日本酒がこぼれて拡がり
酒臭さが部屋中に充満する。

父は、親に何も言えない人間だった。
毎晩繰り広げられる、そんな「非人間的」な光景は
おそらく幼い私自身の中で、
徐々に拒絶感として充満したのだろう。
ある頃から、どのようにしたらその喧噪を止められるか、
そればかりを考えるようになった。
おそらく、小学校低学年の頃だったと思うのだが
そんな年齢の知恵では、短絡的な手段しか
思い浮かばなかった。
玄関に立てかけてある野球用の木製のバットで
後頭部を力一杯スィングしたら、
それで終止符を打てるのではないかと、そう考えた。
今にして思えば、あれはある種の「殺意」だったのだろう。
なので、あの俄かカウンセラーは、おったまげたのだろう。

ひょっとしたら、新聞沙汰になっていたかもしれない。
もしかしたら、私は少年院に送られて
何年もそこで過ごしたかもしれない。
確かに、大学生の寮に入り、入寮生歓迎コンパで
黄色いプラスチック製のどんぶりに日本酒を注がれ
先輩から強要されたとき、その匂いに強い拒否感を感じた。
「お前は、先輩が勧める酒を呑めないのか」
と凄まれたが、平然としたものだった。
「はい、呑めません」

野蛮な怒声と酒の匂いの中で
ただ机の下に逃げ込み、じっとしているしかなかった。
なので、これはあくまでも推測なのだが、
現実の中に、非現実の世界を作って
そこに逃げ込むこと・・・それが自分を守る
唯一の防御策なのだと、本能に教えられたような気がする。

小さい頃、脇に本を積み上げて
朝から夜まで読み続ける私を見て
母方の祖母は、本気で心配したらしい。
「このままだと頭がおかしくなるから
本を読むのを止めた方がいい」
祖母はそう、母に言ったらしい。
まあ確かに、多少ではあるが、
おかしい頭かもしれない。

旧約聖書の中に「逃れの町」という
言葉があったのを思い出した。
故意にではなく、誤って人を殺した人が逃れ、
かくまわれる町を設けた、という意味だったように思う。
小さな子どもが、精神的な苦痛に耐えかねて
祖父とその弟を撲殺したとしたら、そして
それがもし古代イスラエルでのできごとだったなら、
おそらくは、その「逃れの町」にかくまわれたに違いない。

最近、電話のついでに母にそのことを話したら
受話器の向こうで泣き出されてしまった。

音楽や創作の世界、そしてそこに登場する人物が
今の私にとっての、「逃れの町」なのだろう。
誰が逃れてきてもいい、制約のない
「逃れの町」なのだろうと思っている。
[PR]
by hirune-neko | 2013-03-17 16:45 | 心の中のできごと | Comments(0)
<< そういえば・・・そうかな? 読みかけの書評 寒川猫持・著「... >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
通りすがりさん コ..
by hirune-neko at 13:00
「仕込み tv エキスト..
by 通りすがり at 12:21
羽賀さん 貴重な情..
by hirune-neko at 23:17
貴方が貼り付けている動画..
by 羽賀 at 21:02
羽賀さん コメント..
by hirune-neko at 15:55
記事ランキング
以前の記事
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ