昼寝ネコの雑記帳

いつまでも、ライムライト

FRANK CHACKSFIELD LIMELIGHT


いつまでも、ライムライト


 新婦と新郎共通の「友人」というカテゴリーで、招待状が送られてきた。どっちとも友人というけれど、新郎とは「友人」以上だったこと、由美子は知らないでしょ。知ってたら、わたしに招待状なんて送るはずないもの。

 「新婦の由美子さんと新郎の哲夫さんは・・・」

 来賓のスピーチが何人も続いている。それにしても、花嫁姿の由美子は輝いて見えるわね、ホント。ああ、二人を正視できないや。いやなわたし。
 司会者が新郎にインタビューしている。
 「はい、僕の視野には、ずっと由美子さんしかいませんでした。こうして純愛が実って嬉しいです。」

 はあ?じゃあわたしは視野の外にいて見えなかったっていうわけ?わたしとのことだけ、突然の記憶喪失で憶えていない?へえ、呆れたもんだ。

 一刻も早く外に出たい気分だった。何か別のことを考えて気を紛らわせなくっちゃ。そうそう、朝方、またあの夢を見たんだ。
 自宅のマンションに面した公園を散歩していたら、ベンチの横に、崩れるように倒れている男性がいる。古びた布製のかばんを抱え、みすぼらしい衣服。ホームレス?それにしては、栗色の長髪で端正な顔立ちだわ。大丈夫かしら。おそるおそるそっと近づいてみると、ほのかにラヴェンダーの香りがする。関わらない方がいい。いやいや、ミッションスクール時代、よく神父様がおっしゃってたわ。「これら最も小さき者にしたことは、すなわち私にしたのであるぞよ」・・・だったかな?
 「あのう、もしもし。大丈夫ですか?」
 返事がなかったら、救急車を呼んであげよう、それで十分だ。
 「Вашу доброту, Спасибо」
 はあ?何語?ひょっとしてロシア語なのかしら。どうしよう。
 「Вашу доброту, Спасибо」
 「いえいえ、いいのよ、そんなこと。」
 あらっ、なんでわたし、ロシア語が分かるのかしら。
 「救急車を呼びましょうか?大丈夫なんですか?」
 「Да, это как-нибудь」
 彼はロシア語で話し、それをわたしは理解できる。わたしが話す日本語を彼は理解し、ロシア語で返事をする。不思議なことだが、まさか夢の中のできごとなどとは夢にも思わず、会話が続く。
 
 少しずつ事情が分かってきた。彼はロシアから亡命して日本にやって来たという。ずっと昔、ロシア革命後に日本に亡命したバレエダンサーの、エリアナ・パブロヴァの妹・ナデジダ・パブロヴァの姪の従姉妹の孫のバレエ仲間の友だちの・・・なんだかややこしくて忘れてしまったが、ロシアでは思うような舞踊活動ができないので、日本に亡命したそうだ。
 ところが現実はバラ色ではなく、お金も底をついてしまい、三日間何も食べていないという。
 結局、その後のやりとりは早送りの映画のように曖昧なのだが、いたく同情したわたしは、とりあえず何か食べさせようと自宅に連れ帰ることにした。一人住まいの女性が、見ず知らずの男性を・・・本当に非現実的な話なのだが、なんのためらいもなく、わたしは行動していた。

 亡くなった母の部屋には小さな台所とバスルームがあり、そこが「暫定的に」彼の住まいとなった。1週間ほど経っただろうか。彼・ウラディミール・ロストロポーヴィッチは・・・あまりに長い名前なので、失礼ながら略称「ウラちゃん」と呼ばせていただくことになり・・・そのウラちゃんは、ぽつりぽつり芸術論を語り始めた。
 かつて、ボリショイ・バレエのプリマだったウラちゃんの母は、英国、フランス、アメリカなど海外公演で華やかな舞台を演じた。その母が、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場公演のときに知り合った照明係を深く愛してしまった。理由?強いていうなら、舞台上の自分を追うスポットライトに、深い愛情を感じたからだという。???そんなことってあるのかしら。でも、後で聞くと、その照影係は舞台上の彼女の美しさに感嘆し、心から真剣に、少しでも美しく見えるようにライトで包んだという。ふ〜ん。
 で、彼女は2週間の公演を終えると、照明ブースにチョコレートの箱を持って、彼に会いに行った。信じられない話だが、会う前から照明係に対し深い恋愛感情を抱いていたらしい。彼女の来訪を受けた照明係の顔には、驚愕の表情が浮かんだ。そりゃそうだ。プリマの女性が、狭くて器械の匂いが充満する照明ブースに、わざわざ自分を訪ねてくるんだもの。
 結局、次の公演に旅立つ前の数日を、二人は一緒に過ごすことになった。J・F・ケネディ空港から、シャルル・ド・ゴール空港に向かう機内から、彼女は眼下にセントラルパークを探したが、大西洋のどんよりと暗い色しか見えなかった。

     *     *     *     *

 パリ公演を終えてモスクワに戻り、しばしの休暇があった。自分の身体にかすかな異変を感じた彼女は、検査の結果、妊娠を告げられた。
 ためらわず彼女は、バレエ団を追われても子どもを産む決心をした。それは大きなスキャンダルだった。
 やがて彼女は、実家のある小さな町でウラちゃんを産み、ひっそりと暮らしていた。
 小さなバレエ教室で薄給の教師をする母のレッスンを、何年もスタジオの隅で見続けたウラちゃんにもやがて才能が芽生え、バレエダンサーの道を歩むことになった。

 結局、ウラちゃんの母は、照明係について多くを語らなかった。ウラちゃんも子ども心に、母親の暗い記憶には触れないようにしていた。
 やがて母も亡くなり、ウラちゃんはいつしか古典的なバレエ音楽という枠の中で踊ることに、違和感を持ち始めるようになっていった。欧米の現代音楽に着想を得て創作に挑んだが、ロシアでは受け入れられなかった。政治的に自由主義の影響を受けてたいたこともあり、失望のどん底で、ウラちゃんはかつてのパブロヴァ姉妹のように亡命を決意し、日本に渡った。
 ウラちゃんの話を聞くうちに、わたしはすっかり同調し、力になってやりたいと思うようになった。そんなある夜、ウラちゃんは突然言い出した。
 「Приходите и танцевать со мной, пожалуйста!」
 「えっ?何を勘違いしてるの?わたしは、バレエは観るのが好きなだけで、踊ったことはないのよ。あなたのパートナーだなんて、とんでもないわ。」
 「Не волнуйтесь. Это то, что балет Dance чувствительности.!」
 「バレエは感性で踊るだなんて、そんな話、聞いたことないわ。」

 じゃあ、形だけお付き合いする、ということになり、わたしはウラちゃんにバレエの基礎から習うハメになってしまった。母のために作った歩行用の手すりがそのままバーになり、ウラちゃんバレエのレッスンが始まったのだ。ダンサーとして見ると、彼はまるで青ざめたヒョウとでも表現できるような、身体自体が作品といってよかった。
 彼はわたしの踊る姿を見て、何度もこういった。
 「Вы больше похожи на волшебных весна озеро Байкал!」
 春のバイカル湖の妖精って?バイカル湖なんて行ったことがないから、まるでイメージ湧かないわよ。でも、そういわれてみるとまんざらでもないわね。テニスと乗馬に励んだせいかしらね。

 何ヶ月経っただろうか。ウラちゃんはいつの間にか谷桃子さんと連絡をとっていたらしく、実験的な発表の場を設けることになったという。唖然とするわたしにお構いなく、彼は準備を進めた。バレエ雑誌だけでなく、著名な雑誌にも見出しが躍っていた。
 「亡命ロシア人貴公子、パブロヴァの再来か」
 「歴史に翻弄され続けた芸術家の魂」
 「ニューヨークでの劇的な出会いと別離、悲劇のボリショイ・プリマ」
 そしてこうだ。
 「弁護士事務所秘書、バレエダンサーへ転身」
 公演は、谷桃子バレエスタジオの一角を借りて行うことになった。日に日に緊張が高まった。時間は容赦なく過ぎ去り、とうとう公演の日がやってきた。
 わたしは改めて、鏡に映る自分の姿を見た。見事に変身していた。一言で表現するなら、青白きジゼル、かな。

 開演10分前。ウラちゃんが控え室に迎えに来る。いよいよだ。もう後には退けない。ウラちゃんは上手で、わたは下手で待機する。音楽が始まる一瞬を待つわたしたち。

 「それでは、新郎・新婦が出口で皆さまをお見送りしますので、どうぞ祝福のメッセージをよろしくお願いいたします。」 司会者の声で現実に引き戻された。そうなのだ。夢はいつも決まって、そこで終わる。一体この同じ夢を何度見たことだろうか。
 えっ?お見送り?どんな顔でなんていおうか。由美子には「お幸せに!」、哲夫には、そうだなあ、正直いうと「くたばっちまえ」だわよ。

 結局、大人のわたしはにこやかに「お幸せに」といって披露宴会場を後にした。ちょっとだけ哲夫をにらみつけたけどね。

     *     *     *     *

 どうやら夕べは神経がクタクタで、死んだように眠りこけたようだ。初秋の朝はまだ完全に日が射してはいなかった。でも、なぜか突然人生を生き直そうという衝動を感じて、散歩に出ることにした。

 人間には、自分を守るために、忘れる能力が備わっている。誰かがそういっていた。ああ、わたしが自分でいったんだっけ?

 犬を連れて散歩する人たちが多い。犬でも飼おうかな?コーギー?ビーグル?それともヨーキー?
 植え込みの角を曲がると、夢で見慣れたベンチがあり、そこに人が崩れるように倒れて・・・おいおい。本当に人が倒れているよ。えっ?これまた夢なの?あれってまたウラちゃん?夢と現実のいずれなのか判然としないまま、わたしはベンチに近づいて行った。
 古びた布製のかばん・・・じゃなく革製の高級そうな大きなかばん。一応はスーツだし、身なりはそんなにひどくはないや。でもやっぱり普通にホームレス?栗色の長髪で端正な顔立ち・・・?げっ?ずいぶん髪の毛が薄い人だよ。大丈夫かしら。おそるおそるそっと近づいてみると、ほのかにオロナミンCみたいな匂いが漂っている。この人、酔っぱらって寝込んだのかな?推定年齢60歳近く。どう見ても青ざめたヒョウではないぞ。黄ばんだメタボ・フグっていう感じだな。
 どうやら関わらない方がよさそうだ。あらいやだ、また思い出しちゃった。神父様のお言葉。「これら最も小さき者にしたことは、すなわち私にしたのであるぞよ」
 「あのう、もしもし。大丈夫ですか?」
 返事がなかったら、救急車を呼ぼう。
 「ん?何か?」
 「はあ、いえ、どこかお加減が悪いのかと思いまして」。
 「ああ、それはご親切にありがとうございます。」
 「いえいえ、余計なお節介で失礼しました。」

 「ところで、つかぬことを伺いますが、お嬢さん。」
 「は?」
 「今日は西暦何年の何月何日でしょうか?」
 なんだこの人。
 「2009年10月10日ですけど。」
 「そうですか。2009年10月10日。」
 「あのう、もしかして未来からタイムスリップしてきたとか?それとも亡命者?」
 「えっ?いやいや、そんなんじゃありません。

 わたしって、好奇心が強い女なのかしら。ついつい気になってあれこれ訊いてしまって、最初は面倒くさそうに口が重かったおじさんも、徐々にことの成り行きを話すようになった。

 数十年来の親友が事業を始め、その保証人になったのだが、倒産してしまったため、弁済義務が生じたとのこと。手持ちの証券も暴落して価値が下がっており、差し押さえられた自宅不動産も下落。結局すべてを手放して弁済しなければならなくなり、何も残らなかったらしい。
 自宅で細々と続けていた翻訳の仕事も継続できなくなり、クレジットカードも利用停止。お子さんたちは海外に移住しているが、心配をかけたくないので連絡していないという。奥さんはすでに病死し、兄弟もいないそうだ。
 突然の環境の変化で、頭も心身も切り替えができず、とりあえず公園でぼんやりしていたらしい。お金も底をついてしまい、三日間何も食べていないというから、またまたいたく同情したわたしは、とりあえず何か食べさせようと、おじさんを自宅に連れ帰ることにした。一人住まいの女性が、見ず知らずの男性を・・・まあ父親みたいな年齢だからあまり人目は気にならないが、結局なんのためらいもなく、わたしは行動していた。

 亡くなった母の部屋には小さな台所とバスルームがあるので丁度よかった。とりあえずゆっくりして、今後のことを考えればいいじゃない。
 このおじさんなら、突然バレエのパートナーになってくれだなんていうわけないし、でもまあちょっぴり残念ではあるかな?
 わたしはあまり料理が得意じゃないけど、飢えをしのぐ程度の食事は作れるさ。訊くとおじさんは永年の糖尿病でカロリー制限があるというので、家庭料理しかできないといったら、とても喜んでくれた。

 まことに奇妙な同居生活が始まった。同棲生活と書ければ、少しはロマンチックなのだろうが、まるで捨てられた老犬を拾ってきて世話をしているようなイメージだった。

     *     *     *     *

 おじさんは、あまり自分の身の上話をしなかった。でも、アメリカの企業の依頼で、日本のマスコミで報道されている政治や経済のニュースを分析し、レポートを送る。どうやらそんな仕事だったらしい。でも、経済的に破綻したことを知った途端に契約が打ち切られたそうだ。そんな特技があるのなら、また何か仕事ができそうなものだが、今ひとつ情熱が持てないので、とにかく生きるために何か仕事をするしかないだろうといっていた。
 私が仕事から帰ると、おじさんは台所の洗いものや掃除を几帳面にやってくれていた。いくらなんでも、ずっと居候はできないし、一宿一飯の恩義もあるので何かやらせてほしいというから、わたしも考えてみた。
 あまり友だちもいないし、勤務先が英国系の法律事務所だから、私的な話もまったくしない。じゃあ、わたしの話の聞き役になってくれる?おじさんは笑って快諾した。

 最初は政治のこと、中東情勢、国際政治から始まった。いきなり個人的な話題もどうかと思ったので、事務所で見聞きした国際政治の動向を何気なく訊いてみたのだが、的確な説明をしてくれたのには驚いた。

 思い切って夢の話をしてみた。亡命ロシア人の青ざめたヒョウの話だ。おじさんは黙って聞いていたが、とても興味深そうだった。決して、フロイトがどうとかいう分析話をするわけでもなく、ひたすら話を聞いてくれた。
 わたしは次第次第に、人にはいえないようなことも話していた。父が生きていた頃、とても面と向かって話せなかったようなことも話すことができた。そのせいなのだろうか、ずっと睡眠障害だと思っていたのに、朝まで熟睡できるようになった。
 夜遅く帰宅しても、部屋は暖かく明るかった。わたしを優しく迎え入れてくれる空間が、そこにあった。最初は戸惑ったが、次第に習慣化し、心待ちにするわたしがいた。

 その夜、おじさんは音楽が聴きたいといって、かばんからCDを取り出した。ピアソラのタンゴだけど、一緒に踊ってほしいという。
 「はあ?わたしタンゴなんて踊ったことないですよ。」
 ただ黙って組んでくれればいいというので、従った。ピアソラって、リベルタンゴぐらいは知ってたけど、これは初めてだ。
 おじさんは、わたしを円の中心にするように、足を運び、身体を移動している。ああ、おじさん何かを思い出している。今はその思い出の中に浸っている。
 「まるでトイラムイラみたいだ」
 おじさんは突然言葉を発した。
 「なんていったの?ポルトガル語?」
 「トイラムイラ・・・逆にいうと、ライムライト。」
 「・・・ああ、チャップリンの?」
 「そう。若いバレエダンサーが、失望のあまり生きる気力を失うのなら絵になるけど、私のような老コメディアンが職と住まいを失い、こうして若いお嬢さんに助けられるなんて、サマにならないね。」
 曲が終わった。いい曲だった。なんていう曲か訊こうと思ったが、自分の世界に閉じこもっているように感じたので遠慮した。

     *     *     *     *

 次の日、事務所はちょっとしたお祭り騒ぎだった。ヨーロッパから日本に進出することになった著名な企業三社と、相次いで顧問契約が決まったのだ。忙しさは増すけれど、給料のベースアップと一時金の支払いが発表された。
 珍しく、事務所の秘書仲間何人かに食事に誘われたが、昨晩のおじさんがちょっと沈んでいたのを思い出し、断った。
 電車を降りるまでに、何を買って帰るか決めていた。おじさんが喜びそうなものといったら、多分和菓子だろう。小さいが、古くからある和菓子屋さんに寄って、一緒にお祝いしよう。

 マンションの下から見上げると、いつものように窓に明かりが灯っている。鍵を開けて部屋に入ると、少しひんやりする。あれっ、散歩にでも出かけたのかな?おじさんの部屋をノックしたけど返事がない。ドアを開けて明かりを点けたが、おじさんはいない。あれっ、かばんがない。
 サイドテーブルに何か置いてあるのが目に入った。包みと封筒。何かいやな予感に襲われ、手早く封を切った。手紙だ。

 『親愛なる空子ちゃんへ
 
 見ず知らずの私に、こんなにも親切にしてくださり、心からお礼申し上げます。
 人生、この歳になって路頭に迷うなんて、考えてもみなかったことです。
 再度やり直す気力も失せて、今後のことを考えるのも億劫でした。
 でも、こうして空子ちゃんの心からの親切に接し、
 生きていることへの感謝の気持ちが湧きました。
 生きてさえいれば、いつかきっと生きてて良かったと
 そう思える日も来るように思います。
 お礼とお別れの言葉を直接伝えるのは、とても照れくさいので
 置き手紙で失礼します。

 言葉では表現し尽くせないぐらい、心から感謝しています。
 お元気お過ごしください。
        2009年10月22日          
                      おじさんより』

 突然の喪失感で、感情の整理がつかなかった。
 思い出したように包みを開くと、木製のオルゴールが入っていた。中は空っぽ。無意識にネジを何回か回し、手を離す。

 曲の途中から始まったが、聞き慣れた曲だった。ぎこちない機械音とともに部屋中に響くのは「ライムライト」だった。
 恋人でも愛人でもなんでもない、束の間の同居人で居候。街ですれ違っても、気にも留めないだろう、ただのおじさん。
 おじさんが、腕時計か何か知らないが、最後の持ち物を質屋で換金し、そのなけなしのお金でオルゴールを買った姿が、ふいに目に浮かぶ。
 わたしはその時、人間の感情というものが、目から溢れ出るのだということを初めて知った。心を開いた後の、虚ろに取り残された隙間を埋めることはできなくても、自分の中に心があると感じられる安堵感を、初めて味わった。

 気がつくと、オルゴールは止まっていた。ネジを巻き直し、また聴いた。そしてまた、何度も聴いた。いつまでも、ライムライトを聴いていたかった。   完



-------------------------------------------------
(作品解説)

この作品は、ボランティアでいつも昼寝ネコの絵を描いてくれる
心優しいカトリ〜ヌ・笠井さんに、お礼と感謝の気持ちで
お贈りしたものです。このままだと、いろいろな仕事上の
データに埋もれてしまいそうだったので、ご本人の承諾をいただき
こうして公開することにしました。

カトリ〜ヌ・笠井さんの描くネコには
みな体温があり、個性があり、そして
ぬくもりと心を感じます。
そのネコの絵を観て思い浮かんだストーリーを
短編にまとめたのですが、技術的に未熟なものですから
完成度の低い文章になってしまいました。
もう少し修行して、またカトリ〜ヌ・笠井画伯には
ネコ画の創作をお願いしたいと思っています。
宜しくお願いいたします。
もうちょっと、ましなストーリーを考えますので。
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by hirune-neko | 2013-03-03 16:55 | 創作への道 | Comments(7)
Commented by Romarin at 2013-03-03 19:35 x
いえいえ、とてもいいお話でした。p(^_^)q
Commented by hirune-neko at 2013-03-03 22:17
Romarinさん

ご親切にありがとうございます。
世の中、いろんな人が存在しますので、
こんな人たちがいても、不思議ではないような気がします。
Commented by El bohemio at 2013-03-05 00:06 x
昼寝ネコさん
卓越の文章で夢の世界へ、、、
ピアソラの映画音楽A INTRUSA
の曲の雰囲気に良く合う気がしました。
Commented by hirune-neko at 2013-03-05 01:25
El bohemioさん

いつも肯定的で好意的な寸評を有難うございます。
A INTRUSA・・・初めて聞く曲名です。
調べてみます。
Commented by hirune-neko at 2013-03-05 01:37
El bohemioさん

図書館には、ない曲でした。
探して掲載しました。
有難うございます。
Commented by El bohemio at 2013-03-06 10:20 x
昼寝ネコさん
この曲はやはりボルヘスに関係
して作られた映画テーマですね。
詩は無くWOEの曲にイメージが
良く似ていると感じています。
このCDを最近手に入れたので
毎日聞いています。
Commented by hirune-neko at 2013-03-06 15:46
El bohemioさん

そうですか。
改めて、よく聴いてみます。
ピアソラは、なかなか立体的な構造の作曲家ですね。
飽きません。
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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