金曜日の女の死
Piazzolla : Five Tango Sensations - Despertar
早朝、街はずれの市場で、その女は遺体で発見された。 捨てられた、売れ残りの色とりどりの花の中に 埋もれるように 眼を見開いたまま、かすかな笑顔を浮かべて 息絶えていた。 いつからこの街に住むようになったのか、誰も知らない。 どこからやって来たのかも、知る人間はいなかった。 フランス訛りの英語を話すこと以外は、謎の女だった。 女は、週末の金曜日には決まって花屋に立ち寄り その都度違った種類の、バラを買い求めた。 花束を抱えて街を歩く姿は、まるで 舞台上のプリマのように、気品に溢れていた。 私は、週末の金曜日には花屋の隣の肉屋に立ち寄り その都度およそ1週間分の、チキンの生肉を買うことが いつしか習慣になっていた。 女が、その日のバラを選び、店先で 店員が花束に整えるのを待っている間、 私は隣の肉屋で、店員が2キロきっかりに チキンを切り分けるのを待っていた。 偶然にも同じ時間に、間の抜けた時間を過ごす お互いの存在に気付いて3回目のときだった。 視線が合うと、女は言葉を口にした。 「Bonjour」と、もろにフランス語だった。 「Bonjour・・・madame vendredi」(*vendredi=金曜日) いつも金曜日に顔を合わせるので、そう言ってみた。 女はほほえみながら言った。 「Parlez-vous français, monsieur vendredi?」 「甘い囁き」という歌の合間に、女性を口説く台詞が 出てくるのだが、それが私の話せる唯一のフランス語なので そのまま言ってみたら、女は無邪気な笑顔を見せた。 それが、その女との初めての会話だった。 翌週の金曜の同じ時間に、女は花屋でバラを買い、 私は肉屋の前で、いつものように、 生肉が切り分けられるのを待っていた。 女が、今日もチキンなのかと尋ねたので いや、今日は久しぶりにポークなんだよと答え、 銀行に印税が振り込まれたので、と付け加えた。 すると女は黙ってうなずき、 「まるでサローヤンの世界ね」とほほえんだ。 商品が包み終わるまでの、わずか数分の会話が それ以来、何度も続いた。 その後、その女と二人きりで会うことはなかったといえば それは嘘になる。 女と二人で過ごした時間があったといえば、 それは作り話になる。 女は何度か、早朝の夢の中に現れた。 その話をしたら、女は一瞬驚いたような表情で 女の夢の中にも、私が現れたことがあると言った。 そこで少しの間、大人の分別によって会話が途切れた。 女は人生を知り尽くしていたし 私は、自分の人生に新たなものを 持ち込みたくなかったので、 無言のうちに、私たちは互いの境界線を 尊重し合ったのだろうと、思い起こしている。 お互いに、金曜日の女と金曜日の男として 店先での数分の対話が、それだけで十分だった。 * * * * * 数日後、女が公営墓地に埋葬されたことを知った。 身許が不明なため、行き倒れの人間、という 処理をされたとのことだった。 金曜日がやって来た。 いつものように、肉屋に近づくと いるはずのない金曜日の女の不存在を、 私は、無意識のうちに確かめようとしていた。 かすかな欠落感を感じた。 次の週の金曜日、私は肉屋の前を素通りし 花屋に入っていった。 冷蔵ケースには、何種類ものバラがあった。 少し躊躇したが、ビロードのような深紅のバラに決め 思い切って花束にしてもらった。 印税が入った訳ではないのだけれど・・・。 出来上がった花束を受け取ったとき、 店員はこう尋ねた 「monsieur vendredi・・・ですか?」 あの女との会話を聞いていたのだろうか。 私が頷くと、店員は奥に行き紙包みを持って来た。 「madame vendrediが、遠くへ越すことになったので monsieur vendrediが見えたら、 これを渡してほしいと言われて、 預かっていました。よかった、お会いできて」 私は、その包みを無言で受け取ると、 バラの花束を抱えて公営墓地に向かった。 受付で事情を説明し、 行き倒れの人たちが埋葬されている区画番号を聞いた。 広い敷地なので、探し当てるまで、しばらく歩いた。 墓石には個人名がなく、仮称と没年月日だけが刻まれていた。 「madame vendredi・・・さようなら。またいつか、金曜日に」 バラの花束を置くと、そう別れを告げた。 店員から預かった包みを開けるのは気が重かった。 何も始まってほしくはなかったし、 何も終わってほしくもなかった。 なので封を切らずに、あの包みは今もまだ 本棚の一角で、ひっそりと静かに眠っている。 いつか目覚めるときが来るのかもしれないけれど、 今はひっそりと眠っている。 ----------------------------------------------------------------------- (献呈の言葉) 「金曜日の女の死」は、 いつも貴重で専門的なコメントを書いてくださる El Bohemioさんと 拙著をはるばる運んでくださる El Bohemioさんのお嬢さんへの 感謝の気持ちとして献呈させていただきます。 この曲には「Despertar」という標題がつけられています。 スペイン語では「目覚め」という意味のようです。 何度か聴いているうちに、一人の女性が現れ、 そして、なんの痕跡も残さずに、視界から去っていきました。 ピアソラの曲なので、どうしても暗いストーリーになりましたが、 私自身の中では、一人の生きた女性として、 文字通り、長い眠りから目覚めて存在しています。 つまり、ヴェールに包み隠していた過去が 徐々に姿を現してきています。 もちろん妄想の産物ではありますが ピアソラの作品には、それだけの力が・・・ 創造力をかき立てる力があることに 改めて感銘を受けています。 まだまだ稚拙な文章ではありますが、 感謝の気持ちを込めてお贈りします。
by hirune-neko
| 2013-02-24 19:39
| 創作への道
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Comments(4)
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papabubure at 2013-02-25 01:19
たまたまフランス映画を観ていました。
登場人物の妻とこの女性が一瞬オーバーラップするような 深い深いところでググッとくるストーリーです。
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El bohemio
at 2013-02-25 02:28
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昼寝ネコさん
私と娘への献呈文ありがとう ございます。 この女性は函館でハーフの先生 の英語クラスにいた女性では。 少し悲しい物語、、、ピアソラの このスリープにぴったりのイメージ で、夢に誘い込まれるか、、、 少し悲しみに誘われる、、、 Weaにしてもピアソラ自身 自己の人生の終りを近くに 見ていたのでは、、、
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hirune-neko at 2013-02-25 09:23
papabubureさん
そのように感じていただけると、大変嬉しいです。 心理描写って、文章にするとかなり難しいですね。 説明しすぎると、作り物のようになってしまうし。 結局は、読み手の経験値と感覚に依存しているようなものですね。 私は感じたまましか書けないので、そのままを好んでくれる 読者が、一人でも多く目に留めくれると嬉しいですね。
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hirune-neko at 2013-02-25 09:36
El Bohemioさん
お読みくださって、有難うございました。 出来不出来はともかく、このようなストイックなイメージが 好きなんですが、なかなかまとまった時間が取れません。 いつも有難うございます。
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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