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昼寝ネコの雑記帳

タンゴ・モノローグ「思い出の森」


Astor Piazzolla Asleep
タンゴ・モノローグ「思い出の森」_c0115242_2341922.jpg
画・小野耕史

タンゴ・モノローグ「思い出の森」
Tango Monologue "Forest of Memory"
あるいは"Forêt des mémoires" もしくは"Bosque de Memorias"


 古代イスラエルの時代ですから、もうずいぶん昔のお話しです。今でこそ、樹齢を重ねたたくさんの木が生い茂る森になっていますが、当時その一帯は砂漠でした。昼はおそろしく暑く、夜は凍えそうなほど寒い気候でしたから、人はおろか動物も立ち入りませんでした。一本の草も生えていませんでした。

 でも、そんな所にしか住めない人がいたのです。

 かつては両親と子どもたちで、仲良く幸福に暮らしていたのですが、父親が戦争で死んでしまい、三人いた男の子の二人が相次いで伝染病で亡くなってしまいました。一番下の子は、生まれつき知恵が遅れていました。母親は、一人残った一番下の息子を抱え、生活のために毎日働いていたのですが、過労から病気になってしまいました。
 やがて住むところも追い出され、毛布一枚とわずかな食糧と薪だけを持って砂漠に逃れてきたのです。飢えと酷暑、そして凍える寒さの中で、母親はなんとか子どもを守ろうとしましたが、何も方法などなかったのです。
 動くこともつらくなった母親は、暖を取るために残しておいた木片に、毎日心からの願いを刻みました。「この子を守ってください」「この子を飢えから救ってください」「この子に飲み水を与えてください」・・・。
 とうとうわずかな食糧も底をつき、母親は息をしなくなりました。母親のそばには、動かなくなった母親を不思議そうに見つめる男の子と、文字が刻まれた十二の木片だけが残されました。

 毛布にくるまった男の子は、鳥のさえずりで目を覚ましました。不思議なことでした。遙か上空を舞うハゲタカを目にしたことはありましたが、小鳥など見たことがなかったからです。
 男の子は、さらに不思議な光景を目にしました。母親が横たわっていた場所に、いつの間にか木が生えていたからです。しかも、まるで樹齢数百年かと思えるほどの大木で、大きく拡げた枝には青々とした葉が密生し、照りつける暑い陽射しから男の子を守っていました。
 やがて、枝の上の方から何かが砂の上に落ちました。リンゴでした。男の子はすぐさま拾い上げ、口にしました。見上げていると、今度はひとかたまりの干しイチジクが落ちてきました。あるときは、朝露を蓄えた葉から水が流れ、のどを潤すことができました。夜になると、何本もの枝が地上低く下りてきて、たくさんの葉が男の子を寒さから守りました。
 
 母親の姿を追い求めていた男の子は何日か経って、文字が刻まれた十二本の木片が入った布袋を開けました。何が書いてあるか、理解することはできませんでした。
 男の子は、一本を手に取ると大木の北側に少しだけ歩き、砂に垂直に埋めました。何がそうさせたのかは分かりませんが、面白いと思ったのか、今度は南側に少し歩き、もう一本を同じように埋めました。そしてついには、大木を中心に円を描くように十二本の木片を埋め終わりました。

 朝が来ました。男の子は、いつもより騒々しい鳥のさえずりに起こされました。目を開いた男の子は、異様な光景を目にし、しばらく呆然としてしまいました。昨日、砂に埋めた木片が・・・大木とはいえないまでも・・・枝と葉を蓄えた若い樹木に生まれ変わっていたのです。すでにいろいろな種類の果実がたわわに実り、いたるところで朝露を飲むことができました。

 やがて、何人かの賢者が遠くからこの小さな森を目にし、男の子を訪ねてきました。何をどのようにして理解したのか分かりませんが、賢者たちは、砂漠を行き交う隊商たちに小さな森の話しを伝えました。隊商たちは行く先々の村で、この小さな森の話しをしました。
 ある日、生まれて間もない子どもの名前を刻んだ木片を持った母親が、男の子の小さな森にやってきました。そして賢者たちの勧めに従って、砂にその木片を埋めて帰りました。明くる日、半信半疑でやってきたその母親は、自分が埋めた木片が苗木のように、小さな枝を伴って育ち始めているのを目にしました。驚いた母親は、村に戻るとみんなにその話を伝えました。
 またある人は、年老いた両親の名前と感謝の言葉を刻んで、木片を砂に埋めました、同じように翌朝、その木片は苗木に変わっていました。
 このお話しは、噂話のようにあっという間にイスラエル中に広まりました。多くの人たちが、大切な人の名前と、その人への愛情や感謝のメッセージを木片に刻んで、男の子の小さな森を訪れるようになりました。木片はすべて苗木に変わり、成長を続けました。木々の根が地中深くの水分を呼び寄せたのか、いつしか青々とした水の湧くオアシスも生まれたのです。

 やがてイスラエルは、北と南に分裂して互いに戦うようになりましたが、この小さな森・・・いいえ、その頃にはもうすでに大きな森になってしまいましたが・・・だけは別でした。戦闘地域から外れたかのように、ここでは北の国の人々と南の国の人々は争いの気持ちを持たず、一緒に平和なひとときを過ごしました。
 何世紀にもわたって、小さな願いと感謝を込めた木片が埋め続けられ、大きな樹木に成長しました。
 やがて人々はこの森をいつしか「思い出の森」と呼ぶようになりました。

 さて、長い説明になってしまいましたが、このときの賢者たちの血を引く子孫だという人の訪れを受けました。かつての砂漠のように、不安と恐れが広がっている今の時代に「思い出の森」を再現してほしいというのです。えっ?砂漠に森を?なんで?どうやって?
 ・・・必要な知恵を分かち、助け手を送るから「思い出の森」を、というと来訪者は去って行きました。

 これが「思い出の森」のあらましなんです。まさか実際に砂漠を探して植林するわけにもいきません。なので考えました。生来の不精者のわたしが考えそうなことだと笑われるかもしれませんが、ネット上に「思い出の森」を作ることにしました。「文字が刻まれた木片」を現代的に解釈し「グリーティングメモリー」としてお預かりし、森の管理人としてしっかり保管させていただきます。
 希望や願い、愛情や感謝、ねぎらいの気持ちを込めた「グリーティングメモリー」を、「思い出の森」に、そっと植林するお手伝いをさせていただきます。

昼寝ネコ(賢者たちの代理人・そして「思い出の森」の管理人)

(作品の解説)
 数年前から、ピアソラの曲を背景にストーリーを書いて、それも江戸時代の物語として舞いを中心とする物語にしたいという構想があります。ピアソラの曲想と藤沢周平の世界に共通する要素を、感覚的に掘り起こし、舞いは、なんとか拝み倒して娘にお願いしたいと考えています。・・・まったく無視されていますけど。

 最近、コロンビア在住のEl Bohemioさんが、ブログに専門的で貴重なコメントを残してくださるようになり、なんとなくピアソラとオラシオ・フェレールの世界を身近に感じるようになってきました。この二人の共作であるタンゴ・オペラ「ブエノス・アイレスのマリア」は、脚本を書いたオラシオ・フェレール自らが舞台に立ち、ナレーターを務めています。

 いつの頃からか、とりあえずピアソラ作品をお借りして、何かを書いてみたいと思うようになりました。カテゴリーは、題して「タンゴ・モノローグ」です。芝居はしませんが、舞台上で淡々と独りで解説するかのように、ある一つの世界を語る、という構図です。つまり、他にスタッフやキャスト、舞台装置など何も要らない最も簡素な構成です。
 問題は、どんなストーリーをピアソラのどの曲と組み合わせるか、でした。昨年から仕事が異常に忙しく、新たに書くことは時間的に厳しかったものですから、ひたすらピアソラの曲を聴いていました。今晩、横浜・元町の治療院で「酸素カプセル」に入りながらピアソラの曲を絞り込んでいました。で、会社の商品のイメージストーリーとして、2ヶ月ほど前に書き上げた短編と、標題の曲がマッチする、と閃きました。なので早速、恥も外聞もなく公開することにしました。

 今春、近所の教会で恒例の「持ち寄りコンサート」が開かれます。恥のかきついでにエントリーし、ビデオ収録しようかなと・・・そして出来が酷くなければ、You Tubeに公開して世界中に「恥の文化」を発信しようかなと、そこまで決意は固くなっているのです。墓の中のピアソラは、もうすでに諦めの境地であり、どうぞ勝手にしてくださいと思ってくれていればいいのですが。
 それより、身近なところで、カルロス・ガルデルとピアソラのコアなファンでいらっしゃる、El Bohemioさんに愛想を尽かされるかもしれません。でもいいんです。本当の私は、目立たない存在感の薄い人間なのですが、こと創作に関しては、相手がオバマ大統領だろうがエリザベス女王だろうが、一切妥協はしませんので、結果はどうなっても構わないんです。老後の数少ない楽しみなのですから、皆さん、どうかそってしてやってください。
by hirune-neko | 2013-01-22 00:08 | 創作への道 | Comments(8)
Commented by El bohemio at 2013-01-24 06:35 x
見事な童話ですね、、、「思い出の森」の管理人さん。
ピアソラ音楽はフェレールの幻想世界の詩に良くマッチ
します。ですから昼寝ネコさんの創作もすんなりと曲に
幻的な江戸時代に連れ込んでくれるのでは、、、、
私はボルヘスの詩の世界が藤沢周平の描いた小説
に似ているのではないか、、、、
Commented by Romarin at 2013-01-24 08:07 x
大変素敵な童話です。本当にこんなことがあったら素晴らしいな(^.^)
語りと音楽のコンサートはいいですね。こちらでも時々行なわれます。
「アルルの女」のテキストをビゼーの曲を演奏しながら読むことは友人のグループがしております。
ピアソラの音楽と語りはきっと心に響くのではないでしょうか。
Commented by hirune-neko at 2013-01-24 14:06
El bohemioさん

ピアソラ、フェレール、ボルヘスを熟知していらっしゃる方から
肯定的なコメントをいただけると、嬉しいものです。
さらに図に乗って書き続けるような予感がします。
フェレールの作品は、日本語訳のものがあるかどうか
まだ探していませんので、試してみます。

アルゼンチンの軍政の歴史背景など、まだ何も分かりませんが
欧州の作曲家にはない、独特の曲想があると思っています。
:音楽作品ではあっても、音楽的に技巧を凝らさない
肉声と体温を感じます。
限られた時間ではありますが、徐々に探求を続けます。

ボルヘスと藤沢周平の類似については、私は未知の部分です。
いつもご助言を有難うございます。
Commented by hirune-neko at 2013-01-24 14:13
Romarinさん

そうなんですか?
音楽と語りをされている方がいらっしゃるんですね。
そういうステージは観たことがないので
もしYou Tubeにアップされているようでしたら
是非教えてください。

ヨーロッパの作曲と作品は、ほとんど無数に存在すると思います。
でも、出不精な私は、ほとんど食わず嫌いのままで
探求する意欲がありません。
いい曲だなと思っても、他の曲には関心が持てなかったり・・・
なので、アドバイザーが必要のようです。
何年か前に、Puchaさがブログでシャミナードを紹介しました。
Meditationという曲にはとても惹かれましたが
他の曲には興味が持てませんでした。
もちろん、ピアソラの曲だって、興味がないものもあります。
でも、ピアソラの肉声そのものがとても好きなんですね。
なんとか、ピアソラやフェレール、そして最近教えていただいた
ボルヘス周辺のDNAを、なんとか受け継ぎたいと願っています。
Commented by El Bohemio at 2013-01-25 00:12 x
昼寝ネコさん
勝手に小生の好みを押し付けて申し上げありません。
フェレールの作品で一部は日本語訳されている筈です。
”ロコへのバラード”と他に数曲、ゴタンの中庭さんの
ページに(www.kitanoit.com/~gotan89)載っています・
アルゼンチンの軍政はともかく残酷でした。小生は予感で
逃げ出した為、身近に体験していませんがチリーの軍政は
体験しています。でも直接には危険をいつも迂回しています。
ピアソラノの曲”サンティアゴに雨が降る”はその時の情景が
記憶に迫ります。簿エルスと周平の世界、匕首と刀に共通点
を見たのですが、、、

Commented by hirune-neko at 2013-01-25 11:38
El Bohemioさん

フェレールの日本語訳を、改めて探してみます。
ロコへのバラードもサンティアゴに雨が降るも
いい曲だと思っていただけで、とくに
サンティアゴに雨が降るには、そんな背景があったなど
まったく知らずに聴いていました。

チリ、アルゼンチン、コロンビア・・・日本としては
不思議な航跡のように感じます。
私は、40歳代まで、アメリカ、英国、フランスには
良く行っていましたが、南アメリカはまったく未知の世界です。
もちろんお仕事でいらっしゃったのだろうと想像しますが
とにかく遠いですよね。
知人が数年前にブエノス・アイレスに行ったのですが
アメリカ経由で、延べ30数時間かかったと聞きました。
仕事が落ち着いたら、一度は訪れてみたいと思っているのですが
もうかなり体力と健康に黄色信号が灯っており
妄想だけで終わりそうな気がしています。
Commented by El Bohemio at 2013-01-29 02:14 x
昼寝ネコさん
ピアソラ亡き今日のブエノスアイレスは
魅了不足ではないでしょうか。
あの遠方の南米に貨客船で横浜を出港。
ハワイ、ロス。アンジェルス、パナマ運河、
リオ、サントス経由のブエノス港着は50日
後の長い旅でした。二度目はロスまで
飛行機。そこからサンディエゴへバス、
メシカリから30時間かかりメキシコ市。
メキシコからボゴタ経由でラパス。
ラパスから鉄道を使いチリーのアリカへ
アリカからバスでサンチアゴ市まで30時間。
そこで沈没。一年後そこを発ちバスでメンドサ
経由した後、遂に二回目のブエノス着です。
これも青春時代の特権を駆使したまでの
、、、今名乗るボヘミアンという訳です。


Commented by hirune-neko at 2013-01-29 18:06
El Bohemioさん

高校生の時、五木寛之の「青年は荒野をめざす」を読みました。
あの青年は船でロシア大陸に着き、シベリア鉄道に乗って
最終的には北欧に行ったと記憶しています、
トテモ壮大な行動で、実際になんとかガゼットという
船の運航予定を掲載した雑誌を探したほどです。
私の場合は、結局は妄想で終わってしまいましたが、
El Bohemioさんは、実行に移されたんですね。
今と違って、船で何十日もかけてといいうのは
ちょっと尋常な行動力ではないと思います。
何がそれほどブエノス・アイレスの引きよせたのでしょうか。
いずれも軍事政権できな臭い時期があったと思いますが
強い動機と意思がなければ、到底実現しなかった。でしょうね
本が1冊書けそうな人生ですね。いや、おそらく何冊も。

仕事を軌道に乗せて、借金を返し終わったら
どこかに引っ込んで、創作活動をしながら
近所の子どもたちに将棋を教え、大人との接触を
減らして、神経を休めたいと思っているのですが、
湘南がいいかなとか、かなり遠いのですが
北海道でもいいかなとか、せいぜいそんな距離です。

でも、一度はブエノス・アイレスの土を踏んでみたいですね。
<< 陶然としたコンダクター 二面指し初体験 >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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