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昼寝ネコの雑記帳

ジャン・グルニエの作品 「孤島」・・・

Diana Krall - My Love Is Where You Are


数日前に、岩手県の大船渡市に行ってきました。
大船渡出身の知人が自嘲気味に、笑いながら
「大船渡は陸の孤島ですよ」
と言ったのを思い出します。

一ノ関から気仙沼経由で、大船渡に至る鉄道線路が
昨年の津波で流され、まだ全面復旧していないようです。
なので、大船渡に行くのは、交通手段に制約が伴います。
陸の孤島というのは大袈裟な表現ですが、
東北新幹線の一ノ関に一泊して、レンタカーで行くのが
地図上では、どうやら一番いいようなんです。
でも、いつも直前になってから予約するせいか
一ノ関には空きのあるホテルが見つからないんです。
なので北上駅まで乗車し、駅前のコンフォートホテルに
宿泊して、翌朝すぐそばのトヨタレンタカーを
借りるのがパターン化されてしまいました。

その日は、午前11時に大船渡の新聞社に伺う
約束をしていました。前回の経験から、1時間ちょっとで
着くだろうと思い、レンタカーで出発したのは9時半でした。
少し走って、カーナビの表示を見たら
到着予定時間は11時41分となっていました。
2時間以上かかる?
何かの間違いだろうと思いましたが、
おそらく、平均時速30キロぐらいの計算をしているので
信号の少ない道路を飛ばせば、到着予定時間も
ぐんぐん11時に近くなるだろうと、
楽観的な気分で運転しました。

ところが、なかなか短縮されないんです。
徐々にスピードが上がり、まるでラリーのレーサーのように
曲がりくねった道路を突っ走りました。
10時50分には諦めて、新聞社に電話し
ありのままに説明してお詫びしました。
結局、到着したのは11時30分のことでした。
これまでの人生で、約束時間に遅刻したことは
皆無ではないものの、記憶にありません。
30分も遅刻だなんて、あり得ないことでした。

ところが、この30分が思わぬ展開を生みました。
編集長と話し、次に常務さんと話したのですが
何かと話しがはずんでしまい、お昼時間を過ぎてしまいました。
戻ってくるはずの編集長が戻らないため
予定していた案件が、まだ残っていたからなんです。
で、常務さんの運転する車で、ロードサイドの
ローカルな(レストラン+食堂)÷2みたいな所へ行くと
先刻、新聞社内で見かけた男性が席にいらっしゃいました。

Yさんとおっしゃいます。
名刺交換して少しすると、もう一枚、名刺を出されました。
拝見すると、ユネスコやロータリークラブ、観世流の会派など
あれこれと書かれているのです。
肩書きまで書くと、個人を特定することになりますので
それは控えますが、初対面なのにすっかり話しが弾みました。

私は比較的、いろいろな都市に行って、
色々な方々にお会いします。
岩手県、とくに気仙の皆さんには、特別な
親近感と安心感を感じます。不思議なことです。
他にも、立派な新聞社や人物はいらっしゃいますが、
「血のつながり」を感じてしまうのです。
この新聞社の配達区域は、大船渡市、陸前高田市、
住田町です。住田町には、上有住(かみありす)という
地名があり、先日「上有住の秋刀魚」を送ってくれた
おばあちゃんが住んでいます。

お昼を食べながら、常務とYさんにその話しをしたら
Yさんがご存知の方でした。
全ては書き記せませんが、話題が実にあちこちと飛び交い、
まるで旧知の間柄のようでした。
最後に、生まれた年を聞かれたので答えると
三人とも同学年であることが分かりました。

人生、たまには遅刻したり、図々しくお昼過ぎても
長居することで、思わぬ展開になることもあると学びました。

私の住まいの周りには、次々と高層マンションが建ち
携帯が途切れることが多くなりました。
知人からは、まるで陸の孤島にすんでるみたいだね
と言われ、ふと思い出したのが、ジャン・グルニエの
「孤島」という作品でした。
ジャン・グルニエは、わが敬愛するアルベール・カミュの
恩師だったと、何かで読んだ記憶があります。
書店でその本を購入し、最初の数ページだけ読みましたが
学生だった当時の私の感覚は、あまり言葉を受け付けず
それっきりになってしまいました。

これまで、ブログに
「ボクのご主人様はプロフェッサー」の正編と続編を書きました。
第三編は、メタセコイアさんからリクエストがないので
何も考えていないのですが、個人的には
プロフェッサーの晩年を、どのような結末にしようかと
興味を持ち続けています。
続編で使用したのが、ダイアナ・クロールの歌う
My Love Is Where You Areで、標題の曲です。

横浜・山手の外人墓地に行き、生涯で初めて愛した女性の
墓前に深紅のバラの花束を、そっと置いた背中の震えが
鮮やかに目に浮かびます。そしてその後、あれほど好きだった
オペラを聴かなくなり、ダイアナ・クロールの歌に傾斜していった
プロフェッサーは、おそらくこの歌を、毎日毎日、繰り返し
聴いていたのだろうと想像しています。

My Love Is Where You Are
直訳すれば、私の愛は君とともに存在する、
加山雄三風に意訳すれば、「君といつまでも」
とまあ、そんな感じでしょうか。
by hirune-neko | 2012-10-14 22:29 | 創作への道 | Comments(4)
Commented by shi,shi at 2012-10-15 01:58 x
御無沙汰してまました、
神様は中々面白い事してくれますね。

良い歌聴かせて頂きました、有り難うございました。
Commented by hirune-neko at 2012-10-15 12:38
shi,shiさん

こちらこそ、ご無沙汰しています。
お元気ですか?
私は、仕事とボランティア活動に追われています。
老後も、ある程度は忙しい方が
心身共にいいのかもしれませんね。
Commented by メタセコイア at 2012-10-16 21:00 x
また北上に宿泊することがあれば、
「ホテルシティプラザ北上」
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/2537/2537.html
がお勧めです。
北上川の雄大な流れが部屋の窓からよく見え、
眺望が素晴らしいです。

「プロフェッサー」
の第三編、ぜひお願いいたします。
楽しみにしております。
Commented by hirune-neko at 2012-10-16 22:15
メタセコイアさん

久しぶりですが、お仕事は東奔西走ですか?

「ホテルシティプラザ北上」ですね?
次回、滞在してみます。

プロフェッサー・シリーズは続けたいんですが
想像を巡らす時間が乏しく、イメージが湧きません。
病気や事故で突然死させたのでは
あまりにも可哀想なので、自分自身も
こんな晩年だったらいいな、と思えるような
シチュエーションで締めくくりたいと思っています。

大船渡でお会いした同学年の二人には
「いやあ、車でいえば新古車ですね、私なんか
廃車寸前のようなものです」
と言ったら、笑っていらっしゃいました。
頭の中では、もう一つか二つ、厄介な障壁を
クリアしようとしていますが、さすがに
足腰は徐々に、確実に弱ってきています。
ああ、情けなや・・・です。

メタセコイアさんこそ、何やら朗報やら
吉報をお待ちしていますね。
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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