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昼寝ネコの雑記帳

ピアソラの世界における天使と悪魔の境界線

Romance de diablo - Astor Piazzolla


普通、生と死は対極にあるものです。
同様に、天使と悪魔も、神学的には
対極的な存在のはずです。

ピアソラの作品には
天使の組曲(全4曲)と悪魔の組曲(全2曲)とがあります。
でも、どれか任意の1曲を聴いたときに、果たしてそれが
天使なのか悪魔なのか、凡人の私は区別がつきません。
とても不思議な思いがします。

ピアソラの作品のタイトルには、死、忘却、不存在、思い出など
人間の内面と深く結びついているテーマが、多いように思います。
同時に、娼婦や売春宿のように、目を疑うモチーフも
平然と同じ場所を占有しています。

少しだけ、ピアソラの生い立ちを振り返ってみると・・・
タンゴを否定し、タンゴ奏者であることを隠して、作曲を学びに
フランスに渡ったのですが、師事した音楽教師の感性は
ピアソラの本質がタンゴにあることを見抜きました。
1年足らずのフランス滞在を経て、ピアソラは
アルゼンチンに戻り、タンゴと多ジャンルの音楽との
融合に情熱を傾けます。クラシックとの融合がフーガとなり
ジャズ・タンゴやタンゴ・オペラなど、意欲的に手がけますが
当時は、タンゴ演奏はダンスの伴奏という位置づけだったため
「踊れないタンゴ」と不評であり、
命を狙われたこともあったと書かれています。
「タンゴの反逆児」だったわけです。

数十年前に、ジャズ・アルトサックス奏者の
チャーリー・パーカーに心酔した時期があります。
独自のスタイルを貫いた彼は、ピアソラ同様
周りから「踊れないジャズ」だと反感を買い、演奏中に後ろから
シンバルが飛んできたこともあったと、何かで読みました。
オーケストラと協演したApril in Parisは1950年の演奏ですが
私にとっては、とてもいい演奏なんです。

別に、音楽評論を書くつもりはないんですが
ついつい、触れずにいられませんでした。

ピアソラの内面世界では、一般的に
対極に位置するとされる存在が、
果たしてどのように捉えられていたのか。
そこにとても興味があります。
「チキリン・デ・バチン」のように、
最も小さき弱者への慈愛の眼差し。
「ブエノス・アイレスのマリア」では、
娼婦の内面世界に崇高さを見出し、美化しています。

絶望的な環境の中でも、自分を失わず
自分を手放さなかった人間特有の
寛大さと洞察力が、そこにあったのだろうと
推察するに至りました。
あらゆる因習や、世俗性を超越した
「人生への」そして「人間への」洞察力が具わった作曲家であり
死後もなお、その曲想と哲学を、ピアソラの感性と世界の近くに
生きる人々へ託そうとしている、ピアソラからの
遺言であり、遺産なのではないかと、そのように思えるのです。

ピアソラの作品は「鍵」であり、その鍵を託された人たちが
どのような世界を、扉の向こうに創造するか、
ピアソラは、死後の世界から彼らの創造の苦しみを、
ほほえみながら、見つめているような気がしてなりません。

標題の曲は、悪魔の組曲の中の「悪魔のロマンス」です。
旧約聖書に登場する悪魔、サタンあるいは、
天上ではルシフェルと呼ばれていた彼は、
数千年間にわたって、必死に神の子らを欺き、悪に誘い
互いに戦わせ、地を恐怖で支配し続けてきました。
その望み通り、地上は悪と非情さに満ち満ちて
悪魔の目的は、ほぼ達成しつつあるかのように見えます。
・・・ここまでは神学的な解釈です。

・・・ここからは、昼寝ネコ的な解釈です。
でも、ピアソラの「洞察力」によれば、地球上の権力と
勢力と経済力、そして武力をほぼ手中にした悪魔の内面に
実は徒労感と失望が色濃く漂っており
できればもう一度、地球創造前の天上に戻り
素直にエホバに同調して、最期は平安な気持ちで
善良な人間たちのように、穏やかに生涯を閉じたい・・・
口が裂けても決して、周りの配下の者にはいうことができない
そんな葛藤と戦いながらも、独りの時は
静謐、静寂を求めて、ひっそりとこの曲に耳を傾けている。

そんな気がしてきませんか?

天使の組曲
天使の導入部 - Introducción al ángel
天使のミロンガ - Milonga del ángel
天使の死 - Muerte del ángel
天使の復活 - Resurrección del ángel

悪魔の組曲
悪魔のタンゴ - Tango del diablo
悪魔のロマンス - Romance del diablo
by hirune-neko | 2012-09-18 21:40 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(6)
Commented by El bohemio at 2012-11-17 04:09 x
これこそディアブロ的演奏です。このLpにマエストロ・ピアソラの自筆のサインをしてもらいました。ブエノスアイレスの74年コリセオ劇場での事です。たしか日本行きの話があつたらしく。“俺は日本へ行くぞ”と取り巻き連中を煙に巻いていました。
Commented by hirune-neko at 2012-11-17 11:02
El bohemio様

ピアソラの自筆サインですか、それは凄いですね。
生きたピアソラに対面されたなんて、いやあ
とても貴重な経験をなさってるんですね。

ブエノスアイレスは一度行ってみたいのですが
果たして実現するかどうか・・・でも、希望は捨てずにおきます。
Commented by El Bohemio at 2012-11-20 23:41 x
昼寝猫さん、貴方のタイトルが気に入りブログを読んでみるとピアソラ賛歌的内容に引き込まれてしまいました。ピアソラの世界にのめり込んだ当時のタンゴフアンにはのけ者扱いを受ける始末。確か、、、あるタンゴの詞に“希望は捨てない、、、”と、ありますのでご希望はきつと実現できます。 あぁ、、、思い出した!ボルヘの詩の中の一節です。後で詳しくし調べてみます。
では又。。。
Commented by hirune-neko at 2012-11-21 00:41
El Bohemio様

有難うございます。
私の場合は、ただ感覚的に捉えているだけですので
ピアソラの生きた航跡や背景に、体系的に踏み込んで
エッセンスを嗅ぎ取りたいと希望しています。
とても頼りにしていますので、いろいろ
ご指南下さいますよう、宜しくお願いいたします。
Commented by El bohamio at 2012-11-21 00:58 x
貴方のそのエセンンスを嗅ぎ取る感覚が素晴らしい。ところでボルヘスの詩を見つけました。La esperanza nunca es vana(ラ・エスペランサ・ヌンカ・バーナ)直訳すると“希望は決して無駄にならない”決して望みは捨てるなとなりますか、、、1965年ポリドールから発売されたLP20291/27128タイトル【EL TANGO】(CD化はされていない)ホルへ・ルイス・ボルヘス作詞、アストル・ピアソラ作曲、Jacinto Chiclana(ハシント・チクラーナ)の最後の三行目に出てる詩文です。このデータはTodotango.comから拝借しました。
Commented by hirune-neko at 2012-11-21 10:33
El bohamio様

貴重な情報を有難うございました。
知らないことばかりですので、新鮮に感じます。
Jacinto Chiclanaを早速探してみます。
こうして、新しい局面を拓いてくださり
大変嬉しく思います。
有難うございました。
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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