もう駄目かと思った・・・けどKurt Moll - O Isis und Osiris 数年前、血圧が上がって意識が薄れ 救急車を呼んだことがある。 病院に運ばれる途中、血圧を測ったら225だった。 昨晩、床についてからお腹と頭に不快感が拡がり 血圧を測ったら230は超えていたように記憶している。 暑いはずなのに、寒くてガチガチ震えが止まらない。 タオルケットだけでは足りず、毛布を頼んだ。 腸の不快感から腸炎だと思い込んでいたのに 脳出血で亡くなったという話しを、複数事例聞いている。 ああ、とうとう道半ばにして、わが人生もこれまでか。 そういう思いが脳内を占めた。 自分の死よりも、残ったスタッフで 仕事をどうこなして行けるか、 そちらの方が気がかりだった。 不安な意識の中で、私は天上の聖人に問いかけた。 私はもう、この社会では貢献する必要がないのか? まあ、妄想ばかりで自己管理もちゃんとしてないし 仕事が軌道に乗ったら乗ったで 生活がだれてしまうのをお見通しなのだろうし ここらがもう自分の限界なのだろうな。 まあ仕方がないや、どこにでも連れていってくだされ。 でも、天に行っても地にいても どの道、妄想ばかりのグータラ本質は変わらない。 それでも良ければ、おお、わが人生もこれまでだ。 すると不思議なことに 「それもそうだ、お前はどこにいても 妄想しかしない人間なのだから、天上に来ても 大した役には立たないだろう。 ならば、もう少し地上に置いておくから 少しは妄想を実行に移し、人様やネコの 役に立つ仕事をするように」 という声は、まったく聞こえなかったのだが 身体がす〜っと楽になり、 「なんでこのクソ暑いのに、毛布にくるまっているんだ」 と、感覚が正常に戻った。 血圧も、200ちょっと、190、180、170と みるみる下がり始め、ようやく息をつくことができた。 早朝4時頃に、再び上がり始め、不安と格闘したが 自己流の応急処置が奏功したのか、じきに落ち着き 眠ることができた。 午前中は無理をせず、静養した甲斐があって 仕事場で測ると140で、ほっとしている。 まだ寿命がありそうだ。 そんな最中に、音楽など考えもしなかったが 今、振り返ってみると、モーツァルトの「魔笛」で ザラストラが歌うアリアが聴きたくなった。 正確には覚えていないが、夜の女王に対して なんだっけ?昼の王でもないし・・・ とにかく探してみたら、クルト・モールのが 一番最初に出て来た。 個人的に、バスの中では一番好きなオペラ歌手だ。
by hirune-neko
| 2011-08-29 18:58
| 心の中のできごと
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Comments(6)
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Pu-cha
at 2011-08-29 21:19
x
自己流の応急処置とは!? まめにチェックしてくださいね。お大事に。
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hirune-neko at 2011-08-29 23:31
Pu-chaさん
有難うございます。 普段は水分を摂り、ウォーキングを欠かさず、 夜は固形物を食べない。これでずっと安定していました。 応急処置ですか? 東洋医学の考えでは。身体に上下方向の圧力を かけることが血圧を下げる、とありますので 寝たきりだと余計に上がるんですね。 ですから、椅子に座った状態で 立ったり座ったりを数十回繰り返したり 肩が凝っていればもみほぐす、 ふくらはぎもマッサージする・・・という とても原始的な方法なんですよ。
私は交通事故で足首の骨を折ってから突如血圧が上がり出しました。
頭が痛くて痛み止めの薬ばかり飲んでいたのです、でもおかしいと思い 主治医に云ったら初めて血圧を計り、確か180だったと思いますが? 其れからは毎朝血圧の薬を飲んでいます、血圧は家系をひくそうですね、ネコさんもくれぐれもお大事なさってください。
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hirune-neko at 2011-08-30 12:57
shi,shiさん
あらら、それはどういうメカニズムなんでしょうね。 でも、気をつけてくださいね。 私の場合は、ドーナツと大福を断ち 妄想を止めれば血圧が下がるようなんですが それだと、生きるのを止めろというに等しいので ジレンマですね。お互い、死ぬまでは生きましょうね。
ウハハハ』 死ぬ迄は生きましょうね> は 中々の名案ですね。
そう致しましょう。
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hirune-neko at 2011-08-30 16:55
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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