昼寝ネコの雑記帳

ようやく脳内クールダウンの開始中

ASTOR PIAZZOLLA TZIGANE TANGO

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 初めてこの曲を聴いて、これがピアソラの作品だと言い当てられる人は、まずいないだろうと思う。それほどピアソラらしくない曲想だ。詳細を調べてはいないが、もしかしてフランスに留学し作曲を勉強していた時期の作品なのかもしれない。名前は失念したが、女性教師がピアソラの作品を聴いて、「あなたはどこにいますか?」と評じたらしい。つまり、クラシック音楽らしい曲を作ろうとするあまり、他人の真似に走ってしまい、ピアソラ独自の個性が消えてしまっている、と言いたかったのだろう。

 その女性教師のおかげで、ピアソラは自分独自の世界を構築するようになった、と記憶している。・・・調べたら、その女性教師の名前はブーランジェだった。

 私自身も、他の著名な人たちの考えを真似ようと思ってはいない。現実生活を、たかだか60数年生きているだけだが、それに加えて妄想人生を3千年ほど生きているため、少々風変わりな視点で世の中を見ているかもしれない。

 たとえば、以下の文章を読むとどのような印象を受けるだろうか。

 「おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、すべてのものが生きている。」(旧約聖書 エゼキエル書47-8)

 おそらくなんのことか、意味が不明だと感じて当然だと思う。この文章は旧約聖書のエゼキエル書47章8節の引用で、エゼキエルが見た幻の一部だそうだ。インターネット検索をすると、何人もの神学者が専門的知識を駆使し、イスラエルの支配と統治に関する預言であるとの解釈を述べている。

 私は学生時代、神学校の近くに住んではいたが、一歩も足を踏み入れていない。従ってまったくの直感的な解釈しかできない。

 しばしば言われることだが、旧約時代の預言者の言葉は、現代人の私たちにも向けられているそうだ。上記の文章を、私たちに向けられた言葉だと、無理矢理解釈するなら、果たして一体何を言わんとしているのだろうか。

(昼寝ネコの旧約聖書珍解釈)
 「おおよそこの言葉が行き渡る所では、もろもろの生活を営む人々の目が開かれ心に確信を得る。また、はなはだ多くの知恵ある言葉を得るようになる。これはその言葉が行き渡ると、人々の心は純化され、奸智奸計の謀略を見破るようになるためである。この言葉の溢れる所では、すべての人々がその心に命を取り戻す。」(昼寝ネコ現代訳 エゼキエル書47-3)

 ・・・本当に珍解釈であることは自覚している。しかし、「この言葉」とは一体何を意味するのだろうか。現代風に解釈するなら、種々のメディアを駆使したプロパガンダ活動が活発化し、永年に渡って多くの人々は洗脳され、真実を秘匿・隠匿されたまま、偽りの理論に誘導されてきた。そこにインターネットという大きな流れが拡がって行き渡り、真実を開示し、心に響き得心できる言葉=情報によって人々の知覚が覚醒されてきた。

 最近はブーメランと表現されるようだが、不用意で定見を欠く言葉を発する政治家が、あっという間にその矛盾を糾弾され、さらには、その情報が即日拡散するようになっている。まさかエゼキエルが、そこまでの状況を予見したとは思えないが、しかし明らかに十年一日の反日プロパガンダは色褪せ、一般国民の忌避感が目立っているのは事実だと思う。

 このような感じで、私の妄想世界は到底世の中には受け入れられそうもないが、古代からこれまでの3千年を、孤立無援で生きてきたので一向に気にはしていない。いや逆に、最近はこんな私の妄想に共感してくれる、奇特な人たちが出現し始めており、すっかり驚いている次第だ。まるで天使のような人たちだ。

 そろそろこの世の終わりが近づきつつあるのだろう。きっと。


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# by hirune-neko | 2018-07-16 00:19 | インテリジェンス | Comments(0)

階段を一段ずつ上りつつあるようだ

Julia Zenko Chiquilín de Bachín

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 それなりに時間はかかったが、自治体向けの提案概要書と詳細説明書を、なんとか仕上げることができた。たった今、北海道の2市それぞれの市議会議員の先生に、PDFファイルを送ったところだ。

 夕方前には両先生に電話し、試作した資料を紙に印刷したのとPDFファイルの、どちらで送ったらいいか確認した。その際、一人の先生は毎日このブログを読んでいるとおっしゃってくれた。有難いことだ。

 提案概要書には、新生児を育てる家庭に対する子育て支援の端緒として、名入れ絵本「大切なわが子」をプレゼントしていただきたいという内容になっている。そして絵本には付加価値が付いており、それは子育て中の家庭に有益な情報を提供する、ファミリー・インテリジェンスサービスだ、と説明している。さらには、小・中・高生に至るまでの創作コンクールを主催することの大切さを説明し、そのサポートをさせていただきたい、という内容になっている。2種類の資料で30ページ近くになった。

 詳細説明書には、名入れ絵本「大切なわが子」をの詳細な説明と、受け取られた皆さんがブログやインスタグラムでどのような感想を発信しているか、絵本にはどのようなオプションがあるかを詳細に記述している。

 そんな最中に、ブログ読者の方からメールが入った。なんと、その名入れ絵本を推奨するメールを官邸に送ったという。驚いてしまったが、有難いことだ。そうお礼を伝えると、今日から都内の全自治体に対し、官邸メールと同じ文面で推奨メールを送り始めてくれるという。すっかり応援団になってくださって、とても有難く、心強く思っている。

 今日は一日中、頭の中でピアソラの「チキリン・デ・バチン」のメロディが流れていた。一番好きなのは、冒頭に掲載したフリア・センコの歌である。チキリンは小僧という意味で、バチンは高級なステーキハウスの名前だそうだ。孤児で知恵遅れの小さな男の子が、市場の売れ残りの花をもらってきて、ステーキハウスのお客さんに買ってもらい、パン代にしている。・・・そんな境遇の男の子が、ある朝、荷車の下で冷たくなっているのが見つかり、街の人は、これでこの子は天国に行った、とささやきあった。・・・そんな切ないストーリーである。

 歌詞の和訳を調べたら、すでに故人となっている高場将美先生が、CDのライナーノートで翻訳されていた文章が見つかったので、以下にご紹介する。ピアソラは、実に多面的な曲想を編み出す作曲家だと、改めて思った次第だ。

 ピアソラファンの方のブログだった。見つけて嬉しくなった。転載させていただく。

(転載開始)
・曲の背景
1986年の作品。ブエノスアイレスのアリアと同じく、オラシオフェレールの歌詞です。
この2人は非常にいい塩梅で溶け合いますね。人生観が似てるのですかね。

バチンというステーキレストランに出入りしていた、いわゆる知恵遅れの花売りの少年の話だそうです。
実話らしく、哀しげな雰囲気が良く出てますね。

こちらが歌詞です。
歌詞(訳:高場雅美)ライナーノーツより

夜ともなれば、汚れ顔ブルージーンの小天使、
バチンの店のテーブルでばらの花を売る。
月は肉焼きグリルの上に輝いているが
彼の食べるのは月と、すすのパン。
まいにち悲しみの中で彼は夜明けをいやがる、
あるクリスマスの朝彼を叩きおこすのは裏返しの星、
東方より来たりし3匹の猫が彼の靴をかっぱらう、
ひとつは左足、もうひとつも。

チキリン
おまえのひと束をおくれ
そうすればおれも自分の恥を花にして売り歩こう。
3輪のばらで、おれをひっぱたいてくれ
おまえの飢えを理解できなかったその借りが痛むように、
チキリン……

太陽が子どもたちにお勉強用のエプロンをつけるとき
彼が習うのはこれから知らねばならないゼロの数。
そこで彼は母親を見る、ぐるぐる廻れ、でも見たくない。
まいにちゴミ箱でパンひとかけらとスパゲティ1本で
飛んで行くために凧をつくる、でもここに残りつづける。
彼は不思議な人間、4歳の子ども、
からだの中で紐がこんがらかっている。

チキリン……
デ・バチン……
(転載終了)
Piazzollatime裏ブログ】(引用元)


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# by hirune-neko | 2018-07-15 01:15 | 心の中のできごと | Comments(0)

なんとか関門をひとつ越えたような気がする

Astor Piazzolla S. V. P. and Sentido Unico

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 私としては初めてのスタイルの企画提案書を手がけている。昨日はなんとか、産婦人科向けのを仕上げた。今日は北海道の2市への提案書をなんとか仕上げた。これまでの長い期間、名入れグリーティング絵本のみを営業品目としていたが、今回からは創作コンクールというメニューも加えることにした。いわゆる追加オプションのプロジェクトである。

 私自身が、創作というジャンルに強い拘りがあるせいもあり、とくに小・中・高生にとっては必須の要素だと考えている。もちろん、何か即効性のあるものではないが、長い目で見れば、創作に携わる児童・生徒にとって、目に見えない領域に変化が及ぶと考えている。

 創作コンクール自体は、6年前にかなり詳細な企画書を作っていた。当時は、東日本大震災でダメージを負っていた地域向けに考えた。つまり、物質的な支援によって衣食住の欠乏は補えるかもしれないが、本来の意味での自立心や立ち直る心を育てるには、長い目で見たら「創作する心」が効果的だと考えた。今でもその考えに変わりはない。6年を経ての再登場である。

 被災していなくても、何らかのオリジナリティ、自分自身の考えを持つことは、現代人にとって必要な要素だと思っている。つまり、無批判に他者の考えを鵜呑みにするのではなく、自分自身の洞察や感性によって判断するという主体性が、現代社会では求められていると思う。

 ちょっと理屈をこねすぎているかもしれないが、あくまでも自分の視点や確信は大事にしたいと思う。

 今日、次男の嫁のご両親が奈良から来訪し、次男宅に泊まっているのでお邪魔した。話題が健康状態に移った。ご主人は緑内障だが、超音波を目に当てているという。私が白内障だというと、その器械を貸してくれたので、両目にそれぞれ10分間当ててみた。たった一度で激変するとは思えないが、世の中にはいろいろな治療法があるものだと、認識を新たにした次第だ。

 今日はいささか疲労困憊しているので、これで休ませていただく。当面は、営業用の企画提案書や詳細説明書の作成が続きそうだ。


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# by hirune-neko | 2018-07-14 00:47 | 心の中のできごと | Comments(0)

晩年になってから、目覚めることがあるのかもしれない

"DESPERTAR" - Astor Piazzolla

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 仕事をしていれば、誰にだって浮沈はつきものだと思う。かなり以前のことだが、不動産の賃料収入が潤沢にあり、ずいぶん楽をした時期があった。不動産は、仕組みさえちゃんと作り上げ、テナントが埋まっている限りはとても楽なものだ。極端にいうと、何もしなくても一定金額が銀行口座に振り込まれてくる。
 
 しかし、今になって当時の自分を振り返ると、いわゆるどんぶり勘定の放漫な経営者だった。その後アメリカ発の景気後退が起き、やがて日本にも波及してバブル崩壊という深刻な事態に陥った。当時、取引先の都市銀行の支店長とは、かなり頻繁に交流があったが、その支店長から「これからの日本は大変なことになる」と助言された。バブルなどという言葉を誰も使っていなかった時期だったが、支店長自らが不動産売却の斡旋に動き、借入の圧縮の手助けをしてくれた。しかし、時すでに遅く、私自身も致命傷を負うことになった。

 当時はすでに出版社を始めていたが、不動産賃料収入という後ろ盾を失ったため、辛酸を舐める時期が始まった。売り上げなど、なんと1万分の1に激減した。激減というよりは、消滅といった方が適切だろう。そんな逆境にもかかわらず、無謀にも欧米に提携先を求め、現在のAmazonと似たサービスシステムを始めてしまった。無謀というよりは、笑い話である。

 新興出版社だったにもかかわらず、ご縁があって学研、小学館、講談社、河出書房新社などと販売グループを作り、一緒に活動させてもらった。しかし、ある日ラジオのニュースでAmazonが日本で電子書籍の販売を開始すると知り、まさに黒船の襲来のごとく、日本の出版業界が激変すると予感した。その頃から、放漫な出版方針では立ちゆかなくなると考え、現在の主力商品である名入れオリジナル絵本に努力を傾注することにした。

 あれからすでに15年が経過し、16年目に入った。不思議なことだが、焦って販売冊数を増やすことを優先しなかった。当時の相談役からは、ネットワークビジネスのようにディストリビュータをたくさん確保し、販売量を増大するよう助言を受けたが、気が進まなかった。

 やがて産婦人科の現場を知るにつれ、様々な出産シーンがあることを目の当たりにした。両親版だけでなく、シングルマザー版、天使版、先天性障がい児版、さらには津軽方言版、気仙方言版などのバリエーションを増やすことになった。

 「商売人」的な視点から見れば、邪道なのだろうと思う。圧倒的に多い両親と赤ちゃん版の絵本販売を推進し、絶対量の少ないシングルマザー版や天使版などは、不採算アイテムとして無視する、というのが商売の王道なのだろうと思う。それは否定しない。

 しかし不思議なことに、売り上げの実質消滅という危機的状況にもかかわらず、数を追うことより、絵本を本当に必要とする人たちを視野の外に追いやることをせず、心の奥深くに届くメッセージを伝えたい、という心の促しに従うことにした。

 当然のことであるが、販売冊数の増加はスローペースだった。従って、苦しい資金繰りを強いられた時期も長かった。幸いに、いろいろな方々の協力と支援をいただき、なんとかここまで継続してこられた。

 販売金額だけを追い求めるのではなく、この絵本の内包する秘められた力を認め、主旨と理念に共感し、社会に広めるための協力をしようと考えてくれる人が・・・もちろん少ない人数ではあるが、私にとっては有難い援軍である。いろいろ助言をいただきながら、私自身もどんぶり勘定の放漫経営者から脱皮し、まともな経営者として目覚める朝を迎える時期が到来したのかと思っている。

 そんな気持ちで、この曲を聴いていると、本当に目覚めるのではないかという暗示にかかっているようだ。Despertar(デスペルタール)は、スペイン語で「目覚め」の意味だそうだ。・・・そうだ、目覚めを記念して、そのうち自分の名前も、「昼寝ネコ」から「目覚めネコ」に変えてはどうだろうか。いや、当分はまだ「寝ぼけネコ」のままだろうと思う。


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# by hirune-neko | 2018-07-13 00:53 | 心の中のできごと | Comments(0)

すっかりストーリーを忘れてしまった「カサ・ブランカ」

Casablanca - As Time Goes By - Original Song by Sam (Dooley Wilson)

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 今日はずっと、このAs Time Goes Byのメロディが頭の中で流れていた。理由はさっぱり思い浮かばない。映画のサウンドトラックなのだが、この曲だけが強烈に印象に残っていて、歌詞まで空でいえるほどなのに、映画のタイトル「カサ・ブランカ」が思い出せなかった。

 1942年の作品のようなので、私が生まれるずっと前の古典作品といっていいのだろう。かつて別れ離れになっていたイングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガートが、年月を経て再会したクラブ「カサ・ブランカ」でのシーンで、この歌が歌われる。

 昔から恋愛映画には興味がないのだが、どういう訳かこの映画は印象に残っている。決して甘ったるいラブ・ストーリーではなかったはずだ。

 昨日、2種類の産婦人科向け営業資料を仕上げ、一歩だけだが前進した。改めて校正したら誤字があったので、再確認しなければならない。しかし、これを土台に一部を差し替えて、自治体向けのバージョンを作成することになる。北海道の2市にお待ちいただいているので、早急に仕上げたいと思っている。

 その資料のひとつには、双子の赤ちゃんが誕生死したお母さんのブログが紹介されている。改めてそのブログを閲覧してみた。
 「生きている子どもと同じように、亡くなった子どもたちも、大切に愛している」という表現が印象に残っている。まれなケースではあるものの、最もケアが必要な状況なので、天使版の文章を作成していて良かったと、改めて思った。

 次男の呼吸停止を目の当たりにし、必死に蘇生を試みた経験がなければ、おそらくは通り一遍の文章しか書けなかったのではないかと思う。

 人生を旅にたとえるなら、旅の途中で様々な障害と格闘し、乗り越えた経験があって初めて、人の心の苦しみや悲しみ、葛藤や悩みが目に留まるのではないだろうか。私自身は、決して順風満帆な人生ではなかった。上を見ても下を見てもきりがないけれど、苦難の人生は、それを乗り越えて振り返られるようになったときに、自分自身の成長を実感できるのではないだろうか。

 現在の私の心境は、実社会の一切の利得とは距離を保ち、客観的に対峙しているように感じる。目先の利益に惑わされることなく、本質を見るようにしていると思う。いずれは死して世を去る者として、次の世界まで携えて行くことのできないものには興味を感じない。

 他界した小さな子どもに思いを馳せる母親の心境を思っても、想像の域を出ない。しかし、心に平安が宿り、いつか大きく成長したわが子と、次の世界で対面したときのシーンを想像するだけで、神聖な感動を感じることができる。ほとんど神学的世界ではあるが、そのような希望を持ち続けてほしいと願っている。双子の天使たちも、案外近くから、そのようにお母さんを励ましていると感じる。

 るりちゃんとゆりちゃん。天使になってしまった大切なわが子について書かれたブログ記事を、以下に紹介させていただく。いろいろな人生があるものだ。11年前のクリスマスイブ前日、2007年12月23日午前2時38分の記事である。


ブログ:「☆Ohana☆天使と一緒」
 2人の天使に守られて・・・ありがとう!大好きだよ♡♡
「クリスマスプレゼント」


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# by hirune-neko | 2018-07-11 23:26 | 心の中のできごと | Comments(4)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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