昼寝ネコの雑記帳

余命三年時事日記が再開された

Celos - A. Piazzolla
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 昨日、知人から余命ブログ(余命三年時事日記)が再開されたという知らせが届いた。毎日数回訪問していたが、いつも空振りで、長い沈黙だった。

 私自身は、初代かず先生存命中に、このブログを知った。当時は「余命3年時事日記」だったが、亡くなられて余名2代目から「余命三年時事日記」と改称されたように記憶している。

 余命初代の記述の随所に、トラブルを避けるための表現上の苦心が綴られていた。つままり、記事内容を疎ましく思う勢力の目に留まらないよう、気をつけていたようだ。

 一般のメディアが報じない、希少性の高い情報が発信され、読者に対して保存するよう勧めていた。私は素直にその助言に従い、2012年08月16日の最初の記事から、PDFファイルとして加工・保存するようになった。
 しかし、札幌に独り住まいだった老母の遠距離介護が始まったが、次第に健康状態が悪化し、短期間で他界したため、その後始末もかさなって、2016年11月4日の記事を最後に、加工が滞っている。
 その後、昨年の6月に、evernoteに記事をひとつずつクリップし、いずれ加工しようと思ったのだが、まだまだ追いついていない。

 今般再開された余命ブログを閲覧したが、最新記事が並ぶだけで、過去記事が見当たらなかった。手間のかかることだと思うので、今後過去記事を再度掲載する予定があるかどうか、質問メールを送った。

 余命ブログ再開を知らせてくれた知人に、その話をしたところ、ミラーサイトで全記事を閲覧できると、そのURLを送ってくれた。私はミラーサイトには訪れたことがないので、盲点だった。まだまだ自分の仕事に追われ
、全余命記事の資料化に追いつけるメドは立っていないが、いずれ完成させたいと思っている。

 記念すべき、余命初代の最初の記事を、以下に掲載させていただく。オリジナルをそのままコピーしたはずなのだが、ちょっと不安な部分があることをお断りする。

【余命初代 かず先生の最初の記事】
(余命3年時事日記より 余命3年と宣告されて...)

 余命3年と宣告されて1年が過ぎた。ほぼ同時期に同様の病に倒れた友人3名は闘病むなしく余命3年を全うできずに世を去った。小生も残る時間はいくらもないと思うが約70年の人生経験を一人でも多くの次世代に伝えるべく我が一族郎党32名の声と情報を併せて発信することとした。よってブログの更新が止まったときはそういうことかとご理解いただきたく思う。

 情報ソースのかなりの部分は小生と父母の実経験による。残る部分の大半も一族の信頼できる情報による。ここに、ねつ造や虚偽の恐れはない。

 ここで小生の一族郎党について触れておきたいと思う。但しプライバシーに関することなのでこの部分は数字等に多少偽りがあることをお許しいただきたい。

 父は満州生まれ満州育ちで、ロシア語の会話はもちろん読み書き自在である。母は数年前に亡くなったが生まれソウル育ちで朝鮮語と中国語ができた。叔父姪は、カナダに在住である。

 は、、、自営業さまざまであるが政治家だけはいない。それと以下18人の達だ。記事のテーマは多岐にわたり分けが難しいので思いついたものから送稿する。

 尚、万一の煩わしさを避けるためコメント類は受け付けない設定にしてあります。お許しください。以下次回。 2012-08-16 09:50


 2012年当時は、ひっそりと目立たないように情報発信していたが、現在ではすっかり話題になっている、弁護士への懲戒請求に絡み、NHKが特集番組を組むなど、すっかりその存在が公になってしまっている。

 いろいろ調べたのだろうが、NHK報道部の記者が、突然弊社に来訪し「昼寝ネコさんですか?」と質問され、驚いた。番組「クローズアップ現代」放送の前のことだ。もし私が余命ブログを否定的に評価し、懲戒請求に加わったが後悔・反省し、当該弁護士と和解した・・・という状況だったら、おそらくは追加の取材を行い、番組に登場させようと考えていたのだろう。

 しかし、彼等の期待に反し、私は余命ブログが資料性の高いブログであるとの評価を述べた。ヘイトデモに関する質問も受けたが、明確に持論を述べた。

 今日は、情報戦争にサイバー戦争が加わっており、国内外の実態の把握は、ある意味では自己責任である。一方で、多くの個人ブログや種々のサイトでは、ほとんどのマスメディアが報じない「事実・真実」を、使命感を持って発信している。

 旧約聖書の物語を思い出す。誰もが怖れる無敵の巨人ゴリアテを倒したのは、ゴリアテに単身で対峙した、まだ年若いダビデだった。日本ではメディアスクラム、アメリカではメインストリート・メディアと呼ばれる大メディア軍団が結束し、情報支配を企てている実態がある。

 映像や音声を全国に配信する設備を持たず、輪転機や宅配配送網を持たず、ただひたすら使命感に頼って、インターネット上で事実を拡散し続けようとする、多くの個人の皆さんの地道な努力が、もうじき大きな地殻変動を引き起こし、地滑りによって現代の巨人ゴリアテが、足下から地面に崩れ落ちる日が訪れる日が来るだろう。そのような予兆を感じている。

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# by hirune-neko | 2019-03-19 00:51 | インテリジェンス | Comments(0)

お客様からすっかり同情されてしまったようだ

Like Someone In Love
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 わが社の名入り絵本を採用してくれている病院で、ドクターヘリを所有するぐらい、規模の大きな病院が札幌にある。K病院である。初めて製作申込があったのは、2008年の4月なので、もうじき12年目になる。

 そのK病院で出産し、絵本「大切なわが子へ」をプレゼントされた家庭から、上のお子さん用にも同じ絵本がほしいと申し込みがあった。上のお子さんが生まれたのはK病院ではなく、T病院なので、K病院と同じようにT病院の写真も掲載し、「この病院で生まれたんだよ」と、説明できるようにしてほしい、というご希望だった。

 画像には著作権があるので、勝手に使用すると相手の病院からクレームをつけられる可能性がある、と伝えた。するとそのお父さんは、T病院で院長とも働いていた時期があるので、許可を取ります」、ということになった。

 少し間が空いてしまったが、今日お父さんと電話で話す機会があった。すべてT病院の許可をもらったとのことだった。私が、手稲区にあるA産婦人科は、確かT病院の系列でしたよね、というと、どうしてそんなことを知っているのかと不思議がられた。

 おそらくは10年ほど前のことだと思うが、私はT病院にもA産婦人科にも、絵本の営業に行ったので憶えている旨を伝えた。そのとき、採用してもらえなかったのか、と訊かれた。私は、営業がとても下手なので、相手にされなかったと、正直に言った。A産婦人科は、何度も事務長にお会いし、いい線まで行ったのだが、助産師さんが難色を示したため断念することになった、という経緯がある。

 そのお父さんは、自分は札幌医大の出身だとおっしゃるので、お医者さんですか?と質問した。すると口腔外科医だという。余計なことだったのだが、三男が某大学病院の研修医で、精神科医になるつもりのようだ、と説明した。

 さらに、私が北海道の出身であり、母が最後は手稲亡くなったというと、何丁目かと質問された。9条9丁目だと答えると、その方は8条だと言う。そんな受け答えから、どんどん話題が拡がった。登別の病院に勤務していたとおっしゃるで、私は幌別小学校、幌別中学校に行き、そこから室蘭の栄高校に行ったと、実に阿呆な身の上話を始めた。

 室蘭の病院は皆、栄高校出身の先生ばかりだったとおっしゃった。まるで私も優秀であるかのように誤解されたようなので、即座に付け加えた。いえいえ、私は学校を抜け出して、毎日ジャズ喫茶に通っていた落ちこぼれ学生だったんですよ・・・一瞬気まずい沈黙が流れた。

 室蘭は、製鉄会社が運営する病院に営業に行き、師長さんにお会いしたが、本当に私は営業が苦手なため、それっきりになってしまっている、とありのままに伝えた。

 お客様との事務的な会話のはずだったが、ずいぶん長い時間になってしまった。

 お父さんがT病院の産婦人科の先生達に、K病院からプレゼントされた絵本を見せて内容の説明をしたところ、へえ、こんな絵本があるんだ、と感心されたそうだ。子どもにとって、とてもいい思い出になる、と評価してくださったので、私は父親には父性愛を、母親には母性愛を刺激する機能のある絵本だ、と付け加えた。

 もし、T病院の先生達が絵本の説明を聞きたいとおっしゃったら、いつでもお伺いしますと伝えた。仕事だと、大いばりで北海道旅行ができるので、楽しみにしていますとも付け加えた。

 するとお父さんは、病院への営業は大変だと思います、営業の人の説明よりも、実際に受け取った人間から感想を聞いた方が説得力があるでしょうね。T病院の産婦人科の先生や院長に話してみます、室蘭の病院にも知り合いの産婦人科医がいますから、紹介してみます・・・と、こんな感じで、営業能力が低く苦労しているようだなと、私にすっかり同情して下さり、支援を申し出て下さったのである。お客様に営業の支援をいただくだなんて、夢にも思わなかったことだ。

 ・・・いやあ、やはり人様から親切にされるというのは、心地よいものだなあと再認識した一日だった。

 実は、こんな遅い時間なのだが、どうしても明日、発送しなければならない絵本がある。天使版の絵本だ。通常の絵本に同封される挨拶状は病院長の名前で作成しているが、天使版の絵本と一緒にお送りする挨拶状は、弊社の名前で作成している。こんな深夜でも、梱包発送作業が行われており、挨拶状を印刷したところだ。

 何度読み返しても、そして自分で考えた文章なのだが、この絵本を手にとってお読みになるご夫婦の心中を察し、涙が出そうになる。私たちの仕事の一部ではあるが、心が痛む。ご参考までご一読いただきたい。

【天使版の挨拶状】

ごあいさつ 

○○○○様 ○○様  

 ○○○○○○病院様のご依頼により、■■ちゃんとご両親へのプレゼントとして、世界に一冊しかない絵本「大切なわが子へ」を製作しお届けさせていただきます。  

 お父さまとお母さまの、■■ちゃんに対するお気持ちを推察し、文章にさせていただきました。したがって、勝手ながらお父様とお母様の著作という形をとらせていただきました。  

 もう■■ちゃんの姿は見えなくなってしまいましたが、■■ちゃんの心に向けて、この絵本を読んであげてください。小さいながらも、きっとどこかでご両親の優しい愛情を感じてくれると思います。  

 そしていつかまた、■■ちゃんと再会できるときまで、心の中で■■ちゃんを大切に育ててあげてください。  

 この小さな絵本が、■■ちゃんとご両親の大切な絆の証として、いつまでも読み続けられることを願っています。また、一日も早くお父さまとお母さまのお気持ちが癒され、平安さを取り戻されますよう、心よりお祈りしています。                
     絵本製作スタッフ一同

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# by hirune-neko | 2019-03-18 01:30 | 心の中のできごと | Comments(0)

なんと、和菓子の差し入れをいただいてしまった

Chant Et Fugue - Astor Piazzolla
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 玄関のチャイムが鳴ったので出ると、隣のアパートで独り住まいをしているおばあさんだった。カートに掴まりながら、なんとか歩けるという程度である。話しかけたが、耳が遠いようで反応がない。

 黙って小さな紙袋をさしだし、渡そうとする。先日雨が降った日におばあさんから電話があり、玄関のドアが開かないという。様子を見に行ったときに、トイレットペーパーを2パック置いてきた。そのお礼のつもりなのだと思う。袋の中は、箱に入った和菓子だった。律儀な方だ。

 地元の三吉野という和菓子屋はチェーン店ではあるが、店の奥に工場があり、独自のお菓子を作っている。

 おばあさんは90歳を超える高齢で、数年前にご主人を亡くされている。どうも、子どものいないご夫婦だったようだ。何かのときには電話してくださいね、と言い、電話番号を渡している。

 つい先刻、仙台在住のFacebook友だちが、お父さんの訃報を掲載しているのを読んだ。入院先の病院で容態が急変し、亡くなったと書かれていた。お父さんは新聞社勤務と書かれていたので、おそらく河北新報なのではないかと思う。東京勤務時代に銀座の老舗テーラーのオーナーと知り合いになり、背広はそこで新調していたというから、お洒落でダンディなお父さんだったようだ。ご夫婦の画像を拝見したが、凜とした気骨あるお二人だとお見受けした。


 今日、トイレの中でぴよ将棋と対戦中に、脳貧血症状が出て、少し意識が薄れかけた。何年も前に同じ症状で救急車を呼んだことがあるのを思い出した。少し横になっているうちに落ち着いた。

 毎日仕事に追いまくられ、決して健康的な生活をしていない。脳と眼と指先が機能する限り、何かに関わっていたいとは思っているが、さて、私の最期はどのような環境で閉じられるのだろうか。

 身近で高齢の方や、訃報を目にすると、改めて人生はいつまでも続くものではないことを再認識してしまう。

 現実社会の喧噪の中で、めまぐるしく変遷する内外の動向に目を奪われていると、肝心な本質的なことからは目が離れてしまうような気がする。ときどき、人生や地球を俯瞰するように考えることがある。

 今日はこのブログで、宇宙視点で地球を神学的に俯瞰する、という内容で記事を書こうと思っていた。神学的天地創造は、実は宇宙規模で考える必要がある、という骨子だ。従って、現代訳天地創造という荒唐無稽な内容になる。SF的な匂いの内容になる。

 今日はもう深夜なので、いつか筆が進んだら紹介させていただく。

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# by hirune-neko | 2019-03-17 01:04 | 心の中のできごと | Comments(0)

花粉症のせいだと思うが、スランプである

Diana Krall - My Love Is Where You Are
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 珍しく、夜になってから昼寝し、今頃起き出してきた。あらら、もうじき深夜の1時である。生活リズムが、すっかり狂ってしまっており、体調がいい訳がない。
 
 なんと表現したらいいのだろうか。手探りで出口を探しているような心理状態で、焦らないように自制しているのだが、通常の処理案件が連続して発生するため、すべてが寸断されてしまい、なかなか思うように前に進めない。

 大事な通知書類を、どこに保管したか分からなくなってしまった。タスク管理ソフトを再度使い始めたのだが、あっという間に遅延案件が増えてしまい、精神衛生上とても良くない。

 なんとか踏ん張っていれば、いつかはこの状態を打開できるだろうと、努めて楽観的に考えるようにしている。

 内緒の秘密事項だが、脳内のイライラを鎮めるために、キャンデーをバリバリ食べてしまっている。こうなると、まるで中毒症状である。薬物中毒だと、もっともっと症状が重く、断ち切るのが困難なのだろうと想像している。

 次男のお嫁さんが、出張で韓国に行っているが、ようやく帰国の日となった。帰ってきたら、ソウル市内の様子を訊いてみたい。

 この時間だと、電話もかかってこないし、申し込みや問い合わせのメールも入らないので、文字通り自分の時間を取り戻したようで、ほっとしている。

 昨晩、久しぶりに過去に作った3部作の短編作品を読み返した。第2作で使われていたのが、この冒頭の曲である。ダイアナ・クラールはしばらく聴いていなかった。こうして聴いてみると、当時の心象が甦ってくる。音楽とは不思議なのものだ。その時々の心理状態で、聴きたい音楽が異なるし、以前の記憶を甦らせる力も持っている。

 今の状況は、積年の経緯から導き出された、連立高次方程式の解を求めようと、あがいているような感じだ。逆に言うと、ようやく序盤戦の最終局面なのだろうと思う。

 今から20年以上前のことになる。取引を開始した、ある都市銀行の最初の支店長が、退職してから弊社の相談役を引き受けてくれていた。当時の助言のひとつは、流通ラインの途中に組み込まれないように、だった。逆に、他の企業には無い商品を開発することだ、と言われたのを今でも鮮明に憶えている。

 ずいぶんお世話になった方だった。父も義父も早く亡くしていた私にとっては、有難い相談相手だった。

 現在は、暗く冷たい荒海で漂流しているようなものだが、それでも、ずっと遠くに浮かぶ灯台の灯りを見失わないよう、絶えず目を凝らしている。

 ・・・と思いながら、溜息をついている。

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# by hirune-neko | 2019-03-16 02:00 | 心の中のできごと | Comments(0)

懐かしい方からのコメント 私の3.11回顧録

Astor Piazzolla - La famille
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 ずいぶん懐かしい方からコメントをいただいた。

 メタセコイアさんからのコメントだった。東日本大震災で被災した、当時は中学生だった女生徒が、絵本作家としてデビューしたことを報道する、河北新報の記事を伝えてくれるコメントだった。以下の内容だった。

(コメントの転載開始)
 以前、昼年ネコさんのブログにも紹介された、震災復興絵葉書で話題になった神田瑞樹さん、絵本作家になったみたいですね。今日の河北新報Web版に記事が載っていました。
「河北新報オンラインニュース」
(コメントの転載終了)

 メタセコイアさんは、東北大学の学生だった頃、大学生協の書籍売り場で、当時出版されて間もない「昼寝ネコの雑記帳」を手に取り、購入してくださった。その頃からブログ読者になってくださったので、もうかれこれ十年選手である。今でもこうして立ち寄ってくださり、有難い限りだ。

 私の短編作品に、「ボクのご主人様はプロフェッサー」というタイトルの3部作がある。ちょっと偏屈で独身の大学の先生が主人公だ。ネコと同居している先生が、生徒の女子大生に好意を持ってしまうが、何も言えないうちに彼女は卒業してしまう。先生は難解な専門書を読まなくなり、アイーダなどのオペラを聴くようになる。(正編2008年6月20日)

 それから数年して、メタセコイアさんから、この先生のその後が気になる、というリクエストがあったので、改めて続編を考えた。
 女子大生は大学卒業後、飛ぶ鳥を落とす勢いのIT企業に就職したが、社長に気に入られ跡取り息子と結婚する。マスコミに大々的に取り上げられ、先生の耳にも入った。先生はますますふさぎ込むようになってしまった。年始のある日、好きな散歩コースである逗子の高台の、高級別荘地で、先生は偶然その女子大生と出会う。彼女は離婚を決意しており、数ヶ月後には離婚することになった。二人は急速に親しくなり、30歳以上の年齢差だったが、北欧の教会で結婚式を挙げることになった。ところが、彼女に厄介な血液の病がみつかり、あっという間に悪化し他界してしまった。・・・という悲劇的な結末で幕を閉じた。(続編2011年11月29日)

 この続編を読まれたメタセコイアさんから、悲劇で終わってしまうんですね、という沈んだ感触の文章が届いた。言葉少なにおっしゃるには、大学院で同じクラスに出席していた女子学生に好意を持ったが、とうとう何も言えないまま、彼女とは別れ別れになったしまったそうだ。そこで、この偏屈な先生と自分が二重写しになり、物語の結末がどうなるか、気にかかってたらしい。
 私は本来、ハリウッド映画的なハッピーエンドの結末が好きではない。しかし、前途ある若者を、人生の路頭に迷わせてはいけないし、前途に希望を持てなくなっては責任を感じる、そこで一転して、ハッピーエンドのストーリーを完結編として作成し、メタセコイアさんに個人的に謹呈することにした。
 当時、メタセコイアさんは大学院で博士号を取得し、無事に就職もされていた。そのお祝いにと考え、ずいぶんロマンチックでハッピーエンドのストーリーにした。もちろん、メタセコイアさんからは安堵と喜びのメッセージが届いた。この先生のように、無事に結婚相手が決まったら、そのお祝いに、この3部作を小冊子にし、お祝いとして贈呈させていただきたい。しかし、職業は地質学を専攻した関係で、地震予知やらの男だけの現場のようであるから、果たしてロマンスは巡ってくるだろうか。でも、この先生のように、最終的にはハッピーエンドになっていただきたいものだ。(完結編2012年10月18日)

 久しぶりにメタセコイアさんからコメントが入ったので、つい昔話を思い出して紹介してしまった。今日のコメントの主人公である神田瑞樹さんが、中学生だった被災当時に描いた絵を、私はブログで紹介した。そのときの絵を以下にご紹介する。
c0115242_01355626.jpg
 そして、この絵を紹介した私のブログ記事は、以下である。
「何か語りかけてくる絵だ」


 以前にも書いたが、福祉団体が被災者の皆さんへの絵本寄贈予算を拠出してくれたため、告知をお願いしに北海道、青森、岩手、宮城、福島の地方新聞社十数社を回った。ところがどういう訳か、大船渡の東海新報には何度もお邪魔し、地元の皆さんとの個人的な交流もいただいた。まだまだ被災の爪痕が残っていることを痛感し、自力で気仙の皆さんに絵本の寄贈を継続しようと考えた。すでに印刷できる段階まで製作は進んでいるのだが、なかなか予算が確保できず、まだ動き出せないでいる。絵を描いてくださった方だけでなく、まだ避難所暮らしをされている皆さんには、お待たせしたままで大変申し訳ないと思っているが、もうしばらくお待ちいただきたい。

 以下が、その気仙版の絵本の表紙カバーである。いくら理念があっても、実現には、やはり資金が必要だというのが現実である。非力な昼寝ネコである。
c0115242_01361418.jpg

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# by hirune-neko | 2019-03-15 01:38 | 心の中のできごと | Comments(4)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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