昼寝ネコの雑記帳

Old Friends〜甦る旧友との懐かしい思い出

Astor Piazzolla - Largo tangabile

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 過日の記事で触れたが、旧友夫婦が5月5日にアメリカを出発し、中国旅行を終えて帰路、日本に立ち寄っている。数日間名古屋に滞在し、金曜日に帰米するそうだ。

 新横浜駅の改札口で待ち合わせ、駅ビル内の京都風とんかつ屋に入った。彼は日本語を話し、いなり寿司など日本食を好む変わったアメリカ人である。学生の頃、彼等の家にホームステイしていた日本人女性夫婦も合流した。私たち夫婦と総勢6人だった。

 40年ほど前、ある映画の日本語版を制作する関係者から依頼され、ボランティアで声優を引き受けた。そのとき民泊させてくれたのが、彼の両親だった。そんな縁で、彼との付き合いが始まった。あのときは、まだ小さい双子の男の子と、生まれてまだヨチヨチ歩きの娘という家族構成だった。その後は、渡米すると決まって彼の家に泊めてもっらったので、子どもたちとは小さい頃からの顔なじみということになる。

 前回の来日以来なので、かなり久しぶりの再会だった。子どもたちは3人とも結婚し、それぞれに子どもが生まれているという。孫の数を訊いたら、なんと13人だそうだ。

 何度も同じことを言われているが、その後アメリカで私と一緒に仕事をした何年間かが、自分の人生にとって最も充実した思い出深い時期だったと、今日も繰り返した。40程前から今日に至るまで、私は文字通り人生を駆け抜けてきたようなものだ。感傷に浸る余裕もなく、来る日も来る日も時間に追われてきた。

 しかし確かに、信頼・安心できるパートナーとして、米国内では孤立無援だった私を親身にサポートしてくれたのは事実だ。いわば戦場を一緒に駆け巡ったような、戦友という表現が合うのかもしれない。

 駅構内での別れ際に、彼は奥さんに頼んで私と二人の記念撮影をした。私は彼を指さし「ビフォー」といい、自分を指して「アフター」というと、奥さんは顔中笑顔で声をあげて可笑しそうに笑った。

 撮影が終わると、彼は真剣な視線を私に向けると「I love you」といった。男性からそのような表現をされることは滅多にないので、ちょっと躊躇しながらも、まるで映画で聞き覚えたセリフをいうように「Me, too」と答えた。男同士で戦友同士で、しかも旧友同士という人物が存在したのだと、改めて実感した。

 彼のお兄さんは従軍歯科医だったが、奥さんは数年前に山道をバギーで走行中に事故で亡くなっている。何度も会っているので、その後の状況が心配で訊いたら、数ヶ月前に再婚したという。私の家内は、自分にもしものときは、すぐに再婚しなさいといっているので、1週間以内に再婚すると約束しているし、すでに候補者のリストを作って持っている、というと、また奥さんが大笑いしてくれた。実によく笑う女性なので、冗談をいう張り合いがある。彼女の父親は肖像画家で、1枚描いてもらっている。旧友の弟の二人は弁護士で、よくサポートしてくれた。

 お互いにこの数十年の間に、それぞれいろいろなことがあった。私の大変な時期にも親身に協力してくれた。利害を超えた人間的な信頼関係を構築できていると、再認識した。

 この先、この年齢で、また渡米して何か新しいプロジェクトに手を付けるということは想像すらできない。しかし、人生というのは何が起きるか予想がつかないものでもある。ビジネスというのではなく、何かしら情報関連の分野ならそのような可能性が浮上するかもしれない。

 その日に備える、という意味ではないのだが、何をするにしても気力と体力、集中力が不可欠なので、まずは肉体の鍛錬を怠らないようにしたい・・・と、有言不実行の人間が、また宣言している。しかし、ようやく自分のライフワークが見つかった、といったら、私の仕事上の変遷を熟知している旧友夫婦は、笑顔で喜んでくれた。

 親日家の夫婦と彼等の親兄弟には、私を親戚同様に扱ってくれたことに対し、改めて感謝の気持ちを伝えたいと思う。・・・といっても、ここに書くだけだが。


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# by hirune-neko | 2018-05-22 01:09 | 心の中のできごと | Comments(0)

神学的発生があれば、神学的終焉もあるのだろうか

Un Dia de Noviembre (Leo Brouwer) - Alexandra Whittingham

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 考えてみれば、ギターに触れなくなって久しい。ギターだけでなく、読書時間がまったく取れなくなっている。感性の枯渇であり思考停止・・・とまではいかないが、自分自身に充電できなくなっているという実感と焦りがある。このままだと放電状態になってしまうのではないか、という不安を感じ始めている。

 それもこれも、実務的な処理に追われているからだが、今はある種の過渡期なのであり、仕事が落ち着いたら状況が改善されるだろうと、楽天的に考えている。

 昨日、「モーセの五書」について調べてみた。パスカルの「パンセ」の中に「神学的発生」という言葉があったのを思い出し、では「神学的終焉」という概念が存在するのだろうかと考えているうちに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいずれも経典・聖典として採用している「モーセの五書」、即ち創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の五書が思い浮かんだからだ。

 あまり聞かない言葉だと思うが、念のため「神学的終焉」という言葉でGoogle検索してみた。どうもなさそうだと思った瞬間、たったひとつだけ「愚考〜神学的発生から神学的終焉への変遷」という活字が飛び込んできたので嬉しくなった。さてどこの国の神学者あるいは哲学者だろうかと興味が湧いたのだが、それに続く記述を見て笑ってしまった。なんと「:昼寝ネコの雑記帳」と書かれているではないか。開いてみたら、昨年11月の記事だった。半年前にまったく同じ発想をしていたことになる。確かに思考が停止したままであることを実感した次第だ。

 この記事の最後の8行を引用させていただく。現在の私とまったく同じ発想なので、可笑しくなるぐらい本当に思考が停止しているのを自覚した。

(引用開始)
 目的の伴う神学的発生があったのなら、是非とも、この地球上の多くの人たちが直面している深刻かつ重大な危機を、「神学的終焉」に至らしめてほしいと願っている。手段や方法は思い浮かばないが、人智を超える神学的インテリジェンス手法で、救ってほしい。飢えに苦しみ、理不尽な虐待を受け、耐えがたい恐怖と不安に苛まれている、北朝鮮の国民や兵士の皆さんに、一日も早く平和と平安が訪れるよう心から願っている。勿論、近隣国や他国の皆さんのためにも。それと我が同胞のネコたちも含めてほしいものだ。
(引用終了)
(「愚考〜神学的発生から神学的終焉への変遷:昼寝ネコの雑記帳」)

 子どもが通っていた小学校の、当時PTA会長だった方が、何日か前に突然訪ねてきた。彼は以前、聖教新聞の販売店を生業としていたが、その聖教新聞を3ヶ月間購読してほしい、というのが来訪の目的だった。いいですよ、といって協力することにした。すると、何やら御書研究の資格認定試験があり、一般の人にも開放することになったという。日曜日に勉強会を開くので、参加して勉強してみないか、という誘いがあった。できれば一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の発生史や変遷、さらには終末思想と、それに関連した地球の神学的終焉について研究してみたいと思っていることを伝え、申し出は丁重にお断りした。

ここ数日、コメント欄で何人かの方が「Stand Alone Complex」に関する記述に関連して意見を書き込んでくれている。日本人特有の同調圧力的和、というのが話題になった。その延長で自分自身を客観視してみた。どうやら私は、日本人でありながら、その同調圧力的は体質に合わないようだ。日本の組織に加盟していても、ことあるごとに孤立感、違和感を感じてしまう。この感覚の根源はどこにあるのか、正確に辿ることはできない。しかしどうやら、その原形は高校生時代に存在していたように思う。

 昨日は、その母校の高校の同窓会があり、市ヶ谷の私学会館まで行ってきた。昨年が創立100周年だったそうだ。半世紀前に歓談した同級生たちと、久しぶりに顔を合わせた。容貌だけでなく、人生観や価値観はさすがに大きく変わっている。しかし、本質的な感性・感覚には、当時の付和雷同しない気質の原形が今でも色濃く残っている。その先に思い当たるのは父の生い立ちだ。

 母が亡くなる数ヶ月前、父の従妹がお見舞いに来てくれたとき、父は祖父母の実の子どもではない、といった。思わず私と母は目を見合わせた。母ですら知らなかったことだった。祖父母は生地の秋田にいられなくなり、北海道の室蘭に逃げてきたともいった。父とは一緒に遊んだ記憶がなく、どちらかというと情のつながりが希薄だった。父は寡黙な人間だった。逆に祖父は腕に「大力」という入れ墨があり、毎日のように飲み仲間がやってきて酒宴となった。最後は決まって怒鳴り合いの大げんかになった。苦痛に耐えかねた私は、たぶん小学校の低学年だったと思うが、木製の野球バットを酒乱の大人達の頭に振り下ろそうと真剣に考えていた。

 冷静に考えると、私は父の子ではあるが、祖父からの血を引いていないことになる。粗野な酒乱の血を受け継いでいないことに、安堵の気持ちがあった。しかし、酒乱の親からちゃんとした教育を受けさせてもらえず、常に抑圧された人生を送り45歳で静かに他界した父の心情を考えると、不憫さが募る。父の生い立ちといっても、すでに1世紀も前になろうとしている。当時の状況を知る人は既に他界しているだろう。

 死後の世界に存在する父は、夢にも現れたことがない。しかし、父が無念の気持ちのままで生涯を終えただろうと、こうして私が父に思いを馳せていることを知り、霊界の父が喜んでいることが心に伝わってくる。無駄骨に終わるかもしれないが、いつか秋田に行って父の痕跡を探し求めてみたいと思っている。父の従妹に私の考えを伝えると、「そんなことして何になるのさ」と、一笑に付されてしまった。メンタリティの違いだろう。

 神学的終焉について考え始めた今日の記事が、このような流れになるとは意外だった。しかし、すっかり忘れ去っていた去年の11月の記事が、脈絡もなく甦えってきたのも不思議なことだ。なんの意図もなく選曲した曲のタイトルは、Un Dia de Noviembre。邦題は奇しくも「11月のある日」だった。

 もし今、父が私のすぐ近くでこの演奏を聴いていたら、どのような感想を述べるだろうか。まったく想像がつかない。


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# by hirune-neko | 2018-05-21 00:39 | 心の中のできごと | Comments(2)

再びStand Aloneについて

Bill Evans Trio - Blue in Green (Take 3)

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 一昨日の記事「私のブログにも、何やら異変が及んでいるようだ」に対し、読者の暇工作さんが興味深いコメントを残してくださった。以下にご紹介する。

【暇工作さんのコメント】
(コピー開始)
 以前昼寝ネコ氏が言及していた Stand Alone について。私は「Stand alone」と聞けば、攻殻機動隊の 「Stand Alone Complex」を想定してしまいます。
 この「Stand Alone Complex」とは、「独立した個人が、結果的に集団的総意に基づく行動を見せる社会現象を言う。 孤立した個人(スタンドアローン)でありながらも全体として集団的な行動(コンプレックス)をとることからこう呼ばれる。」という注釈の通りであります。
 現在進行形の懲戒請求は、まさにS.A.C.的な動きなのだと思います。こんな事を書けば、仮想と現実が認識出来ていないのだと非難されるでしょうが...。
 少し思った事を。
(コピー終了)

 このコメントを読み、暇工作さんが軍事関係の方か、あるいは社会学の研究者の方だと思ってしまった。調べると、攻殻機動隊というのは著名な漫画・アニメのようだ。

 同じコメント欄での、読者・千波矢さんとのやりとりで、暇工作さんは以下のコメントを追記されている。

【暇工作さんの追記コメント】
(コピー開始)
 「集団的総意に基づく行動を見せる社会現象」は、所謂『価値観の共有』が必須であると思っています。道徳観が中庸で比較的に高い位置にある日本人の性質は、『価値観の共有』が早くて、他国から見れば「Stand Alone Complex」と写るでしょうね。
(コピー終了)

 暇工作さんのコメントは、日本人の気質を的確に表現していると思う。以前も触れたが、アメリカの公的機関の調査によれば日本語が世界で一番難解な言語だそうだ。その難解な言語を自在に操る日本人を、非日本的かもしれない無国籍人間の私が客観的に見て、思うところがある。

 アメリカ人が個の個性を尊重するのに対し、日本人は同調するのを好む傾向が強いと感じる。集団的和の世界だ。アメリカ人が独創的でユニークなシステムや商品を創出するのに対し、日本人は改良工夫を加え、職人気質によって精度を高めるのに長けているように思う。もちろん一概には断定できないだろうが、そんなに大きく外れていないのではないだろうか。

 私には、多国籍の人たちと親しくなれるという特技がある。アメリカ、カナダ、英国、アイスランド、フランス、ドイツ、フィンランド、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、中国、ヴェトナム、フィリピン・・・いずれも同じようなスタンスで接している。

 諸外国の中で、少々特殊だと感じるのは韓国ではないだろうか。個人的な人間関係では、お互いの人の人格、人間性、信頼性が関係維持の尺度になる。しかし、外見が日本人と変わらず、自在に日本名を名乗り、日本人社会のあらゆる分野で職を得ている人たちが、すべてではないものの、集団で日本人社会・国家の安全を毀損しかねない動きに出ているのが、ここ数年は明確に開示されてきていると認識している。

 その実態が、熱心な研究家達の手によって調査・把握され、さらにはインターネットの力によって顕在化され、今日に至っているといえるのではないだろうか。既得権化している様々な特権とその取得手法が、問題視されて久しい。一般国民の危機認識が高まるはるか以前に、おそらくは現政権はかなり正確な実態を把握し、それが国家安全保障に及ぼす危険性を認識・危惧するに至ったのではないだろうか。

 日本の国家安全を脅かしてきた勢力は、気がつけば現政権と一般市民の行動によって、かなり外堀を埋められてしまったことを認識し、危機感を抱いて攻勢に出ようとしているのが、現段階なのではないだろうか。自分たちの行動を非難し忌避する人たちをレイシスト呼ばわりし、ヘイトスピーチを禁止する条例を制定して拡大解釈させ、自分たちに不都合な動きを封じようとしているように感じる。

 そのような実態を認識する日本人は着実に増えているようだ。かかる反国家勢力を必死に擁護するメディアの凋落傾向も顕在化しているようだ。政治意識の高まった日本人に、忌避されつつある結果だと見られている。

 今後、日本人はどのような行動に出るだろうか。

 街宣行動に出ている人、ブログで積極的に情報発信している人は、全体から見るとごく一部だろうと思う。大多数の日本人は、表だった行動に出ず、言葉に出さず、上記の「Stand Alone Complex」気質によって暗黙の裡に、国益を実現する候補者を支持し、国益に反する候補者、メディア、団体、企業への忌避が拡大するだろうと予測している。
 
 特定のメディアや商品の不買・忌避運動も、誰かに扇動されるのではなく、自らの判断と意思で粛々と行う分には営業妨害にはならないだろう。選挙での特定の候補者への不投票呼びかけも、公に扇動するのではなく、同様に自らの判断と意思で粛々と行う分には、公職選挙法違反にはならないだろう。

 一定の危機意識を持つ日本人は、暗黙の裡に共通の危機感を共有し、なおかつ暗黙の裡に共通の防衛策を選択して、あたかも集団行動のように連携・結束した行動をとるだろと予測している。それが日本人特有の、独特な同調結束力であり、客観的には「Stand Alone Complex」と見られるのではないだろうか。

 大震災の直後であっても、暴動は起こらず整然としている姿こそが、日本人特有の国民性なのではないだろうか。日本人全体を敵に回してしまうと、かなり手強いことになるだろうと見ているが、さてどうだろうか。


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# by hirune-neko | 2018-05-19 23:07 | インテリジェンス | Comments(6)

暑く、消耗した一日だった

Eliane Elias - Time Alone - Dreamer (2004).wmv

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 私は寒いのにも暑いのにも弱い体質なので、冬と夏が苦手である。夏にはサーフボードを担いで海に行く、などという経験は一度もない。そもそも海で泳いだ記憶すらない。久しぶりにクーラーを動かしたが、さっぱり冷気が出てこない。ガスを補填しなくてはいけないのかもしれない。

 急に気温が上昇したため、身体がついていけないようだ。どうも消耗度が激しい。この夏を乗り切れるだろうかと、つい弱気になってしまう。改めて、まずは肉体を鍛えなくてはと、切実に思っている。スポーツジムの会員になって半年は過ぎただろうか。ただの一度も行っていない。阿呆な話である。

 明日は高校の同窓会に行く。すでに半世紀も前の日々を思い起こしている。半世紀も経てば、それなりに経験を積み、辛酸を舐め、興味を持てる分野もどんどん絞られてきている。しかし、あまり変わっていないと感じる部分もある。それはどうやら、感性とか感覚の領域だと思う。ものごとの理解に深みは加わったと思うが、好んで聴く音楽の傾向はそんなに大きく変わってはいないようだ。

 高校生当時は、政治や国際テロ、諜報活動、国際政治・外交などにはまったく興味がなかった。高校生の時から、そのような分野に興味を持つ人間はほぼ皆無だと思う。ビデオレンタル店がまだ存在しなかった頃、近所の個人的なレンタルショップで、アメリカ製の映画を観るようになった。映画の好みは、刑事・警察ものから始まり、法廷、戦争、ハードボイルド、サスペンス、スパイと変遷して現在に至っている。

 おそらくはそのせいで、表面的な事象をそのまま鵜呑みにせず、背景を推測する習慣が身についたのだと思う。スパーやコンビニで売られている食料品でも、原材料の原産国が日本ではないケースがある。工業製品でも同様である。セブンイレブンで新しい加工食品を目にすると、必ず原産国をチェックする。Amazonでも緊急医薬品セットを購入したところ、特亜国から郵便で届き、驚いた経験がある。返品は受け付けてもらえなかったので、廃棄処分した。少なくとも、製造国は明確に表示してほしいものだ。相変わらず、Amazonには特亜国製造の商品が多いようなので、注意している。で、これを指して、ヘイトスピーチだと非難する人がいるのだろうか。奇妙な社会風潮もあるものだ。

 ちょうど、読者の千波矢さんから世界のバーコード情報が届いた。特定の国のバーコードが表示されているサイトで、国別のコードが分かるようになっている。書籍につけるISBNコードやJANコードだと、国別コードの桁数が統一されていると思っていたのだが、勘違いなのかもしれない。以下のサイトで、特定の国のコード番号を記憶しておけば、実際の購入の際の参考になるのではないだろうか。

 こうしていても、全身に汗が流れている。今晩はこのまま入浴して、横になることにする。

【バーコード屋さん】


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# by hirune-neko | 2018-05-19 00:44 | 心の中のできごと | Comments(0)

私のブログにも、何やら異変が及んでいるようだ


Shirley Horn - "Solitary Moon”

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 ときどき、どのような方がブログを読んでくださっているのだろうと思い、解析データを確認することがある。連日、ほぼ同じ人数の訪問者数なので、いわゆる常連の皆さんばかりだと思っていた。どのような検索ワードで見つけられたかにも興味があったが、いつも「昼寝ネコ」がキーワードになっているし、検索して来られる方はほとんどいらっしゃらない。それで、常連読者の方ばかりだと思っていた。

 この数週間少しずつ来訪者が増えており、書き手としては励みになっている。ところが数日前からは訪問者の増加率が高くなり、昨日、今日は20%〜40%増と、急激に増えた。不思議に思い確認したところ、新規で検索して訪問されている方はほんの少しだが、検索ワードは以下の通りだった。すべて余命関連のキーワードである。

・余命三年時事日記 信憑性
・余命三年時事日記
・初代余命 かず
・五十六パパかく戦えり

 いわゆるアンチ余命ブログが増加傾向にあるように感じたので、拾い読みをしてみた。するとある記事で、かつては余命情報の拡散に努めていた、花菱さんご自身が余命ブログを離れ、かつてのご自分の拡散行為を反省している、と述べていた。おそらくはご本人なのだろう。

 アンチ余命ブログに対する興味はないので、いつ頃からどのような形で姿を現してきたのか、その実態は把握していない。余命ブログを否定する記事を何本か閲覧してみた。ごく一部しか読んでいないので、あくまでも印象程度だが、読者の実名と住所を曝している(ブログ主が不手際を謝罪している)、寄付を集めておきながら使途の報告がなされていない、書籍販売など読者を金儲けに使っている、弁護士に対する懲戒請求をするよう読者を煽ったのに、自分は請求せず安全な所に隠れて無責任だ・・・ざっと記憶に残っているのはその程度だ。正直にいうと、私には、まるで訴訟などの法律関係の文章のように、難しく感じてしまった。どうも読解力が及ばない世界のようだ。

 懲戒請求に対する弁護士の記者会見もあり、余命ブログの注目度は、いい意味でも悪い意味でも高まってきているのだろう。あるアンチ余命ブログのタイトルだけを概観すると、保守的な傾向の方のように受け取れる。そのようなブログ主が余命ブログを徹底的に否定し、非難するのだから、余命ブログに共感している読者の間には、不安と混乱が拡がっているのではないかと想像している。もっとも、それが目的なのだろうという印象を持った。

 私自身は、初代のかず先生存命中からの読者である。よくありがちな、相手を非難し否定する論調の政治ブログとは異なり、いわゆるマスメディアが報じない隠れた実態を開示していることに興味を持った。捏造情報であれば、2チャンネルの掲示板などで即、叩かれるだろう。あくまでも事実を、第一発信者にならないよう慎重に開示していたと理解している。

 かず先生が他界された後を受け継いだ余命二代、三代・・・詳細は把握していないが、ある時点から突然、攻撃的になったという印象を受けたのを憶えている。集団通報、官邸メール、外患罪集団告発、そして現在話題の懲戒請求である。これら一連の行動が・・・多くの読者の共感行動を得たこれらの行動が、とりたてて何の効果も影響もないものであれば、冷笑・嘲笑され、放置されるだけだったのではないだろうか。個人的には、決起された皆さんの一連の行動は、いわゆる国家にとってのカウンターインテリジェンス効果をもたらし、日本を実効支配しようとしている勢力にとっては、はなはだ都合の悪い事態になりつつあるのではないだろうかと推測している。

 残念ながら私には、理路整然と矛盾を突いたり反駁できるだけの読解力がない。ただいえることはひとつだけある。

 何度も申し上げるが、言葉には外延と内包という両概念があり、理論の組み立てに卓越した能力を持つ人が操る言葉には、説得力があるように感じるのは自然だろうと思う。しかし、論理を超越した判断領域も存在する。印象や感覚・感性という非論理的な直感力や判断力を働かせることが、重要となる局面もあると思う。

 巧みに言葉を操っているが、その本質はなんなのかを体感することだ。つまり、相手の手法、ミス、不手際、失言などをひたすらあげつらい、不信感を醸成して不安や混乱を煽り立て、最終的には離反させてしまう人物かどうかを洞察することだ。そのような人物より、建設的な構想、具体的で生産的な行動、人を希望や理想に駆り立てる動機・・・これらを発信・提供している人物を、私は評価したい。

 どんな人間にだって、判断ミスや手違い、間違いはつきものではないだろうか。弁舌巧みに相手の非本質的な領域で、否定的な印象を醸成する言葉を繰り返す。その行動は、人々をどのような場所に誘導しようとしているのだろうか。・・・そのような視点を持ち、洞察に努めるなら、心の中の迷いや動揺、混乱が鎮静化し、さらには新たな確信が生まれるのではないかと、楽観的に考えている。

 最終的にどちらをどのように判断選択するかは、まったく個人の自由である。私は、何年もかけて個人や家庭に必要なインテリジェンスとは、どのような手法なのかを考えている。ようやくアウトラインが見えてきている程度である。しかし、特定の選択肢を断定的に相手に勧めるのではなく、あくまでもご自分で判断していただく上で有用と思われる情報を提供するまでで留める、とりうのが私の基本ポリシーである。

 改めて、情報戦争・プロパガンダ活動が明確に顕在化している時代になっていると実感している。大多数の賢明な皆さんの選択により、日本が平和で安全な国として存続するよう、心から願っている。


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# by hirune-neko | 2018-05-18 02:15 | インテリジェンス | Comments(6)



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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