昼寝ネコの雑記帳

将棋倶楽部24 VS 81Dojo


Obsessão/Não Me Diga Adeus/Pois E/A Flor E O Espinho - Maria Creuza


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 将棋の話題である。

 永年、将棋のインターネット対局場である「将棋倶楽部24」では、ずいぶん対戦させていただいている。本来、将棋は木製の将棋盤と駒さえあれば、どこでも指せるものだ。しかし、インターネット上での対戦となると、Javaがどうのこうの、ブラウザがどうのこうのという話になり、パソコンのOSにも関係してくるようだ。

 私はFirefoxという名のブラウザを使っている。しかし、このブラウザで開こうとすると、Javaに対応していないと表示される。そこで、macOSデフォルトのSafariというブラウザを使って、この道場にログインしている。

 この「将棋倶楽部24」が最近、大幅なデザイン変更を行い、かつ機能もかなり改善したようだ。その過渡期だったせいだと思うのだが、FirefoxでもSafariでもなかなかログインできなくなってしまった。将棋の先生に相談したら「81Dojo」という名前のインターネット将棋対局場を教えてもらった。早速、新規登録した。

 この「81Dojo」は、かなりユニークな将棋対局場で、日本語あるいは英語を最初に選択しなければならない。文字通り、世界中の将棋愛好家が、インターネットを辿って対戦しに来る。

 ハンドルネームの前に国旗が掲示される。私の場合は、名前は英語だが国旗は日本の日の丸である。ごく最近対戦した相手は、ハンドルネームの前に、フランス国旗が掲げられていた。もちろん、対局中に会話をすることはない。

 7級と表示されていたが、序盤からかなり熟考し難解な手を指す。前日は、2級の人と対局し余裕で勝ったので、7級のこのフランス人らしき人には、楽勝だったろうと思っていた。途中で何度も断線したが、海外からなので接続状況が悪いのだろうと思った。しかし、序盤から中盤にかけてのかなり重厚な応手に比べると、終盤に向けて徐々に崩れ、最終的には勝つことができた。

 対局中は夢中だったが、終わってみて何やら不自然な違和感が残った。つまり、序盤から中盤にかけての棋風は有段者かと思えるほどの内容だったにもかかわらず、中盤以降はかなり甘い手になってしまった。もしかしたら、横に将棋ソフトを置き、いわゆるソフト指しで対局したのではないだろうかと疑った。それほど強い相手だった。しかし、ソフト指しかどうかは、私には判断できない。

 一年ほど前に母が亡くなり、後始末で時間を取られた。後始末が終わったと思ったら、新しいiMacの動作不良で3ヶ月以上苦しめられた。さらには、最新OSに合わせて、周辺のアプリケーションを最新に更新したところ、作業環境ががらりと変わってしまい、通常の何倍もの時間がかかるようになってしまった。

 そんな状況だったので、遅延案件も累積しすっかり疲弊してしまった。将棋どころの騒ぎではない。しかし、ようやく作業環境が整ってきたので、脳のトレーニングのため、少しずつ将棋にも時間を取れるようになってきている。

 こうして、のんびりと将棋の話題でブログ記事をかけるなんて、なんて平和なんだろうと思う。一方で、東アジア情勢にアメリカやロシア絡み、予断が許さない状況になってきている。改めて、特に中国と韓国の国防動員法の概要を再確認したい。また、戦時国際法による、外国籍の人たちの扱いについても、きちんとした調査資料をまとめたいと思っている。

 先日、Google検索をしたときは、中国語のサイトしかヒットしなかった。しかし、昨日改めて検索し直したら、日本語の説明サイトがたくさん見つかった。十分な量だと思っている。少し時間はかかると思うが、有事環境を想定して国内法や戦時国際法、さらには特に中国及び韓国の国防動員法について、再調査したいと思っている。

 それにしても、いくつものブログで日本政府が、韓国の企業であるLINEを公的業務サービスに使用すると書かれていた。一体何が起きているのか、私には全く情報がない。こんな時期なのに、不思議な選択だという違和感はある。


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# by hirune-neko | 2017-06-05 01:16 | 現実的なお話し | Comments(0)

NOVAに行ってきた ・・・広告記事に非ず


Astor Piazzolla - Tango Blues (Campeón).wmv


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 初めて外国語学校に行ったのは、まだ大学生の時で、あれは日仏学院だったと思う。1回授業に出ただけで2回目からは行かなくなってしまった。なぜなのか、その理由は思い出せない。1クラスに50人以上の生徒がいたように記憶している。ただ遠くから、フランス語の授業を眺めているような雰囲気だったので、つまらなく思ったのかもしれない。

 あれ以来、外国語学校には全く縁のない生活を送ってきた。何度か書いたように、英語でレクチャーする機会が訪れそうな予感が強く、英語を学ぶことに飢餓感すら感じるようになってしまった。いろいろな方法があるのだとは思うが、マンツーマンで英語のレッスンを受けたいと思っている。調べてみたら、駅に行く途中にNOVAがあることを知り、数週間前に電話してみた。丁寧にレッスン内容や概要について教えてもらっていた。

 今日の夕方、直接説明を聞いて、雰囲気も見てみたいと思ったので、ふと思い立ちNOVAに電話した。電話に出た女性は、前回説明してくれたのと同じ人だった。説明会を開いてくれるというので、行くことにした。

 現在工事中のスーパー・マルエツのすぐそばにあるビルだった。思ったよりは小ぶりなスペースだったが、小さな部屋に通されいろいろ質問された。何十年か前には頻繁にアメリカやヨーロッパの国々に行き、ほとんど飛び込み同然で取引契約にこぎつけたが、長いブランクがあるのでもう一度、きちんと英語を使えるようになりたいと説明した。ボランティアで、英語を公用語とするミーティングに出席し、一般社会情勢について説明する機会がありそうなので、と付け加えた。

 本当に長いブランクがある。果たしてどの程度英語で対話できるか、試してみないとわからない。いささか自慢話になってしまうが、30数年前は友人のアメリカ人から「目を閉じて話すのだけを聞いていたら、ネイティブの人が話してるように聞こえる」と言われたことがある。私と話すアメリカ人の話すスピードは、全く普通のスピードだとも言われた。つまり、私が外国人だという認識をしていないのだと、彼はそういった。そんな思い出程度だが、英語に関する私の唯一の財産である。

 もう一つあった。アメリカで英語に対する自信を深めていたのだが、初めて英国に行き、ロンドンのヒースロー空港からタクシーに乗ったときは愕然とした。一瞬、タクシーのドライバーが何語をしゃべっているのかと思った。そこで思い出したのは、ミュージカルのマイフェア・レディで、イライザが口ずさむ歌だった。文章で表現すると、The rain in Spain stays mainly in the plaIn・・・これが、英国のコックニー訛りだと「ザ ライン イン スパイン スタイズ マインリー イン ザ プライン」と発音する。つまり、今日という意味のtodayは、トゥデイといわずに、トゥダイと発音する。万事がこのような音になってしまう。最初は英語に対する自信が完璧に崩壊してしまった。何度か行くうちにだんだん聞き取れるようになり、最終的には同じ英語でもカナダ人のアクセント、アメリカ・ウェストおよびイーストコーストのアクセント、テキサスのアクセント、黒人のアクセントなど、異なる国や地域の英語に対する適応能力が増したと思う。・・・説明会では、教師の国籍や学力・教養レベル・一般常識度などに対する確認をしたい、とまで言ってしまった。ずいぶん生意気で、扱いにくいじじいだと思ったことだろう。しかし、へんてこな言い回しや、無作法な英語を刷り込まれてはかなわないと思う。それは、当然のことではないだろうか。

 入学するには、最初に15分程度のレベルチェック・テストがあるという。大阪だったかの本部と、テレビ電話のような形式で行うらしい。果たして、どの程度のレベルだと判断されるか、心配でもあり楽しみでもある。

 時々ふと、自分の精神・心理状態を客観視することがある。明らかに私には、自分自身の小さな世界の中に閉じこもったまま、そこから出たくないという側面がある。こんな病名はないとは思うが、精神的閉所安堵症候群かもしれない。矛盾するようだが、今日のように家の外に出て、しかも新しい世界の入り口に入って行くときに、気持ちが高揚する。集中力と闘争心が湧き上がってくるのも感じる。

 人間は誰でも、複数の側面を持っていると思う。それらが相互に機能・干渉し合うことにより、その人の個性を構築していくのではないだろうか。お金をもらえば嬉しいとは思うが、幸か不幸か、私にとって金銭は絶対的な価値を持たない。使命感や達成感、あるいは他の人に感動や癒し・寛ぎを提供できたと思える時が、最も至福の瞬間である。

 1の位を四捨五入すれば70歳であり、心象イメージからすると、すでに3000年以上を生きている・・・と思い込んでいる。そのような視点から、あれこれの行動様式が生まれてくる。これはもうすでに、私の個性なので善し悪しは別として、引き続き大事にしていきたいと思う。

 (・・・実は、NOVAの説明会で、初級レベルから最上級レベル、つまりネイティブと対等にディベートできるレベルまでのテキストを見せてもらった。ここだけの内緒の話だが、最上級レベルのテキストは、活字を見るだけであればほぼパーフェクトに理解できた。ただ、耳で聞き取れて、自分の考えをそのレベルの英語で話せるかどうかというのは、全く別問題だ。おそらく、レベルチェック・テストを受けて、毎週一度通うことになると思う。まるで、小学生が遠足に行く前のような、楽しさとささやかな興奮を感じている。つくづく、人間は何歳になっても、やりたいことがあるというのは実に幸せなことだと思う。これは、周りの人たちには決して言えないのだが、フランス語のレッスンについても質問してみた。英語以外はオンラインのテレビ電話のようなレッスンがあるそうだ。月に一度のグループレッスンであれば、授業料はそんなに高くはない。フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語などがある。もちろん中国語と韓国語もあるそうだ。ロシア語、ヘブライ語、アラビア語について訊いてみたが、それはないそうだ。私に与えられているのは、あと何年生きる人生なのか、皆目わからない。人生で大切なのは、何を成し遂げたかだけではなく、何をやろうとし続けていたか、のような気がする。)


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# by hirune-neko | 2017-06-04 01:19 | 心の中のできごと | Comments(0)

今日は一日中、実務脳のまま終始していた


A House Is Not A Home ~ Eliane Elias


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 実務的なことで一日中を過ごしてしまうと、いざブログに向かっても何も思い浮かばない。自分が、実務能力と妄想能力のいずれにも中途半端なのかもしれないと、自信が揺らいでしまう。

 仕事が一段落したら、あるいは出張のついでに日程を一日延ばし、裏日本に足を運んでみたいと思っていたせいなのだろう。もともと、青空が広がり太陽が眩しく輝く地域よりは、どんよりとした雲が低く垂れ込め、太陽が見えないような場所に親近感を感じる。もうかなり以前のことだが、青森県の板柳町に行く機会が多かった。青森空港からバスに乗り、窓から空を見上げると一面が灰色の雲に覆われている。そんな景色しか記憶にない。しかし私にとっては、郷愁を感じさせられる景色だった。

 改めて思い起こし、比較してみると父方の祖父と、母方の祖父は対照的な人間だったと思う。

 父方の祖父は、私が生まれた頃から一緒に暮らしていた。私の事は可愛がってくれた記憶がある。しかし、腕には「大力」と刺青があった。毎日酒を呑み、北海道だったのでストーブに火が入ると、大きな瓶にどぶろくを作り、何重にも厚手の生地で巻いて、ストーブのそばに置いた。祖父は確か長男だったはずだ。同じ街に一番下の弟が住み、砂川には二人の弟が住んでいた。兄弟全員が大酒呑みだった。酒を呑むと大声を出し、テーブルをひっくり返すのは、日常茶飯事だった。大騒ぎになると、小さかった私は机の下に隠れ、両手で耳を塞いだ。

 小学校の低学年にもなっていなかったかもしれない。どうすればこの苦痛の喧騒を鎮めることができるか、幼い子どもなりにその方法を考えた。結論が思い浮かんだ。木製の野球バットで、大騒ぎする大人の頭を、思いっきり殴れば静かになるだろうと考えた。明らかに殺意を持ったのである。

 30代の前半、興味本位でカウンセリングを受けた。カウンセラーが、思い出したくない記憶を思い出して話せと言う。しばし考えて、その、酔っ払いを撲殺する決心について説明した。カウンセラーは驚き、幼い子供が殺意を持った私に深く同情を寄せてくれた。

 そんな家庭環境だったので、今にして思えば、父が寡黙であり感情を表面に出さなかったことがよく理解できる。いや、出そうにも出せない性格に育ってしまったのだ。その父は、私が大学一年生の時に癌を発症し、二年生の時に他界した。危篤状態になり、叔父が寮に電話してきたが、あの頃の私は奔放に外泊を重ね、とうとう父の死に目に会えなかった。父は亡くなる直前、私と話したがっていたらしい。

 一年半ほど前だったと思う。私が札幌の母の家に行った時、父の従姉妹が見舞いに来てくれた。祖父とはかなり歳の離れた一番下の弟の娘だ。したがって、私とは二歳しか違わない。雑談の中で、私の父が祖父の実の子どもではない、と彼女は言った。さらに驚いたことに、祖父と祖母は生地の秋田にいられなくなり、北海道の室蘭に逃げてきたと言う。一瞬、言葉を失った母と私は、お互いに目を見合わせた。母ですら知らなかった、いわば隠された世界だった。

 長い間、祖父と父を観察し、無意識のうちに比較していたようだ。子ども心に、その二人に対しそれぞれ相容れない異質なものを感じ取っていた。家族なのに、という違和感を感じていた。したがって、父の従姉妹のその言葉を聞いたとき、私はなぜか得心することができた。やはり、あの二人には血のつながりがなかった、思った通りだ、と納得したのである。

 私は、毎日酒を呑み若い頃から仕事をしなくなった祖父に対し、ある種の忌避感を感じていた。一方で、父に対しては、無邪気に接することのできない自分がいた。これはある意味で、私の心象風景を複雑にしていた原因なのではないだろうか。

 あの日以来、私の記憶には埋めることのできない空白ができてしまった。既に他界している父の、実の両親とはどのような人たちだったのだろうか。どのような経緯で、父は実の両親と離れることになったのだろうか。遠く過ぎ去ってしまった今では、すっかり濃い霧に閉ざされてしまっている。もうおよそ約一世紀前の出来事なので、何も資料は残っていないだろうし、当時のいきさつを知る人は存在していないだろう。従姉妹がその時、自分の弟がいろいろな話を、父から聞いていると言った。

 今日短時間だが、父の生い立ちについて、ふと考えていた。手がかりは何もないと思うのだが、当時の戸籍謄本を頼りに、一度秋田の地に行ってみたいという気持ちは、まだ消えていない。いつか秋田に行って、父の痕跡を探してみたいと思っている。あの時そんなことを言ったら、従姉妹は一笑に付した。本当に笑いながら、「あんた今頃そんなこと調べて、何になるのさ」、と言った。こればかりは、メンタリティーの違いなので、議論しても始まらないことだ。

 亡くなって今は存在しない父に対し、そのような感情を持つことだけでも、父が喜んでくれていることが分かる。

 母方の父は、青森県の五所川原の生まれだ。太宰治と同じ場所であり、しかもほぼ同年代である。その祖父は、かなり優秀な人間だったようで、今でも室蘭には日本製鋼所という会社があるが、三十代の若さで工場長になり、働きすぎによる過労が原因で、四十歳前に他界した。母の苦難の人生はそこから始まった。母からはよく、祖父のことを聞かされた。母が十四歳の頃に他界しているので、もちろん私は一面識もない。しかし、母の描写する祖父の姿は、親近感と一緒に記憶に残り続けている。

 私はなぜ自分が、既に他界した人たちのことを、遠く離れて住んでいる生きた人間よりも身近に感じるのか、不思議なことだがその理由は分からない。

 津軽の空とはまた違う空が、秋田には広がっていると思う。たとえ何も痕跡を見つけることができなくても、父が生まれ住んだであろう土地の空気を吸うことだけで、満足できるのではないかと思う。

 存在感の薄いまま、人生を閉じた父だったが、架空の伝記として文章の中に、せめてその心象風景を再生してやりたいと、ぼんやり思い巡らしている。


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# by hirune-neko | 2017-06-03 00:28 | 心の中のできごと | Comments(0)

有限のものを無限だと思い込んでいるのかもしれない


O isis und Osiris- Kurt Moll


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 冷静に考えると、誰にとっても1日は24時間であり、人生だって無限に続くはずがない。着想があっても、それを実現するには能力の限界と戦いながら、時間をかけて試行錯誤することが要求される。つまり、アイデアを思いついたからといって、即座に実現することなどあり得ない。

 私は、果たしてその厳然たる事実を、ちゃんとわきまえているのだろうか。ん〜・・・どうも怪しい。では、私は無謀なのだろうか。もしかしたら、達成できないようなことを、できると思い込んで追いかけていないだろうか。
 しかし、無理だと思って諦めた瞬間に、可能性はゼロになってしまう。可能性が僅か数パーセントであっても、諦めずに努力を継続していれば、状況が好転するかもしれない。そのような状況が起きるまでは、誰にも予測できないことだ。

 目の前のことに集中し、夢中になっているときは感じることはないが、疲労が濃くなって中断したときには、そのような葛藤が渦巻いてしまう。自信が揺らぐときは、いっそのこと人間を辞めてネコに戻り、昼寝三昧の生活に浸ろうかと考えることもある。一方で、せっかく人間として生きて来たのだから、目的地まで到達し、その後は仕事を人に任せて、作家もどきの生活を送ろう・・・改めて歴史や文学・語学を学び直し、素材を求めて世界各地を巡る晩年を送りたい・・・ほら、ここに既に矛盾があるではないか。

 くたびれ果てた身で長時間飛行機に乗り、時差のある状態でキエフ?ポーランド?ノルウェイにデンマーク?その頃には、ホテルに辿り着くのがやっとで、現地で3日も寝たきり状態になるのは目に見えている。やはり私は、有限と無限の境界線を現実的に捉えられていないのだと思う。

 脳内のイメージは現実化できると感じる・・・さて、それは妄想なのだろうか。はたまた、神聖な示現を受けているのだろうか。自分自身を客観的に評価して・・・そういえば推敲を手伝った論文の中に、心理学用語の「dissociation」(解離)と「depersonalization」(離人症)という言葉が出てきた。さらには、「dissociative identity disorder」(解離性同一性障害)、 「multiple personality disorder」(多種人格障害)という言葉も出てきたが、心理学的に自己分析しても始まらないと思う。

 いずれにしても、私を一番熟知しているのは自分自身だし、もし現実に背中を向けて隠遁生活に入ってしまったら、後に強烈な自己嫌悪を感じるだろうことも容易に予測がつく。

 つくづく因果な性格だと思う。しかし、私の信条なのだが、苦難の道程であっても、歯を食いしばってひたすら歩き続けていれば、いつかどこかで思いがけない助力が得られるものだと思っている。

 このブログ記事を書いている最中に、知人から連絡があった。私が英語で、インテリジェンスに関するレクチャーをすることになる可能性が高いため、マンツーマンで英語を教えてくれる人を探していることを知って、いろいろな人に声をかけてくれていた。埼玉県在住で、翻訳経験もある東大出の優秀な女性だそうだ。なんと、ボランティアで引き受けてくれると言っているらしい。そんな訳にはいかないが、でも、こんな風に救いの手が差し伸べられるのを目の当たりにすると、現金なものでやる気も回復してくる。

 複雑、ときどき単純の、単細胞人間である。


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# by hirune-neko | 2017-06-02 01:11 | 心の中のできごと | Comments(0)

モノクロ無声映画のような幻想世界


Nostalghia(1983)/ Andrei Tarkovsky / BWV853


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 昨日の渾身の推敲作業が功を奏したらしく、かなり集中力が回復した実感がある。やはり、ある程度の負荷は、人間にとって必要な要素なのだと改めて認識した。

 仕事が終盤に差し掛かった夕方近く、美容室gigue(ジーグ)の店長さんから電話があった。お店が休みの日は、デジタルではなく、フィルムのカメラを下げて、撮影目的であちこちを徘徊しているらしい。以前、作品の1枚を借りて短編ストーリーを作り、このブログに掲載したことがある。いつか、フォトジェニック・ストーリーというコンセプトで、共同で出版しようと持ちかけている。

 彼女の作品である写真と対面し、そこから流れ出てくるストーリーを文章にするのが私の仕事だ。いつになるかはわからないが、トライしてみたいジャンルなので、楽しみにしている。

 彼女は、昼寝ネコの画を描いてくれている、カトリーヌ・笠井さんと一緒に、美容室を切り盛りしている。私自身は、単行本を1冊しか刊行していないが、そもそものきっかけは、この店長さんであり、カトリーヌ・笠井さんに作画を頼んでくれた。いわば、単行本・昼寝ネコの雑記帳の生みの親である。

 撮影した写真作品がかなり増えてきたらしく、美容室の公式サイトに掲示したいという相談の電話だった。Dropboxに共有しているフォルダに、6枚の画像をアップしたので、掲載してほしいと言う。

 フォルダを開いてみたら、なんと、Bill Evansの顔が写し出されていた。私は高校生の頃から、もう半世紀もBill Evansを聴いているが、彼女も最近はかなり聴いているそうだ。その作品は、Bill Evansの顔と風景を合成したもので、特殊な技術を使っているそうだ。写真学校や専門家に習わなければ、使えない技術らしい。

 写真説明のキャプションもなしに、ただ羅列してほしいと言う。羅列するだけなら、こんな容易な作業はない。しかし、それではあまりにも殺風景ではないのかと思ったので、思いついた案を提案してみた。

 例えば、Bill Evansが写っている写真の下に、曲のタイトルをキャプションのように設置し、クリックしたらYouTubeでその曲を聴ける・ ・ ・これはなかなかいいのではないかと提案した。了解を得て、試作してみた。選んだ曲は、My Foolish Heart・ ・ ・直訳すれば、「愚かななりし我が心」とでもなるだろうか。ずっと昔、全盛期の頃の大橋巨泉さんが、ラジオ番組でこの曲を日本語に翻訳した。それは「私バカよね、おバカさんよね」だった・・・いや、それは私の記憶違いだ。Billie Holidayが歌うI’m a Fool to Want youという曲を、このように訳した。言うまでもなく、演歌曲である。

 6枚の画像ごとに音楽を選び、設置してみた。選んだのは、Bill EvansやShirly Hornなど、Piazzollaを含む6人のアーティストになった。なかなかいい雰囲気のページになった。

 しかし、どうも何か物足りない。よせばいいのに、仕事そっちのけで、脳内での試行錯誤が始まった。せっかく芸術作品の画像があり、そのイメージを深める音楽も揃った。それに加えて、何行かのちょっとした文章があった方が良いのではないだろうか、と確信してしまった。

 記憶の彼方から蘇ったのは、ペルシャの詩人、オマル・ハイヤームの、ルバイヤート(四行詩)だった。記憶があやふやだったので、ウィキペディアで調べてみたら以下のように書かれていた。

 無常観が言葉の端々に表れるペルシア語によるルバーイイ(四行詩)を多数うたい、詩人としても高い評価を得ていた。彼のルバーイイを集めた作品集は『ルバイヤート』として、故地イランのみならず、各国で翻訳され出版されている。

 かくして、店長さんの写真作品とイメージの合う音楽を選定し、さらには、数行の文章を書き加えることで、脳内にさらなるイメージを結んでいただきたいと考えた。

 もともと自覚していることだが、私は現実世界と幻想世界を行ったり来たりしている。そんな私なので、このような依頼案件は、まさに自分の世界をそのまま表現するに等しいと感じる。

 実際にどのように仕上がっているかに興味を持たれた方は、以下にこの美容室のURLを掲載するので、是非訪問していただきたい。開かれるトップページの後半に「店長suzukiのフォトストーリー」というタイトルがあり、その下に6点の写真の作品が掲載されている。所在場所は、小田急多摩線栗平駅徒歩7分の所である。30年近く、東京世田谷・経堂で店を開いていたが、去年だったか、今の場所に移転している。・・・昼寝ネコのブログの読者だとおっしゃれば、何かサービスがあるかもしれない。・・・保証はできないが。

【美容室・gigue(ジーグ)の公式サイト】

【美容室・gigue(ジーグ)のFacebbok】
 https://www.facebook.com/gigue.saloon.jp/
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       by 美容室gugie(ジーグ)店長・Suzuki


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# by hirune-neko | 2017-06-01 01:15 | 創作への道 | Comments(2)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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