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昼寝ネコの雑記帳

帰り来ぬ青春時代から聞こえるラ・ボエーム

Charles Aznavour - La Boheme
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 昨日の、童謡・シャンソン歌手の大庭照子さんに関する記事「珍しく、横浜関内までコンサートに出かけた」を、童謡館の理事長さんにお送りした。誤った記述内容があるといけないと考え、確認をお願いした。

 返信メールをいただき、大庭照子さんからのメッセージを受け取った。2カ所を修正することになったが、最後の部分に、このように書かれていた。

 「今回のメールでまたまた新たな力が湧いてきました。7月頃、ハーバーズダイニングでパリ祭によせてのシャンソンコンサートをやろうと企画を進めております。
是非ラボエームを歌っていただけませんか。夢が広がります。」

 思わず声を上げて笑ってしまった。なんて博愛精神の豊富な方なのだろうか。私がステージに立って歌ったら、お客さんからは「金返せ!」の大合唱になるだろう。

 そこで、以下のように返信した。

 「なお、マ・ヴィーでラ・ボエームを歌ったということに関連し、大庭先生には大変な博愛精神をお示しいただきましたが、あれはもう、40年ほど前の出来事であり、今ではボサノヴァを歌うのがやっとの状態です。お言葉は大変有難く頂戴しますが、どうぞご放念ください。」

 過去に、声楽は故・宮本良平先生、坂本博士先生、坂本秀明先生に師事したことがある。大庭照子さんは坂本博士先生とのご縁がある方なので、私ともある意味ではちょっとした細いつながりがあることになる。


 アズナヴールのラ・ボエームを初めて聴いたのは、もう50年近く前のことだ。改めて、当時のことを懐かしく思い巡らせた。ラ・ボエームも、帰り来ぬ青春も、似たような心情を歌っているのだと思う。帰り来ぬ青春の、フランス語のタイトルは Hier Encore(過ぎ去りし日よ再び・昼寝ネコ訳)で、英語のはYesterday When I Was Youngである。ラ・ボエームにも、帰り来ぬ青春にも、両方とも遙か彼方に過ぎ去った、二十歳の頃を懐かしむ、という表現がある。

 今の私の年齢や、ほろ苦い思い出の多い人生を振り返ると、現在の私にこそふさわしい内容の歌詞だと思ったので、改めて日本語の歌詞を探してみた。以前も何かでご紹介したことのあるブログ「朝倉ノニーの<歌物語」に掲載されている邦訳が、なかなかいいなと思った。http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-325.html

 そこで、なにを血迷ったか、フランス語と日本語の対訳資料を作成してしまった。アズナヴールの歌を聴きながら、フランス語の発音を確認し、日本語で意味を味わうためだ。・・・で、一体何のために?

 いや、別に具体的な目的は何もない。ただ、1曲ぐらい暗譜し、フランス語で歌えるレパートリーがあってもいいのではないかと思っただけだ。・・・で、どこで歌う気なのだろうか。ハハハ、特訓して、パリ祭のシャンソンコンサートにエントリーするだなんていう考えがある訳ではない。

 オペラのアリアや古典歌曲は、声で聴かせるように感じる。しかし、シャンソンやピアソラ曲のオラシオ・フェレールの歌詞などは、文字通り語り聴かせる歌だと思う。いかに聴き手の心に訴えかけるか、という歌唱法だと思う。これまでにシャンソンは習ったことがないが、上記の朝倉ノニーさんは、フランス語でシャンソンを歌う会を主宰されている。いつか仕事が一段落し、体力と気力が残っていたら、そのサロンを覗いてみようかな、思ったりしている。

 以下は、目的不明で作成した、ラ・ボエームの仏日対訳表である。どうも、興味があることには、ついつい時間を費やしてしまう。悪い癖だとは思うが、他に楽しみが無いので、許容範囲内だと思うようにしたい。

【ラ・ボエームフランス語・日本語対訳表】
帰り来ぬ青春時代から聞こえるラ・ボエーム_c0115242_02151881.jpg
帰り来ぬ青春時代から聞こえるラ・ボエーム_c0115242_02152908.jpg

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# by hirune-neko | 2019-02-05 02:17 | 心の中のできごと | Comments(0)

珍しく、横浜関内までコンサートに出かけた

 
私の人生 - 大庭照子
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 私には麻雀仲間とか、将棋やカラオケ仲間などは存在せず、ひたすら孤高(笑)の私生活だが、家内はコーラス仲間とか、娘のバレエ時代のお母さん仲間とか、とにかく交遊範囲が広い

 以前から、コーラス仲間の皆さんに誘われて、童謡とシャンソンを歌われる、大庭照子さんのステージを聴きに行ったことは、何度も聞いていた。石井好子さんの跡を受けてパリ祭を主催していたとか、いろいろご苦労されたような話を漏れ聞いていた。なんでも、平成元年10月10日に阿蘇で童謡ピクニックを開催し、阿蘇発の童謡運動を始めたそうだが、再構築・再挑戦のため、70歳になってから童謡普及の事務所を立ち上げたとか、とにかくバイタリティ溢れる方だと思っていた。

 たまたま、関内でシャンソンを歌うステージがあると言われた。いつも自閉気味で引きこもりのような毎日なので、たまには生のシャンソンを聴くのもいいなと思い、行く気になった。ところが、申し込んでから、シャンソンではなく童謡のステージだということが分かった。もうすでに申し込んだ後だったので、キャンセルするのも申し訳ないと思った。それにしても、長時間に渡って童謡を聴かされるのかと考えただけで、私の心は動揺した。(笑)

 でもまあ、たまには童心に返り、心のどこかに残っているかもしれない、無邪気さを探してみようと思った。

 関内駅から歩いて会場に向かった。途中で道に迷い、トヨタレンタのカウンターで調べてもらった。どうやらテレビ神奈川のビルの中らしい。

 なんとか探し当てたが、テレビ神奈川と並んで、神奈川新聞の名前があった。おお、かの有名な神奈川新聞か、という不思議な出会いだった。

 ステージは1時間半程度だっただろうか。童謡のソロだけかと思ったら、教え子の小さな子どもたちがステージに立ち、数曲披露した。ヴァイオリン演奏の飛び入りもあった。元NHKラジオ深夜便のナレーターの方が紹介された。大庭照子さん曰く、童謡だけでなく、朗読教室も開きたいそうだ。へえ、朗読なら習ってみたいなと、また悪い癖が出て、興味を持ってしまった。なんでも、日本童謡学会なるものができて、名誉理事を引き受けたとか、とにかく80歳とは思えない積極性溢れる方だった。

 なんと、国歌である君が代も歌われた。君が代が本来の意味をねじ曲げられて、戦争に引き込むための歌だとか非難され、大変な扱いをされたが、いずれ何かの機会に、君が代の歴史的背景を話したい、と仰った。おや、なかなか保守的な考えの方なのだなと思った。

 子どもに対する心からの純粋な愛情、国家に対する愛国の情、一人ひとりに対する細やかな気遣い、教育者としての不屈の精神、頭の回転の速さなどを感じさせるステージだった。大庭さんの歌からは、安心して聴ける人格、寛容さが伝わってきた。ステージが終わってみると、心が洗われるような爽快感が残っていた。

 終演後、出口の所で見送りの挨拶をしていらっしゃったので、何かひと言お礼の言葉をお伝えしようと思ったら、横から家内のコーラス仲間の方が、「とても感動されたそうですよ」と代弁してくれた。言おうと思ったことを言われてしまい、言葉を失った私は、とんでもない誤解を招くことを言ってしまった。

 「遙か昔のことですが、銀座の日高なみさんのお店(マ・ヴィー)と蛙たち(両方ともシャンソニエ)によく行ってました。パリ祭の時、マ・ヴィーで歌ったんですが、フランス語で歌ったのに、今のは中国語ですか?と言われてしまったんですよ。アハハ」・・・大庭さんの表情が、一瞬固まってしまったように見えた。

 完全に言葉足らずの表現だった。この言い方では、まるで私が名も無いシャンソン歌手であり、かつては銀座のシャンソニエで歌っていたかのように聞こえただろう。40年ほど前の当時、マ・ヴィーでは、パリ祭の日は特別にお客さんが歌わせてもらえた。当時は毎日のようにアズナヴールを聴いていたので、ピアノ伴奏で「ラ・ボエーム」を歌った、というのが実際の経緯だった。歌手でもなんでもない。

 大学生の時、フランス語の授業で、朝倉季雄先生が私のフランス語をお聞きになり、「キミはフランスに住んだことがありますか?」と仰った。とても嬉しくて、フランス語の発音にはすっかり自信がついたというのに、今のは中国語ですか?と言われてしまい、奈落の底に突き落とされた心境だった。

 いろいろ学ばせていただき、また自分自身の視野にも、童謡を入れるべきだという発見があったので嬉しかった。

【参考資料】
大庭照子プロフィール
熊本出身。
 フェリス女学院短期大学音楽科卒業。三宅春惠氏に師事。二期会研究科を経てポピュラー音楽に転向。1967年日本シャンソンコンクール入賞。1971年にNHK“みんなの歌”で「小さな木の実」がヒット。この年より全国各地でスクールコンサートを開催し、今までにのべ3000校以上をまわる。

 日本青年会議所主催の「青年の船」の音楽講師を10年間務めた他、外国アーティストの招聘やシャンソンの祭典「パリ祭」の主催、「全国童謡・唱歌サミット」を開催するなど多彩に活動。2000年よりキングラン㈱主催の老人保健施設、病院コンサートで全国をまわっている。

 1987年第17回日本童謡賞特別賞、1988年第1回下總皖一音楽賞(演奏部門)、1995年第35回久留島武彦賞(個人賞)、2001年くまもと県民文化賞の各賞を受賞。現在NPO法人日本国際童謡館館長、日本ペンクラブ会員、JASRAC会員。キングレコード専属。

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# by hirune-neko | 2019-02-04 00:17 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

たまにはスランプ状態に陥ることもある


08 Remembrance - Astor Piazzolla
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 ささいなことではあるが、発端はプリンターの不調だった。絵本を受け取った方が、産婦人科の院長先生に感想を書き送る、受領葉書の在庫が切れてしまった。通常は種々の印刷物1年分を印刷会社に委託しているのだが、在庫が切れると自分で作らなければならない。

 ところがどういう訳か、紙にインクの汚れが出てしまう。メーカーのサポートに電話し、解決したかに見えたのだが、また再発した。印刷速度や紙の種類の組み合わせを変えたり、データのアプリケーションも変更したりで、すっかり時間をロスしてしまった。

 おまけに、年末年始は製本屋さんのお休みの関係で、2週間のブランクがあったため、絵本が届かない、いつになるのか、という問い合わせが何件もあった。製本上のトラブルに対するクレームも発生し、いつになく対応時間が長くなってしまった。

 精神に疾患を抱え、家族関係に問題がある方々が、ときどき連絡してくることがある。今日は、よりによって時間に追われながら処置している最中に、電話があった。我慢していたが声を聞きたくなった、どうしていいか分からないので解決方法を教えてほしい、と言われるとむげに電話を切ることもできない。正直言って、過密なスケジュールのときの傾聴カウンセリングは、なかなか辛いものだ。

 スランプ状態の時は、まだまだ未熟なので、ついつい甘いものに手が出てしまう。今日は外出する気力が無かったので、冷蔵庫からサツマイモ1本を取り出し、皮を削り取って輪切りにした。フライパンにココナツオイルを流して、こんがりと焼いた。そのせいか、少し気持ちが落ち着いた。

 集中力も低下してしまい、将棋ソフトの3級相手にボロ負けが連続した。そんなやれやれの状態の時は、受け付ける音楽も限られるようだ。あれもこれも聴く気になれず、ようやくピアソラのRemembrance(思い出)に落ち着いた。

 でもこうしてブログに向かい、あるのままの気持ちを赤裸々に書いているうちに、少しずつ生きる気力が蘇生してきた。追いつめられた人間が自暴自棄になって、テロ行為に走る心情を垣間見たような気もした。

 そういえば昨晩、世界中から短編作品を公募している団体の、日本担当者の方からメールが届いた。外国人の方なので、ちょっと不思議な表現だが、以下のように書かれていた。
 「長く返事しなくて申し訳ありません。最初の(日本)ラウンドの評価者は日本人です。まだ評価中ですが、昼寝ネコさんの小説は高く評価されるそうです。特に『彼方から蘇る記憶』。上の幾つかの小説を英語に翻訳して、それで国際ラウンドに進みます。後に正式な結論を報告します。」

 そうか、高く評価してくれているのか、と、素直に嬉しく思った。3作応募したので、ひとつでも予選を通過してくれればいいのだが。

 自分の人生を改めて振り返るまでもなく、決して平坦ではなく、順風満帆でもなかった。波瀾万丈、紆余曲折、試行錯誤の道程だったと思う。その結果として、いろいろな人生の人たちを知り、考えさせられた。知らず知らず、高校生時代から今日に至るまで、作品のエッセンスとなる断片が、自分の精神世界に蓄積されてきているのだろうという気がしている。

 とりとめのない心象を、こうして文章で表現するうちに、ようやく思考力が戻ってきたようだ。まだまだ訓練の足りない未熟さを感じているが、それも自分の一部だと思う。

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# by hirune-neko | 2019-02-02 23:51 | 心の中のできごと | Comments(0)

今日の雑感あれこれから脱線まで

Estate
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 あっという間に1月を通り過ぎた。昨日は月末で木曜日だった。

 朝から数時間、振り込み作業にかかりきった。視力が低下しているので、何度も数字を確認するので、集中力を維持するのに苦労した。

 毎週木曜日は、印刷を終えた絵本の原稿を製本屋さんに届け、製本を終えた絵本を引き取る。昨日はそれに加え、びく抜き(型抜き)を終えた絵本用のパッケージ1200枚を引き取りに、びく抜き屋さんまで往復した。一人で行こうとしたら、私が一人で運転するのが心配だということで、両方とも次男が同乗してくれた・・・同情してくれたというべきかも。

 紙製品は重い。私にしては脳と身体の両方を、普段より酷使したせいか、夜までずっと、断続的に睡魔に襲われ、酷いコンディションだった。真の原因は、ここ数日歩けない日が続いていたからだと思う。

 かなり以前、ログインを何度か失敗したため、三菱UFJ銀行のネット口座がロックされてしまっていた。最近、コンビニで残高確認を試したら、暗証番号は正しいことが分かった。試しに夜の時間帯に、三菱UFJ銀行の口座に、ジャパンネット銀行から送金してみたら、直後にちゃんと入金されていた。デビットカードも使えたので、ロック解除のため、二子玉川の支店に行くことにした。電車で二駅だが、行きは歩くことにした。約2700歩だったが、今日は眠気もなく、心地いい疲労感を感じるだけだ。やはり、歩くことは健康を維持する基本だと思った次第だ。

 昨晩、家の前まで到着したら闇の中から声が聞こえた。見ると、以前アラーム用の音楽が鳴り響き、様子がおかしいので警察に電話した、例のおばあさんだった。格子のフェンスの向こう側に建つアパートで一人暮らしの方だ。数年前にご主人が他界され、生活保護を受けながら独りで暮らしていると聞いている。

 ビニールの袋をふたつぶら下げ、足を引きずっている。ゴミ袋だという。捨ててあげますよ、と言ったものの、アパート用のゴミ捨て場がどこにあるのか分からない。結局は私が袋を持ち、二人でゆっくりとした足取りで、ステンレス製のゴミ捨て容器まで歩いた。

 以前渡した電話番号を持っていますか?と訊いたが、返事がない。また電話番号をお持ちしますので、いつでも困ったときは電話してください、と言って別れた。

 今日の午後、隣のおばあさんに電話番号を届けた。玄関のドアをノックしても、耳が遠いので、裏に回り窓ガラスを叩いて訪問を知らせた。紙に大きい字で電話番号を書き、困ったときは何時でも構わないから、遠慮なく電話してください、と書き添えて渡した。嬉しそうな表情だった。

 午後の遅い時間にパンケーキを焼いて食べようと思い立った。残っていた豆乳で粉を溶いて焼くことにしたが、今日はシナモンを入れて焼こうと考えた。もう何年も前に「ブエノスアイレスのマリア」と命名した、レシピである。

 パンケーキを焼きながら、おばあさんにも焼きたてを届けてあげようと思ったので、紙皿に二切れ載せてラップでくるんだ。網戸と窓ガラス越しに、こたつに入ってテレビを観ている姿が見えた。窓をノックすると、私が手に紙皿を持っているのを見て、何か期待するような表情で窓を開けてくれた。パンケーキを食べられるというので、まだ温かいうちにどうぞ、と伝えた。また笑顔を見ることができた。心からの笑顔を見ると、こちらも嬉しくなる。

 自画自賛になるが、シナモンパウダーをたっぷり入れたパンケーキ「ブエノスアイレスのマリア」は、なかなかの逸品だった。

 実は秘密の内緒の話なのだが、そっとお伝えさせていただく。今日、電話番号を届けた後、おばあさんのことをGoogle検索してみた。するととんでもないことが分かった。亡くなったご主人の資産を、おばあさんが相続していたのだが、それは、とんでもない資産だった。

 銀河系の遙か彼方に存在する惑星があるという。とても小さな星だが、地球とうり二つで、清冽な水と青々とした樹木、澄んだ空気に溢れているらしい。野生の動物はすべておっとりとしており、初対面の人間にも警戒心を抱かず、すぐになつくという。そんな楽園のような惑星を、亡くなったご主人が取得していたようだ。

 おばあさんには、子どもがいないそうだ。私が親切にしてあげたら気を許し、もしかしたらその惑星を、私に遺してくれる気になるのではないだろうか。どうやら押し入れの奥には、地球からその惑星に瞬間移動できる機材をしまっているらしいことも分かった。

 そんなこんなの打算と計算により、とりあえずパンケーキ二切れをお持ちした次第だ。この地球を離れて、まるで楽園のような惑星に逃れられるのなら、パンケーキでもトイレ掃除でも、なんでもしてあげようという気になってしまった。

 もし私がある日を境に、忽然と姿を消してしまったら、その惑星でのんびり生きていると思っていただきたい。そして、インターネットならぬ宇宙ネットが、地球のネット環境に接続できるようだったら、彼方の惑星から引き続きブログを更新し、近況をお伝えすることにしたい。

 ・・・ちょっと頭が回転し出すと、すぐにとんでもない妄想が駆け巡ってしまうので、困ったものだ。

【参考資料】
秘伝のパンケーキ「マリア・デ・ブエノス・アイレス」
2018年03月14日の記事(オリジナル記事:2011年10月9日)

【読者特別プレゼント】
 ご希望の方には、この秘伝のパンケーキ「マリア・デ・ブエノス・アイレス」を、3名様に期間限定(寒い期間のみ)で、ゆうパックでお送りさせていただく。ただし、お一人様1枚の限定とさせていただく。レンジで1分20秒程度温めれば、ほぼできたてのパンケーキが再現されると思う。Made by hirune-nekoであることを保証させていただく。口に入るものなので、私のことを無邪気に信頼できない方は、応募されないようお勧めする。

 ただし応募者多数の場合は、厳正なる抽選で選ばせていただく。もし、このパンケーキを食べられないと、精神疾患になりそうだ、などの特殊事情がおありになる方は、別途ご相談いただきたい。

 使用する粉は「日清 ホットケーキミックス 極もち 国内麦小麦粉100%使用 日清フーズ」と、一般市販されている、森永か明治の牛乳およびシナモンパウダーのみである。焼くのに使用するオイルは、ナチュレオ 天然100% ココナッツオイル」・・・とまあ、全て私の嗜好で作らせていただく。

 お申し込み締め切りは、2019年2月8日(金)までとさせていただく。応募方法はとくに決めていないので、私宛に直接メールでお申し込みいただきたい。受付の返信メールをお送りする。
・応募先:hirune-neko@crossroads.co.jp 昼寝ネコ
・記載必要事項
  →秘伝のパンケーキ希望
  →ご氏名
  →居住都道府県名
  →メールアドレス
・当選された方には、メールでご連絡させていただくので、その際にお届け先のご住所と電話番号を教えていただきたい。

 ・・・なんだか話題がヘンテコな内容になってしまったが、たまにはご愛敬だと笑っていただきたい。

(この粉で作ります)
今日の雑感あれこれから脱線まで_c0115242_00092014.jpg
(このオイルで焼き上げます)
今日の雑感あれこれから脱線まで_c0115242_00090694.jpg
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# by hirune-neko | 2019-02-02 00:23 | 心の中のできごと | Comments(2)

シリーズ新作 日本アラカルト[時代の行方22・神の軍勢]

Bill Evans - Quiet Light
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 以前ご紹介したことのある、国を擬人化して登場させる作品の、最新作が公開された。

 タイトルは、日本アラカルト[時代の行方22・神の軍勢]である。前書きを以下にご紹介させていただく。

(前書きの引用開始)

 1月30日は、日英同盟締結記念日です。
 平成31年、西暦2019年の今年は、西暦1902年日英同盟が締結されてから117年が過ぎました。
 今年、1月10日に、日英共同宣言が締結されました。日英軍事同盟と同等の宣言だと見做されています。

 1月30日、この記念の日に、本作品を投稿したく執筆を続けていたのですが、何とか願いが叶いました。
 かなりの長文であり、ニュース記事も多数引用しています。アフタヌーンティーなど楽しみながら、休み休み閲覧ください。
 
 尚、日米同盟に関するアメリカ合衆国・アルフレッドの科白は、軍事評論家小川和久氏のYouTubeより拝借しました。

(前書きの引用終了)

 最近の東アジア情勢の、急激な変化を反映してなのか、かなりの量の公開情報を引用し、現状分析や歴史的背景も視野に入れた力作である。いろいろな視点からの考察も加えられており、日本、アメリカ、イギリスを中心とする、それぞれの国の立ち位置を疑似体験できる。国際時事を俯瞰するには、貴重な資料だと思い、お薦めする次第だ。

 ブログ・徒然なるままにの、ブログ主の作品である。

【日本アラカルト[時代の行方22・神の軍勢]】

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# by hirune-neko | 2019-01-31 22:42 | インテリジェンス | Comments(2)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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