昼寝ネコの雑記帳

ビル・エバンスのCDが届きました

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自宅のPCには、ビル・エバンスのアルバムが
何枚か保存されています。
札幌に来てからの約一ヶ月は、
音楽とまったく無縁な生活を送っていました。
忙しさだけが、
創作意欲が湧かない原因だったのではなく、
実は音楽にまったく接していなかったからだと、
ようやく気づきました。
で、三男に依頼し、コピーしてCDを送ってもらいました。
同時に、skype用のヘッドセットも到着しましたので、
数日前からビル・エバンスの
「I will say goodbye」を聞いています。
それと、youtubeに登録してあるplay listで、
シャルル・アズナブールやミシェル・ルグラン、
アシュトール・ピアソラも見事に復活です。
シロの声はときどき電話口から洩れ聞こえるぐらいで
ハグできないのがちょっと寂しいのですが、でも、
好きな音楽に包まれるというのは、
ある種の安心感があるものです。

何かを創作するためには、
心の中にあるもの、心が敏感に感じ取るもの
それらを時間をかけて発酵させるような
気長なプロセスが必要だと
そう思うものですから、
限られた人生の限られた時間・空間では
良き刺激を受けられる
環境やお付き合いを大切にしたいなと
改めて思っています・・・
睡眠も大事だということは重々自覚しています。

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# by hirune-neko | 2007-11-11 00:48 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)

盤上の女流ネコ棋士

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    (画はなんといってもカトリ〜ヌ・笠井さんなんです)
 西日暮里から道灌山下を過ぎてほどなく、団子坂下から団子坂上に向かって少し急勾配の坂道を上って行くと、右手に昭和初期に開店したという団子屋がある。生地が秘伝だそうで、「すあま」のような「求肥」(ぎゅうひ)のような、あるいは「外郎」(ういろう)のような捉えどころのない不思議な食感である。
 「まぶしもの」はそう多くはなく、こしあん、粒あん、白あん、ずんだ、さくらあんという素朴なものばかり。建物は明らかに昔のままと思わせる旧い佇まいであり、団子の陳列ケースはさすがに硝子張りの清潔なものだが、壁面には武者小路実篤や森鴎外などの文豪の色紙が何枚も貼られている。明らかに骨董価値はありそうだ。

 この団子屋の主は創業四代目であり、本来は「米屋餅兵衛」(よねやもちべえ)というまさにうってつけの名前なのだが、本人はその名をひどく嫌っており、ずいぶん前に改名している。さすがに名前をつけてくれた親の手前、全面改装ははばかられたようで一字だけ変えて「米屋桂兵衛」(よねやけいべえ)とした。
 「桂」の由来は、江戸時代に将棋所として徳川幕府から俸禄を受けた家元の創始者・大橋宗桂である。「桂」のごとく飛躍し、大橋宗桂にあやかりたいと願ったのである。
 桂兵衛は父親譲りの無類の将棋好きであり、子どもの頃は奨励会に入門しようかと考えたほど、親子で将棋に熱中した。その父もすでに他界し、プロ棋士への道を断念した桂兵衛は、一応は団子屋の商売をこなしてはいるものの、五十を半ば過ぎた今でも、相変わらず将棋仲間との交流は絶えない。
 インターネットの時代なので、特長ある団子をネット上で宣伝すれば良さそうなものだが、先祖が築いた資産からの収入・・・大半はアパートやマンション、駐車場からの賃料収入がかなりあるため、家業の団子屋を拡張しようという事業欲は湧かないようだ。
 
 根津神社から谷中、上野・浅草方面にかけては神社仏閣が多く、和菓子屋も多い。今でも昔の雰囲気を残す根津商店街に古くからの酒屋がある。近隣の寺社と檀家を得意先とし、代々流行っていたのだが、最近はコンビニやスーパーに押され気味で旗色が悪い。しかしご先祖様が築いた資産があるため、まずまずの暮らしをしている。
 店構えは銅葺き屋根の立派なもので、往時の隆盛を偲ばせているが、この酒屋の四代目主人は名を「綾小路恭順」(あやのこうじきょうじゅん)という。近隣の寺の住職たちからかわいがられ、小さい頃からお寺に遊びに行っては住職から将棋の手ほどきを受けていた。やはり根っからの将棋好きである。
 団子屋の米屋桂兵衛と酒屋の綾小路恭順は幼なじみであり、同時にライバルでもあった。二人とも地元の中学・高校から大学に進学したのだが、小学校の時から成績を競い、優劣つけがたいほどの俊才だった。勉強だけでなく、とくに将棋は互いに好敵手であり、負けた悔しさに何日も口をきかないこともあった。
 二人とも年に一度、地元の商店会が主催する「ちびっこ将棋大会」の常連であり、毎年優勝と準優勝を分け合うほど実力は伯仲していた。
 大学時代には、同じ女性に想いを募らせ争ったのだが、その女性が胸を患って急逝してしまったのを期に深い悲しみを共有し、友情を確認し合った・・・のもつかの間、将棋の対戦となるとライバル意識丸出しでぶつかり合うのだった。
 今では、互いに示し合わせて、店の定休日を水曜日とし、その水曜日は恭順の自宅で対戦するのが習わしとなっている。

 さて、ある水曜日の夕方、最近は不調とみえて桂兵衛は連戦連敗を重ねていた。恭順は得意げに言った。
「餅兵衛や、最近は調子が悪そうだな。これだけ連敗が続いてるんだから、駒を落としてやろうか?」
 相手を見下すときに、恭順はわざと桂兵衛と呼ばず、桂兵衛がもっともいやがる餅兵衛という名で呼ぶ癖があった。それでなくても負けた口惜しさがこみあげているのに、餅兵衛と言われて頭に血が上り、さらに駒を落とすなどと侮辱されて桂兵衛は思わず、言ってはならないことを口走ってしまった。
「ふん、お前の将棋なんて本来は筋が悪いんだよ。うちのネコにだって勝てやしないさ」
 いけねえ、とんでもないことを言ってしまった。だがもう遅い。
「なに?おれがお前んちのネコに負けるだって?どこの世界に将棋を指せるネコが存在するんだい。負けて悔しいからって出まかせを言うもんじゃないよ、このへっぽこ将棋」
 こうなったら売り言葉に買い言葉。桂兵衛は分別を失ってしまった。
「おう、いいともさ。じゃあいっぺんうちの艶子と指してみな。もしお前が勝ったら、うちの団子、一年分ただで進呈するよ」
「お前んとこの団子なんて、あんな古くさいカビが生えたようなもん食えるかってんだ。艶子?なんだいそりゃ。艶子ってえ名のネコなのかい?へえ、お前も変な趣味だね。タマとかミケってえのはよく聞くが、艶子?ふん、おもしろい。受けて立とうじゃないか。もしおれが負けたら、一年間、毎日ただ酒を呑ませてやるよ」

 さあ、大変なことになってしまった。お互いに言い出した以上引っ込みがつかない。桂兵衛はとんでもない約束をしてしまったことをたいそう後悔した。だがこうなったら艶子に鰹節とまたたびを買っておだて、連れ出すしかないだろう。
 一方の恭順は早速新聞社や雑誌社、テレビ局に電話をかけまくった。来週、アマ有段者である自分と女流ネコ棋士が対戦するからと触れ回ったのである。マスコミを引き込み、プライドの高い嘘つき桂兵衛を公衆の面前でたたきつぶしてやると意気込んでいた。

 さて、早いもので対戦の日がやってきた。場所はいつもの恭順の自宅の和室。床の間には古めかしい掛け軸が下げられ、今日は花も生けてある。最初はうさんくさく思っていたマスコミ各社も、面白い冗談もたまには話題なるかと思い、各紙とも事前に紙面で予告記事を展開していた。
「前代未聞の対決、将棋アマ有段者と女流ネコ棋士!?」
 ・・・朝日、毎日、日経、読売、それと東京新聞にニューヨーク・タイムズ、ヘラルド・トリビューン、ル・モンド各紙。新聞社だけでも相当の記者が集まっていた。テレビ局の中継車も連なり、警察官が交通整理するほど付近はごった返していた。
 分厚い将棋盤を挟んで並べられた二枚の座布団。恭順はすでに床の間を背にし、マスコミ各社が殺到したことに満足感を覚えていた。対局5分前に、周囲でざわめきが起こった。桂兵衛が大事そうにネコを抱えてやってきたのだ。
「おう桂兵衛、よく逃げ出さずにやってきたなあ。その勇気だけは誉めてやるよ」
 桂兵衛は寡黙だった。両腕には茶色の縞模様の、本物のネコが抱かれている。幾分緊張感をたたえたネコの「艶子」は、将棋盤に眼をやり次いで品定めするような視線を恭順に向けた。
「さあさあニャンコちゃん、ここがあんたの席だよ。遠慮することはない、さあどうぞお座りなさい」
 恭順はからかうように言った。艶子は促されるまでもなく、桂兵衛の腕から飛び降りて将棋盤の前に座った。周りからどよめきの声があがった。
「さあみなさん、ここからは撮影なしでお願いします。ネコちゃんの集中力を乱さないようにね、ハハハ。さあ、女流棋士のネコちゃん。あんたが先手で始めてください。駒はもうちゃんと並べてありますから」
「ニャ〜」
 艶子は小さな声を出すと、盤面に視線を向けた。一体何が起こるのだろうかと、記者たちの視線が集中した。艶子は左手を盤面に預けて身体を支えると、右手を伸ばした。
「先手・7六歩」
 記録係が声を発した。
「おやおや、まともな第一手ですなあ。桂兵衛さん、あんたネコにこんな芸当を仕込むなんて、たいした才能じゃないか。職業の選択を間違えたんじゃないの?今からでも遅くはないよ、ネコの調教師でもやったらいいんじゃないか?ハハハ」
 そう言うと恭順は盤面に手を伸ばした。
「後手・3四歩」
 小考の後、艶子は器用に駒を動かした。
「先手・6六歩」
 周りに陣取った記者たちはすっかり静まりかえり、進展を見守っていた。
「ほう、角道を止めるんですか。しかしよく仕込みましたなあ」
「後手・8四歩」
「先手・7八飛車」
「後手・3二金」
 手順が進むに従い、恭順は言葉を発することができなくなっていた。目の前で信じられないことが起こっているのだ。最初の数手を見て、もしかしたらネコにも芸として教え込むことができるのかもしれない、そう思っていたのだが、一手一手的確に対応している。恭順はすでに盤面にのみ集中し、ネコの艶子のことは眼中になかった。
 周りの記者の何人かが慌ただしく携帯から本社にメールを送り出した。まさに目の前で信じられないことが起こっている。すでに大ニュースの価値があるため、扱い方法についてデスクに打診しているのだ。
 次第に恭順は考え込むことが多くなり、持ち時間を消費しつつあった。立会人として付き添ってきた桂兵衛には、すでに結末が見えていた。これまで、艶子と対戦したのは何回もある。並の技量ではないのだ。
 知人から譲り受けた艶子は、最初は普通のネコにしか見えなかった。だが、将棋盤を出し一人将棋を始めると、うるさくまとわりついてくる。やがて将棋盤に身体を預け駒を動かし出した。単にじゃれているのかと思ったがよく見るとちゃんと動かし方を知っている。これはきっと夢の中の出来事だと、そう思った。しかしそれは夢ではなかった。信じられないことだが、ネコが将棋を指すのだ。ちゃんとした定跡を知っている。実験的に詰め将棋をさせてみたが、いとも簡単に解いてしまう。非常に難易度の高い「煙詰め」というのもやらせてみたが、まるで作者であるかのように短時間で詰め切ってしまう。
 桂兵衛が驚くのも無理はなかった。艶子は昼寝ネコの一族で、江戸時代は初代将棋所の大橋宗桂の家で飼われ、その後、宗桂の子孫代々に飼われていたのである。この数百年を生きてきた艶子は、ほとんどを棋士の家で飼われ、膨大な量の棋譜が頭に入っている・・・。
 昼寝ネコの掟からすると、人前で自らの出自を悟られるような行動をとってはいけないのだが、艶子自身が本当の将棋好きになってしまい、盤上で対戦する欲求を抑えられなくなっていたようなのである。世人を驚かせてはいけないのだが、まあ仕方のないことだ。

 さて、盤上では恭順が徐々に追いつめられ、自分の将棋がまったく指せないまま劣勢に陥っていた。艶子は連続して「詰めろ」をかけて行った。恭順はすっかり覇気を失っていた。そして持ち時間を使い切る直前で、ついには投了したのである。その日のニュースで大きく取り上げられたのは言うまでもない。しかし、艶子はその日以来桂兵衛の家には戻らなかった。理由は分からないが、行方をくらましたのである。

 この前代未聞の対戦以来、再び桂兵衛と恭順の水曜日の定期戦が始まった。恭順は桂兵衛のことを二度と餅兵衛と呼ぶことをしなかったし、悪態もつかなくなった。年齢相応に穏やかに指し、対戦後は感想戦をしながら、にこやかに飲食をするようになっていた。艶子のことはときどき話題になったが、そもそもが非現実的なことなので、意外にもいつしか次第に忘れ去られてしまった。あれほど騒いだマスコミも、追加取材のすべが無く、結局は何かのジョークだったんだろうと考えられるようになっていた。

 艶子は出過ぎたことを恥じて、今頃は普通のネコらしく振る舞い、どこかでひっそりと飼われているに違いない。いや、もしかしてインターネット上では人間とネコの区別がつかないので、ひょっとしてネット対戦をしているかもしれない。あるいは、ネット将棋スクールで助手を引き受けているかもしれない。こればかりは、霧の中の幻のようなものであり、またひょっこりと姿を現すかもしれないとも思っている。

(対戦シーン校正・堀川修/指導棋士四段  
ネット将棋スクール主宰)
*堀川先生、お忙しいところ校正にお時間を割いてくださり、
有難うございました。

■ネット将棋スクールURL
http://www1.odn.ne.jp/shougi-school/?OVRAW=将棋&OVKEY=
将棋&OVMTC=standard&OVADID=601366041&OVKWID=5559753541 

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# by hirune-neko | 2007-11-09 16:35 | 創作への道 | Comments(6)

池波正太郎あるいは藤沢周平

 ノスタルジーの帰結、あるいは原風景への憧憬。それらは、性急に生きている時期には視野に入らないものだ。今日、引退してゆったりとしたクルージングを楽しむ人たち以外は、そして仕事でかけずり回る人たちはとくに、より時間効率を追い求めて新幹線や飛行機を利用している。彼らにとって、車窓の風景や地方によって違う水の味、それぞれに固有の言葉などはどうでも良く、車内、あるいは機内でも電卓で何やら計算し、書類に目を通す。ひと固まりの砂糖に必死の形相で群がる蟻のごとく、価値判断の基準は見事に統一されている。

 私自身にはとやかくいう資格はなく、かなりの期間にわたって文字通り仕事であちこちをかけずり回っていた。神経がいらだって、車を運転していても音楽を聴く気になれず、FMは饒舌すぎてかんにさわり、ふとNHKのAMを選局した。ちょうど森繁久彌のボソボソとした語り口調で、時代小説の朗読が始まるところだった。池波正太郎作、「剣客商売」のなかの一章「辻斬り」だった。おもわずフンと嘲笑したが、オフにするのも億劫で夜道を運転しながら、一応は耳を傾けていた。やがて朗読が終わる少し前に自宅の駐車場に着いたのだが、最後まで聴きたかった。番組が終わるまで、車から離れることができなかった。これが池波正太郎作品との最初の出会いだった。
 「剣客商売」を探したら、新潮文庫から全十数巻がシリーズで出版されていることが分かった。しかし、そのときは全巻を揃えるのが難しく、結局何カ所ものブックオフを回って全てを揃えることができた。全巻そろったときは、ちょっとした感動を覚え、一気に読了した。

 その後、同じく時代小説の大家・藤沢周平の存在を知人から教えてもらった。胸を患ったこと、愛妻に先立たれたことなどを知るにつれ、藤沢作品の持つ微妙な陰影と、そして登場人物が隠れ持つ「業」のようなものに惹かれていった。

 最近は「三丁目の・・・・」とか「フラガール」とかが人気であるらしく、昭和初期やあるいは大正ロマンのようなものにノスタルジーを覚える人が増えているように思う。池波、藤沢作品と出会うことにより、私の場合は江戸時代への興味が増して来ている。本当は、その頃の人物を描いてみたいと真剣に思っているのだが、なにせ江戸の言葉は職業によって使い分けもしなければならず、相当の知識が必要とされるようなので、まったく前に進んでいない。ただ、囲碁と将棋に関しては、幕府のお抱えの専門家が存在して発展したということなので、単なる武家社会のお話しではなく、たとえば武家の家柄に生まれながら、棋士になりたくて勘当になった男児が主人公のお話を書いてみたいと思ったことがある。残念ながら思っているだけである。いつかは時代小説を上梓してみたいと、夢みたいなことを考えている。それだけでも、密かな楽しみになっており・・・われながら安上がりな人間だと思う。

 最近の生活ぶりは、朝のゴミ出しから始まって、大鍋で作るダイエットスープ、北海道クリームシチュー、特製甘口カレー、オリジナル味噌ラーメンの野菜トッピング・・・そして日に三度の皿洗い、洗濯物を干すこと・・・という主婦業をこなしながら、看護学校に勤める従姉妹が次々と紹介してくれる、産婦人科や助産師への対応に追われている。夜、TSUTAYAに行ってみたものの、サスペンスもアクションもスパイものもどうも気が進まない。で、結局借りてきたのは、池波正太郎原作の「鬼平犯科帳」シリーズ。以前も何作か観たことはあるのだが、改めて、疲れ切った頭でもかなり楽しめる・・・というか頭を使わずに黒白のはっきりしたストーリーを自然に追うことができる作品だと、いたく感心した。さらに、最後で使われている音楽が、突然のフラメンコで、ジプシーキングスの「インスピレイション」というのも泣かせる。江戸時代に生きてみたい、江戸の街を徘徊してみたい。これが今の私のノスタルジーである。もちろん、非現実的なお話しだが、脳内で仮想の江戸時代を作ることができれば、文章にしてみたいという・・・能力を省みない無謀な構想が浮沈している。・・・だがこれは、誰にも迷惑をかける話しではないし、先行投資で必要なものはせいぜい江戸の古地図と江戸に関する何冊かの書籍だけなのだからお許しいただきたいと思っている。


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# by hirune-neko | 2007-11-08 21:56 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

なんとか感覚が戻ってきたようだ

 日常生活で実務的なこと、現実的なことに追われていると、どうしても視野が狭くなり感覚も鈍くなってしまう傾向がある。ようやく、昼寝ネコ本来の感覚が戻ってきたような気がする。そこで、あれこれ感じたままを書き留めてみたい。

 北海道は首都圏と比較して、明らかに自然の厳しさが違うため、ホームセンターのような大型店には来客が多いように思う。厳冬に備えた様々な日用品が売られている。たとえば、雪や冷気が吹き込むのを防ぐための窓用目張り。雪かき用のシャベルから本格的な除雪機。あれは多分エンジンで動くのだと思う。自然に対峙している分、ライフスタイルが現実的であり、逆に趣味に関する店や、デザインを前面に出した建物、商店は少ないのではないだろうか。それだけ現実重視であり、芸術・文化周辺の選択肢が少ないように感じる。
 今生活している手稲区では、レンタルビデオ店(今ではビデオなんて少なくなってるが)は、ゲオとTSUTAYAがの2店が主流だが、おそらく全国どこのショップでも品揃えはほとんど同じなのではないだろうか。それはラジオ局にもいえることで、トークと日本のポップス、それとロック中心の構成であり、クラシック音楽はNHK-FMで多少流れる程度のように思う。よほどのマニアでない限り、自分の好みの音楽を掘り下げていくのは難しいのではないだろうか。それは映画にもいえる。宣伝費をかけられるハリウッド製の映画が圧倒的な数量で陳列されており、フランス映画は注意して探さないと見つけるのが困難だ。

 どんな創作活動であっても、経済原則の範疇から逃れて継続するのは困難だと思う。従ってメジャーなもの、経営基盤と資金量がしっかりしているものが店頭で陳列してもらえる特権に浴し、いい作品であっても顧客との出会いの機会を与えられるのは、なかなか難しい。そうこうするうちに、徐々に淘汰されてしまうのである。それを防ぐには、自身の好みや感覚を持っている人が増え、本当にいいもの・・・ってどういう基準か?と問われると返答に窮するのだが。やはり文化的な熟成があってこそ、政治や社会のあり方に対しても地域での定見が構築されると思っている。

 いい例が、政治・・・とくに国内の政治に関しては、よほど積極的・個人的に情報収集をしなければ、大手の新聞・雑誌、テレビの報道に世論が左右されてしまう。最近はかなりその傾向が強く、大手メディアの背後に隠れてコントロールしている不気味な存在が気になるところだ。つまり、いろいろな視点から見ると、主要なマス・メディアは政治的、経済邸、宗教的のいずれかの力に浸食されており、真にわれわれ一般市民の判断に供する情報提供を行っていないのではないか、という声が強い。ましてや国際政治に至っては、大局的な見地からではなく、一部の特定国を利する、すなわち日本の国益に反する報道が行われていると指摘する人が多い。

 石油、原子力エネルギー、食糧の質と量、水と空気の汚染問題、国際紛争とそれによって発生するリスクなどという卑近な課題が存在するというのに、政治家の貧弱さを痛感する昨今ではないだろうか。私自身、さまざまな個人的ブログを定期的に閲覧しているが、実情を正しく認識するためには、すなわち私たち自身が自分の生活を、そして社会を守るには、広告や販売、視聴率などという経済的なメカニズムに組み込まれているメディアの報道を鵜呑みにすることなく、ブログを中心として公開されている情報にも関心を持つべきだと思っている。マスメディアは、さらにいえば政治的プロパガンダの大切な浸透手段であり、世論をコントロールする上で最適の手段なのである。したがって、とくにある国は日本を自国のコントロール下に置くことを目論み、日本の主要なマスメディアを影響下に治めることを国家戦略としていることが、公表されている。

 昼寝ネコのスタンスは、あくまで人間の精神世界に関わることを中心テーマと考えているが、しかし、一社会人、一人の日本人として、より多くの方が「政治的無関心」から脱却することを願うものの一人でもある。

 ちょっと堅い話題だったが、これも私の本心である。

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# by hirune-neko | 2007-11-07 23:40 | Comments(2)

人生で一番難しいこと、それは・・・

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   (画は依然としてカトリ〜ヌ・笠井さんである)

 その昔、東ヨーロッパのはずれの国の隣に、ニャンタラ共和国というネコだけの小さな国があった。山間の盆地に拡がる村落には、様々な職業のネコが暮らしていたが、とりわけ富裕なネコが勢力をもち、贅を尽くしていた。そのネコの名は「ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世」といい、またたび畑を代々受け継いでいる家系に生まれ、何匹もの使用ネコを使っていた。私邸は広大な敷地に建てられ、専属の庭師、料理長、メイド頭を中心に、またたび畑の労働者まで含めると、数百匹が養われていた。

 ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世は、7歳の時に母親が病で急逝して以来、すっかり無口な性格になってしまった。後に、父親は遠くペルシャから血筋のいいネコを後妻として迎えたが、ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世が、とうとう新しい母親になつかないうちに、その後妻も病死。父親は今度はロシアから、緑色の美しい眼をしたロシアン・ブルーそのままの女性を迎え入れた。理由は分からないが、数年後にその女性はロシアに帰されてしまった。その後何度か父は再婚を繰り返したが、徐々に健康を害し、ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世が20歳代後半のときに病死してしまった。つまり、ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世は・・・実は、あまりにも名前が長いので、父は彼のことを「ヨン」と省略して呼ぶようになり、使用ネコたちもそれにならって、いつしかヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世のことを、公然と「ヨン様」と呼ぶようになっていた。この物語は、そのヨン様について書かれたものである。少々前書きが長くなってしまったが、お許しいただきたい。

 さて、父親の跡を継ぎ、第7代目の農場主となった、そのヨン様には困った性質があった。すぐにキレるのである。スープが熱すぎるといってはメイドを解雇し、フォークの位置がずれているといっては給仕を解雇し、高音部で声がひっくり返ったといってはお抱えの声楽家を解雇し、とにかくちょっとしたことでも、凄い形相で怒鳴り散らし、怒りまくるネコになってしまったのである。若くして大農場の経営者になったので、そのストレスのせいだろうと使用人たちは耐えていたのだが、ささいなことでも高圧的に怒鳴り、激高する性格はますます悪化するばかりだった。

 当時、そのニャンタラ共和国には、世襲制の大判事がいろいろなもめごとを裁く慣例があった。大判事職は厳格に管理され、全国のネコたちの人望を集めていた。ある日、ヨン様の怒りに触れて解雇された何十匹かの元使用ネコたちが集まり、判事に相談を持ち込むことになった。かつての仲間たちで、ヨン様に雇われている猫たちも同情を寄せ、ついには内部告発の文書が、ネコネットにも流れるようになった。

 当時の大判事は、ヨン様の父親の兄の娘が嫁いだ家で、代々家庭教師をしていた英国への留学帰りのネコの従兄弟とは大親友で、一緒にネズミ狩りをする仲間の腹違いの兄と一緒にケンブリッジのフラットのルームメイトだった・・・という実に親密な関係だったのだが、そこはそれ。一切の私情を挟まず子細を検討した結果、大判事はヨン様を出廷させる命令書に署名した。当時の大判事の権力は絶大であり、さすがのヨン様も拒むことはできなかった。

 さて、審理の結果はあっけなく決まった。状況を把握した大判事は、ヨン様に次の内容の判決を下したのである。あまりにも長いので、主文だけを掲載することにする。

【主文:ニャンタラ共和国大判事の名において、当職はヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世を「7の70倍の刑」に処す。詳細は当法廷の書記官の指示に従うこと。指示に反したときは、現在所有する全ての資産を共和国に没収し、国外追放とする】

 青ざめたヨン様・・・無理もないのである。通常の訴訟では、悪くても7回善行を行う、つまり人の間違いや理不尽な言動を7回赦せばそれで刑を務めたことになった。「7の70倍の刑」ということは、ざっと計算しても490回は怒りを抑えて過ごさなくてはならない。四六時中、大判事の任命した監視員が張り付いているのでごまかしもきかない。下手をすると財産没収で国外追放。どう考えてみても、怒りを抑えて大声を上げるのを呑み込み、相手に笑顔を見せるだなんてできるわけがない。しかし、不名誉な境遇には陥りたくない。ヨン様は生まれて初めて崖っぷちに立たされてしまった。そして試練の日は、判決のその瞬間から始まったのである。

  書記官はヨン様に記録用紙を渡した。怒りを抑えて相手を赦し、笑顔を見せた日時と状況を記録する報告書である。茫然自失したヨン様は、落胆のうちに帰宅した。その途中、街を歩けば人が自分を避けて通るのがよく分かった。散水していた男の子は、万一ヨン様に水をかけてしまったら大変なことになると緊張し、ヨン様が通り過ぎるのを直立不動で待っていた・・・のだが運悪く、バケツの取っ手が突然外れて、ヨン様のズボンが水浸しになってしまったのである。口を大きくパクパクさせ、なんとか詫びの言葉を出そうと青ざめる子どもに向かってヨン様はいった。
「いいんだよ。私はあなたを赦します・・・ニカッ」
その声は怒りに震えていたし、ニカッと笑ったはずの表情も、かなり怒気を含んだものだった。子どもはあっけにとられ、いつまでも動けなかった。買い物をすれば、おつりを間違えたら大変だと緊張する店員が、手元が狂って小銭を床にまき散らしてしまい、天を仰いだ。店主も、ヨン家への出入りが差し止めになってしまうと思い、真っ青になってしまった。そこでヨン様はこういったのである。
「いいんだよ。私はあなたを赦します・・・ニカッ」
店員と店主は、夢ではないかと互いの頬を思いっきりつねってみたのはいうまでもない。

 かくしてヨン様のイバラの道が始まったのである。やっと5回、やれやれ今日は3回・・・気の遠くなるような難行に、ヨン様は耐えながら記録を伸ばしていった。
 この赦しの苦行が300回を超えた頃には、怒りを抑えるコツも徐々に身に付き、ヨン様もかなり自然に相手に赦しの言葉と笑顔を向けられるようになっていた。街のネコたちも、ヨン様を避けたりせず、笑顔で挨拶するようになっていた。
 400回を超えると、490回まであと何回だとカウントダウンするようになった。あと30回赦せば、あとは思いっきり相手に怒りを表して罵倒できる・・・訴訟や内部告発をした連中、これまでさんざん屈辱を与えられた相手に対して、どんな仕打ちをしてやろうか・・・ヨン様はその日が来るのを心待ちにしていた。
 とうとう489回目の赦しを実行した。さあ、次が最後だ。これで重い鎖から解放されるぞ、とヨン様は最後の1回に集中した。通りを歩いていると、向こうから松葉杖をついた老婆がヨロヨロと歩いてきた。ヨン様は道を譲ったつもりだったが、老婆はちょっとした段差に足をとられ、孫のために買ったお土産のソフトクリームが入ったバスケットを、ひっくり返してしまった。なんと、まるで最初からシナリオが設定されていたかのように、大量のバニラ・ソフトクリームがヨン様の仕立てのいいズボンを台無しにしてしまった。しかし、ヨン様は上機嫌だった。なにせこれが490回目の「赦し」なのだ。ここで赦して大判事に記録を提出すれば、次からは晴れて公にキレまくることができる。そう思うとヨン様はにこやかに老婆にいった。
「いいんですよ。足の不自由なあなたを見て、こうなることを予測しなかった私が愚かでした。お怪我はありませんか?洋服は洗えば元通りになりますが、怪我をされると大変ですからね。私はあなたを責めたりはしませんよ・・・。どうぞ気をつけてお帰りください・・・ニカッ」
 最後の1回だということもあって、このときばかりはヨン様も饒舌になっていた。老婆はこういった。
「ヨン様・・・ですね?もったいないお言葉を有難うございます。私をご存知ないと思いますが、私の孫娘は、3年前にあなた様の怒りに触れてメイドを解雇されました。夫を亡くし、幼い子どもを抱えていたときの解雇ですから、大変苦しい思いをしました。申し訳ないとは思いつつ、あなた様に対して憎しみの気持ちを抱き、ことあるごとにあなた様の悪口をいいながら・・・孫娘は昨年他界しました。でも、今のあなた様のお言葉をお聞きして、とても人格者であることがわかりました。娘のことは何かの誤解だったのだろうと思います。大切な孫娘に対する仕打ちを聞いて、私自身もあなた様に対し憎む気持ちを持っていました。でも、こうして偶然のできごとによって、私の気持ちは晴れました。これであなた様に対する気持ちは、平安なものになりました。有難うございます」
 老婆は礼をいうと、詫びながら去っていった。

 大判事に記録を届けたヨン様は、街を行き交うネコたちに目を向けた。あの日、判決を受けて街に出たときは、誰もが自分を怖れ、避けていた。だが今は違う、みんな心からの笑顔を向けて自分に挨拶をしている。子どもたちまでもが、怖がらずにそばに寄ってくる。つい先刻までのヨン様は、491回目にはどれだけ思い切って相手を罵倒し、どんな仕打ちをしてやろうかと考えていた・・・のだが、不思議なことに怒気を表に出す感覚が麻痺したか消滅したか、・・・すっかり温和になってしまった自分の内面を実感していた。

 今年の収穫祭には、はねものの「またたび」をたくさん集めて、街のネコたちに配ってあげたら喜んでくれるだろうか・・・そんな思いでヨン様は家に向かった。今日ばかりは、不思議と笑顔が絶えなかった。

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# by hirune-neko | 2007-11-06 22:12 | 創作への道 | Comments(8)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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