昼寝ネコの雑記帳

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もう遅すぎるかもしれないが、何かが目覚めている


Bill Evans - The Peacocks


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 改めてキース・ジャレットと聴き比べてみたが、やはりビル・エヴァンスの演奏の方が私にとっては、違和感がないようだ。

 ニュージーランド人の知人が、英語で作成した村上春樹論を、学会での初めての発表のため、苦労して日本語に翻訳した。その日本文を本格的に推敲する手伝いを始めたのだが、何度繰り返して読んでも意味が把握できない箇所がある。思いあまって、原文の英文原稿をメールに添付して送るよう依頼した。

 届いた英文を読んでみた。100%理解できたわけではないが、意外なことにかなり大意を把握できることに驚いた。試しに、相当以前に試して歯が立たなかった、TOEFLの穴埋め問題にチャレンジしてみたところ、全問正解とはいかないものの、結構手応えを感じた。とくに集中して英語を勉強しているわけではない。脳内で眠っていた何かが、目覚め始めたのだろうか。

 今日はやりかけの仕事を保留し、アメリカのテレビドラマTwenty-Four・24のシリーズ3を21話から最後の24話まで観た。ロス・アンゼルスのホテルに細菌兵器が散布され、多くの死者が出たという設定なので、興味も手伝った。カウンター・テロ・ユニットの職員にも死者が出て、ジャック・バウアーが必死でウィルスの拡散を防止する。

 対テロリストのリアルな戦いを疑似体験しながら、その命がけの仕事ぶりを観ているうちに、自分の中で何かが覚醒するのを感じた。ある種の闘争心のようだ。内面から突き動かされるような動機を実感した。具体性は何もないのだが、理不尽なことに屈しない、正義感のようなものなのかもしれない。

 改めて自分の年齢を考えてみた。十の位を四捨五入すると百歳である。一の位を四捨五入しても、70歳である。気持ちは高揚しても、この年齢から、一体何ができるというのだろうか。

 そのとき、ふと世界の政治指導者の名前が浮かび、調べてみた。

・ドナルド・トランプ米大統領 1946年生まれで今年72歳
・ウラジーミル・プーチン露大統領 1952年生まれで今年66歳
・アンゲラ・メルケル独首相 1954念生まれで今年63歳
・安倍晋三日本総理 1954年生まれで今年63歳
・小池百合子東京都知事 1952年生まれで今年64歳

 なんだ、十の位を四捨五入すれば、みんな百歳ではないか。実年齢だって、私とそんなには変わらないようだ。では、私にだってまだまだ新しい領域に挑戦する資格がありそうだ、と勇気づけられた。

 一方で、このような例もある。

 フランス大統領選挙に勝利した、エマニュエル・マクロン氏(39歳)が国内で大人気だ。穏健派で知的な政治家である彼の妻は、25歳年上で64歳の超熟女。しかも中学時代の恩師だというのである・・・(Wikipedia)

 もし私がこれから結婚するとして、25歳年上の女性だと90歳以上ではないか。いくらなんでも、いきなり老老介護になってしまいそうだ。それはともかく、中学生のときから30歳代の教師を想い続けて結婚したとなると、映画にでもなりそうではないか。

 本当に不思議なのだが、遅延案件に加え、処理案件が次々と増えてしまい、それなりの英語力も必要になっている状況なので、相当プレッシャーを感じている。重圧感からなかなか解放されないでいる。しかしどういうわけか、何かが目覚めつつあるという実感が、確かにある。

 決して楽ではないが、現状をしっかり受け止めて、前傾姿勢を崩さないまま半歩ずつでも前進しようという気力が出てきている。これは、喜ぶべきことだと思う。まだまだ到達点が明確には見えないが、迷わず、ためらわずに進んでいきたいと思っている。


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by hirune-neko | 2017-05-28 01:09 | 心の中のできごと | Comments(0)

訓練の機会を与えられていると思えば、気も楽だ


Keith Jarrett - Then I'll Be Tired Of You


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 ときどき仕事の手を休め、時間の流れの中で立ち止まっている自分がいる。雑踏の人の流れの中で歩みを止め、方向性を失って佇んでいる自分がいる。視野を前方に向けたまま、脳裏に遠く過ぎ去った過去の出来事が甦るときは、過去の自分が現在の自分を否定的に見ているように感じる。

 過去に戻って人生をやり直すことはできない。過去の航跡が今の自分を形成しているのだと、現在を肯定的に捉えられるようになってから、それなりの年月が経過している。

 毎日、あれこれ考えながら、それなりの時間を仕事に費やしている。売り上げが際限なく、右肩上がりになることが目標なのではなく、一定の環境を作り上げたら、魂が静かに寛げる場所で、時間がゆっくりと流れるのを感じながら、その小さな世界に安住したいと思っている。そこに到達するのを目的に生きているような気がする。

 社会に同化し、自分の役割を果たそうとしているが、同時に自省的・内省的な自分自身と対面する時間もある。一切の利害を超越し、寛いだ感性で対話できる相手は、得がたい存在だと思う。

 音楽家、演奏家、作家、画家、写真家、俳優・・・心酔できるアーティストは、貴重な存在だ。しかし、特別な才能や能力に恵まれていなくても、信頼できる人格を持ち、価値観や感性を共有できると感じる人間関係は、決してお金では買えない、貴重な存在だと思っている。

 もうかなり以前に認識したことだが、自分が学生時代に深く味わった虚無感が、深いところで今も消えずに残っているようだ。考えてみれば、恐ろしいことだ。多感だった頃の心象が、未だに感性を支配している。

 忙しく時間に追われ、自分が機械化しいる時間が長いと、感性が徐々に乾燥するのを感じる。まだもうしばらく、そんな環境を過ごさなければならないが、もう少し将来の自分が必要とする要素を習得する、必要な訓練期間だと割り切っている。

 高校生の頃、ビル・エヴァンスばかり聴いていたが、初めてキース・ジャレットの演奏を聴いたとき、ビル・エヴァンスの演奏だと思ってしまった。こうして改めてじっくり聴いてみると、やはりビル・エヴァンスの鍵盤音とは、根本的に違うと思う。でも、偏食傾向は強いものの、音楽が好きで良かったと思う。傾倒できる映画作品にも恵まれて良かったと思う。あとはもう少し、短編作品を量産できる環境になりたいと願っている。

 今日、知人から村上春樹論文の日本語訳文が、全部で7ページ送られてきた。英語を母国語とする人間が、自作の英語論文を自ら和訳したものだ。そういえば、このようなケースの文章を推敲するのは初めての経験だ。不思議な縁で、村上春樹の世界への入口に導かれてしまった。なんとか日本語推敲をお手伝いしたいと思う。学会の人たちから、「自分で日本語に訳したの?」と訊かれたら、「はいそうです、でも推敲してくれたのは、村上春樹もどきの人です」と答えるようにお願いしようと思っている。


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by hirune-neko | 2017-05-27 01:56 | 創作への道 | Comments(0)

改めて確信を持っている


Astor Piazzolla - Woe pass away (11 - CD3)


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 インターネット上を駆け巡る情報を閲覧していて、改めて確信を持ったことがある。感じたままを書かせていただくが、諜報映画オタクがほざく、戯言だと思って読み流していただきたい。

 アメリカのテレビドラマの筋立てと、国内外の政治情勢を同列に比較して書いてしまうと、不謹慎のそしりを免れないとは思うが、感じたままなのでお許しいただきたい。

a. トランプ大統領の弾劾→ペンス副大統領が大統領に
b. パーマー大統領の弾劾→副大統領によるクーデター

 似たようなシチュエーションを並記したが、a.は目下アメリカで現実に展開している状況であり、b.はアメリカのテレビ番組Twenty-Four・24で繰り広げられたシーンである。ニクソン大統領のウォーターゲート事件以来になると思うが、どのような展開になるか、興味深く思っている。

 真相の究明はこれからなので、あくまでも私自身の妄想を膨らませたに過ぎないが、小説風にストーリーの概要を考えてみた。

 先のアメリカ大統領選挙では、ヒラリー・クリントン候補が断然優勢に選挙戦を進めていた。しかし、投票日の直前のタイミングで、FBI長官が、クリントン候補の私的メール問題を再捜査する旨を議会に報告した。クリントン候補が、国家重要機密を私的なメールアカウントで送信していた問題だ。当然、傍受されて拡散する危険性があった。

 このFBI長官の再捜査報告で、クリントン候補が一気に支持率を下げ、ドナルド・トランプ候補が急浮上して、大統領に就任することになった。第三者の私が見ていても、ある意味では絶妙なタイミングでの再捜査宣言であり、不自然さを感じていた。

 その不自然さを解明しようという動きが高まっている。私はワシントンとはなんのつながりもないので、以下は脳内に思い浮かんだ妄想シナリオである。

 大統領選で不利な状況に追い込まれたトランプ候補は、一発大逆転の望みを託しロシアに人脈を持つ選挙スタッフに、プーチン大統領と秘密交渉をするよう命じた。自分がアメリカ大統領になったら、米露共同で中国、南北朝鮮を包囲し、北方領土をテコに日本が経済協力や資源貿易でロシアとの関係を強化するよう、日本政府を説得する。自分がアメリカ大統領に就任したら、米露主導で、世界をコントロールしようではないか・・・。

 そのような「ディール・取引」を申し出たところ、プーチン大統領は快諾した。若くしてKGBで働きたいと思っていたプーチン大統領は、実際にKGB職員に採用され、あらゆる諜報活動で活躍した冷徹な戦略家である。プーチン大統は、トランプ大統領よりもずっと先を読んで、協力を申し出た。その結果、ロシアの情報機関が第三国経由に見せかけて、アメリカ政府機関やクリトン候補および関係者のパソコンに不正侵入した。

 その結果、FBI長官がクリントン候補の私的メール問題を再捜査する、と宣言できるだけの情報を入手して、トランプサイドに提供した。その結果は既知の通り、クリントン候補はアメリカ国民の信頼を失い、トランプ候補が劇的な逆転当選を成し遂げたのである。

 冷徹な戦略家であるプーチン大統は、一連のトランプ陣営とのやりとりという重要機密情報を握っている。トランプ大統領は、これでプーチン大統領と二人三脚で世界戦略を進められる、と考えていた。しかし、プーチン大統領には、その二人三脚に甘んじることなく、母なる大地・ロシアが再び世界から評価され、覇権を拡大するという、雄大な構想がある。そのための一戦術として、トランプ候補との取引に応じたに過ぎない。

 アメリカ議会の弾劾の動きに呼応し、プーチン大統領は、ロシア情報機関から重要機密が不正に持ち出されたと装って、トランプ候補陣営との交渉経過情報を議会に提出するだろう。ただし、トランプ大統領との二人三脚よりは、遙かにロシアの国益となる条件を、最終的にはアメリカ議会にのませることになる。

 またまたいつもの悪い癖で、ここまでは長い長い前書きである。結論は実に簡潔である。

 一転して、視線を日本に移してみたい。森友問題、加計問題、国連からの勧告・・・話題になるのとほぼ同時並行して、証拠であるはずのメールや文書、あるいは勧告書の信憑性が失われるような事実が、あっという間に拡散されてしまう。主導していたはずの民進党に、生コン問題や獣医師会献金問題など、気がつけば大ブーメランが襲いかかっている。

 民進党関係者の皆さんや支持者の皆さんからお叱りを受けても甘受するが、プーチン大統領の冷徹で、アメリカ大統領をも手玉に取るような巧妙な戦略と較べると、森友問題、加計問題、国連からの勧告などは、とても稚拙なシナリオに見えてしまう。

 既述のアメリカのテレビ番組Twenty-Four・24の制作関係者に、日本における森友問題、加計問題、国連からの勧告の実態を説明し、これらをテーマに映画化できないかと相談しても、全く相手にされないだろうと思う。

 ようやく本当の結論である。

 民主主義国家において、とくに国政選挙は国家の行方を最終決定する重要な役割を果たす。アメリカ大統領選挙のように、日本でも国会議員を選ぶ選挙では、候補者が死にものぐるいで選挙活動を展開しているのは、選挙が議員の生殺与奪権を有するからだ。

 改めて確信を持ったのは、一人でも多くの有権者が、印象操作や世論誘導などに惑わされず、日本の未来を託せる政治家や政党を的確に選び、選挙には棄権せず投票所に行って投票する・・・この単純なことが実行されれば、日本国家の平和・安寧を末永く維持し、それに護られた国民の幸福も継続する、というのは、実に現実的な基本原理だと、改めて強く確信を持つことができた。

 余命ブログが主導している、官邸メールや外患罪集団告発も、国民に与えられた正当な意思表示の権利であり、機会でもある。急加速で政治的に目覚めつつある日本は、神学的にも護られている支族だとも感じている。

 今日は早く休むつもりだったのだが、あまりにも疲弊してしまい、昼寝ではく夜寝をしてしまったので、すっかり目が冴えてしまったし、脳内も冴えてしまった。

 長文にお付き合いくださった方には、お詫びとお礼を申し上げる。改めて、頭が冴えて体調が良好で指が動けば、際限なく文章を書き続ける病的な体質であることを自覚した。今日も、音声入力ではなく、自分の指で入力を終えた。・・・ちょっとくたびれたので、校正・推敲なしで、このままアップさせていただく。

 以下は今日の記事の参考資料である。

News Week】
トランプ降ろし第3のシナリオは、副大統領によるクーデター
冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

【NAVER まとめ】
【ロシア】プーチン大統領の生い立ちと経歴...ずば抜けたカリスマ性が凄い!


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by hirune-neko | 2017-05-26 02:05 | インテリジェンス | Comments(0)

脳内酷使で疲弊したが、嬉しかった


Eliane Elias - Time Alone - Dreamer (2004).wmv


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 何度か登場している、村上春樹の研究家でニュージーランド出身の男性から、メールが届いた。何だろうと思って開いた。

 日本の学会で、初めて村上春樹に関する論文を発表するという。英語の論文は仕上がったのだが、日本語に翻訳してくれる適切な人が見つからず、自分なりに日本語訳を作ってみたそうだ。
その日本語を、自然な日本語に推敲してもらえるかという打診だった。英語と日本語の両方に厳しい感覚を持っている彼から、いきなり和訳という依頼ではなかったので、ほっとした。

 毎日、それなりの量の文章を書き、推敲もしているので、そんなに難しくはないと判断した。

 読むと、英語を母国語とする人間なのに、日本文のワンセンテンスがかなり長い。引用されていたのは、フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」で、どうやら村上春樹が翻訳しているようだ。私は数十年前に映画で観ている。確か、ロバート・レッドフォードの主演だったと思う。

 途中で、彼自身の論文と「華麗なるギャツビー」の引用文との位置関係が正確に把握できなくなり、何度も読み返した。理解しやすく、なおかつ昼寝ネコ流の文章リズムになるよう推敲を終えた。

 ワンセンテンスずつ読み、日本語として不自然だったり、正確に判読できにくいと感じる部分に手を入れた。・・・実は、村上春樹訳のオリジナル文が2カ所あったのだが、引用符がなかったため、そうとは知らずに手を入れてしまった。
 しばらくして、村上春樹大先生の書かれた文章であることに気づき、元通りに修正した。

 そのことをメールで説明すると、彼は、自分の転記ミスがあるかもしれないので、おかしいと思う部分があったら指摘してほしいといってきた。いやいや、そんな畏れ多いことはできるはずがない。

 村上春樹作品の英訳本を2冊、Kindle版でダウンロードしてしているが、肝心の日本語オリジナルの作品はまだ読んでいない。訳文ではあるものの、初めて村上春樹の文章と、論文の中で対面することになった。思いがけない、嬉しい出会いだった。

 私が推敲した文章を、大学の日本人同僚に読んでもらうと言っていた。無事に合格するといいのだが、ちょっぴり不安でもある。しかし、ニアミス程度ではあったが、思いがけない形で村上春樹の世界の入口を覗けたことに、何か運命的な出会いを感じている。・・・私が一方的に感じているだけではあるが。

 夜7時からは、中国語教室に2回目の出席。帰宅して、インターネットで予約していた将棋の対戦を2局。頭を酷使した一日だったが、今はもうすっきりしている。

 まだ遅延案件を引きずっているが、徐々に気力と集中力が回復してきている。いい兆候だ。

 そういえば、金正恩委員長について、アメリカや日本の精神病理学者が異常さを指摘している。アメリカではパラノイア、日本ではパラノイドと指摘されていた。
 独裁国家なので、CIAなどの海外機関による暗殺やクーデターの仕掛けは、かなり難しいとは思う反面、一般大衆や軍人とて人間である。自分や自分の家族を道連れにしてまで、狂気の道を驀進する国家指導者に対して忠誠を尽くすのだろうか。国民性や国家観の違いもあることだから、部外者の私には窺い知れないことではある。

 作品の取材目的ではあるが、朝鮮半島、中国大陸、ロシア、中東、南米に行ってみたいなどと、無謀なことを考えている。改めて、英国のスパイ小説作家である、ブライアン・フリーマントルの作品を夢中になって読んだ頃が、懐かしく思い出される。・・・入国審査の際、コンピュータでチェックされ、昼寝ネコの名前が出た途端、公安警察がすっ飛んでくるかもしれない。スパイ目的容疑で取り調べを受けるか、ペルソナ・ノングラータと宣告され、入国拒否の上、強制送還されるかもしれない。まあ、そこまでの有名人ではないから、杞憂に終わるとは思うが。

 あっ、くれぐれも誤解しないでいただきたい。私は、国内外を問わず、いずれの情報機関にも所属してはいない。ただ、パリに本部がある、昼寝ネコ世界大会議の日本支部長を委嘱されているだけである。人畜無害とは、まさに私のことである。


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by hirune-neko | 2017-05-25 00:24 | 創作への道 | Comments(0)

暑く、消耗した一日だった


Astor Piazzolla " Tristeza De Un Doble A "


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 夕方、製本屋さんから電話があって、表紙が足りなくなってしまったと言われた。すぐに倉庫に向かい、台車を押して4階に上がった。24時間、自由に出入りできる倉庫なので急な用事の時にはとても助かる。ハードカバーの表紙なので、1梱包が50枚でもとても重い。短時間ではあったものの、身体を動かしたので消耗してしまった。

 具合の悪いことに、かなりの時間正面から西日が射してとても見えにくい状態で運転した。ある信号で、黄色から赤になる瞬間だったらしく、交差点に入ろうとしたら目の前に歩行者が何人か歩いていた。危なくぶつかるところだった。運転能力はまだしっかりしてると思うので、免許証の返上にはまだ早いと思っている。運転は長年にわたって、全然苦にならないと思っていたのだが、さすがに年齢を重ね情けない状況になってきている射し

 夕食の給仕のため、義母の部屋に食事を持っていった。義母は何年も前に、日帰りで白内障の手術を受けている。私が自分の白内障のことを告げると、驚いたような顔をしたが、病院に行って手術を受けるよう勧められた。とてもよく見えるようになっているらしい。私の場合は、白内障なのか、あるいはコンピュータや携帯デバイスを長時間観ることが原因になっているのかよくわからない。しかし最近は、レーザー治療が一般的だと聞いているので、もしもう少し悪化するようなら調べてみようと思う。

 目が見えなくなり、思考能力や記憶力が低下し、指が動かなくなってしまったら、私は廃人同然だと思っている。そうならないように、食べ物に気をつけて養生しようと思っている・ ・ ・思ってはいるのだが、なかなか行動が伴わない。今日、倉庫のエレベーターを降りた1階にある自動販売機の前で足が止まった。いや、足を止めた。「おすすめ」とレッテルが貼られていたのは、チョコブラウニーだった。かなり以前、頻繁にセブンイレブンで購入し、ムシャムシャと食べていたのを思いだした。確か、ブルボン製菓の製造のはずだ。
 
 久しぶりに会ったのに、そのまま無視して通り過ぎると、不義理になってしまうので、1本だけ購入し運転しながら口に入れた。いやあ、さすがに美味しかった。相変わらず、甘いものと可愛いネコには弱いようだ。

 改めて思うのだが、こんな風にとりとめのないことを書けるのは、なんて平和なのだろうと思う。道ですれ違う人たちの表情を見ても、不安や恐れを感じとることができない。よく、日本人は平和ボケだと言う人がいるが、そうなのかもと思う反面、いざというときには日本人は一致結束しことに対応する集中力を持っていると思う。

 一般の人と比べ、私はインターネットから情報を得ることに時間を費やしている方かもしれない。今日の余命ブログ記事で読んだのだが、「有事の外患誘致罪、平時の共謀罪」という表現があった。余命ブログ主のコメントの中にである。この言葉を読んで、まだまだ私が深く理解していないことを自覚した。「親告罪」についても、ほんの少しだけ解説されていた。どうもその辺の理解も不十分であることを自覚した。余命関係者の皆さんの視野には、かなり明確なシナリオが描かれているという印象を受けた。つまり、そのシナリオの中軸をなすのが外患誘致罪であり、さらには共謀罪であるらしい・ ・ ・知らぬは私ばかりである。まだまだ勉強不足の自分を恥じている。

 理論的に説明することができないのだが、印象だけで表現すると、安倍総理の、ひとつひとつ外堀を埋める根気強さ、余命ブログの主導する戦略・戦術・ ・ ・この両者が、水面下の目に見えないパイプでがつながっているのかどうかは全くわからないが、逆に、日本の現状・真相を正確に捉え、その弊害を確実に除去するという方向を目指す時に、実行すべき具体策というのはおのずと通底しているのかもしれない。つまり、あるレベル以上の戦略家の視野には、私のような人間が到底見ることのできない、明確な道標が、共通して視野に入っているのだろうと想像している。

 これまでもたびたび触れてきたが、古代イスラエルの支族の発祥を研究している人の言葉によれば、イスラエルの民の祖先はどこかで日本人などのルーツを持っている、という表現があった。そのような記述を読むと、私の脳内はますます混乱してしまう。

 いずれにしても、日本・ユダヤ同祖論は、それなりに根拠があるのではないかと思っている。日本の軍隊や国防そのものが、現行の法制度上、十分な能力を発揮できないといわれている。大反対が起きるだろうけれど、アメリカが日本に対して抑止力としての、核武装を勧めるようになるかもしれない。かつて、長崎と広島に原爆を投下し、膨大な数の一般市民を殺戮したアメリカは、日本からの報復を恐れていた側面もあるのではないだろうか。先の大戦では確かに敗退したものの、日本軍人の質の高さ、日本人の勤勉さなどを知るにつけ、日本からの報復を恐れるあまり、日本を弱体化する憲法を押し付けたという考え方ができるのではないだろうか。

 最近知り合った男性は長崎の出身で、父親が働いていた工場が原爆の直撃を受け、父親が即死したと言っていた。しかし、もうそれは水に流したとも言っていた。戦後まだ100年も経っていないのに、彼はわだかまりを捨て去った。加害者と被害者の立場は、1000年たっても変わらない、などという事は言っていない。

 私は、自分の先祖の系図をたどったことがある。父方も母方も江戸時代までなんとか調べたが、それ以上は調べられなかった。憲法改正や、国際的な軍事協力・ ・ ・あくまでも国際平和を目的とするという前提であるが・ ・ ・が進展するにつれ、日本の企業が持つ技術力を結集して、かなり強力で精度の高い兵器を作り出すことができるのではないだろうか。以前、余命ブログで教えてもらった内容だが、戦車や潜水艦、機雷などの性能は非常に高いようだ。

 日本はもしかしたら、眠れる森の獅子かもしれない、という気がする。アメリカ人と接していると、優秀な人は確かにとても優秀だ。特に大局観があり、物事を大きく捉えでまとめる能力に長けていると感じる。一方、日本人の場合は集約的な能力・技術を持つと思う。ドラえもんではないが、日本の技術力によって世界平和に貢献するような、常識では考えられない兵器ができるのではないだろうか。敵国からミサイルが飛んできても、遥か上空で遠隔操作によるプログラム変更を行い、発射したミサイル基地にお帰りいただく、「ミサイル出戻り説得機能兵器」である。このような兵器ができたら、怖くてやたらにミサイルを発射することができなくなるだろう。

 こんな感じで、武力行使ができにくくなるような、平和製造兵器のようなものが量産できれば、日本は世界平和に大きく貢献するだろう。

 こんな妄想ばかりしているので、だんだんと誰からも相手にされなくなっていくだろうと思う。ゴーイング・マイウェーなので、それはそれで仕方のないことだ。


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by hirune-neko | 2017-05-24 01:21 | 現実的なお話し | Comments(0)

東アジア情勢を神学的視点から予測してみた


Astor Piazzolla plays Piazzolla Bandoneon Concerto II.-Moderato


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 大学生のとき、東京・練馬区にあったキリスト教の神学校・ ・ ・の近くに北海道出身の学生の寮があり、そこで4年間を過ごした。私が神学校で学んだわけではない。
 12月のクリスマスの頃、その神学校の神父さんらしき人と学生のみなさんが、私たちの寮を訪れた。おそらくは、愛の布教のために交流をしたいと思ったのだと思う。

 神父さんと学生さんたちは、何やら賛美歌と思われる歌を歌った。我が寮生たちは、それに対する返礼として、みんなで歌を歌うことになった。東京音頭という歌だった。東京音頭をそのまま歌えば、何事も起きずに友好的な時間を過ごすことができた。しかし、実際に歌ったのは東京音頭の替え歌であり、いわゆる卑猥な内容の歌詞だった。出だしのしばらくは、神父さんも学生のみなさんもにこやかに聴いていた。しかし、歌詞をよく聞くと全く卑猥な内容であり、それに気づいた皆さんは、何も言わず途中で立ち去っていった。今にして思えば、なんと失礼で非常識な応対だったのだろうかと思う。

 だからといって、北海道出身の人たちを偏見の目で見ないでいただきたい。たまたまそこで寮生活を送っていた学生たちが、よくいえば粗野であり、悪くいえば向こう見ずだっただけである。いずれにしても、周りの空気を全く読まない人間の集まりだったと思う。もしこの文章を、当時の寮生仲間が読んだら、お前こそその最たる者だった、と言うだろう。

 学生時代は、きっかけは覚えていないが、サルトルの実存主義という考え方に傾倒した。同時代人だったカミュに対しては、さらにもっと傾倒した。いずれもキリスト教を根底から否定する無神論の考え方だった。そのため私はいつしか、どこかの教会に乗り込んで牧師さん・神父さんと議論をし、いかにキリスト教が間違っているかを説明したいと思い始めていた。そんな私なので、神学校で学ぶ敬虔なクリスチャンの皆さんに対して、卑猥な歌を歌ったことに、何も罪悪感を感じなかった。

 それからしばらくして、古典ともいえるパスカルの「パンセ」という本を読んだ。パンセとは、フランス語で考える、という意味であり「人間は考える葦である」という言葉で有名だと思う。しばらく読み進むうちに、「神学的発生」という言葉が目に留まった。その意味を定義すると、とても長くなってしまうので省略するが、要するに、人間の知恵や知識では説明しきれない不思議なことがある、ということになるのだろう。

 学生の頃は、あれこれいろいろな宗教関係の人と話す機会がないままで終わった。しかし、

 「私たちの宗教を信じれば、病気もせず経済的にも困らず、長生きして苦労もせず、幸せな人生を送れる・ ・ ・」

 このような勧誘をする宗教団体は、詐欺師集団だと思っている。
 あえて断言するが、人間の人生には苦難が不可欠だと思う。苦難と向き合い、その境遇に耐えて努力するときに、初めて人間としての成長がある。その炉の中で人間性が精錬され、心の広い思いやりのある人間になっていくはずだ。
 私にとっての説得力のある表現は、

 「あなたの成長のためにイバラの道を用意しましたが、苦しくても耐えてください。私はいつもあなたを見守り、決して見捨てることはしません。私に信頼を置き、私に頼って生きてください。」

 である。このような表現をする宗教があれば、私は信頼を置くだろう。

 相変わらず悪い癖だと思うが、ここまでは前書きである。

 このところ、北朝鮮の核ミサイル問題が東アジア地域で大きな問題となっている。しかし、もしある国が超小型の核爆弾を開発・量産し、金目当てでその核爆弾を、世界中のテロリストや反政府組織、あるいは犯罪組織に大量に売却したらどうなるだろうか。所謂、スーツケース核爆弾である。おそらく彼らは、目に触れにくいその超小型の核爆弾を脅迫の材料に使い、理不尽な要求や犯罪活動を行うのではないだろうか。

 しからば、人間はどこまで苦難に耐える必要があるのだろうか。神学的な発想に立てば、たとえ命を失っても天国に救われればそれで良い、ということになるのだろう。
 では逆に、独裁者が暴虐の限りを尽くし、国を流血と恐怖で支配しようとするときに、その国の民は命を失う最後の最後まで、耐え忍ぶことを要求されるのだろうか。逆に、罪のない人々を苦しめ、あるいは命を平然と奪うような独裁者は、何の咎めも受けないのだろうか。なるほど、神学的には独裁者がこの世を去って初めて、来世で永遠の責め苦を受けるのかもしれない。しかし個人的には、多くの国民が血と涙を流して苦しむような、悪政を行う独裁者には、正義の力が働いてほしいと願っている。

 宗教関係の雑誌を少し読んだだけではあるが、今でも日本・ユダヤ同祖論という考えが根強くある。末の日のイスラエルの再集合という言葉もある。古代に、イスラエルの民が全世界に散らされ、北の国から失われたイスラエルの支族が現れる、という表現も目にする。もし、この「北の国」が、日本からごく近い国だとするならば、神学的視点から見たらどのようなことが起きるのだろうか。

 軍事的なバランス、地政学的な戦略などから、いろいろな予測をする人が多い。しかし誰一人として、神学的な展開などを述べてはいないのではないだろうか。

 自分の親族やその家族を残虐に粛清し、多くの民に飢えなどの犠牲を強いている国の国家元首は、ある日多くの人々の前で、女子どもに踏みつけられ、惨めな生涯を閉じるだろう。その遺体には野鳥が群がり、死体の肉をついばむ。
 そのとき、それまでに経験したことのないような大きな地震が起こり、山々は平坦になり、海底が隆起してあっという間に、大陸と日本の地が陸続きになる。抑圧された人々は、大陸と日本を結ぶ乾いた陸路に殺到し、祖国を後にして逃げ去る。その人々を背後から武装した軍隊が追うが、やがて逃げ惑う人々の背中が見えてきたときに、海水が丘のように隆起して、あっという間に軍隊を丸ごと海底にのみ込んでしまう。

 人間の手によらない不思議な力が、悪をくじき善良な民を救うというシーンを想像するなら、このような壮大な情景が思い浮かぶ。まるで、旧約聖書の出エジプト記のような内容だが、誰が読んでもおそらくは、荒唐無稽な作り話といわれて終わりだろう。実際にイスラエルの民は、エジプトでの奴隷生活から逃れた。しかし、エジプトを出てからも40年にわたって荒野をさまよい、飢えと渇きに苦しんだと書かれている。

 もし近い将来、本当に大地震が発生し、大陸と日本が陸続きになったとしても、私のことを預言者だなどと誤解しないでいただきたい。私はただ単なる妄想家に過ぎない。


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by hirune-neko | 2017-05-23 00:40 | 創作への道 | Comments(0)

いつの間にか、現実世界と距離感を保っているようだ


Milonga for Three - Astor Piazzolla


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 あまり自分を客観的に見たことはない。現実を直視しているつもりだが、さりとて、目に見える現実だけを追い求めていても、真相の時間経過による変化を、的確に捉えることは難しいのではないだろうか。

 現実社会を透視し、その背後に横たわる目に見えない世界の動きをとらえることは、なかなか困難だと思っている。結局は、いくつもの断片をつなぎ合わせ、想像を巡らして推測を重ねるしかない。

 近い将来、日本が有事の状況になったことを想定し、改めて近隣国の国防総動員法の実態を確認しようと考えた。同様に、戦時国際法によるテロリストや便衣兵の扱い、隔離や強制送還等の根拠について確認しようと考えた。なぜならば、そう遠くない将来に英語を公用語とするミーティングに出席し、日本有事の際に日本人、韓国人、中国人などが、法的にどのような立場になるのかを説明する機会が訪れるような気がしているからだ。まさに既視感である。

 同様に、入管通報、官邸メールに続いて外患罪集団告発という流れが勢いづいている。今はまさに、共謀罪に対する議論が沸騰している。一連の流れを冷静に見つめ、そこにどのようなリスクが発生するかを予測しなければならない。

 実際には、何年も前からブログ・余命3年時事日記、そして現在の余命三年時事日記を閲覧し、そこからの貴重な情報を得て全体像を構築している。かなり精度の高い情報だと思っているが、ミーティングの出席者からは、何らかの法的な根拠や出典・公的確証を問われる可能性がある。それに備えていくつかの公開情報から、補強できるようにするべきだと考えている。

 「国防総動員法・中国」、で検索すると、中国語で書かれたサイトに行き着いた。中国共産党政府による公式サイトだとは思うのだが、中国語が全然理解できない私にとっては、まだ心もとない。一方、「国防総動員法・韓国」で検索しても、それらしいサイトを見つけることができなかった。もしかしたら、民団の公式サイトには何らかの情報が掲示されているのだろうか。以前、余命ブログに記述があった記憶があるが、まだそこまでは調べきれていない。

 個人の資格でアメリカのCIA、英国のMI6やイスラエルのモサドなどに自由に出入りし、現場の生の状況を見学できるはずがない。したがって、これらの情報機関を舞台に制作された、映画やテレビドラマを観て、その断片から推測を重ねるしかない。それらは作品として現実を捉えるので、どうしても必要以上にドラマチックになったり、意外性を追求して奇をてらうこともあるだろう。しかし、丹念に取材や調査をすることで、かなり現実的な展開をベースにして脚本を作り上げていると思う。その意味では、ストーリー展開の先を必死になって推測し、あらゆる可能性を脳内で検証している。しかし、さすがにプロの皆さんが制作しているだけあって、予想がそう簡単には当たらない。

 現在の、北朝鮮を挟む日本とアメリカ、韓国、中国、ロシアが、近未来にどのような動きに出るのか。いろいろな視点から予測する人たちは多いが、あくまでも公開情報からの推測であり、極秘情報まで入手して、予測するのは困難だと思う。

 今日たまたま、ある宗教指導者の講演をインターネットで目にした。いや、正確にいうと耳にした。一国の大統領や軍事司令官と比較すると、宗教指導者の視点は非常に現実離れしているように感じられる。高高度から地上を俯瞰する偵察衛星がある。宗教指導者の説法を聞いていると、さらに上空の宇宙の果てから、地球を俯瞰し、しかもその時間軸たるや、5年、10年あるいは数十年先を見越した視点になっているように感じる。

 宗教的な視点の是非を述べるつもりはない。国家指導者や軍事当事者は、目の前の現実的な課題を、タイミングを見て確実に解決しようとしている。一方、宗教指導者の説法を聞いていると、悲惨な戦争が始まり、そして終結したさらにその後の、数十年もの先を見ているような印象だ。いや、印象なのではなく、現実にそのような長期的なスパンで物事を見ている。

 あくまでも想像だが、有能・優秀な政治家というのは、目の前の困難を自国の勝利によって解決するだけでなく、そこから派生する様々な国際問題にどのように対処するか、さらには自国民や敵国の国民の負うであろう様々な心身の傷を、どのように癒していくかをも視野に入れていると思う。

 何度も述べているように、私自身は何人かの奇特な方々の協力を得て、公開情報から情報を収集し、分析するというのが基本的なスタンスである。一般の情報機関は、最終的には国家元首に報告・提言し、場合によっては戦争や特定の人物の暗殺を決断することで、国益を守ろうとする。

 一方で、ファミリー・インテリジェンス・ ・ ・?なんだそれは?と思われるはずだ。大学院の試験を受けたときの面接官は、国際政治学の専門家だったが、国家インテリジェンスとファミリー・インテリジェンスはどう違うのか?と質問した。今まさに大学院の試験を受けている人間が、主任教授に対して偉そうに講義できるはずがない。国家インテリジェンスの場合の最終判断者は、いうまでもなく国家元首である。それに対し、ファミリー・インテリジェンスの手法で想定する最終判断者は、個人や個々の家庭である。

 いずれは・ ・ ・以前も述べた記憶があるが、「個人と家族が平和・安全・健康に過ごすためのファミリー・インテリジェンス入門」という、長ったらしいタイトルの書籍を刊行したいと思ってはいる。国家インテリジェンスの書籍には、絶対に出てこない個人の人生観や価値観、感性を育てる、なども重要テーマになる。

 さて、世界的に見てもどうやら先例のなさそうな、ファミリー・インテリジェンスという発想。このプロジェクトを進めようとする当人が言うのだから、まず間違いはない。現実を見るだけでなく、相当な想像力と妄想力を必要とする。それに加えて、洞察力、感性力、直感力、使命感、哲学・理念、さらにはまるで宗教家のように、耳に聞こえない声を聞き、目に見えない事象を認識する能力を必要とされている。

 いつもいつも、これらのハードルを越えようともがいている私が言うのだから、本当に間違いはない。なぜ、このような複雑で面倒な領域を開拓しようとするのか、その答えは私にもわからない。こうなるともう、ある種のパラノイア・偏執狂だろうとも思う。

 改めての決意表明のような文章になってしまったが、くたびれ果てた私を支え後押してくれるのは、もしかしたら宗教家の表現による、天啓のものなのかもしれない。あと10年経てば、答えを得ることができるだろうと思う。実に気の長い話だ。


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by hirune-neko | 2017-05-22 01:10 | Comments(0)

母の一周忌に寄せて


OSCAR BENAVIDEZ..REMEMBRANCE : ASTOR PIAZZOLLA


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 北国の友より届きし花かごの
 香り漂い佳き日を想う

 今日の母の一周忌を前に、昨日は母の従妹から花かごが届いた。母の従妹といっても、私の2歳上で同年代だ。最後は札幌の国立病院付属看護学校の副校長で退職し、療養生活を送っている。超キツイ性格が印象に残っているので、花を送る感性があったことに驚いている。

 今日の午後、花屋さんから花かごが届いた。白を基調に、アクセントで薄紫の花を何本かあしらった、なかなかセンスのいいアレンジだった。かつては、寝ずの番をしてくれたブロンズの「猫の給仕役」をどかして、骨箱の横に花かごを置いた。

 すると母の声なき声が聞こえた。連名で送ってくれた二人に、返礼で歌を詠んだので、伝えてほしいという。

 北国の友より届きし花かごの 
 香り漂い佳き日を想う

 この世を去って1年経った今でも、自分のことを忘れずにいてくれて嬉しかったらしい。生前は私のことをいつも「親不孝息子」と呼んでいたが、死して後、納骨もせず2階の奥の部屋に放置したまま、朝晩の挨拶もしに来ない・・・まさかここまで徹底した親不孝息子だとは思わなかった・・・という嘆きも聞こえる。甘受している。

 死して安息に入る、という言葉がある。激動の人生を生き、艱難辛苦が累積する人にとっては、死は唯一の安らぎなのではないだろうか。私は幸いにして、この世を去って安らぎたいと思うほどの激務をこなしていない。使命感だけでなく、楽しみもある。まだまだ責務を果たしていない道半ばの状況なので、集中力が途切れないよう・・・飽和状態になると、好きな映画を観て張り詰めた神経を弛緩させている。

 シーズン3の途中で中断していた24(Twenty Four)というテレビドラマを、久しぶりに観ている。次の展開が気になって、どうしても止まらなくなってしまう。でも、今日はここまでにしておこう。

 昨年の5月20日のブログを読み返してみた。喪主なのに、弔問客に配るための、母になりすました写真入りメッセージ文を作成していた。改めて、ブログがすっかり日記化していると認識した。10年も続けていれば、膨大な文字量になっている。

 自分の人生の足跡を振り返ることのできる、貴重な記録だと思う。


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by hirune-neko | 2017-05-21 00:17 | 心の中のできごと | Comments(0)

観劇記「南武線誕生物語」〜夢みる男たち


Astor Piazzolla - Woe


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 川崎と立川を結ぶ「南武線」が誕生するまでの関係者達の苦労を、史実を踏まえて舞台化した作品だ。開業から90年というから、やがて1世紀になろうという由緒ある路線である。

 インターネット上に溢れる話題は、北朝鮮のミサイル問題であり、韓国における親北大統領の誕生であり、トランプ大統領の弾劾問題であり、中国が主導する国際金融機関AIIBの経営実態の脆弱さであり、・・・いずれも目が離せない緊迫した状況が錯綜している。

 もしかしたら明日にも、緊急事態が発生するかもしれない、という緊張した毎日を私たちは生きている。情報の断片ひとつひとつに一喜一憂し、知れば知るほど神経が休まらない。

 改めて90年という歳月を遡行し、当時の先人の舞台裏の苦労や、目に見えない理念・哲学を舞台上に再現しようという試みである。

 脚本家は小川信夫先生で、今回が第6弾となる。川崎市民劇というだけあり、いずれも、川崎の地にちなんだテーマを脚本化している。
2006年 「多摩川に虹をかけた男〜田中兵庫物語」
2008年 「池上幸豊とその妻」
2011年 「枡形城 落日の舞い」
2013年 「大いなる家族〜戦後川崎ものがたり」
2015年 「華やかな散歩」

 今すでに存在するものを、そのあるがままの姿でしか捉えないならば、目に見える表象しか理解することはできないだろう。しかし、最初に存在した理念を、具体的な形にしていく過程の苦労と努力を知るならば、表層からは伝わってこない「ぬくもり」を体感することができる。ときとして、身命を賭して後世の人たちのために遺してくれた関係者に対する、敬愛と尊敬の情が湧き上がってくるのではないだろうか。

 日常生活で、何気なく乗降していた南武線に対し、新たな感情移入をするようになるのではないだろうか。欲得ではなく、地域の人、後世の人のために信念を貫いた先人に対する情は、そのまま郷土愛につながっていくだろう。

 浅野財閥や安田財閥の創業者が登場する。苦難の環境をはねのけ、経営哲学を確立していく彼等の魂を再現したのは、脚本家の筆力である。その慧眼に、改めて敬意を表したい。

 舞台は映画同様、総合芸術である。目に見えない着想に始まり、脚本、演出、演技、舞踊、音楽、照明、衣装、大道具、小道具、音響、映像・・・おそらくは仕事を持ちながら、乏しい時間の中で、それぞれの役割を果たすことに努力されたはずだ。

 舞台作品は映画と違い、ある意味では再生の効かない瞬間芸術でもある。一瞬の気の緩みが集中力を欠き、予測しない思わぬ事故につながることもある。コンディションの維持と集中力が要求される、負荷の大きい、緊張した時間であり空間である。

 冒頭の雲の流れる映像が自然で、印象的だった。舞台装置も自然でリアリティがあった。照明も違和感がなく自然だったし、衣装も登場人物のキャラクターを引き立たせるよう吟味されていたと思う。音楽も決して出しゃばらず、場面ごとの感情イメージを想起する助けになっていた。登場人物の皆さんは・・・ベテラン俳優さん達の落ち着いた演技が、場面のリアリティを引き立たせていた。若手の皆さんには、それぞれの人物になりきろうとする、真摯な演技努力を感じた。唯一、メークに関しては、2階席の中段に座ったことと、持病の白内障のため的確なコメントを書くことができない。しかし、終演後にロビーで挨拶されていた皆さんを見たが、自然な感じだった。
・・・もっとも、私に舞台メークを語れるような資質や経験があるわけがない。

 最後にひとつだけ、私の好みから希望を言わせていただくと・・・音楽でいうところの「間」が、もう少し効果的にほしかったように感じた。登場人物の葛藤や苦悩から生まれる、内省や自省という無言の演技が「間」の中に浮遊していれば、作品のさらなる深さと幅に貢献しただろうし、観客の作品に対する理解や共感・共鳴もさらに深化したのではないだろうか。

 ・・・お前が自分でやってみろ、という声が聞こえそうだが、私はあくまでも一観客として、鑑賞することしか能がないので、お許しいただきたい。

 登場人物が作品中の台詞で語っていたが、経営者にとって、事業というのは単に「収益」という側面だけでなく、「夢やロマン、使命」という要素が中心になければならない、という哲学には大変共感を覚えた。

 相変わらず、小川信夫作品に通底する、弱者への温かい視線を感じることができたのは救いだった。壮大なスケールの構想作品だったので、舞台という限定空間での、しかも限られた時間内での「時代再生」には、ご苦労が多かったことと思うが、キャスト、スタッフの皆さんの意思と意識が結集して完成された、立派な作品だった思う。

 引き続き、有意義な大作を作り続けていただきたいと、期待したい。

(残りの公演情報)主催:川崎郷土・市民劇上演実行委員会
・5月20日(土)13:30
・5月21日(日)13:30
  いずれも、エポックなかはら(南武線武蔵中原駅から1分)


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by hirune-neko | 2017-05-20 01:25 | 創作への道 | Comments(0)

金沢や能登に対して不思議な郷愁を感じる


Guitar Duo KM - Oblivion, A. Piazzolla


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 今日、能登にお住まいの方と何度かメールのやり取りをするうちに、遠く過ぎ去った懐かしい会話が甦ってきた。

 明後日、一周忌を迎える亡き母は、異常と思えるほど草花を愛でた人間だった。その母は、一度金沢の兼六園に行ってみたいと、口癖のように言っていた。

 学生の頃、福井県の鯖江までは何度か行ったことがある。長野から新潟、そして富山へは三男家族が住んでいた頃、2度ほど行ったことがある。しかし、金沢と能登には1度も行ったことがない。

 かつて、すでに故人となっている自称将棋気違いの80歳代の方と、毎月車で厚木の将棋教室に通った時期がある。片道1時間ほどの車中、少しずつ心を開き、お互いの過ぎ去りし日々について語るようになった。ある日、帰りの車中で彼は最近見た映画だが、と言って話し始めた。

 映画のタイトルは「駅路」で、原作は松本清張だ。35年間勤めた銀行を定年退職した男性が、ある日家を出たまま帰らず、家族が捜索願を出すという設定だ。広島支店長時代に知り合った女性と、時々密会を重ねていた場所が、私の記憶に間違いがなければ金沢周辺だったように思う。ゴーギャンの画が好きだった主人公の話を、まるで自分のことのように重ね合わせ、懐かしそうに語り続けた。ゴーギャンが晩年を過ごしたタヒチに、自分も行ってみたい、と彼は言った。

 私にとっては、金沢も能登もまだ見ぬ土地である。しかし、街並みやそこに住む人たちの心情に、陰影を感じている。いつか一度行ってみたいと思っている。

 生きていれば、誰でも毎日視野に入る目の前のことに追われる。必死にそして真剣に生き続けて、やがて人生の大きな分岐点を迎えたとき、それまでの延長線上に未来を見る人もいるだろうし、場合によっては大きく方向転換を考える人もいるだろう。現実の中にあっても、目に見えない心の中の世界に視線を移す時間があれば、自分自身をもう少し客観的に見ることができるのではないだろうか。

 私自身、時々飽和状態を感じることがある。それは能力の限界だったり、消化しきれないストレスのこともある。そんな時は、生きる方向感覚を失ったかのような、不安を覚える。現実と非現実の世界をバランスよく視野に入れ、思索する余裕を持てる人生を生きたいと思う。

 私はおそらく、年齢の割にはIT機器を使いこなしている方なのではないだろうか。今日、iPad Proで使い始めた新しい機能を、iPadでも使いたかったが操作方法がわからず、アップルのサポートセンターに電話した。電話に出た方が対応できず、技術担当の方に代わってもらった。口頭で説明をしたところ、よくわからないので画面共有したいと言われた。画面を共有してもらい、目的のアイコンを示した。そうすると、これは初めて見る機能だと言われた。正直言って驚いた。少し時間を置いて調べてくれたので、どのように操作をすれば使えるようになるかはちゃんと教えてもらえた。

 機能が低下する一方の私とは反比例して、どんどん思いもよらなかった新しい機能が追加されるIT機器には、とても助けられている。まさか、脳内に人工頭脳チップを埋め込むような時代は来ないと思うが、もし実現したら真っ先にお願いしたいと思っている。

 世界の主要7カ国語完全マスターチップ・ 36 GBで、手術代込み30万円、のような広告を実際に目にする日が来るかもしれない。もうしばらくは、それを楽しみに生きていたいと思う。


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by hirune-neko | 2017-05-18 22:45 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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