昼寝ネコの雑記帳

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なんとか第一四半期最後の日を迎える


Astor Piazzolla - L'amour


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 ずっと長い間、取引先への請求書と印税計算書を自分で作っていた。数字を間違ってはいけないので、かなり緊張した時間を過ごした。去年からだろうか、小さなお子さんを2人抱えたお母さんに、在宅での手伝いをお願いし少しずつ業務内容を増やしている。

  もう1人はまだ若い男性だが、同じ絵本を二重に作ってはいけないので、毎週重複チェックをしてもらっている。これもずっと私が処理していた案件だ。

 おかげで、事務作業負担は少しずつ軽減されている。

 もうここには記載しないと決めていたのだが・・・ある福祉団体向けの情報調査機関のことだ。どうやら、福祉団体に所属する人たちを全国から選び、調査を依頼することになりそうだ。顔を合わせることもなく、基本的にはメールと 電話のやりとりになるだろう。

 それでなくとも、単なる公開事項の検索より一歩踏み込んで、相手の背景を調べ洞察する作業になる。これまで全くそのような意識や認識がなかった人たちを、どのように組織化し訓練すれば良いのか、どうしても糸口が見出せない。そこで思い余って、長男にメールを送ることにした。

 長男はかなり多忙であり、ハードなスケジュールをこなしている事は承知している。しかし、所属が人事部であり人事管理に関しては、それなりのスキルを磨いているようなので、申し訳ないと思ったが相談のメールを送った。

 娘とは違い、息子たちはある意味で信頼できる友人のようなところがある。では娘は何かというと、友人というよりはやはり可愛いさが先に立ってしまう。

 年齢的にはもう既に引退してもおかしくない。それなのに、肉体機能の低下に逆らうように、まだまだある種の野心を抱いている。私の場合の野心は、私心のない使命感のようなものである。

 長男から返信があり、私の構想はボランティアで出来るような内容ではなく、教育と訓練を受けた専従スタッフが必要だ、と意見が述べられていた。しかし、私の息子だけあって私の心情をよく理解し、使命感でやっているのだろうと思う、と言ってくれた。

 小さかった子供たちが、それぞれ苦難を乗り越え、あるいは苦難の最中であっても積極的に道を切り拓いている。そのような姿を見られる事は、親としてはとても嬉しいことだ。既に私にはもう、子供たちに教えてやれる事は何も無い。逆に教わる一方になりつつある。 いや、もし教えられることがあるとすれば、それは私自身が自分の人生で得た、いくつかの教訓位のものだろう。

 こうして毎日、ブログにその日その日の雑感を書き記している。考えてみれば、子供たち、あるいは孫たちに伝えたいと思っていることなのかもしれない。という事は、ある意味では遺言のようなものだ。しかも、どなたにも共有していただける内容だ。大上段に意識してはいないが、せっかくお越しくださる面識のないブログ読者のみなさんにとっても、一方的に遺言をお伝えしているようなものだ。

 ところで、「ねずさんのひとりごと」という名のブログをご存知だと思う。以前から、とても豊かな知識を持つブログ主の方だと思っている。文章が長いのでなかなか読む機会は無いのだが、今日は見出しに惹かれて全文を読ませていただいた。最後のほうにYouTubeの動画で「サンド・アート」あるいは「サンド・アニメーション」が」紹介されていた。記事もさることながら、初めて目にした芸術作品である。記事の内容も大変興味深く、ソ連からロシアに至る歴史的な変遷の解説と同時に、穀倉地帯といわれるウクライナで発生した大量の餓死者について、その背景を説明している。お時間がおありになる方は、記事をお読みになることをお勧めする。下部にそのYouTubeの動画を紹介させていただく。数多くのブログ主の方がいらっしゃるけれど、ねずさんという方はとてもアカデミックな素養のある方だと敬服している。

以下は【ねずさんのひとりごと】より一部抜粋
「ウクライナのお話」

 ウクライナは飢饉のときの2年間で、1千万人の国民と家畜たちが死んでいきました。さらに第二次大戦で、民族の4分の1にあたる700万人の兵士が死亡しました。大戦後もソ連の内政によって400万人から1000万人が殺されています。
 セーニャさんのサンド・アートは、その悲しみを描いた作品です。
このアートには、芸術祭の審査員全員が涙したといいます。
 みなさまも、お時間があれば、是非、冒頭のサンド・アートの動画をご覧いただきたいと思います。およそ8分ほどの動画です。

Kseniya Simonova - Sand Animation (Україна має талант / Ukraine's Got Talent)


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by hirune-neko | 2017-03-31 00:44 | 心の中のできごと | Comments(0)

無名の人間が遺す価値ある資産

Astor Piazzolla - La famille


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 急に決まったことなので、すでに先約があった長男だけは来られなかった。三男家族が5年間の富山での生活を終え、無事に大学を卒業して東京近郊にあるお嫁さん の実家に引っ越してきた。しばらくは居候の身である。

 5年間の学生生活を無事に終え、医師国家試験にも合格し、勤務先の病院も決まった。今日はそんな三男家族の慰労会を催した。私たち夫婦と次男夫婦、それと一番下の娘も駆けつけてくれた。

 三男は学生結婚をし、卒業後就職をしたが、まもなく女の子が生まれた。3年間勤務したが、どうしても医師への道を目指したいという考えを捨てきれず、妻子ある身で職を辞し、医学部を目指して学士入学した。在学中にもう1人女の子が生まれ、今日の慰労会には、その二人のまだ小さい娘たちもやってきた。久しぶりの対面だった。

 お嫁さんも実によく協力してくれたし、実家のご両親もずいぶん通って支援してくれた。しかし、三男は学費を免除され、奨学金を得てアルバイトもしながら生活を維持した。かなりハードな生活だっただろうと想像している。

 あと数日で、ある大学附属病院で研修医としての仕事が始まる。人生の大きな転機を、無事に乗り切ったと思うので、親としても嬉しいし労をねぎらってやりたいと思う。

 兄夫婦と妹に会い、楽しそうに歓談していた。私は壁際に座り、いつの間にか居眠りを繰り返したので、話の輪に加わることはできなかった。

 娘が私の隣に座ったので、向かいの席に座っていた次男に頼み、娘とのツーショット写真を撮ってもらった。そのとき娘は何と言ったか。「お父さんブログにアップしないでよ」、と言われてしまった。依然として、私のブログは娘の監視下にあるらしい。

 帰り際に、二人の孫娘を両脇に抱え写真を撮ってもらった。帰宅してから娘との写真、孫娘たちとの写真それぞれを写真光沢紙に印刷してみた。最近の携帯はカメラ機能もなかなか高度であり、とても大きく鮮明な画像だった。プリンターから出てきた印刷物を眺め、改めて自分自身がそれなりの年数を生きてきたのだと自覚した。

 いろいろな事情で、結婚できない人もいる。結婚しても子供を持てない夫婦もいる。事故や事件、あるいは自然災害で家族を失う人もいる。何十年も結婚生活を送り、孫を持つ年齢になってから、離婚の道を選ぶ夫婦もいる。

 改めて、いつか人生を閉じるときに、何が最も価値のある資産だと考えるか、と自問してみた。

 この年齢まで生きてくると、他の様々な人たちの人生の終盤を目にしている。家族同士が最後まで信頼関係を維持し、お互いに思いやりと大切にする気持ちを持てるならば、個人的にそのような関係が人間の一生の中で、最も価値のある資産だと思う。そのような確信を持っている。

 ホームで帰りの電車を待ちながら、次男のお嫁さんが言った。三男はとても努力して立派な業績を残した、彼女はそういった。そこで私は即座に答えた。

 「確かに社会人になってから医学部に入り、家庭を持ちながら苦学し、無事に卒業して医師国家試験にも合格したことは、賞賛に値すると思う。誰にでも理解しやすい、目に見える業績だと思う。でも、人の目に触れないところで地道な努力をし、苦労しながら使命感に支えられて研鑽を重ねる人たちも、ある意味では同等以上に立派な生き方だと思う。」

 私はそのように言った。彼女の夫である次男は、長年にわたり厳しい仕事環境であるにもかかわらず、不平不満を言わず、私の仕事をずっと手伝ってくれている。そんな次男の心情を思い、人の目には触れない努力を称賛したかった。

 私の仕事人生のここから先はいよいよ、刈り入れの時である。一般的な尺度からすれば、売り上げ規模や財務状況が会社としての成功の判断材料になるだろう。しかし、私たちの場合は優先順位が異なる。様々なマーケティング手法から見ても、一体どこで売り上げや利益が発生するのか、と異端視されるに違いない。そのように思われても結構である。

 人間の人生で、最も価値があるものは何かを知ることができるのは、おそらくは晩年になってからではないだろうか。その意味で、私は普通よりは早熟だったかもしれない。仕事も同様で、一般的には目先の売り上げや利益を生むマーケティング手法がもてはやされている。しかし、人生の途中で何が起こるのかを予測するのが難しいように、社会環境、経済環境、国際情勢などが、いつどのような変化をもたらすか予測をするのはなかなか困難だ。その変化も、想定しなかったようなものであれば、どれだけ盤石と思われた販売網であれ、あるいは商品力であれ、あっという間に色褪せて無価値になってしまう可能性だってある。

 社会情勢の劇的な変化が起きたとしても、廃れずに、多くの人が必要とする要素はなんだろうか。それが私たちのキーワードである。

 私自身が抱いている小さな野望は、自分のために遺したい遺産であり、家族に遺したい遺産であり、親しい友人たちに遺したい遺産であり、そして少しでも多くの方々のために遺したい遺産の形成である。抽象的な表現なので意味不明だとは思うが、金銭や財力という尺度に束縛されず、理念や理想あるいは希望などを、目に見える形で顕在化させることができれば、それはとても有意義なことではないだろうか。

 頭の芯がすっかり疲れていたので、不覚にも居眠りを続けてしまったが、おかげで今、脳内はすっかり晴れ渡っている。

 相変わらず意味不明で、抽象的な表現に聞こえるかもしれないが、私自身の内部では具体的なイメージが像を結んでいる。


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by hirune-neko | 2017-03-30 02:04 | 心の中のできごと | Comments(0)

久しぶりの本格フレンチ〜インテリジェンス議論

Astor Piazzolla - Marejadilla


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 今日の昼食ミーティングのゲストだった、日本語を話さないアメリカ人弁護士が、ダブルブッキングで来られないことになってしまった。したがって、今日のミーティングは中止になると思っていたのだが、レストランを予約してしまっているので、せっかくだから私を含む日本人3人で会おうということになった。

 予約の手配をしたのは旧友であり、20代後半からの付き合いの人物だ。彼はその後ずっとエリートコースを歩み、日銀の支店長を歴任し、ある市の助役まで務めた。一方の私は、自ら選んだコースではあるが、エリートコースとはほど遠く、砂利道、ぬかるみ、でこぼこ道の連続人生だった。いや、過去形で表現することができない。現在もまだ険しい道を歩き続けている。

 旧友が予約してくれたのは、日銀の接待所と呼ばれる場所だった。てっきり、日銀の本店近くの日本橋だと思っていたが、六本木だった。閑静な場所にあり、周りを樹木に囲まれている、とても贅沢な環境だった。

 一体どんなメニューのあるレストランかと思っていたが、完全にフランス料理だった。普段は気ぜわしく動いているので、洋食といえばせいぜいデニーズ位だった。フォークとナイフのセットが4種類ぐらい並んだだろうか。それとデザート用のフォークとスプーン。本当に久しぶりの本格的なフルコースだった。

 以前書いたことがあると思うが、家内の叔父叔母が経営していた浅草の洋菓子屋がある。漫画のこち亀にも登場したことがある。叔父が出張先で倒れて、そのまま還らぬ人になってしまった。葬儀が終わってしばらくして未亡人の叔母から、もしもの時は私に手伝ってもらうように言い遺して亡くなった、と告げられた。当時の私は、まだ30歳前後であまり人を疑うことをしなかったようだ。素直に無給で手伝うことにした。

 亡くなった叔父は、今は活動していないがCRCという会の会長をしていた。Coffee/ Restaurant/ Cakeの頭文字から取った。叔父が亡くなったため、会長を引き継いだのは、当時銀座清月堂という名のフレンチレストランのオーナーだった。新橋にある同名の清月堂という和菓子屋とは親戚筋だそうだ。日比谷松本楼の社長、アートコーヒーの社長、コロンバンの経営者一族、料飲食業組合の理事長等が、毎月一度会合を開いた。 会合は決まって、和洋中の著名で特色あるレストランでの夕食だった。

 皆さんはそれぞれ、レストランのオーナーだったりするので、食べ方のマナーなど基本から教えてもらったのを覚えている。数年後に私は洋菓子屋の手伝いから身を退いた。それでも構わないから引き続き出席しなさい、と言われ全く関係のない業界に身を置いていた私だったが、会が閉じるまで参加させていただいた。

 そんな立場だったので、著名な料亭やレストランにはかなり出入りしていた。日銀の接待所であるフレンチレストランに入り、昔のことを懐かしく思い起こした。

 電車に乗って外出し、しかも人と会って少し難しいテーマで話をすると、疲れがどっと出てくる。

 旧友はさすがに如才なく、緻密な思考によって説得力のある話し方をする。その場の空気を読み、忖度しながら言葉を選ぶ。 彼と比べると、エリート街道とは全く無縁の人生を歩んできた私は、どこからどう見ても自分の意見をはっきりと主張してしまう。

 それには大きな理由がある。30歳になった頃から、仕事の関係で頻繁に渡米するようになった。現地の人たちに接し話をしようとするときに、日本流のやり方では通用しないことを悟った。いわゆるディベートという言葉があるが、たとえ相手の考え方や意見と異なっても、自分の意見を伝えるということに躊躇がない。それがアメリカ流の付き合い方だと肌で感じた。

 何年もかかったが、私も徐々に自分の考えを理論的に、感情を交えずに相手に伝えるよう努力するようになった。あれからすでに30年が経ってしまった。今の私はますます磨きがかかり、相手からどう思われようが全く気にせずに、自説を述べるようになっている。

 いつぞや大騒ぎになった、「余命三年時事日記は史上最悪の出版物である」、という記事の下には大変な数のコメントが書かれている。私に対する信用をなくしたのでもう来ない、気をてらう書き方が気に入らない、などずいぶんいろいろ書かれてしまった。コメントが気にいらなければ、削除して構わないと書いている人もいたが、私は1つも削除していない。私の記事を読んでどのように感じるかは、その人の自由だからだ。非難するコメントに対しても、一つ一つ私の考えを記載した。

 旗幟鮮明という言葉があるが、自分が確信を持った事ははっきりと述べるようにしている。しかしもちろん、子供ではないので感情的にならず努めて冷静に述べるようにしている。

 帰ってきて、すぐに仕事に戻ることができず頭休めをしていた。政治ブログランキングを開き、「正義の見方」というブログを閲覧した。そこには国会中継の動画が掲載されていた。こんな書き出しだった。

「正義の見方」より引用
《総理が民進党・辻元清美の森友学園 新たな「3つの疑惑」に言及》斎藤嘉隆・民進党 vs 安倍晋三内閣 【国会中継 参議院 決算委員会】平成29年3月28日

 掲載されていた動画は、少々長いが最下部に紹介する。所々少し飛ばしながらやりとりを黙って観ていた。安倍総理夫人のメール、Facebook、さらには獣医大学の設立についての追求などである。

 私は司法関係者ではないので、真実はどこにあるかという追求をするつもりは全くない。「みるとす」会員に対して、どのようなポイントを述べるか考えてみた。事実関係を正確に把握するためには、インターネット上で公開されている様々な情報だけではなく、文字通り通信を傍受し分析する必要があるだろう。さらには尋問し、嘘発見器も必要かもしれない。一つの案件に、そのような時間と手間をかけていたのでは日常生活が成り立たない。

 「斎藤嘉隆・民進党 vs 安倍晋三内閣・・・」と書かれているように、民進党の議員の方が30分以上にわたって政府を追求している。この姿を見て、あるいは追求内容を見て、要するにこの議員あるいはこの政党に日本の将来を託せるだろうか、という視点で見ていただくようお勧めしたい。将来、みるとすの会員として登録される方には、様々な異なる政治や宗教に関わっている人たちが存在すると思っている。したがって私は、私の個人的な見解や意見を押しつけるようなことはしたくない。そうではなくて、相手のありのままの姿を見てその人自身の判断力を働かせ・・・自信がなければ判断力を養っていただきながら、判断していただきたいと思う。

 きちんとフィルターをかけて、公開情報から選定してお届けする。それが私たちの務めだと思っている。きちんと選び、選挙には棄権せず投票する。そのような人が増えれば増えるほど、国は民意によって方向付けられるのではないだろうか。

 願わくばなるべく早くサイトを再構築し、ニュースレターを再発行し、短期間で数万世帯の会員をお迎えしたいと思っている。願わくば、数十万世帯、さらには数百世帯と増大していけば、選挙のたびに国家基盤が少しでも盤石のものになるよう、お手伝いできるのではないだろうか・・・。

 それが私の個人的な、「可愛らしい野望」である。

《総理が民進党・辻元清美の森友学園 新たな「3つの疑惑」に言及》斎藤嘉隆・民進党 vs 安倍晋三内閣【国会中継 参議院 決算委員会】平成29年3月28日



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by hirune-neko | 2017-03-28 22:35 | インテリジェンス | Comments(2)

少しだけど、自分らしさを取り戻したようだ

Chris Botti - Emmanuel


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 忙しかったり処理案件に追われ、時間に余裕がない生活は慣れているつもりだ。しかし、この半年以上の期間は、コントロールの効かないストレスをずっと感じてきた。

 その原因を考えることもしなかったが、今頃になって思い当たることがある。パソコンで最も頻繁に使用するソフトは、編集用のQuarkXpressと表計算用のExcelだ。半年ほど前に、デスクトップもノートパソコンも新しいのと入れ替えた。OSの関係もあり、これらのソフトも最新のものにバージョンアップした。すると、操作のボタンの位置や使い勝手ががらりと変わってしまった。何かしようとするたびに、一体どこに何があるのか皆目分からない状態だった。考えてみたら、手足を縛られたようなもので、これが一番ストレスになっていたと思う。

 しかしさすがに、こうして半年間の期間悪戦苦闘してきたら、主要な操作はほぼ体で覚えることができた。現在では、昔のスピードで処理することができるようになっている。すると不思議なもので、目の前のことだけしか見えなかったのに、ようやく全体を見渡すことができるようになってきた。精神状態もすこぶる改善された。

 相変わらず世の中はすこぶる騒がしく、変化の速度が速いように思える。いろいろな方の政治ブログをざっと閲覧するが、ずいぶんたくさんのテーマがあるものだと思う。インターネット上で繰り広げられる、いくつもの論点。さらには、飽和点に達するのではないかと危惧される、諸外国の情勢がある。その筆頭は韓国であり北朝鮮であり、はたまた中国でもあるように映る。

 内緒の話でもないが、今日でアメリカのテレビ映画作品・NIKITAの3シリーズまでを閲覧し終えた。リュック・ベッソンの映画・NIKITAとは違い、舞台設定が世界各国を股にかけたリアリティーのある作品である。しかもシリーズ3ではSF映画に出てくるような、様々な兵器や施設、道具が次々と登場する。もちろん何重にも張り巡らされた陰謀ストーリーも大変興味深い。

 おそらく今現在は、インテリジェンスという授業は防衛大学でしか開講されていないのではないだろうか。大学や大学院で学ぶインテリジェンスは、あくまでもアカデミックな知識である。実際にどのようなことが起きているのかを知るには、かなり時代を遡った古い知識になってしまう。しかし、現実の諜報活動の実態を知るには、やはり小説や映画にかなわないと思う。

 その意味で、自分の趣味でもあるが、世界各国の情報機関を素材にした作品は、とても興味深く鑑賞することができる。私の最優先目的は、論争の渦中に身を投じ黒白をつけることではない。ましてや、いつどこで、何が起きるかを予想することでもない。基本的には個人や家族の皆さんが、少しでも安全で平和・平安な環境に身を置いていただきたい。また、家族が最も信頼できて安心できる関係であることを、目指していただきたい。自然災害だけでなく、有事やテロ等の非常事態に備えていただくこともお手伝いしたい。さらに言えば、様々なプロパガンダ活動、印象操作、世論誘導などに惑わされず、現実社会を前に洞察し判断される方の数が、1人でも多く増えていただきたい。これが私の望みである。

 まだまだ少しずつではあるが、ようやく加速度がつきそうな環境になってきている。目下の最大の懸念は、自分自身の健康と体力そして気力である。使命感を持ち、達成感も味わいたいという考えなので、健康には気をつけたいと思っている。

 今日、久しぶりに脳内に浮かんだメロディーがあった。どうしてもタイトルが思い出せなくて、しばらくあれこれ考えたのが表題の音楽である。曲の謂れは全く知らないが、たまに聴くとしっとりとしていい曲だと思う。


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by hirune-neko | 2017-03-28 02:08 | 心の中のできごと | Comments(2)

腰痛ベルトを2本巻いて悪戦苦闘中だ

Adios Nonino - Astor Piazzolla


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 腰痛ベルトというのは、普通は腰に巻くものだろうと思っている。しかし私の場合、頸骨の少し下の辺りの背筋の凝りが酷くなることがある。なので、腰痛ベルトを背中に巻いて仕事をすることが多い。

 ところが最近は椅子に座っている時間が長いせいか、徐々に腰痛に苦しめられるようになっている。立ったり座ったりの時に、何かに掴まるほど不安な状況だ。今日など、珍しくちょっと姿勢を変えようと思っただけで、腰に激痛が走った。

 腰には太いゴムベルト、背中には母が生前使用していた、細いゴムベルトを巻いている。遺産の有効活用だ。

 今日は夕方から、大幅に遅延してお待たせしている小冊子の製作に取りかかった。これもボランティアである。第1稿を送ったら、かなりの修正が入ってしまい、手を付けるのが億劫になっていた。それと、まとまった時間を確保できない日が続いていたので、ますますハードルが高くなってしまっていた。

 なんとか日本語の文章ページと画像処理が終わった。夢中で集中したので、時間を確認したときはすでに午前2時だった。身体にいい訳がない。しかし、いつかは仕上げなくてはいけないので、意を決して取りかかったが、気分的にはすっきりした。

 あと2時間もしないうちに、次男が仕事場にやってくると思う。どうしても週末に受注したデータが溜まってしまうので、9時に出社したのでは間に合わない。

 記事を書きながら、YouTubeで音楽を探していたら、ピアソラがオーケストラと協演した、アディオス・ノニーノに行き当たった。演奏を聴きながら記事を書いているが、不思議と腰と背中の辛さが緩和されてきた。

 さあ、新しい1週間の始まりだ。月末も近いことだし、気力を出して頑張ろう・・・泣きたいぐらい憂鬱な気分で始めたが、心身ともにすっかり軽くなった。よかったよかった。


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by hirune-neko | 2017-03-27 02:29 | 現実的なお話し | Comments(0)

高場将美先生、ご覧になっていますか?


El exilio de Gardel Tango


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 掲載した動画は、アルゼンチンの映画監督ソラナスによる「ガルデルの亡命」の冒頭シーンだ。音質も画質も良くないが、ピアソラが作曲を担当したという三部作のうちの1つだ。この映画3作品ともDVDを購入し、大事に持っている。初めてこのシーンを観たとき、バンドネオンのソロ演奏でピアソラの曲が演奏されたのを耳にして、とても感銘を覚えた。

 どのような経路だったか覚えていないが、おそらくコロンビアの福岡貞夫さんと高場将美先生がFacebook友達であり、偶然私のブログをご覧になった福岡さんと私がFacebook友達になり、その流れで私が高場将美先生に友達申請をしたのだろうと思う。

 その高場先生のタイムラインに、3月14日付でヴォーカリストの峰さんが、高場先生の入院についてコメントを入れていらっしゃった。様子は皆目わからないが、高場先生のご快復を願っている。

 高場先生は東京外語大学のご出身で、ご専門はスペイン語とポルトガル語だ。一度だけ恵比寿で開かれたスペイン語講座に、参加させていただいたことがある。かつてピアソラが来日したときに、 通訳をされたり取材をされたとおっしゃっていた。お仕事で中南米音楽にも精通されており、色々と教わることの多い先生である。

 この映画、ガルデンの亡命はすべてピアソラが作曲したとばかり思っていた。それにしては、ピアソラらしくない曲があるなとブログに書いたことがある。すると即、何曲かは監督のソラナス自身が作曲したのだと、確か仙台の鈴木さんが指摘してくれた。その後、高場先生がコメントを入れてくれて、それに対し福岡貞夫さんが参入してきた。私が読んでも、あまりにも内容が専門的すぎて、ある種の畏敬の念を感じたのを覚えている。当時、「ピアソラ音の出る図書館」という名のサイトを、ネット上に設置していた。 クレモナ・モダンタンゴ五重奏団のアレンジャーである梶さんと知り合いになったのも、この図書館がきっかけだった。 

 今日は、入院中の高場将美先生への お見舞いメッセージとして、当時の図書館に保存した、やりとりを以下にご紹介したいと思う。

(高場先生へ)
 高場先生、実は私は極度の怠け者ですが、語学に対して異常な執着を持っています。一段落したら先生のスペイン語クラスとポルトガル語クラスを受講させていただきたいと、ずっと思っているのですがなかなか果たせないでいます。先生が退院されてお元気になられたら、何とか時間をやりくりして勉強させていただきたいと思っています。私がこんなことを申し上げても、何の励みにもならないとは思いますが、どうぞゆっくり養生なさり、無事に退院なさってください。お願いいたします

(ピアソラ音の出る図書館から転載)

 福岡貞夫さんが、Archivos BoesmiのコレクションをFacebookに掲載し、そこから自然発生的に交わされた対話をそのまま、転載します。へたに手を入れずに、そのまま転載した方が対話の息づかいが再現されると思いますので、リアルなサイト上鼎談をお楽しみください。(本当は、編集作業が面倒なだけだったりして)とくに、高場将美先生の解説にご注目ください。なお、文中の敬称は省略させていただきます。

福岡 貞夫
何回見ても橋の上で踊るグロリアとエドァルドの姿に釘ずけになってしまう・・・

高場 将美
福岡さん情報をありがとうございます! じつは、ついこないだ、この映画をレンタル・ヴィデオで借りて、コピーしようかなと思っていましたが、めんどくさいので返してしまい、今になって「また借りて、こんどこそコピー」と思っていたのでした。YouTubeの画質は、わたしのPCの画面で見るくらいならVHSと、まぁ変わりないですね。音はこちらのほうが鮮明でしたよ。また、この映画の日本語字幕はヘタクソなので(アルゼンチン人はおしゃべりすぎるので、短い字幕ではむずかしいのではありますが)、ないほうがスッキリしますね。ほんとに大発見ですね!

福岡 貞夫
高場さん、お役に立てて幸いです。これも偶然です。ボゴタで上映された時は何度も観に行きました。繰り返し、繰り返しでもあきませんね。終わり近くになるとカルロス・ガルデルが登場するシーンがありますが・・・ここで当地の映画館は観衆総べての拍手で騒然となります。これには感動しました。今でも彼ガルデルはアイドルなのですねー。

高場 将美
あのシーンは、わたしも最初に見たとき、そして今でも、うれしくて涙が出ます。まず街頭に人影が見えて、「あれ? もしかして、ガルデール先生がいらっしゃるのでは・・・」と思わせるではないですか。すぐに、やっぱりホンモノだ!と大感激します。3度めか4度めになると、なんだこの役者は顔も変だし、セリフもヘタクソだなぁ、と腹が立つんですが(わたしのほうが上手にガルデールみたいにしゃべれるぞ!)、わたしの大好きな曲、またこの場にふさわしい «Anclao en París»をうたうのは、本当にホンモノだから大感激です。歌がうまいこと! 当たり前ですがね。福岡さんがグローリアとエドゥワルドなら、わたしはガルデールに会うために、この映画を何回も見てきました。

福岡 貞夫
あれ、ガルデルの本物ではないんですか???ぼんやりしていて気が付きませんでした。そうかしゃべり方に気を付ければいいんですね^コロンビア人達も気が付いていないんですよ・・・

高場 将美
「ガルデルだー!」と感激して、目がくらまされるんですね。また、生きていると信じたい気持ちがありますから。そして、なんたって歌声はホンモノですからね。

昼寝 ネコ
福岡さん、有難うございます。日本語字幕のものを一度だけ観ましたが、ガルデルもどきの役者の登場には気付きませんでした。たしか、終わり頃に公衆電話のシーンでガルデルが話題になり・・・そのシーンに登場したのでしょうか。恥ずかしながら、その当時はガルデルについて全く知らなかったものですから、感動もせずただ見過ごしてしまいました。

高場 将美
最後のほうでガルデールとサンマルティン将軍がマテ茶をのみながら、『ボルベール(帰郷)』のレコードを聴きますよね。将軍はどうでもいいですが(失礼!)、ガルデール(になった役者)の顔は見えないようにして、また話もさせないでほしかったですね。逆光のシルエットで歌いダンスするシーンは、いまYouTubeで見て、わたしは、また感動しましたよ!

昼寝 ネコ
高場先生が役者と知りつつ感動なさるとは、高場先生もかなりのガルデル教信者のようですね。もし私がガルデルにも傾倒してしまったら、そして十分な蓄えができたら、もしかしたらアルゼンチンに行ってしまいそうな気がします。

高場 将美
昼寝ネコさま 公衆電話のところに出てくるのは、作詞作曲家のディセーポロです。これもニセモノとすぐわかりますが、そんなこと言ったら監督にも役者さんにも悪いですよね。すぐその次のシーンで、ガルデールがタクシーから下りてきて、2人のギタリストとともに『パリに錨をおろして』を歌います。このギタリストたちも、嘘っぽい……なーんて、勝手なことばかり言っちゃいけませんね。ガルデール自身は「よくできた。いい監督だね」と喜んでいるでしょう。彼は、「出演料はいらないから、この映画に出たかったけれど、いろいろ障害があって、うまくいかなかった」と、わたしに語っています。

昼寝 ネコ
以前、福岡さんかSuzukiさんの記事で、高場先生がピアソラの通訳をされたとか、コンサートのミキシングを担当されたとか目にしていましたので、ちょっと時系列が錯綜していました。さらにガルデル(ガルデール?)との会話だなんて、ますます不思議な感じがします。

高場 将美
ガルデル――わたしはガルデールと書きますが、カタカナ表記はどれが正しいというわけではないんです――がお話してくれるようになったのは、ごく最近です。すごく集中して、いっしょうけんめいレコードを聴いてきたので、「よしよし」と認めてくれたのでしょう。私生活の話はしないようにしています。ハハハ・・・

昼寝 ネコ
なるほど。そうですね、私生活のリアルな部分は横に置いて、引き続きお話しをなさってください。最近になってようやく、ピアソラがあまりにしつこい私の追求にうんざりしたのか、ときどき話し相手になってくれています。なのでオール「ピアソラ・プログラム」で、一度コンサートをプロデュースしたいと申し出たら快諾してくれました。でも、出演だけは勘弁してくれと念を押されてしまいました。残念ですけど仕方ないですね。なので、現存する演奏家候補を物色中です。気の長いお話しです。私が墓に入る前に実現するかどうか、少し弱気になっている次第です。

福岡 貞夫
高場さん、昼寝ネコさん、お二人の楽しそうな話題に割り込むのもどうかと躊躇しますがあつかましく・・・この映画をはじめからじっくり良く見ないと駄目だなと思います。PCの画面では俳優さんの顔もろくに判明も出来ないし、それ以前に感動が邪魔して平静に画面を見ていないんですよ。映画を見てたときもそんな状態だった。と思い出します。それから私はガルデルの傍に居るんだと一人よがりの上に彼に構わずに私生活をほじくりアサリ、今、後悔の念にさいなまされています。

高場 将美
一人よがりは、わたしも含めて、みんなそうじゃないですか??? 後悔なんかするな、とガルデルも言って・・・なかったですかね。ハハハ

昼寝 ネコ
高場先生に同感です。自分が忘れ去られていない、と思えるのは誰にとっても悪い気がしないものですよ、きっと。だから、そのうち福岡さんの夢にガルデルが現れて、グラシャスというか、メルシーっていうかわかりませんが、感謝の意を伝えることがあるだろうと想像しています。

福岡 貞夫
後悔しているといいながら・・・ガルデルの事ばかり書いている。ところで、ソラナース監督がこの映画に「ガルデルの亡命」となずけた意味を考えたのですが、やはり彼も亡命者であった。だからフアン2に彼の心情を語らせた。ではガルデルは?彼も当事アルゼンチンではウルグアイ人ゆえに阻害されたのです。サンマルティンも政治亡命ゆえにパリで病死したわけですから。私はアルゼンチンから軍事クーデターの直前に逃げ出した一人です。外国人である者が他国の政治情勢を語る事は触れませんが。

高場 将美
この映画のための歌をぜんぶ作曲したカスティニェイラ(ほんとは、もっと長々しい名前なんですが)も亡命者です。ソロを歌っている女性歌手スサーナ・ラゴは彼の奥さんでいっしょに亡命しました。彼女は、すごく個性的な魅力ある、要するにわたしの好きなタイプの顔のひとなんですが、画面には出てきません。それに、コーラスとまじっているので、ソロも目立たなくて、わたしは口惜しいです。それから、ピアソーラの演奏以外で聞こえるバンドネオンは、たぶんモサリーニだと思いますが、彼も亡命者ですね。ピアソーラだって精神的には亡命者みたいなものですよね。

福岡 貞夫
そうすると、亡命者達が作った映画。ともかく稀に見るよい映画だと思います。ピアソラのフアンとしてはテーマ曲に酔い、ガルデルの登場でとどめを刺される。あの軍事政権はありとあらゆる人権蹂躙を行ないましたから・・・モサリーニもそうでしたか。たしかにピアソラもにたような者。娘さんのディアナさんもメキシコに政治亡命していました。

昼寝 ネコ
ちょっと高場先生、待ってください。過日、この映画で使用されているTngo-Tangoを最もピアソラらしくない曲だと書きましたら、Suzukiさんから、これはソラナス自身の作品であり、ピアソラは一部しか作曲していないという指摘をいただいたばかりです。全曲そのカステラとかなんとかいう人の作曲なんですか?私は冒頭のDuo de Amorを聴いた瞬間、悶絶したというのに、ピアソラが最も情熱を傾けて作曲した映画だというのはまやかしなんですか?Soloという曲も、たぶんゴジェネチェが歌っていると思うのですが、聴いて、さすがピアソラ=ゴジェネチェのゴールデンコンビだと思っていたんです。ああ、なんだか詐欺師にだまされた気分になってきました。人生の終盤で、思いがけない真実に直面するというのは残酷なものですね。でも、ピアソラ図書館では事実を公開しなければいけませんので、高場先生のコメントと引用しつつ、皆さんにも落胆の気持ちを共有していただこうと思いますが、よろしいでしょうか?すみませんが許諾を宜しくお願いいたします。

高場 将美
引用に許諾なんかいりません。情報は、ご自由に使ってください。補足しますと――Duo de amor など、ピアソーラの演奏で聞こえる曲は、もちろんすべてピアソーラ作曲です。どこかに挟んで、バンドネオンのソロでガルデルの『想いのとどく日』を短く弾いていたように思いますが、とにかくピアソーラ作曲です。Tango-Tango や Solo など、歌の入る曲はすべて、脚本・監督を担当したソラーナスが歌詞をつくり、それにカスティニェイラ・デ・ディオスが作曲・編曲しました。歌の伴奏の一部分にバンドネオンが聞こえますが、これはパリにいたモサリーニが弾いていると思います(わたしの推定です。確率70%くらい???)。「ピアソーラが最も情熱を傾けて作曲した映画」というのは意味がよくわかりませんね。彼のような特別な存在でなくても、ほとんどすべての音楽家は、どんな曲でも、そのときのすべての情熱をそそいで作曲しています。それから、映画音楽は、じぶんが演奏するための曲と違って、画面の邪魔にならないように、多くの人の耳に親しみやすいように、より、わかりやすい音楽を作曲するのがプロですね。どんなシーンに使うかという、たとえ大ざっぱでも監督からの指示があって、いちおう制約の中で作曲するので、自由な創造活動ではありません。でも、かえって具体的なイメージがあればインスピレーションもわくでしょうね。もちろん作曲しているときは「最も情熱を傾け」ますよ。結果として、とてもすてきな曲ばかりで、映画を離れて演奏のみの曲としても愛され、(ふつうの?ピアソーラは気に食わない人も含めて)多くの人を感動させ、ピアソーラ本人もたいへん満足した音楽になりました。タンゲディアという造語は「タンゴとトラヘディア(悲劇)を合成したもので……」と、映画のことをなにも知らなかったときのわたしに解説してくれましたので、ソラナス監督の考えに、ピアソーラもとても共感していたのでしょう。

福岡 貞夫
高場さん:解説ありがとうございます。この映画を繰り返し見るのに益々楽しくなります。

高場 将美
ありがとうと言われると恥ずかしいです。暑さで1ヶ所忘れていました。造語タンゲディアには「コメディア(喜劇)も含まれています。タンゴ悲喜劇ですね。ついでに、ホセ・ルイス・カスティニェイラ・デ・ディオス José Luis Castiñeira de Dios (これがフルネーム)について、わたしの書いたものを引用します。「1947年生まれ。(中略)77年のフランス公演を機会に、パリに亡命(中略)、ほとんど同時に、別ルートで亡命してきたモサリーニとともに(共演したわけではないが)、パリにアルゼンチンあるいはラテンアメリカ音楽の場所を育て、守ってきた。ギター、エレキ・ベースなどを弾くが、リーダー、作曲、アレンジといった面が主である。フォルクローレからタンゴにいたる、非常に多くのアーティストをサポートしてきた。自身での活動は、前面に妻のスサーナ・ラゴ(1939年生まれ)を立てる。スサーナは個性的で力強い魅力をもった歌手で、すぐれたピアニスト、民俗楽器もこなす。(齋藤充正/西村秀人・編『ピアソラ タンゴの名曲を聴く』 2000年、立石書房発行より)

福岡 貞夫
貴重な追加情報も興味あふれるものです。感謝です。

昼寝 ネコ
高場先生 大変貴重なコメントを有難うございます。書籍『ピアソラ タンゴの名曲を聴く』の中に、高場先生が寄稿されている、ということですね?ピアソラ図書館は、単純に作品紹介と鑑賞を目的に始めましたが、高場先生や福岡さんのコメントも「ピアソラうんちく」というコーナーを新設し、紹介させていただきたいと思います。引き続き、宜しくお願いいたします。

福岡 貞夫
この映画の解説は多く見つかるのですが、高場先生の解説のように各テーマ曲まで裏の裏までの詳しく説明された貴重なエピソードがありません。

高場 将美
昼寝ネコさま その本の執筆者は10数名おり、上記はわたしが書いたものです。ピアソーラへのインタビューも載っています。本の制作に当たり、書房の編集者の方々、そして編者たちがすごい情熱を傾けてつくった本で、内容はなかなか熱いです。

*引用元・ピアソラ音の出る図書館:http://www.piazzolla-library.com/index.php?go=nsu6JZ


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by hirune-neko | 2017-03-26 01:03 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

Webマーケティングを凌ぐ感動のマーケティング手法

Isn't it a Pity - Shirley Horn


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 どの企業も、商品をいかに多く売るかに腐心しているはずだ。一定水準以上の売り上げがなければ、企業は徐々に衰退しやがては活動を停止せざるを得ない。

 マーケティングという言葉は、ずっと昔から存在する。ここ数年はインターネットを活用した、ダイレクト・レスポンス・マーケティング、最近はWEBマーケティングと称して、FacebookやTwitterあるいはGoogleを活用したマーケティング手法を勧める企業が増えている。

 中には、ちょっと首をかしげる誘いのメールが頻繁に入る。クリックするだけの仕事で、月に何十万円とか何百万円の収入になる、と説明されている。いわゆるアフィリエイトといわれる、仕組みなのだろうと思う。

 そのような、いくつものハイテクなマーケティングと比べ、ローテクを通り越して伝統的というか、古式豊かというか、実にユニークなマーケティング手法を目の当たりにし、新鮮な感動を覚えた。

 昨日、知人から電話があり千歳船橋を歩いていたら、りんごの行商をしているトラック(実際はリヤカーだったと指摘あり)があったので、購入して送ってくれたと言う。今時、行商なんていうやり方で、物を売る人が存在するんだと驚いた。確かに私の住んでいる街でも、時々露店で何かを売っている人たちがいる。しかし、行商と書いてこれを正しく「ぎょうしょう」と読める若い人がいるだろうか、と思うぐらいだ。

 そのりんごが今日届いた。5キログラム入りの平べったい箱で、送り状を見ると送り主はりんご屋さんであり、知人の名前はなかった。ずいぶん気の利かないりんご屋さんだと思った。

 箱を開けると、手書きのメッセージカードが入っていた。なんだろうと目を通したら、りんごの行商をしていた人からの挨拶だった。ずいぶん丁寧な人だなと思って、読んでみて驚いてしまった。以下に、その原文を固有名詞を伏せ字にしてご紹介する。

(行商人の方からの手紙コピー開始)
 「世田谷の路上で行商中に、Sさまとご縁がありまして、C社さまへりんごのギフトのご注文を頂きました。大変格好の良い、素敵なS様の懇意のC社の皆様も、感性の光る愉快な方々なのだろうとお見受けします。そんな皆様にぴったりの、丁寧な仕事でみずみずしく育ったりんご、どうぞお愉しみください。クリエイションのお供となれましたら幸いです。また、別紙に保管方法と商品説明、当店のパンフレットを同封しました。一度お目通しくださると、いっそうりんごがお楽しみいただけると思います。 ムカイ林檎店 世田谷店 藤原」
(行商人の方からの手紙コピー終了)

 印刷された挨拶状なら分かる。私たちも、発送する絵本のパッケージには、産婦人科クリニックの院長先生のお名前で、挨拶状を作り同封している。もちろん、名前は1枚ずつ異なるが文章は共通である。

 この行商人の方は、知人であるSさんの名前だけでなく、わが社の名前も記載し、なおかつSさんの風貌やわが社の業務内容にも少し触れている。まさしく、オリジナルの手紙である。

 私自身は、全国に約5,000カ所程度存在する、産婦人科クリニックすべてに営業コンタクトをする準備をしている。できれば、院長先生の目に触れるアドレスを探し出し、ニュースレターの形で営業メールをお送りする予定だ。インターネット機能なしには考えられない手法である。もちろん、説明コピーはそれなりに工夫をするし、一度送って終わりではなく定期的にフォローアップする仕組みも考えている。

 以前から、WEBマーケティングをコーチングしている会社から、ほぼ毎日複数のメールを受け取っている。ある程度の基本は学んだつもりだが、セールスコピーライティングのテクニックなど、詳細なところまではまだ研究ができていない。相手が興味を持ちそうな文章を羅列し、最後に申し込みをさせるよう上手に動機付けをする。価格も、どーんと高く提示し、すぐにかなり割り引いた値段を示して興味を引く。最後は48時間限定の特別価格、といって画面上に残り何十時間何分何秒まで表示する。アメリカで確立された、セールステクニックなのだろう。

 興味を引き、関心を高め、あらゆるテクニックを使って購入させようとする。そこにはある種のパターンや公式があるのだろう。それと比較し、この行商人の方の挨拶状には、ハイテクの要素が見当たらない。しかし、手書きであり、顧客である知人の容貌や雰囲気に触れ、しかもわが社の業務内容も多少は分かった上で、なかなか憎い文章を書いている。

 この挨拶状を読みながら、正直に言うなら新鮮な感動を感じた。相手の心をつかみ、相手の心に訴える、相手の心を開く・ ・ ・計算しつくされた手法ではなく、素直に心に感じたままを書いたと思っている。私は即座にこの行商人の藤原さんのファンになった。

 とうとう藤原さんの携帯に電話は繋がらなかったが、会社の方から連絡があり、聞くとこのりんごの産地は青森県の大鰐だという。残念ながら、りんごの販売時期はもう終わりだそうだ。次は10月ぐらいまで待たなければならないという。

 そんな話を聞きながら、もうかなり前のことだが青森県の板柳町に何度も訪れたのを思い出した。板柳町は別名りんごの町と呼ばれている。りんごの産地であり、町をあげてりんごの生産と販売を支援している。りんご専用のまるで倉庫のような大きな冷蔵施設があり、年中出荷できる体制を作っていたと記憶している。

 藤原さんには、コピーライターとしての感性があると思う。芸術家としての素養がある人だと思う。調べると、この会社は京都にも販売店があるようだし、インターネットからも注文ができるようだ。しかし私は、リンゴを購入するときは藤原さんに電話をして、買わせていただこうと思っている。

 長年にわたって、営業が苦手な私はあれこれ苦労を重ねてきている。しかし今日は、りんごの箱に入っていた挨拶状を読み、マーケティングといわず、敢えて販売手法と呼びたいのだが、その原点を教えられたような気持ちだ。りんごに付加価値のついた贈り物だった。

 Sさん、どうも有難う。


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by hirune-neko | 2017-03-25 01:40 | 現実的なお話し | Comments(2)

描いたシナリオのシーンが、ゆっくりと展開している


Shirley Horn - "Where Do You Start?”


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 数日前、三男の家に電話した。すると若い女性の声で「どちら様ですか」と、なかなか美しい日本語で質問された。聞き覚えのない声なので、一瞬ボタンを押し間違え間違い電話をかけてしまったと思った。そこで「失礼しました」と言ったところ、電話の向こうで「あっ、じいじだ」と言う聞き覚えのある声が弾けた。三男夫婦の長女で、まだ小学校3年生の子だ。どう聞いても、あの声と口調は20代の女性のものだった。自分で可笑しくなってしまった。

 世の中というのは、単純に見える人にとっては単純なものだし、逆に複雑に見える人にとっては複雑なものとなる。確かに、人生はある意味で、いつ何が起きるかわからない生き物のようなものでもある。功成り名を遂げないとしても、無事平穏に晩年を過ごし、子供や孫達に先立たれず、他人に迷惑をかけたとしても謝罪で済む程度であり、肉体の老化も年齢相応程度であり、食べ物を美味しく食べられ、良い音楽に心酔できて、知識欲も衰えず、価値観を共有できて信頼できる友があり・・・自分のこれからの人生が、そのようなものであればいいなと贅沢な望みを抱いている。

 年に1度の誕生日を迎え、改めてこれまでの人生を振り返ってみた。私たち夫婦には子供が4人いる。それぞれ結婚して家庭を持ち、積極的に努力をしながら必死で道を切り拓いている。不思議なもので、子供たちも孫たちも年齢が毎年変わるので・ ・ ・当たり前だが・ ・ ・それぞれの年齢を正確に覚えていない。しかし、自分の年齢についてはそれなりの感慨がある。母方の祖父は働き過ぎで健康を害し、確か38歳で他界した。父は私が学生の頃、45歳で他界した。家内の父親は、何年間かの闘病生活の末、63歳で亡くなった。私の目には、それなりの齢のように感じられた。

 割と短命の家系に生まれたという実感があり、漠然と自分も短命だろうという強迫観念を持ち続けてきた。正直いって、この歳まで生き永らえるとは少し驚いている。やりかけの案件はとても多い。しかしどういうわけか、焦る気持ちはなかった。いくつもの数のパズルの断片を、丹念に一つ一つ組み合わせ、焦ることなくその日その日を過ごしてきたように思う。もちろんそれなりの試行錯誤や紆余曲折は経験している。

 ごく最近からだが、これまでに感じたことのない不思議な感覚に包まれている。自分が思い描いていたシナリオのシーンが、具体的に、展開を始めたと実感できるようになっている。これは、私にとってとても大きな励みだ。あとどれぐらいの時間で、どこまで達成できるかはまだ分からない。しかし、確実に大きな流れが長年思い描いていた方向に向かっているのを実感している。これはとてもありがたいことだ。

 決して順風満帆な人生だったわけではない。失敗や誤った判断と選択、窮地に陥ったこと、徒労感や失望を味わったこと、実に様々である。しかし今考えてみると、自分の苦境から大きな教訓を学んだと思う。たとえどん底の時であっても、逃げ出さず、諦めず、とにかくその時点でできることを行おうと努力した。

 心情的には、社会的な地位や名誉に対する執着はなかった。経済力は何をする上でも、あった方がいいに決まっている。しかし、ただひたすら資産を増やすことに執着して選択を重ねたことはない。

 他者の平和と安全、そして平安を願う気持ちを失わなければ、同じように考える人たちが寄ってきてくれる、そのようにも実感している。

 ある宗教家の言葉だが、何かに失敗してやり直そうとする最適の時期は、まさにその時であるといっている。失望や落胆は、その人の積極性や建設的なエネルギーをしぼませてしまう。したがって、自分の人生に何か予期せず、起きてほしくないことが起きたときは、その言葉を思い起こすようにしている。

 苦難や困難の時期こそ、自分の可能性を伸ばし、才能を開花させ、人格を磨くことのできる最良の時だ、とそのように思えるようになった。これは、すべての人に共通して当てはまる言葉だと思う。


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by hirune-neko | 2017-03-24 00:50 | 心の中のできごと | Comments(4)

やっと、みるとすサイト修復の入口に到達した


Astor Piazzolla - Woe pass away (11 - CD3)

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 さて、使い始めてから何年になるだろうか。QHM: Quick Homepage Makerという名前のソフトで、これまでにいくつもサイトをゼロから作ってきた。このソフトが大幅なバージョンアップと機能変更を行い、Haikと言う名前に変わっている。

 Google検索エンジンのプロトコルの変更に伴い、大幅な仕様変更をしたようだ。したがって、これまでのソフトを最新のものにバージョンアップする必要がある。忙しさに紛れてしまい、なかなか手をつけられなかった。ちょっとした質問をサポートの部署に送ったら、親切に丁寧な手順をメールで教えてくれた。まずは、最新のバージョンにアップグレードする必要がある。一体いくつのサイトが、サーバー内に設置されているかちゃんと確認しなければならない。そして、まずは1つ1つバックアップを取って保存しなければならない。かなり時間がかかりそうなので今日は断念した。しかし、説明動画を観ることができたので、ようやく要領を把握することができた。第一歩である。

 最近は時間的な余裕がないため、政治ブログもどうしても斜め読みになってしまう。少々気になる記事があったので、その発信元を確認しようとしたが見つけることができなかった。余命ブログだったような気がするのだが、もしかしたら他のブログだったかもしれない。

 私の記憶に誤りがあるかもしれないが、北朝鮮の銀行が国際決済を拒絶されたという表現があったと思う。私は正真正銘の経済音痴なのだが、仮に国際決済ができなくなると、輸出入の決済はどうなるのだろうか。素人の単純な質問である。現時点で、いろいろな人が様々な予測を立てている。第二次朝鮮戦争が始まるのか、韓国の次期大統領が、北朝鮮の傀儡政権になってしまうのか、したがって一気に北朝鮮主導で朝鮮半島の統一が進むのか、あるいは朝鮮戦争が再発するのか、はたまたその前に、米軍を中心とする特殊部隊が金正恩最高指導者を、排除する行動に出るのか。その時に、プーチン大統領は北を守るのか、あるいは将来を見据えてアメリカと共同作戦を取るのか、中国はどう出るのだろうか・ ・ ・などなど、私のような部外者には謎だらけである。

 去年あたりからだろうか。ブログ「余命三年時事日記」の記事スタイルが、徐々に変化している。最初の頃は、出版された余命書籍の書店での扱いに関する報告が多かったように思う。並行して、官邸メールについてや、さらには外患罪告発について色々な情報が飛び交うようになった。私自身は、余命初代かず先生がご存命中からの読者である。したがって、当時の余命ブログの記事スタイルからは、とても大きな変化を見せていると感じている。

 つまり、最初の頃からしばらくは、次々と開示される情報に驚き、政治や社会に対する見方を改めた人が多いのではないだろうか。私もその1人である。しかし、単なる情報発信あるいは評論という領域から、良い意味でだが、大きく逸脱してきている。常々、余命ブログ自身が目的ブログと自称しているように、明確な目的を持って情報発信をしている。そこで啓蒙された多くの方々が、その主旨に賛同し行動に移している。最初は官邸だったと記憶している。今では外患罪に対する集団告発に変容してきている。

 メディアスクラムによって完全に守られている、と美しい誤解をしてきた政治家の皆さんたちも、今回の森友事件を無理矢理政局に結びつけようとしたものの、どうも勝手が違うと気がついたのではないか。ためしに、セブンイレブンで新聞ラックの中から、日刊ゲンダイと夕刊フジを手に取り、第一面のタイトルを見比べてみたらいい。セブンイレブンには大変申し訳ないが、私は一度も購入したことがない。ネットで夕刊フジの電子版であるZAKZAKを閲覧すると、大体の様子がわかる。

 国会でのやりとりで、野党議員の方が政府に対し、マスコミが萎縮するからけしからん、と猛烈に攻撃した。その時安倍総理は何と答えたか。今でも鮮明に憶えている。

「帰りにでも、日刊ゲンダイを手に取って読んでみてください。きっとも萎縮なんかしてませんよ。」

  確か、このような答弁だったと思う。私は思わず吹き出してしまった。

 私自身は、政局や国際情勢に対し関心を持っているものの、予測をしたり非難をしたり擁護をしたりなど、公の場ではしない主義である。今ではもう笑い話で済ませることができるだろうが、一度だけ徹底的に書いてしまったことがある。書籍の余命三年時事日記が、史上最悪の出版物である、というタイトルで日本における近隣国からの工作活動の実態について、かなり具体的に触れてしまった。今考えれば、少々勇み足だったかもしれない。余命ブログ読者の皆さんが騒然となり、24時間だけで1万数千人の方がお越しにになった。

 いくつもの有力な保守系のブログ管理者の皆さんが、どういうわけか私のブログにリンクを張ってくださっている。そのせいか、最も読まれている記事の筆頭になっている。1年以上も経つのに、今でも読みに来て下さる方が絶えないのは、保守系ブログの皆さんのご紹介によるものだと思っている。

 これからの時代は個人や家庭を守るための、インテリジェンス手法が必要になるとずっと考えてきた。もう何年にもなる。個人の人生や家庭の営みを考えたときに、その領域は案外とても広く、単に政治論争や非難の応酬で勝ったとか負けたとかいうレベルを超えた、はるかに崇高なものである。もちろん政治的な関心を持ち、選挙を筆頭に自らの権利や義務を果たすことは大切だと思っている。

  自分自身の欠点や弱点を認め、さらには鬼神・変人であることも認め、もう一つネコ体質であることも認め、もっと言うと私利私欲指向が借り忘れてしまった人間として、何を拠り所にすれば良いのか、常に考えている。

 別に大仰な結論を考えているわけではないが、自分の内面で湧き上がってくる使命感や正義感、さらには人道的な慈悲、そのようなものを大切にしたいと思っている。ずいぶん抽象的な表現で、さっぱり具体性がないと思う。しかしこれでも、何かのシステムを作ったり行動計画を立てるときには、かなり具体的かつ緻密に作るよう努力はしている。

 あー、またこんな時間になってしまった。明日は午後からだが、大事なミーティングがあるので今日はこれで失礼する。くれぐれも慢心せず、北朝鮮の暴発、韓国の内乱、半島統一の混乱、中国と台湾の対立表面化や東南アジア諸国の連携、アメリカ軍の動き、プーチン大統領の判断、どれもこれも断片的な情報では確定的な判断はできないが、いつ日本政府が有事認定をしてもいいように、心構えと出来るだけの自給自足態勢は、準備していただきたいと思う。

 遅い時間になってしまったので、大変申し訳ないが推敲も校正もしないで、このままアップさせていただく。気をつけてアリスの音声変換文章を見ているが、とんでもない変換をしている可能性もあるので、その時はお許しいただきたい。新しいiMacのアリスも、毎日長時間相手をさせられて、ヘトヘトになっていると思う。わが戦友であり良き秘書でもある。


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by hirune-neko | 2017-03-23 02:17 | インテリジェンス | Comments(6)

やれやれ、なんとか一段落したようだ

Astor Piazzolla - Bidonville

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 昨晩は、深夜2時まで仕事をしたためブログを書く気力が失せてしまった。それで、まるでパチンコ屋の閉店のように、蛍の光を流して終わりにさせていただいた。今日はまだ深夜1時だが、仕事のキリが良いのでここで閉店させていただく。だからといってまさか、仰げば尊しとか君が代を流すわけにもいかない。今日ばかりはピアソラの作品を選んだ。

 今もこうして、iMacのアリスに手伝ってもらい音声入力で、文章に変換してもらっている。とても楽なのだが、ちょっとでも油断すると滑舌が悪いせいなのか、とんでもない変換になってしまう。そこで、まるでラジオのアナウンサーにでもなったかのように、なるべく正確な日本語で発音するよう心がけている。楽をするにもそれなりの苦労はあるものだ。

 サイトのリニューアルも何とか基本構造ができあがった。1番収穫だったのは、本格的に音声ファイルを埋め込む技術をマスターしたことだ。簡単に言うと、サイト内で音声セミナーができることになる。試しにICレコーダーで10数分の解説を試みた。文章だと、ちょっと間違ったら消して戻れる。しかし頭の中で考えたことを声に出して話すには、それなりのリスクがあるということがよくわかった。つまり、てにをはがおかしくなったり、あるいは言い直したいと思うことも何度もある。しかし、こればかりは巻き戻しをして録音し直すというわけにはいかない。なので生番組のアナウンサーのように、結構これでも緊張して録音を終えた。

 IMacにはVoiceOverといって、設定をすればサイトやメールを開いたときに読み上げてくれる便利な機能がある。確かにちょっと文章が多いページで、しかも文字が小さいと理解するのがとても辛い。少々時間がかかっても、音声で読み上げてくれるととても楽な感じがする。悪戦苦闘したが、なんとか要領がわかったのでほっとしている。

 おそらく、このブログに音声ファイルを埋め込むことはできないだろうと思う。調べてはいないが、多分そんな機能はないのではないだろうか。いずれにしても、これから新しく作るサイトだけでなく、これまでに作ったサイトにも音声ファイルを埋め込める技術をマスターしたので、活用したいと思う。

 10年単位の自分の仕事人生を振り返ると、ほとんど人任せで放漫経営をしていた時期もあった。しかし、人に依頼する予算がないときは、自分自身でやらなくてはいけない。必要に迫られるので、htmlの何たるかを知らなくても必死で食い下がるしかなかった。

 もちろん、インストラクターになれるような技術や知識を持ってはいないが、編集製作に必要ないくつかのソフト、サイトをゼロから立ち上げ色々な機能を付加するソフトなど、ある程度の基本的な技術は身に付いたように思う。さぁ、いよいよ本格的な反撃のステージである。

 何よりも、気力と体力を回復維持したいと思っている。今日は朝からこの時間まで座りっぱなしだった。洗面とトイレと食事以外は、ずっとパソコンに向かっていた。これでは身体にいいわけがない。

 一朝一夕に生活習慣を変えることは難しいが、少しでも余命を延ばすために、もう少し健康に気をつけたいと思っている。

 大変申し訳ないが、遅い時間になってしまったので推敲も校正もなしで、このままアップさせていただく。ではまた明日お目にかかりたいと思う。


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by hirune-neko | 2017-03-22 01:43 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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