昼寝ネコの雑記帳

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饒舌すぎた受験生の反省


Piazzolla Ave Maria Tanti Anni Prima Ballade

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45年ぶりに受験生になり、筆記試験と口頭試問を
受けて、帰宅した。

昨日は非常に体調が悪く、繰り返す咳は深いし
背中と心臓から力が抜けた感じがあり、
もしかして、この年齢で大学院で学ぶなんて
無謀な選択なのではないかと弱気になった。
朝起きてみて、体調が改善されていなければ
インテリジェンスの勉強に深入りするのは
止めればいいんだ、とまで考えた。

おまけに、床についてから早朝までの間に
3回も足の筋肉がつってしまい、そのうち
2回は両足が同時に激痛をともなって
つったので、身動きがとれない。
ああ、やはりもうこれ以上、関心事を増やさず
年齢相応にゆったり生きなさい、ということだと
かなり観念してしまった。

日頃から困難に直面したときは、論理的に
結論を出さないことにしている。
善なることをしようとすると、断念させようと
いう邪魔が入ることもあると考え、
それに負けないように前進するか、あるいは
関心が自然に薄れるようなら、
思い込みを捨て去って忘れ去るか。
いずれにしても、そのときに心に感じる
「印象」で決めるようにしている。

朝の体調は、思ったほど悪くなかったので
電車に乗って、遅刻せずに大学に着いた。

筆記試験は英語だった。時間は90分で
事前に過去問を取り寄せて見ていたので、
英文を読み、概要についての日本語の質問に
日本語で答える・・・と、気楽に考えていた。
どうせ短時日の受験勉強なんて役に立たないし、
まあなんとかなるだろうと考えていた。
受験生は私一人だけだった。

実際に渡せされた試験問題は、B4サイズ2枚に
小さな文字で印刷された英文で、「翻訳せよ」
と書かれていて、面食らってしまった。
標題は「国家、人種の定義」で、90分間の
格闘をなんとか終えた。当然だが、全文を
訳せるわけがない。

30分の休憩の後、口頭試問つまり面接試験の
教室に案内された。
広い教室の長テーブルに座っていたのは
女性だった。ちょっと驚いた。
5メートルほど離れて対面したので、
私の視力では、淡いレモン系の色彩の、
おそらくはツィードの生地のスーツを
着ているのだな、ぐらいしか判別できない。

でも、話し方や質問の仕方を綜合すると
かなり知的水準の高い方で、アカデミックな
家系に生まれ、英国留学し、今では大学院の
助教授かあるいは教授なのではないだろうか。
座っていたが、長身の方でテニスか乗馬を
されているのではないかと想像した。

面接官でない私が、分析しても始まらない。
でもおそらく、既婚者で伴侶も
アカデミックな職業に就いており、お子さんは
まだいらっしゃらない。
あるいは離婚されているかもしれない。
私の悪い癖で、ついつい
初めて会った方の分析をしてしまう。

最初に、なぜ本校で学ぶことを志望したか、
と質問された。
事前に書面で提出していた志望動機を読まれて、
ファミリー・インテリジェンスと
国家インテリジェンスはどう違うのか、
という点についても訊かれた。
単科履修ではなく、修士課程に入学して
国際政治学を勉強する気はないのか、とも訊かれた。
(授業料を免除してくれるのなら、
それもいいかなと思うが、大学自体がどのような
政治的・宗教的バックグラウンドを有するのか
ちゃんと調べていないので、面倒は避けたい)

やりとりは省略するが、面接官の先生は
私が目指している内容が、とても面白いと、
興味を持ってくださったようだ。
質問内容は私の興味の本質に関することであり、
しかし、世界中どこにも先達が存在しない
領域なので、もう持論を述べるしかないと考えた。

かくして国際政治学の専門の先生に対して、
米国大統領ですら、在アメリカ・イスラエルの
ロビイスト団体の支援なくして選挙に勝てないとか、
facebookの副社長二人は、かつての政権の
安全保障局長だった人物だったとか、在日外国人に
参政権を付与することは、どうだらこうだらと、
私なりの考えを演説してしまったことになる。
印象が悪かったかもしれない。

でもまあいいさ。自己理念を貫徹するという
強い意思がなければ、進められないテーマなので、
目の前の面接官に取り入って営業しようとするのとは
本質的に異なるのだから、あとは自然の流れに
任せることにしようと思う。

この大学の建学理念に「地の塩となる」という
言葉がある。完全にキリスト教の考え方だ。
なので退室するときに、冗談のつもりで
「私は地の砂糖になりたいと思っています」
といったのだが、無反応だった。
私は甘党なので、とひと言つけ加えるべき
だったのかもしれない。

合格発表は来週の金曜日なので、受かれば嬉しい。
不合格だったとしても、その時点で路線変更すれば
いいだけのことだと思っている。


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by hirune-neko | 2015-02-28 14:33 | インテリジェンス | Comments(0)

ピアソラのピアソラらしくない作品


Astor Piazzolla Tango Etude No. 3 for flute alone, Claudio Barile

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家人が今日、コンサートに行って来た。
ヴァイオリニストの演奏を聴きに。

帰宅途中の路上で偶然に一緒になったのだが
第一声が「ピアソラを弾いてましたよ」だった。

ヴァイオリニストの女性は、
あまり知られていない曲の中から、いい曲を
選ぶことに情熱を感じているといったらしい。
で、なんていう曲だったかと訊いたが、
憶えていないというので、帰宅してすぐ
プログラムを開いてみた。

タンゴ・エチュード第3番だった。
知っている曲だと思って確認してみたが
「ピアソラ音の出る図書館」の作品リストには
掲載されていなかった。
曲名を聞いた瞬間、タンゴ・バレエと
取り違えて勘違いしたようだ。

どうも聞き覚えがない。
調べたら第6番まであるようだ。
オリジナルはフルートのために作曲したようだが、
今日のコンサートではヴァイオリンで演奏しながら
ステージに登場したそうだ。

もしこの曲を偶然どこかで耳にしても
ピアソラの曲だとは思わなかっただろう。

確認していないが、ピアソラがパリで
作曲を学んでいたときに作曲したのではないかと
想像している。
作曲を指導したナディア・ブーランジェ女史が
ピアソラのクラシカルな作品を聴いて
「あなたはどこにいますか?」
と尋ねたそうだ。
そこでピアソラがタンゴの曲を作ったところ、
「それですよ」
と称賛したとか・・・何かで読んだ記憶がある。

もしそのとき、その先生がピアソラの方向性に
助言を与えなかったら、今日のピアソラの作品は
存在していなかったのではないかと思う。
その意味では、とても感覚の鋭い希有な
音楽教師だったのではないだろうか。

もしロベルト・ゴジェネチェの歌う「南へ行こう」
と最初の頃に出会わず、オブリヴィオンや
レメンブランセや、その他数々のピアソラ特有の
匂いが濃い作品を聴く機会がなく、最初に
タンゴ・エチュードの第1番から6番までを
聴かされていたら、おそらくここまで
ピアソラに傾倒しなかったのではないだろうか。

結局ピアソラは何曲もの協奏曲を作ったし、
クラシック音楽のカテゴリに入る曲も手がけている。
ピアソラの匂いがするものと、そうではないものに
大別されるのではないだろうか。

いずれにしても、ピアソラ自身、作曲家としての
迷いや葛藤があっただろうし、
試行錯誤もあっただろう。
そんな紆余曲折を経て、自分のスタイルを
確立したのだろうから、すべてを許容すべきと
考えている。

せっかくなので、そのタンゴ・エチュード第3番を
記念に残しておこうと思う。


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by hirune-neko | 2015-02-26 23:39 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

失ってみて初めて分かることもある


Milonga en re- Astor Piazzolla


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自分が所有しているものを、意図的に失おうと
努力する人はあまりいないだろうと思う。

逆に、何かを得ようと考え、努めるのが普通だろう。
お金、資産、学位、地位、名誉、資格などなど。

最近のネコネットで見る限りでは、
ほぼ間違いなく、世界情勢はますます不安定化し
既存の秩序が崩壊し始めるだろうと思っている。

国内外に不動産投資をし、債券や株式を所有し、
為替差益を得るために外貨を保有している人も
多いだろう。

そんな人達は、絶えず政治や経済の動向を注視し、
損失を出さないよう緊張した日々を送って
いるのではないだろうか。

所有するものが多ければ多いほど、気苦労も多い。
失うことを恐れるあまり、常に心配し緊張する。

一方、何も所有しないというのも程度問題だが、
それはそれで、ある種の気楽さはあるだろう。

かなり以前のバブル崩壊や割と最近の
リーマンショックで資産を失い、事業が破綻した人は
たくさん存在する。

所有しようと考える対象が、知識や知恵だったり
資格や技術だったら、さらにいえば感性や感覚など
目に見えず手に取って持つことができないものだったら
どこにもリスクはなく、生涯にわたって価値のある
財産となることは間違いない。

金銭や物質に執着する生き方を離れ、内面を豊かにし
知識と知恵が深い人生は、大変好ましく思える。
ある程度の年齢を経て達観し、同じ考えに至る人は
多いのではないかと思って調べてみたら、
次の文章を見つけた。

「少しの物を所有して主を恐れるのは、
多くの宝をもって苦労するのにまさる。」 

        (箴言・しんげん15:16)

旧約聖書の言葉だった。仏教やイスラム教、
ヒンドゥー教などでも、おそらく同じような教えが
語られているのではないだろうか。

対立構造や論争があるのは、避けられないことだと思う。
しかし対立や論争は憎悪を助長し、最悪の場合、相手の
失脚や物理的抹殺までエスカレートしてしまう。

なんて不幸な時代なのだろうかと思う。
いや、不幸な時代は近年に始まったことではなく、
古代から血みどろの残虐な殺戮の歴史は存在した。

古代から近代までに生きた人たちと較べ、
今を生きる人たちの環境の大きな違いは
知ろうと努力すれば、かなりの知識を得られる
という事実だと思う。

マスメディアから離れても、ネット環境から
膨大な情報を入手することができる時代になった。
なので余計に対立・論争がエスカレートする
原因になっているのかもしれない。

私よりかなり年長の方がいる。
特攻の生き残りで朝日新聞の記者を経て、
教育者になった方だ。

あるときの会話で彼はこう表現した。
「いやあ、ひどい時代になりましたね。
もうこうなると、社会を救えるのは
宗教しかないと思いますよ」
それを聞いたときは、少し驚いてしまった。

そうなのかもしれない。
人の属性をひとつずつ取り外してみたときに、
最後に残っているのはおそらく、人間の最も
根源的な「存在理由」なのではないだろうか。

人格や徳性、いたわりや慈悲の心、愛情。
どの宗教家の教えも、延長線上にはそのように
個たる人間を大切にする思想があると思う。

宗教を看板に掲げて犯罪行為を行う集団もあるが、
真の宗教的教えをも融和させなければ、
今の時代の対立構造を乗り越えることは
なかなか困難なのではないだろうかと思うに至った。

日頃から考えているファミリー・インテリジェンスは
まさか宗教法人化するなんてあり得ないことだが、
ただ、人間一人一人を大切に考えるという思想は
鍵となる言葉ではないかと思っているのは事実だ。


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by hirune-neko | 2015-02-24 19:55 | インテリジェンス | Comments(0)

すべての悪習の原因は脳内状況にある〜いいわけ


Rosa Passos-Sentado à Beira de Um Caminho

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仕事に連続集中できているときは、何も問題がない。
しかし、腱鞘炎という病名があるように、
身体の特定の部位だけを酷使し続けると、
その部分だけに疲労が蓄積し、病変する。
ピアニストやタイピストに特徴的だそうだ。

私の場合、考え、判断し、調べ、また考える。
その繰り返しなので、
絶えず脳内に負担がかかっている時間が長い。
なので、ときどき頭の中に疲労感や閉塞感など
違和感を覚え、不安になるときがある。
集中力が持続しているときは、
脳内を意識することはない。
しかし、ひとたび集中が途切れると、大体決まって
脳がエネルギー源となる糖分を要求しているのがわかる。
早い話が、甘いものを食べたくなってしまう。

医療関係の人は、血糖値が高いということは、
脳が砂糖漬けなので、甘いものは必要ないと、
当たり前のように、非情な断定をする。

こちらの身にもなってほしい。
同じく医療関係の専門家は、脳内にエネルギー源を
供給できるのは、糖分しかないといっている。

糖分は別名、脳内麻薬と呼ばれるらしい。
確かに、頭の中が飽和状態で行き詰まったときでも、
何かしら甘いものを食べると、嘘のように楽になる。

セブンイレブンで売られているスィーツは、
なかなか出来がいいといつも思っている。
さすがに素材の原産国については気になるけれど。

でも、対症療法のように、お菓子で解決するのは
本当は健全ではないし不健康だと分かってはいる。
では、どうすればいいのか。

最近になって、ようやく気づいた方法がある。
あくまでも体感印象なのだが、効果があるようだ。

仕事で頭がクタクタになったとき、頭休めに
詰め将棋に挑戦するようにしている。
一見すると、疲れた頭をさらに酷使するのかと、
アホ扱いされるかもしれない。
北海道言葉では、ハンカクサイという。

気がつけば、脳内はいつの間にか晴れ渡っている。

数ヶ月前から、ギターの個人レッスンに通っている。
生まれて初めてクラシックギターの基礎から
教えていただいている。

ギターの楽譜がこんなに複雑なものだとは知らなかった。
右手のどの指で弾き、弦は何弦を弾き、奏法は
アポヤンドかアルアイレなのか、記号が付いている。
強弱記号もあれば、カポのように人差し指で
全部の弦を押さえたり、ヴァイオリンでいえば
グリサンドのように、指を滑らせて移動する奏法もある。

まるで外国語のように、まず脳内で読解し、さらには
両手の指でそれらの記号を、音として再現する。
とてもとても脳内に混乱状態を来してしまう。

でもあら不思議。約1時間のレッスンの後は
実に頭がすっきりしている。

つまり、仕事で使う脳、将棋の脳、ギター演奏で
使う脳の場所が、すべて異なっているので、
腱鞘炎のような症状が発生せず、バランスが保たれる。
・・・のだろうと思っている。

昨秋からは、語学学習や国家安全保障制度を中心とする
インテリジェンス、さらには宗教発生史や
国際政治などを頭に無理矢理詰め込む作業を
継続しているため、とにかく頭脳が明晰であるよう
いつも願っている。

私がセブンイレブンに行く頻度が激減したとしても、
売上に対する影響は、無に等しいだろうから
なるべく健全な方法で、脳内コンディションを
良好に保つよう心がけたいと思うようになっている。

少しは大人の分別ができるようになってきたように思う。
今頃になってようやくだけれど。


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by hirune-neko | 2015-02-21 19:23 | 現実的なお話し | Comments(0)

「積ん読」「ダウンロー読」の自虐的肯定論


Retrato Em Branco E Preto...♪Clémentine♪

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学生時代から、とにかく本を買うことに執着があった。
知りたいと思う分野が拡がると、まずはその分野の
本を探しに、主に神田の古書店を徘徊した。
古書店や新刊書店は、いつ行っても居心地が良かった。

書籍には1冊ずつ、それぞれの世界が構築されている。
著者のイメージが文章化され、編集者が助言し、
製作担当者やデザイナーが加わり、最終的には
書店の棚に並ぶよう、営業担当者が努力する。
長年そのプロセスを見てきたので、1冊の書籍を
誕生させる関係者の皆さんの努力と執着心には
心からの称賛を送りたいと思っている。

私は努めて理論的に物事を分析するよう
心がけているのだが、振り返ってみると、
感覚、感性、直感も同様に大切にしてきたと思う。
なので、周りを本に囲まれてていると、それだけで
自分が知的な人間になったような錯覚に陥る嫌いがある。
まだ読んでもいないのに、手許にあるだけで
自分の脳内に知識が蓄積されているような錯覚に陥る。

今朝amazon.comで注文した本が届いた。
「ハッカーの学校」というタイトルだ。

以前授業で、インテリジェンスの機能のひとつが
重要機密情報が外部に漏洩しないよう手段を講じる
ことだと習ったのが記憶に残っていた。
ハッカーがどのようにパソコンに侵入するかを知れば
それが防御手段を構築することにつながる。
なので、自分自身にはIT関連の知識がないのに
注文してしまった次第だ。
本文が440ページというかなり分厚い本だ。

本を購入したまま、読まずに積んでおくのを「積ん読」
という。しかし最近は、電子書籍をダウンロードして
端末に保存したまま読まないことも多い。
その場合は、どう考えても「積ん読」だと適切な表現では
ないのではないだろうか。
あれこれ考えた末、
「ダウンロー読」という言葉を思いついた。

「積ん読」に「ダウンロー読」。
いずれも、購入したのに読了していないことを意味する。
仕事に追われる毎日なので、やむを得ないのだが、
でも、読みたいときにはすぐに読めるのだし、
脳内にいろいろな分野の格納庫が作られてあり、
扉を開けばいつでも必要な知識に手が届く環境がある。
これはこれである種の知的環境なのではないだろうか、
などと、自虐的なこじつけ肯定論で納得している。

「ハッカーの学校」を熟読してハッキング技術を習得し、
間違っても他人のパソコンに侵入することのないよう、
自制心を保ちたいと、自分を戒めてもいる。


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by hirune-neko | 2015-02-20 13:44 | 現実的なお話し | Comments(0)

とりあえず日本語・英語・フランス語・スペイン語


Eliane Elias - Falando De Amor (Tom Jobim)

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いや、私が日本語だけでなく、英語やフランス語・
スペイン語を流ちょうに話すという意味ではない。

飼いネコのシロがまだ生きていた時期にSNSに誘われ
本名を出すのはいやなので、ペンネームを
昼寝ネコにした。
昼間でもいつでも、クウクウと気持ち良さそうに
眠っているシロが羨ましくて、それで昼寝ネコにした。

日本語以外の表記が必要になった訳ではないのだが
メールアドレスや何かと横文字の時代なので、
英語ではsleepy catと名乗ることにした。

ごく最近、facebookでフランス語ではどう表現するのが
最もニュアンス的に近いかとつぶやいたら、
フランス語に堪能なfacebook友だちが、あれこれ
熟考の末、Chat Somnolentを推薦してくれた。

そうこうするうちに、スペイン語でも検討してくださり、
途中からコロンビア在住のfacebook友だちも参戦して
くれるようになった。
私にはチンプンカンプンの分析・検討の結果
スペイン語ではGato Soñolientoがいい、というのが
お二人の共通意見となった。

したがって、現時点では4カ国の渡航ヴィザを
取得したような嬉しい気分になっている。

・日本語:昼寝ネコ/ヒルネネコ
・英語:Sleepy Cat/スリーピー・キャット
・フランス語:Chat Somnolent/シャ・ソムノラン
・スペイン語:Gato Soñoliento/ガト・ソニョリエント

とまあ、こんな感じだ。

この多言語ネーミングは、眠っていた私の妄想癖を
呼び覚ますことになってしまった。

昼寝ネコが文章を書いている、子どもの名入れ絵本は
現時点では日本語でしか製作していない。
かなり以前から、アメリカその他の海外原産で
製作されている名入れ絵本は、日本語化されて
現在でも国内代理店が販売している。

実はここだけの内緒の秘密の機密情報なのだが、
内心密かに、この絵本の多言語出版を考え
真剣に検討していた時期がある。
製本は、製本職人さんの100%ハンドメイドで
とても堅牢な造本になっている。
一生涯、家族の思い出・記念として保存可能だ。
実際にネイティブの米国人数人に翻訳文の試作を
依頼してみたが、確信が持てなかった。

海外版の名入り絵本の本文は、ひと言で評価すれば
割とカジュアルで軽いノリを目指している。
一方、昼寝ネコの「大切なわが子へ」の本文は
親から子どもへの心からの愛情メッセージだ。
読みながら涙が止まらなかったとか、ご主人が
号泣したとか、そんな感想葉書が、絵本を
プレゼントした産婦人科の院長先生に届いている。

シングルマザーのための文章も作ったし、
死産や流産で赤ちゃんを見送ることになった
ご両親のために、天使版も作った。
先天性の障がいを持つ赤ちゃんが生まれ、
不安と心配に包まれているご両親用の文章もある。

東日本大震災で、多くの方が子どもを亡くし
親を亡くした。福祉団体からの依頼で
そのような方々の心のケアとなるる文章も作った。
それぞれの出産シーンや人生の異なるシーンに
優しく寄り添った文章を、心の奥深くに届けよう
というのがそもそもの基本動機だ。

日本語で日本人のために書いた。
まあまあ心に届いているという実感がある。

しかし、多言語版となると個々の感性の違い以上に
国民性の違いによるメンタリティの差異を
どのように乗り越えるかが最大の課題だ。

学生の頃なにかの本で読んだ。
日本人女性の場合、普通は離婚すると
傷つき希望と未来を失う・・・のが一般的だろう。
ところがフランス人女性だと、まったく思考が異なり、
離婚直後から、よし、もっといい男を見つけるぞ、
と前向きだそうだ。
どこまでが本当か私は分からない。

しかし、ここでまた内緒の秘密の重要機密を
そっと打ち明けるが、実は私は本当に本来はネコであり
しかも紀元前約1,000年の
古代イスラエルに生まれている。
その後の約3,000年の間、何度も生まれかわり、
いろいろな国で生きてきた。
なので、普通の人よりはずっと、各国人の異なる
メンタリティーに接して来たという自負がある。

なので、もし状況が整うならば、つまり
まずはネコネットを通じ、
どっぷりと日本に浸かりきっている私の日本語を
各国のメンタリティーに合わせて、上手に翻訳してくれる
昼寝ネコ一族の末裔を探し出せれば、あとは
人間用のインターネットを駆使して受注し、
各国語の絵本を日本の製本職人さんの
堅牢製本でお届けできる。
代金前払いのPaypal決済だと、リスクも発生しない。

そのときまでに、なるべく多くの原語で
せめて昼寝ネコの名前だけでも、翻訳しておきたい。

・・・とまあ、そのような次第で、大変奇特な
facebookの友だち二人の協力により、すでに
4カ国語での対応が可能になってしまったし、
持ち前の妄想癖にも点火されてしまった次第だ。
その奇特なお二人には、この場をお借りして
心からの感謝をお伝えしたい。

何が起きても不思議ではない時代なので、
案外ひょっとしてひょんなことから、
実現しないこと・・・もないのではないだろうか。
なんとなくだが、そんな気がしてきた、
久しぶりに嬉しい気持ちを感じている。


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by hirune-neko | 2015-02-20 00:29 | 心の中のできごと | Comments(0)

つくづく営業が向いてないと再認識した


Elis Regina & Tom Jobim - "Aguas de Março" - 1974

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昨日珍しい問合せのメールが入った。
お子さんの成長記録絵本をオリジナルで作りたいが
予算はどれぐらい必要かという質問だった。
昨日から今日にかけて、数回メールのやりとりをした。

依頼主は、自分で表紙と本文のデータを
アドビ・イラストレータで(本人はaiと表現)
作成し支給するという。絵本の仕様に関する説明も
なかなか詳しいので、たぶんデザイナーなのだろう。

本文も表紙もデータで支給されるとなると、
製本も印刷も外注なので、わが社のすることは
編集製作のコーディネートと進行管理ぐらいになる。

普通はそれでも、なんだかんだ理由をつけて
それなりの見積金額を出すべきなのだろうと思う。

それなのに、依頼主に対して
製本所の見積金額をそのまま伝え、さらには
紹介してあげるので、ご自分で製作されては
いかがでしょうかとメールを送った。
印刷用紙がコート紙という光沢のある紙だし、
表紙に使用するクロスと呼ぶ用紙も
光沢紙でしかも大判なので、外注となってしまう。
でも、インターネットから発注・入稿できるので
デザイナーならわけなくできるはずだ。

相手の立場になり、親切で提案したつもりなのだが
決して間違ってはいなかったと思っている。
それほど作業工程は限定されている製作物だ。

しかし、営業的には正しくないのだろうかとも思う。
金額の多寡に関係なく、売上に結びつくよう
誘導するのが、おそらくは本筋なのかもしれない。

もちろん依頼主が自分自身で対応できるとしても、
もしかして時間的な制約があり無理なのかもしれない。
その可能性を踏まえて、受注した場合の金額は
提示してある。

営業的判断も経営的判断も、目先の利益だけでなく、
長い目で見た利益、それも無形の利益とでもいうべき
信用とか信頼を得ることは、今の時代には
必要だと思っている。

出版社を始めて30数年になるが、最初の頃から
自分が営業に向いてないと自覚していた。
途中でなんとか変身して、営業マンらしく
明るく快活に振る舞おうと努力した時期もある。
でも、人間の本質なんてそんなに簡単に
変えることはできないようで、今日現在も
私には説得型の愚直な営業しかできないと、
自覚というより確信してしまっている。

さて、そのお子さんの成長記録絵本の
依頼主がどのよう結論を出すだろうか。
結果が判明したら、改めて報告したい。


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by hirune-neko | 2015-02-18 23:59 | Comments(0)

最近は猛スピードで時間が駆け抜ける


Diana Krall - Where Or When

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昼前の時間帯に、ちょっと異常なことが起きた。
短時間席を外して戻ると、
「ブラックベリーに・・・があったよ」といわれた。
一瞬、ブラックベリーが何を意味するのか
まったく理解できなかった。ベリーなので食べ物か?
何かのソフトだったっけ?
「ブラックベリーがなんのか思い出せないんだけど、
ちょっと何もいわないでくれる?」
怪訝な顔をされたが、数秒間考え込んでしまった。
すでに出かける時間だし、仕方がないので降参した。

なんのことはない。会社用の携帯電話の機種だった。
つまり、「ブラックベリーに着信ががあったよ」
といわれたのだった。

とうとう脳内で何か支障を来し始めているのだろうかと
少々複雑な気分になってしまった。

普通は誰でも、朝から夕方や場合によっては夜まで
忙しく仕事をしている。
私の持ち場は、管理システムやサイト構築、企画書作成、
対外折衝、営業ツールの作成などだ。

なので比較的、脳内であれこれ反芻しながら
徐々に組み立てていく。
ところが最近は、たまに発生する誤字の
クレームだけでなく、種々の問い合わせ、見積依頼、
新規見込み顧客へのアプローチなどが
かなり増えてきている。
少人数の会社なので、
みんな締切案件を手一杯抱えている。
結局のところ私が自分でこなすしかない。

かくして朝から(といっても遅めの朝から)夜まで
文字通り間断なく処理を続ける日が増えている。

目の前に見える案件を一定の規則に従って、事務的に
処理するのと、視覚的に捉えられない抽象的な概念を
実際に稼働するよう組み立てるのとでは、どうやら
使用する脳の領域が完全に異なるようだ。

まるでベルトコンベアで次々と運ばれてくるような
処理案件を必死にこなすが、それ以上のピッチで
新規の処理案件が増えてくる。

毎日こんな生活を続けていたら、創作ストーリーなんて
まったく思い浮かばない感性になってしまうだろう。
それは最も避けたいことなのだけれど、
会社の業績を上げるためには、まだまだ契約数を
増やさなくてはならない。

でもこうしてブログを開くと、何も文章なんて書けない
と思っていたのに、少しずつ考えが整理できるし
その日の記録にもなる。
脳内の漠然とした混乱を鎮めるには、とてもいい場だ。

読みに来られる方にとっては、迷惑なことだろうけど、
現時点ではここまでが限界だ。
最近は、比較的毎日のようにブログに記録を残せている。
なんの意味もない単なる心象記録だが、でも連日
どなたかが読んでくださることは、私にとっては
大きな励みなので、改めてお礼を申し上げたい。


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by hirune-neko | 2015-02-18 00:58 | 現実的なお話し | Comments(0)

晩年にフラッシュバックする光景


Astor Piazzolla - Jardines de Africa

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長男に誕生日のメールを送っても、
参考になりそうな資料をメールで送っても、
さっぱり返信がない。
そうなると、親というのはあれこれ心配して
病気や事故などの想像を巡らしてしまう。

思いあまって今日、「大丈夫なのか?」と
メールを送ってみた。
すると、10分も経たないうちに返信があった。

昨日、ドイツに到着し、
その日から仕事を始めているという。
最近は月に一度はドイツに行っているらしい。
一日3〜4時間の睡眠がずっと続いているが
毎週クラブチームのバスケに参加しているし、
最近、何種類もの進行性ガンの検査を受けたが
全然問題なしだったと書かれていた。

「便りのないのはいい便りだよ」といっている。
何を馬鹿なことをいうんだろう。

私は4人の子どもたちそれぞれの、
正確な年齢を知らない。聞いたって、年齢は
毎年変化するのだから、記憶に留めることはできない。
誕生日は不変なので憶えている。しかし、
四捨五入すれば40歳になるのと、30歳になるのとに
大別できる程度のことは把握している。

かなり以前、カウンセリングをしている人から聞いた。
人生にはある時期、フラッシュバックといって
遠い過去の忘れていたことや忘れ去りたいことが
なんの脈絡もなく、突然映像を伴って
思い出すことがある、
そんな感じの内容だったと思う。

脳内に映像を伴って現れる人物の日常を、客観的に
凝視することがしばしばある。
それを素材にして、短いストーリーを紡ぐのは
なんとなく創作活動に携わっているようで
充実感がある。

しかし、突然自分の醜悪な過去の情景が
映像とともに悔悟の念を伴い、
脳内に投影されることが多くなってきた。
以前、単行本を出版したときにあれこれ
助言してくれた女史がよくいっていた。
作家というのは、
自分の最も醜悪な部分を表現できなければ
プロとはいえない、といっていたのを思い出す。

どんな醜悪な情景だったかなど、
ブログになんてとても書けそうもない。
もちろん自叙伝ではなく、創作作品中の情景ならば、
読者はまさかそれが私の実像だなんて
考えないだろう。

数ある奇跡の中で、何が一番大きな奇跡だろうか。
人間がその生き方を変えようと決心し、
努力することが最も大きな奇跡だと思う。

福祉団体からの依頼で、5〜6回の面談に立ち会った
男性がいた。ある宗教団体に属していたのだが、
お酒とタバコと睡眠導入剤に依存し、いかにも
体調が悪そうで、ときどき何度も咳き込んだ。

ある日決心して、お酒を止め、タバコも止めた。
彼が心からの心情を吐露したときのことを、
鮮明に憶えている。

「とても平安な気持ちを感じます。
私はどこに行っても、
誰からも受け入れられませんでした。
でも、皆さんはいつでも私を受け入れてくれました」

その会話から2週間ほど経った昨日、福祉団体の方が
最近その彼から連絡がないので、電話してみてほしいと
依頼してきた。
携帯電話に何度かかけてみたが、
電源がオフになっている
というアナウンスしか聞くことができなかった。
その旨を福祉団体の方に報告しようと思い、
電話してみた。

「私たちは彼のお友だちに連絡をとってみたのですが、
彼は先週の日曜日に、亡くなったそうです」

一瞬、絶句してしまった。
おそらくは60歳ぐらいだっただろうか。
葛藤と苦難の中を生きてきて、初めて平安を感じ、
まさに生き直そうと決心していたその時期に、
彼は還らぬ人となってしまった。

心の中を推し測ることはできない。
無念な気持ちなのだろうか。
あるいは、永遠の安息に入り本当の意味で
平安な気持ちに満たされているのだろうか。

もう会えなくなってしまったが、
私なりに乏しい時間を割き、心に促されるままに
できるだけのことはできたと感じている。

またときどき、フラッシュバックに悩まされる
こともあると思うが、どんな内容であれ、
心の中の葛藤とは、真摯に向き合って生きようと
改めて感じている。

さようなら。ましゅうさん。


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by hirune-neko | 2015-02-17 01:31 | 心の中のできごと | Comments(0)

どうやらこんな感じかな?


Astor Piazzolla - Milonga per tre

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Family Intelligence=ファミリー・インテリジェンス
という看板を掲げたものの、最も難しい部分について
ずっと考え続けていて、なかなか結論が出なかった。

今日になって、憑き物が落ちたように氷解した。
・・・氷解したように思う。

久しぶりにgoogleで「ファミリー・インテリジェンス」
と検索してみた。状況は変わらず、上位1位から
6位まではすべて自分関連の記事だった。

何が一番難しいと思ったのか。
それは、国家インテリジェンスとベクトルの
向きが180度違う点だ。
国家インテリジェンスであれば国家元首に対し、
国益、国と国民を守るという極めて単純化した
図式になるのではないだろうか。
もちろんスノーデンのように、国家安全保障システムの
内部の人間なのに、外部にリーク・告発する
人間も存在するだろう。
しかし基本的には、国益を優先し一枚岩でなければ
成り立つ訳がない。

では、ファミリー・インテリジェンスの場合は
どう考えるか。特定の国家、政党、政治家、団体、法案
などに対し、旗幟鮮明に賛否を表明し誘導する
などという図式は成立するわけがない。
それだと単なるオピニオン・センターになってしまう。

こんなたとえ話がある。
目の不自由な人たち何人かを連れて
動物園に行ったそうだ。
気立てのいい象がいたので、象の側に連れて行った。
「これが象という動物なんですよ」
目の見えない人たちは喜び、手探りで象の身体に触れた。
動物園を後にし、帰宅した彼らはそれぞれ家族の人たちに
動物園に行って象に触ってきたと、嬉しそうに報告した。
象って、どんな動物だったの?と家族の人たちが訊いた。
シワシワのホースみたいに
長い動物だったと答える人がいた。
別の人は、薄べったくてパタパタした生き物だといった。
またある人は、まるでドラム缶のように
太い動物だと答えた。

もし彼らが、象とはどんな生き物かを論じるなら、
それぞれの信念や経験によって主張し、決して合意は
形成されることはない。
なぜ同じ動物と対面しても、
意見対立が起きるのだろうか。
それぞれが異なる一部分に触れただけで、自分なりの
結論を出したからに他ならない。

国家インテリジェンスの場合は、最終的にひとつの
結論に達し、具体的な対応策を実行に移すに違いない。
しかし、ファミリー・インテリジェンスという手法では
情報の受取手は、すでに個々に異なる見解を持っている
と考えなくてはならない。

実際に近年の評価対象を考えてみると、原発、
集団的自衛権、特定秘密保護法案、TPP、
従軍慰安婦強制連行問題、南京大虐殺事件などの
どれをとっても、見事に対立構造が存在する。
なぜ対立するのだろうか。そして議論を重ねれば
数学や物理のように、最終的にはひとつの解に到達し
正しい結論を合意形成できるのだろうか。

賛否それぞれの源泉を辿れば、複雑な構造に行き着く。

ずいぶん長々と書いてしまった。
反対とか賛成とか、主張するだけなら誰でもできる。
氷解した手法というのは、どうやら
両論あるいは各論併記という所に着地するようだ。

つまり、目が不自由な人たちが、
象の身体の一部分だけに触れて
それぞれ異なる結論を固定化している状況に対し、
こう表現することになるのだと思う。

シワシワのホースみたいだという人もいれば、
薄べったくてパタパタした部分だという人も
ドラム缶だという人も存在する。
部分的に見れば確かにそのように見えるだろうが、
全体を俯瞰するならば、別の捉え方ができるのでは
ないだろうか。つまり象という動物は、いろいろな
特長ある形状の手足や鼻・耳を併せ持つ
生き物だと推測できる、と。

例えは悪いかもしれないが
そして、骨の折れる作業になるのだが、これだと
最初に対立ありきの構図にはならないし、
互いを尊重し譲歩できる緩衝地帯を形成できるのでは
ないだろうかと考えるようになった。

今日は、上部で例示した対立案件の具体的表現方法は
避けるものの、まだまだ課題が残っている。

国家インテリジェンスには、国家の存続と国民の安全
という大前提がある。
ファミリー・インテリジェンスには、
個人あるいは家族の安全や健康という大前提がある。
さらにいえば、個人や家族が単に生物として
生存するだけでなく、家族を構成しているのであれば、
家庭が具えるべき機能、さらには、個人の投票行動の
総体が国家の行く末を決めるという認識、
個人の存立に不可欠な平安や安寧など、ベクトルは
一人の人間の内面世界にまでに深化していく。

まだまだ脳内で試行錯誤しているが、かくも
ファミリー・インテリジェンスというのは奥が深いと
今さらながら再認識している。
時間制限はないものの、私自身の寿命が尽きないうちに
なんとか形にしたいなと希望している。

今日は最初から最後まで、
とても真面目な論調になってしまった。


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by hirune-neko | 2015-02-16 00:57 | インテリジェンス | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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