昼寝ネコの雑記帳

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また政治の季節がやって来た


Daniel Mille - Après la pluie


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選挙管理委員会の回し者ではないが・・・

棄権した後で、ヘンテコな政権ができてしまった
と後悔するよりは、たとえ1票であっても
権利というか義務というか、国民固有の投票権を
行使した方が、ずっと健全だと思っている。

当選ラインが数十万票だと聞くと、自分の1票が
とてつもなく無力に感じるかもしれない。

ほんの十数年前までは、政治の世界なんて
新聞かテレビでしか垣間見ることができなかった。
なので、どの政党がいいか、どの候補者を選ぶかは
マスメディアの報道から大きな影響を受けていた。

一般市民=有権者の意識に変化が生じたのは
なんといっても、ネットの発達に起因している。
この点は、誰も否定できないだろう。

普通、新聞社は購読料収入だけで利益を確保するのは
かなり難しいだろうと想像している。
民報のテレビ局なんて、視聴者からお金を取って
放送しているわけではないので、つまりは
いずれの経営も広告収入に大きく依存しているのだと
考える方が自然だろうと思う。

年間、巨額の広告料金を支払う企業もしくは団体は
マスメディアにとって重要な顧客となっているはずだ。
その広告出稿企業の先に、外国政府や団体があったら、
新聞社やテレビ局に対する支配力を強め、あわよくば
社内に「身内」の人材を送り込んで、日本人の意識を
操作しようと考えるのは、極めて自然なことだろう。
世界中、どの国でもプロパガンダ活動をやっている。

なので、政治家は外国人や外国企業からの献金を
禁じられているのだし、本来はマスメディア社員の
国籍条項も厳しく管理すべきだと考える方が
自然なのではないだろうか。

その点、日本という国は私のような一般人が見ても
???の状況だらけだと、感じてしまう。
つまり、外国政府、外国人のやりたい放題を許し
日本の政界、財界、マスコミ業界、教育界、芸能界、
あらゆる分野に、外国勢力が影響力を強め、あるいは
支配下に収めるほどになっている。

そのような認識が拡がったのは、主として
個人のブログに依るところが大きいはずだ。
企業は買収されることがあっても、個人ブログ主は
無数に存在することもあって、買収が困難だ。
マスメディアの場合は、主要何社かでも支配下に置けば
その効果は計り知れない。
しかし個人ブログ主数人を買収したとしても、
大海の数滴にしか過ぎないのは明白だ。

相変わらず、新聞とテレビだけから情報を得ていると、
・・・もちろんかなり真相に迫る新聞社もあるが、
なんとなく意識操作され、洗脳されてしまう可能が高く、
モロにプロパガンダの影響に曝されてしまう。

じゃあどうすればいいのか?
さて、どうすれいいのだろうか。

だって、一朝一夕の方針変更で、劇的な意識変革なんて
できるわけないんだもの。
でもたまには人気ブログランキングの政治部門を
上位10番ぐらいまで閲覧していたら、なんとなく
忌避すべき政党や政治家が、それとなく
ぼんやりと見えてくるのではないかと思う。
それなりの時間と労力の投資は必要なのではないだろうか。
もっとも上位10位には、かなり保守的な傾向の
ブログのみがランキングされているが・・・。

余命3年時事日記のブログ主は亡くなったが、
その遺志を継いだ方が熱心に情報提供してくれている。
解説・説明も親切なので、とても役立っている。
今年の5月の時点で、過去の全ての記事を印刷した。
A4判で500ページ以上になった。その後の記事を
先週改めて印刷してみたら、230ページほどになった。
とくに最近、参議院本会議で可決成立した
テロ関連3法案の「改正テロ提供処罰法」、
「犯罪収益移転防止法改正案」、「テロ凍結法案」
については、マスメディアが報じていないようなので
何が何やら分かりにくいと思う。

この3法案と、すでに可決されてる外国人登録法、
住民登録法、特定秘密保護法案などが、どのように
相互関係し、日本国内の動静に影響を与えるかは
大変理解しがたいのだが、余命3年時事日記では
詳細に解説を加えている。
遺志を継がれた方を含め、普通の一般市民ではなく
明らかに、かなりの情報を収集して分析することが
できる特殊な方たちだと、感心して読んでいる。

もしかしたら、日本を本当の意味で再生できるような
重要な節目の選挙になるのかもしれない。

全国の野良ネコの友人達と一緒に、注目している。
人間用のインターネットだけでなく、われわれ専用の
ネコネットも回線容量を増やして、情報交換に
努める毎日を送っている。

まことに残念なのは、日本ではまだ
野良ネコに投票権が与えられていないことだ。


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by hirune-neko | 2014-11-22 20:43 | 現実的なお話し | Comments(2)

大学院の講座聴講第2回目


Bidonville - Astor Piazzolla


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いつから吉本興業が英米の情報機関になったのだろう?

先週の木曜日に、初めて大学院の講座を聴講した。

駅の改札口は地下深くに位置し、地表まで一気に
79段もの階段を上った。とても大変だった。
なので今日はひとつ手前の出口から、
エスカレーターを利用したが、2回乗り換えたものの
無事にそのまま地表に出ることができた。
ほっとした。

今日の授業は、英国版のNSCと米国版のNSCの
組織構造の違いが中心だった。
日本語では国家安全保障会議なので、おそらくは
National Security committee
の略称なのかなと考えた。
帰宅してGoogle検索したところ、一瞬、目を疑った。

NSC-New Star Creation(吉本興業)

はっ!?
いつから吉本興業が英米の国家安全保障に
関わっていたのだろう。
お笑いタレントを養成し、いつもお馬鹿なふりをしつつ、
実は国際情報機関として、インテリジェンスの双璧の
伝統ある英米両国の政府に信任されているとは
まったくもって驚きだった。

普段は本当の姿を見せず、アホアホしさを前面に出して
世の中を欺いてはいるが、実は違ったのだ。
いやあ、お笑いの世界に対する認識を改めなくては、
と、本当に一瞬はそのような印象を受けた。

駄菓子菓子(寒川猫持ち先生のギャグ引用)、
よくよく見ると、New Star Creation・・・?
なんだ、新人スターの発掘育成プロジェクト
なのではないか。

数項目下には、ちゃんと
国家安全保障会議(こっかあんぜんほしょうかいぎ、
英: national security council)は、多くの国家に
設置されている外交問題や国防問題、安全保障政策
などの審議や立案、調整(武力行使の是非決定)
などを行う機関。と書かれてある。(Wikipedia)

なあんだ。
そういえば以前、何かの資料で米国のNSCが
ウサーマ・ビン・ラーディンの暗殺を決定したときの
写真を見た記憶がある。オバマ大統領も映っていた。

そんな場に、お笑い芸人がやってきて、
ギャグを飛ばすわけがないではないか。
たとえ一瞬でも、吉本興業が英米政府の
NSCの一角を占めていると思い違いをしたなんて、
本当に自分がアホな聴講生だと、改めて深く反省している。
とても恥ずかしくて、先生や学生の皆さんに
この思い違いを告白することはできない。


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by hirune-neko | 2014-11-20 23:09 | 現実的なお話し | Comments(0)

死後44年が経過した父との和解


Philadelphia Sinfonia - Astor Piazzolla "Melodia en La Menor"


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もうじき90歳になる、
札幌で独り住まいの母との電話は、
数分で終わることが多い。

母は電話口まで歩くだけで、息が切れる。
最近は、足の甲が大きく腫れ上がり、
ついには足裏にまで晴れが拡がって
歩くことも立つこともできない状態になった。

なので、大概は事務的な「安否確認」で
受話器を置くことが多い。

母は7年前に、急性心不全で緊急手術を受け、
ペースメーカーを入れた。
40年ぶりに訪ねてきた看護師の従姉妹が、
携帯していた測定器で、酸素量の異常を指摘し、
そのまま検査入院させてくれた、その夜のことだった。
病院内での急変だったので、緊急手術が間に合った。
従姉妹が訪ねて来なかったら、自宅で絶命していただろう。

従姉妹は私より1学年上なのだが、
正確には父の従姉妹にあたる。
父の父親は長男で、その末弟が従姉妹の父親だ。
なので大きな歳の開きがある。

父の父親、つまり私の祖父は、いわゆる大酒飲みで
その末弟や飲み仲間が毎晩のように、
わが家で酒宴を開いた。
いつもお決まりのコースで、何やら口論になり
大声を上げるとグラスを床に叩きつけ、
仕舞にはお膳をひっくり返す。
日本酒の臭いが部屋中に拡がる。
私は難を避けるため机の下に逃れ、いつしか
大人たちの狂乱を醒めた目で見るようになった。

母は何度も離婚しようと考えたらしい。

父の記憶はほとんど思い出せない。
一緒に遊んだ記憶も、本を読んでもらった記憶も、
人生訓を聞かされた記憶も、ほとんどない。
寡黙で、滅多に感情を表にだすことのない人間だった。
ただ、父自身も感情を抑圧されていたのだろう。
凄い勢いで家を飛び出したことがあった。

その父は、私がまだ二十歳にならない10月に、
札幌のガンセンターで亡くなった。
45歳の早い死だった。

羽田から夜行便のプロペラ機で、
眼下の車列のライトを見下ろしながら千歳に向かった。

遺体と対面しても、なんの感慨もなく、
事務的に通夜と告別式を済ませた。
1970年のことなので、ちょうど44年が経過した。

昨日の母との電話は、珍しく長時間になった。
母は自分のことを、
女だから感情的な思考をするといった。
そして、父のことを感情に流されない冷静な人だった
と、珍しく話題が父のことになった。
私の記憶にない情景を思い浮かべた。

連日の狂乱の酒宴は、確かに私自身の心に、
なんらかの影響を残したと思う。
しかし、父にとっては、自分の父親や叔父であり、
子どもの頃から、あのような家庭環境で育った
父の内面は、果たして
どのように形成されたのだろうか。

生まれて初めて、父の育った子ども時代、
青春時代を想像してみた。
決して楽しかったはずがない。
平安な夜を過ごしたことは、ほとんどなかっただろう。
自分の意見を述べようとしても、頭ごなしに
怒鳴られたに違いない。

母は母で深い傷を負った。
しかし、小さい頃から
もっと深い傷を負ったであろう父は、そういえば
私に対して理不尽に当たり散らすことは一度もなかった。
電話の向こうで、遠いできごとを思い出しながら話す
母の言葉を聞きながら、すでに亡くなって久しい父が
言葉にならない言葉で、私に語りかけているのを感じた。

父が亡くなった年齢より、20年近く長く生きてきて、
今ようやく父の人格の本質を垣間見たような気がする。
青年期からずっと、父に対する拒否感を抱いていたが
死後44年目にして、心から父を受け容れ、
和解できたように感じている。

旧いSPレコードの音楽を聴くように、懐かしさと
感慨を、平安な気持ちで静かに味わっている。


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by hirune-neko | 2014-11-17 01:09 | 心の中のできごと | Comments(2)

届かない会話と届いた言葉



Roberto Goyeneche - Sólo


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一人の人間を理解するには・・・
本当の意味で深く理解するためには、
その人のずっとずっと昔まで遡り、
時系列で出来事を並べてみないと・・・


ある女が、あれこれ考えた末に、
人生の終末を生きる人の役に立ちたいと考えた。
彼女には無理に働かなくても、一生涯暮らしていける
経済基盤が与えられていた。
なので、お金を目的に働く必要はなかった。

指定された日に、施設に面接を受けに行った。
書類選考を経て、適性を確認する最終面接だった。
その日のうちに電話による連絡があり、
週明けの月曜日から金曜日までの6日間、
通うことになった。

月曜日の朝、9時から1時間の事前説明を受けた。
担当するのは、80歳を過ぎた男性で
両下肢が衰弱しているため、車椅子で過ごしている。
脳波は正常なのだが、話しかけても反応がない。
専門家の所見では、自閉症と失語症その他
心因性の障害で無感覚状態になっているという。
言葉は発しないが、洗面所に行きたいときには
かろうじて指先で合図するという。

女にとっては、相手がどれだけ重篤な状態でも
一向に構わなかった。煩わしい会話で
神経をすり減らす必要がない方が気楽だった。

雨が降らなければ、敷地内の木立を縫うように
車椅子を押して散策するようにした。
雨が降ると、施設内の長い廊下を何度も往き来した。
残りの時間は、高台から水平線を見渡せる展望室で、
ただじっといつまでも遠くを見つめていた。

女は自分に起こった出来事が、何ヶ月経っても
頭から離れないのを自覚していた。
何の未来像も描けない、行き場を失った
人間になってしまったことを実感していた。

2週間ほど経った頃、車椅子を押しながら、
ふと年齢の割に白髪が少ないなと、
初めて男性のことが視野に入った。

そういえば、規則だということで一切の個人情報は
知らされていなかった。
過去の職業、家族構成、国籍も出身地も何もかも
知らないことだらけなのに、ひと言の会話もなく、
ずっと行動を共にしている。
考えてみれば、ずいぶん奇妙な関係だと思った。

東條さんという名前が、男性の唯一の情報だった。

「東條さん。もう秋ですね、寒くないですか?」
その日、女は初めて言葉を発したが、反応はなかった。
ダウンコートで男性の身体を覆い、車椅子を押して
いつもの散策コースに出た。

このところずっと女は自分に閉じこもり、
誰とも会話することがなかったせいか、
徐々に人に対する億劫さが薄れているのを感じた。

「東條さん。人生って、いつ何が起きるか
分からないものですね」
返事はなかった。
返事がないことが、虚ろに感じられた。

それまでは、寡黙で単調な毎日だった。
しかし女の心境は徐々に変化し、
飽和状態になった感情を、言葉とともに
吐き出さずにいられなくなっていた。

翌日から、女は徐々に饒舌になっていった。

「東條さん、今日は少し暖かいですね。
いつもと逆のルートを行ってみましょうか」
女は同意を待たずに、逆ルートを進み始めた。

「北海道で、初雪が降ったんですって。
・・・わたし、本当はとてもおしゃべりで
明るい性格なんですよ。
でも、いろんなことが同時に起きてしまい、
突然、独りになってしまったものですから、
人と接するのがすっかり億劫になってしまって」
彼は相変わらず何も反応しなかった。

無反応の相手なので、女は警戒心を持たず
いつしか、子どもの頃の思い出、父親との確執、
母親の病死、留学時代のエピソード、学生時代の
希望と挫折の繰り返しを、徐々に語るようになった。

彼はいつしか、無言のカウンセラーになっていた。

1か月ほどが経過した。
不安や葛藤など、女はいつしか
無言のカウンセラーに対し、素直に内面を
伝えるようになっていた。

「わたし、ようやく先のことを考える気力が
出てきたようなんです。このままでいいのかなって。
やりたいことは何もないんですけど、でも
何かしなくては、って思うようになってきたんです」
女の言葉は、遠い水平線を見つめる彼の耳には
届いていないようだった。

翌週の月曜日、女は退職届を提出した。
話し合いの結果、後任の手配が可能になる
金曜日までは勤めることになった。

その日まで、女は何度か謝罪の言葉を伝えた。
何の会話もなかったものの、錯綜した話を
ただ黙って聴いてくれた彼を残して去ることに
後ろめたさを感じるようになっていた。

金曜日、最後の日の夕方になった。
外は朝から雨だったせいで、展望室から見る水平線は
空に溶け込んでしまい、境界線が見えない。
重い空気だった。

あと数分で、お別れだ。
もう二度と会うことはないかもしれない。
女は彼に別れの言葉を告げた。
「東條さん。短い間でしたが、私のお話を
聴いてくださって、有難うございました。
本当のことをいうと、生まれて初めて
死ぬことを考えたんです。
でもこうして東條さんに励まされて・・・
何もおっしゃってはくれませんでしたけど、
寛容な心を感じることができました。
・・・さようなら」

女は立ち上がり、車椅子のハンドルに手をかけた。
その時、彼は初めて言葉を発した。
「どうもありがとう。ご自分を大切に」

女は一瞬、耳を疑った。彼は無表情に水平線に
目を向けたままだった。
しかし「どうもありがとう。ご自分を大切に・・・」
確かにそういった。
この人は、ちゃんと聞こえて話せて、
思考力も理解力もある人なんだ。

その瞬間、女は理解した。目の前の彼が・・・
ずっと無反応で無感覚な人間だと思い込んでいた彼が、
実は自分よりもずっと深い闇に閉ざされたまま
ずっと長い時間を生き続けている人間であることを。

言葉にならない感情が一気に溢れ出て、
嗚咽したまま、女はその場から動くことができなかった。

海の色と空の色は、忍び寄る闇に同化し始めていた。


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by hirune-neko | 2014-11-14 21:38 | 創作への道 | Comments(0)

その後の、私なりの身辺整理


Astor Piazzolla - Milonga del Angel


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でも、整理するものなんて身辺にあるのだろうか?


別に死期が迫っていると感じている訳ではない。
しかし、なんとなく身辺の整理をすべきだという
促しを心の中に感じる。

独り暮らしの老母の場合は、誰に死亡案内を出すか、
葬式費用はどこにおいてあるか、葬儀は家族葬で、
とか、具体的ですこぶる生々しい話になる。
実際に不要な私物を徐々に処分し始めている。

私の身辺整理とは・・・?
どう表現すればいいのだろうか。

今晩初めて、ある大学院の講座を聴講した。
先生は英国留学の経験がある方で、Wikipediaを見ると
英国王立某研究所にも席を置いていたこともある。

ふと、ん十年前の無謀な試行錯誤時代を思い出した。

知人の弁護士が英国留学を終えた後、ロンドンの
大きな法律事務所に勤めることになった。
日本での司法修習生時代からの付き合いなので、
こちらも気安くお願いし、ロンドン本社で
日本人向けに新聞を発行している会社を
即日紹介してもらった。

その新聞社は英国だけでなく、フランス、ドイツ、
ベルギーでも日本語で新聞を発行しており、
あっという間に提携することが決まった。
パリ郊外に小さな事務所を確保し、
新しいプロジェクトを立ち上げたのだが、
結局は1年も続かず、撤収することになった。

失ったものは多いが、得たものもあった。
あの頃は、欧米の出版社に飛び込みで営業した。
おかげで、欧米人との商談感覚が少しは身についた。
・・・ように思う。

今の私の身辺整理には、試行錯誤を許容する感覚が無い。
自分にあとどれぐらいの時間が残されているのかは
まったく分からないのだが、欧米を飛び回っていた時代の、
試行錯誤できる時間が無制限にあるという幻想は、
とても持つことができなくなっている。

仕事に関しては、ピンポイントで分野を限定している。
幾多の失敗と試行錯誤を経て、仕事における
方向感覚と地理感覚は、当時より育ったように思う。
育っていなければ、単なるアホだ。

なので、その限定された分野で、誰も試みていない
新たなプロジェクトを育てつつある。
試行錯誤を排するという意味で、仕事上の身辺整理を
しているのだと思っている。

もうひとつの身辺整理は、おそらくは人間関係だろう。
そう感じている。

残された限られた時間を、誰とどのように過ごすべきか。
打算で計算づくに考えるという意味ではない。
何も見返りがなくても、私を必要としている人がいれば、
そして、何かを共有できる人がいれば、その人たちとの
時間を最優先すべきだと感じている。

交友範囲を狭めてもいい年齢だと思い始めている。
不器用な性格なので、誰とでも際限なく
上手に付き合うことはできないし、その必要もない。

なので、このまま静かに私なりの
身辺整理を続けていこうと思っている。


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by hirune-neko | 2014-11-14 00:07 | 心の中のできごと | Comments(0)

「たたけよ、さらば開かれん」・・・を実感した


Astor Piazzolla - Primavera Porteña


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身の程知らずの決断は、吉となるか凶となるか


いくら理想や理念、使命感があったとしても、
それだけでは現実化しないことが多い。

ファミリー・インテリジェンスという概念に
取り憑かれてから、何年が経過しただろうか。

仕事の合間に、ああでもないこうでもないと
試行錯誤を繰り返し、最近になってようやく
私設の小さな研究所を立ち上げた。
独自ドメインを取得して、専用サイトも
自力で作り上げた。

立ち上げたのはいいのだが、さて具体的に
どのように進めたらいいのかが、明確に見えない。
研究員として招待した人は、すでに申請してくれて
登録も終えている。

思いあまって、インテリジェンスを学術的に
研究している専門家の方に助言を求めた。
資料として購入している書籍のリストを送り、
社会人が聴講できる講座があったら教えてほしい、
とつけ加えた。

返信メールの中に、5冊の推薦図書が書かれていた。
2冊は電子版で、残る3冊は一般書籍で購入した。
さらなる情報として、
ある大学院にインテリジェンスに関する講座があると
書かれてあったので、早速その大学院に電話してみた。

修士課程に正式に入学するのではなく、
単独講座の聴講生になれないかと相談した。
すでに後期の途中であり、規則上は認められない、
というのが結論だった。

諦めの悪い私は、何度か電話して
何か方法はないか助言を求めた。

先生が認めたら、事務局は黙認するので
これ以上は事務局に質問しないでくれ、となった。
なので図々しくも面の皮を厚くして、
先生にコンタクトした。

かくかくしかじかなのですが・・・、と
検討をお願いしたところ、意外にも
ご自由にどうぞ、ということになった。

いやあ、なんとなくモグリ入学のようで
大変申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

しかしもしかしたら、これがきっかけで
私と研究員の研究活動に弾みがつき、
日本の多くの方々のために、有益な情報や提言を
まとめられるかもしれない、そう考えると
罪悪感も半減する。

さて問題は、後期まで進んだ講座に出席し、いきなり
高度な授業内容に接して、一気に自信喪失しないだろうか。
それを心配しているのだが、ここまで来たら
もう後には引き返せない。

わずか数日前までは、まさかこのような展開になるなど
想像も夢想もできなかった。驚きだ。

まさに、求めよ、さらば与えられんを実体験し
ますます使命感を強めている。


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by hirune-neko | 2014-11-10 19:20 | 現実的なお話し | Comments(0)

上から目線の人、下から目線の人


Kremer, Maria de Buenos Aires - Toccata Rea(Piazzolla)


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上から目線か下から目線かで異なる視野


恥ずかしながら、かつて私には
上から目線の時期があったように思う。

今ではすっかり、下から目線になったことを
誇らしく思っている。

なぜ恥ずかしく、なぜ誇らしいのか。

上から目線では、視野に入らないことが多い。
しかし、下から目線では、多くのことが視野に入る。

人に対して閉じた生き方だったが、
かなりの底辺から世の中を眺めるようになって、
言葉で説明されなくても、人の心の痛みが
ある程度、理解できるようになってきた。

口に出さず耐えている、人の心の痛みを感じると、
その人の心に届く慰めの言葉を
伝えることができるのではないだろうかと思う。

相手のちょっとした表情や言葉遣いで、
心の中が見えたような気にもなる。
押し隠した感情を見抜かれ、
ねぎらいの言葉をかけられると
相手も自然と心を開く。
沈んだ顔に笑顔が戻る。

人が変わる瞬間は、見ていて気持ちがいい。
人が心を開く瞬間は、至福の瞬間だ。

フェレールの口から出る言葉は、詩そのものだ。
翻訳者が訳語を選ぶ感性と才能も凄いと思う。

でも、このおじさんの顔を見ていると、
一体どこからこんな、感性溢れる表現が
次々と出てくるのだろうと感嘆する。

ピアソラもフェレールも、生き方としては
下から目線だったと確信を持っている。
音楽的にはエリートではないかも知れないが
底辺から出てくる言葉と音楽は、
自信喪失し、徒労に疲れ切った人々の
心を支え続けている。

私には詩人の才覚がない。
なので、魔術のように、聞く人が眼を見開くような
芸術的な詩を編み出すことはできない。

でも、下から目線で世の中を見ていると
忽然と現れる亡霊を見ることもできるし、
人の心の動きを感じることもできる。
無理にいうべき言葉を考えなくても、
伝えるべきプロトコルは、自然に与えられる。

自分のために追い求めるものはほとんど影を潜め
僅かに残された自分の使命感だけが
いつまでも消えずに残っているのが、
せめてもの救いだ。

いつも亡霊のように忽然と姿を現す、
架空の登場人物との対話を、また文章にして
残したいと、いつも願っている。


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by hirune-neko | 2014-11-05 12:42 | 創作への道 | Comments(2)

今日は「文化の日」なので・・・関係ないけど


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祝日なので、仕事から離れた時間で始まった

足の甲が腫れ上がり、足裏まで痛くて
立ち上がるまでにずいぶん時間がかかる、
という母の口上をしばらく電話越しに聞き、
その母の希望を受けて、
いつも差し入れを届けてくれる
Hさんにお礼の電話を入れた。

Hさんは、母と短歌仲間だそうで、
母のことを「お姉さん」と呼ぶ女性だ。
母よりは10歳ぐらい、年下だろうか。
そのHさんは、私のことを「お兄さん」と呼ぶ。

年上の女性から「お兄さん」と呼ばれ、
ふと、先日亡くなった将棋仲間の先輩が
私のことを「先輩」と呼んでいたことを思い出した。

午前中は独りなので、同居の義母の
呼び出しチャイムが鳴ると、まるで執事のように
義母の部屋に御用聞きに行く。
豚汁を温め、ご飯と一緒に届けて一段落だ。

今日、親族の女性が入院し、明日は手術だという。
決して一過性の楽観できる病ではないのだが、
お見舞いのメールの文面を考えて、病床に送信した。

ふと、ある女性のことを思い出した。
実在する女性ではなく、ずいぶん前に思い浮かんだ
幻のような存在の女性との、詩的な出会いと別れ。
女性の名前は不詳で、毎週同じ曜日に花屋に立ち寄る。
毎週同じ日の同じ時間に、隣の肉屋に立ち寄る私との
偶然の出会い。

あの作品をもう一度読みたくなり、
どこにあるか探したが見つからない。
仕方がないのでGoogleでキーワード検索してみた。
「昼寝ネコの雑記帳+水曜日の女」・・・
確か水曜日の女、だっただろうか。見つからない。
木曜日でも見つからなかった。
では、無名墓地だっただろうか。それとも共同墓地?

どうしても見つからず、「花屋」でようやく見つけた。

創作メモを読むと、コロンビアの福岡さんに
拙著「昼寝ネコの雑記帳」をお送りしようと思ったところ、
当時東京に住んでいたお嬢さんが、一時帰国されるので
持って行ってくれることになり、そのお礼で
献呈した作品だということが分かった。

改めて読んでみたが、自画自賛になってしまうものの、
ピアソラの曲想から創作意欲を刺激された、
自分らしく、そして創作の原点のようなものなので
初心に還る意味でも、再掲したいと思う。


金曜日の女の死

Piazzolla : Five Tango Sensations - Despertar

Piazzolla : Five Tango Sensations - Despertar

早朝、街はずれの市場で、その女は遺体で発見された。
捨てられた、売れ残りの色とりどりの花の中に
埋もれるように、眼を見開いたまま、
かすかな笑顔を浮かべて息絶えていた。

いつからこの街に住むようになったのか、誰も知らない。
どこからやって来たのかも、知る人間はいなかった。
フランス訛りの英語を話すこと以外は、謎の女だった。

女は、週末の金曜日には決まって花屋に立ち寄り
その都度違った種類の、バラを買い求めた。
花束を抱えて街を歩く姿は、まるで
舞台上のプリマのように、気品に溢れていた。

私は、週末の金曜日には花屋の隣の肉屋に立ち寄り
その都度およそ1週間分の、チキンの生肉を買うことが
いつしか習慣になっていた。

女が、その日のバラを選び、店先で
店員が花束に整えるのを待っている間、
私は隣の肉屋で、店員が2キロきっかりに
チキンを切り分けるのを待っていた。

偶然にも同じ時間に、間の抜けた時間を過ごす
お互いの存在に気付いて3回目のときだった。
視線が合うと、女は言葉を口にした。
「Bonjour」と、もろにフランス語だった。
「Bonjour・・・madame vendredi」
 (*vendredi・ヴァンドゥルディ=金曜日)
いつも金曜日に顔を合わせるので、そう言ってみた。
女はほほえみながら言った。
「Parlez-vous français, monsieur vendredi?」
「甘い囁き」という歌の合間に、女性を口説く台詞が
出てくるのだが、それが私の話せる唯一のフランス語なので
そのまま言ってみたら、女は無邪気な笑顔を見せた。

それが、その女との初めての会話だった。

翌週の金曜の同じ時間に、女は花屋でバラを買い、
私は肉屋の前で、いつものように、
生肉が切り分けられるのを待っていた。
女が、今日もチキンなのかと尋ねたので
いや、今日は久しぶりにポークなんだよと答え、
銀行に印税が振り込まれたので、と付け加えた。
すると女は黙ってうなずき、
「まるでサローヤンの世界ね」とほほえんだ。

商品が包み終わるまでの、わずか数分の会話が
それ以来、何度か続いた。
その後、その女と二人きりで会うことはなかったといえば
それは嘘になる。
女と二人で過ごした時間があったといえば、
それは作り話になる。

女は何度か、早朝の夢の中に現れた。
その話をしたら、女は一瞬驚いたような表情で
女の夢の中にも、私が現れたことがあると言った。
そこで少しの間、大人の分別によって会話が途切れた。

女は人生を知り尽くしていたし
私は、自分の人生に新たなものを
持ち込みたくなかったので、
無言のうちに、私たちは互いの境界線を
尊重し合ったのだろうと、思い起こしている。
お互いに、金曜日の女と金曜日の男として
店先での数分の対話が、それだけで十分だった。

    *   *   *   *   *

数日後、女が公営墓地に埋葬されたことを知った。
身許が不明なため、行き倒れの人間、という
処理をされたとのことだった。

金曜日がやって来た。
いつものように、肉屋に近づくと
いるはずのない金曜日の女の不存在を、
私は、無意識のうちに確かめようとしていた。
かすかな欠落感を感じた。

次の週の金曜日、私は肉屋の前を素通りし
花屋に入っていった。
冷蔵ケースには、何種類ものバラがあった。
少し躊躇したが、ビロードのような深紅のバラに決め
思い切って花束にしてもらった。
印税が入った訳ではないのだけれど・・・。

出来上がった花束を受け取ったとき、
店員はこう尋ねた
「monsieur vendredi・・・ですか?」
あの女との会話を聞いていたのだろうか。
私が頷くと、店員は奥に行き紙包みを持って来た。
「madame vendrediが、遠くへ越すことになったので
monsieur vendrediが見えたら、
これを渡してほしいと言われて、預かっていました。
よかった、お会いできて」

私は、その包みを無言で受け取ると、
バラの花束を抱えて公営墓地に向かった。

受付で事情を説明し、
行き倒れの人たちが埋葬されている区画番号を聞いた。
広い敷地なので、探し当てるまで、しばらく歩いた。

墓石には個人名がなく、
仮称と没年月日だけが刻まれていた。
「madame vendredi・・・
さようなら。またいつか、金曜日に」
バラの花束を置くと、そう別れを告げた。

店員から預かった包みを開けるのは気が重かった。
何も始まってほしくはなかったし、
何も終わってほしくもなかった。
なので封を切らずに、あの包みは今もまだ
本棚の一角で、ひっそりと静かに眠っている。
いつか目覚めるときが来るのかもしれないけれど、
今はひっそりと眠っている。
        (2013.02.24)
-------------------------------------
(献呈の言葉)
「金曜日の女の死」は、
いつも貴重で専門的なコメントを書いてくださる
El Bohemioさんと
拙著をはるばる運んでくださる
El Bohemioさんのお嬢さんへの
感謝の気持ちとして献呈させていただきます。

この曲には「Despertar」という標題がつけられています。
スペイン語では「目覚め」という意味のようです。
何度か聴いているうちに、一人の女性が現れ、
そして、なんの痕跡も残さずに、
視界から去っていきました。
ピアソラの曲なので、
どうしても暗いストーリーになりましたが、
私自身の中では、一人の生きた女性として、
文字通り、長い眠りから目覚めて存在しています。
つまり、ヴェールに包み隠していた過去が
徐々に姿を現してきています。

もちろん妄想の産物ではありますが
ピアソラの作品には、それだけの力が・・・
創造力をかき立てる力があることに
改めて感銘を受けています。
まだまだ稚拙な文章ではありますが、
感謝の気持ちを込めてお贈りします。


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by hirune-neko | 2014-11-03 13:41 | Comments(0)

右脳と左脳?


a.piazzolla - tango suite, andante - duo assad


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私の場合は実務脳と創作脳だと思う


ずっと、仕事一色の期間を長く過ごしている。
気がつくと、音楽を聴いても
ちっとも情景が浮かばなくなっている。

以前は、日課のウォーキングをしながら
ピアソラの曲を聴いていると、
架空の人物が思い浮かび、生い立ちや心象風景が
映像を伴って見えたものだ。

最近は、ピアソラの作品は音楽としてしか聞こえない。
すっかり想像力が失せてしまったのだろうか。
ひょっとして、もう人物を描写することが
できないのではないか、という不安を感じる。

創作ストーリーの中の人物なんて、
うんうん唸りながら
理論的に計算して書けるものではない。
ある瞬間、あるきっかけで
向こうから脳内に飛び込んできて、身の上話を
始めることがほとんどだ。

そんな話を第三者が聞いたら、あくまでも
それは想像上の人物だと判断されると思う。
私にとっては、まるで忽然と視界に入ってきた
しかも、時間軸と地理的な制約を受けずに
過去から来訪する旧友のような存在だ。

アメリカだったりアフリカだったり、
現在だったり数十年前だったり。

全てではないが、ピアソラの作品には
目に見えないが、人生の痕跡が隠されている。

当分は無理だと思うが、ピアソラ作品の
いい演奏をじっくり聴いて、
作品の中に隠された架空の人物を探し出し、
その人物との対話を文章にできればいいなと思っている。

思い出した。
どの曲を聴いていた最中か思い出せないが、
あるアメリカ人女性がふいに脳内に現れた。
それも、彼女の内面から出る情景を伴って。

そんな彼女をモチーフに、去年の夏
作った短編がある。
今ではもう、旧知の間柄のような女性になっている。

クリスマス・ローズの墓 (2013.08.26)


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by hirune-neko | 2014-11-02 21:57 | 創作への道 | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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