昼寝ネコの雑記帳

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ハロー・iPhone〜トホホの巻


Maria Creuza - OBSESSÃO - NÃO ME DIGA ADEUS - POIS É - A FLOR E O ESPINHO


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ハロー・iPhone〜トホホの巻



3日前にブラックベリーに別れを告げ、
iPhoneに機種変更したばかりなのだが・・・。
スティーブ・ジョブズの偉業と絶賛したのに、
昨日ドコモショップに電話して、返品交渉を試みた。
やはりブラックベリーとヨリを戻そうと考えたのだ。
しかし通販や訪問販売ではないので、返品は受けられない。
そういわれて、じゃあ本社にお客様相談窓口はないのか、
というと、電話番号を教えてくれた。

長年にわたって、デスクトップもノートもApple製で、
iPadもiOS5.11の初期モデルをずっと愛用しているので、
Apple製品の操作には馴れている方だと思っている。

しかし、まずドコモメールの設定でつまづいてしまった。
次に、自社ドメインを使用したメールアカウントを
6種類設定して動作確認をしたのだが、受信メールを
ダイレクトにゴミ箱に移動できない。しかも、
ゴミ箱に入ったメールを削除できない。???
未読メールのマークも出ないし、着信メール数の
表示も心もとない。電話の着信音をiTunesで購入した
ピアソラの作品「Oblivion」にしたい・・・のにできない。
これらは、ブラックベリーでは容易にできたのに。

結局、ドコモのサポートセンターに何度も電話し、
アップルのテクニカルサポートは、スペシャリストに
何度もお出ましいただき、調べてもらった。
さらにはメールサーバーの管理会社にも数度電話したが
結局はまだ解決していない。
実施的に26日から今日までの3日間という、
青春時代(青秋時代?)の貴重な一時期を
右往左往して過ごしてしまった。まったく仕事にならなかった。
ゴミ箱のメール削除は、サーバー内のゴミ箱を
空にすることでiPhoneも同期し、空になることが
今日になってようやく分かった。

少人数のチームで、効率よく迅速で正確な情報共有を
したいと考えて、iPhoneを3台購入したのだが、どうやら
過信しすぎたような気がする。
確かに、iPadに酷似した操作性は馴れている人には
快適だと思う。しかし、ごくごく基本的な機能が
おろそかにされているという印象は、落胆だった。
iCoudでの共有方針を中止して、早速メーリングリストを
設定し動作確認を行った。Drop Boxの活用と
サイト内に共有掲示板を作るなど、素朴なシステムを
構築することに決めた。

古女房なら、腹が減ったと伝える前に、食べたいと思うものを
黙って差し出してくれた。ところが新女房は、腹が減ったと
いうと、三度目に「キャットフードでも食べれば?」と
こともなげにいう。巷で評判のハイカラ(死語?)で
スタイリッシュな女性だったが、一緒に暮らして三日目で
もうこれだもの。やれやれのトホホな出だしではある。
でもまあ、なんとか使いこなせるように知恵を使おうと思う。

ジョブズの世界から生み出されたApple製品には、
信頼感と期待感を持っているので、これしきのことで
転向することはしないのは無論のことだ。



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by hirune-neko | 2014-02-28 22:01 | 現実的なお話し | Comments(0)

グッバイ・ブラックベリー


cinzas/ paulinho moska


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グッバイ・ブラックベリー
 
 

昨日、近所のドコモショップに行った。
機種変更をしに行った。

手続き中、画面を見ながらお店の人が
「17年になりますね」と言った。
携帯電話が普及し始めてから数年後、
私も人並みに携帯を使うようになり、
あれからもう17年も経つのだ。

この17年の間、ブラックベリーには
ずいぶん長期間働いてもらった。
故障や破損を含め、今の機種で5台目だと思う。
メールアカウントを10種類登録できるのが
ブラックベリーだけだったというのが一番の理由だった。
しかし、iPadが初代のため、必要な新しいアプリが使えず、
現時点ではiPhoneで使うしかないと判断した。
これも時代の流れなのだろう。

一時期は全盛を誇ったブラックベリーだが、
すでに別の企業に売却されたらしい。
今ではiPhoneが世界を席巻し、巨大企業の
ドコモも、アップルの一販売ルートに過ぎず、
この構図は未来永劫、崩れることはないのでは
ないだろうかと実感している。

確かに、カウンターで機種変更後の説明を聞くうち、
みるみるiCloudとの同期が始まり、
iTunesに保存されている音楽の
全アルバムを確認することができた。
アドレス帳、メモ帳、さらにはKindle Sroreで購入した
数々の電子書籍も、APP Storeで購入したアプリも
移動の手間いらずで、すんなりと自動的に
iPhoneへの引っ越しが終わってしまった。
改めてスティーブ・ジョブズの偉業を称賛したい。

これでもう、ブラックベリーは二度と使うことはないだろう。
すり切れた革製のホルダから、ブラックベリーを出し
手に取って眺めてみた。
役目を果たして引退の身となったブラックベリー。
手のひらに収まる小さな器械なのに、
いつの間にか感情移入がなされていたらしく、
そのまま不燃ゴミとして廃棄するのが忍びなくなった。
大変な時期をともに戦ってくれた戦友のような存在だ。
人が聞いたら、変な奴だと思うに違いないが、
私自身の小さな博物館を作る日のために、
この退役ブラックベリーは、ずっと保存しておこうと、
昨晩から決めている。


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by hirune-neko | 2014-02-25 11:15 | 心の中のできごと | Comments(0)

感涙二重奏曲


Piazzolla: Melodia en la menor


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感涙二重奏曲
 
 
数週間前に、映画監督を目指しているという女性と
初めて言葉を交わした。その1週間後に、どんな監督の
どの作品が好きかをメモしてもらった。帰宅して目を通したら
「ポン・ヌフの恋人たち」がリストに入っていた。

今日も同じ場所で会う機会があり、呼び止められた。
何事かと思ったら、カバンからDVDを出し、
「ネコの映画です。ネコがお好きなようですので」
と、手渡してくれた。私がどうしてネコ好きだと
分かったのか不思議に思った。すると、前回話したとき
彼女の実家で飼っているという二匹のネコの名前を
知りたがったからだという。
彼女は、娘が関西に住んでいた頃の、娘の友だちと親しく、
一緒に娘の舞台を何度か観てくれたというので、親近感を
持っていたのだが、「ポン・ヌフの恋人たち」は
私自身も好きな映画なので、女流監督としての将来に
期待したいと思っている。

ふと思い立ち、彼女が独身者何人かと一緒にいる部屋の
ドアをノックし、一斉に場違いな私の顔に視線を向けた
皆さんに、真面目な顔でこういってしまった。
「彼女の家の飼いネコの『よりちゃん』は
亡くなったわが家のシロと、幼稚園の同級生だったんです」
一瞬、呆気にとられたみんなは、すぐに大爆笑した。

さて、そのDVDだが、パッケージに子ネコの写真が
載っており、動物図鑑のネコ特集のようなものかと思った。
パソコンで鑑賞を開始したら、これはロシア映画だった。
邦題は「こねこ」だが、ロシア語はチンプンカンプンなので
でもまあ、おそらく同じようなタイトルなのだろう。
使われている音楽は、クラシックでやや古めかしいのだが、
ネコを飼うことになった子どもたちの父親が
フルート奏者のソリストであり、ラストシーンを考えると
なるほど、伏線として音楽もうまく使われている。

それと、なんと7〜8匹のネコと同居する男性が
登場するのだが、子ネコを飼う家族とは対照的に
孤独に極貧生活を送るこの男性とのコントラストが
作品の構造を印象的なものにしていた。

残り20分ほどのところで、かなり感動が高揚し、
涙腺が緩んだところで、玄関のベルが鳴った。
宅配業者が、三陸の若布(ワカメ)を届けに来た。
数日前に、東海新報の連載コラムを読んで
電話してきた女性からだった。生ものなので
冷蔵庫に入れようと台所で、箱を開けた。
なんと、一番上には「かもめのミニ玉子」が
ひと箱入っていた。そういえば、コラムでかなり
何回も、かもめの玉子に言及したので、
憶えていてくれたのだろう。その心遣いに感銘し、
緩んでいた涙腺が、さらに緩んでしまった。

中には手紙が入っており、このように書かれていた。

「『昼寝ネコの雑記帳』(の連載)終わりですか?
あの大震災からもうすぐ三年になりますが
気仙の人達のことを、こんなにもあたたかく
見守って頂き、ありがとうございます。
時々、『かもめの玉子』が好物って書いて有りますね。
世界中、日本中に、いっぱいいっぱい(お菓子が)ある中で
気仙のおかしが好きって、嬉しいことです。」


読みながら、私の駄文を読まれて、ああこんなにも
心に感じてくれるものがあったんだ、と
さらに、見ず知らずの私にわざわざクール宅急便で
心のこもった品物を送ってくれたんだと思うと、
恥ずかしながら私の方が感動し、落涙してしまった。
この際なので、血糖値のことは忘れ、かもめのミニ玉子
1個を口に入れた。やはり特別な味がした。
そして一緒に送ってくれた、地元で古くから作られているという
「えいさくあめ」という名の飴菓子もいただいた。

再び、ロシア映画に戻ったが、映画のストーリーと
気仙からの贈り物の両方に感動してしまい、
右眼と左眼それぞれから、それぞれの異なる涙が
しばし流れ落ちた。

気仙・綾里(りょうり)に住むこの女性は
お孫さんのために手作りの絵本を作られる方で
何冊か送っていただいている。いずれこのブログで
紹介しようと考えている。

女流映画監督の卵の方と、気仙からのかもめのミニ玉子の
両方に、改めて感謝したい。


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by hirune-neko | 2014-02-17 01:02 | 心の中のできごと | Comments(6)

「神のごとき新聞・東海新報」のコラム連載を終えて


Astor Piazzolla - milonga tres


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「神のごとき新聞・東海新報」のコラム連載を終えて
 
 
どの新聞にも社説があり、社説を読めばその新聞社の
基本姿勢が分かるのだろう。
全国紙、地方紙それぞれの社説を読みくらべ、
日本国民のために国益を追求している新聞か、
はたまた外国の利益のために捏造記事を書いている
売国新聞か、という検証結果がネット上に掲載されている。
その検証結果で「神のごとき新聞」と、絶賛されている
新聞を発行しているのが、
岩手県・大船渡市に本社がある東海新報社だ。
東海新報では社説という表現をせず、
「世迷言」と表記している。よまよいごと、と
読ませるのだと思うが、確認していない。

北海道の北海道新聞社を皮切りに、青森、岩手、宮城、
そして福島県のいわき民報社まで、15社の新聞社を
駆け足で訪問し、記事掲載のお願いをした。
東海新報社の社屋は、なかなかモダンなデザインで
海を見下ろす高台に位置していた。
しばしリアス式海岸の景観に見とれ、玄関に向かうと
玄関前で創業社長の銅像が出迎えてくれた。
以前のチリ地震のときに、津波の被害に遭い、
新聞の発行を休止せざるを得なかった経験から、
それを機に、高台に移転したそうだ。
そのときに英断した創業社長の銅像だった。

応対してくれたのは編集局長で、なかなか
眼光の鋭い方だという印象を受けた。
どうも誰かに似ていると思っていたのだが、
その後しばらくして、それがアルジェリア生まれの
フランス人作家・アルベール=カミュであることに
思い当たった。

ひょんなことから、気仙に触れた内容の記事を
社の窓口になってくれている常務に送ることになった。
最初は、数の多さと文章の長さに驚かれたようだが、
社内でどういう検討があったかは知らないものの、
気がついてみたら、連載してくれるという。
2013年の11月から掲載が始まり、17回目最後の記事が
数日前に掲載され、約3ヶ月間の連載が終了した。
よく最後まで、私ごときの駄文を掲載してくれたと、
素直に、大変嬉しくもあり、有難く思っている。

地元の綾里(りょうり)に住むという女性の方や、
50年前に陸前高田を後にし、現在は埼玉に
住んでいるがずっと東海新報を購読しているという
男性の方それぞれから、記事を読んでお電話をいただいた。
「おとといの記事の最後に『終わり』と書いてありましたが」
と告げられ、ああそうか、もう終わったんだと、
正直に言うと、少し寂しい気がしている。
その電話をくれた綾里の女性が、若布(ワカメ)漁が
始まったので、今日送りますといってくれた。
お湯で戻すと、鮮やかな緑色に変色するそうだ。

郷里でも何でもないが、心にかけてくれる方が
何人もいると、こちらも自然と情が移ってしまう。
気仙とは、そのような人情の深い土地なのだろう。
近くに「民話のふるさと」で知られる、
遠野(とおの)という町ががある。
地元の宮澤賢治に親近感を抱く人が多いようだが、
気仙こそ、「気仙民話」や「気仙文学」が生まれる
そんな土壌なのではないかと、ずっと思っている。
仕事柄、状況が許せば「気仙民話」や「気仙文学」が
芽を出すよう、種蒔きのお手伝いをしたいと
心から思っている。

昼寝ネコではなく、本名が表記されているが、
人間の姿の時も、ネコの格好をしているときも
中身は一緒なので、記念に最後の掲載となった
「まだまだ終わらない気仙の夏(下)」を掲載して、
連載のしめくくりとしたい。

東海新報さん、長生きして地元の皆さんに寄り添い、
読者を裏切らない信頼できる新聞社として
これからもずっと存続してください。
有難うございました。大変お世話になりました。
おかげで私は、周りの人たちに「先生」と呼ぶよう
強要することができるようになりました。
そして、20年後のノーベル文学賞という
人生の新たな目標が生まれました。
(誰も本気にせず冗談だと思っています、
敬老精神に欠ける、失礼な人たちです。爆笑)

(東海新報掲載コラム 2014年2月12日)
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by hirune-neko | 2014-02-15 22:47 | 創作への道 | Comments(0)

ようやく入り口を見つけた。出口はまだ先だけど。


Astor Piazzolla - Bruno y Sarah


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ようやく入り口を見つけた。出口はまだ先だけど。
 
 
今年の正月、三男家族がわが家にやってきた。
学生結婚し、確か妻子がある身で社会人に
なったはずだ。勘違いかもしれないが。
何年間かの勤務中に、医者になることを
ずっと考えていたようで、確か2年前だったと思うが
某大学の医学部に学士入学し、在籍中だ。
去年は二人目の女の子が生まれ、忙しくも
賑やかな学生生活を送っている。

そんな三男の同期生に、丸の内のOL出身者や、
薬学部・生命科学系の大学院を出た、いわゆる
社会人経験のある優秀な人たちがいるらしい。
そんな仲間の間で、「医学生のためのSNS」を
始めたいという話しを聞かされた。
大体のあらましを聞きながら、私自身の興味と重なり、
またサイト設立や電子書籍の出版など、手伝えることが
それなりにあるような気がした。

すでに独自ドメインを取得し、サイトもかなり
体裁が整ってきた。三男も仲間二人と一緒に
いろいろな企画提案をぶつけ合っている。
で、いよいよ提供するサービスの核心に迫ってきた。
電子版の書籍の扱いと、サイト上にデータベース検索機能を
持たせるという課題が、いよいよ現実的な
ハードルになって来た。
両方とも、ここ数年、近未来の仕事上の課題として
外注せずに自分で学び身につけようと
考えていたのだが、毎日毎日ほかの仕事に追われ
とうとう先延ばしして今に至っている。

電子版の書籍はレイアウト固定型とリフロー型があり
なんとなくアウトラインはつかめていたのだが、
問題はサイト上でのデータベース検索機能構築だ。
使いなれた「4D」だとサーバー上で使用できないことが
判明したため、あれこれ考えた末、サーバーを移転せず
使用可能なMy SQLというDBソフトと、もしかしたら
まったく未経験の「PHP」という言語を組み合わせるのが
いいのだろうという、暫定的な結論に達した。

しかし、マニュアルの入門部分を読んだものの、
まるで初めて取り組む外国語並みに、
訳が分からない。久しぶりに脳内がオーバーヒートしている。
今日はApple社のサポートに電話して相談し、
ホームページ作成ソフト開発元に問い合わせ、さらに
レンタルサーバー会社にあれこれ尋ねてみた。
電話で教えられたとおり、何階層も深く入っていって、
ようやく「テーブルとフィールドの作り方」という
領域に辿り着くことができた。
データベースの基本構造は、どれも基本的には一緒なので
なんとか、検索や一覧表示、並べ替え作業の
前段階までは少しだが見通せるようになった。

別に全機能をマスターする必要はなく、
膨大な数の電子書籍を検索して特定し、次は
一覧表示されたリストを開いて希望のものを
選べるようにし、最後はサイト内で決済する、
そこまでの流れが作れれば十分なので、しばらく
悪戦苦闘の時間が続くと思うものの、
ようやく入り口を見つけることができたので
少し安堵している。

前途に横たわる関門はまだまだいくつもあるが、
基本構造ができあがる頃には、新たな技術が
身についているだろうと思っている。
でも、今はすでに次男と一緒に長年仕事をしているが
三男とその有能な若い仲間達が、他に類例のない
ユニークなプロジェクトを一緒に立ち上げる仕事にも
一緒に参画できるというのは、父親として嬉しいものだ。

いろいろな親子関係があると思うのだが
改めて思うことは、やはりわが家には
「親の七光り」など決して存在せず、かえって
「子の七光り」で、親が恩恵をいただいている。
ある意味では、恵まれた父親環境だと感謝している。


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by hirune-neko | 2014-02-15 00:54 | 現実的なお話し | Comments(0)

過去から届いた赤いバラの花束


Astor Piazzolla - Remembrance


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過去から届いた赤いバラの花束
 
 
夫の死後、2ヶ月が経って私の誕生日と同日の
結婚記念日がやってきた。
気分はすっかり喪中なので、お祝いなどする気がなかった。
晩婚だったので、娘はまだ若い。
その娘がわざわざお祝いに来てくれるというので
せっかくだから、ささやかに祝おうという気になった。

やがて夕方になり、宅配業者が玄関に立った。
箱を開けてみると、中からはたくさんの
赤いバラの花束が現れた。
一瞬、カラオケでよく歌った、加藤登紀子の
「百万本のバラ」の歌詞とメロディが
遠い記憶から甦るのを感じた。
一体、誰がなんのために、こんなことを・・・
「どこかのお金持ちがふざけたのだろうか」・・・。
中にはメッセージカードが入っていた。
たった1行のメッセージ
「私の大好きなバラの花を贈ります。」
そして見慣れた夫の名前が記されていた。
一瞬、判断力を失った私に、娘が説明してくれた。
娘が肝臓ガンで入院中の夫を見舞ったとき、
もしものときは、独り残されたお母さんの誕生日に、
赤いバラの花を百本贈るように頼まれていたという。
娘がいうには、
「百本の赤いバラは100%の愛」なのだそうだ。

私は娘の説明を、最後まで冷静に聴くことができなかった。
全身から感情がこみ上げ、一気に涙が溢れ出た。
数十年の思い出が一度に押し寄せ、
亡くなった夫がすぐそばで見守っている
気配を実感することができた。

夫の死後、なかなか俳句を作る気になれなかったが、

ふれるものみないとほしや寒の明け

という句を、なんとか作ったのを思いだした。
「寒が明けると立春となる。自然にふれると
春が待ちどおしく思える。そして夫が残したもの
すべてが愛おしく思える」
という気持ちを素直に表してみたものだ。

この地上の死は、決して私たちの愛を
朽ちるものとすることができない、という確信が
悲しみと苦しさを貫く安堵感となって私を包んだ。
何ものにも代えがたい、至上の贈り物だった。

(創作メモ)
会社がサポートしている「創作投稿サイト」で、
私は名誉編集長のボランティアをしています。
数日前にエッセイとして投稿された作品を読んで、
とても清々しい感動を覚えました。
なので、その時の著者の心の動きを、なんとか
再現してみたいと思い、文章にしてみました。
なので、これらのシーンはほぼ実話(だと思います)であり、
最後に紹介した俳句は、エッセイの著者自身の作品です。
声が詰まらずに最後まで音読するのが
なかなか難しい作品でしたので、皆さんにも
感動を少しだけお裾分けしたいと思い、再現しました。


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by hirune-neko | 2014-02-07 22:02 | 創作への道 | Comments(0)

ようやく視界が開けそうな気がする


Cuarteto Gianneo y Rodolfo Mederos - Piazzolla: five sensations tango - 4 - Despertar


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ようやく視界が開けそうな気がする


知人に勧められて、出版業を立ち上げてから、
かれこれ30数年が経過してしまった。
当時は、いとも簡単に取次との口座を開設できたので
出版は誰でも簡単にできるものだと思っていた。
かなり年数が経ってから、その口座開設そのものが
容易ではないことを知った。
ではなぜ、簡単にできたのだろうか。

当時、出版を勧めてくれた知人のお兄さんが、
ある大手出版社の系列出版社で編集者をしており、
彼が自社の役員の方にお願いし、トーハンという
最大手の取次会社を紹介してくれた。
つまり、業界特有の「人間関係」で、トーハンも面倒をいわず
まるで無審査のように、すんなりと取引が始まった。
普通それは絶対といっていいほど、あり得ないことだ。
改めて、当時の関係者の皆さんにお礼を申し上げたい。
おかげでずいぶん辛酸をなめたけれど。

出版は、ミリオンセラーが出ればビルが建つそうだ。
これまでで一番売れたのは、アメリカの出版社と
出版契約を結んで翻訳出版した
「子どもと楽しくつきあう365のあそび」という
カード式の本で、累計10万部以上は売れたはずだ。
もう版権契約も切れて絶版にしたが、それぐらい
ミリオンセラーなんて、決して簡単ではない。
村上春樹さんだって、初版30万部というが、すべてが
ミリオンセラーになっているわけではない。
どこの出版社だって、ある程度の販売を見込んで
出版するが、なかなか計画通りにはいかない
難しい業界だと実感している。

もし今、新たに事業を興すとしたら、果たして
出版業を選ぶだろうか。
当時、集英社に勤めていた高校時代の友人は、
「絶対に出版には手を出さない」というのが
口癖だった。それはひとつの見識だと思う。
決して平坦な道ではない出版業を、なぜ途中で
投げ出さずに、ここまで続けてきたのだろうか。
家族だけでなく、知人、友人、親戚にまで
心配と迷惑をかけてまで。
転換点は、数年前にアップル社がiPadの販売を
発表したことだろうと思う。
amazonが、アメリカで書籍や雑誌のネット販売を
している様子は、かなり以前から知っていたが、
創業後しばらくは、アメリカの出版関係者から
そろそろ倒産するだろうと聞かされていた。
私自身、amazonの利用者だが、今では
すっかり定着し、文字通りインターナショナルな
流通サービスに成長していると思う。

いつもながら、長い前置きになってしまった。
書籍出版だけでなく、洋書・海外雑誌や、
クラシック音楽・ミュージカル楽譜の輸入まで
今にして思えば、ずいぶん守備範囲を拡げた。
で、結果的に何が残ったかを思い巡らしてみた。
経験値と出版に関する土地勘は当たり前だが、
それに加え、有難いことに、理念・哲学というか
確固としたポリシーは確立したように思う。
そして長い不安な無視界飛行の末に、雲間から忽然と
滑走路が姿を現したかのような、強い印象がある。
ようやく到達点が見えたという確信がある。

とりえず実験的にだが、初めての電子書籍を
制作することに決めた。使用コンテンツは
最近このブログに掲載した「子どもの夢を壊す物語」。
北欧の北極圏に近い町にあったサンタクロースを
養成する学校の生徒が登場する創作物語だが、
これを、ネコの世界に設定変更し、まだ仮題だが
「ネコのサンタクロース」というタイトルで
ネコが主人公の電子絵本を試作することにした。
自著「昼寝ネコの雑記帳」に絵を提供してくれた
カトリ〜ヌ・笠井さんに、図々しくまた絵をお願いし、
進行管理は鈴木れいこさんという、当時と同じ
コンビで、いよいよ電子書籍の出版に踏み切る。
調べたら、amazonが運営するkindle storeや
appleのibook store意外にも、電子書籍の
販売サイトはかなりの数が存在する。

この電子絵本の特長の一つは、かねてからの構想どおりに
「多言語出版」だ。つまり、日本語の文章は
私が書くけれど、これを英語、フランス語、
スペイン語などなど、文章のセンスを持つ
翻訳家のチームを作って、多言語の出版をする
という構想だ。文章センスを持っていそうな知人は、
まだ英語だけだし、果たして協力してくれるかどうか
そればかりは、やってみないと分からない。
でも、根拠はないのだが、最終的には
多言語出版チームををコーディネートできるという
確信を持っている・・・おめでたい脳内判断かもしれない。
でも、昼寝ネコとして創作する作品のコンセプトは
欧米人の感性でも、十分に受け入れられるという
自信を持っている。
なので、このインターナショナルな電子絵本は
各国版合計で「目指せ、ミリオン・ダウンロード」
なのである。もしミリオンセラーになったら、
果たして大船渡銘菓の「かもめのミニ玉子」を
何年分買えるだろうかと、今から皮算用している。

まだお読みなっていない方は、是非一度閲覧なさって
いただきたい。仮称「ネコのサンタクロース」の
オリジナルテキストなので。

・電子絵本に生まれ変わる創作作品
  「子どもの夢を壊す物語」(2014.01.13)

DTP処理から、PDF化、各サイトに適合させる変換、
その他は全て調べて自分が行うので、
こんなに出版リスクの低いスキームはないと思う。
実は、他の作品の電子書籍化方法を調べている最中に、
ふと脳内に閃いただけなのだが、でも
これまでの長い紆余曲折を振り返ると、ここでようやく
機が熟したのだと思っている。


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by hirune-neko | 2014-02-01 19:28 | 現実的なお話し | Comments(11)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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