昼寝ネコの雑記帳

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多感でいてもいいのは何歳までだろうか


MARIO STEFANO PIETRODARCHI & ARAM GHARABEKIAN - "OBLIVION" (A. Piazzolla) - NCO'Armenia


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多感でいてもいいのは何歳までだろうか


最近、自費出版したいという相談があり、
現在、2種類の作品を並行してお手伝いしている。
内容の水準が高く、著者の了解が得られれば、
ISBNコードを発行して余分に印刷し、
書店ルートでも販売できるようにし、かつ
PDF版で対応できる場合は、電子書籍化して
とりあえず自社サイトでダウンロード販売しようと、
そこまでの仕組みはなんとかできそうだ。

今日は朝から、その2作品にかかりっきりで
さすがに集中し、緊張する時間が長かったので、
頭の切り替えのために、映画を観てしまった。
ポーランド、アメリカ、ロシアなどの映画祭で
受賞した作品らしいが、ポーランド映画で、
1960年代後半の史実に基づいているそうだ。
当時のポーランドの共産主義国家が、反体制派の
指導者摘発を目的に、ユダヤ人狩りを行ったという
舞台設定だ。反体制派の指導者的存在である
老歴史学者の身辺を探るため、大学に潜入した女秘密警察官。
そんな状況を軸に、人間的な感情や愛情、嫉妬が
複雑に絡む大作だった。上映時間もほぼ2時間と長いので、
つまらなかったら途中で止めようと思ったが、
最後まで観てしまった。

映画が終わり、読めもしないのにポーランド語の
エンドロールを目で追いながら、登場人物の人間模様が
まるで疑似体験のように、自分自身の記憶と内面に
蓄積保存されたのを感じ、不思議な感覚に包まれた。
映画や音楽、文芸作品から少なからず影響を受けるのは
ある意味で多感な部分が残されているのだろうと思うが、
人間は一体、何歳まで多感であること、つまりナイーブで
あることが許されるのだろうかと考え込んでしまった。

以前にも触れたことがあるが、ポーランドの
楽譜出版社・バデレフスキーに仕入交渉に行こうと考え、
ポーランド大使館からビザの発給を受けた。
でも、結局はとうとう行く機会がないままになっている。
アウシュビッツの収容所に行ってみようとか、
あれこれ計画したが、実現していない。

現在の日本には、日本を敵視している中国および韓国との
複雑な状況がある。一方で、これまでお人好しだった
日本人の間でも、ネットから現実的な情報を得ることで、
中韓両国に対する反感が高まっている。
歴史には疎い方だが、これまでも世界中至る所で、
人種や宗教に絡んだ紛争や戦争が多発している。
今の時代は、武力衝突以前の、情報戦争、経済戦争、
資源争奪、武器商人の暗躍など、非常に現実的で
なおかつ巧妙な水面下の策謀が巡らされているように思う。

そんな現実は視野の外に追いやり、自分の世界に
閉じこもっていられれば、なんて居心地がいいのだろうか。
そう思う半面、自分の子や孫を含む、小さな子どもを
抱える多くの家庭が危殆に瀕するのを、見てみないふりが
果たしてできるだろうか、という小さな葛藤を抱えている。
かなりの年数、相当数の政治ブログを閲覧してきたため、
世の中がどの方向に向かっているかは、少しは理解して
いるつもりだ。同時に、なんの力も経済力もない立場で
大きな流れを変えることなど不可能なことは自覚している。
ただ、子育て中のお父さん、お母さんたちから、
「自分たちを裏切らない、信頼、安心できる存在」として
情報を発信し続け、数万あるいは数十万世帯の
ご両親に・・・勿論、片親の場合も含めてだが、
一定の規模になれば、それなりの務めを果たすことが
できるのではないかと、そんな無謀なことを
思い巡らせているのも事実だ。

それにはやはり、自分自身がいい意味で、いつまでも
どこまでも多感で居続けたいと希望している。
明日のことに取り組みながら、十年先のことも考えたい。
なんてたって、約二十年後にはノーベル文学賞という
遠大な計画もあるわけだから。


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by hirune-neko | 2014-01-29 23:40 | 心の中のできごと | Comments(10)

現実不適応症候群・・・なのだきっと


Astor Piazzolla Concierto para bandoneón y orquesta II. Moderato


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現実不適応症候群・・・なのだきっと


例外なく、明け方頃からとてもリアルな夢を見てしまう。
傍目には睡眠をとっているように見えるだろうが、
実際には夢の中で、現実生活同様に考え、話し、行動している。
なので目覚めたときには、すでにぐったりと疲労している。
現実世界で行動し、さらに夢の中でも同じょうに行動している。
まるで、24時間営業のコンビニみたいに、年中無休だ。
人の2倍働いているわけではないものの、なんとなく
人の2倍は生きているのかなと思うことがある。
ただ、夢の中ではとてもリアルなのに、不思議と目覚めてしまうと
どんな夢だったかを思い出すことは、ほとんどない。

心療内科とか、精神科や神経科の先生に相談したら、
おそらくは、眠りを深くする薬を処方されるのだろう。
いつの頃からか、西洋医学不信になっており、余程の
重篤な状態か、急性の病でない限り病院には行きたくない。
おまけに薬の副作用を考えると、やたらに飲みたくない。
何年も前に、傷口から感染して胆嚢炎と診断され、
1週間ほど入院したことがある。あれこれ検査され、
担当の内科医は、検査データを見るとガンだと思う、
といい、消化器外科の先生に回された。
そこでの新たな画像診断の結果、結石が数個あるので
手術をしましょう、いつがいいですか、といわれた。
結石って何センチですか、と訊くと、1センチ程度といったが
本当に確信があるのか疑わしい表情だったので、
検討しますといったまま、ずっと放置している。

今日は日曜日で、仕事から離れたせいなのかもしれないが
緊張が失せてしまい、なんとなく眠く、身体も重かった。
それでなくても、人と会って話すのが億劫なのに、
朝から、人と挨拶するのも徹底的に苦痛だった。

今日、関西から移転してきたという女性の
自己紹介を聞いていた。なんでも映画制作を勉強しに
東京の学校に通っているという。
興味をもったので、よせばいいのに挨拶をしに近づいた。
どんなジャンルの映画が好きか聞いたら、
フランス映画だという。へえと思い、どんな監督の
どんな作品?と質問したら、監督も映画も
聞いたことのない名前が返ってきた。
私はクロード・ルルーシュの時代だから知りません、
と、自嘲気味にいってその場を離れた。
少し後で、また話す機会があった。
あれこれ話題の範囲が拡がり、驚いたことに、
わが家のアホ娘を知っているという。
彼女は、アホ娘の親しい友人と友だち同士であり
娘の舞台を数回、その友だちと
観に行ったことがあるといった。
なぜか、すっかり嬉しくなってしまった。

日頃から人付き合いが極端に悪すぎると、
家人から指摘されており、それがどうした、
と居直っているのだが、今日ばかりは
話しかけて良かったなと思っている。
これを機会に、現実不適応症候群の症状が
少しでも好転してくれればいいなと思ってもいる。


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by hirune-neko | 2014-01-26 19:28 | 心の中のできごと | Comments(0)

老母との深刻な会話〜その2


Piazzolla · Amelita Baltar - Che Tango Che


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老母との深刻な会話〜その2

中学生の時に父親が急逝し、長女だった母は
まだ幼い何人もの弟や妹のために、学業を断念した。
独学で短歌を学び、チラシや手近の紙に
思い浮かんだ歌を記した。
それが、苦しさや辛さを注ぎ出すはけ口となった。
書きためた短歌は、相当膨大な量になるらしい。
最近は体力も衰え弱気になっているため、
励ますつもりで、それらの作品の推敲を兼ねて整理し、
残してくれるよう依頼している。

今日は少し時間に余裕があったので、電話で長話をした。

母:お前から電話があったら訊こうと思ってたんだけど。
私:何?
母:「たまずさ」って聞いたことあるかい?
私:「たまずさ」?いや、記憶にないね。何それ?
母:去年、亡くなったYさんは、短歌は作らなかったけど
  俳句の才能がある人でね、亡くなる直前、
  私に手紙をくれたんだよ。俳句が書かれてて、
  その中で使われてた言葉なんだよ。
私:(母の話を聞きながら、将棋をせずにgoogle検索をして)
  ああ、これかな?「たまずさ」は漢字で書くと
  玉梓または玉章だね。意味は、手紙とか消息とかだよ。
母:ああ、なるほど。Yさんは、かなり体調に自信をなくして
  これが最後の手紙になるかもしれないって、いってたもの。
  子どものいない独り暮らしの人だったけど、私に対しては
  心を開ける唯一の、かけがいのない人だって
  いってくれてたんだよ。
私:ふ〜ん(パソコンを見ながら)文例としては、泉鏡花が
  よくその言葉を使ってるみたいだね。古いのは万葉集にも
  出典があるよ。
母:Yさんが亡くなった日に、10個ほどあった黄水仙の球根の
  1個だけが花を咲かせたんだよ。そのときに思い浮かんだ
  短歌を書いてあるんだ。
私:へえ、どんな内容なの?
母:待ってね。どっこいしょ。
  「如月(きさらぎ)の窓辺にすがしき黄水仙(きすいせん)
   一輪(いちりん)咲きぬ友逝(ゆ)きし朝」
私:ほう、なかなかいいね。
母:もし短歌の先生について勉強してれば、もっとちゃんとした
  短歌を作れたと思うんだけど。私は、思い浮かんだときに
  そのまま書き残してるだけだからね。
私:あのね、大学で文学教える先生や文章を書き馴れてる人たちは
  いい文章は書けると思うけど、人の心に伝わる文章の
  書き方なんて、教えてもらってできるもんじゃないよ。
  天性の感覚であり感性だよ。それと、地面に這いつくばるような
  苦難の道を歩いた経験がないと、人の心を動かす文書なんて
  そう簡単に書けるものじゃないと思うよ。
母:お前は、いい文章を書くね。
私:そう思う?オレ誰にも文章の書き方なんて習ってないよ。
母:お前に書きためた短歌を捨てずに、整理して取っておくように
  いわれたとき、作った歌があるんだよ。
私:へえ、どんな内容なの?
母:ちょっと待って、どっこいしょ。
  「物書きを生業(なりわい)となす吾子(あこ)なれば
   つたなきわれの歌残すとう」
私:生業ってね、そりゃそうなれば理想だけど、毎日毎日
  馬車馬みたいに働いてばかりで、著述業なんて
  ほど遠いんだよ、まだ。でもまあ、81歳までは
  まだあと20年近くあるから、ゆっくりノーベル文学賞は
  狙おうと思ってるけどね。
母:またお前はアホな冗談ばかりいって。中には冗談が
  通じない人だっているんだから、聞く人が聞いたら
  軽く見られるよ。
私:あいあい、勝手に見ればいいんだよ。
母:いや、だからつくづく短歌のいい先生に学んでれば
  もっとちゃんとしたのを作れたのにと思ってね、
  こういうのを書いてみたんだけど、最後の部分が
  どう表現していいか、思い浮かばなくて。
私:いってみな。
母:うん。
  「師につきて学びし歌にあらざれば
   書き残さるるは○○○○○○○」
  この○○○○○○○の部分が、「心に重し」だと
  ちょっと情感に欠けるなと思ってね。
私:なるほどね。(2秒考えて)じゃあさ、
  ○○○○○○○の部分は「面(おも)はゆくあり」
  なんていうの、どう?
母:ああ、「面(おも)はゆくあり」ね。悪くないね。
  (2秒間を置いて)うん、いいね。それに決めたわ。
私:そう。じゃあさ、この短歌は親子の合作ということに
  してもらうからね。
母:きゃはは。

とまあ、いつ逝くかもしれぬ老母と、
その老母より先に逝くかもしれぬ、
親孝行か親不孝か判然としない息子との、珍しくも
文芸的なやりとりに終始した時間だった。


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by hirune-neko | 2014-01-25 00:28 | 創作への道 | Comments(2)

朝から失速した一日だった


Astor Piazzolla, Sinfonia Buenos Aires, Op. 15, II. Lento, con anima


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朝から失速した一日だった


今朝は、起きがけから思考力が低下したまま、
行動する気力が一向に湧き上がらず、
久しぶりに不調の一日だった。

そういえば最近は、早朝からリアルな夢を
見ることが多くなっている。
リアルな夢ということは、ほぼ現実に近い状況なので、
普通に会話するし、何やら考えて行動もしている。
雨が降っていれば傘もさすし、見知らぬ商店街の
少し風変わりな陳列棚の店で買い物もする。
おまけに考えてみたら、最近は昼寝など
まったくした記憶がなく、すっかり看板倒れだ。

不健康な状態かというと、医学的にはそうでもない。
血圧はほぼ平常値に収まることが多くなった。
ある時期は、頭に違和感があり、測ると上の値が
200を超えることがしばしばあったし、
真夏の熱帯夜に寒気で震え、
毛布にくるまったことも何度かある。
血糖値もなかなか改善せず、不安を抱えていたが、
インシュリンや血糖降下剤を使用せず、
いろいろな自然療法を我流で組み合わせて、
80から90程度は下がって安定している。
まだ正常値ではないものの、合併症が出ないといわれる
水準の前後を行ったり来たりしている。

不安や不満はないのだろうかと自問してみた。
そりゃあ、ないことはない。
誰だって生きていれば、葛藤は付きものだ。
考えてみたら、思い当たることがひとつある。
例年は、年末に毎日実行する項目を、
新年度用にいくつか設定し、達成計画表を作る。
といっても、せいぜい3種類程度の達成項目だ。
それでも途中で挫折してしまう年が多い。
どういう風の吹き回しか、2014年度を迎えるに当たり、
ずっと着手したかった項目を、ひとつずつ書き出してみた。
つまり、自分の視野に入れておき、毎日、毎週、あるいは
毎月なんらかの行動を起こすように決めた項目を
一覧表にしてみたら、なんと全部で40項目にもなってしまった。

何事も、毎日の習慣を1年間継続するには努力が必要だ。
忙しいときもあるし、体調が思わしくないときもある。
いくら考えても解決方法がみつからず、
時間だけがいたずらに経過してしまい、気力が失せることも。
1年かけて読み通す本、複数の外国語学習、サイト構築技術の
向上や、電子書籍の作成、サイト上でのデータベース
プログラムの稼働などという厄介なものもあれば、
老母の安否確認電話というのもある。
そういう一連の過多な計画が、多少はプレッシャーに
なっているのかもしれない。

今日は少々自閉的で、鬱気質になっているのだろうが、
そんなときに効果効能があるのは、なんといっても和洋菓子だ。
朝から、近所に新装開店したばかりの洋菓子屋の
「ガトー・ショコラ」が目に浮かんでは消えた。
結局は外出も億劫だったので買いに行かなかったが、
熊本に帰省した知人のお土産で、どうやら自家製らしい
餅をオーブンで焼いて食べた。中にサツマイモが入っていて、
珍しい代物だった。かと思うと他の知人は香川の出身で、
なんと「ミカンあん」が入った餅を持ってきてくれた。
これもまた珍味で、いずれも美味しいというよりは
オーブンでこんがり焼いて食べると、
幸せと至福感を与えてくれるし、自閉的鬱症状なんて
あっという間に消え去ってしまう。

ああ、結局はまた甘いものの話しに行き着いてしまった。
多少は高尚な文章を、と思ったのだが、
どうやらこの甘党体質は、一生治らないように思う。


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by hirune-neko | 2014-01-18 20:46 | 心の中のできごと | Comments(0)

人に歴史あり、足跡ありき


Astor Piazzolla / Julia Zenko Chiquilín de Bachín


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人に歴史あり、足跡ありき


知人の訃報が届いた。
今夜は師匠との将棋対局の日だったが、
お通夜に行くことにし、キャンセルした。
そんなに親しく交流していた訳ではないが
数十年前からの知り合いなので、最後のお別れを
しに行きたいと思った。
彼は享年72歳で、ガンとの闘いの末だったそうだ。

場所は、横浜・山手の外人墓地から
そう遠くない教会だった。
クリスチャンだった彼との最後の会話が
いつだったかも思い出せないほど、ずいぶん疎遠だった。
キリスト教式なので、お通夜とはいわず、
viewing(ビューイング)というのだそうだ。
礼拝堂はすでに空席がないらしく、入り口の外で
弔辞を聴くことになった。
やがて、故人の歴史を辿る映像が上映された。
遠かったので、なんとなくしか把握できなかったが、
どうやら、生後間もない頃から成長して大人になり、
やがて結婚し、子どもが生まれ、家族との小旅行・・・
そんな流れなのだろうと理解した。

映像に合わせて流れたのは「なだそうそう」。
調べたら、「涙(なだ)そうそう」は沖縄の言葉で
「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味だそうだ。
おそらくは、故人の好きな曲だったのだろう。
あるいはご遺族の方々が選んだのかもしれない。
いつしか自然と、まるで近未来の自分自身の
viewing(ヴィューイング)を傍観しているかのような
不思議な感覚になった。

人間には誰にも歴史があり、足跡を残している。
毎日の忙しさに埋もれているが、思い起こせば、
礼拝堂の映像同様に、自分にもあんなシーンが
作られるのかなと、束の間だがくっきりと
これまでの足跡を見たような気がした。
自分の好みで選曲するとしたら、ピアソラから選ぼう。
で、どの曲を選ぼうかと真剣に考えた。
映像用の写真を何枚か選んでおいた方がいいのかな、
そんなことをぼんやりと考えていた。
音楽はいつの間にか、「涙(なだ)そうそう」から
オーケストラとコーラスの曲に変わっていた。
知らない曲だったが、聞くと、子どものための歌だそうだ。
つまり、教会の子ども向けの曲なのだろう。

やがてviewing(ビューイング)は祈りで閉じられ、
故人の奥様と挨拶する機会があった。
「ご自分の健康を損なわれませんように」
彼女は私のことを覚えているだろうかと、思った。

棺に並ぶ列に加わった。
生前の彼が笑顔で映っている遺影が飾られている。
やがて順番が来て、棺の中の彼と最後の対面をした。
当然だが無表情だった。
いつもにこやかで物静かだった表情は、
まさに遺影そのものだった。
改めて両方を見較べて、黙礼し辞去した。

私には自分の寿命があと何年残されているか
皆目分からない。
母方の祖父は38歳を過ぎて病死し、父は45歳だった。
短命の家系なので、30歳を過ぎた頃から漠然と
自分も短命なのだろうと、ずっと感じてきた。
なのにあっという間に還暦になり、その頃から逆に、
やりたいことが徐々に具体的になり始めた。
決定的だったのは、昨年のノーベル文学賞が
カナダの81歳の女流短編作家に授与されたことだ。
あらら、まだ20年近くの準備期間があるではないか。
そんな呑気な気分になることができた。
去年の後半から、ネット上で「神のごとき新聞社」と
絶賛されている東海新報が、このブログの
気仙関連の記事を連載してくれて、とうとう12回になった。
編集方針で、昼寝ネコの名前ではなく、
実名で掲載されているものの、コラムにはちゃんと
「昼寝ネコの雑記帳」と題字が掲載されている。
数日前に、ある新聞社で校閲記者をしている知人に
それまでの連載記事をコピーして渡したとき、ついでに
81歳のノーベル文学賞を目指す話しをしたら、
「まずは80歳まで生きていてください」といわれた。
いわれてみれば確かにそうだ。

元町商店街は、いつ行っても好きな雰囲気だ。
すぐ近くの「はらドーナツ」という、豆腐を原料に
ドーナツを作っている店があり、食べたかったのだが、
すでに閉店時間を過ぎていた。心残りだった。



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by hirune-neko | 2014-01-17 01:13 | 心の中のできごと | Comments(4)

老母との深刻な会話


OCRS - Piazzolla · Las Cuatro Estaciones · Verano porteño


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老母との深刻な会話


いつもよりは、かなり早い時間にウォーキングに出た。
早いといっても夜なので、冷え込んでいる。
昨晩は急に冷たい空気を吸ったせいか、
少し息苦しくなったので、今日はマスクを装着した。
母はあと数日で89歳の誕生日を迎えるのだが、
去年よりだいぶ身体が弱ってきている、
と弱音を吐くものだから、
最近は朝の安否確認電話だけでは心もとなく、
夜になってから再確認の電話をすることが多くなった。
今日はウォーキングをしながら、携帯から電話してみた。

私:調子は?
母:大丈夫だよ。
私:ところで、Hさんのご主人はその後どんな様子なの??
母:まだ意識不明なんだって。
私:あらら、それは厳しいね。
母:口だか鼻だかから管を入れて、酸素を送っているそうだよ。
私:ああ、それは心配だね。
母:いつもいってるように、私は人工的に延命されるのは
  いやだからね。そのまま自然に死なせてちょうだいね。
私:死なせてちょうだいっていったって、医者には
  倫理規定というものがあって、手当てすれば救命できるのに
  そのまま放置して死なせるなんて、できるわけがないでしょ。
母:だから、お前に何度もいってるように、リビングウィルに
  登録しているんだから、何もせずに自然に死なせて
  ちょうだいよ。私、そんな生ける屍みたいな状態で
  生きていたくないから。
私:そんなこといったって、法律っていうものもあるんだし、
  快復するかもしれないのに、何もしなかったら
  殺人罪に問われるかもしれないんだよ。
母:頼むからいうことをきいてちょうだい。
私:じゃあさ、あんたの息子が母親を見殺しにして
  殺人罪で逮捕されたって、北海道新聞に載ってもいいの?
母:それは可哀想だから、だったら私、自殺するからいいよ。
私:はっ?自殺する元気がある人間が、死ぬわけないだろうに。
母:きゃはは。
私:ちゃんと考えてからものをいいなさいね。
母:いずれにしても、お前は私より先に逝くなんていう
  親不孝だけは絶対にしないでちょうだいね。
私:そんなにオレよりも先に死にたいんだったら
  明日でも行って、絞め殺してやろうか?
母:きゃはは。

まあ、聞きようによっては実にのどかな会話ではある。


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by hirune-neko | 2014-01-15 00:13 | 現実的なお話し | Comments(0)

子どもの夢を壊す物語


Doble Concerto para Bandoneón y Guitarra Astor Piazzolla II. Milonga


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子どもの夢を壊す物語



「ニューヨークタイムズの記者様、サンタクロースって
本当にいるんでしょうか?」

・・・たくさんの大人たちが
子どもの無邪気なこの質問で始まる作品を
読んだことがあると思います。
誰だって子どもには夢を持ち続けてほしいと願うものです。
なので、子どもの夢を壊さないよう、決まっていうのです。
「ああ、サンタクロースは本当にいるんだよ」って。
サンタクロースについては、いろいろな伝説があります。
ですが、誰も本当のことなど知りはしないのです。
私は知ってるんですよ。
でもね、本当のことをいうと、新聞社の記者様が
やれ、子どもの夢を壊しただのと書き立てて、
悪者扱いするに決まっていますから、黙っていました。

人間は歳を重ねると、だんだん秘密を持ち続けるのが
苦痛に思えるものなんです。
私は、紀元前からかれこれ三千年近く生きていますので
忘れたくても忘れられないことや、いいたくても
いえないことが実に多くなってしまいました。
なので、少しずつ人にいえないような真実を
公開しようと決心したのです。
今日はとりあえず、サンタクロースの発祥の
本当のお話をしたいと思います。
私のお話を聞けば、子どもの夢を壊すだなんていう
非難がましいことはいえないだろうとも思うからです。

前置きはこれぐらいにしましょう。

とてもとても古い時代のお話しです。
北欧の、しかも北極圏に近い雪深い地方に
赤茶色の石でできた小さな建物がありました。
正確なつづりは忘れましたが「サン(聖)・クロース」
という名前の学校でした。
その学校に入学できるのは、先祖代々、ある一族の
血統の子どもたちだけだったんです。
伝統と格式を重んじ、厳格な教育方針でした。
日本の学校制度でいえば、小学校1年生から
6年間の授業を受けます。
いくつもの外国語、いろいろな国の歴史、
世界中の地理、植物学その他、大人でも
大変と思えるようなカリキュラムでした。
しかも、6年目の冬には卒業試験があったんです。

子どもたちは、それぞれの家から歩いて
30分ほどの試験会場に集められました。
試験会場といっても、着いてみたら
子どもたちなら誰もが欲しがるような
トナカイの毛で編んだセーター、
北極熊の毛皮で作った温かい靴、焼きたてのお菓子、
オーロラを凍らせたような飴菓子、
白樺の木の皮で作った防寒ジャケットなどが
ずらりと並んでいたのです。
ですから集まった子どもたちは目をみはりました。

さて、当時の卒業試験の様子をお教えしましょう。
まず、試験を受ける子どもたち全員に大きな袋が
渡されるのです。麻で編んだ袋で頑丈なのですが
少し重いんです。
試験官の先生は、欲しいものを袋に入るだけ
詰めるように命じます。そして、それを
自分の家に持ち帰り、自分のものにしていいといいます。
大喜びの子どもたちは、歓声を上げ、ひとつひとつ
選んでは袋に入れました。
袋が大きくふくらんだことはいうまでもありません。
そこで試験官は卒業試験の内容を告げます。

1.村まで歩いて約30分の距離ですが、袋が重いので
 休み休み歩き、きっかり1時間以内に家に戻るように。
 そうすれば、袋の中に入れたものは全て自分のものになる。
2.家に帰る時間が、1時間をちょっとでも過ぎてしまったら
 袋の中身はあっという間に空になってしまう。
3.ソリやスキーを使わずに、必ず自分の力で
 家まで歩いて帰ること。

たったそれだけの試験内容だったのです。
あまりにも簡単すぎて、子どもたちはあっけにとられました。
6年間、頑張って勉強したごほうびなのだろうと
誰しもがそう考えました。
その日は12人の子どもたちが、試験を受けました。

さて、やがて号令がかかり、子どもたちは
喜び勇んで家に向かいました。
でも、12月のその時期は雪が深く積もっており
なおも降り続く雪が、子どもたちの足をさらに重くしました。
誰もが5分も歩かないうちに、息が切れ
手がかじかみ、足の感覚もなくなってきたのです。
休み休み、時間を気にしながら家に向かいました。

村に帰る途中、道ばたに座り込んだおばあさんがいました。
歩けなくなったようで、あまりの寒さのために目を閉じていました。
サローヤンという男の子が、そのおばあさんの前を通りました。
1時間以内に家に帰らないと、袋の中のものは空になる。
そう思ったので、黙って通り過ぎました。
でも気になって振り返ると、雪がおばあさんの
肩や頭を覆い始めていました。
サローヤンは、その様子を見て引き返しました。
そして袋の中から、トナカイの毛で編んだセーターを
取り出すと、おばあさんが着られるように手を貸しました。
さらに、森でとれた乾燥果実をたっぷり入れて焼いた、
まだ温かいフルーツケーキをおばあさんに手渡しました。
おばあさんは何もいわず、でもサローヤンを
笑顔で見つめました。

さあ時間がない。サローヤンは雪道を家に向かいました。
吐く息が白くなって見えました。雪で視界も遮られました。
少し歩くと、小さな男の子と女の子が泣いており、
そのそばには、お母さんらしき人が子どもたちを
抱きかかえるようにしているのが見えました。
お母さんは、すぐそばのお店で買った木彫りのリスを
手に抱えていました。三人とも何か悲しそうだなと
サローヤンは思いましたが、家まではまだ距離があります。
重い袋を背中に担ぎ、三人の前を通りかかりました。
そのとき、お母さんが子どもたちにいうのが聞こえました。
「ごめんね。お父さんの薬を買ったので、木彫りのリスは
ひとつ分しかお金が残っていないんだよ」
サローヤンの耳には、お母さんの言葉がはっきりと聞こえました。
と同時に、袋の中に入っている木彫りのリスのことを
思い出しました。一瞬、いくつかの考えが頭の中を
駆け巡りました。時間が無い、袋の中が空っぽになってしまう、
木彫りのリスをふたつ買ってあげるって約束してたんだろうな、
お父さんは病気なんだ・・・ほんの一瞬のためらいはありましたが
サローヤンは袋を足許に下ろし、中からリスを取り出しました。
そして三人に近づき何もいわず、お母さんに手渡しました。
三人は驚いたまま、感謝の言葉をいうこともできませんでした。

サローヤンは複雑な気持ちでした。
自分の弟や妹、それに父親や母親にあげようと楽しみにしていた
袋の中の品物を、すでにいくつか
見知らぬ人にあげてしまったからです。
村に向かって歩くサローヤンに、さらなる試練が何度も
待ち受けていました。
どういう訳か、見過ごすことのできない人たちが、
次々とサローヤンの前に現れるのです。その都度、サローヤンは
袋を開けてその中から、その人たちが必要とするものを
差し出したのです。子どもでしたから、自分のものがどんどん
減っていくことを実感し、徐々に心が重くなりました。
でも、その分、背中の麻袋はどんどん軽くなりました。
当たり前ですよね。

やがて自分の家が見えるところまでやって来ました。
サローヤンの背中には、空っぽの麻袋がだけがありました。
出会う人たちのために時間を使い果たしので、約束の1時間は
もうすでに過ぎてしまっていました。
時間には遅れてしまい、家には何も持ち帰ることが
できなかったのです。卒業試験は大失敗でした。
そう考えると、悲しくて悔しくて、
サローヤンは泣きながら家に入りました。

お父さんもお母さんも、何もいわずサローヤンを
迎え入れました。お母さんは背中をさすってくれました。
「ごめんなさい、みんなに何も持って帰れなくて」
そこまでいうのが精一杯で、サローヤンは
声を上げて泣き出してしまいました。
妹が、残念そうに、麻袋の中をのぞきこみました。
そして手を入れ、袋の中から何かを取り出すと
お父さんに手渡しました。小さな封筒でした。
お父さんは中を確かめず、サローヤンに手渡しました。
怪訝な表情でサローヤンが封筒を開けると、
中には小さなカードと一緒に、純金のプレートが
入っていました。プレートには文字が刻まれていました。
「サン・クロース基礎コース修了証」
そしてカードには、このように印刷されていました。
「自分のことだけを考える人は自分を失い
人のことを思いやる人は自分を見いだす」
サローヤンは、何が何だか分かりませんでした。
でも、お父さんとお母さんは卒業試験の本当の目的を
ちゃんと分かっていました。
サローヤンが、道ばたで出会った人たちを無視するか
あるいは自分の大切なものを、その人たちに
分けてあげるかをテストされていたのです。

これで、卒業試験のお話しを終わります。
他のほとんどの子どもたちは、袋の中の宝物を
時間内に家に持ち帰ろうとして、途中で出会う人たちの
困苦を視野の外に追い出しました。でも、重い袋を背負い、
降りしきる雪の中を、時間内に家に辿り着くことなど
とてもできないことだったのです。ですから
時間を過ぎて家に入った途端、袋の中は空っぽになりました。
もちろん、袋の中のどこを探しても純金の修了証を
見つけることはできませんでした。

クリスマスにプレゼントを持って来てくれる
サンタクロースは、商魂たくましい百貨店の企画部の人たちが
たくさんの人がプレゼントを買いに来てほしいと考え、
上手に創り上げた存在なのであって、トナカイのそりに乗った、
赤い帽子と洋服のサンタさんなんて、もともと存在していないのです。

サローヤンはその後、「サン(聖)・クロース」
という名の学校で学び続け、無事に高等部まで卒業しました。
世界の何カ国かで実地訓練を受けて、
正式な資格の認定を受けました。
なんの資格か知りたいですか?

世界中で、苦難に遭い苦しむ人や、弱り果てた人たちが
一番必要とする大切なものを無料で届けているんです。
12月のクリスマスの時期だけではありません。
真夏の酷暑のときだって、早朝や深夜だって、
いつでも人が望むときには、駆けつけてくれるんです。
世界中でたくさんの「サン(聖)・クロース」卒業生が
今でも毎日、熱心に働いているんです。
これが本当のサンタ・クロースの姿なんですよ。
でも、彼らは人には見えないように、そっと訪れて
そっと帰ってしまうので、誰も見たことがありません。
でも確かにサンタ・クロースは存在しているんです。

さて、事実を語ることで私は子どもたちの
夢を壊してしまったでしょうか?
今どきの子どもたちは、大人よりずっと
世の中の仕組みをよく知っているようですよ。

もしかしたら、皆さんの周りで普通に暮らしている人の中に
「サン(聖)・クロース」卒業生がいるかもしれません。
私?私のような寒がり、暑がりのねぼすけが
そんな厳しい卒業試験に合格する訳がないでしょう?


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by hirune-neko | 2014-01-13 01:42 | 創作への道 | Comments(4)

先輩不在の将棋教室


Astor Piazzolla - No quiero otro


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先輩不在の将棋教室


月に一度、厚木の無料将棋教室に行くことが
習慣化して久しい。
いつも一緒に参加するのは、私がずっと年下なのに、
私のことを後輩と呼ばず、先輩と呼ぶ男性だった。
しかし、2ヶ月ほど前に大動脈瘤が見つかり
8時間もかかる大手術を受けて入院している。
術後の経過が順調かと思われたのだが、傷口が化膿し
その後さらに2回も手術をすることになり、まだ入院中だ。
自称「将棋キチガイ」というだけあり、月に一度の
厚木教室への復帰を楽しみにしている。
厚木までの片道約1時間の行程で、助手席の彼とは
ずいぶんいろいろな話しをした。
思い起こせばほろ苦いできごとや無念なこと、
かつてのノスタルジックな話題を口にすることもあった。

なので今日は、私一人で車を運転し、東名高速を
往復したのだが、やはり何か物寂しさを感じる。
厚木の将棋教室の主宰者である佐藤大棋士にお願いし、
寄せ書き用の色紙に、入院中の先輩へお見舞いメッセージを
書いてもらった。皆さんは、快く応じてくれた。
なんてったって、去年の大会の銅メダリストであり
最年長者なので、自然と思いやりの気持ちを
持って下さったのだと思っている。

昨日、この先輩のお嬢さんに電話して様子を聞いてみた。
活字に飢えている様子らしいので、かねてから
お見舞い用に、そして脳のリハビリも兼ねてと用意している
詰め将棋の問題集を2冊お届けしようと思う。
浦野真彦・著「新版3手詰めハンドブック+2」だ。
私の師匠の堀川修棋士の推薦図書である。
今日、みんなに書いていただいたお見舞い色紙を一緒に添えて。
80歳になって、仕事も現役からはるか遠ざかり、
ひっそりと暮らす病床の男性が、この色紙を手に取り、
お見舞いメッセージのひとつひとつを読むうちに、
心の中に平安な気持ちを感じ、孤独感から解放されてほしい。
いっそのこと、感動してハラハラと涙を流してほしいとも思う。

日常生活で、ひたすら将棋ソフトとの孤独な対戦を
するのではなく、定期的に将棋仲間と対戦し、
ときには悔しさを感じながらも、一緒に上達し、
今年の大会には、かねてよりの約束どおり
私と一緒に金メダル・銀メダルを独占してほしいものだ。


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by hirune-neko | 2014-01-12 00:50 | Comments(2)

google検索で初めて発見「ファミリー・インテリジェンス」


Cavalcata- Astor Piazzolla


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google検索で初めて発見「ファミリー・インテリジェンス」


これまで何度も「ファミリー・インテリジェンス」という
キーワードで検索していたのだが、
一度もヒットしたことがなかった。
今日改めてgoogleで検索したら第一番目に
リスト掲載されているのを見つけることができた。
英語でも何度か「Family Intelligence」で検索しているが
現時点では、それらしいサイトは見つからない。
長年にわたり、日本でも英語圏でも、
家庭を守るためのインテリジェンス手法という
視点を発想する人が誰もいないのだなと、残念に思っていたので
初めて見つけた今日は、驚くとともに嬉しく思った。

国家インテリジェンス、軍事インテリジェンスに始まり
最近は企業や団体のインテリジェンスという表現が
目につくようになった。しかし、長年ずっと
なぜ「ファミリー・インテリジェンス」という表現が
出てこないのか不思議に思っていた。

「ファミリー・インテリジェンス」という言葉を
タイトルに配しているこのブログのタイトルは
「エステルの庭」となっている。
ちょっと不思議な印象を受けたのだが、
閲覧してみたら、まだ開設したばかりのようで
3記事しか掲載されていなかった。

最初の記事は「ブログ新規開設のご挨拶」、
2回目の記事は「インテリジェンスとオペラの関係」。
タイトルだけ見ると???だが、読んで納得した。
で、最後の記事のタイトルが
「現代人と『ファミリー・インテリジェンス』」で
国家や軍事、外交などではなく、家庭と個人に
焦点を当てたインテリジェンスと宣言している。
個人的には非常に共感できる出だしだ。

その3番目の記事から一部を引用すると

「この時代にはあらゆる危険性が、意図的に
その姿を隠して忍び寄っていると考えざるを得ません。
そのため、おそらくこの1〜2年以内には、
教育者や評論家の皆さんが
『ファミリー・インテリジェンス』という概念について、
言及し始めるのではないかと予測しています。」

このように書かれている。
この後、どのように具体的な内容を展開するか
注視しようと思っている。
でも嬉しい発見だった。

ブログ「エステルの庭」
・ブログ主名 モルデカイ(moedecai)
・ブログURL:http://garden-esther.blog.so-net.ne.jp/


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by hirune-neko | 2014-01-10 20:31 | 現実的なお話し | Comments(2)

引っかかってしまいました、フィッシング詐欺


The Sting 1973 Soundtrack (2) - The Entertainer


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引っかかってしまいました、フィッシング詐欺


実に見事な手口でした。
自分がフィッシング詐欺に引っかかるなんて
夢にも思っていませんでした。
敵ながら、凄い手口で感心しています。

会社のメールアドレスに
「三菱東京UFJ銀行」本人認証サービス
というタイトルのメールが入りました。
本文には
「お客様のアカウントの安全性を保つために、
『三菱東京UFJ銀行システム』がアップグレード
されましたが、お客様はアカウントが凍結されないように
直ちにご登録のうえご確認ください。」
と書かれてあり、URLが記載されています。
そのURLをクリックすると、見慣れた
ログイン画面が表示されました。
指示どおりに、インターネットバンキング用の
契約番号を入力し、パスワードでログインしました。
次に、乱数表に記載されている数字を
入力するように指示され、5行のうち3行まで
入力したのですが、その時点で「?」と思いました。
発信人のメールアドレスを確認してみたら
【三菱東京UFJ銀行】 @の左側がshtrhtyrdgftで右側がyahoo.co.jp
となっています。げっ!!!
三菱東京UFJ銀行が、なんでyahooのフリーメールなんだ!?
そこでようやく、おかしいぞと気がつきました。

すぐにコールセンターに電話を入れて事情を説明し、
インターネットバンキングを停止してもらった次第です。
被害ですか?気づかずにそのままにしておいたら、
スイスの銀行とケイマン諸島の銀行に振り替えようと
思っていた口座の資金、数千万円が詐取されたかも・・・
という話しを一度はしてみたいものです・・・
なんていう心配はまったくありません。
しばらく休眠していた口座なので、残高は数百円程度でしょうか。

それにしても、見事な手口で感心しました。
他行を含むインターネットバンキング用パスワードを盗まれ、
不正送金された被害が数億円というニュースは知っていました。
でも、まさか銀行の本物のサイトを乗っ取って、
契約番号やパスワードを盗みとろうだなんて、
大胆であり、まるで映画のような手口です。
とにかく被害がなくて良かったのですが、
サイバー詐欺が本格化しているようですので、
どんなに忙しくても、気をつけなくていけませんね。
こういう詐欺事件が横行していると知っていても、
まんまと引っかかった間抜けな私でした。

ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンが
共演した映画「スティング」を思い出しました。
詐欺師が出てくる映画です。


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by hirune-neko | 2014-01-08 12:34 | 現実的なお話し | Comments(2)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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