昼寝ネコの雑記帳

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思いつき創作短編・ネコ屋の「またたびクッキー」


Astor Piazzolla - Asleep - Kronos Quartet


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思いつき創作短編・ネコ屋の「またたびクッキー」
(大人になりきれない大人のための童話)

 いつの間にか、誰も知らないうちに、商店街の外れに小さな店がオープンしました。小さな木の看板に書かれた店の名前も小さくて、近くに寄らないと読めないほどでした。
 「ネコ屋」というのが店の名前でした。「ネコ屋?」一体、何を売っているのだろうかと、誰もが不思議に思いました。なので、勇気を出してお店の中に入る人は一人もいませんでした。お店がオープンしても、中に入るお客さんを見たことがありません。

 数日後、不思議な光景を目にしました。「ネコ屋」の周りにたくさんのネコが集まり、気持ちよさそうに目を閉じながら、じっとしているのです。白い毛のネコ、白黒まだら模様のネコ、三毛猫など、種類は様々でした。小さな子どもたちがこの不思議な光景を目にし、家に帰ってお母さんに報告しました。
 次の日、大人たちが何人か集まって相談しました。その結果、ネコが群がる「ネコ屋」が、なんとなく薄気味悪いので、商店会の会長さんの所に相談しに行こう、ということになったんです。

 お母さんたちの訪問を受けた会長さんは驚きました。一体、何が起こったのだろうと思ったのです。でも、ことの次第を聞くと頷いて、説明してくれました。

 商店会の会長さんの説明によれば、あの店はもともとは「下駄屋」さんでした。江戸時代に、下駄を作る腕のいい職人さんがいて、下駄屋さんを始めたのですが、その子孫が代々ずっと下駄屋を引き継いでいたというのです。でも、下駄を買う人がどんどん少なくなり、昭和の終わり頃からは、間口が一間半の小さな店になってしまいました。なので、誰もあんな所に下駄屋さんがあったなんて気がつかなかったのでしょう。

 その下駄屋の最後のご主人が息を引き取ったのは、去年の暮れのことでした。まだ七十歳前でしたが、生涯独身を通したご主人の家族は、妹さん一人だけでした。それと、十数年かわいがっていたネコが一匹残されました。ご主人からは「ひなちゃん」という名で呼ばれていました。

 妹さんは、十代の頃から声楽の勉強のため、イタリアに渡り、長くミラノでオペラ歌手になるための修業をしていました。
 ある日、演奏旅行で東ヨーロッパの小さな王国を訪れました。国土の面積は小さいのですが、国中にたくさんの森がありました。休演日のある日、妹さんは「妖精の住む森」という名前に惹かれ、地図を頼りに、独りで森の中に入っていきました。樹齢数百年と思わせる木々が生い茂っていました。太陽の光を、樹木が遮っていて暗くひんやりした森でした。不思議と不安を感じずに、細い道を歩いて行きました。
 すると前方に、何かが輝いて動いているのです。よく見ると、それは光る鳥でした。その鳥は、まるで妹さんを案内するかのように、人間の歩く速度に合わせて前に進みました。どんどん森の奥深くに進んだのです。

 やがて、急に視界が開けました。煙突のある小さな石造りの家が、ぽつんと建っていました。入り口に立つと、まるで待ち構えていたようにドアが開き、おばあさんが出てきたのです。中に入るよう手招きされ、妹さんは家の中に入りました。少し腰の曲がった白髪のおばあさんでした。暖炉の前には、何匹かの犬とネコが寝そべっており、不意の来客を興味深そうに眺めていました。
 おばあさんは何か話しかけてくるのですが、何語なのか理解できませんでした。妹さんは、日本語はともかく、英語やイタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語を話しますが、もしかしたら近隣国のポーランドかルーマニアの言葉だったのかもしれません。なのでおばあさんは、英語で話すようになりました。流ちょうな英語でした。

 なぜ初対面の自分に警戒心を持たず、いろいろことを教えてくれるのか不思議に思いました。おばあさんは、父親がこの国の国王だったというのです。自分がまだ小さかった頃、他の国から逃れてきた一族がこの小さな国に住むようになり、あっという間に勢力を増やして、国王夫妻を幽閉しました。森の奥深くにあった頑丈な建物には何人もの見張りが立ち、国王夫妻は生涯を終えるまで、幽閉されたままでした。国王夫妻は生きている間、おばあさんにいろいろな知識や教えを与えました。いくつもの外国語、自然の仕組み、国の成り立ち、人間の幸福、動物たちの命など、おばあさんは吸い取るように知恵を増しました。
 いつの頃から、またどのようなきっかけによるのか分かりませんが、おばあさんは植物の持つ力が、人間や動物の心に及ぼす影響に興味を持つようになりました。森の中からあらゆる木の葉や実を集め、果樹園を作ってたくさんの種類の果物を栽培しました。そして、寒い国からは新鮮な小麦を取り寄せ、その中に練り込んで焼いてみたのです。最初はなかなかうまくいきませんでした。でも、徐々に飼い犬やネコが好む味を作れるようになりました。気がつくと、森の中から野生の動物たちも寄ってきて、おばあさんの手から焼き菓子を与えられ、穏やかに過ごすようになりました。
 ある日、村の市場に焼き菓子を持っていき、売ってみました。最初は誰も寄りつきませんでした。でも、いつの間にか周りにネコや犬たちが寄ってきて、目を閉じたままじっとしているのです。そのうち、子どもがせがんで焼き菓子を買ってもらい、口に入れました。明らかに表情が変わりました。この噂はあっという間に村中に広まり、短気な人は穏やかになり、絶望している人の心に希望が宿り、憎しみ合っていた人たちでさえ親友同士になる、そんな不思議なお菓子があることを知る人が増えました。

 おばあさんとのお話しを終えると、妹さんは後半の演奏会をこなし、ミラノに帰りました。次の公演旅行のプログラムは、プッチーニの「蝶々夫人」でした。日本人である妹さんに蝶々さん役が回ってきており、すぐに練習が始まりました。ほぼ出ずっぱりの舞台なので、集中力が必要でした。練習を終えると、いつもあのおばあさんとの不思議な会話が思い出されました。まるで、夢の中のできごとのような、それなのにとても現実的で鮮明な印象として残っているのでした。

 公演旅行を無事に終えると、しばらく休暇を取ることができました。妹さんは迷うことなく、あの東ヨーロッパの小さな王国を訪ねることにしました。森に入っても、迷わずにおばあさんの家にいきつくことができました。入り口の前に立つと、待ち構えていたようにドアが開き、おばあさんが出迎えてくれました。不意の訪問なのに驚いた様子はありませんでした。「あなたがまた、いらっしゃることは分かっていました」そういうと、妹さんを招き入れました。
 おばあさんは、居間の隅に案内するとドアを開けました。冷気が全身を包みました。地下室に下りる階段だったのです。おばあさんの後について地下室に下りると、息を吞みました。小さな家なのに、地下室はとても広いんです。壁や部屋全体には、まるで図書館のように大きな棚が設置され、さまざまな大きさのビンや保存容器が並べられていました。森や果樹園から集めたあらゆる植物や果物、それと世界中から集めた乾燥果実が保存されているというのです。一番奥の、明かり取りのあるコーナーには、膨大な量のレシピがファイリングされていました。

 おばあさんと妹さんは、一晩中話し込みました。翌朝、目が覚めてからベッドの中でしばらくの間、考えごとをしていました。日本を離れてイタリアにいく決心をした頃の自分。何かから逃れようとしていたのではないだろうか、とふと感じました。今までの年月も、オペラに熱中することで何かを忘れようとしていたのではないだろうかと、思い始めたのです。夕べのおばあさんの言葉が、強い印象となって心の中に残っていました。
「憎しみや恨みの感情をいつまでも持ち続けてはいけないのです。大衆の心が憎悪に満ちている国は、やがて衰退しいずれは滅亡します」
 おばあさんは、自分の人生と重ね合わせていっているのだろうと思いました。とても説得力がありました。
「あなたが、オペラ歌手として一生を送るのは尊いことだと思います。生きる上で、誰にでも使命感は必要です。もしあなたが人の心に感動と平安を与えることが、自分の使命だと感じたら、いつでも私の所にいらっしゃい」
「森の賢者と呼ばれているフクロウが何年も前から、『東洋から来た歌姫が、東洋で森を再現する』と、わたしに告げていました。今その意味が分かったような気がします」

 ミラノに戻った妹さんは、翌日歌劇場の事務所を訪ね、辞職する旨を伝えました。周りは驚き、慰留しようとしましたが、妹さんの決意は揺るぎませんでした。その週には家財を処分し、森のおばあさんの家に向かったのです。
      *   *   *   *   *

 商店会長さんによれば、下駄屋のご主人の妹さんは、二十年以上を森で過ごし、おばあさんからレシピを学んだそうです。そして下駄屋のご主人が亡くなる一週間前に、ネコの「ひなちゃん」が妹さんの夢に現れました。夢の中の「ひなちゃん」は何も言葉を発せず、ただ妹さんを見つめるだけでした。でも、妹さんには予感があり、おばあさんと相談を始めました。二十年以上経っても、おばあさんは相変わらず、おばあさんのままでした。
 下駄屋のご主人の訃報を知らされてすぐに、妹さんは葬儀のため帰国しました。そして数週間後、妹さんは商店会長さんを訪ね、下駄屋を改装して東ヨーロッパの森に伝わる、焼き菓子屋を始めたいと相談しました。それまでの経緯を聞いた商店会長さんは賛意を示し、小さなお店がオープンしたことになります。店の名前はとくにこだわらなかったのですが、ネコの「ひなちゃん」と一緒に始めることになるので、「ネコ屋」というへんてこな名前に決まりました、

 説明を聞いたお母さんたちは怪訝な顔をしていましたが、一応は納得したようでした。そして、好奇心で「ネコ屋」の焼き菓子を買ったお母さんたちは、不思議な効果を目の当たりにして、周りの人たちに伝えました。今では、あの森の家と同じように、犬やネコたちが「ネコ屋」の周りで目を閉じ、穏やかに過ごしている姿が、実質的な店の看板になっています。目立たない小さな店ではありますが、少しずつ、人の心の中に巣くう不安や憎悪、失望を薄めていることは間違いありません。「ひなちゃん」が店番をしていることもあり、誰しもが「焼き菓子」といわずに「ネコ屋のまたたびクッキー」と呼ぶようになっています。


*あとがき:世田谷・経堂にジーグ(gigue)という名前の小さな美容院があります。クロスロードの「大切なわが子へ」という名入り絵本を店中に陳列してくれています。店長さんが「昼寝ネコの雑記帳」を出版するように強く勧めてくれたおかげで実現しました。一連の昼寝ネコの絵を描いてくれたのが、このお店で働くカトリ〜ヌ・笠井さんです。一年のお礼の気持ちで焼き菓子セットをお持ちしたのですが、とっさに冗談で「ネコ屋のまたたびクッキー」をお持ちしました、と説明しました。お客様が何人かいらっしゃったので、長い説明ができませんでしたし、説明するようなストーリーは何もなかったからです。で、今日は大晦日でいつもより時間に余裕がありましたので、久しぶりに創作短編にチャレンジしてみた次第です。美容院・gigueサイトはこちら

 

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by hirune-neko | 2013-12-31 18:27 | 創作への道 | Comments(4)

今日で2013年の仕事が終わった


Mascia Foschi - Finale - Astor Piazzolla


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今日で2013年の仕事が終わった


ピアソラの作品に「Finale」と「Final」という
タイトルは似ているが、違う曲が存在する。
標題の曲は「Finale」だが、Tango Apasionadoの中の
1曲の「Finale」とは全然違う曲だ。
これは本当にピアソラの曲なのだろうか。
本当にピアソラを追いかけていると、迷路に入り込んでしまう。

*早速、Facebookでこの記事を読まれた福岡貞夫さん(コロンビアの首都ボゴタ在住)が、曲の解説をしてくれたので転載する。福岡さんと私は「ピアソラオタク」「ネコ好き」仲間であり、現在、私が館長を務める「ピアソラ音の出る図書館」の学芸員として、公開に向けての資料調査を手伝ってくれている。
 福岡 貞夫:ここの曲は「Finale entere Bretch et Brel 」(A.Piazzolla-C.Lemesle)オリジナル作詩はオラシオ・フェレールでここではイタリー語で歌われています。劇的なのはミルバの歌があります。それと別にミルバがピアソラのピアノ伴奏で歌ったものがあるらしいのですが。探してみましよう。では、今年はお世話になりました。ありがとうございます。ピアソラに始まりピアソラで終りですが来年もピアソラで行こうと思います。

さて、今日は月末の支払いを終え、月末締めの請求書を作成した。
ようやく今年の仕事を終えることができた。
異常に忙しく、疲れる一年だったように思う。
忙しかったが、思い返せばずいぶんボランティアにも
時間と労力を費やし、結果的にあちこちに
不義理をし、音信不通で過ごしてしまった。

でも、今年が終わる直前から来年をイメージし
少しずつ新しい年をスタートさせる準備をしている。
考えてみれば、年齢の割にあれもこれもと
欲張っているのかもしれないが、でもビル・ゲイツの
遺産であるアップル製品を駆使して、戦線に出て行きたい。

昨日、川崎市民劇の脚本を担当されている先生から
電話をいただいた。数年前に上演した川崎市民劇
「枡形城・落日の舞い」に、わが家のアホ娘が
主役武将の妻役で、舞いに生きたという役柄で
出演させていただいたのだが、ゲネプロのときの娘を
プロのカメラマンが撮影し、それを大きく伸ばして
額に入れたので届けたい、というお話しだった。
恐縮だったが、自宅近くまでおいでいただき、
2枚の額入り写真をいただいた。立派なものだった。

すぐ近くに洋菓子店があり、そこで話しに花が咲いた。
年齢を伺うと、先生は大正15年生まれだという。
げっ!わが老母と同じ歳ではないか。
先生は特攻隊の生き残りで、朝日新聞の記者を経て、
教育者として、また児童劇作家として活躍されている。
89歳の先生は、なんとプリウスを自分で運転されて
おいでになった。

もうじき89歳の母とは毎日電話で話をするのだが、
決まって葬式の話題になる。
よくこの歳まで生きてきたものだと感心している。
だが、今はくたびれているので、葬式を出しに
札幌まで行く元気はないから、当分は生きててほしい、
そういうと、ケタケタと笑い出す。
まだ脳内の老化が始まっていないので、安心している。

さて、2014年を迎えるにあたり、少し生き方を
変えてみようかと思っている。
時間管理の手法、いうところのタイムマネージメント
という考えがどのような内容なのか、ざっと
目を通してみて、有用なら採用しようと思う。
毎日少しずつ継続したい案件がいくつもあるので、
しっかりと計画を立て、時間を管理しないと
おそらく途中で挫折してしまうと思っている。
タスク管理ソフトもきちんと活用し、妄想世界から
少しだけ、いや、かなり遠ざかり、実務的な人間に
変貌しようと目論んでいる。
当然、健康管理もちゃんと行う必要がある。

来年はもしかしたら、昼寝ネコから少しだけ
昼寝トラに変身することになるかもしれない。
さて、何週間続くだろうか。
今から既に半信半疑でもある。



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by hirune-neko | 2013-12-31 01:13 | 心の中のできごと | Comments(0)

視界が開けてきたのはいいのだが・・・


Ástor Piazzolla - Marejadilla


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視界が開けてきたのはいいのだが・・・



62年間生きてきて・・・正確には
62年9ヶ月なのだが、最近は少し考えごとができる
時間的な余裕が出てきたせいか、時々自分自身の
経年変化について振り返ることがある。

唯一誇りに思えることは、権力や財力・地位に対して
卑屈に腰をかがめなかったことだろう。
もう30年以上も前のことだが、当時は余裕があったようで
声楽を習っていた。声域がバスなのでオペラのアリアも
テノールやバリトンに較べて、圧倒的に種類が少ない。
ある日先生が、プッチーニのラ・ボエームから
「コートの歌」を選んでくれた。
死の床にある友人のために、永年使用したコートを
質入れするときの惜別の歌だ。
そのコートに向かって
「お前は権力や財力に対し、腰をかがめることはなかった」
と歌うのだが、彼の名はコリーネで哲学者だ。

権力者や資産家と、もう少しうまく付き合っていれば
今よりは金回りがよかったのだろう。
しかし、金回りがよくなった分、身動きの取れない
自由のない生き方になっていただろうと想像している。

当たり前のことだが、1日が24時間というのは、
どんなに暇を持てあましている人にとっても、
世界で一番多忙だといわれるアメリカ大統領にとっても、
まったく同じ公平な条件だ。
人間の生き方で差がつくのは、睡眠、通勤・通学、
食事、入浴、仕事など、誰もが必要とする共通の時間を
除いた後の、2時間あるいは3時間をどのように活用するか、
だという人がいる。確かにそうなのだろう。

これまでの人生が、どんな景色だったかを振り返っている。
ひんやりした緑深い森の中、立ちこめる濃い霧に
視界を遮られ、さんざん迷った挙げ句、いつの間にか
また出発点に戻ってしまっている。
その繰り返しで、徐々に徒労感と無力感が鬱積する。

最近ふと気づいたことがある。
いつの間にか知らないうちに、ずいぶん視界が開けている。
人生を生きる土地勘が養われ、自分なりに無駄なものと
大切なものとの識別ができるようになっているようだ。
何に時間を使えばいいのか、何を習得すればいいのか、
まるで自分自身のレッスンプロになったように
適切にコーチングできるような気がしている。

そこで持ち上がっている課題は、体力、視力、運動能力が
明らかに落ちてきている点だ。
人はこうして徐々に老いていくのだろう。
まだある程度の集中力と理解力・記憶力が
残されている間に、基本構造を作り上げられるよう
時間を捻出したいと考えるようになっている。

しかし、ときどき感じたことをこうしてブログに残し、
ピアソラの図書館を公開する準備を進め、
何編かの創作を形にすることも、自分らしく生きる上で
不可欠な要素だと思っている。
なので、そう簡単には全身に染みついた体質は
変えられないだろうとも思っている。

いつも思うことだが、目的は達成できる方がいいけれど、
目標を見失わずに一歩ずつ前進しようと努める
人間の姿が一番尊いのではないだろうか。
2014年は、自分自身から見て尊い存在になれるよう
とりあえず、決意だけはしておこう。
そして、ある程度の計画も立てておこうと思っている。
あと残された数日間の2013年を、
大切に生きようと思っている。



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by hirune-neko | 2013-12-28 00:12 | 心の中のできごと | Comments(0)

対話と論争


Astor Piazzolla - Milonga Tres


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(まえがき)

普段は毎日、数十種類の「政治ブログ」を閲覧しています。
でも、コメントを残すことはなく、読むだけに徹しています。
最近、ある宗教関係の方のブログを閲覧するようになり、
「古代イスラエル時代から数千年生き続けている」ネコらしく
ときどきコメントするようになりました。
ほとんどが質問コメントだったのですが、今日は珍しく
「昼寝ネコ一族伝来の家訓的教え」を思い出し、
少し、説教っぽくなってしまったかもしれませんが、
足跡を残してきました。なので、自分自身の記録としても
保存しようと考え、ここにアップすることにしました。
こういうコメントには歴史的検証とか、事実考証とかの
面倒くさい作業がいらないので、思ったままを書けて
楽をさせていただきました。



対話と論争


的外れかもしれませんが、
感じたことを少し書かせていただきます。

国際社会も日本国内も、およそ先鋭化した
対立構造だらけで、敵意や憎悪がどんなきっかけで
戦争や内乱に発展するか予測がつかない、
緊迫した状況だと感じています。

お互いに生産的・建設的な土壌の中で対話するのは、
大変に結構なことだと思っています。
ある時期、仏教系の異なる宗派の方々が「法論」という、
いわゆる自己の正当性を主張し、相手の誤りを
鋭く指摘し合う激論を目の当たりにしました。
個人的には、そこに「宗教者」らしさを感じませんでした。
先入観だとは思いますが、生活に宗教的な教えを取り入れて
実践しようとする人は、ある種の寛容さと思いやりを
根底に持っているのではないかと期待しています。

対話にしても論争にしても、当たり前のことですが、
言葉によるやりとりになります。
言葉は確かに、概念をより正確に伝えるための
大切なツールだと思うのですが、
同時に致命的な欠点があると思っています。
学生の頃、興味があって「伝統的形式論理学」に
関する本を読みました。それによると、言葉には
「外延」と「内包」の異なる領域があるとされています。
例えば「信仰」という言葉を発した人と、
その言葉を聞いた人は互いに、ある程度の共通認識を
持つはずですが、でも、徹底的に定義していくと、
ずれや相違点は必ずあるものです。ですから、
言葉によるやりとりには限界があるなと、
今でも感じています。

対話や論争は、言葉のやりとりを経て「脳内領域」に
メッセージは届けることはできるだろうと思います。
もうひとつ重要な要素は、相手の「心の領域」に
何が届いているのだろうか、という点です。
上述の「法論」を見る限り、それは単に勝者と敗者を
決定させるだけの場であり、「宗教的」な寛容さ、
包容力、慈悲深さを感じるものではありませんでした。

私は「言葉」を大切にしたいと思っていますが、
同時に「言葉」の限界も痛感しています。
心で何かを感じ取るには「感性」が必要であり、
現代社会の病巣を少しでも治癒するには、宗派を問わず、
言葉を発する人の心に「宗教的」な寛容さ、
受容する思いやり、相手の変化を期待し見守る徳性、
それしかないと考えています。

もうひとつ、神が実在しないとなると、
世界中のクリスチャンは詐欺の被害者であり、
笑いものだと思います。しかし、もし神が実在するのなら、
信仰者は頭脳だけで論理的に信仰するのではなく、
心に湧き上がる「宗教的」で神聖な思いを大切に保ち、
さらにその思いと矛盾しない行動を実践し続ける
必要があるのではないでしょうか。
「真の改宗者」という表現があるとすれば、
それは完成された完璧な信仰者という意味なのではなく、
過ちを犯し、自己嫌悪に陥ってもなお、
真摯に神の教えに従おうと決意する人たちの総称であり、
その意味で、人類は全て道半ばの、変化の途上にある
といっていいのではないでしょうか。そう考えれば、
未熟で不完全で、失礼な言動をする相手に対しても、
見習い宗教者としての、ささやかな受容精神を
感じられるように思います。

長くなりましたが、私は今現在も迷いの多い人間です。
ときどき、過ぎ去った過ちを思い出すことも多くなりました。
でも、自分の人生を放棄したりせず、少しでも
「真理の光明」に近づけるよう、
ささやかな努力を続けたいと望んでいます。


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by hirune-neko | 2013-12-26 14:56 | Comments(0)

クリスマスの遺言


Astor Piazzolla - Choral, Suite Punta del Este


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クリスマスの遺言


このクリスマスの時期に、私は自分の殻を脱ぎ捨て、
新たな自分として生き直そうと考えた。
きっかけはなんとでもいえる。

ひとつは、ピアソラの少々長いこの曲を
じっくり聴いてみたことによる。
この世が終わり、廃墟と化したかつての栄華の街々。
取り憑かれたように人を押し分け、辿り着いた虚空。
灰燼に帰した不毛な栄誉と虚言。
果てしなく拡がる静謐な空間に独り立ち尽くすと、
誰もいないはずの背後に視線を感じる。
そこには悲しみを湛えた物言わぬ黒い瞳。
見捨てた人々の心の痛みが一気に押し寄せる瞬間。
全てが終わったはずなのに、終わってはいない。
ここが残酷な出発点となることを知る人がいる。

もうひとつは孫娘に贈った絵本の一シーン。
旧約聖書では、たくさんの種類の動物がひとつがいずつ
箱舟に入れられる、と説明されている。
絵本に描かれているのは、箱舟に招かれずに
残された動物たちが、方舟に入っていく仲間を
寡黙に見送る後ろ姿。
その後に襲う洪水に覆い尽くされることを
知っていたのか、あるいは感じていたのかは知らない。
多くの屍を乗り越えて突き進む勝者の足許には、
名も知らぬ人々の涙と苦痛が溢れている。

さらにもうひとつは、目に見えない使者の囁き。
それは勧告であり、あるときは警告でもある。
助言であり、励ましであることもある。
私の魂が、世俗から厭世的に離れて久しい。
あるときは息が苦しくなり、体中を不安が駆け巡る。
脈絡のない覚醒が、先鋭化した論争や
不毛な営みを遠ざけてきた。
ひとつひとつの空虚な道標に導かれ、
ある日突然視界が拓ける予感を持ちながら
くる日もくる日も、新たな遺言を胸に刻んでいる。


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by hirune-neko | 2013-12-24 22:07 | 心の中のできごと | Comments(0)

人間は過去によって形成される


Astor Piazzolla - La famille


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人間は過去によって形成される


すっかり外出するのが億劫になってしまった。
本質的に、もともと出無精ではある。

昨日は、次男夫婦宅のクリスマスに招待された。
今では、毎年の恒例行事になっている。
都内に住む娘夫婦も招待対象なのだが、
夫が江ノ島のヨット合宿のコーチの仕事とかで
娘が単独でやってきた。

せっかくなので、娘と2ショットで
記念撮影をしようとしたら、娘の方から
身体を寄せてきたので、私も図に乗って
チーク・ツー・チークで顔をくっつけた。
それを見ていた次男の嫁さんが笑いながら、
娘に「お父さんと仲がいいね」といった。
すると娘がすぐさま
「いつもは寄せつけてないでしょ?」
ときたもんだ。
そうか、寄せつけないようにしていたのか。
つまり、撮影の時だけは外交辞令ということなんだ。
ちっとも知らなかった。

ネットで閲覧可能な無料映画に
ロバート・デ・ニーロ主演のがあった。
「スコア」というタイトルで、金庫破りの役だ。
さすがに役者としての存在感が違った。
カナダでジャズクラブのオーナー、というのが
表向きの顔なのだが、そろそろ引退して、
一緒に暮らしたい女性がいる。なので、
フランスの国宝級の宝飾品を盗み出し、
その報酬でジャズクラブのローンを返済して、
老後を気きままに送りたい、というのが彼の構想だ。
2時間ちょっとという、少し長い作品だったが、
プロットは文句なしに出来が良かった。

デニーロは劇中で過去を語らなかったし、
相手の女性も、説明的に過去を語らなかった。
高校生ではない、大人同士の会話から垣間見る
彼らの過去は、想像の領域にしか存在しない。
名優なので、台詞に頼らない饒舌さがある。
過去を持つ一人の男性と一人の女性が、
無事に人生を再構築できるのだろうか。
劇中の緊迫した展開とは裏腹に、老後を
独りで暮らすであろう知人たちの姿が脳裏に浮かんだ。

誰にでも過ぎ去った過去がある。
しかし、その過去が現在のその人間を形成しているのだと
意識できる人は、どれぐらい存在するだろうか。
過去のできごとから押し出されている、現在の自分。
その過去をどう生きてきたのか、そしてさらに
これからの未来を、どのような過去に昇華させるのか、
それが、常に連続する人生の分岐点であると分かれば、
そこからの人生はかなり充実するように思える。

早世の予感を持ち始めてから、すでに30年以上が経過した。
私にだって過ぎ去った過去はある。
色彩でいえば無彩色で、風景でいえば雪原であり、
ときどき視界を遮るような猛吹雪もあったように思う。
自分の名をどこかに刻もうという意思はなく、
氷結した地面を砕いて、そこに種を蒔き
来春から初夏にかけて、そこを通る名も知らぬ旅人の
空腹を少しでも満たせればそれでいいと、
ささやかな望みが自分を支えているように思う。


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by hirune-neko | 2013-12-22 18:57 | 心の中のできごと | Comments(0)

知れば知るほど狭まり、そして拡がる空間


Astor Piazzolla - Chant et Fugue (Canto y Fuga)


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知れば知るほど狭まり、そして拡がる空間


「緊急事態」をテーマにあれこれ調べていると、
人間として生存できる安全な空間が
徐々に狭まってくるのを痛感している。
誰もが不安を感じている大地震、津波、干ばつなどの
自然災害。そして、核ミサイルの飛来、テロや内乱、
果ては政治体制や経済秩序の破綻などの、人為的な災害。

つい最近のことだが、「津波・洪水マップ」を参考に、
近隣の安全な地域を確認してみた。調べてみると
20メートル級の津波で、現在住んでいる地域は水没するが、
最大指数の60メートル級の津波でも、多摩区の一部は
水没を免れるようだ。
興味がおありになる方は、以下のサイトをご覧いただきたい。

(世界津波・洪水マップ)
http://flood.firetree.net/?ll=33.8339,129.7265&z=12&m=7


高所で津波や洪水を避けられても、構造がしっかりしていない
建物だと、地震で倒壊する可能性が高まる。
建物が無事だったとしても、おそらく一定期間は
電源を喪失するだろう。インターネットが破綻していなくても
パソコンを動かすには、リチウム蓄電池とガソリン動力の
発電機があれば、まあなんとかなりそうだ。

市役所の危機管理室に電話してみた。
市民のための食糧備蓄は3日分で、それ以上は
国に依存しているそうだ。
やはり自力での貯蔵が望ましそうだ。
でも、防空識別圏で中国との緊張が高まっているが、
何かのはずみで南シナ海の海上封鎖をされたら、
原油も食糧も輸入に支障を来すことになるのではないか。
やはり、ハワード・J・ラフが「破局に備える」で
述べているように、不動産価格の安い地方都市に
住まいを確保し、必要な物資を備蓄しておくのが
最良の投資となるのだろう。だが、そのためには
ある程度の資金が必要なことは明白だ。

韓国政権が揺らいでいるようだ。
企業倒産件数が増え、個人の家計の破綻も前年比で
倍増しているという。唯一、勝ち組財閥のひとつと
いわれるサムスンも、米アップル社との訴訟に
負け続けており、巨額の賠償金を支払う義務が
発生しているようだ。在日の韓国人の皆さんを
捕捉するかのような、新たな戸籍法案も通過したようだ。

北朝鮮も、ナンバー2の人物が「粛正」され、
そのナンバー2につながる人たちは、連鎖的な粛正を怖れ、
戦々恐々だといわれている。
巨額の秘匿資金が日本にあるため、その奪還と
ナンバー2の指示で、日本で活動していた人たちを、
粛正するとの噂も絶えない。

数年後には北極海の氷が、すべて溶けてしまうという
にわかには信じられない説もある。
当然だが海面水位が上がり、水没する島々や
沿岸都市が発生すると予測されている。
異常気象が発生すると、ほとんどのケースで
穀倉地帯が影響を受けるらしく、食糧価格の
暴騰も視野に入れなくてはならないだろう。

ああ、もうこれ以上調べて、あれこれ対策を考えるのは
とても億劫になってしまった。
もちろん、ボランティアで手伝っている
緊急時への対応計画の関連調査なので、
高齢者や子どもを持つ家庭などへの助言が主目的だ。

それに較べて、物や形にとらわれない人間の心は、
なんて自由で広々としているのだろうか。
改めてそう思っている。
目に見えるものに心を向けず、目に見えない世界に
安住の地を求めようと、そう考えている。

でも、狭くてもいいから、情報を継続的に発信できる、
避難場所はあった方がいいなと、視野には入れている。
それこそ、ネコの額ほどのスペースで十分なので。


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by hirune-neko | 2013-12-21 12:55 | 現実的なお話し | Comments(0)

難題〜小学5年生の家庭教師


Liliana Herrero - El viaje (Astor Piazzolla)


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難題〜小学5年生の家庭教師


小学校5年生の男の子の、家庭教師を依頼されている。
学生の頃から進学塾で10年以上教えた経験があるし、
何人かの中学生の家庭教師経験もある。
とくに英語だったら、今でも教える自信はある。
しかし難題なのは、なんと「インテリジェンス」を
教えてほしいという要望だ。

確かに私はここ数年、インテリジェンスに関心を持ち、
日本語で出版されている単行本は、ほとんど購入している。
昨日は、紙媒体では既刊の、小谷賢・著
「インテリジェンス〜国家・組織は情報をいかに扱うべきか」
が、電子ブックとして刊行されたので、
早速、amazon.comで購入した。
しかし、なかなか読書時間を確保できず、
完全に「積ん読」状態であり、インテリジェンスに関しては
まだまだ入り口で、うろうろしている初学者だ。
しかし、機会あるごとにインテリジェンス手法の
重要性を強調し、ボランティア活動でも応用を試みている。
なのでおそらく、周りの皆さんは
私が、インテリジェンスについての知識が豊富だと
美しい誤解をしていらっしゃるようだ。

小学校5年生の男の子の、家庭教師を依頼してきたのは、
ご両親ではなく、頭脳明晰で行動派の若々しい祖母上だった。
この方は、私のブログ読者であり
また、ボランティアで提案している、緊急時対応計画なども、
参考資料としてお送りしているので、
ここでもまた、美しく誤解されたようだ。
おまけにこの男の子は、まだ小学校5年生なのに
「国際国家関係」に関心が高く、防衛大学を目指しているという。
はぁっ!? まだ小学校5年生なのに、防大志望?
そこで、以下の内容でメールを送り、翻意を促した。

「インテリジェンスの世界は、私自身がまだまだ
初学者段階であり、教えるなどということは
おこがましくてできません。

インテリジェンスの基本は、情報収集と分析なのですが、
基本的には情報収集する対象から、信頼に足るものを
選定することから始まります。
知識と知恵と洞察力、想像力、直感力があって
ようやくスタートラインだと思います。

ですから、お孫さんは普通に学校の勉強を
しっかり続けて、興味のある分野の本を読んで
見識を拡げるという基本を継続されたらいいと思います。
もう少ししたら、映画を通して
現実の世界構造に触れることもできるでしょう。
スターウォーズも面白いですが、戦争、スパイ、
刑事・警察、法廷などをテーマにした、いい映画が
たくさんありますので、いい意味での疑似体験に
なると思います。私は、これらのジャンルの映画が好きで
以前はレンタルショップにあるほとんどの作品を観ていました。

それと、もう1点お薦めするのは、将棋です。
武家社会では、将棋は戦略思考を学ぶツールでした。
趣味としてでいいので、将棋を勉強すると
少しずつ自然に、『表面現象に惑わされず、相手の
手の内を読む』ことが感覚的に養われます。
インテリジェンスや国防、国家関係などを
判断する上でも、そのような思考方法は不可欠です。」


お孫さんの教育に熱心な祖母上の依頼だが、
ご両親をすっ飛ばしての申し出なので、確認をお願いした。
ご両親の自発的承諾なのか、
あるいは頭脳明晰で行動派の若々しい祖母上の
気迫に押されての承諾なのか確認はできないが
どうやら本人を含めて、インテリジェンスの
家庭教師を希望されていることを再確認した次第だ。

防大を卒業し、将来は幕僚長とかの要職に就くかもしれない
男の子に、無責任な家庭教師をしてしまったら、
それこそ日本の国防を損ねるかもしれない・・・ではないか。
でもまあ、私にとっても完全に孫の年齢なので、
ささやかな「遺産」として、一人の人生の将来に
一粒の種を進呈するのも悪くはないかと思っている。

以下が小学校5年生の男の子用に考えたカリキュラムである。

1.特別講師:昼寝ネコ・世界昼寝ネコ一族大会議認定インストラクター
2.講座テーマ:「ジュニア世代の全人格的な成長とインテリジェンス」
3.開講目的
 ・柔軟な思考ができるようになる
 ・論理的な思考ができるようになる
 ・国際的な視野と視点を持てるようになる
 ・自分の考えを人に説明できるようになる
 ・世界の大切さと一人の人間の価値を認識する
 ・感受性、感性の大切さを認識する
4.基本必須カリキュラム
 ・言語の基礎を学ぶ(日本語、英語、フランス語、スペイン語)
 ・感覚的思考方法を学ぶ(将棋の実体験)
 ・歴史や社会構造の基本知識を得る
   (推薦課題図書の読書)
 ・疑似体験で人間の本質を洞察する訓練を積む
   (推薦課題映画の鑑賞)
 ・文章作成で論理性を育成する(レポート提出)
 ・自分の意見を主体的に持つ訓練をする(レポート提出)
 ・創作する源泉を維持する(マンガや創作活動)
 ・感性を維持する(音楽、美術、文学、詩に親しむ)
 ・宗教的視点、感性を維持する
   (宗教活動への参加、聖典読書、祈り)
5.受講条件
 ・メールの送受信ができること
 ・インターネット閲覧、検索ができること(推奨・google)
 ・必要に応じて、skypeまたは固定電話で通話できること
 ・親権者の承諾と協力が得られること
 ・可能であればiPad(32GB推奨)とWIFI環境があれば望ましい
 ・いやになったらいつ止めてもいいので、自由に申し出ること


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by hirune-neko | 2013-12-14 11:52 | 現実的なお話し | Comments(4)

今の時代の「孤立無援の思想」


Astor Piazzolla - Seul Tout Seul


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今の時代の「孤立無援の思想」


今日も、仕事の合間に十数種類の政治ブログを縦覧した。
どれも悲観的な論調であり、希望を持たせてはくれなかった。
で、なぜかふと「孤立無援の思想」という言葉が思い浮かんだ。
自分自身の造語なのか自信がなかったので、調べてみた。

googleで検索すると、懐かしい作家の名前が表示された。
そうだったんだ、高橋和巳の作品名だったんだ。
思わず苦笑してしまった。左翼的思想の持ち主と書かれている。

私が4年間の大学生活を送った学生寮の名前は「北海寮」といい、
北海道出身の学生のために建てられたものだ。入寮当時の理事長は、
フジサンケイグループの鹿内信隆社長で、
北海道の出身の方だった。
その当時ニッポン放送の専務だった人物が、
私の叔父の従兄弟にあたり、
そのご縁で、鹿内理事長の推薦をいただいて、
無事に入寮を許可された。

北海道出身の学生であることが条件なので、在籍している大学は
種々雑多だった。ちょうど入寮した年が1969年で、東大安田闘争と
いわれ東大の入試がなかった年なので、唯一東大生はいなかった。
文系もいれば理系もいたが、大体どの部屋の本棚にも共通して
置いてあったのが、高橋和巳だったり庄司薫だったり、
はたまたヘーゲルやカフカ、サルトルにカミュなど、思想関係の
ものが多かった。

当時の私はすでに、「周りの顔色を見ず、空気を読まない」
性質だったように思う。群れて行動することを好まず、
ひたすら思い浮かんだ文章をノートに書きためていた。
あれから40年以上が経過したが、どう考えても
「周りの顔色を見ず、空気を読まない」性質は変わっていないようだ。
でも、さすがに多少は実社会でもまれたせいかもしれないが、
生きる上での方向感覚や土地勘は、少し養われたように思う。

「孤立無援の思想」は、それはそれでいいのだが、
やはり利害を超越した領域での、理解者・同調者は得がたいと思う。

しばしば現実的な危機は、ぎりぎりまで秘匿されて視野に入らない。
しかし、その実体が有姿の存在として実社会に影響力を
行使し始めたときは、すでに手遅れな状態になっているだろうと思う。
40年前にはインターネットなど存在しなかった。
人々はマスメディアの報道によって、判断するしかなかった。
今では、そのマスメディアが恣意的に知らせない情報にこそ
真実が隠されていることが露呈し、真実として知らせようとする
内容に対して、一般市民は疑問を持つようになった。
買収されにくい個人ブログから発信される情報が、
徐々にマスメディアを駆逐しつつあることを実感している。

40年前の「孤立無援の思想」は、感覚的領域に存在したが、
今現在のそれは、現実感を伴って拡がっている。

ここまで書いてみたものの、当時、高橋和巳が
「孤立無援の思想」をどのような意味で表現したのかを
とうとう知らないままになっていることに気づいた。
しかし、人間が孤立無援を怖れずに自己主張できる社会は
決して誤った方向に収斂していかないだろうと思っている。


2013-12-08 11:08 nice!(0)

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by hirune-neko | 2013-12-11 19:35 | 心の中のできごと | Comments(4)

心からの敬意を表し、皆さまにご紹介します


Astor Piazzolla - Asleep


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心からの敬意を表し、皆さまにご紹介します


別に何かから逃げている訳ではありませんが、
私はこうして、エッセイというカテゴリーに
ときどき気分にまかせて、感じるままを書いています。
私なりに問題意識を持っているつもりではありますが、
人間の持つ問題意識は実に様々多様であり、決して
何かひとつのことに絞り込むことはできない
というのが持論です。

1970年の、いわゆる70年安保闘争時代に
私は大学生でした。寮生活をしていましたが
ある日、先輩から電話があり、忘れ物をしたので
大学の教室に持って来てほしいといわれました。
教室に行くと、その先輩は思い詰めた表情で
「これから鉄パイプでゲバルトだから、お前も
一緒に参加しろ」といいました。
当時の表現の「内ゲバ」、つまり異なるセクト同士が
暴力的に戦うという意味でした。
時間にしておそらく2秒ぐらいの間を置いて、
私は無言で教室を後にしました。

当時の私は、感覚的にはアルベール・カミュに、
そして理論的にはジャン・ポール・サルトルの
実存主義に傾倒していました。くる日もくる日も
迷路の中、濃霧の中をさまよっているような
心象風景でした。

あれから40年の歳月が流れました。
確信の持てないことに殉ずる気持ちにはなれなかった
学生でしたが、この年齢になってようやく
個人的な問題意識と同時に、死後の世界にまで
持って行けるものは何か、という価値観が
抽出されてきたように感じています。

いつも前書きが長くなり、申し訳ありません。
生命を賭してブログで情報発信を継続している、
そんな方を何人か知っています。
うかつにも、最近まで知らなかったブログがあります。
「日記カテゴリー」なので見落としていたようです。
この方は、日本の病巣の深部を公開しています。
正式なブログの名称は「余命3年時事日記」で、
サブタイトルには
「余命3年と宣告された老人の遺言的日記です。」
と記されています。

自分の遺産であるこの記事情報を、すべて保存してほしい、
というのがブログ主の、次世代の人間に託している言葉です。
素直な性格の私は、苦労しながら過去の記事全てを
保存し終えました。
最近は「余命1年時事日記」というタイトルの記事があり、
かなり重篤な様子であると推測していました。
そして昨日12月8日の記事のタイトルは、とうとう
「余命0年時事日記」となっています。
明らかに最期を覚悟した表現です。
記事の全てを精査していませんので、評論することは避けますが、
最後の最後まで、日本という国を思うブログ主の
心意気を、是非皆さんにご紹介したいと思います。
もしかしたら、絶筆となるかもしれないこの記事を
心からの敬意とともに、転載させていただきます。
危険を顧みずにブログ記事を更新されていたことが
事実であるだろうことを受け入れ、清々しい感動の気持ちで
名も知らぬ、そして一面識もないこのブログ主に対して
心からの平安を願わずにいられません。

・ブログ「余命3年時事日記」より転載
 http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/

 余命0年時事日記

いよいよ皆さんの出番となった。
今年初頭から家系の隠れ持病、神経を患った。
慢性神経、神経障害、慢性神経疲労、狭心症で倒れ4度入院。
今月は慢性神経疲労で倒れた。気がついたのは3日後、
今回は視神経もダメだ。意識障害もたびたびなので
今のうちにけじめのご挨拶をしておきたい。
とりあえず下書き出稿予定の記事をアップさせた。
この稿は口述アップの最終稿である。
記事については半端となったが前を向いて走っていれば
こんな倒れ方だ。お許し願いたい。
これが自分の生き様、納得しているし、悔いはない。
かなりきついので伝えたいことを箇条書きにする。

①ブログは存命中はこのままと指示してある。
 ブログがなくなれば、まあそういうことだ。
②見舞いの友人から、参照ブログに多数の病状見舞いの
 書き込みがあると聞いた。そのお心遣いには心底痛み入る。
 誠に失礼ではあるがこの場で心よりお礼を申し上げる。
③学生諸君(この中には当然の皆さんも含まれる)、
 諸君の粘りの戦いには言葉がない。ただただ、
 1人の日本人として誇りに思うだけだ。
 と同時に最大の敬意を表したい。
④現在ブログの数は100万をはるかにこえて、
 訪問者の皆さんも30万人をこえているそうだ。
 日本再生にはまだ道半ばである。
 日本を貶めようとしている勢力の力はまだまだ強い。
 皆さんのご奮闘を心からお願いするものである。

 最後に皆さんとそのご家族及び日本人すべての
 ご多幸を祈念しつつ筆を置く。


2013-12-08 11:08 nice!(0)

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by hirune-neko | 2013-12-10 23:11 | Comments(8)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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