昼寝ネコの雑記帳

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ピアソラ症候群による発熱


Romántico - A. Piazzolla - Carlos Groisman, Guitarra


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ピアソラ症候群による発熱


ピアソラが作曲したものの、自身では演奏せずに
他界してしまった・・・そんな曲が、数多くあるという。
ピアソラの文献を頼りに、1曲ずつ丹念に探索している人が
コロンビアの首都ボゴダにに住んでいる。
「とらちゃん」というネコと一緒にだ。
彼からのメールに以下の表現があった。

「音楽の限界と究極な表現を求めた音楽家
アストル・ピアソラが作曲した数はいったいどの位あるのか、
ピアソラフアンにとって興味深々である。
発売されたレコードの数から作品数を割り出す事は
不可能であるはずだ。逸れは未発表とされる隠れた作品があるからだ。
そこで、カルロス・クーリ著『ピアソラ/限界の音楽』と
『ピアソラ/タンゴの名盤を聴く』両書のデータを参考に
アストル・ピアソラの『隠れた作品類』を掘り出す作業をしてみた。」

彼の体内には永年にわたり「ピアソラ菌」が潜伏していたようで
何かのきっかけで、一気にピアソラ症候群による発熱を
引き起こしてしまったようだ。
その感染責任は全面的に私にあることは、ほぼ間違いないだろう。

『ピアソラ音の出る図書館』を、会員制の非公開を止めて、
誰でもピアソラに親しめるよう、入館自由の公開図書館に
しようと思い始めてるんですよ。なので福岡さんは
『ピアソラ音の出る図書館』の学芸員として、
ピアソラ情報の蓄積に協力していただけませんか?」

おそらく、ぐ〜たらな館長から学芸員への委嘱を受けた
福岡貞夫さんの体内で、長い間眠っていた『ピアソラ菌』が
一気に覚醒し、暴れ出したのではないかと想像している。

いやあ、実にお気の毒なことになってしまった。
「薄給の学芸員」ならまだしも「無給の学芸員」なのに、
こんなに懸命に探求作業をしていただいて、申し訳なく思う。
おそらく「とらちゃん」は、あるはずもない眉をひそめ、
奥方さまからは粗大生ゴミ扱いされされ、お嬢様からは疎まれ、
さぞかし肩身の狭い思いをされているのではないだろうか、
と、心から心配になっている。

歌人の寒川猫持先生の表現を剽窃すれば・・・
駄菓子菓子(だがしかし)、たとえ一人でもピアソラに出会い、
ピアソラの作品によって慰めを得、あるいは心の重荷を
軽くしていただければ、地下に眠るピアソラも満足するだろうし、
いずれは福岡貞夫さんはご家族からもきっと、
「あなたは人類に貢献されていたのですね」と
深い尊敬の眼差しで、見つめられるのではないだろうか・・・

そのように、極めて希望的観測で楽観視しているのも事実だ。
いや、これは私自身の生来の体質であって、いわゆる
「絶対的悲観論と究極的な楽観論が一体化した自己矛盾症」
という病名があるかどうか知らないが、とにかく
考えてみても未来は予測できないし、人生なんて
なるようにしかならい。ならば、目に見えるものを追い求める
空しい人生とは訣別し、目に見えない世界に存在する
価値あるものを追い求めようではないか・・・
これは別に、サン・テグジュペリの作品に出てくる
キツネの受け売りなのではなく、れっきとした私自身の哲学だ。

ピアソラ作品を何人ものギター演奏で聴いているが、
福岡貞夫さんが送ってくれた第1回目のA〜Eのリストに
集録されているこのギタリストは初めて聴いている。
音色に生命があり、作品に命が吹き込まれていてなかなかいい演奏だ。
こうして、新たな出会いがあるごとに、人生に価値が増す。

福岡貞夫さんには、たまにはとらちゃんと遊んでほしい。
奥方様のお話相手にもなってあげてほしい。
お嬢さんにも「最近ずいぶんきれいになったなあ」と
お世辞のひとつもいって上げてほしい。
・・・家族円満に生きていただきたいのと、
無給学芸員としての活動継続のためにも・・・。

収益の上がる見込みのない図書館なので、
キャットフードすらお送りすることができず、
大変申し訳なく思っている。


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by hirune-neko | 2013-10-31 21:39 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)

孤立を怖れない弱者


Astor Piazzolla - Solitude


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孤立を怖れない弱者


お世話になっている知人ご夫婦を訪ね、高尾に行った。
八王子から先には一度も行ったことがなかったので
日野、豊田などの駅名アナウンスを耳にし、
改めて遠くに来たのだと実感した。

途中、多摩御陵を見せたいといわれ、案内していただいた。
「多摩御陵って何ですか?」と尋ねたら、「え〜っ!?」と
呆れられてしまった。「歩いてみますか?」と勧められたが、
歩くのが億劫だったので、「いえ、歩きません」と拒絶した。
従前から明瞭に主張される奥様だとは思っていたが、
「後悔しないから、行ってらっしゃい」と、
想像したとおりのパターンになったので、
諦めた私は、小雨の中、参道に足を踏み入れた。

気が進まないまま数十秒歩いただろうか。
周りには誰もいない、閑静で濃い緑に挟まれた細かな砂利道。
突如、非常に荘厳な雰囲気に圧倒された。
まるで下界から突然、天上に引き上げられたような、
神聖な印象が精神を貫くのを感じた。

やがて鳥居が視界に入り、少し小高くなった
古墳のような、初めて見る陵墓と対面した。
昭和天皇・皇后そして、大正天皇・皇后両陛下の
墓所の前に立ち尽くし「万世一系」という言葉を
改めて思い起こした。戦死した兵士の叫んだ
「天皇陛下万歳」という言葉を思い出した。
私は国粋主義者ではないし、右翼でもないが。
・・・では、何なのだ?

私は単なる弱者でしかない。本当にそう思う。
しかし、孤立を怖れない弱者なのだと、なぜか
そのように自分の生き方を再評価してみた。
付和雷同せず、周りの顔色を窺わず、ただひたすら
自分自身の信念に殉じようとしている・・・
だが、人を怖れなくはなったかもしれないが、
徒労感と虚無感に押し潰されそうになることはある。

多摩御陵散策の後、私は知人夫婦に報告した。
「なかなか荘厳な雰囲気でした。
まるで自分が皇族の出であるかのように感じました。
それと、ああ私もいずれここに葬られるのかと、
感慨深く思いました」
奥様は吹き出し「そこまでいいますか?」と
さらに呆れられてしまった。

夕食に招待された。
高尾の「うかい竹亭」という、都心には存在し得ない、
自然の景観に溶け込んだ離れで、和食をいただいた。
昼食を摂り忘れることの多い、普段の食生活では考えられない
至極贅沢なひとときを過ごさせていただいた。

4人のお孫さんのうち、発熱で外出できない
一番下の方をのぞく3人が、父親と一緒に
「昼寝ネコ」に会いに来てくれた。

第一声は「今日、昼寝したの?」だった。
初対面だったが、前日、知人の奥様に対し、
「昼寝ネコさんって、本当にネコなの?」と質問していたそうだ。
なので「人前では人間の格好だけど、本当はネコなんだよ」
と、真実を告げざるを得なかった。
その子とお兄ちゃんが、紙切れを持って来て
サインしてくれという。なので、
すっかり作家気分で図に乗って、サインに応じた。
嬉しそうに受け取る子どもたちの表情が、微笑ましく思えた。

久しぶりに日常生活から離れた、穏やかな一日だった。



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by hirune-neko | 2013-10-30 01:04 | 心の中のできごと | Comments(2)

最後の投票者


Astor Piazzolla - Finale (Tango Apasionado)


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最後の投票者

今日は川崎市長選挙の投票日だった。
いつもは期日前投票に行くのだが、
今週は忙しさに紛れ、とうとう投票日まで
持ち越してしまった。しかも締切時間まで
あと35分というぎりぎりだった。
歩いて区役所に行き、入り口を入ると
呼び止められ、整理券の提示を求められた。
「これは、お近くの小学校が投票所になります」

そこでようやく気づいた。なんの疑いもなく
区役所に行ったのだが、そこは期日前の投票所であり
そういえば確かに、何度か近所の小学校に
投票に行った記憶がある。あと10分しかない。
目の前にタクシーが列を作って客待ちをしていたので
飛び乗り、投票所に指定されている小学校に向かった。

校門到着は5分前で、係員の方から急いでくれといわれ、
体育館の入り口を入った時点で、扉が閉められた。
文字通り、最後の投票者となってしまった。
どうせ現市長の後継者である、保守系候補が
当選するのだろうけれど、棄権はしたくなかった。
なんとか市民の義務は果たした。

川崎市には、「有事のときは武装放棄する条例を作れ」と
主張する市民団体があるので有名だ。
つまり、どこかの国と交戦状態になったら、
武装解除して平和主義を貫けば、無用な戦争は終結する
というロジックなのだろうと想像している。
もし本当に川崎市がそんな条例を制定し、
他国と交戦状態になったら一切の軍備を排除し、
街を明け渡すなんていうことになったら、
残念だが、住み馴れた川崎を離れようと決めている。

ジャングルで野生の猛獣に遭遇したとき、
人間側が攻撃的な姿勢をとらず、握手を求めたら
相手はゴロゴロのどを鳴らして、擦り寄って来るだろうか。
ましてや交戦相手が、徹底した反日教育をしてきた
国だったとしたら、川崎市民の武装放棄の潔さに感動し、
肩を組んだり抱き合ったりして、友情を讃えるだろうか。

いささか政治めくが、数年間の民主党政権は誰の目にも
明らかに特定の近隣国に迎合した、売国政策が目についた。
最近の複数の論調で目につくのは、日本人を甘く見るな、
という静かな怒りであり、ある意味では健全な
ナショナリズムが台頭してきているように思う。
日本人は譲歩する国民であり、自分が譲歩すれば
相手もその意を汲んで譲歩するだろうと、ぎりぎりまで
忍耐する、しかし、ある一線を超えると、
一気に怒りが爆発し、反撃に転ずる。
そのような分析をする人がいる。

私は、かなり保守的な思考になっていると思う。
40年近く前に、初めてアメリカを訪れた。
日本的な譲歩や、自己主張をせず黙する美徳など
まったく通用しないことを痛感した。
馴れるのに時間はかかったが、日本人としては
かなり自分の意見を主張する、うるさい人間に
なったように思う。
しっかり自己主張する人間が存在しないと
いつの間にか、寄生虫に食い荒らされた、
無残な日本を子孫に残すことになってしまうと思う。
そうなると、日本というのは名前だけで
ずるずると他国に実効支配されても、何もいえない
奇妙な国家に成り下がってしまうことを懸念している。
そのように感じている日本人は、確かに増えている。
一般市民といえども、甘く見てはいけない。
何もいわないが、静かな不買運動が穏やかに
拡がっているのも、その現れなのだろう。

新川崎市長様、安心して暮らせる清潔な街作りを
是非宜しくお願いいたします。


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by hirune-neko | 2013-10-27 21:57 | 現実的なお話し | Comments(2)

会員制図書館の公開予告


Astor Piazzolla - Jardin d'Afrique


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会員制図書館の公開予告

これまで、会員制図書館として非公開運営してきた
「ピアソラ音の出る図書館」を一般公開することに
なりましたので、ご案内申し上げます。

公開へと方針変更した最大の理由はですね、
なんといっても「気が変わったから」なんですよ。
最大の理由が二つあるのはおかしいですが、
もうひとつの最大の理由は、コロンビア在住の
ピアソラオタクである、福岡貞夫さんが
ピアソラに関する調査及び情報提供に
多大な協力をしてくださり、さらに貴重な資料も
図書館に蓄積できるようになったからなんです。

つまり、最初は単に自分の趣味の延長に過ぎず、
独自ドメインを取得し、図書館もどきを作りました。
もちろん、図書館長は存在するものの、
司書なんているわけもなく、蔵書もゼロ。
なのに「図書館」と名乗っても、文部科学省から
業務指導があるわけでもなし、それはそれは
お気楽なものでした。

でも、ピアソラの生涯作曲数は、300曲以下だと
理解しているのですが、今日現在で213曲を図書館で
視聴することができるようになりました。それも、同じ曲を
なるべく多くの演奏家で聴いて、いいなと思うものを
厳選してありますので(もちろん独断と偏見でですが)、
ピアソラがお好きな方やどんな作曲家か知りたいという方にとって、
資料面ではそんなに恥ずかしくないのではないかと
思うようになったのも事実です。

まだまだ、網羅すべきピアソラ周辺情報はありますが、
それは徐々に充実させていくとして、どなたでも
自由に入館していただける図書館にしようと考えています。
公開日時はまだ未定ですが、現在、福岡さんが
ピアソラの作品でピアソラ自身が演奏を残していない
100曲のデータをまとめていらっしゃるとのことですので、
それを待って公開したいと思います。
正式に決まりましたら、改めてこのブログ上で
ご案内させていただきます。

今日の所は、図書館の入り口をご覧いただくだけで
我慢してください。済みませんです。

「ピアソラ音の出る図書館〜Piazzolla Sound Library」
http://www.piazzolla-library.com/

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by hirune-neko | 2013-10-27 00:08 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

徒労感と使命感の間に存在する葛藤


Piazzolla,
Suite Punta del Este: Introduccion


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徒労感と使命感の間に存在する葛藤



ときどき自分の欠点を実感することがある。
「人間」に対し、とても閉じていると感じる時がある。
人間集団の組織に対峙したときに、それを感じる。
人それぞれの個性は許容できるのだが、
そして弱点や欠点も気にならず、他の人たちが避けたがるような
奇人でも変人でも一向に気にならず、親しくなれる。
しかし、話しても通じない相手だと思ってしまったら、
会話することに、一気に興味を失ってしまう。

自分が提案した企画内容には確信と自信がある。
不明な点や疑問点があれば、きちんと説明し
説得できる自信もある。
しかし・・・まあ分析しても始まらないが、
視点を共有できない場合、構想が進展する訳がない。
これまでも、1年かかったり2年かかったりの末、
ようやく認知された、なんていう事例は少なくない。

口を閉ざしてしまいたいという強い欲求を感じる。
仕事ならいざ知らず、ボランティアの集まりで
一人一人に笑顔で接し、忍耐強く、寛容な気持ちで
丁寧に事態を進展させるという、人間的な幅を持っていない。
時間と労力を、もっと別の、自分にとって有意義な
ことに使いたい、と強く感じてしまう。

なので私は、人間の組織を管理するのは不向きだ。
ほとんど重い徒労の固まりを背負って家路につく。

なのに、別の考えが徐々に顔を現す。
それは、徒労感を打ち消すように湧いてくる「使命感」だ。
使命感とは実に厄介なもので、自分を閉ざすことに
罪悪感を感じてしまう。自分が利己的に思えてしまう。
まあ幸いなことに、疲れた身体を横たえて少しうたた寝すれば
徒労感も消え失せ、新たな攻略の切り口を考えるだけの
気力が湧いてくる。論理的な根拠は何もないが
自然発生的に、新たな気力が与えられ、
丁寧に再構築しようという寛容さも具わっている。

大人になり切れていない私は、こうして一歩ずつ、
大人に向かって前進しているのだと思う。

先刻、ピアソラ・オタクの知人とFacebook上で相談し、
「ピアソラ音の出る図書館」を、会員制のままにせず
近々、一般公開にすることを決めた。
内にこもらず、外に向けて自分を開く気になったようだ。
ほんの少しだけれど、思いがけず自分の変化を感じている。



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by hirune-neko | 2013-10-20 23:48 | 心の中のできごと | Comments(0)

創作イメージ「彼方から甦る記憶」


Astor Piazzolla " Tristeza De Un Doble A "


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創作イメージ「彼方から甦る記憶」



朝を迎え、浅い眠りから目覚めると
また新しい一日が始まったのかと、軽いため息が出る。
いつまでこの単調な繰り返しの日々が続くのか・・・
最近はそう感じるようになっていた。

数年前には、すでに女性の平均寿命を超えてしまっていた。
役所からの事務的な手紙以外は、個人的な便りもなく、
たまに通信販売のカタログが送られてくるだけだった。
間違い電話以外に、ベルが鳴ることはなかったし、
誕生日にカードが届くこともなくなって久しい。

雑踏の賑わいがかすかに聞こえる。
早朝の散歩も途切れ途切れになり、世の中との距離が
ますます広がっていることを感じる。
なんの役にも立たない老女に、関心を向ける人はいない。

小学校の定年を機に、郊外に住まいを移そうと考えていた。
だが、いくつかのボランティア活動に携わっていたので
交通の便を考えると、ついつい億劫になってそのまま
市の中心部に住み続けている。

なんの脈絡もない記憶が、突然甦ることが多くなった。
子どもの頃から、父親の記憶は途切れてしまっている。
母が疲れた表情で仕事から帰ってきた姿、
大学で教育学を学び、市内の私立小学校に職を得たときの
母の嬉しそうな表情。
女手一つで私を育て上げた苦労が、報われた瞬間だったのだろう。

数少ない出会いと恋愛、そして短かった結婚生活と夫の死。
そんな私の姿を見て、母はいつも言葉ではなく
表情で私のへの心配を表していた。
息を引き取る間際も、私の手を強く握り、
涙を浮かべた目で私を見ながら、結局は
何も言葉を発しないまま、還らぬ人となった。
あのとき、母は何を伝えたかったのだろうか。
今でもときどき考えるが、結論に達してはいない。
子どものいない私には、母親の心情が理解できないのだろう。

けだるい身体を引きずって、玄関脇の郵便受けに下りると、
珍しく、封書が入っていた。「招待状在中」と書いてある。
エレベータの中で差出人を確認したが、覚えがない。

開封すると、受賞記念講演会への招待と書かれていた。
教育分野で功績のあった人物に、国が授与する
栄誉ある賞であることはよく知っている。
教師を定年で辞し、何十年にもなる私に?
何かの名簿からリストを作り、招待状を発送するときに
私の名前が紛れ込んでしまったのだろう。

一枚の手書きのカードが、一緒に入っていた。
受賞者であり、その日の講演者である人物が
署名入りで「必ず出席をしていただきたい」と
書いてある。間違いなく教え子の名前ではない。
不思議な気持ちだったが、素直に招待に応じる気になった。

   *  *  *  *  *

その日は初秋の快晴だった。
久しぶりの外出だったが、気分は良かった。

会場は市のコンサートホールで、
受付で招待状を提示すると、席まで案内するという。
案内係が先導し、着席を促されたのは最前列の中央だった。
まだ目は十分に見えるし、補聴器の世話にもなっていないのに。

講演者が登壇した。教育者らしく、好感の持てる表情だった。
「現代教育における知育と人格」というのが講演テーマだったが、
いわゆるエリート学者にはない、苦労の痕跡を感じた。
大ホールなので少なくとも2千席以上はあるだろうか。
振り向いてみると、ほぼ満席状態だった。

講演が終盤にさしかかったころ、数秒間の沈黙があった。
気のせいかも知れないが、彼は私の存在を確認するように
視線を向けると、また話し始めた。

「子どもの頃、私は母子家庭で貧しい生活でした。
母は病気がちだったため、学校に通うことができない状況でした。
でも、学校がどんなところなのか知りたくて、
ときどき近所の小学校の敷地に入り、窓から教室の中を覗きました。
自分と同じ年格好の、身なりのいい子どもたちが
教壇の先生に視線を向け、授業に聴き入っていました。

ある日、窓の外から授業の様子を見ていた私と
先生の目が合ってしまいました。
一瞬、身動きできなくなった私を、先生は咎めるのではなく、
逆にほほえみ返してくれたのです。
そして、最後部の生徒に、窓を少し開けるよう指示しました。
初冬の寒い日でしたので、生徒達は怪訝な表情でしたが、
おかげで私は、授業を目だけでなく、耳でも聞くことが
できるようになりました。

さすがにその後は、学校に行くことがためらわれました。
でも、どうしてもあの先生の授業を聴きたくて、
数日後にまた、そっと教室の窓下に近づきました。
寒い日でしたが、先生の指示で、また窓が少し開けられました。
そのうち先生は生徒に話しをながら、教壇から
ゆっくりと教室の後ろに向かいました。そして
少しだけ開いている窓に近づくと、生徒に気づかれないように
私にほほえむと、用意してあった紙袋を
そっと渡してくれたのです。

家に帰って紙袋を開けると、中には何冊かの教科書が
入っていました。チョコレートとキャンデー、
そして手作りのクッキーも入っていたのです。

カードが1枚添えられていました。
このように書かれていました。
『艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
(聖書の言葉) あなたの教師でもある ハンナ・ウェンズより』」

私は次第に顔を伏せて聴いていた。涙を人に見られたくなかったから。
話しの途中でもしやと思った。そして途中からそれは確信に変わった。
あの窓下の男の子が、教育者として立派に成長した姿を見ている。
どのような経緯があったか知る由もないが、困難にめげず、
並々ならぬ努力を重ねたことは容易に想像できる。

「真の教育者である私の先生を・・・ハンナ・ウェンズ先生を
皆さんにご紹介します」
私は自分の名前が呼ばれて我に返った。
拍手の中で登壇を促され、彼は立ち上がって私を迎えた。
お互いに感情を抑えきれず、強く抱きしめ合った。

「これが、紙袋に入っていた教科書です」
彼は私の肩を抱きながら、ぼろぼろにすり切れた
何冊かの教科書を聴衆に掲げて見せた。
「チョコレートやクッキーは記憶にしか残っていません」
聴衆の笑い声が響いた。

年齢の割には少し派手すぎるかな、と迷った挙げ句、
今日ばかりは、地味なドレスを選んだことが悔やまれた。
涙で曇った目の向こうに、滅多に見ることができなかった
母の笑顔を見たような気がした。

*創作メモ:ある国の法律では外国の宗教が禁じられていたので、教会の窓の外にただ座っていた人がいたそうです。その人のために、誰かが内側からそっと窓を少し開けて説教を聞けるようにしてあげた、というエピソードを聞きました。いいお話しだと思ったので、時代や内容の設定を変えて創作してみました。


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by hirune-neko | 2013-10-12 20:01 | 創作への道 | Comments(2)

記憶を失う恐怖と闘う人たち


Astor Piazzolla Ave Maria


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記憶を失う恐怖と闘う人たち



ピアソラの「アヴェ・マリア」は、ピアソラにしては珍しく
とても穏やかな曲想だと思っていた。
しかし、彼女の歌唱法はときに熱唱であり、また絶叫だと感じる。

日本人は元来、感情を露わにすることを避ける民族だと思う。
惻隠(そくいん)の心、察する気持ち、などと表現するように、
言葉少なく控え目に表現する相手の心中(しんちゅう)を察し、
それに対し、細やかな、無言の気遣いで応対する。
そのようなやりとりを経て、互いの理解と信頼が醸成される。
これは日本人特有の、ある種の精神文化なのだと思っている。

昨年の春から、福祉団体の助成を受けて開始した
東日本大震災の被害者の皆さんに絵本を寄贈するプロジェクトが
そろそろ終息したかと思っていた。
2ヶ月前から、気仙で生まれた赤ちゃんへの
絵本寄贈プロジェクトを、新規に開始した。
これも昨年同様、福祉団体の助成を受けて実現した。

地元・大船渡の東海新報社が何度も大きく紹介し、
大船渡市役所、陸前高田市役所、住田町役場の協力も得て、
さらに地元の助産師さんのグループも内容を知って
お母さん達への紹介をしてくれるようになった。
なので、反響が大きく、連日ネットやファックス、郵便で
申し込みが送られて来ている。

本来は、2013年に生まれた赤ちゃんが対象なのだが、
去年、あるいは一昨年生まれのお子さんにも作ってほしい
という希望が多く、2012年以前のお子さんには
被災者向け寄贈枠で対応している。

これらの絵本のタイトルはすべて「大切なわが子へ」で、
画や装丁もすべて統一された1種類しかない。
もともとは、産婦人科の院長先生からの
出産祝いプレゼントとして利用されている絵本だ。
両親のもとに生まれる赤ちゃん、シングルマザーのケース、
障がいを持って生まれてくることもあるし、
月満たずに命が尽きることもあり、出産直後に
天使になる場合もある。さらに言えば、
子どもの誕生を楽しみにしていた父親が病死してしまった
ケースも皆無ではない。

絵本の製作現場は至って事務的な作業だ。
原則として、著者名には両親の名前が記され、
本文にはお子さんの名前と、身長・体重、それと
出産した産婦人科病院の名前が挿入される。
なので、指定された事項を間違いなく入力し、
何段階かの校正作業が主要な作業となる。

しかし、天使版や父親が亡くなったケースなどの場合は、
状況を確認して、その状況に合わせた文章に修正する。
心を痛めているご両親や、遺族の方が読まれる文章なので、
いつも皆さんの痛みを感じながら文案を考える。

被災者向けの寄贈絵本は、最初から「親を亡くした子ども」、
「子どもを亡くした親」の心のケアが目的だったので、
当然、文章の内容そのものに集中して作成した。
ところが、8月からの気仙の赤ちゃん向け寄贈絵本と
並行するかのように、被災者向けの「応援版」の
申し込みが急増した。「応援版」は、被災前に出産し
子育てをされているご家庭向けの文章で、
次のような表現が挿入されている。

「■■■■ちゃん 
2011年の3月11日に  東日本大震災という
見たこともない 大きな地震と 津波があったの
たくさんの人が 大きな被害を受けて
つらい苦しみと 悲しみが残りました

でも お父さんとお母さんは どんなに大変な環境でも 
■■■■ちゃんを守って 大切に育てようと 決心しました

家族で励ましあって
しっかり生きていこうと決めたの」


この「応援版」には、子どもの性別はもちろんのこと、
身長や体重、ましてや両親から子どもへの「ひと言」、
さらには津波に襲われたときの状況などを記載する
「製作ライン」など設けていない。
絵本申し込み書にそのような希望が書かれていても
「事務的な作業ライン」から外れてしまう。なので
それらを、無視することも可能な状況ではあった。

何人もの方の欄外メッセージを読むうちに
視野に入っていなかった状況に気づいた。

「思い出や記念の写真が1枚も残っていない」
「子どもの日記も記録もすべて津波に流された」
「家族揃って幸せだった頃を思い出せるものがない」
「思い出が消えてしまいそうな不安がある」

ルーティンワークから外れる作業は、
製作現場にとってみると、流れが中断され、しかも
新たな校正項目が増えるため、負担を強いることになる。
しかし、過去の楽しかった幸せな思い出を
徐々に薄れる薄暗い記憶の中から探し出すのではなく、
写真や文章、あるいはいつでも手に取って読める
絵本の中で目にする方がずっと容易なのだと思う。

過去を流失した人たちにとっては、
いつでも絵本を手に取り、失った過去の良き思い出を
実感できることだけでも、日常生活の
ささやかな安らぎ、平安につながるのだ、
という理解が、静かに拡がるのを感じた。
作業に携わるスタッフにそのことを説明したところ、
全員が納得し、例外希望も取り入れるように努力している。

負担は増えることになるが、絵本を受け取り
手に取った皆さんが、平安な気持ちをたとえ少しでも
取り戻し、家族揃って思いをひとつにしている姿を思い浮かべ
そこから達成感をいただいている。


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by hirune-neko | 2013-10-10 12:36 | 心の中のできごと | Comments(0)

老人よ、亡命者を目指せ


Roberto Goyeneche - Sólo


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老人よ、亡命者を目指せ


この曲はソラナス監督映画の3部作のひとつ
「ガルデルの亡命」で使われていたはずだ。
ロベルト・ゴジェネチェが歌っており、
歌詞中の「Exilo」・・・「エクシリオ」という
言葉だけが聞き取れる唯一のスペイン語だ。
「亡命」という意味らしい。
これもどうやらピアソラの作曲ではなく
映画を監督したソラナスの手によるようだ。

走り続ける足を止め、ふと立ち止まったとき、
疲労、心労、過労、徒労などの言葉の一群が
一気に押し寄せる。
そんなときは決まって、現実生活に訣別し
どこかに逃れてひっそりと暮らしたい
という思いに駆られる。

数日前に、助手席の先輩が車中で語ってくれた
松本清張の「駅路」のストーリーがまだ
脳内のどこかに残っているせいなのかもしれない。
国内で政治的対立の渦中にあり、生命の危険を感じるのなら
自由を求めて他国に亡命することが、
選択肢のひとつになるのだろう。

私は何かの対立の渦中に位置していようはずがない。
様々な対立を傍観し、近寄らないようにしているし、
空虚な論争は好まないし、大体ほとんどの時間を
規則通りに動いてくれるパソコンと費やしているので、
いつ何を言い出すか予測のできない人間を相手にして
常にストレスを感じている訳でもないし・・・。
そう考えてみると、一体何から逃れようとしているのか
明確に説明はできない。
つまりこれは、ある種の贅沢病なのかもしれない。
筋肉も内臓機能も、神経も耐久力もすべて
すっかり脆弱になってしまった人間の、単なる弱音なのだろう。

そうだ。他国への「亡命」などではなく、
どこか国内の静かな所でしばしを過ごす「延命」にしよう。
ふと思い立って、北海道・室蘭の不動産情報を調べてみた。
「母恋南町」という懐かしい地名の売り地があった。
そこにテントを張るわけにもいかない。
賃貸住宅を探したが、近所付き合いが煩わしい。
一軒家だと、冬の除雪の問題がある。
・・・そう考えると、途端に気持ちが萎えてしまう。

自分の脳内で完結する作業なら、ストレスも少ないが、
ある程度の人数で構成される組織に提案し、
まとめるとなると、まったく異質な作業になってしまう。
人それぞれの感じ方、思考パターン、経験則、性格、
あれこれ勘案すると、人間との折衝が一番難しい
という結論に行き着いてしまう。

疲労が増し、体力と気力が落ちているときには、
その煩わしさが、前に立ちはだかってしまい、
どこかに「延命」したくなるのだろうと思っている。
本格的に他国への亡命を考えるのではなく、
ぶらりと旅行気分で喧噪を離れ、またぶらりと
気ままに家に戻ってくる・・・ああ、これではまるで
車寅次郎となんら変わらないのではないだろうか。
いやあ、ちっとも変わらないさ。
違うのはただひとつ。兄思いの優しい妹がいないことだ。


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by hirune-neko | 2013-10-08 18:19 | 心の中のできごと | Comments(2)

仮死状態からの蘇生・・・おめでたいことだ


WOE - Astor Piazzolla


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仮死状態からの蘇生・・・おめでたいことだ


ピアソラの音楽を受け付けない仮死状態になって、
数ヶ月は経過したように思う。
とにかく軽く、神経の負担にならない曲想しか
受け付けなくなってしまっていた。

だが、数日前からようやくピアソラの作品に
耽溺できる状態が復活した。
まったくおめでたいことだと思っている。

昨日は月に一度開かれる、厚木の無料将棋教室に行った。
いつもと同じように、知人の義父で
自称・将棋きちがいの男性と一緒に。
彼は私よりずっと先輩なのだが、
後輩の私を先輩と呼ぶので困ってしまう。

将棋そのものは、前回2敗を喫した相手には
きちんと指して圧倒したが、逃げ足早く入玉され、
勝敗に執着のない私は、面倒なので自ら投了宣言をした。
入玉されたなんて初めての経験なので、
次回は容赦なく叩きのめそうと闘志を燃やしている。
2回戦は3級の方だそうで、角落ちの先手で指した。
寄せきって勝てたが、最近、駒落ち定跡を
勉強している成果だと思う。

帰路の国道246号線は、厚木から16号線と交差する周辺まで
酷い渋滞のノロノロ運転だった。

助手席の先輩が、最近観たという映画の話しを始めた。
松本清張原作の「駅路」、そして「ゼロの焦点」。

今、思い出したのだが、30歳頃、非常に厄介な状況に直面し、
とにかく一人になりたくて映画館に飛び込んだ。
内容はなんでも良かった。
あれは日比谷か渋谷だったと思う。
岩下志麻、桃井かおり、松本清張。
「疑惑」というタイトルの映画だった。
これまでの人生を振り返っても、最悪の事態に直面し、
その渦中で観た映画だったことを、今、思い出した。

「『駅路』の主人公は石坂浩二で、銀行を定年になったんですよ。
家には彼の好きだったゴーギャンの絵が飾ってありまして、
家族のために自分の本来の才能や夢を犠牲にし、
人生を銀行員で過ごした彼は、いつしか
タヒチのような逃避先を、定年後に求めるようになって
いたんでしょうね。いやあ、身につまされますねぇ」

先輩の言葉には実感がこもっていた。
彼は、ある業界新聞社の社長をしていたのだが
時代の変化の流れに呑み込まれ、廃業している。
出版社と隣接した業界なので、状況が想像できる。

先輩の語る「駅路」と「ゼロの焦点」の概要を聞きながら、
そこに、ピアソラの作品と通底する要素を感じた。
「いやあ、松本清張も貧乏暮らしで、ずいぶん
苦労をしたらしいんですよ」彼はそう続けた。

先輩には、松本清張の作品が、自身のよき理解者と
映っているのだと感じた。
ピアソラの作品が、私自身のよき理解者であり、
創作意欲の源泉でもあるように。

「ここ数年、小さな子どもを持つ家庭向けに
これこれの内容で、電子新聞を発行しようと
考え続けているんですよ」
内容を聞いた彼は得心したように断言した。
「いやあ、それはいいですね」
「いずれ、実際に発刊することになったら
わが社の顧問として、是非手伝ってくださいよ」
「いやいや、とてもとても」という言葉とは裏腹に、
先輩が晴れやかな笑顔を浮かべたのが印象的だった。

国道246号線の渋滞はいつしか解消され、
順調に走り出した。それでも総運転時間は
3時間近かった。

人生は常に順調とは限らない。
しかし、どん底にあっても使命感と達成感を持ち、
さらに、自分の良き理解者があると感じられることが
至高の価値であるということを、残念ながら人間は皆、
晩年になってから、ようやく気づくのが常のようだ。




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by hirune-neko | 2013-10-06 20:00 | 心の中のできごと | Comments(4)



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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