昼寝ネコの雑記帳

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月末を越した瞬間〜月越しの祭り


John Coltrane: Say It Over and Over Again.


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月末を越した瞬間〜月越しの祭り

毎月、月末は慌ただしい。
最近は、入金はすべてネット銀行口座で、
振り込みもほとんどパソコンから行っている。
一覧表を照合しながら、金額や振り込み人の
名前を間違えないように集中するため、
終わるとほっとする。

ちょっとの時間、インターバル。
ジョン・コルトレーンの演奏を引っ張り出してみた。
高校生の時は、ほとんどコルトレーン1色で
毎日毎日、飽きもせずよく聴いたものだと思う。
高3のほとんどは出席の返事をして、窓から脱出。
ジャズ喫茶へ直行の毎日だった。
あんなので、よく卒業できたものだと思う。
私を毛嫌いしていた先生が何人かいたので、
推測だが、留年させずに放校同然に卒業
させられたのだろう。

そういえば、大学受験で上京し、お茶の水の
明治大学の試験を受けたとき、昼の休憩時間に
真向かいにあったUNIONとかいう名の
レコードショップに行って、コルトレーンの
レコードを買ったのを憶えている。
確か「Nature Boy」というアルバムだったはずだ。
コルトレーンのだ。

そんな調子だもの、何カ所か受験して、
合格したのは2ヶ所だけだった。
おまけに入学早々、東大安田闘争のあおりで、
授業がなく、神田古本屋街を放浪するようになり、
大いなる時間の浪費の出発点となった。

あの頃の数年間で、すっかり反権威主義の
体質ができあがってしまった。
目の前で左翼学生が繰り拡げる、安直な喧噪を見て、
すっかり失望し、結局は何に対しても
情熱を感じない厭世観にとらわれ
カミュの世界にほっとするようになって行った。

ほらほら、年寄りの懐古趣味が始まってきた。
極力、前を見て生きようと思っているのに。


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by hirune-neko | 2013-09-30 15:31 | 心の中のできごと | Comments(0)

今どきの結婚披露宴〜六本木カフェレストラン


Maria Callas - O Mio Babbino Caro - Giacomo Puccini


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今どきの結婚披露宴〜六本木カフェレストラン


一ヶ月ほど前だろうか。
およそ40年来の知人夫婦から、結婚披露宴の招待状が届いた。
開封してみたら、息子さんの結婚相手の女性はこれまた
別の、40年来の知人夫婦のお嬢さんだった。
へえ、こんな偶然もあるんだなと、
人付き合いの悪い私だが、出席の返信をした。

今日がその結婚披露宴だった。
午後5時からで、会場は六本木ロワビル1階の
カフェレストランだ。
六本木なんて、最後に行ったのはいつだったろうか。
六本木交差点で、かつて存在した
「パッサ・テンポ」という名のジャズバーの
看板を探したが、見当たらなかった。
昔の防衛庁近くにあった「ロス・コス・モス」は
とっくの昔に消えてしまっている。
俳優座の横を入った所にあったライブハウスは
まだあるのだろうか。
もう、ジャズなんて古色蒼然とした音楽に
なってしまったのだろうか。

そんなことを考えながら、会場に向かった。
まだ夕方前の時間帯だったが、すれ違う人たちは
圧倒的に異国の人が多かった。
やはり相変わらず、六本木は人種のるつぼだと感じた。

披露宴の途中で、新郎新婦を紹介する
スライドショーが始まった。
BGMには、意外とクラシカルな曲が多く、
そのひとつがプッチーニのオペラ、
ジャンニ・スキッキのアリア「私のお父さん」だった。
ポンテ・ベッキオ橋で、もし結婚を許してくれなければ
川に飛び込みますと、父親を脅迫する娘の歌だそうだ。

新郎新婦はクリスチャンで、神殿で結婚式を挙げ、
六本木のカフェレストランに、ウェディングドレス姿のまま
車で乗り付けたようだ。
私には到底思い浮かばない組み合わせの数々で、
こんな披露宴もあるんだなと、世代差を感じた。

自由席のレストランは満席だったが、
私の隣は空いていた。
そこに若くて礼儀正しい女性が着席した。
「ご一緒させていただいても宜しいでしょうか?」
ときたもんだ。なんと美しい日本語だろう。
姿勢もいいので思わず尋ねた。
「小さい頃、バレエをされてましたか?」
「いえいえ」
「じゃあ、日本舞踊は?」
「いえいえ、踊りは何もしていません。
陸上だけをやってました」

そこに、新婦の父親がやって来て私に話しかけた。
「娘か?」
「とんでもない」といおうとしたら、彼女は
「はい、そうです。娘です」と笑いながら答えてしまった。

披露宴が終わって、彼女にいった。
「結婚式には招待してくださいね」
なんでも、お付き合いしていたアメリカ人が
帰国してしまったのだが、
今でもやりとりが続いていると聞いたので。
「結婚相手は、地位や財産、学歴などで選んでは
いけませんよ。私なんか、地位も財産も学歴も
なんにもなくても、選んでくれる人がいたんですよ」
「とても素敵なお二人ですね」と如才なくいってくれたが、
横では家内が、またアホなことばかりいって、と
呆れ顔で、皇室スマイルを浮かべていた。


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by hirune-neko | 2013-09-29 01:02 | 現実的なお話し | Comments(2)

不気味さは静けさの中に


Astor Piazzolla - La maison de Monique


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不気味さは静けさの中に


不法入国し、日本に滞在している彼は
いつも監視の目を気にして生きていた。
頻繁に住まいを変え、名前も変えた。
外国の情報部で、日本人教師から日本語の読み書きを習い、
日本の人気テレビ番組を観たり、様々な訓練を受けていた。
なんとか日本人になりすましてはいたが
決して自信はなく、常に怯えと緊張感に包まれていた。

大震災のとき、壊滅的な被害を被った町があった。
ある日、本国からの指令があり、彼はそれに従った。
家族がすべて亡くなり、かつ役所では戸籍関係の書類が
すべて流失してしまった町なので、安全だという。

彼は、亡くなった日本人男性の氏名、生年月日、本籍地、
現住所、家族の名前などをしっかり頭に入れて、
神奈川県のある市役所を訪れた。
転入届を出すためだった。身分証明書?免許証?
あの津波で命からがら、奇跡的にやっと助かったが
身の回りの物は何一つ持ち出せなかった。
家族は皆、目の前で津波にのまれ、助けられなかったことが
悔やまれる・・・彼はそういうと涙をこらえ、声を詰まらせた。

市役所の戸籍係は、家族で唯一の生き残りだという
彼の言葉を信じるしかなく、また同情して
手続きを始めてくれた。

東北のある町で亡くなった人間が、忽然として
生き返った瞬間だった。

彼は、今では健康保険証を取得し、運転免許を取り、
コンビニのアルバイト店員として働いている。
誰からも疑われず、たとえ監視の網に引っかかったとしても
日本人としての正式な身分証明書を所持しているため
何も怖れる必要はなかった。

そのような彼、あるいは彼女が、一体どれぐらいの人数、
私たちの周りに潜んでいるのだろうか。
すでに警察や公安委員会は事態を重視し、
情報収集に乗り出しているそうだが、果たして
実態を解明できるのだろうか。

これは創作ストーリーでもなんでもなく、
日本の現実の姿をそのまま推測して書いている。

個人的に、日本と日本人は、その短所も長所も含め、
この年齢になってみると、捨てたものではないと
考えるようになった。
おそらくこのまま最期まで、
日本で暮らすことになるだろうと考えている。
なので、日本が日本らしさを維持し、また
日本人がもう少し大人になって、日本人らしく、
平和で安全に暮らせる国を目指してほしい、と
そんな願いを、とくに政治家の皆さんに対し
切にお伝えしたいと思った次第だ。

政治家の方なんて、このブログを読みにくるわけがない。
またクレモンティーヌが現れて、言動に気をつけろと
小言をいわれるかもしれないが、
行く末が心配な日本だと、本気で心配している。


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by hirune-neko | 2013-09-26 23:09 | 現実的なお話し | Comments(0)

南米チリーの軍事クーデター遭遇の思い出


Astor Piazzolla - Jorge adios


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数日前、ピアソラの曲「サンティアゴに雨が降る」
とともに、南米・コロンビア在住の
El Bohemioさんを紹介した。さらにこの曲が
同名の映画のために作られ、チリー・軍事クーデターが
舞台になっている作品だとつけ加えた。

そのEl Bohemioさんが、クーデター当日
チリーに居合わせた生々しい体験記を送ってくれた。
貴重な記事なので、紹介させていただく。

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南米チリーの軍事クーデター遭遇の思い出                                                                                 El Bohemio・文



 「サンティアゴに雨が降る」は1973年9月11日に南米チリーで起きた軍事クーデターによって崩壊した「人民連合」政府とサルバドール・アジェンデ大統領の運命をドキュメンタリータッチに描いた映画である。この事件は今年で丁度40年を迎えるが、私はその時期にチリーのサンティアゴからクーデターが蜂起されたバルパライソの隣町ビニャ・デル・マールに危険を避難するつもりで来ていた。

 事もあろうにクーデターはすぐそこの隣町から起こされたのだ。今でもその時の生々しい現象を記憶にとどめている。その日はサンティアゴとバルパライソには雨ではなく機関銃の銃弾が降っていたのだ。二、三機のプロペラ戦闘機がモネーダ宮殿を低空飛行体制で銃弾の雨を降らしていた映像を映す白黒テレビの画面を見ていた。

 では当時の記憶を呼び戻してみよう。『40年前の今日(1973年9月11日)朝7時ごろ私はビニャ・デル・マール近くのチョリージョという名の街のアパートで目を覚ました。二階の住人のハンガリー系ユダヤ人に起こされたのだが、、、何事かと聞くとクーデター(ゴルペ)だという。この軍事クーデターはピノチェット率いる陸軍と海軍、空軍及びカラビネーロ(騎兵隊)と呼ばれる警察軍が合同でアジェンデ共産党連合政権に対して起こしたクーデターで、かれこれ2月前に蜂起されたがその時は戦車一台が大統領官邸に向かつたが官邸護衛兵に阻否されて何事も起こらず仕舞いだった。

 しかし、何時か本格的クーデターの蜂起が予測されていた事で“やったか”と一瞬頭に横切る。テレビの映像はモネーダ宮殿を低空に飛んできた戦闘機が爆撃する姿を映していた。既に街は軍隊があふれていた。アパートの下の街路にも戦闘着とヘルメット姿の数名の兵隊が機関銃を山側の貧民窟に銃口を向けそろえていた。一人の若い兵士に近ずいて何故銃口をそちらに向けるのかと訊ねると彼は余り近ずくなと警告しながら、あそこはゲリラ同然の集団の棲家が密集しているからだと早口に説明してくれた。
 ラジオがなにやら喚いているので二階の友人に尋ねたら外国人は近くの警察暑に出頭しろという勧告である。そこで、まず行動したのは勧告に従い大家さんに同行してもらい友人と彼のチリ人の奥 さんと警察暑に行く。出てきたのは若い将校風の軍人が我々を面接したが、その将校と大家さんとなにやら話し合いのやり取りしていた後で私達は何も聞かれずにすぐに家に帰り“外出をするな”といわれただけで放免してくれた。

 その日の夜は近くからダッ、、、ダッ、、ダッと連続音の機関銃の掃射音が聞こえた。翌日の朝早めに起きてビニャ・デル・マール市からバスで20分ほどの港街バルパライソに出かけた。巷にはドイツ人かユダヤ人風の品の良い顔立ちの老人男女が数十名不安な顔つきで警察暑らしき建物の前で行列をしていた。彼らも外国人登録勧告命令に呼び出された人達であった。

 そしてラジオから戒厳令と市民の外出禁止条例が発動されていた中を友人を探しに港に近い余り環境の良くない風俗臭い安ホテル街に急いだ。友人のパックパッカー旅行者I君が黄疸症状が見える様なのでサンティアゴの駐日本大使館の医師に診断してもらうために同行する約束があったからだが、戒厳令で首都サンティアゴ行きは不可能であった。やっと見つけた友人をやむなく急遽受け付けてくれる市内北側に設けられた軍事病院に連れて行く、海兵隊が厳重に警備をしていて、患者はすぐに診察室に通されたが付添は病院内に入る事は許可されなかった。そのまま彼と再会は出来ずにチリーを脱出した。

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 そして、時はたち、数十年後(最近)彼のブログを偶然発見したが今だに彼(I君)の消息を確認していない。I君のブログ文の一部を下記に載せたので参考にしていただきたい。



 【9月11日(火)・・入国61日目(交換義務金1220ドル、所持金1260米ドル)・・今日は、福岡さんが知っている医者(サンチャゴ)のところに行く予定だ。小便をしに廊下にでる。一瞬たじろんだ。いつもは誰もいない、狭くて薄暗い廊下に、人が大勢いる。彼らは一斉にぼくを見た。誰もなにもいわない。トイレから帰り際、彼らを観察した。

 男たちは十数人。毛布をひろげて、そのうえでカード遊びをしている男、カーテンの脇から外を覗いている男、携帯ラジオを耳にあてている男。灰色の作業服に長靴の男たち・・・。彼らが、なぜここにいるのだろう。突然、『バーン』と爆発音が聞こえた。男たちは、一瞬ひるんだ後、窓からこっそり外をうかがっている。
 部屋に戻っても、彼らのおびえた目つきが気になる。

 ガラス越しに外を覗く。ドラム缶にゴミをくべて暖をとっている労働者も野菜を少しのせた荷車を引っ張っている少年の姿もない。新聞売りの『コレヒヨ、コレヒヨ』の呼び声もなければ、石畳の鋪道を掃くじいさんも会社や工場に急ぐ人々もいない。ときたま動いていたクレーンも長いアームをたれたまま。すべてが止まっている。福岡さんは、何時に迎えにくるのだろうか?

 どのくらい寝たのだろうか? ドアが激しく叩かれた。尾崎とグローリア、セシリアも一緒だ。
「ゴルペよ」
「ゴルペ!」
「何をぼんやりしているんだ。クーデターだ。クーデターが起こった」
 やられた。ついに起こったか。まだ大丈夫だろうと心の底のどこかで楽観していた。
「急いで!」
「どこに行くの」
「プエルトよ」
「サンチャゴで起こったんだろ。ここは安全じゃないの」
「なに言っているんだよ。クーデターはこの街から起こったんだぞ」
「いま何時?」
「10時40分」
「急いで、貴重品だけまとめて」
「もうすぐ戒厳令がひかれるだってよ。誰も町を歩けなくなる」
 彼らの慌てぶりは普通ではない。クーデターだ。殺し合いだ。街角でいつ撃ち合いが始まるかわからない。彼らが、ぼくを呼びに来たのもかなり危険な行動のようだ。ホテル・ヘラスコにいたら町の店はすべて閉鎖のため、食事に困る。どこかに連れていかれてもそれっきり、誰にもわからない。人殺しだって頻繁に起こる。いま安全なのはできるだけ大勢と一緒にいることだ。】 (石原記チリー28項から)

 昼寝ネコ注・「本文の福岡さんはEl Bohemioさんと同一人物」

      *   *   *   *   *


 図らずも同じ様な境遇にいた二人の体験の違いは明らかだ。チリーに来た理由は両者共に共通する様でもあったが、全くかけ離れた境遇に出合っている。私は危険な場面にはほとんど遭遇していない。私は彼らのグループから何時も一歩離れて交際をしていたから・・・ただし、ある程度は知り得た現地の巷の噂として、また新聞記事で知った情報†おして彼らに提供はしていた。クーデターが突発した日。この情報をある程度は得ていたが、やはり突然で驚いた。そこで考えたのはいち早くチリーから脱出する事であり、実際に行動に移した。

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by hirune-neko | 2013-09-25 01:45 | 現実的なお話し | Comments(5)

改めて、ミシェル・ルグランンは異才だと思う


Summer of 42 - Music by Michel Legrand


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改めて、ミシェル・ルグランンは異才だと思う


依頼されていたポスターの修正を仕上げて
明日までに送ってほしいとう電話が朝あり、
なんとか仕上げて送信した。

祝日のせいで、仕事関係の電話もメールも
途絶した時間の中で過ごせている。
なんとなく、脳がルグランの音楽を欲しているようで、
何か聴こうと思った。

ルグランは映画の作曲も広く手がけているし、
ルグラン・ジャズと呼ばれるように、
かなりジャズにも傾倒した人だ。
映画では「シェルブールの雨傘」が圧倒的に
知られているし代表作なのだろう。
でも、アメリカ映画のこの「Summer of 42」が
やはり一番思い出深い。

たった今、
カレンダーの自動表示が、明日は富山に住んでいる
三男夫婦の結婚記念日だと告げたので、
お祝いのメッセージと一緒に、ルグラン作曲の
「シェルブールの雨傘」の1シーンをメールで贈った。
主役のドヌーヴと恋人の男性の二重唱だ。
「お父さんとお母さんが結婚する前の記録だよ」
といって、5歳の孫娘に見せ、どんな反応を示すか
教えてほしいとつけ加えた。

人間、老境に入ると昔を懐かしむといわれるが、
確かに、高校生から大学生にかけての7年、
正確にいうと、留年した1年を含めた8年間に
甘酸っぱくほろ苦い思いが凝縮している。

またあの頃に戻りたいという気持ちはないが、
でも、不意の旅行者のように、数日をあの頃に戻って
過ごしてみたいという感傷は確かに存在する。

自らの手で創出できる何かが未だあるという
近未来の予兆が薄れるので、
昔を懐古するのかもしれない。
数十年の経過で朽ち果てた旧友たちの容貌。
そしてノスタルジックな街並みは影をひそめ、
現代的な建築物が原色とともに建ち並ぶ。
何がしかの痕跡を求めようとしても
おそらくは徒労に終わるに違いない。

その近未来には、すでに自分自身が
存在していないかもしれないし、
ただ単に生き長らえたとしても、
そのことだけに意味は見出せない。
逆に、自分が永遠の旅人だと考えれば、
この地上に何かを残すことに
意義を見出せるような気がする。

自分は旅立ってしまうが、後にここを通る
旅人たちのために種を植え、
穀物や果実を残せるのではないか。
思い上がりかもしれないが、そんな気がしている。
数世紀を経ても、人に必要とされる創作作品が
確かに存在するように、年月を経ても朽ちない
何かがあるような気がしてならない。

同時に、私は生活のために働かなくてはならない、
一労働者でもある。
幸いに、どんな商品を作って、どのように営業するかを
決定できる立場にあるので、時間はかかるかもしれないが
永遠の旅人らしい仕事を継続したいと希望している。


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by hirune-neko | 2013-09-23 15:04 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)

束の間の堂々めぐり


Michel Legrand Orchestra - His Eyes Her Eyes - Featuring Kiri Te Kanawa


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束の間の堂々めぐり



お待たせしていた企画提案書を、昨日発送した。
まだ、他に2種類あるのだが、ちょっとひと息ついている。

脳の働きについて調べたことはないが、
いわゆる創造性のない、単なる事務処理をするときに
使用する脳の部分はどこなのだろう。
ゼロから仕組みを考え、企画化するときには
脳のどの部分を使うのだろう。
そして、あるイメージに基づいて
ストーリーを創造するときには、脳内の
どこが働いているのだろうか。

実際に、ひとつの作業だけを連続していると、
明らかに、使用していないと思われる脳機能が
大幅に低下してしまうのを実感する。
バランスの悪い、いびつな形状に変化してしまい
なかなかもとに戻らない。

したがって、状態によって受け付ける音楽の
種類も異なってしまう。
ミシェル・ルグランの「His Eyes Her Eyes」は、
サラ・ヴォーンの歌に馴染んでいたのだが、
たまたまキリ・テ・カナワの歌を見つけ
聴いてみると、今日の神経には、こちらの方がいい。
記憶に間違いがなければ、Summer Me Winter Me
など、ルグランの曲をキリ・テ・カナワが歌った
アルバムを、数十年前に持っていたはずだ。

でも改めて、仕事の企画提案書を作るのは、
なかなか難しい作業だと思う。
自分自身は理解しているものの、相手がある。
その相手の理解力や感覚は、まるで分からない。
なので、どんな組み立てにすべきか
いつも思い悩んでしまう。
この数十年、ずいぶん色々な相手に
企画提案してきたことが思い出される。

おそらく、脳内のある一部を必死になって機能させ
確信の持てるイメージが固まるまでは
なかなか書き出せないように思う。
それは、ちょうどストーリーを創作するのに近い。
だけど、微妙に脳内の異なる部分のような気がする。

脳のどの部分を使うのかなんて、
あまり深く考えても意味がないのであって、
とにかく、仕上がりのいい「作品」を作り続ける、
単純に、それだけの話しだと思う。
確かにそうだ。


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by hirune-neko | 2013-09-23 00:54 | 創作への道 | Comments(0)

IL PLEUT SUR SANTIAGO〜サンティアゴに雨が降る


Astor Piazzolla - Llueve sobre Santiago


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IL PLEUT SUR SANTIAGO〜サンティアゴに雨が降る


かなり以前、このブログに
「ピアソラが試みたジャズとの融合は失敗であり、
単に実験だったとして、それで終わらせた方がいい」と
随分大胆な意見を書いた。

それからしばらくして、その記事にコメントがあった。
El Bohemioというハンドルネームの方だったが、
全く同感だと書かれていた。
おお、同じ意見なのだと嬉しく思ったのを覚えている。
だって、ジェリー・マリガンやゲーリー・バートンとの
協演をまったく評価しなかった訳なので、生意気な奴だと
疎まれても仕方がないと思った。

それ依頼、ネット上でEl Bohemioさんとの交流が始まった。
共通の嗜好は、なんといってもピアソラであり、
ネコ好きであり、思想信条が保守的であり・・・
しかし、私と大きく違ったのは、彼がスケールの大きな
行動派人間だったという点だ。

記憶が定かではないが、ピアソラの東京公演を聴いて、
・・・何十年も昔の話しのようだが・・・なんと
船でアルゼンチンに渡り、一度帰国したものの
再びアルゼンチンに住むようになった。
大変なピアソラ・オタクであり、また
カルロス・ガルデルの信奉者でもある。

残念ながら、私にはガルデルの良さがまだ理解できない。
以前、ソラナス監督・ピアソラ作曲の
「ガルデルの亡命」という映画で、名前を知った程度だ。
だけど、アル・パチーノだったかが主演した映画
「セント・オブ・ウーマン」で、盲目の彼が
女性の香水の匂いを嗅ぎ分け、ダンスを申し込んで
踊るシーンがあるが、どうやらあの曲は
ガルデルの作曲らしい。印象に残っている、いい映画だ。

そんなEl Bohemioさんはやがて、サイト上に作った
「ピアソラ音の出る図書館」の会員に登録し、
いろいろな情報を提供してくれるようになった。
やがて、お互いにFacebookに登録していることが分かり、
ピアソラつながりの日本人やアルゼンチン人の方を
紹介していただき、友だち申請することになった。

そんな彼のFacebookに、今日、掲載された記事を
一部だけ紹介したい。

(El Bohemioさんの文章始め)

「サンティアゴに雨が降る」は1973年9月11日に
南米チリーで起きた軍事クーデターによって崩壊した
「人民連合」政府とサルバドール・アジェンデ大統領の
運命をドキュメンタリー様に描いた映画である。
この事件は今年で丁度40年を迎えるが、私はその時期に
チリーのサンティアゴからクーデターが蜂起されたバ
ルパライソの隣町ビニャ・デル・マールに危険を避けて
避難するように来ていた。事もあろうにクーデターは
すぐそこの隣町から起こされたのだ。今でもその時の
生々しい現象を記憶にとどめている。その日は
サンティアゴとバルパライソには雨ではなく
機関銃の銃弾が降っていたのだ。

(El Bohemioさんの文章終わり)

ピアソラの作品である、同じ「サンティアゴに雨が降る」
を聴いたとしても、私はただなんとなく聞き流しているが、
数千キロ離れた南米・コロンビアでこの曲を聴く度に、
かつての軍事クーデターの
凄惨な経験を思い出す人が存在する。
なんという落差だろうか。

El Bohemioさんとはまだお会いしていない。
数千キロの距離を考えると、私がコロンビアに行くか
あるいは彼が帰国来日しない限りは、一生会う機会が
ないのかもしれない。

まさしく現代文明である、インターネットがなければ、
決して知り合うことはなかっただろう。
敢えていえば、墓に眠るピアソラが、
われわれのピアソラ・オタクに敬意を表して
引き合わせてくれたのかもしれない。

ピアソラも最初はうるさく思ったかも知れないけれど、
今ではわれわれのピアソラ熱に根負けして、
「日本におけるピアソラ普及運動」を
苦笑しながらも、応援してくれているような気がしてならない。


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by hirune-neko | 2013-09-22 03:46 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

Merci la vie〜佳き人生に感謝


Merci la vie-Ginette Reno


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Merci la vie〜佳き人生に感謝


数年ぶりに「エッセイ部門」のブログランキングに
復帰しましたが、皆さまのご支援のおかげをもちまして
ここ数日、ベスト10位前後を徘徊するようになりました。
応援クリックをしてくださっている方の顔は見えませんが、
・・・まあ、大体は想像がつきますけれど・・・
心より感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
改めて、ご支援にお礼を申し上げます。

わが人生を冷静客観的に眺めてみますと、
やはり気ままにあれこれ思い巡らし、それを文章にする時間が
最も自分らしく思え、心穏やかでいられます。
まあ少しだけ欲をいわせていただくと、自分の文章が商品化され
毎月末には銀行口座に、それなりの印税が振り込まれてくる、
そんな余生が送れれば、これにまさる幸せはありません。

私が文章を全面的に引き受けている、贈答用絵本は
発刊以来10年ちょっとになります。
年内には累計発行部数が30,000冊近くになる予定です。
幸いに、前年比でマイナスになった年はありません。

まあ、たまには愚痴をいわせていただきますが、
そこからの印税は一銭も受け取っていません。
ときどき、「鳩サブレ」や「赤い靴」(横浜名物のサブレ)、
「かもめの玉子」(大船渡銘菓)、地元の「かりんと饅頭」
などを差し入れてくれてはいますが、
印税の話題なんて、まったく記憶にありません。
なので、老後の理想の印税生活を実現するためにも
そろそろ相談してみようかなと思案しています。

その意味で、このブログにお立ち寄りくださり、
励ましのクリックをしてくださる皆さんのご親切は、
文章作成の動機付けになっており、
大きな励みになっていますので、どうか引き続き
応援してくださいますよう、宜しくお願いいたします。

会社に対しては、ブログ・クリックなどではなく、ちゃんと
世間並みの印税を支払ってくれるよう、粘り強く交渉し、
いずれは、私のアトリエにお越しいただいても
窓越しに水平線を眺めながら、上記の各銘菓のお好きなものを
召し上がっていただける環境を、整えたいと思ってます。

振り返れば、ずいぶん多事多難な人生だったように思いますが、
こうして、アホな文章を書いても、読んでくださる方が存在し、
おまけにブログランキングの順位も上昇してきましたし、
うまくいけば、年金以上の印税が入るかもしれない・・・
そう考えてみると、改めてわが人生を
「Merci la vie〜佳き人生に感謝」と形容したいと思います。


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by hirune-neko | 2013-09-18 14:03 | 創作への道 | Comments(0)

電子網監視下に置かれたネコ


Clementine:Lete


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電子網監視下に置かれたネコ



久しぶりにゆっくりできる休日だと思っていたが、
早朝、姪ネコのクレモンティーヌからの電話で
起こされてしまった。

「おじさん、もう起きてた?」
「あん?なんだいこんな時間に」
「最近、身辺で何かおかしなこと、起きてない?」
「・・・・・・」
「例えば、知らない人が訪ねてきたり、
変な電話があったり、尾行されたりとか」
「家の周りの野良ネコが、少し増えたような気がするよ」
「ほかには?何か普段とは違うこと、何もないの?」
「どうしたんだい、一体。おじさんの知らないところで
何か起きてんのか?」
「良く考えてみて。本当に何も変わったことはないの?」
「そういえば、ブログへの訪問者が急に増えたねえ。
今はもう元に戻ってるけど」
「いつ頃?どれぐらい増えたの?」
「そうだなあ、2ヶ月ぐらい前かな。毎日の来訪者は
ずっと平均30数人なんだけど、急に増えて100人を超える日が
しばらく続いたことがあったよ」
「どれぐらい続いたの?」
「1ヶ月半ぐらいかなあ?」
「で、おじさんはその原因は、なんだと考えたの?」
「そりゃあお前、おじさんの文章に惹かれた
老若男女の皆さんが、癒やしを求めて来てくれたんだろう」
「おじさんは、相変わらず世の中と無縁に生きてるのね。
じゃあ、どうして今は普段の状態に戻ったと思うの?」
「まあ、人それぞれに心の移ろいがあるからね」
「おじさん、ちゃんと目が覚めてる?
世界昼寝ネコ大会議の情報部長がね、すぐおじさんに
ちゃんと状況説明しなさいっておっしゃてくれたから、
夜中まで寝ないで、日本時間の朝まで待ってたのよ」

とまあ、こんなやりとりで始まった
クレモンティーヌとの会話だったのだが、
思いもよらないことを知らされた。

決して公表されることはないが、
フランス・パリの昼寝ネコ世界大会議には
情報部があり、自前のネコネットから得た情報を
国内の各情報機関に開示するのと引き替えに
世界中のネコたちに危険が及びそうな情報があれば
逆に開示してもらっている。
その情報機関とは

・対外安全保障局(DGSE)
・国土監視局(DST)
・国防事務局(SGDN)
・省庁間情報委員会(CIR)
・軍事情報局(DRM)
・国防公安局(DPSD)
・戦略問題局(DAS)
・情報総局(RG)

など、かなり本格的なものだ。
で、結論だけ簡潔に書くと、
滅多に政治的・軍事的な内容を書かない私が、
数ヶ月前に、隣国の国民総動員法施行、あるいは
便衣兵、人民解放軍の日本攻略シナリオ、
報道協定など一連の関連情報に、ついつい触れてしまった。
それが、隣国の軍・電子情報監視部の電子網検閲に引っかかり、
「昼寝ネコはフランスもしくはイスラエルの
情報部員の可能性がある」というこになったらしい。
なので、電子網監視兵達が、ずっと私のブログの記事内容を
閲覧・監視していたために、来訪者が急増したという。
で、数週間にわたるブログ記事を分析した結果、
どうやら暗号らしい用語は使用していないし、
ただのぐ〜たらネコだ、という結論に達したらしく、
一気に監視体制が縮小されたそうだ。

そもそも私は、どこの情報部にも属せず気ままに生きている。
なので、どこを探られたって痛くもかゆくもない。
「おじさん、何を寝ぼけたことをいってんの!
昼寝ネコ世界大会議の監視と保護下にある
れっきとしたぐ〜たら駐在員だっていうことを
もう少し自覚してくれなくちゃ、議長秘書である
私の立場がなくなるじゃないの」
「駐在員?そうだっけ?」
「あらいやだ。日本国内に居住する、野良ネコを含む
ネコたちの安寧のために、努力を惜しまないって、
おじさん、ドゥーヴィルに来たとき、いってたでしょ?
忘れたの?あきれたもんだわ」

とまあ、そんなこんなで、よりによって敬老の日に
早朝からクレモンティーヌに電話でどやされて
散々の祝日だった。

「マドレーヌ通りに、新しいドーナツ屋さんができたの。
航空便で送ってあげるからね」

ん〜。やはり私はクレモンティーヌがかわいいし、
まったく頭が上がらない。


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by hirune-neko | 2013-09-16 21:00 | Comments(0)

うぐぐ、負けてしまったよ2連敗


Falsa Baiana - Paulinho Moska


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うぐぐ、負けてしまったよ2連敗

旧い知人が、ボランティアで
厚木で無料将棋教室を主宰している。
プロ棋士で、指導棋士6段の男性だ。
たまたまFacebookで私を見つけ、
友だち申請してきた。
ある日、私がブログに将棋の記事を掲載し、
師匠の名前を記したところ、彼の目に留まって
メッセージが送られてきた。
私が将棋を趣味としていることを
知らなかったようなのだが、それより
なんでも私の師匠は、
奨励会時代の後輩に当たるらしい。
そんなきっかけで、将棋教室で行われる
第1回目の大会への誘いを受けた。

私自身は、2〜3年ほど前に、近所の教会を借りて
囲碁好きの知人と一緒に、囲碁・将棋教室を始めた。
囲碁は参加者がほとんどなかったため、現在は
将棋教室として、月に1度だが細々と続けている。
まあ、私が師範なので程度は知れたものだが。

知人の義父に当たる方で、自称「将棋キチガイ」
という高齢の方なのだが、ずっと参加してくれている。
なので、その男性と二人一緒に将棋大会に申し込んだ。
当日は10人ほどの参加で、一番強い人が
2段に近い初段ということだった。
思ったより時間がかかり、最終的には
その初段の方との決勝戦はなかったが、同率の場合は
年長者のポイントが上ということで、
私が優勝し、金メダルをいただいた。
この歳になっても、優勝金メダルというのは嬉しいものだ。
ちなみに、同行した「将棋キチガイ」の先輩は銅メダルだった。

そのとき、1級の男性と対戦したのだが、序盤で
受けを誤ってしまい、攻め込まれてから
なんとか逆転の辛勝だった。

昨日、その将棋教室に「将棋キチガイ」の
先輩と車で出発した。
その彼は、20歳近く年下の私を「先輩、先輩」と呼ぶ。
困ったものだが仕方がない。
で、東名川崎インターから高速に入ったら延々と渋滞。
目指す厚木インターまで
渋滞1時間だというので、やむを得ず
遙か手前の市が尾インターで出て、246を走った。

結局、1時間遅れて到着し、運転時間は2時間だった。
少し休憩することができたので、ひと息ついた。
で、対戦相手は以前の大会で手こずった1級の男性。
どうも集中力を維持できず、致命的な見逃し2回で惨敗。
リベンジで、今度は私が先手で対戦。
慎重に指したので、自玉は安泰で見事に
相手の銀矢倉を崩した・・・はずなのに、
寄せきれず、またまたおかしな勘違いで大逆転負け。
悔しいというより、脳内回線がどうにかしてしまって、
つまり、「将棋脳」が低下してしまったことを実感した。
やはり毎日、あたかもスポーツ選手が筋トレをするように、
こつこつと詰め将棋を解き、将棋ソフトと対戦しないと
確実に退化することが実証されてしまった。

帰路、助手席の先輩は疲労の色濃い私を慰めてくれた。
「いやあ、先輩、長時間の運転の疲れのせいですよ」
「そうか後輩、ありがとよ」といえればいいのだが、
先輩から先輩と呼ばれる後輩は、苦笑しながら
246を渋谷方向にひた走った。

一日経ったが、まだ最終局面が目に焼き付いている。
あそこは玉頭に歩を打つのではなく、下段から香車だった。
そうすれば、1六桂馬の王手は避けられ、寄せ切れたはずだ。
こうやって、将棋というのは少しずつ上達するのだろう。

そんなわけで、今日もまたお気楽な曲を聴いてしまっている。



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by hirune-neko | 2013-09-15 21:50 | Comments(0)



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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