昼寝ネコの雑記帳

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一年ぶりの北海道・・・老母の介護

Astor Piazzolla
Susana Lago, Miguel Angel Sola - Vals del regreso



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ピアソラは、ワルツの曲をほんの数曲しか作っていない。
その中の一曲で貴重な曲だ。
調べたら、ソラナス監督映画作品「ガルデルの亡命」で
使用されているようだ。この映画は観ているのだが、
音楽は記憶に無かった・・・今さらの新発見だ。

先週、19日の日曜日に札幌に着き、母の住まいへ。
早速その日の深夜、隣室の母が悲鳴を上げた。
飛び起きて行ってみると、うつぶせに床に倒れている。
ベッドに上がり損ない、転落して痛めている手を
床に付いたので、手首が痛いと訴える。
どうしていいのか分からず立ち尽くす私に
母は、なんとかしろと命じる。
どうすればいいのか聞くと、お腹に手を回して
引き上げろというのでトライした。
「こんなぶっといお腹じゃ、手が回らないよ」
それでもなんとか手を回し、引き上げようとすると
言われてすぐできるような重さではない。
「介護を要求するんなら、ちゃんとやせて
デブ体型を改善しなさいよ」
痛さに唸りながら、笑い転げる母。

そんな訳で、翌日は予定していた
呼吸器と循環器の検診以外に整形外科にも
診察してもらうことになった。
待ち時間がかなり長いことを予測して、
鞄にパソコンや充電池などを詰め込んだので
あちこち車椅子を押して移動するうちに
こちらの腰と足首も悲鳴を上げ始めた。

これは序の口だった。
4泊5日の同居生活だったが、結局は
右手がギプスでまったく使用できず、
左足首もすっかり腫れてしまい自力歩行不能。
おまけに着替えを手伝うと、モタモタするなと
檄を飛ばされ、テキパキすると痛いと文句を言われ・・・。
キレてはいけない、キレてはいけない・・・
と、いつも呪文のように自分に言い聞かせたが
一度、どうしようもなく厳しく説教してしまった。

来年のペースメーカーの定期検査まで、
果たして生きているのだろうか。
このままだと心残りなので、なるべく温厚になり
喧嘩別れは避けようと、必死の自制の毎日だった。

最終日は室蘭に一泊し、仕事を終えて新千歳空港へ。
搭乗前に様子を聞こうと電話したら、何人もの知人が
集まっているという。38度以上熱があり、身動きで
できないとHさんが電話で訴える。
受話器を取り上げた母は、
「この人はいつもオーバーに言う人だから」
オーバーだろうがコートだろうが、母が入院するのなら
人任せにして帰ることはできないので、空港で待機し
診察結果を知らせるよう、周りの人にお願いした。
 *注意:母に関する表現は、読者サービスのため
  結構オーバーに脚色していますので、ご了承ください。
  誰かからここに書かれている内容を聞いたら、
  母が激怒しますのでご協力ください。
  実際には、なかなかの歌人でいい作品を残しており
  心優しい、品性豊かな女性なのです・・・この一節は
  最も思い切って脚色してしまいました。


結果的に入院は避けられたため、最終便で羽田へ。
いやあ、本当に久しぶりに疲れた日々だった。
でも、収穫もあった。

デザイナーの方と仕事の打ち合わせで、森林公園駅前の
マルシェという喫茶店で会ったのだが、そこのスコーンが
すこぶる美味しかった。老母は食欲が失せてしまい、
食べられなくなっていたのだが、買って帰ったら
丸ごとスコーンを食べることができた。
喫茶店の店名はフランス語で、店内にはアコーディオン演奏の
シャンソンが流れる、洒落た店だった。
店主の女性は「あれこれうるさい客だ」と思っていても顔に出さず、
丁寧に接客してくれた。エレガントな女性だった。

室蘭で泊まったホテルから数分の所に
リストランテ・カリーナというイタリアンを見つけた。
移転開業一年目らしく、新築の独立店舗で、
粋な雰囲気が寛げる。
伊達(北海道・伊達紋別)産地鶏のソテーのランチを選んだ。
サラダとデザートのフルーツケーキ、いずれも美味しかった。
首都圏で出店しても全然遜色ないと思う。
店内のスクリーンでは「ローマの休日」を放映し、
イタリア語の歌が流れる・・・知ってる曲は一曲もなし。
次に室蘭に行ったら、是非立ち寄りたいと思っている。

一年前から室蘭市長に採用して欲しい案件があり
ずっと機を窺っていたのだが、過密なスケジュールにも
かかわらず、10分間の時間を割いてくれた。
予想に反して、非常に乗り気になってくれた様子で
楽しみが増えた。もっとも、事前に関係者の方が
ちゃんと丁寧に説明し、面会の段取りをつけてくれたから
実現したものであり、私の力ではない。
その足で室蘭民報社を訪ね、役員の方にお会いできた。
市長に提案した案件が実行に移された場合の
記事化のお願いだったが、とても協力的だった。

北海道とは関係ないのだが、コロンビアのEl bohemioさんが
ピアソラのファンクラブがあるとの情報を伝えてくれた。
へえ、と思って調べてみたら、どうやらアルゼンチンが本拠のようで
スペイン語で何やら書かれており、チンプンカンプン。
でも、図々しく入会申請したら、ほんの数分で許可が出た。
ああ、これではますますスペイン語を勉強しなくては。

大変なこともあるが、誰だって経験していることだし、
とにかく、前向きに考えて進んでいこうと考えている。

ピアソラのワルツ作品は、チキリン・デ・バチンは別として
少し意外なのだが、ブエノス・アイレスのマリアで使われている
Poema Valseado(ワルツによる詩)などのワルツと比較しても、
この曲は曲想が明るい。
映画のどのシーンで使われたのか覚えていないが、
ピアソラの、知らない一面と出会えたようで、嬉しく思う。

さて、今年の後半は、北海道から東北にかけての
仕事で忙しくなりそうな予兆があるので、
母にもちゃんと健康管理をするように言わなくては。
個人的には、親子といえどもすでに
老老介護に近い状態なのだから。


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by hirune-neko | 2013-05-26 22:09 | Comments(13)

中国製かと思ったら、英国製なんだね

RP British Accent Training Part One


尻ポケットに入れて使う、二つ折りの財布を止めて、
いわゆるスーツの内ポケットに入れて使う
二つ折りの「長財布」にしようと考えた。
年々カードの種類が増えて、管理も取り扱いも
大変になってきたからだ。
使用中の財布は、二つ折りにして尻ポケットに
入れると、カードの枚数が多いので、
パンパンに膨れあがり、肝心なカードの1枚が
「血圧」ならぬ「ケツ圧」で、割れてしまったことがある。

引き出しの中を探したら、革製の黒い財布が出てきた。
おそらくは20年ほど前、ヨーロッパからの便の
機内販売で購入したものだと思う。
当時はかなり頻繁に飛行機に乗っており、
パスポートとトラベラーズチェックが必需品で、
少し幅は広いものの、便利に使っていた。
開いてみたら、カード用のポケットが
4枚分しかない。これじゃあどうしようもない。

なので今日、横浜・元町の治療院に行く途中
東急ハンズに寄ってみた。
デパートに較べ、とても品揃えの幅が広いのに驚いた。
ひとつひとつ全てを手に取って調べたが、ほとんどに
ジッパー付きの収納部分が付いており、気に入らない。
最もカードポケットの多い長財布にもジッパーがついており、
妥協するしかなさそうだ。
値段から考えて、中国製だろうと思ったが、確認せずに
購入し、帰宅して箱から出してみた。
説明カードが1枚入っており、
「英国職人100年の歴史と矜持」と印刷されている。
へえ、革なめし工場は英国で、製造工場は中国か?
だがまあ、そこまで追求するのは止めた。

開いた両側にカードポケットがそれぞれ6枚分あり、
合計12枚。さらに、ジッパー付きスペースの裏側に
隠れるように、4枚分の合計16ポケットが付いている。
今使用中のは13ポケットなので、やはり
使い勝手が良さそうで、すこぶる嬉しい。

英国から輸入したなめし革・・・なんとなく
英国アクセントの英語を聞いてみたくなった。

初めてロンドンを訪れ、タクシーに乗った瞬間、
頭を抱え込んでしまった。
運転手の話す言葉が、何語か分からず、
そのうち、どうやら英語らしいのだが、どこの国の
人間なんだろう?と考えるようになった。
でもそれが、コックニーというのかブリティッシュ・アクセント
というのか、ヒギンズ教授とイライザの会話を思い出し、
すっかり自信を喪失したのを覚えている。

さて、これから新しい財布にカードを収納し
快適なカード環境を作ろうと思っている。
パスポートのサイズも小さくなってきたようだし、
今どき、海外でトラベラーズチェックを使う人なんて
激減していると思うのだが、旧き佳き時代の
骨董品みたいな財布とも、お別れすることになりそうだ。
読者の方で、何かに利用したい方がいらっしゃったら
送料当方負担の無料でお譲りするので、お申し出くだされ。
そんなに使用していないので、人前でも十分大丈夫である。

普段、買い物には全く興味がないし、
欲しいと思うものは、せいぜいコンピュータ周辺機器
ぐらいのものなのだが、今日だけは
ショッピングが楽しく思われた。
東急ハンズは、鞄類も種類が豊富で、お勧めの店である。
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by hirune-neko | 2013-05-15 00:39 | 現実的なお話し | Comments(0)

62歳のミーハーな男性

Charles Aznavour chante
Mon emouvant amour 1995 - Carnegie Hall


「62歳のミーハーな男性」だなんて
・・・耳にしただけで気色が悪いと思う。

昨日、El bohemioさんが、ご自身のFacebookで
「いいね」をされていた動画を観たら、
なんと、シャルル・アズナヴールがシェアしているものだった。
冗談だろうと思ったのだが、本物だった。

彼の作品「ラ・ボエーム」の、フランス語の出だしは
「昔、二十歳だったころ」で始まり、昔懐かしい場所を
久しぶりに訪れ、懐古する歌だ。
初めてアズナヴールの歌を聴いたのは、
かれこれ40年前に遡る。
高校生の頃から、ジャズ一辺倒だった私には
とても新鮮な曲想だった。
そして、おそらくは、思い出深い街を訪れると、
この歌のように、ほろ苦く、甘酸っぱい思い出が
甦る年齢になったのだと思う。

そこまでで止めておけば良かった。
なのに何を思ったのか、アズナブールに
「友だち申請」をすることを思い立ってしまった。

製本所の帰路、車を運転しながら、どんな切り口で
友だち申請しようかと、英文の文章を
あれこれ考えていた。フランス語では無理なので。
そうだ! かつて自分自身のブログで
アズナヴールの歌を何回か紹介していたっけ。
その記事を探して併記し、熱意を伝え、
「友だちになってくれれば大変光栄に思います」
とかなんとか書いてみようと、そう考えた。

表題の曲は「Mon emouvant amour」。
国際聾唖者年に因んで作られ、来日して歌った作品だ。
邦題は「声のない恋」となっている。
つまり、耳の不自由な女性との、切ない恋を
歌にしたもののようだ。
昨年の8月にブログで紹介しているのを見つけた。

さあ、準備万端だ。
ここまで来たら、もう引き返すことはできない。
早速、Facebookの彼の名前「Charles Aznavour」を
クリックした。おお、出たぞ出たぞ。
さて、友だち申請ボタンを探さなくては。
・・・ん?・・・どこにあるんだろう?

結局、友だち申請ボタンは見つけられなかった。
冷静に考えてみたら、ある訳がないのだ。
世界中のファンから一斉にメッセージが届いたら、
朝から晩まで返事を書いても、時間が足りる訳がない。
ああ、なんて浅はかでミーハーな私だったのだろう。

62歳の男性であっても、時と場合によっては
ミーハーになれるのだという、大発見をした
記念すべき一日だった。
読者の皆さんには、大変気色の悪い話題で
とても申し訳なかったと反省している。
・・・そうでもないか。

最後にチラッとしか映らないが、
アズナヴールの陰で歌っている女性は、
確か彼のお嬢さんだったはずだ。
二人並ぶと、お嬢さんの方がずっと長身だ。
・・・まあ、そんなことはどうでもいいことだが。
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by hirune-neko | 2013-05-09 21:04 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(12)

創作イメージ「続・絵のない絵本」〜眠りから覚めた少女

Astor Piazzolla - Asleep - Kronos Quartet


創作イメージ「続・絵のない絵本」〜眠りから覚めた少女

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一週間後の朝。
晴れ渡った空と相模湾の水平線は遠くで重なり合い、
その境目を見分けることは難しかった。

老絵本作家は、まだ眠りこけている白毛のネコに
声をかけたが、ネコは一瞬眼を開き、
迷惑そうな表情でまた眠りについた。

編集者からメールが届いていた。
いつもは事務的な数行のメールなのに、
今日のは、やけに長い。

「先生、すっかりご無沙汰しておりますが、
お変わりありませんでしょうか。
にゃんちゃんもお元気ですか?
済みません、お名前を失念しました(苦笑)。

昨年、作画の依頼をお引き受けし、
コンタクトした女の子からメールが届きました。
ずっと意識が戻らないと聞いていましたので
とても驚きました。
とりあえず、そのまま先生に転送しますので
お読みください。その上で
どのように対応すればいいのかを、ご指示ください。

c0115242_113641.jpg


(メールのコピー開始)
編集者様

去年、絵本の絵を描いてほしいと、
わざわざ病院まで来てくださり、有難うございました。
一週間ほど前、お預かりしていた資料を、母から渡されました。
もう一年も前のことですので、すでにこの絵本は
どなたかの絵で出版されていると思います。
でも、とても不思議な感じがしましたので
忘れないうちにメールを送ります。

すぐにメールを送りたかったのですが、
先生から、脳波検査やいろいろ調べて、
それと、体力がまだまだ快復していないので
しばらく休養してからにしなさいと言われました。

一年間も意識がなかったなんて、信じられません。
でも、鏡を見たらまるで別人でした。
少しだけ長い夢の中で過ごして目が覚めた、
そんな感じなんです。

夢の中で、私は独りでした。
暗い森の中を、出口を探して歩いていたんです。
昼間も太陽の光が届かず、いつも暗くて
ひんやりしていました。
ときどき、フクロウの鳴き声が聞こえましたが
姿は見えませんでした。
すぐ近くで、オオカミみたいな動物の気配がして
とても怖いんですが、泣くことも
叫ぶこともできないんです。

すぐ後ろに何かの気配を感じ、振り向きました。
身体が凍り付いて動くことができませんでした。
そこには、緑色のドラゴンが立っていたんです。
しばらく向き合ったままでしたが、
優しい眼をしていることに気付きました。
「怖がらないでいいよ、ぼくが守ってあげるね」
えっ?人間の言葉を話すんだ。
不思議な出会いでしたが、
わたしたち、すっかりお友だちになりました。
怖いオオカミが襲って来なかったのは、
きっと、このドラゴンが
ずっと守ってくれてたからなんだと、
そう思いました。

「どこから来たの?この森に、人間は来ないよ」
「わたしにも分からないの。気がついたら
この森を歩いていたの」
「じゃあ道に迷ったのかな。で、どこに行きたいの?」
「・・・。」
そういえば、わたしはどこに行きたいんだろう。
なんて答えていいのか、分かりませんでした。
「じゃあ一緒に探してあげるから
行きたいところを見つけようね」

森の道は細く、途中に分かれ道がありました。
振り向くと、ドラゴンは言いました。
「どっちに行けばいいかは、自分の心に聞いて、
感じるままに進んだらいいんだよ」
分かれ道で立ち止まると、ドラゴンは
いつも同じように言いました。

ある所で、大きな不思議な木が目に留まりました。
木の枝には、たくさんの実がなっているんです。
大きさがまちまちで、色合いもさまざまでした。
近くで確かめたいと思い、近づいていきました。
よく見ると、それは果物の実ではなく、絵本だったんです。
ドラゴンが教えてくれました。
この木は「絵本の木」と呼ばれて、森の中には
この一本しか生えていないんだそうです。
木が、いろいろな物語を考えて、作り終わると
枝に絵本が生えて来るんですって。
なんて不思議な木なんだろう。
わたしはすっかり、この森が好きになりました。

ドラゴンは言いました。
「木の幹に近づいて、両手を当ててごらん」
言われたとおりにしました。
すると、木の枝から一冊の絵本が地面に落ちました。
「この木はね、一番必要だと思う絵本を選んで
こうしてプレゼントしてくれるんだよ。
さあ、その絵本はもうきみのものなんだよ」
わたしは木に向かって、ぺこんとお辞儀すると
近くの切り株に座って、絵本を開きました。
小さい頃から読んでいた絵本とは違いました。
普通の紙ではなく、不思議な手触りでした。

物語は、今まで読んだことのない
不思議な内容でした。
一気に読み終えることができました。
ドラゴンに感想を伝えようとしたのですが
姿が見当たりませんでした。
急に心細くなったのですが、そのとき
ネコの鳴き声がしました。いつの間にか
目の前に、全身が白い毛のネコが座っていたんです。

ネコは、森の奥に向かって歩き始めました。
立ち止まって振り返り、わたしを呼んでいます。
見回してもドラゴンの姿は見えません。
なので、ネコのあとをついていくことにしました。

しばらく歩くと、暗い森なのに
とても明るい場所が見えました。
近づくと、大きな木が光っているんです。
枝が輝いていて眩しいんです。
ネコは、木の根元でわたしを待っています。
とても眩しいので、下を向きながら
そっと木の幹に近づきました。
すると突然、とっても眠くなりました。
ああ、そういえばわたしは疲れていたんだなと、
そのまま、暖かい木にもたれかかり、
深い眠りに落ちていきました。

どれぐらい寝ていたのか分かりませんが、
目が覚めても、すっきりしませんでした。
自分がどこにいるのか、理解できないんです。
でも、そこは病院のベッドでした。
どうして病院にいるのか、不思議でした。

わたしは、ずっと意識がなかったんですね。
説明されてとても驚きました。
じゃあ、ドラゴンも不思議な木も
白いネコも、みんな夢の中のことだったんだと
そう思いました。

何日かして、すっかり落ち着いたのを確認して、
母から封筒を手渡されました。
中には編集者の方からの手紙と、
絵が印刷されていない絵本が入っていました。

絵本の文章を読み始めて、
頭の中が混乱してしまいました。
だって、夢の中で大きな絵本の木からもらった
あの絵本の内容と、そっくり同じだったんです。

なので、わたしの経験した不思議なできごとを
編集者の方にも、お知らせしたいと思ったんです。
本屋さんで絵本を買ってきてもらいますので
なんていうタイトルなのか、教えてください。
是非、読んでみたいんです。
(メールのコピー終了)

先生、実に不可思議なお話しですね。
こんなことが現実に起きるんですね。
ここまでお待ちになったのですから、
個人的には、この少女画家の快復を待って
絵の依頼をした方がいいと思っています。
ご指示をお待ちしておりますので、
ご検討を宜しくお願いいたします。

  *  *  *  *  *

編集者からのメールは、ここで終わっていた。

老絵本作家は、ネコの視線を感じた。
「お前がこの子を連れ戻してくれたのか?」
白毛のネコは、得意そうな表情で返事をすると、
また眠そうな顔であくびし、眠りについた。

彼は、心深くに静かな感銘を覚え、
それが両眼から溢れているのを感じた。

水平線は、空の色より幾分濃くなっていた。
老絵本作家は立ち上がると、窓を開けた。
柚の香りが、部屋中に拡がるのを感じた。
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by hirune-neko | 2013-05-08 11:36 | 心の中のできごと | Comments(0)

創作イメージ「絵のない絵本」

Maria de Buenos Aires, Poema Valseado(Piazzolla)


遠く水平線を見下ろす古びた家に
年老いた絵本作家が、
全身白い毛の老ネコと一緒に住んでいた。

たくさんの読者が、
彼の書く絵本を楽しみにしているので
出版するとすぐに、本屋の棚は品切れになる。
なので、編集者はいつも原稿依頼をしたのだが
今はもう、どこの出版社からも
連絡が途絶えてしまった。

彼は気が向かないと一行も書かなかった。
鮮明なイメージが思い浮かばないと、
決して書こうとはしなかった。
それと、どんなに有名で売れっ子の画家でも
絵心が気に入らないと、契約書に署名しなかった。
どれだけ高額の原稿料を申し出られても、
彼はお金のために、原稿を書くことはなかった。

なので、いつしか編集者の足も遠のき
「生きた化石」が、彼の代名詞になってしまった。

彼は、書くことを止めたわけではなかった。
得心のいく物語が、すでにできあがっており、
あとは、絵を描いてもらうだけだった。

あるとき偶然目にした絵が、彼の目を捉えた。
感性がはじけ溢れ、汚れのない心の中から
生み出されるその絵は、まるで自分がイメージし
文章にした世界そのものを、絵で表現していると感じた。
名もない若い女性のようだが、彼には十分だった。
老絵本作家はこの出会いに感謝した。

かつての編集者に原稿を渡し、絵のページと表紙を
白紙のまま、絵本の形に印刷し製本するよう依頼した。
編集者は久しぶりに新刊絵本が誕生することを喜び、
快く依頼を引き受けてくれた。
何度も物語を読み返し、あの若い女性画家に
絵を依頼する手配も、編集者に託した。

数日後、編集者から思いがけない報告を受けた。
画家は入院中だというのだ。
聞くと、ある日突然、意識を失って昏睡状態になり、
最悪の事態は避けられたものの、今でも意識が戻らず
絵を描ける状態ではないという。
編集者は、別の画家の推薦リストを送ってきたが
老絵本作家は見向きもしなかった。

医学的には難しくても奇跡が起こって、
ある日突然意識が回復するかもしれない。
そんな淡い期待感を消し去ることができず、
去年は、クリスマスまで待ってみようと考えた。
しかし奇跡などは起こらず、新年を迎えてしまった。

やはり無理なのだろう。
失意の中で決心がつかないまま、とうとう
去年の春から、ちょうど一年が経った。

老作家は、本棚に手を伸ばし、
絵の部分だけが白紙の「絵のない絵本」を
手に取ってページをめくった。
言葉も交わしたことのない、病床の画家のことを
想像してみた。
根拠は何もないのだが、彼女がある日
何かのきっかけで突然意識を取り戻し、
会話ができるようになるのではないか、
そんな予感を完全に消し去ることができなかった。

今年のクリスまで、もう一度待ってみよう。
そう考えると、気持ちの整理がついた。

彼は窓越しに見慣れた水平線を眺めた。
立ち上がり、窓を開けたそのとき、
庭先に植えられた柚の木から
ほのかな香りが、部屋中に拡がるのを感じた。

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by hirune-neko | 2013-05-06 02:53 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

Family Intelligence

Brian Freemantle: The Saigon Mission


元々、読書量は少ない方なのだが
不摂生から眼底出血を経験した、約7年前からは
視力が極端に低下し、本を読む時間が失われた。
度の強い眼鏡で細かい字を読むのは、実に疲れる。
しかし、知識を補強する必要性はずっと感じていた。

幸運なことに、ステーブ・ジョブズは遺産を残してくれた。
iPadは文字通り、身体の一部となり、とくに音楽再生の
必需品となっている。
さらに幸運なことに、ePubという電子書籍の形式が
日本語にも対応しているようで、縦組みの書式でも
文章を読むことができるようになった。
しかも、文字の拡大縮小が自在であり、PDFと違って
いちいちスクロールせずに、固定画面で読めるので
疲労も抑えられ、とても重宝している。
最近は、眼の状態も徐々に改善し、今では
amazon.comからkindle版の書籍をダウンロードし、
iPadに保存して、好きなときに読めるようになった。
おかげで、眼鏡なしでも読書が可能になり、
その気になれば、読書量を飛躍的に増やせる
恵まれた環境が整った。

掲載した動画は、英国のスパイ小説作家である
ブライアン・フリーマントルが、ベトナム戦争によって
たくさん発生した「孤児」に対して、何かをしている
説明のようで、彼自らが出演している珍しいものだ。
残念ながら英国アクセントだということもあり
内容を正確に把握できない。

ブライアン・フリーマントルには
「チャーリー・マフィン・シリーズ」と呼ばれる
一連の作品があり、主人公のチャーリー・マフィンは、
英国情報部MI6の一員で、風采の上がらない外見、
そして外見に似つかわしくない切れ者という設定だ。
記憶に間違いがなければ、ブライアン・フリーマントルは
外交官とジャーナリストの経歴を持つため
作品中で描写される背景や心理描写にリアリティがある。

前置きが長くなってしまったが、どこの国にも存在する
情報部の中枢の仕事は「インテリジェンス」なのだろう。
この「インテリジェンス」という言葉は、日本語でもまだ
適訳が与えられていないようであり、したがって
情報の分析手法について書かれた入門書を読んでも、
ほとんどが横文字で説明されている。いずれにしても、
普通、「インテリジェンス」を必要とするのは
軍事、政治、企業なのだろうと思う。

私が名誉編集長として働いている出版社は、
これまでに小さいお子さんを持つ「家庭」に
オリジナルの絵本を供給し続けており、
おそらくそろそろ累計で、25,000のご家庭に
手が届く頃だと思う。
それら、小さいお子さんを抱える家庭が、
自然災害や人為的災害に直面し、右往左往しないよう
事前に適切な情報を提供したいと、いつのころからか
漠然と考えるようになった。
非常事態には、通信、物流、電気、ガス、水道などの
インフラが崩壊する可能性が高いからだ。

何年か前に意を決し「A Strophe Cat Club」
(ア・ストロフィー・キャット・クラブ)という
看板を掲げ、出版社のサイトの一部を借りて、
細々と情報発信を始めた。
A Strophe Catの元々の言葉は、Catastrophe
(カタストロフィ)すなわち「崩壊」を意味する単語であり、
並べ替えてみただけの造語に過ぎない。

確認してみたら、2008年頃から種まきが始まり、
2011年の3.11の大震災発生時に、結局は能書きだけで
何もできていなかったことに失意し、2012年6月で
再起のための一時的休止を宣言している。
方向性は決して間違っていないと、今でも考えている。
ただ、ずっと長年の間、理念と理屈だけが先行し、
情報収集と分析という基本的な方法論も知らず、
まるで学生のような青二才感覚だったなと反省している。

なので、今はiPadにダウンロードされている
「インテリジェンス」関係の専門家が書いた本を
1冊ずつ基本から読み始めている。
「Family Intelligence」というのは、そのまま
家庭を取り巻く様々な危険要因の発生を予測し、
事前にどのように準備し、対応すればいいかの
分析結果を提言することが根底にある。
予算ゼロ、スタッフゼロ・・・あるのは使命感と情熱だけ。

気の遠くなるような、遠大な構想に思えるかもしれないが、
幸いに最近は、これまでタブーとされてきた
中国や韓国に対して不利となる情報も、一部の
マスコミが取り上げるようになってきた。
家庭向けのインテリジェンスなので、健康被害が懸念される、
例えば中国からの輸入農畜産物情報を含め、
できるだけ正確な情報を収集・分析して
「現代社会におけるサバイバル・スキル」を
高めるお手伝いができるといいなと、そう思っている。

ブライアン・フリーマントル作品の邦訳は、
当時はほとんどが新潮社から出版されていたが
おそらく紙の本は絶版なのではないだろうか。
動画を観ると、ブライアン・フリーマントル作品の大半が
電子書籍で出版されているようだ。
今さら英語の不勉強を反省しても遅いが、
せめてチャーリー・マフィンシリーズだけでもダウンロードして、
いつもiPadと一緒に持ち歩きたいと思っている。

*保留中の「A Strophe Cat Club」
(ア・ストロフィー・キャット・クラブ)のページは
削除せずに、閲覧はできるようにしています。
まだまだ実体のない情報ではありますが
何を考えているのかエッセンスは、感じていただけると
思っています。興味がおありでしたら、お越しください。
ただし、入会申し込みは受け付けていませんので
ご了承ください。
A Strophe Cat Clubの掲載ページ
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by hirune-neko | 2013-05-03 14:54 | 現実的なお話し | Comments(0)

川崎郷土・市民劇「大いなる家族」観劇記

Julia Zenko Chiquilín de Bachín


川崎郷土・市民劇「大いなる家族」の初日公演を観劇した。

ホールの入り口で手渡されたプログラムには
一切目を通さず、先入観のない状態で席に着いた。

登場人物は決して少なくはなく、
異なる色彩の何本もの糸が、悲喜こもごもに絡み合い
時代に翻弄されながら、再出発という名の
到着点に至るストーリーだ。

緊迫感溢れる空襲のシーンから始まるが、
音響と照明が終始、舞台の雰囲気を支えていた。
舞台は二重構造になっており、上層では
この作品の軸ともいうべき「沖縄舞踊」の
様々なシーンが演じられる。

登場人物は、それぞれに過去を背負い、
同時に未来を失いながら、葛藤と向き合う。
演じている、という領域を超えて、それぞれが
登場人物を忠実に再現しているという印象だった。
演出家の冴えを感じる。

いつもながら、小川信夫作品に特有の、社会的視点、
弱者へのいたわりの視線を感じ、共感を覚えた。
さらに、ともすれば争点になりがちな歴史や
社会構造に対する見解、そして人間の生き方にも
多様性があることを明示しており、救いだった。
重い悔悟と葛藤を抱える登場人物の台詞で示唆した、
現代人の生き方に対するメッセージは、
まさに規格化され、主体性を喪失したかのような
一般市民に対する、ある種の警鐘とも受け取れた。

観劇中、意識下にイメージが浮かんだ。
社会構造は、本来は単純なものだと思うのだが、
単純化しようとする過程の水面下で、事態が複雑化されている。
また、人間は誰しもがいくつもの選択肢と葛藤を抱え、
錯綜した一定期間を過ごすものの、最終的には
単純化されたライフスタイルを希求するようになる。

終戦直後と違い、現代社会に生きる人は、物質的には
ほぼ満たされており、極端な飢餓や生命の危機に
直面する人は少ないと思う。
その半面、マスメディアの垂れ流す情報に対し
疑念を抱く人の絶対数が増え、国際情勢にも
不安感が増大している。
なかなか困難なことだとは思うが、台詞に込められた
「人間個人として主体的に生きるべきだ」
というメッセージを、改めて反芻している。
人によって、この作品から受け取るメッセージは異なると思う。
私には、人生そして社会との関わりについて
考えさせられる作品だった。

休憩時間に、隣の席で観劇していた娘から注意を受けた。
「どうして静かに観劇できないの?」
気付かなかったが、どうやら時々咳払いをしたらしい。
「年齢相応に身体もあちこち老化してるからね」
「ずいぶん歳をとったんだね」
・・・当たり前だろう?自分の歳を考えてみなよ、
と言いたがったが、苦笑してそれで会話は終わった。

・公演資料
 東日本大震災復興祈願 川崎・しんゆり芸術祭
 第4回 川崎郷土・市民劇
 大いなる家族〜戦後川崎ものがたり
 作・小川信夫 演出・杉本孝司
 多摩市民館 2日(木)19:00 3日(金・祝)14:00 
 4日(土・祝)14:00
 川崎市教育文化会館 24日(金)19:00 25日(土)14:00 
 26日(日)14:00
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by hirune-neko | 2013-05-03 00:59 | 創作への道 | Comments(4)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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