昼寝ネコの雑記帳

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また突然やってきたクレモンティーヌ

Clementine Ponyo ANIMENTINE


「おじさん、ずいぶん調子が悪そうね」
「あん?なんだクレモンティーヌか」
「なんだはないでしょ?心配してやって来たのに」
「ああ、ありがとよ」
「病院、行ってないんでしょ!だめねえ」
「うん・・・ところでお前、ずいぶんおしゃれになったなあ。
ようやく恋人ができたのか?」
「相変わらず女性に対するデリカシーがないのね、おじさんは。
恋人なんて、もう何人も袖にしてるわよ・・・
それより、どんな症状なの?」
「鼻水が止まらず、くしゃみの連発、眼がショボくて涙が溢れ、
身体がザワつく・・・ってとこかな」
「睡眠は取れてるから大丈夫だと思うけど、
『萩の月』とか、調子に乗って甘いものばかり
食べちゃ駄目よ!」
「げっ!お前、なんでそんなことまで知ってんの?」
「忘れたの?おじさんは24時間監視されてんのよ!」
「ああ、そうだったな」
「最近は品行方正になってきたから
監視態勢の効果があったって、議長も喜んでたのに。
おじさん、監視されてるっていう自覚があるの?」
「そんなもん、すぐに忘れてるよ」
「監視レポートが回覧されて、恥をかくのは私なんだから、
お願いだからちゃんとしてね」
「へえ〜、ドゥーヴィルにも恥の文化なんてあるのかい?」
「いくらジャポンが、アジアのはじっこだからって
恥の文化は日本だけの専売特許じゃないのよ」
「クレモンティーヌも、しゃれを言うようになったんだな。
お前の日本語はなかなか達者なもんだ。感心だよ」
「おじさん、あと何日ごろごろしてる気?」
「ごろごろなんてしていないよ。いつだって
毎晩夜中まで働いてたんだから」
「おじさん?本当に仕事だけ?」
「あっ、そうだったな。監視されてたんだ。
いや、将棋はね、頭のトレーニングなんだよ。
最近は『実践詰め将棋』に凝っててさ」
「おじさん、将棋の話しは分かったわ。
あのね、昼寝ネコ世界最高会議では、
おじさんが、いつになったら行動を開始するかって
評議員のみんなが、やきもきしてんのよ」
「行動?なんの行動だったっけ?」
「あらいやだ、おじさん本当に憶えてないの?」

クレモンティーヌはいつだって災害みたいに
忘れた頃にやって来て、あれこれ小言を言うんだから。
ネコのくせに、日本に来るときは人間の格好で、
しかもすっかり若作りで来るんだもの・・・。
でもまあ、姪ネコとは言っても、娘みたいなもんだから
あけすけに小言を言うが、それがまた心地いい。

さてと、日本における昼寝ネコのミッションは・・・?
本当になんだっけ?すっかり平和ボケしたようだ。
それと、連日あれこれ処理案件が増えているので
視野が狭まっているのかもしれない。
昼寝ネコ世界最高会議に寄せられた
世界中のネコ情報を分析した結果、ここ1〜2年のうちに
非常事態に対応するサポートシステムを構築するように・・・
とくに、防諜システムが脆弱で、外国の工作員が
多数潜伏し、活動している日本での構築を急ぐように・・・
確かそんな内容だったように思う。確かそうだった。

やれやれ、クレモンティーヌがやって来ると
決まって督促なんだもの、かなわないや。
いや、別にサボっていた訳ではないんだよ。
ちゃんと基本プランはできているさ。
あとは、表面にでることなく、舞台裏から
コントロールできるよう、人選中なんだよ。
人知れず、そっとね。

あれこれ守備範囲が広いものだから
慎重に人選してるんだよ。

「おじさん!」
「なんだお前、まだいたのか」
「するべきことをしていても、
ちゃんと報告書を出さなきゃだめでしょ?」
「だってお前、24時間監視してるんじゃないのか?」
「監視してるって言ったって、おじさんの頭の中までは
見ることできないじゃないの」
「はいはい、分かりましたよ」
「『はい』は1回でいいの。
後の『はい』はクソ喰らえっていうでしょ?」
「げっ、お前すごい日本語を知ってるんだな」

とまあ、こんな風にお互いに言いたいことを言い合って、
知らないうちにクレモンティーヌはいなくなった。
おそらく今頃は、浅草に行って浅草寺の境内に足を伸ばし
梅園であんみつを食べるか、あるいは雷おこしを
食べながら、スカイツリーに行ってみようかどうか
迷っているのだと思う。

ドゥーヴィルの岬の、海を見下ろす部屋で
いつもシャミナードの「Meditation」を弾いていた
クレモンティーヌの母親が脳裏に甦る。
クレモンティーヌを生んで、すぐに急逝したが・・・。
クレモンティーヌという名前は、産んですぐに
彼女が決めたんだった。
・・・独り残されたあの時の私は、
まるで死にながら生きている廃人だった。
子どものいない夫婦にクレモンティーヌを預け、
何も考えずに貨物船にもぐり込んだのは憶えている。
船が横浜に寄港したとき、下船しようと思ったのは
偶然だったのかどうか、今でも判然としない。

初めてドゥーヴィルに行ったときのことを
ときどき思い出すことがある。
生きる気力を失った私は、自分の存在を喪失できる場所を求め、
気がついたらドゥーヴィルの海岸で・・・
避暑客など誰もいなくなり、ひっそりしたドゥーヴィルの海岸で
すっかり思考力を失い、海辺を見つめていた私に
話しかけてきたのが、クレモンティーヌの母だった。
ロシアンブルーの、とてもエキゾチックな、
そして吸い寄せられるような、エメラルドグリーンの瞳だった。

「おじさん、何を黄昏れてんの?」
「げっ!なんだ、クレモンティーヌか。
帰ったんじゃなかったのか?」
「うん、帰るつもりだったんだけど、
梅園に行ったら『でかどら焼き』があったの。
これって、食べると将棋が強くなるって、
おじさん言ってたわよね。別名ドラえもん特製の
『どこでも王手どら焼き』だって」
「・・・」
「おじさん、まだ眼がショボいのね。
かわいそうに、すっかり涙目ね」
「・・・」

私はクレモンティーヌに頼んで
ネコの姿に戻ってもらった。
「変なおじさん。なんか変ね」、と言いながら
クレモンティーヌは、人間の女性から、ネコに変貌した。
ロシアンブルーで、眼の色はエメラルドグリーンだった。
すると突然、どこからともなく、来る日も来る日も
クレモンティーヌの母親が毎日弾いていた
シャミナードのMeditationのメロディーが
聞こえてきたような気がした。

私の涙目が、さらに悪化したのは言うまでもない。

Meditation, Chaminade

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by hirune-neko | 2013-03-30 00:47 | 現実的なお話し | Comments(0)

おっかなびっくり、ボナンザと対戦

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将棋ソフト「ボナンザ」について調べたら
Ivystar というサイトに、以下のような記述がありました。

 先日、各メディアでも話題になってご存じの方も多いと思いますが、
プロの将棋棋士の米長邦雄氏とコンピューターの将棋ソフト
「Bonanza(ボナンザ)」が将棋対決を行い、
プロ棋士が敗北したことが報じられました。
 (Ivystar)

ちょっと待ち時間があったので、対戦してみました。
ボナンザのレベルには8段階あります。
初心者、初級、中級、上級、特級、特上級、最上級、極です。
冗談で、一番強い「極」と対戦してみました。
何手まで持ちこたえられるか、という興味本位からです。
掲示した対戦図は、38手目までです。
私が先手で、穴熊を宣言したところ、ボナンザが
端を突いてきました。
この直前に、こちらから角道を開けて
角交換したところ、2二同玉でしたので
すかさず、7七に角を打ちました。
相手が角を持っていますので、角打ちを警戒し
次の手を考えていたのですが、電話で中断しました。
用件が済んで、これから製本屋さんに行き、
その後はレンタカーを借りて、倉庫の荷物移動です。

このまま私が惨敗する様子実況したかったのですが
残念ながら、ここまでで投了します。
本当はボタンで1手ずつ動く対戦模様を
掲載したかったのですが、私にはそこまでの
技術がありません。
一度教えてもらったのですが、結局できませんでした。

ネット将棋スクールの同門の
涼暮さんのブログのようにしたいのですが
なかなかできません。
涼暮さんの将棋ブログは見事なもので、
いつもプロと飛車落ちで対戦した棋譜を
動画で掲載し、再現しています。
将棋な好きな方は、ご覧になってください。
 (涼暮の将棋な日々)

現在、4Dのマスターと、QuarkからePubへの
変換という、私にはとても難しい課題を抱えており、
将棋ブログにまで手を伸ばす余裕がありません。
まあ、気長に構えて、そのうち
「動く将棋対戦記録」を掲載したいと思います。
・・・でも、涼暮さん、ここを見にいらっしゃったら
少し同情して、またやり方を教えてくれませんか?
と、控え目なお願いでした。
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by hirune-neko | 2013-03-28 15:36 | Comments(0)

そういえば・・・そうかな?

Eliane Elias - "Time Alone"


こうしてブログが書けるって、幸せなことだなと
改めて痛感しています。
疲れすぎても書く気力が起きないし、
忙しすぎても、そんな気になれないし。
まあ、ほどほどのところで書いているんでしょう。
・・・ほどほど?

そういえば、どんなときに
ブログを書く気分になっているのか、考えてみました。
少し現実から離れたかったり、
現実を斜め方向から見ていたり。
日常生活では、圧倒的に仕事時間が長いので
より迅速に、かつ正確に処理することを目指しています。
でも、ひどい時って、同時にいくつもの案件が
処理中に、あるいは処理しようと思った矢先に
重なってきてしまうんですね。

返信が必要なメールにはフラグを立て、
スケジュールが増えるとgoogle calendarに記入し、
クレームや問合せの電話には、全てを中断して対応し、
というのが日常的な情景です。
でも、時には本当に、メモするのがやっとのタイミングで
次の案件が発生し、その最中に何か起きてしまい、
結局、あとで処理しようと思っていた案件が
見事に忘れ去られてしまったことが、何度かあります。

今日は比較的時間に余裕がありました。

夕方近くに自宅にかかってきた電話があり、
会社で取りました。
出るといきなり高齢の女性の声でした。
「あのう、そちらは、どちらですか?」
はっ?なんだこりゃ?
「電気屋さんではないですか?」
「いえ、こちらは個人宅ですが」
「あ、そうですか・・・あのテレビが見えなくなりまして」
忙しいときだったらおそらく、お間違えですから
良く番号を確認して電話してくださいね、と
そこまでいうのが手一杯だっただろうと思います。
とてもしどろもどろでしたから、なぜか
もう少しお話しを聞いて上げようと思いました。

その女性は生活保護を受けており、役所から
テレビを支給されているのだけれど、それが
急に映らなくなったというのです。
事情が理解できましたので、
代わりに区役所に問い合わせるために
名前、電話番号、住所を教えてもらいました。
私の住まいとほぼ同じ場所のようでした。
「ひょっとして、お茶屋さんの通りを入った
突き当たりにお住まいですか?」

数年前にご主人に先立たれ、独り暮らしの女性です。
ときどき道ですれ違う程度で知り合いではないのですが、
高齢でしたので気にかかり、何度か声をかけていました。
何か必要なことがあったら、遠慮なく電話してください、と
電話番号を書いたメモを、家内が手渡していました。
ずいぶん前のことです。
突然テレビが映らなくなり、あちこちに電話したけれど
要領を得なかったので、そのメモを見て
電話してきたというのが、ことの次第のようです。

電話したものの、高津区役所から総務省のデジサポなんとかを
紹介され、事情を話すと今度は地デジチューナー
支援なんとかセンターを案内されました。
いわれてみればその通りなんですが、
そのおばあさんの部屋だけが映らないのか、
アパートの他の部屋でも映らないかが分からないと
原因を特定するのが難しいというのです。

おばあさんに電話で経緯を報告し、近所の方に
様子を聞くよう勧めたのですが、どうも外に出るのが
億劫のようでした。じゃあ、私が行くしかないのです。
不在者が多く、1階は全滅でしたが、2階の3番目の
ドアをノックすると、若い男性が出てくれました。
事情を話したところ、ケーブルテレビを視聴している
その部屋で、今日、突然テレビが映らなくなったというのです。
1階のリフォームをしていた業者が、ケーブルを外したまま
帰ってしまったのが原因らしいということが分かりました。
その足で、1階の一番奥のおばあさんを訪ねました。
経緯を説明すると、安堵の表情を浮かべました。

高齢になり、外出しなくなると、メールやインターネット、
あるいは読書や音楽鑑賞、将棋などの趣味がないと
テレビやラジオが唯一の対話相手になります。
同居している義母を見ていて、それがよく分かります。
数日かかるかもしれませんが、おばあさんの部屋の
テレビは、間もなく復旧すると思います。

以前は、ただの顔見知りでしたが、今度はおばあさんも
経緯が経緯ですから、すっかり私に気を許してくれたのではと
そんな気がしています。
今日が、処理案件に忙殺された日ではなくて
良かったなと、改めて思い返しています。
おばあさんとは、クモの糸よりも細い線での
つながりだったと思います。
でも、高齢で独り暮らしの方が、何か必要なときに
電話できる相手が近くにいると思えるだけでも
少しは安心なのではないかと、私も嬉しく思っています。

で、段々親しくなってみたら、おばあさんがかつては
プロの女流棋士だったことが分かり、
全然歯が立たなくて、弟子入りしたなんていうことに
なるかもしれないんです。
人生なんて、どこで何が起こるか分かりません。
それが人生というものなんでしょうね、きっと。
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by hirune-neko | 2013-03-22 22:53 | 心の中のできごと | Comments(10)

自己との対話〜自己分析と逃れの世界

Bill Evans The Peacocks


幼児期の体験は、忘れ去ったことばかりだが
きっと、感性が形成される過程で、
幼児期の体験や印象というものが
自分の内壁面にこびりつき、後々に影響を及ぼし続けて
今日に至っているのではないかと、
最近になってそう思うようになった。

おそらく30年は経っていると思うが
ある頃から、自分が客観的にどう映るのかに
興味を憶え、適当に選んでカウンセリングを受けてみた。
あるときはゲシュタルト療法とかいう名称で
女性カウンセラーだった。
数度通ってみたが
「何も問題はありません。疲れているだけでしょう」
と言われた。

あるときは、精神科医の極めて専門家らしい
男性のカウンセラーだった。
なぜ専門家だと感じたのか・・・
ずっと聞き役に徹し、一切意見を言わなかったからだ。
そこは一度行っただけだった。

またあるときは、新聞広告で見つけ
ちょっと遠かったが行ってみた。
女性カウンセラーだった。
明らかに勉強を始めたばかりの
俄かカウンセラ−だと思ったが、
仕方がない。話しに付き合うことにした。
「これまでの人生で、嫌だった経験を話してください」
はっ?嫌な経験?・・・そんなに嫌だったら
いつまでも憶えていたくないから
とっくに忘れているさ。
「そうですね・・・
あれは私が小学校低学年のころでしたが・・・」
嫌な経験を思い出すというのは、当然
結構嫌なものだと思ったが、話し始めた。
ほぼ言い尽くした頃、女性カウンセラーは言った。
「それはもの凄い、深刻なトラウマですよ」
はっ?トラウマ?・・・深く考えなかった言葉だった。
調べてみたら、トラウマは英語でもTrauma。
フランス語ではtraumatisme。
最後の言葉がまた良かった。
「わたし、嫌なことを思い出させてしまいましたね」
だって、最初にそれを言えって命じたじゃないの。

それ以来、カウンセリングを受けるのを止めた。
人間の内面を理解するなんて、そう簡単なことではない。
そう結論づけてしまった。

仕事で、アメリカ・オレゴン州のポートランドに滞在した。
初めて行く街だったが、歴史を感じさせる街並みだった。
思ったより仕事が早く片付いたので
現地の新聞を、興味本位で拡げた。
目に飛び込んだのは「ジェンダー・カウンセラー」
というタイトルだった。
好奇心で電話をしてみたら、当日の予約は受けないという。
旅行者なので、明日は出発だと言うと、受け付けてくれた。
おそらくは60歳代後半の女性だった。
もともとは通常のカウンセラーだったが、
市からの依頼で、いわゆる「性同一性障害」の
カウンセリングを引き受けているという。
幼児期の影響で「性同一性障害」が引き起こされる
という考え方に接したが、参考になった。
その後、商談先のポートランドの会社は
英国の同業企業に買収され、それっきり
ポートランドには行っていない。

あれやこれやは、ずっと忘れていた。
だが、最近ふとしたことから、突然
その俄かカウンセラーとのやりとりを思い出した。

母方の祖父は、太宰治とほぼ同世代で太宰と同じ菩提寺だった。
津軽の金木村(当時)出身で、なかなか優秀だったらしく
後に室蘭の日本製鋼所という会社で、30代の工場長だったらしい。
母の言うことなので、確認はしていないが
とにかく仕事ができて部下の人望も厚く、
多趣味な人間だったそうだ。
その祖父は、仕事上の過労から健康を害し
39歳で他界した。早世とはこのことだ。
昨年、その金木を訪ね、偶然に「津島家別邸」を
初めて訪れた。
太宰が作品を書いたという和室に通され
太宰が愛用したという火鉢に手を触れてみた。
案内人の方にお願いし、しばらく独りにしてもらった。
なかなか感慨深い時間だった。

父方の祖父とは同居していたので
記憶が鮮明だ。
50歳前にはすでに仕事をせず、
毎日家でごろごろしていた。
無類の酒好きであり、横にはいつも
日本酒の一升瓶があったように思う。
夜になると、ほぼ毎日、やはり酒好きの弟が来て
時には近所の酒好きも加わり、酒宴が始まる。
お決まりなのは、ささいなことで口論になり
グラスを叩きつけて割るのに始まり、
最後はお膳をひっくり返す。
床中に日本酒がこぼれて拡がり
酒臭さが部屋中に充満する。

父は、親に何も言えない人間だった。
毎晩繰り広げられる、そんな「非人間的」な光景は
おそらく幼い私自身の中で、
徐々に拒絶感として充満したのだろう。
ある頃から、どのようにしたらその喧噪を止められるか、
そればかりを考えるようになった。
おそらく、小学校低学年の頃だったと思うのだが
そんな年齢の知恵では、短絡的な手段しか
思い浮かばなかった。
玄関に立てかけてある野球用の木製のバットで
後頭部を力一杯スィングしたら、
それで終止符を打てるのではないかと、そう考えた。
今にして思えば、あれはある種の「殺意」だったのだろう。
なので、あの俄かカウンセラーは、おったまげたのだろう。

ひょっとしたら、新聞沙汰になっていたかもしれない。
もしかしたら、私は少年院に送られて
何年もそこで過ごしたかもしれない。
確かに、大学生の寮に入り、入寮生歓迎コンパで
黄色いプラスチック製のどんぶりに日本酒を注がれ
先輩から強要されたとき、その匂いに強い拒否感を感じた。
「お前は、先輩が勧める酒を呑めないのか」
と凄まれたが、平然としたものだった。
「はい、呑めません」

野蛮な怒声と酒の匂いの中で
ただ机の下に逃げ込み、じっとしているしかなかった。
なので、これはあくまでも推測なのだが、
現実の中に、非現実の世界を作って
そこに逃げ込むこと・・・それが自分を守る
唯一の防御策なのだと、本能に教えられたような気がする。

小さい頃、脇に本を積み上げて
朝から夜まで読み続ける私を見て
母方の祖母は、本気で心配したらしい。
「このままだと頭がおかしくなるから
本を読むのを止めた方がいい」
祖母はそう、母に言ったらしい。
まあ確かに、多少ではあるが、
おかしい頭かもしれない。

旧約聖書の中に「逃れの町」という
言葉があったのを思い出した。
故意にではなく、誤って人を殺した人が逃れ、
かくまわれる町を設けた、という意味だったように思う。
小さな子どもが、精神的な苦痛に耐えかねて
祖父とその弟を撲殺したとしたら、そして
それがもし古代イスラエルでのできごとだったなら、
おそらくは、その「逃れの町」にかくまわれたに違いない。

最近、電話のついでに母にそのことを話したら
受話器の向こうで泣き出されてしまった。

音楽や創作の世界、そしてそこに登場する人物が
今の私にとっての、「逃れの町」なのだろう。
誰が逃れてきてもいい、制約のない
「逃れの町」なのだろうと思っている。
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by hirune-neko | 2013-03-17 16:45 | 心の中のできごと | Comments(0)

読みかけの書評 寒川猫持・著「猫持先生随筆帖」

Liliana Herrero - El viaje (Astor Piazzolla)


「読みかけなのに書評を書くのんか?」、とまあ
そんなに目くじらを立てないでください。

だって・・・三男が速読法をマスターして
先日セミナーを開いたのですが、私の場合は
「ウルトラ超速読法」の元祖であり、
表紙に右手を置いて呪文を唱えるだけで
あら不思議。概要が頭にす〜っと入ってくる・・・
そんな方法を研究中なのですから。
研鑽の甲斐があり、今ではその方法で
書名と著者名だけは、なんとか頭に入るようになりました。
なので、出だしの一ページを読んだだけで
大体のことは判断できるのですよ。

その出だしの一ページ目を
著者の断りなしにご紹介します。


復活の記

「ちょっとアンタ、なんか零(こぼ)したか。
なに零したん、油か」
 六甲の山裾に面した集合住宅の一室で
おばはんが言っている。
おばはんとはわが家の細君、即ち女房のことである。
細君てな柄ではないから、以下おばはんと書く。
女房とも少しく異なる。
「うわ、くっさ。ちゃんと洗えや、もう」
 台所の床を拭くおばはんの怒声が響す。時は深夜なり。
(寒川猫持・著 「猫持先生随筆帖」より転記)

この一ページを読んだだけで、
すっかり嬉しくなってしまいました。
何せわが家の奥方は、いうなれば私の調教師。
なにかあるごとに
「シロちゃんの方が、ずっとお利口でした。
ちゃんと私の言うことをききました」
とまあ、私はペットネコ以下の存在で、小さくなっています。
シロは二年ほど前に他界し、今では私が
その叱責を一身に受けている次第です。
これに娘が加わるともう最悪です。
「おい、ちょっとこれ、台所に持ってってくれるか」
とご依頼申し上げるのですが、
「運動不足なんだから、
それぐらい自分で歩いて行きなさい」
とまあ、父親の悲哀なのです。
卑猥でないだけまだいいのですが・・・。

寒川猫持先生は歌人なので、
言葉遣いにはえらくやかましいのです。
いつぞや私が、確か「サイトに立ち上げる」
という表現をしたところ、それは日本語として
正しい表現ではない、とのご指摘を受けたことがあります。

寒川猫持先生は、その名の通り
ネコ好きな方で、美人ネコと同居中の
羨ましいご身分なのですが、そのネコちゃんが
果たして先生にどんな言葉遣いなのか、
そこまでは聞いていません。
先生は「猫持」で、私は「昼寝ネコ」。
別にネコの品評会で知り合った訳ではなく、
堀川修・指導棋士五段が主宰する
ネット将棋スクールの同門でした。

私の方が先に入門していましたので
スクールでは先輩になりますが、
棋力は先生の方が、遙かに上を行っています。
ひと言で評するなら、緻密にして豪快な棋風です。
何度か対局を観戦させていただきましたが
中盤までを緻密に組み立てながら隙を窺い、
終盤は一気にねじ伏せるというものでした。
私なんかは、師匠の堀川先生と対戦しても
勝ったり負けたり、という程度です。
五分五分という意味ではなく、
師匠が勝ったり私が負けたりですから
まあ、早い話が、まったく歯が立ちません。
先生がまた、将棋盤に復帰されて、
豪快に指されるのを観戦したいなと
楽しみにしています。

さて、話しが迷走してしまいました。
この、寒川猫持先生の新刊「猫持先生随筆帖」は
現在は電子書籍版だけで発刊されているそうです。
私はkindle 版を購入しました。525円です。
amazon.comのkindle storeで購入すると、
登録してあるiPadに自動的にアップロードされます。
なので、どこに行っても、気が向いたときに
先生の随筆帖を読むことができます。
どこでも図書館です。
至極便利な世の中になりました。
その半面、出版社、取次会社、書店にとっては
大きな流れに乗り遅れないよう、手腕が試される
試練の時代になってしまいました。

寒川先生のブログも、なかなか歯切れがいいというか、
良すぎて、辛辣な言葉が飛び交っています。
ブログタイトルは「猫のひとりごと」で
from猫持ちのどこでもドア、と付記されています。
ちなみにURLは、簡潔に
http://nkmc-talk.sblo.jp/ 
ですので、是非一度お訪ねください。

標題の曲は、アルゼンチンの映画監督ソラナスの
作品三部作のひとつ「El viaje(旅)」のテーマで
ピアソラが作曲したものです。
三部作の中では、おそらく一番、日本人のメンタリティに
合っていると、そう思っています。
家族を捨てて、遠くに行ってしまった父親を、
旧い手紙の住所を頼りに、探し求める少年の心情です。
ほぼ南米縦断の展開で、「父を訪ねて何千里」ですね。
とても切ないストーリーでしたが、
この曲もなかなか切なくて、ピアソラらしさが
良く現れていると思います。
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by hirune-neko | 2013-03-15 13:41 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)

3.11荒海での航海・・・流浪の民

Doble Concerto para Bandoneón y Guitarra Astor Piazzolla I. Introducción


視界が開け、車のフロントガラス越しに見た光景は、
・・・すでにがれき処理を終えて「整然」となってはいたものの
凄惨な出来事を想起させるには十分だった。

正確な場所は思い出せないが、
大船渡から気仙沼に向かう途中の、海岸線だったと思う。
海からそう遠くない、6〜7階建てのマンションだと思うが、
金属製の窓枠が、ぐにゃりと曲がっていた。
左側には、墓地があるのだと思って良く見たら
墓石などではなく、上屋を撤去された跡に
整然と残された、基礎石の群れだった。
石は寡黙で何も語らないが、しかし
悲惨な出来事を饒舌に語っていた。

報道では、避難を余儀なくされ
そのまま避難先に留まる人たちが31万人だという。
食べ物と飲み物で、腹は満たされ乾きは癒えるかもしれない。
肉親を失い、住み馴れた郷里を追われ、心に重荷を背負ったまま・・・
失われた時間に思いを馳せている人が、31万人存在する。
静かな叫び声が聞こえ、
暗く重い瞳の色が目に見えるようだ。

終わったことは振り返らない主義だが
こればかりは、どうしても振り返ってしまう。
たとえ街並みが再現されたとしても、
取り戻せないものは過去に存在する。
過去に存在したものは、未来には存在し得ないのか?
そうとは思えない。
修復され、改良された過去こそが、
未来に存在するように思えてならない。
耳を澄まし、心の眼を見開けば、
その未来の光明が、少しずつ明るさを増す。

閉塞感の強い現実生活で、重い過去を背負い
視界の開けない闇の中で道標を失い、
冷たい鉛の部屋に隔絶されたまま
人は朽ち果ててはならない。
善意の使者を通し、まず心の中に灯が点る。
そんな情景が眼に浮かぶ。

私自身は、裸足のまま荒野に立ち尽くし、
方向感覚を失ったまま、すり切れた
空の布袋を背負って途方に暮れている。
眼を凝らすと、遠く地平線の彼方から
何かが姿を現す。
ゆっくりと、徐々に姿を現すのは
古代から現代までを旅している、賢者たち。

賢者たちは意味不明の言葉を語るが、
私の内面はその言葉を理解する。
賢者の言葉には力があり、砂漠を緑に変える。
乾いた砂地が湿り気を得て、瞬く間に清流となる。
呆然とする私は、ときに疲れ果て、ときに飢えるが
その都度、賢者たちの姿を遠い地平線の彼方に見る。
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by hirune-neko | 2013-03-13 01:22 | 心の中のできごと | Comments(9)

娘の全面広告です

waraku photo collection -2010 vol.01


もうじき、娘がブザンソンに行きます。
ブザンソンって、フランスにある都市だそうです。
知りませんでした。

日本のある国立大学と、ブザンソンの大学との
提携プロジェクトがあり、日本文化の授業の一環で
日本舞踊のコースがあるそうです。
娘はそのクラスで、デモンストレーションを舞い、
振り付け助手として、現地の大学院の生徒さんを
教えるそうなんです。実に有難いお仕事です。

生まれたての娘は髪の毛が薄く、
なので私は「はげつるなっちゃん」と呼んでいました。
やがて少し成長し、ん〜どう見ても美人とは言いがたい。
ならば暗示をかけようと考え
「なっちゃんは美人だねぇ」
と、顔を合わせる度に、そう説得しました。
やがて少しずつ言葉を話すようになり、
私と顔を合わせる度に、こう尋ねるようになりました。
「なっちゃん、じびん?」
そうとも。お前はすっかり魔法にかかり、
なかなかの「じびん」に成長したじゃないか。

娘は、私の持つある種の頑迷さを受け継ぎ
すっかり妥協しない性格になってしまいました。
アーティストとしての感性も育ったと思います。

約6年間の舞台人生活を経て退団し、
その後はOLだけでなく、会計事務所の事務員にも。
皿洗いも経験したし、チョコレート工場でも働きました。
でも、目に見えない目標を持ち続け
道なき道を歩み続けるのは、大変だと思います。
・・・まだ現在進行形なのです。

どんな仕事でも、一気に達成できるものではなく
根気強く、意志を持続し、下積みに耐え・・・
いつ終わるか分からない旅であっても
ただひたすら、前進し続けるしかないのだと
そう思います。
・・・とまあ、父親として偉そうにいうだけですが。

いつかもっと視界が開けたときに
それまでの苦労と努力が報われたと、
そう思えるときが来るのではないでしょうか。

標題の動画は、WARAKUという日舞のカンパニーに
所属していたときのもので、これは京王プラザホテルでの
催し物のスナップ写真です。
最初のカットの二人の、向かって左側が、
「じびん」のなっちゃんの近影です。
私の魔法の集大成です。

たまには、娘の応援団としての全面広告でした。
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by hirune-neko | 2013-03-09 12:03 | 創作への道 | Comments(15)

動作確認のための記事です

Diana Krall - Love is where you are


ひっそりとしたFacebookが居心地良さそうなので
昼寝ネコの名前でアカウントを開きました。
google+ は、昼寝ネコの名前での開設を拒否しました。
クレームがあったら、昼寝ネコの名前が載った
公的な資料を送れというので、何紙かの新聞記事を
メールに添付して送っても、また拒否されてしまいました。
なのでgoogle+ は使用していません。

このブログの機能に、記事を投稿したら
自動的にFacebookに転送すると書いてありましたので
アカウントの設定をしてみました。
その動作確認のための記事であり、なんの意味もありません。
悪しからず、ご了承ください。

さあ、果たして本当に自動転記されるのでしょうか。
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by hirune-neko | 2013-03-08 00:09 | 現実的なお話し | Comments(2)

昼下がりのジャズバー

Janice Borla - "Remembering The Rain" (Bill Evans).mov


「昼下がりのジャズバー」

思わず目と耳を疑ってしまった。

Bill EvansのRemembering the Rainに
歌詞をつけて、しかも大ホールで歌っている。

この類いの音楽は、コンサートホールで歌うものではなく
都会のメインストリートを少し外れた、
閑静な住宅街近くで、ひっそりと営業されている、
それも階段を下りた地下で開業されているような、
そんなジャズバーで演奏されるのが似合っている。
そんな先入観と偏見があるため、一瞬驚いた。

薄暗い店の真ん中にはグランドピアノが置かれ、
そのピアノを囲むようにカウンターがある。
スーツ姿のサラリーマン諸氏が、
課長から次長へ昇進できるだろうか、
あるいはヘッドハンターから、他企業への
移籍をもちかけられたか、あるいは
長年のお得意さんを競合相手に取られたか・・・
いろんな葛藤を鎮めるために、
警戒心と張り詰めた緊張感をほぐしに
こんな店にやって来る・・・のではないだろうか。

共通しているのは、自分の人生はこのまま
惰性の流れに委ねたまま進んでいいのだろうか、と
ふと振り返り、そして先を考えてみる。
日本では残念ながら、才能があって独立開業しても
そう簡単には行かないだろう。
結局は現状に妥協し、ときどき独りの世界に逃げ込んで
束の間の安堵感を味わっている。

この女性ヴォーカルは初めてだが、
孤高の物憂げな空間に良く似合う。
それと、このピアノトリオも、名前は知らないが
寛げる演奏だ。

これは内緒の秘密の話しなのだが、
私がこうして仕事時間中に、あれこれ思い巡らし
あるいはボランティア的なことに労力を費やしていても、
不思議な力が働いて、難しい営業を
私に代わってこなしてくれている。
そんなアホな、と思われても、これは厳然たる事実であり
現に、先刻、こうしてブログを更新している最中に
産婦人科を営業対象としている企業の営業マンが、
それも日本のトップクラスの企業の、旧知の営業マンが
電話をかけてきた。
あれこれ打ち合わせて、商談をひとつまとめた。
これが突破口となり、本社扱いで
全国展開される可能性が見込まれる。

人に説明したら、奇人・変人扱いされることは
間違いないのだが、複雑で難解なジグソーパズルを
時間をかけてゆっくりと組み合わせているような感じで
理論と努力だけでは乗り越えられない、
いわば、ある種のインスピレーションなしでは
開くことのできない扉の鍵を、不思議な方法で
与えられていることを実感している。
妄想し、非現実な世界を構築しているのだと思うが
振り返ってみると、妄想は着実に現実化している。

私は、決して人間に傾倒せず、
地位や名声に寄り頼まず、ある種の孤高さを
生きる上でも、仕事上でも基本ポリシーとしている。
世の中の、「仕事ができる」人たちからは
馬鹿にされ、嘲笑の対象になるかもしれないが
プッチーニのボエームで歌われるアリア
「コートの歌」のように、いかなる権力や地位に対しても
卑屈に妥協し、腰をかがめることのない
そんな孤高さが、自分のアイデンティティだと
今さらながら、自分の頑迷さに呆れるとともに
もう一人の自分は、そんな自分に称賛を送っている。

そうなんだ。
私はおそらく、知らないうちに分身しており
一人は机の前で思索を続け、
もう一方の私は、外に出て人の心を動かし
営業マンとして奮闘しているのだろうと
そう考えれば、それなりに辻褄が合うので
そういうことにしておこうと思う。

ここは、昼下がりのジャズバーなどではなく
仕事場の、雑然とした環境のまっただ中なのだが
目に映るのは、昔、時々行ったことのある
そして今はもう存在しない、六本木の
ジャズバーに置かれたピアノであり、
ピアニストの演奏風景である。

今朝届いたメールの宛名を思い出した。
「おじじネコ様」・・・
5歳の孫娘からではない。
30歳になった、実の娘からのメールである。
精神年齢を疑ってしまい、親としての責任を痛感している。
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by hirune-neko | 2013-03-07 16:00 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)

いつまでも、ライムライト

FRANK CHACKSFIELD LIMELIGHT


いつまでも、ライムライト


 新婦と新郎共通の「友人」というカテゴリーで、招待状が送られてきた。どっちとも友人というけれど、新郎とは「友人」以上だったこと、由美子は知らないでしょ。知ってたら、わたしに招待状なんて送るはずないもの。

 「新婦の由美子さんと新郎の哲夫さんは・・・」

 来賓のスピーチが何人も続いている。それにしても、花嫁姿の由美子は輝いて見えるわね、ホント。ああ、二人を正視できないや。いやなわたし。
 司会者が新郎にインタビューしている。
 「はい、僕の視野には、ずっと由美子さんしかいませんでした。こうして純愛が実って嬉しいです。」

 はあ?じゃあわたしは視野の外にいて見えなかったっていうわけ?わたしとのことだけ、突然の記憶喪失で憶えていない?へえ、呆れたもんだ。

 一刻も早く外に出たい気分だった。何か別のことを考えて気を紛らわせなくっちゃ。そうそう、朝方、またあの夢を見たんだ。
 自宅のマンションに面した公園を散歩していたら、ベンチの横に、崩れるように倒れている男性がいる。古びた布製のかばんを抱え、みすぼらしい衣服。ホームレス?それにしては、栗色の長髪で端正な顔立ちだわ。大丈夫かしら。おそるおそるそっと近づいてみると、ほのかにラヴェンダーの香りがする。関わらない方がいい。いやいや、ミッションスクール時代、よく神父様がおっしゃってたわ。「これら最も小さき者にしたことは、すなわち私にしたのであるぞよ」・・・だったかな?
 「あのう、もしもし。大丈夫ですか?」
 返事がなかったら、救急車を呼んであげよう、それで十分だ。
 「Вашу доброту, Спасибо」
 はあ?何語?ひょっとしてロシア語なのかしら。どうしよう。
 「Вашу доброту, Спасибо」
 「いえいえ、いいのよ、そんなこと。」
 あらっ、なんでわたし、ロシア語が分かるのかしら。
 「救急車を呼びましょうか?大丈夫なんですか?」
 「Да, это как-нибудь」
 彼はロシア語で話し、それをわたしは理解できる。わたしが話す日本語を彼は理解し、ロシア語で返事をする。不思議なことだが、まさか夢の中のできごとなどとは夢にも思わず、会話が続く。
 
 少しずつ事情が分かってきた。彼はロシアから亡命して日本にやって来たという。ずっと昔、ロシア革命後に日本に亡命したバレエダンサーの、エリアナ・パブロヴァの妹・ナデジダ・パブロヴァの姪の従姉妹の孫のバレエ仲間の友だちの・・・なんだかややこしくて忘れてしまったが、ロシアでは思うような舞踊活動ができないので、日本に亡命したそうだ。
 ところが現実はバラ色ではなく、お金も底をついてしまい、三日間何も食べていないという。
 結局、その後のやりとりは早送りの映画のように曖昧なのだが、いたく同情したわたしは、とりあえず何か食べさせようと自宅に連れ帰ることにした。一人住まいの女性が、見ず知らずの男性を・・・本当に非現実的な話なのだが、なんのためらいもなく、わたしは行動していた。

 亡くなった母の部屋には小さな台所とバスルームがあり、そこが「暫定的に」彼の住まいとなった。1週間ほど経っただろうか。彼・ウラディミール・ロストロポーヴィッチは・・・あまりに長い名前なので、失礼ながら略称「ウラちゃん」と呼ばせていただくことになり・・・そのウラちゃんは、ぽつりぽつり芸術論を語り始めた。
 かつて、ボリショイ・バレエのプリマだったウラちゃんの母は、英国、フランス、アメリカなど海外公演で華やかな舞台を演じた。その母が、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場公演のときに知り合った照明係を深く愛してしまった。理由?強いていうなら、舞台上の自分を追うスポットライトに、深い愛情を感じたからだという。???そんなことってあるのかしら。でも、後で聞くと、その照影係は舞台上の彼女の美しさに感嘆し、心から真剣に、少しでも美しく見えるようにライトで包んだという。ふ〜ん。
 で、彼女は2週間の公演を終えると、照明ブースにチョコレートの箱を持って、彼に会いに行った。信じられない話だが、会う前から照明係に対し深い恋愛感情を抱いていたらしい。彼女の来訪を受けた照明係の顔には、驚愕の表情が浮かんだ。そりゃそうだ。プリマの女性が、狭くて器械の匂いが充満する照明ブースに、わざわざ自分を訪ねてくるんだもの。
 結局、次の公演に旅立つ前の数日を、二人は一緒に過ごすことになった。J・F・ケネディ空港から、シャルル・ド・ゴール空港に向かう機内から、彼女は眼下にセントラルパークを探したが、大西洋のどんよりと暗い色しか見えなかった。

     *     *     *     *

 パリ公演を終えてモスクワに戻り、しばしの休暇があった。自分の身体にかすかな異変を感じた彼女は、検査の結果、妊娠を告げられた。
 ためらわず彼女は、バレエ団を追われても子どもを産む決心をした。それは大きなスキャンダルだった。
 やがて彼女は、実家のある小さな町でウラちゃんを産み、ひっそりと暮らしていた。
 小さなバレエ教室で薄給の教師をする母のレッスンを、何年もスタジオの隅で見続けたウラちゃんにもやがて才能が芽生え、バレエダンサーの道を歩むことになった。

 結局、ウラちゃんの母は、照明係について多くを語らなかった。ウラちゃんも子ども心に、母親の暗い記憶には触れないようにしていた。
 やがて母も亡くなり、ウラちゃんはいつしか古典的なバレエ音楽という枠の中で踊ることに、違和感を持ち始めるようになっていった。欧米の現代音楽に着想を得て創作に挑んだが、ロシアでは受け入れられなかった。政治的に自由主義の影響を受けてたいたこともあり、失望のどん底で、ウラちゃんはかつてのパブロヴァ姉妹のように亡命を決意し、日本に渡った。
 ウラちゃんの話を聞くうちに、わたしはすっかり同調し、力になってやりたいと思うようになった。そんなある夜、ウラちゃんは突然言い出した。
 「Приходите и танцевать со мной, пожалуйста!」
 「えっ?何を勘違いしてるの?わたしは、バレエは観るのが好きなだけで、踊ったことはないのよ。あなたのパートナーだなんて、とんでもないわ。」
 「Не волнуйтесь. Это то, что балет Dance чувствительности.!」
 「バレエは感性で踊るだなんて、そんな話、聞いたことないわ。」

 じゃあ、形だけお付き合いする、ということになり、わたしはウラちゃんにバレエの基礎から習うハメになってしまった。母のために作った歩行用の手すりがそのままバーになり、ウラちゃんバレエのレッスンが始まったのだ。ダンサーとして見ると、彼はまるで青ざめたヒョウとでも表現できるような、身体自体が作品といってよかった。
 彼はわたしの踊る姿を見て、何度もこういった。
 「Вы больше похожи на волшебных весна озеро Байкал!」
 春のバイカル湖の妖精って?バイカル湖なんて行ったことがないから、まるでイメージ湧かないわよ。でも、そういわれてみるとまんざらでもないわね。テニスと乗馬に励んだせいかしらね。

 何ヶ月経っただろうか。ウラちゃんはいつの間にか谷桃子さんと連絡をとっていたらしく、実験的な発表の場を設けることになったという。唖然とするわたしにお構いなく、彼は準備を進めた。バレエ雑誌だけでなく、著名な雑誌にも見出しが躍っていた。
 「亡命ロシア人貴公子、パブロヴァの再来か」
 「歴史に翻弄され続けた芸術家の魂」
 「ニューヨークでの劇的な出会いと別離、悲劇のボリショイ・プリマ」
 そしてこうだ。
 「弁護士事務所秘書、バレエダンサーへ転身」
 公演は、谷桃子バレエスタジオの一角を借りて行うことになった。日に日に緊張が高まった。時間は容赦なく過ぎ去り、とうとう公演の日がやってきた。
 わたしは改めて、鏡に映る自分の姿を見た。見事に変身していた。一言で表現するなら、青白きジゼル、かな。

 開演10分前。ウラちゃんが控え室に迎えに来る。いよいよだ。もう後には退けない。ウラちゃんは上手で、わたは下手で待機する。音楽が始まる一瞬を待つわたしたち。

 「それでは、新郎・新婦が出口で皆さまをお見送りしますので、どうぞ祝福のメッセージをよろしくお願いいたします。」 司会者の声で現実に引き戻された。そうなのだ。夢はいつも決まって、そこで終わる。一体この同じ夢を何度見たことだろうか。
 えっ?お見送り?どんな顔でなんていおうか。由美子には「お幸せに!」、哲夫には、そうだなあ、正直いうと「くたばっちまえ」だわよ。

 結局、大人のわたしはにこやかに「お幸せに」といって披露宴会場を後にした。ちょっとだけ哲夫をにらみつけたけどね。

     *     *     *     *

 どうやら夕べは神経がクタクタで、死んだように眠りこけたようだ。初秋の朝はまだ完全に日が射してはいなかった。でも、なぜか突然人生を生き直そうという衝動を感じて、散歩に出ることにした。

 人間には、自分を守るために、忘れる能力が備わっている。誰かがそういっていた。ああ、わたしが自分でいったんだっけ?

 犬を連れて散歩する人たちが多い。犬でも飼おうかな?コーギー?ビーグル?それともヨーキー?
 植え込みの角を曲がると、夢で見慣れたベンチがあり、そこに人が崩れるように倒れて・・・おいおい。本当に人が倒れているよ。えっ?これまた夢なの?あれってまたウラちゃん?夢と現実のいずれなのか判然としないまま、わたしはベンチに近づいて行った。
 古びた布製のかばん・・・じゃなく革製の高級そうな大きなかばん。一応はスーツだし、身なりはそんなにひどくはないや。でもやっぱり普通にホームレス?栗色の長髪で端正な顔立ち・・・?げっ?ずいぶん髪の毛が薄い人だよ。大丈夫かしら。おそるおそるそっと近づいてみると、ほのかにオロナミンCみたいな匂いが漂っている。この人、酔っぱらって寝込んだのかな?推定年齢60歳近く。どう見ても青ざめたヒョウではないぞ。黄ばんだメタボ・フグっていう感じだな。
 どうやら関わらない方がよさそうだ。あらいやだ、また思い出しちゃった。神父様のお言葉。「これら最も小さき者にしたことは、すなわち私にしたのであるぞよ」
 「あのう、もしもし。大丈夫ですか?」
 返事がなかったら、救急車を呼ぼう。
 「ん?何か?」
 「はあ、いえ、どこかお加減が悪いのかと思いまして」。
 「ああ、それはご親切にありがとうございます。」
 「いえいえ、余計なお節介で失礼しました。」

 「ところで、つかぬことを伺いますが、お嬢さん。」
 「は?」
 「今日は西暦何年の何月何日でしょうか?」
 なんだこの人。
 「2009年10月10日ですけど。」
 「そうですか。2009年10月10日。」
 「あのう、もしかして未来からタイムスリップしてきたとか?それとも亡命者?」
 「えっ?いやいや、そんなんじゃありません。

 わたしって、好奇心が強い女なのかしら。ついつい気になってあれこれ訊いてしまって、最初は面倒くさそうに口が重かったおじさんも、徐々にことの成り行きを話すようになった。

 数十年来の親友が事業を始め、その保証人になったのだが、倒産してしまったため、弁済義務が生じたとのこと。手持ちの証券も暴落して価値が下がっており、差し押さえられた自宅不動産も下落。結局すべてを手放して弁済しなければならなくなり、何も残らなかったらしい。
 自宅で細々と続けていた翻訳の仕事も継続できなくなり、クレジットカードも利用停止。お子さんたちは海外に移住しているが、心配をかけたくないので連絡していないという。奥さんはすでに病死し、兄弟もいないそうだ。
 突然の環境の変化で、頭も心身も切り替えができず、とりあえず公園でぼんやりしていたらしい。お金も底をついてしまい、三日間何も食べていないというから、またまたいたく同情したわたしは、とりあえず何か食べさせようと、おじさんを自宅に連れ帰ることにした。一人住まいの女性が、見ず知らずの男性を・・・まあ父親みたいな年齢だからあまり人目は気にならないが、結局なんのためらいもなく、わたしは行動していた。

 亡くなった母の部屋には小さな台所とバスルームがあるので丁度よかった。とりあえずゆっくりして、今後のことを考えればいいじゃない。
 このおじさんなら、突然バレエのパートナーになってくれだなんていうわけないし、でもまあちょっぴり残念ではあるかな?
 わたしはあまり料理が得意じゃないけど、飢えをしのぐ程度の食事は作れるさ。訊くとおじさんは永年の糖尿病でカロリー制限があるというので、家庭料理しかできないといったら、とても喜んでくれた。

 まことに奇妙な同居生活が始まった。同棲生活と書ければ、少しはロマンチックなのだろうが、まるで捨てられた老犬を拾ってきて世話をしているようなイメージだった。

     *     *     *     *

 おじさんは、あまり自分の身の上話をしなかった。でも、アメリカの企業の依頼で、日本のマスコミで報道されている政治や経済のニュースを分析し、レポートを送る。どうやらそんな仕事だったらしい。でも、経済的に破綻したことを知った途端に契約が打ち切られたそうだ。そんな特技があるのなら、また何か仕事ができそうなものだが、今ひとつ情熱が持てないので、とにかく生きるために何か仕事をするしかないだろうといっていた。
 私が仕事から帰ると、おじさんは台所の洗いものや掃除を几帳面にやってくれていた。いくらなんでも、ずっと居候はできないし、一宿一飯の恩義もあるので何かやらせてほしいというから、わたしも考えてみた。
 あまり友だちもいないし、勤務先が英国系の法律事務所だから、私的な話もまったくしない。じゃあ、わたしの話の聞き役になってくれる?おじさんは笑って快諾した。

 最初は政治のこと、中東情勢、国際政治から始まった。いきなり個人的な話題もどうかと思ったので、事務所で見聞きした国際政治の動向を何気なく訊いてみたのだが、的確な説明をしてくれたのには驚いた。

 思い切って夢の話をしてみた。亡命ロシア人の青ざめたヒョウの話だ。おじさんは黙って聞いていたが、とても興味深そうだった。決して、フロイトがどうとかいう分析話をするわけでもなく、ひたすら話を聞いてくれた。
 わたしは次第次第に、人にはいえないようなことも話していた。父が生きていた頃、とても面と向かって話せなかったようなことも話すことができた。そのせいなのだろうか、ずっと睡眠障害だと思っていたのに、朝まで熟睡できるようになった。
 夜遅く帰宅しても、部屋は暖かく明るかった。わたしを優しく迎え入れてくれる空間が、そこにあった。最初は戸惑ったが、次第に習慣化し、心待ちにするわたしがいた。

 その夜、おじさんは音楽が聴きたいといって、かばんからCDを取り出した。ピアソラのタンゴだけど、一緒に踊ってほしいという。
 「はあ?わたしタンゴなんて踊ったことないですよ。」
 ただ黙って組んでくれればいいというので、従った。ピアソラって、リベルタンゴぐらいは知ってたけど、これは初めてだ。
 おじさんは、わたしを円の中心にするように、足を運び、身体を移動している。ああ、おじさん何かを思い出している。今はその思い出の中に浸っている。
 「まるでトイラムイラみたいだ」
 おじさんは突然言葉を発した。
 「なんていったの?ポルトガル語?」
 「トイラムイラ・・・逆にいうと、ライムライト。」
 「・・・ああ、チャップリンの?」
 「そう。若いバレエダンサーが、失望のあまり生きる気力を失うのなら絵になるけど、私のような老コメディアンが職と住まいを失い、こうして若いお嬢さんに助けられるなんて、サマにならないね。」
 曲が終わった。いい曲だった。なんていう曲か訊こうと思ったが、自分の世界に閉じこもっているように感じたので遠慮した。

     *     *     *     *

 次の日、事務所はちょっとしたお祭り騒ぎだった。ヨーロッパから日本に進出することになった著名な企業三社と、相次いで顧問契約が決まったのだ。忙しさは増すけれど、給料のベースアップと一時金の支払いが発表された。
 珍しく、事務所の秘書仲間何人かに食事に誘われたが、昨晩のおじさんがちょっと沈んでいたのを思い出し、断った。
 電車を降りるまでに、何を買って帰るか決めていた。おじさんが喜びそうなものといったら、多分和菓子だろう。小さいが、古くからある和菓子屋さんに寄って、一緒にお祝いしよう。

 マンションの下から見上げると、いつものように窓に明かりが灯っている。鍵を開けて部屋に入ると、少しひんやりする。あれっ、散歩にでも出かけたのかな?おじさんの部屋をノックしたけど返事がない。ドアを開けて明かりを点けたが、おじさんはいない。あれっ、かばんがない。
 サイドテーブルに何か置いてあるのが目に入った。包みと封筒。何かいやな予感に襲われ、手早く封を切った。手紙だ。

 『親愛なる空子ちゃんへ
 
 見ず知らずの私に、こんなにも親切にしてくださり、心からお礼申し上げます。
 人生、この歳になって路頭に迷うなんて、考えてもみなかったことです。
 再度やり直す気力も失せて、今後のことを考えるのも億劫でした。
 でも、こうして空子ちゃんの心からの親切に接し、
 生きていることへの感謝の気持ちが湧きました。
 生きてさえいれば、いつかきっと生きてて良かったと
 そう思える日も来るように思います。
 お礼とお別れの言葉を直接伝えるのは、とても照れくさいので
 置き手紙で失礼します。

 言葉では表現し尽くせないぐらい、心から感謝しています。
 お元気お過ごしください。
        2009年10月22日          
                      おじさんより』

 突然の喪失感で、感情の整理がつかなかった。
 思い出したように包みを開くと、木製のオルゴールが入っていた。中は空っぽ。無意識にネジを何回か回し、手を離す。

 曲の途中から始まったが、聞き慣れた曲だった。ぎこちない機械音とともに部屋中に響くのは「ライムライト」だった。
 恋人でも愛人でもなんでもない、束の間の同居人で居候。街ですれ違っても、気にも留めないだろう、ただのおじさん。
 おじさんが、腕時計か何か知らないが、最後の持ち物を質屋で換金し、そのなけなしのお金でオルゴールを買った姿が、ふいに目に浮かぶ。
 わたしはその時、人間の感情というものが、目から溢れ出るのだということを初めて知った。心を開いた後の、虚ろに取り残された隙間を埋めることはできなくても、自分の中に心があると感じられる安堵感を、初めて味わった。

 気がつくと、オルゴールは止まっていた。ネジを巻き直し、また聴いた。そしてまた、何度も聴いた。いつまでも、ライムライトを聴いていたかった。   完



-------------------------------------------------
(作品解説)

この作品は、ボランティアでいつも昼寝ネコの絵を描いてくれる
心優しいカトリ〜ヌ・笠井さんに、お礼と感謝の気持ちで
お贈りしたものです。このままだと、いろいろな仕事上の
データに埋もれてしまいそうだったので、ご本人の承諾をいただき
こうして公開することにしました。

カトリ〜ヌ・笠井さんの描くネコには
みな体温があり、個性があり、そして
ぬくもりと心を感じます。
そのネコの絵を観て思い浮かんだストーリーを
短編にまとめたのですが、技術的に未熟なものですから
完成度の低い文章になってしまいました。
もう少し修行して、またカトリ〜ヌ・笠井画伯には
ネコ画の創作をお願いしたいと思っています。
宜しくお願いいたします。
もうちょっと、ましなストーリーを考えますので。
[PR]
by hirune-neko | 2013-03-03 16:55 | 創作への道 | Comments(7)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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