昼寝ネコの雑記帳

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タンゴ・モノローグ「思い出の森」


Astor Piazzolla Asleep
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画・小野耕史

タンゴ・モノローグ「思い出の森」
Tango Monologue "Forest of Memory"
あるいは"Forêt des mémoires" もしくは"Bosque de Memorias"


 古代イスラエルの時代ですから、もうずいぶん昔のお話しです。今でこそ、樹齢を重ねたたくさんの木が生い茂る森になっていますが、当時その一帯は砂漠でした。昼はおそろしく暑く、夜は凍えそうなほど寒い気候でしたから、人はおろか動物も立ち入りませんでした。一本の草も生えていませんでした。

 でも、そんな所にしか住めない人がいたのです。

 かつては両親と子どもたちで、仲良く幸福に暮らしていたのですが、父親が戦争で死んでしまい、三人いた男の子の二人が相次いで伝染病で亡くなってしまいました。一番下の子は、生まれつき知恵が遅れていました。母親は、一人残った一番下の息子を抱え、生活のために毎日働いていたのですが、過労から病気になってしまいました。
 やがて住むところも追い出され、毛布一枚とわずかな食糧と薪だけを持って砂漠に逃れてきたのです。飢えと酷暑、そして凍える寒さの中で、母親はなんとか子どもを守ろうとしましたが、何も方法などなかったのです。
 動くこともつらくなった母親は、暖を取るために残しておいた木片に、毎日心からの願いを刻みました。「この子を守ってください」「この子を飢えから救ってください」「この子に飲み水を与えてください」・・・。
 とうとうわずかな食糧も底をつき、母親は息をしなくなりました。母親のそばには、動かなくなった母親を不思議そうに見つめる男の子と、文字が刻まれた十二の木片だけが残されました。

 毛布にくるまった男の子は、鳥のさえずりで目を覚ましました。不思議なことでした。遙か上空を舞うハゲタカを目にしたことはありましたが、小鳥など見たことがなかったからです。
 男の子は、さらに不思議な光景を目にしました。母親が横たわっていた場所に、いつの間にか木が生えていたからです。しかも、まるで樹齢数百年かと思えるほどの大木で、大きく拡げた枝には青々とした葉が密生し、照りつける暑い陽射しから男の子を守っていました。
 やがて、枝の上の方から何かが砂の上に落ちました。リンゴでした。男の子はすぐさま拾い上げ、口にしました。見上げていると、今度はひとかたまりの干しイチジクが落ちてきました。あるときは、朝露を蓄えた葉から水が流れ、のどを潤すことができました。夜になると、何本もの枝が地上低く下りてきて、たくさんの葉が男の子を寒さから守りました。
 
 母親の姿を追い求めていた男の子は何日か経って、文字が刻まれた十二本の木片が入った布袋を開けました。何が書いてあるか、理解することはできませんでした。
 男の子は、一本を手に取ると大木の北側に少しだけ歩き、砂に垂直に埋めました。何がそうさせたのかは分かりませんが、面白いと思ったのか、今度は南側に少し歩き、もう一本を同じように埋めました。そしてついには、大木を中心に円を描くように十二本の木片を埋め終わりました。

 朝が来ました。男の子は、いつもより騒々しい鳥のさえずりに起こされました。目を開いた男の子は、異様な光景を目にし、しばらく呆然としてしまいました。昨日、砂に埋めた木片が・・・大木とはいえないまでも・・・枝と葉を蓄えた若い樹木に生まれ変わっていたのです。すでにいろいろな種類の果実がたわわに実り、いたるところで朝露を飲むことができました。

 やがて、何人かの賢者が遠くからこの小さな森を目にし、男の子を訪ねてきました。何をどのようにして理解したのか分かりませんが、賢者たちは、砂漠を行き交う隊商たちに小さな森の話しを伝えました。隊商たちは行く先々の村で、この小さな森の話しをしました。
 ある日、生まれて間もない子どもの名前を刻んだ木片を持った母親が、男の子の小さな森にやってきました。そして賢者たちの勧めに従って、砂にその木片を埋めて帰りました。明くる日、半信半疑でやってきたその母親は、自分が埋めた木片が苗木のように、小さな枝を伴って育ち始めているのを目にしました。驚いた母親は、村に戻るとみんなにその話を伝えました。
 またある人は、年老いた両親の名前と感謝の言葉を刻んで、木片を砂に埋めました、同じように翌朝、その木片は苗木に変わっていました。
 このお話しは、噂話のようにあっという間にイスラエル中に広まりました。多くの人たちが、大切な人の名前と、その人への愛情や感謝のメッセージを木片に刻んで、男の子の小さな森を訪れるようになりました。木片はすべて苗木に変わり、成長を続けました。木々の根が地中深くの水分を呼び寄せたのか、いつしか青々とした水の湧くオアシスも生まれたのです。

 やがてイスラエルは、北と南に分裂して互いに戦うようになりましたが、この小さな森・・・いいえ、その頃にはもうすでに大きな森になってしまいましたが・・・だけは別でした。戦闘地域から外れたかのように、ここでは北の国の人々と南の国の人々は争いの気持ちを持たず、一緒に平和なひとときを過ごしました。
 何世紀にもわたって、小さな願いと感謝を込めた木片が埋め続けられ、大きな樹木に成長しました。
 やがて人々はこの森をいつしか「思い出の森」と呼ぶようになりました。

 さて、長い説明になってしまいましたが、このときの賢者たちの血を引く子孫だという人の訪れを受けました。かつての砂漠のように、不安と恐れが広がっている今の時代に「思い出の森」を再現してほしいというのです。えっ?砂漠に森を?なんで?どうやって?
 ・・・必要な知恵を分かち、助け手を送るから「思い出の森」を、というと来訪者は去って行きました。

 これが「思い出の森」のあらましなんです。まさか実際に砂漠を探して植林するわけにもいきません。なので考えました。生来の不精者のわたしが考えそうなことだと笑われるかもしれませんが、ネット上に「思い出の森」を作ることにしました。「文字が刻まれた木片」を現代的に解釈し「グリーティングメモリー」としてお預かりし、森の管理人としてしっかり保管させていただきます。
 希望や願い、愛情や感謝、ねぎらいの気持ちを込めた「グリーティングメモリー」を、「思い出の森」に、そっと植林するお手伝いをさせていただきます。

昼寝ネコ(賢者たちの代理人・そして「思い出の森」の管理人)

(作品の解説)
 数年前から、ピアソラの曲を背景にストーリーを書いて、それも江戸時代の物語として舞いを中心とする物語にしたいという構想があります。ピアソラの曲想と藤沢周平の世界に共通する要素を、感覚的に掘り起こし、舞いは、なんとか拝み倒して娘にお願いしたいと考えています。・・・まったく無視されていますけど。

 最近、コロンビア在住のEl Bohemioさんが、ブログに専門的で貴重なコメントを残してくださるようになり、なんとなくピアソラとオラシオ・フェレールの世界を身近に感じるようになってきました。この二人の共作であるタンゴ・オペラ「ブエノス・アイレスのマリア」は、脚本を書いたオラシオ・フェレール自らが舞台に立ち、ナレーターを務めています。

 いつの頃からか、とりあえずピアソラ作品をお借りして、何かを書いてみたいと思うようになりました。カテゴリーは、題して「タンゴ・モノローグ」です。芝居はしませんが、舞台上で淡々と独りで解説するかのように、ある一つの世界を語る、という構図です。つまり、他にスタッフやキャスト、舞台装置など何も要らない最も簡素な構成です。
 問題は、どんなストーリーをピアソラのどの曲と組み合わせるか、でした。昨年から仕事が異常に忙しく、新たに書くことは時間的に厳しかったものですから、ひたすらピアソラの曲を聴いていました。今晩、横浜・元町の治療院で「酸素カプセル」に入りながらピアソラの曲を絞り込んでいました。で、会社の商品のイメージストーリーとして、2ヶ月ほど前に書き上げた短編と、標題の曲がマッチする、と閃きました。なので早速、恥も外聞もなく公開することにしました。

 今春、近所の教会で恒例の「持ち寄りコンサート」が開かれます。恥のかきついでにエントリーし、ビデオ収録しようかなと・・・そして出来が酷くなければ、You Tubeに公開して世界中に「恥の文化」を発信しようかなと、そこまで決意は固くなっているのです。墓の中のピアソラは、もうすでに諦めの境地であり、どうぞ勝手にしてくださいと思ってくれていればいいのですが。
 それより、身近なところで、カルロス・ガルデルとピアソラのコアなファンでいらっしゃる、El Bohemioさんに愛想を尽かされるかもしれません。でもいいんです。本当の私は、目立たない存在感の薄い人間なのですが、こと創作に関しては、相手がオバマ大統領だろうがエリザベス女王だろうが、一切妥協はしませんので、結果はどうなっても構わないんです。老後の数少ない楽しみなのですから、皆さん、どうかそってしてやってください。
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by hirune-neko | 2013-01-22 00:08 | 創作への道 | Comments(8)

二面指し初体験

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いつも将棋サークルで場所を使わせてくれている教会が
今日は餅つき大会だという。
子どもたちに日本的な羽子板遊びと
将棋をさせたいので・・・と、お呼びがかかった。

あいにくの雪だったが、将棋盤を3枚持っていった。
小学生の男の子たちが寄ってきて
同時に二人の子と対戦した。
男子プロは、多面指しといって同時に
五人や六人を相手に指すことがあるが、
私の場合は、初めて同時に二人を相手にする
二面指しに挑戦した。

あいにく、駒落ち定跡はまったく勉強していないので
初心者の小学生相手に、平手対戦だった。
何度も悪手を指摘して、手を戻し、やり直させた。
序盤の簡単な基本定跡を教え、さらに
終盤の勉強のために、一手詰めと三手詰めを
実際に解かせてみた。
孫が同居でもしていたら、こんな風に
一緒に将棋もできるのに・・・と思ってみた。

先刻、久しぶりに同門の涼暮さんの
将棋ブログを覗いてみた。
彼はもっぱらプロ棋士相手に、飛車落ちで対戦し、
その棋譜をブログで紹介している。
私などと違い、IT関係の仕事の方のようで
ちゃんと動く盤面で棋譜を紹介しているため
とても分かりやすい。
私にはそのような技術がないため、
一度やり方を涼暮さんに教えていただいたが
うまくいかず、そのままになっている。

昨年からDay Oneという電子日記を見つけて購入し
ようやく軌道に乗ってきている。
App Storeで購入し、パソコンで日記を入力するが
iCloud機能により、現在はiMacとiPadの両方で
同期しながら閲覧している。
もちろんiPhoneがあれば携帯電話でも
閲覧できるのだが、携帯はBlackberryを使用のため、
目下は、iMacとiPadで記録を残している。

便利なのは、ブログをアップしたとき、
その日付けにブログのURLを記入しておけば
いつでもブログを読めるという点だ。
それと、記録に残しておきたいメールは
そのままコピーして日記に転記することもできる。
何年前でも遡って記入できるので、
iCloudが物理的に破綻しない限りは
人生の様々な記録として保管できる。
もちろん、画像も貼り付けることができるようだ。

なので、今年は少し将棋の対戦棋譜を
このブログで紹介し、さらに日記からも
WIFI環境のところでは、棋譜も閲覧できるので
自分自身の将棋の記録を残そうかと考えている。
どうせ勉強時間が絶対的に短いので
進歩はのろいのだけれど、挑戦してみたい。

数日前に、師匠の堀川修五段から、
将棋の通信簿が届いた。
ほんの少しは進歩しているように思う。
師匠には、なんとか将棋連盟公認の三段位を
いただき、将棋の普及指導員という資格も
得たいという目標を伝えてある。
あと少しだとか、まだまだだとか
一切のコメントはいただいていない。
師匠の性格からすると、ある日突然
対局後に、「三段はありますよ」と宣告され
晴れて連盟に推薦していただく、という
プロセスになるのだろうと予測している。

掲出した盤面図は、将皇という将棋ソフトの
最高レベルである3と対戦したときの
序盤のスクリーンショットだ。レベル3だと、
かなり初段に近い実力のソフトだと思っている。
私が後手で対戦したのだが、普段は
よほどちゃんと集中していないと、負かされるほど
私にとっては、気の抜けない実力のソフトだ。
ちゃんと集中すれば、まあ負けない自信はある。
この日は、相手がかなり無謀に攻めてきたため、
相手玉の守りが目茶苦茶で駒の連携も最悪状態だった。
でも手強いので、侮らず
最終的には慎重に攻め切って快勝だった。

以前は、「立石流」(たていしりゅう)〜美濃囲いにこだわり
毎回この形で指していたのだが、上級者には
なかなか通用しないことを徐々に悟り、今現在は
美濃囲いではなく、このように穴熊で防御を固め
攻めのバリエーションを柔軟に勉強している。
詰め将棋は主に七手詰めを解いているが、
数分で解けるのは希で、1時間かかっても
解けない問題も多い。

いずれにしても、集中力、記憶力の訓練だと考え
また、趣味でもあることだし、何とか続けたい道楽だ。
なので先ほど、涼暮さんのブログにお邪魔し
観戦の感想と一緒に、ブログ上での
動く棋譜掲出方法をご教授くださいと書いてきた。

いずそのうち、方法をマスターしたら
時にはプロ相手の敗戦記を掲載したいと思う。
ちなみに、下記の盤面図は88手目で
ここから、角と歩だけで攻めるのは辛かったが
自玉が堅固なため、最終的には
と金をいくつも作って寄せきった。
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by hirune-neko | 2013-01-14 22:38 | Comments(4)

少し大人になったような気がします

Quinteto ArgenTango - Tzigane Tango


少しずつ、ピアソラの曲を聴いていますが、
これはピアソラにしては珍しい、明るく陰影の少ない曲です。
Tzigane という言葉の読み方も何語かも分からず、
なので意味も分からなかったため調べたら、
なんとフランス語でした。
ツィガーヌと読み、ジプシーという意味だそうです。
すなわち、ジプシーのタンゴ、ということになります。

連続してピアソラの作品を聴いていて、
こういう曲と遭遇すると、意外に感じると同時に
何かほっとします。
1955年の作曲のようですから、ピアソラが
まだ34歳の時の作品ということになります。

今日は、異常に眠くて、何度も寝入っています。
なので、ここまででアップすることにします。
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by hirune-neko | 2013-01-06 19:58 | 心の中のできごと | Comments(8)

司書が不在の図書館更新記

The Swingle Singers Music Video Piazzolla 'Libertango'


少し前に、サイト上に
「ピアソラ音の出る図書館」を開設した。
会員制で、会員の紹介がないと入会できない
とても閉鎖的な図書館だ。
なので、会員はまだ10人に満たない。

あれこれ調べて、ピアソラの作品、約200曲の
タイトルをリスト化してみた。
YouTubeで1曲ずつ検索し、割といいと思う曲を
選んで、タイトルにリンク付けした。
なので、視聴したい曲のタイトルをクリックすると
どんな曲か視聴できる。
でも、何曲かはどうしても見つからなかった。

一つの組曲がばらばらに標題で表記されていたり、
映画の中の曲がバラバラにリスト化されていたりで
検索作業は思うようなスピードで進まなかった。
でも、一昨日ようやくA〜Zまでの約190曲を
リンクし終えた。

今現在は、ピアソラが作曲を担当したとされる
86の映画動画を探しているが、かなりの数が
いわゆる映画ではなく、ドキュメンタリー記録映画なので
記録が残っていないケースの方が多い。
それに、見つかっても画質や音質が良くなかったり
いくつにも分断されて掲載されていたりで
資料性の点では、残念ながら不満足な状態だ。

でも、ピアソラが好きで、少しでもピアソラの足跡を辿り
体系的に把握したいと考える人には、
参考にしていただけるのではないかと思っている。

*ピアソラ音の出る図書館・説明ページ
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by hirune-neko | 2013-01-02 21:49 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(8)

迷宮からさらに迷宮へ

Astor Piazzolla & Jorge Luis Borges -- El Tango (1965) con Luis Medina Castro


2012年12月31日から、2013年1月1日にかけて
足かけ2年で、ブログ記事に取り組んでいる。

最近、カルロス・ガルデル教の信者を自称する
El Bohemioさん(エル・ボヘミオなのかボエミオなのか
スペイン語の素養のない私には、恐ろしくて
迂闊に発音できない)が・・・この名はスペイン語なのだろうが
プッチーニやアズナブールの曲にある
ラ・ボエームの、いわゆるボヘミアンの方なのだろう。
 *ボヘミアン:アーティスト - 芸術家や作家であるか、
  世間に背を向けた者などで、伝統や習慣にこだわらない
  自由奔放な生活をしている者


私はカルロス・ガルデルについて、名前しか知らないのだが
El Bohemioさんは、ご自分のブログで
カルロス・ガルデルに関する記事を、すっとアップしている。
その上、ピアソラもお好きだとかで、とても詳しい。
昨日、書き込んでくださったコメントを読むと
ピアソラがボルヘスの詩をもとに作曲した作品が
あると書かれていた。
以前もホルヘスの名に触れていたため
少し調べたことがある。
作家であり詩人でもあったようだ。

ピアソラと接点のある芸術家を辿って行くと
際限なく拡がっていきそうで、正直にいうと
少し億劫な気がしている。
しかし、それだけ惹き付けられる何かがあるのも事実だ。

かなり以前、私には難解に思える文章だったため
一切読まなかった松岡正剛氏のブログで
ボルヘスに関する記述を見つけた。
 「オクシモロンという奇妙な修辞法がある。
言葉が互いに矛盾しあう形容性によって
互いに修飾されあう関係になるような修辞法のことをいう。
 ボルヘスにとって『形式と手続きと知識と知覚』は
オクシモロンのようになっている。このことが了解できれば、
ボルヘスをボルヘスにならないで読むことがたのしくなる。
そのかわり、ボルヘスにならないかわり、
われわれ自身の『形式と手続きと知識と知覚』が
オクシモロンのようになる必要がある。
これは、われわれは『ボルヘス』を読むのではなく
『ボルヘスの書物』を読むのだという根本的な
トリックを信仰できるかどうかということにかかってる。」

この人の文章は、読めば読むほど分からなくなる。
まあそれはさておき、どうやらボルヘスの作品も
難解なようだ。音楽だと、感性で聴けるが
文章だと、論理性だけでなく、修辞法だの
比喩的表現だのなんのtいわれてしまうと
それだけで、頭が疲労を感じてしまう。

そんなわけで、どうやら・・・あっ、年が明けた。
2013年になってしまった。
ここ何年もかけて、自分の人生をなるべく
単純化しようと努めてきたのだが、どうやら
人生や社会というのは、それほど単純ではないようで
まあ従前から、錯綜した思考回路のせいで疲労し
昼寝が必要だったのだが、どうやら今年も
昼寝なしで生きるのは難しいかもしれない。

標題の動画の説明はスペイン語なので訳せない。
Google翻訳によれば、以下の意味だそうだ。
とにかく。いつもアホなブログを読みに来てくださる
お利口な皆さんに
A Happy New Year1 2013・・・だ。

(Google翻訳による説明)
1965年に、アストル·ピアソラと
ホルヘ·ルイス·ボルヘスは、"タンゴ"、
ピアソラ五重奏団、エドムンド·リベロと
メディナカストロを含むレコードを作成するために
一緒に参加しました。


El tango

¿Dónde estarán? pregunta la elegía
de quienes ya no son, como si hubiera
una región en que el Ayer, pudiera
ser el Hoy, el Aún, y el Todavía.

¿Dónde estarán? (repito) el malevaje
que fundó en polvorientos callejones
de tierra o en perdidas poblaciones
la secta del cuchillo y del coraje?

¿Dónde estarán aquellos que pasaron,
dejando a la epopeya un episodio,
una fábula al tiempo, y que sin odio,
lucro o pasión de amor se acuchillaron?

Los busco en su leyenda, en la postrera
brasa que, a modo de una vaga rosa,
guarda algo de esa chusma valerosa
de Los Corrales y de Balvanera.

¿Qué oscuros callejones o qué yermo
del otro mundo habitará la dura
sombra de aquel que era una sombra oscura,
Muraña, ese cuchillo de Palermo?

¿Y ese Iberra fatal (de quien los santos
se apiaden) que en un puente de la vía,
mató a su hermano, el Ñato, que debía
más muertes que él, y así igualo los tantos?

Una mitología de puñales
lentamente se anula en el olvido;
Una canción de gesta se ha perdido
entre sórdidas noticias policiales.

Hay otra brasa, otra candente rosa
de la ceniza que los guarda enteros;
ahí están los soberbios cuchilleros
y el peso de la daga silenciosa.

Aunque la daga hostil o esa otra daga,
el tiempo, los perdieron en el fango,
hoy, más allá del tiempo y de la aciaga
muerte, esos muertos viven en el tango.

En la música están, en el cordaje
de la terca guitarra trabajosa,
que trama en la milonga venturosa
la fiesta y la inocencia del coraje.

Gira en el hueco la amarilla rueda
de caballos y leones, y oigo el eco
de esos tangos de Arolas y de Greco
que yo he visto bailar en la vereda,

en un instante que hoy emerge aislado,
sin antes ni después, contra el olvido,
y que tiene el sabor de lo perdido,
de lo perdido y lo recuperado.

En los acordes hay antiguas cosas:
el otro patio y la entrevista parra.
(Detrás de las paredes recelosas
el Sur guarda un puñal y una guitarra.)

Esa ráfaga, el tango, esa diablura,
los atareados años desafía;
hecho de polvo y tiempo, el hombre dura
menos que la liviana melodía,

que solo es tiempo. El Tango crea un turbio
pasado irreal que de algún modo es cierto,
el recuerdo imposible de haber muerto
peleando, en una esquina del suburbio.

Del libro: El otro, el mismo
de JORGE LUIS BORGES
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by hirune-neko | 2013-01-01 00:21 | 心の中のできごと | Comments(12)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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