昼寝ネコの雑記帳

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天芽ちゃん、碧之介ちゃん、そして倖之介ちゃん

Charles Aznavour chante Mon emouvant amour


時代劇オタクのご両親の許に生まれると
子どもたちの名前もまた、時代がかってくるようで
どうやら本当に、正真正銘の時代劇オタクの
ご両親のようです。
でももしかして、お父さんの趣味なのであって
お母さんは、内心顔をしかめているのでしょうか。
だとしても、もう遅いですよね。
でも、純和風の響きの名前で、
耳に心地良く、清々しい響きです。

天芽(つぼみ)ちゃん、碧之介(あおいのすけ)ちゃんは
双子なのですが、兄妹なのか姉弟なのか、
確認するのをうっかりしました。
もう3歳になったかな、という感じです。
そして二人には、小さな弟が一人。
名前を訊いたら、倖之介(こうのすけ)ちゃんだそうです。
世が世なれば、武家の家柄、という雰囲気です。
つまり、お父さんは凜とした若武者風なのです。
お母さんも、武家の妻女という、いかにも
慎ましやかながら芯のある方で、華道をたしなむかと思えば
キエーっと、長刀の腕前も師範代クラス。
あくまでもみな、私の想像なのですが・・・。

時代劇脚本の仮称・「気仙に降る雨」の主役に
天芽(つぼみ)ちゃんの名前を使わせていただきたいのですが、
今日は、じっくりと、ご幼少の頃の天芽(つぼみ)殿と
対面させていただきました。
ほっぺを撫でなでしながら、「おお、つぼみ殿か」などと
いうものですから、子ども心に「変なおじさん」と
思われたに違いありません。
タイムマシンに乗って、主役女性がご幼少の時代に戻り、
本物の小さな天芽殿にお目にかかれたようなもので
大変、貴重な体験でした。
有難うございました。

大人としてのキャラクターは、あくまでも
実際に主演予定の、我が娘の気性がモチーフなのです。
どんな気性かをここに書くと、「エンガチョ」を通り越して
「絶交」されてしまいますので、決して書くことはできません。
もし本当に、この作品の舞台上演が実現したら、
そこで舞い、心情を吐露する天芽殿そのものが
彼女の生き様であると、美しく誤解してください。

久しく、アズナブールを聴いていませんでした。
ふと聴きたくなり、2曲思い浮かんだのですが、
標題の方を選びました。
原題はMon emouvant amour・・・
読み方が怪しいのですが、おそらく
「モネムヴォンタムール」なのでしょうか。
おフランスのshi.shiさんかromarinさん、
お読みになったら添削をお願いします。

邦題は、声のない恋、とされています。
国際聾唖者年に、アズナブール自身が
作った作品のはずです。
聾唖者の女性との、悲しい恋物語を歌っているようです。
最後に少ししか映りませんが、女性ヴォーカリストは
アズナブールのお嬢さんだと、何かで読みました。

アズナブールから「恋愛」というテーマを除いたら
何がどれぐらい残るのだろうかと、時々考えます。
でも、ピアソラの世界とはまた違う、
独自の苦悩と葛藤の色彩を放つ詩人だと
この約40年ほど、ずっと敬服しているアーティストです。
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by hirune-neko | 2012-08-26 19:35 | 創作への道 | Comments(8)

夏の終わりに向けて

The Summer Knows - Sarah Vaughan


もうそろそろ、夏の終わりの予感がしています。
予感などしなくても、秋は自然にやって来るのですが、
ここ数日の暑さは、夏の最後の悪あがきだったように思えるのです。

これは、もうかなり前に観た映画のテーマ曲ですが、
ミシェル・ルグランの作曲です。
サラ・ヴォーンは、普段ほとんど聴かないヴォーカリストですが
なかなか味わいがあるなと感じ、先日ダウンロードしました。

宿題を多く残す夏になりそうです。

ひょんなことから出版業界に身を投じ
かれこれ30年以上が経過しました。
新興の零細な出版社でスタートしましたが
今では・・・やはり零細な規模のままです。
でも、ひとつだけ誇れることがあります。
それは、方向性がぶれなかったことです。
頑固一徹に、頑迷なまでに一定の方向を目指し
姿勢を崩さなかったことが唯一の誇りです。

余談ですが、プッチーニの「ラ・ボエーム」という
オペラ作品があります。
哲学者役が歌う「コートの歌」という
アリアの歌詞が思い出されます。
危篤状態の友人のため、長年使用した
コートを質屋に換金しに行くときに
そのコートに対して惜別の歌を贈るシーンです。
「お前は今まで、どんな権力や富に対しても
腰を曲げず、屈しなかった」と歌うのです。
とても共感を覚えたものです。

iPadが発表されてから、
怒濤のように電子出版に期待が集まりました。
確かに、この軽いデバイスに、書籍が
何百冊も収まるというのは、まさに
出版業界の産業革命です。
でも、残念ながら、日本ではまだまだ
足踏み状態のように見えます。

わが社では、紙に印刷した「オンリーワン絵本」を
十年かけて定着してきました。
カテゴリーによっては、電子化になじまない書籍もあります。
電子出版も、あれこれ試行錯誤して来ましたが
どうやら、時期が到来したような予感があります。

詳細は語れませんが、来年に向けて
本格的に、電子書籍と紙に印刷した書籍の
併存を実現させたいなと、密かに闘志を燃やしています。

零細な出版社で働くということは
ときには一人で、著者、編集者、DTP処理、校正、
デザイン・レイアウト、企画書作成、営業、
クレーム処理、納品、受注データ処理、サイト作成・・・
なんでも多少はできないと、成り立たない会社なんです。
中途半端な知識ではありますが、なんとか
全体を構築できるよう、調べたり、聞いたりの連続で、
でも、十年単位で継続していると、不思議なもので
なんとなく全体像をイメージできるようになるものですね。

いくつもの宿題は、すべて有望な可能性があり
まとめる自信に満ち満ちています・・・という具合に
自己暗示をかけないと、やってこられませんでした。
結果的に水泡に帰した案件が、たくさん思い出されます。
でも、その都度、次のテーマを創造し
攻略のシナリオを考えて、実行に移す・・・けれど
うまくいかなかった。その繰り返しです。
でも、落胆する前に、次のことを考え
反省はしても、決して悔やむことはありませんでした。

いろいろな人との出会いがあり、理解と支援をいただいて
なんとか生きながらえてきましたが、
いつかこの場で、いくつもの成功事例のご報告ができるよう
早く涼しい秋が到来するよう願っています。
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by hirune-neko | 2012-08-22 00:19 | 現実的なお話し | Comments(4)

これがロベルト・ゴジェネチェです

Astor Piazzolla y Roberto Goyeneche - Chiquilin de Bachin


続けてまた、ピアソラの「チキリン・デ・バチン」です。
歌うは、われらが父ちゃん、という感じの
ロベルト・ゴジェネチェ・・・
かなりゴジェネチェ節で歌っています。

前回のスサナ・リナルディは、強烈な母性愛で
これでもか、これでもかというほど聴き手の
涙を絞り出そうという感じでした。

この作品は、単に音楽として聴くと
その良さも半減してしまいます。

小さな知恵遅れの男の子が
・・・チビという言う意味のチキリンが、
その日のパン代を得るために、
おそらくは市場で売れ残った花を束ね
毎夜、ブエノス・アイレスのレストラン、
バチンのテーブルを回ります。

花は売れず、いつもはパンを食べさせてくれる
教会には誰もおらず、空腹を抱えたまま
おそらくは荷車の陰で一夜を明かし・・・
そのまま冷たくなってしまった、
そんな情景をもとに、オラシオ・フェレールが作詞し
アストール・ピアソラが作曲した作品です。

オラシオ・フェレールはタンゴ協会の会長を務め
自ら作詞し、また語り手として舞台にも登場します。
風貌は、やはりロベルト・ゴジェネチェに似て
声も、どちらかといえばダミ声なのですが、
どこから、あんなに切ないストーリーと
幻想的な表現の言葉を編むのか、
ある種、畏敬の念を抱いてもいます。

アストール・ピアソラとオラシオ・フェレールの共作で
タンゴ・オペラ「ブエノス・アイレスのマリア」
という作品があります。
主人公のマリアは、娼婦であり、
死してなお舞台上に登場します。
イタリアで上演された舞台を観ましたが、
生々しくどぎつ過ぎて、
私のような上品で気弱な人間には(ゲホッ!)
かなり違和感がありますが、オラシオ・フェレールは
言葉の魔術師であり、アストール・ピアソラは
深い感情を音楽に変換する天才です。
言葉に詩的で幻想的な生命を吹き込み、
音楽によって、言葉に血が巡っているのが体感できます。

ヴァイオリニストのギドン・クレメールは
この作品を、かなり音楽的に仕上げていますが
日本人には、これぐらいがちょうどいいのでは、
と感じます。協演したマリア役のフリア・センコも
適役で、魅力的に歌いこなしていました。

現在、時代劇の舞台脚本は構想からまだ
大枠をはみ出ていませんが、
タイトルだけはめまぐるしく変遷しています。
花の舞い→気仙に還る→気仙還流(韓流では決してありません)
そして今は「気仙に降る雨」かな、と思っています。
内容は一向に進んでいないのですが、
タイトルだけがコロコロ変わっているのです。

使用楽曲はすべてピアソラと決めているのですが
確信をもっているのは、まだ5曲程度です。

その気仙の大船渡、陸前高田、住田では、
江戸時代に定められた
「札所三十三・巡礼の場所」というのが見直され
現在、観光地として再興する動きがあります。
主人公の女性の生き方を想起させるエピソードは
いくつか具体的になっているのですが
この巡礼の場所に心を注いでいた、という情景も
加えたいと思っており、いつか何カ所かを
訪問したいと希望しています。

過酷な武家社会の制度に行く手を阻まれ
人知れず、死して生きる道を選んだ
主人公の女性と、彼女が想いを寄せていた男性の
名前だけはすでに決まっています。
時代小説オタクの知人夫婦の、まだ小さな
女の子の名は「天芽」、これで「つぼみ」と読むそうです。
いえ、読ませるそうです。
そして、これもまだ小さな男の子の名は
「碧之介」(あおいのすけ)だそうです。
この名を聞いた親族の皆さんは、
一瞬のけぞったと伺っています。

まあ、締切がないのがせめてもの幸いで、
私の創作意欲が続いているうちに、
そして主役予定の娘が、中年太りにならないうちに
なんとか初演の日を迎えたいと思っています。

何せ、仕事の合間に時々考える程度ですので
本当は心許ないのです。
これが、創作の合間に仕事をする、というスタイルが
許される環境になれば、ぐんと初演の可能性は
高まるのではないかと、一人で言い訳をしています。

そういいつつも、是非期待なさってください。
我が人生における、妄想の道標、もしくは
墓標となる作品だと、今日も自画自讃の毎日です。
そして、能書きだけの毎日でもあります。
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by hirune-neko | 2012-08-20 15:21 | Comments(2)

自分自身への反逆

Susana Rinaldi canta "CHIQUILIN DE BACHIN" de A. Piazzolla y H. Ferrer.


男性タンゴ歌手の
ロベルト・ゴジェネチェもいいけれど
スサーナ・リナルディ・・・この女性は初めてです。
ましてや、チキリン・デ・バチンを
オーケストラ演奏で歌ったのも初めて聴きました。
2000年のイスラエルでの演奏のようです。

1935年ブエノスアイレス生まれだそうで・・・
まあ年齢はどうでもいいのですが
やはり女性も年齢を経ると、それまでの人生を
どう生きてきたかが、雰囲気に出るものですね。

それにしても、ずいぶんドラマチックに歌う人だなと
少し違和感を感じましたが、でも
オーケストラをバックに大ホールで歌うのですから
これぐらいのスケールが必要なんでしょうね。

もう少し生き永らえたら、スペイン語で
ピアソラの歌を、人前で歌ってみたいなと
最近、そう思うようになってきました。
30代からあっという間に60代になった感じがします。
でもようやく、物事の善し悪しや
世の中の基本的な仕組みが分かってきたように思え
がむしゃらに生きてきた自分ですが
それなりに変容したという実感があります。

どう変容したのか・・・
そこが問題なのですが、うまく表現できません。
でも、私自身にとって信頼できる良き友人だと
そんな風に思えます。
晩飯をおごるよ、と言われても
決してラ・マレやレカンではなく、まあせいぜいデニーズ。
何かお菓子をと言っても、鳩サブレだったら上出来の。
老境の理屈屋であり、寡黙だけれど、でも、
じっと耳を傾ければ、たまにはまともなことを言うじゃないか。

もう、私利私欲を満たす欲望は燃え尽きたし
使命感と達成感を大切にすることこそが
人生で最も価値があると思えるようになったし、
確かに、人の中枢には心が存在し
その心は、本質的に汚れなく純粋であることを
実感できるようになりました。

でも、気付くのがもう10年早かったらいいのに。
少し悔やまれますが、
考えても取り戻せないことは振り返らず
明日のことを考えるしかないのです。

過去の自分がどんどん薄まり、今の自分が
本質なのか、あるいは葛藤を伴って未だ
自分の本質に反逆し続けているのか
それは私にも分かりません。

これからも、自分の感覚に頼り
できれば横道に踏み迷わず、ときどき
道ばたの捨てネコと言葉を交わしながら
安住の地を目指して進みたいなと
まだ、毎日そんな気持ちでいます。

それにしても、ピアソラの作品と出遭えて
本当に良かったと、心から思っています。
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by hirune-neko | 2012-08-17 22:09 | 心の中のできごと | Comments(0)

かもめの玉子に禁断症状

【経済復興】岩手県大船渡市 三陸菓匠さいとう 仮本店


本当は、月曜日から今日までが夏休みのはずでした。
でも、まったく平常通りに仕事一色でした。

午後から、岩手県大船渡市の新聞社である
東海新報社に電話したのですが、
全然つながりません。何かあったのだろうか。
ちょっと心配になりました。
ネットで東海新報の販売店を探し、電話しました。
店主のお話では、明日は休刊日なので
今日は休んでいるのではないか、といわれ
安堵した次第です。

ほっとしたせいか、突然
「かもめの玉子」が食べたくなったんです。
大船渡に本社がある、さいとう製菓に電話して
神奈川県内で、どこか売っている店がないか
調べてもらいました。
横浜のそごうや高島屋、三越などの
デパートで売っているとのことでしたが、
う〜ん、横浜まではちょっと億劫だなと思い
諦めれば良かったのですが、本当にもう
かもめの玉子の禁断症状のようで
どうしても食べたいんですね。

何年も前に、目黒通り沿いの高級スーパーで
目にしたことを思い出して、電話しました。
結局、在庫切れだったのですが、
家内が横浜高島屋に寄る用事があるというので
ミニ・かもめの玉子を買ってきてもらい、
一口でぺろっと食べて、禁断症状が治まりました。

それはそうと、今日届いたメールのひとつは
 (株)北摂情報学研究所からのものでした。
結論は、自分のサイトがあるのなら、そこに
ブログを設置することを勧める内容で
現在、仕事のサイトを作っているプログラムと
連動してブログ設置できるよう開発したそうです。
どれぐらいの値段になるのか分かりませんが
動画説明を見ると、
いろいろ専門用語を並べて説明していました。

なのでおそらく、もともとはmixiから発展的に
exciteに引っ越してきたのですが、
昼寝ネコの雑記帳も、気まぐれなネコらしく
もう一度、引っ越すことになるかもしれません。
そしておそらく、そこが終の棲家になるのでしょうか。
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by hirune-neko | 2012-08-16 22:48 | 現実的なお話し | Comments(0)

碁石海岸の蒸しウニ丼〜大船渡の食べ歩き

Aquarela do Brasil- Joao Gilberto



新聞社との約束時間は3時でしたが
1時には現地に着いてしまいました。
なので、途中の道路標識で目に留まった
碁石(ごいし)海岸に行ってみることにしました。

海岸近くに、椿園という看板がありましたが
閉園中なのか、様子は分かりませんでした。
小さな看板に「岬食堂」と書かれてあり、
ちょうどお昼時だったので、行ってみました。

定番メニューは5種類ほどでしたが
「蒸しウニ丼」をオーダーしました。
店外のテーブルに移ると、遠く眼下には
狭いながらも砂浜があり、子どもたちが
はしゃいで歓声を上げています。
子どもは逞しいもので、大津波の痕跡も
すっかり消え去っているかのようでした。

海から採ったばかりのウニを割り、そのまま
わさび醤油で食べるのが、本当のウニの味だと
記憶していますので、市販されているウニは
どこか人工的で、あまり感動したことがありません。

岬食堂の蒸しウニは、文字通り蒸しているようで
採れたてのウニ独特のとろみも、甘みもありません。
かえってぱさついた感じがしましたが、
ほんの少し苦みがあり、珍味といえるでしょう。
野菜の煮物、春雨の酢和え、山ゴボウとたくわん、
味噌汁、それとメロンがひと切れ付いてきました。
なんだかんだ言いながら、完食でした。

車で移動中、何料理の店かなと思わせる
店構えが目に入り、引き返して駐車場に入りました。
なんだ、和服の関係のお店でした。
でも、となりに「さいとう」という看板が。
もしやと思って店内に入ると、おお、なんと
かもめの玉子の直営店でした。
いやあ、嬉しかったですね。

ひととおり、和洋菓子のレパートリーを目で吟味し
やはり「ミニ・かもめの玉子」を適量買いました。
内緒のお話しですが、個人的試食用に2個
バラで買い求めて食したものの、道中で
渋滞に巻き込まれてしまい、決心して
お土産用の6個パックを開けて・・・
渋滞時間が長かったので・・・という口実で
1個だけ、もう1個だけ・・・結局空にしてしまいました。
居眠り運転で事故を起こすよりは
その方が、ずっと被害が少ないですよね。

新聞社に向かう途中、過日かもめの玉子を
送ってくださったSさんの家に立ち寄りました。
ご本人はちょうど帰宅されたタイミングで、
驚きながらも、両手にゆでたてのトウモロコシを持ち、
勧めてくれたのですが、じゃあ1本だけとお願いし、
結局は2本をビニール袋に入れていただきました。
運転しながら平らげてしまいました。

そうそう、行きの下り新幹線で牛肉弁当を食べ、
帰りもまた別の製品ですが「前沢牛弁当」と再会し、
迷わず購入しました。
前沢牛は岩手の名産のようです。
これは、昼寝ネコ推奨品アイテムのひとつです。

何か、ここまでお読みになって
ずいぶんお気楽な出張だなと、お感じになったことでしょう。
ピンポ〜ン!なのです。

出張の締めくくりは、日本将棋連盟大船渡支部の
支部長さんと普及指導員の方との面会でした。
道場にお邪魔して、あれこれお話ししました。
一面識もなかったのですが、将棋好きというだけで
何度か電話でお話しし、お目にかかった訳です。
子どもの健全な成長を願うという、
使命感を共有できるのは、なかなか希有なものです。

大船渡に向かう途中の景観が、荘厳であり
気仙の皆さんも、真摯で誠実な方ばかりですね、
と、本心で言いましたら支部長さん曰く
「そうです、沿岸の人間は口は悪いけど、心は真っ直ぐです」
そう、力を込めておっしゃいました。
ご本人が断言されるのですから、そりゃもう間違いないでしょう。

秋に向けて、大船渡ではサンマ漁が盛んになるそうです。
確かに、海辺には無数の小型漁船が停泊しており
海とは長年、苦楽をともにしてこられたのだと感じます。
一瞬にして、多くの肉親を奪った海は、同時にまた
生活の糧をも与え続けているのです。

仕事はちゃんと遂行しましたので
念のために記録しておきます。
今回は、絵本寄贈団体の代表の方が来てくださり
新聞社に新たに一定数を寄贈する、贈呈式を行いました。
そのとき、私はかねてから用意していた
提案内容を説明しました。いわゆる地方新聞社に
新規事業として取り組みを勧める内容です。
新聞社としては、もちろん即答できるほど
簡単な内容ではありません。

贈答式終了後、駐車場で団体代表の方と
ご挨拶をしている最中に、いきなり
提案内容に対する肯定的な評価と
支援のお申し出があり、いやあ驚きました。
実は、いただいたトウモロコシの1本を
この代表の方に残すつもりだったのですが
暑い車内に放置して、食中毒になったら大変と、
すでに食べてしまっていましたので
いやあ、見送りながら、お詫びの気持ちを
無言でお伝えしました。

ちゃんと仕事もしてきたんですよ。
でも、実際には事前の調査や準備で
仕事はほとんど完結していたようなものなんです。
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by hirune-neko | 2012-08-09 14:37 | 現実的なお話し | Comments(0)

岩手・北上無精日記

東北新幹線に乗り、生まれて初めて
北上駅で下車しました。
駅前には三軒のビジネスホテルと
ローソン、それにトヨタレンタがあるだけ。
駅正面のホテルにチェックインして、
ベッドの上でiPadに添い寝してもらってます。
まったく無精な格好で日記を書いているんです。

新幹線の車中、ぼんやり考えていたことは
かなりターシャ・チューダーに
羨望の視線を送ってるな〜、ということでした。

五月に東北四県の新聞社を訪れました。
その結果、岩手県の自然の懐の深さに
魅力を感じるようになりました。

自分では何もできないくせに、
・・・あっ、ここで農場について
書こうと思ったのですが、しばらく
遠ざかっていたテーマなので
一町歩が何反歩だったか忘れてしまいました。
一エーカーは1200坪だったはずで、
一反歩は300坪で、じゃあ一町歩は?
それがどうしても思い出せません。

ようするに、周りに農場と果樹園を有し、
家の中にはマキストーブがあり、足下には
何匹かの犬とネコが寝そべっている。

そんな環境で、
私は現代人の心の栄養剤になるような
ちょっとした文章を書きたいんです。
奇特にも一定数の固定読者が存在し、
出版されたら楽しみに買ってくれる。

野菜と果物は自営の農地で収穫でき
私はコーギーと散歩し、ネコと会話するのが
日課の主要部分・・・・・・
そんなライフスタイルを想像していました。

新幹線で、お土産に横浜崎陽軒の
シュウマイを買いました。
真空パックだそうです。
過日、絵本をお送りした方から、お礼に
ミニ・かもめの玉子という名の
お菓子を送っていただきましたので、
明日、大船渡の新聞社に行く前に
寄ろうと考えています。
今朝確認したら、残されたお孫さんは
六歳、四歳、二歳の三人でした。
おばあちゃんが、息子であるこの子たちの
父親が急逝した後、気丈に面倒をみています。
もう四十九日も終わった頃でしょう。

他県のことは良く識りませんが、
岩手、特に気仙周辺に住む人たちの
心の中には、日本人が失いつつある
貴重な精神的DNAが、まだまだ
しっかりと根付いているように思えます。
決して、かもめの玉子を送ってもらったから
ではありません・・・・・・少しはあるかも?

まあ、そんなこんなで、先祖が秋田と青森なのに
不思議なことですが、岩手にご縁を感じています。
そうそう、明日は新聞社の用事が済んだ後で
将棋連盟の大船渡支部の皆さんにお会いします。
別に他流試合を申し込んでいるのではありません。
単にご挨拶だけです。

こうして夜も更け、そろそろ寝ようかなと
静かな北上の地で、無精にブログを
更新していますが、楽しいひと時でもあります。

iPadでは、YouTubeから音楽を
引用できませんでした。
物足りなくて申し訳ありません。

では、おやすみなさい。
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by hirune-neko | 2012-08-08 00:30 | 心の中のできごと | Comments(2)

夏の旅から冬の旅へ

Fischer Dieskau - Franz Schubert,
Die Winterreise Op.89, XXIV. Der Leiermann



あまりにも暑いので、ふと思い立ち
シューベルトの歌曲集「冬の旅」のパロディーを
作ってみようという気になった。

でも、全曲の歌詞内容を覚えていないので
ざっと読もうと考え、対訳を探してみた。
分かっていたことだが、歌詞を読むといかにも暗い。
日本では「菩提樹」がよく知られ、どちらかというと
まだ穏やかな曲想だと思うのだが、
全24曲の訳詞をざっと流し読みしてみたら
やはり暗くて重い。

私は軽い気持ちで
原曲の「あふるる涙」をもじって「吹き出る汗」という
パロディー歌詞を、と考えたのだが
実際に歌詞を読み、演奏を聴くうちに
それはフランツ・シューベルトと
作詞者のヴィルヘルム・ミュラーに対する
侮蔑であり冒涜だ、と思い至ったのである。

それで、「夏の旅」というパロディーは止めて
ちゃんと「冬の旅」をご紹介しておこうと思う。

これは本来バリトン歌手が歌う歌なのだが、
最も著名なフィッシャー・ディスカウは、あまり好きではない。
声楽家ではクルト・モールが好きなのだが、彼は
バリトンではなく、バスなので、一応探してみた。
やはり見つけられなかった。
ふと思い出したのは、バリトンのJosé Van Dam。
確か彼はベルギー人ではなかっただろうか。
だとすると、ジョゼ・ヴァン・ダムと読むのかもしれない。
何語読みか知らないが、ホセ・ファン・ダムと思っている。
(ピアソラだって、国によってはピアソヤだったり
ピアソジャだったりなので、表記はご寛容に願いたい)
彼の冬の旅を探したら、菩提樹1曲しか見つからなかった。
なので仕方なく・・・・・・と言ったら
ディスカウ・ファンには申し訳ないのだが、
彼の歌うDer Leiermann(辻音楽師)を
紹介させていただくことにする。

で、どんな情景を文章にしているのかは、
渡辺美奈子さんという方の記述がとても精緻なので
併せてご紹介したい。

c0115242_15244086.jpg
          
Georges de La Tour 「帽子のあるハーディ・ガーディ弾き」
Le Vielleur au Chapeau (17世紀前半)

辻音楽師(ハーディ・ガーディ弾き)Der Leiermann
『旅する角笛吹きの遺稿詩集 第2巻』から『冬の旅』より   

訳、記述 渡辺美奈子2004年7月18日

Drüben hinter'm Dorfe
向こうの村はずれに
Steht ein Leiermann,
ハーディ・ガーディ弾きがいて
Und mit starren Fingern
かじかんだ指で
Dreht er was er kann.
力の限り回している

Barfuß auf dem Eise
氷の上を裸足で
Schwankt er hin und her;
ふらふらよろめき
Und sein kleiner Teller
小さな皿は
Bleibt ihm immer leer. (DB: Bleibet)
いつも空のままだ

Keiner mag ihn hören,
誰も彼の音楽を聴こうとはせず
Keiner sieht ihn an;
誰も彼を見ない
Und die Hunde brummen  *[シューベルトの歌曲ではknurren]
犬たちは唸る
Um den alten Mann.
老人の周りで

Und er läßt es gehen
事がどうであれ
Alles, wie es will,
全てなるがままに任せ
Dreht, und seine Leier
回す 彼のハーディ・ガーディは
Steht ihm nimmer still.
決して静まることがない

Wunderlicher Alter,
不思議なご老人
Soll ich mit dir gehn?
あなたと行くことになるのだろうか
Willst zu meinen Liedern
僕の歌に合わせて
Deine Leier drehn?
ハーディ・ガーディを回してくれますか

(渡辺美奈子さんのサイトはこちら)
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by hirune-neko | 2012-08-03 15:28 | 心の中のできごと | Comments(2)

感性のゼロ初期化

As Good as It Gets, Jack Nicholson


西洋医学でも東洋医学でも
人間の感性を検査し、投薬治療しただなんて聞いたことがない。
最近、「人間の感性はいつ形成されるのか」に
興味を持っている自分に気付き、また呆れている。

生まれた家庭では、両親も祖父母も揃って
ド演歌ファンで、朝から晩まで演歌を聴きながら
酒盛りをするような環境だったとしたら、
そこで育った子どもは高確率で
演歌歌手になるのだろうか?

政治家の子が政治家になり、医者の子が医者になる。
そういう例はたくさん見ているが、それは感性に関わりのない
単に現実的な環境の延長線上に自然に横たわっている
「社会構造」に過ぎないと思う。

私の父方の祖父母と、母方の祖父母は両極端な
人生観に位置していたと思う。
父方の祖父は若い頃から仕事を辞め、家でごろごろし
毎晩人を呼び入れては酒宴、そして大げんか。
飲みかけの日本酒のビンが倒れ、部屋中が
酒臭くなったのは、日常茶飯事のことだった。
やがて大学の寮に入り、歓迎コンパの席で
プラスチック製の黄色いドンブリを持たされ
先輩が一升瓶を持って来て、日本酒を注いだ。
日本酒の匂いを嗅いだ瞬間、まったく受け付けないことに気付いた。
「お前は、先輩の注いだ酒が飲めないのか¡」
先輩は凄んだ。
「飲めません」
あっさりと答え、気まずい雰囲気になったものの
それで済んでしまった。
18歳になったばかりの頃だったが、
すでにある種の達観の原型が具わっていたように思う。

同居していた祖父母は、テレビがなかった当時
ラジオで「ヒロサワトラゾウ」の浪曲を好んで聴いた。
歌人の才を評価している母は、映画好きだったようで
小さな私を背負いながら、映画館に通った。
不思議なことに、まだいくつかのシーンの記憶が残っている。

結局私は、とうとう浪曲ファンにはならず、
これぞという短歌を作って母に添削を頼むものの、
伝え終わった瞬間に吹き出されてしまう始末なので
歌人の道を志したこともない。

もし、人間の感性を目視できる器械が将来、発明されたなら、
私の感性はおそらく「極度に断片化」しており
まず一度修復してから、さらに初期化する必要ありと
診断されるのではないかと思う。
ただ、表面的に初期化しても深層部分には
根深い感性的破綻の断片が多数点在しているため
おそらくは一度「ゼロ初期化」して・・・
すなわち、残存する断片を完全消去するために
ひとつひとつの感性ユニットに、丹念にゼロを埋め込んで
真っさらな感性にオーバーホールすべし、
そう助言されそうな気がする。

でも、そんな私でも、ジャック・ニコルソンの演技を目にすると
なんとなく安心感に包まれてしまう。
ああ、こんな超個性人間でも社会で通用してるんだ。
この人に較べたら、私なんか全然普通の人間じゃないか、
と、かなり自己嫌悪から解き放たされてしまう、
実に敬愛すべき俳優だ。

原題は「As Good as It Gets」で
邦題は「恋愛小説家」。
この映画でジャック・ニコルソンはアカデミー賞の
主演男優賞に、そして相手役のヘレン・ハントは
主演女優賞に選ばれた。1998年のことだ。

でも、熟考するまでもなく、もし私の感性が
未来技術で本当にゼロ初期化を受けてしまったら
毒もなく、ジョークもない、そして自分の創作イメージに
感動して声に詰まってしまうような、へんてこで
意外性のある、規格外の仕様が優等生化され
つまらなくなってしまうだろうと、想像している。
なので、私は私らしく、このままはみ出しの
落ちこぼれのままで、人生を貫くべきだと
たった今、再起動ボタンにカーソルを当てている。
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by hirune-neko | 2012-08-02 23:43 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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