昼寝ネコの雑記帳

<   2012年 06月 ( 9 )   > この月の画像一覧

目的を失った巡礼者

Piazzolla & Jose Angel Trelles- Chiquilin de Bacin


死者から発せられるメッセージを魂で聴きながら
男はもうじき、旅路の終わりが告げられる予感を
全身で受け止めている。
長かった巡礼の旅の終わりを。

それは決して不吉な予兆などではなく
意外なほど神聖な霞に包まれて
夜明けとともに、
空の彼方から舞い降りてくるような気がする。

自分の人生を振り返っても、
風化せず、僅かに残っているものは、
悔悟と恥辱だけであり、
記憶はすでに知覚を失っている。

いや、巡礼の旅はまだ終わってはいない。

突然、夢から醒めたように視界が拓ける。
過去から拒絶され、未来に向かって押し出された
ごく僅かの鮮烈な印象が、明確な道標となり
手で触れられるほどの闇の中でも、
方向感覚が覚醒されている。

男は生きながら死に
死にながら生きながらえている。
峻別された言葉で腹を満たしながら
人の心の入り口を訪ねて
男はまた、巡礼の旅を始める。
決して終わりのない、巡礼の旅を。


CHIQUILIN DE BACHIN;PIAZZOLLA y FERRER

Por las noches, cara sucia de_angelito con bluyín,
vende rosas por las mesas del boliche de Bachín.
Si la luna brilla sobre la parrilla, come luna_y pan de_hollín.

Cada día_en su tristeza que no quiere_amanecer,
lo madruga_un seis de_enero con la_estrella del revés,
y tres reyes gatos roban sus zapatos, uno_izquierdo,
y_el otro también!

Chiquilín, dame_un ramo de voz,
así salgo_a vender mis vergüenzas en flor.
Baleame con tres rosas que duelan a cuenta
del hambre que no te_entendí, Chiquilín.

Cuando_el sol pone_a los pibes delantales de_aprender,
el aprende cuanto cero le quedaba por saber.
Y_a su madre mira, yira que te yira pero no la quiere ver.

Cada_aurora_en la basura, con un pan y_un tallarín,
se fabrica_un barrilete para irse_y sigue_así!
Es un hombre_extraño, niño de mil años,
que por dentro le_enreda_el violín.

Chiquilín, dame_un ramo de voz,
así salgo_a vender mis vergüenzas en flor.
Baleame con tres rosas que duelan a cuenta
del hambre que no te_entendí, Chiquilín.


Chiquilin de Bacin(チキリン・デ・バチン)
歌詞(訳:高場雅美)ライナーノーツより

夜ともなれば、汚れ顔ブルージーンの小天使、
バチンの店のテーブルでばらの花を売る。
月は肉焼きグリルの上に輝いているが
彼の食べるのは月と、すすのパン。
まいにち悲しみの中で彼は夜明けをいやがる、
あるクリスマスの朝彼を叩きおこすのは裏返しの星、
東方より来たりし3匹の猫が彼の靴をかっぱらう、
ひとつは左足、もうひとつも。

チキリン
おまえのひと束をおくれ
そうすればおれも自分の恥を花にして売り歩こう。
3輪のばらで、おれをひっぱたいてくれ
おまえの飢えを理解できなかったその借りが痛むように、
チキリン……

太陽が子どもたちにお勉強用のエプロンをつけるとき
彼が習うのはこれから知らねばならないゼロの数。
そこで彼は母親を見る、ぐるぐる廻れ、でも見たくない。
まいにちゴミ箱でパンひとかけらとスパゲティ1本で
飛んで行くために凧をつくる、でもここに残りつづける。
彼は不思議な人間、4歳の子ども、
からだの中で紐がこんがらかっている。

チキリン……
デ・バチン……
[PR]
by hirune-neko | 2012-06-23 00:43 | 創作への道 | Comments(2)

疲れが抜け切りません

Eliane Elias Minha(All MIne)


この曲は、Eliane Eliasが亡きBill Evansを偲んで
リリースしたアルバムに収録されています。

かなり自分の身体に戻って来ましたが
まだまだ疲れが抜けきらず、ときどき
ぐったりとネコ体質に変貌しています。

誰だって、仕事中は仕事人間になりきって
集中力を維持しているんでしょうけど、
完全に自分自身に戻ったときには、
せめて心のよろいを脱ぎ捨てて
力を抜きたいのではないでしょうか。
脱力は、次の原動力の源です。

この、Eliane Eliasを知ったのは、最近です。
でも、これほどまで寛げる演奏家は
私にとって、貴重な存在です。
Eliane Eliasの血には、ボサノヴァがあり
それと、Bill Evansに傾倒した演奏家であること、
・・・なんとなく納得しています。

全速力で森を駆け抜けてみたら
また道の存在しない新たな森に迷い込んでしまった、
そんな感じです。
でも、方角は間違っていないし、
自分で新たな道を切り拓くだけです。
考え続けていれば、そして集中力を維持してさえいれば
あるときに閃きがあるものです。
ごく限られた経験則ではありますが
そこから得た教訓です。

アメリカ人の好みそうな標語です。
「途中で諦めた人間は勝者になり得ず、
勝者は、決して諦めなかった人間である」
・・・頭では分かってるのですが
誰だって、体調や精神状態には波があります。

なので、力を抜いて、ひと息つきたいときに
聴ける音楽があるというのは
とても幸せなことです。
それと、何事にも付和雷同せず
的確に違和感を感じて、峻別する感性を養うのも
同様に大切な要素だと思います。

ここまで書いて、何か家訓を残しているような
へんてこな感じになってきました。
遺作とか遺稿とか絶句とか・・・
被災地での見聞によって、一段と
死地に近づいた心境になっているのでしょうか。

まあ、そんなときもあるでしょう。

・・・これが、元祖Bill Evansの同名の曲です。
共通の音楽的なDNAがあるのでしょう、きっと。
お時間がありましたら、聴き比べてみてください。

Bill Evans - "All Mine (Minha)"

[PR]
by hirune-neko | 2012-06-22 00:16 | 心の中のできごと | Comments(2)

仕事一直線だと、こうなるんです

朝から仕事に追われて、脇目もふらず
一直線に仕事をすると、自分が自分でない感じです。
何も書きたいことが思い浮かばず、
音楽をアップするにも、何も選べません。

仕事をやり終えて
ああ、片付けたなという達成感はあるのですが
もぬけの殻とは、こういう状態なのですね、きっと。

もうかれこれ30数年、仕事をしてきましたが
さすがに、多少の経験値が蓄積され、
動き方も判断力も30年前と較べて
無駄が少なくなりました。
どこにリスクがあるか、ほぼ瞬時に見えるようにもなり
そういえば、過去にずいぶん高い授業料を
払ったのだから、それで進歩がなかったら
まるでアホではないかと、そうも思います。

実質的に約10日の地方新聞社回りを終えて
その余勢で秋田と山形へ、と考えていましたが
あれこれ仕事環境に変化が生じたため
とりあえずは保留して、岩手、宮城、福島、
それと北海道の室蘭と函館に提案できる案件に
集中しようと、方針を変更してます。

本格的に将棋を勉強するようになって、
もう6年は経つのではないでしょうか。
序盤、中盤、終盤と、それぞれに難しさがあることが
最近は、少し分かってきたように思います。
序盤にはある程度確立された定跡がありますが
中盤はまるでセオリーがなく、そして
終盤は文字通り寄せですので、まあ
詰め将棋を勉強していれば、上達するんでしょうか。
いずれにしても、将棋で学んだことのひとつは
「常に盤面全体を見る」ことです。
目先にだけとらわれず、全体を視野に入れる・・・
これは仕事にもいえることだと実感しています。

でも、結果的に将棋は勝たないといけませんし
仕事は契約がまとまるとか、売上が増えるとかの
実績が伴わなければ評価は得られません。
諦めない粘りとか、創意工夫とか
やはり、将棋にも仕事にも、心の在り方が
明暗を分ける最初の一歩なのでしょうね。

私は生来の不精者ですから、できれば将来は
毎月しっかり印税が入る生活を希望しています。
なので、自分の土俵を設定して、そこに
相手を引っ張り込むような戦略で組み立てています。
年金だっていつどうなるか不安ですし、
何よりも、長く売れるいい作品=商品を
生み出す努力が、晩年の安心につながる、
そう考えて、自らを叱咤激励し、
モチベーションを高めているように思います。
ですから、下手な妥協はせずに
納得のできる仕事を心がけています。

本日は、珍しく、仕事の舞台裏の
赤裸々な心情でした。
まあ、たまにはふと現実的な
自分と向かい合うこともありますよ。
[PR]
by hirune-neko | 2012-06-19 01:19 | 現実的なお話し | Comments(0)

続・災害とクレモンティーヌは忘れた頃に・・・

Clémentine - Marizinha


そろそろ連絡がある頃だと予感はしていた。
ドゥーヴィルとは時差がある関係で、早朝の電話だった。
「サヴァ?おじさん!」
「ん?サバ?味噌煮の缶詰を
この間、食べたばかりだから、いらないよ」
「寝ぼけないでよ、ワタシよ、クレモンティーヌ!」
「あん?なんだお前か」

姪のクレモンティーヌからだった。
私とどんな間柄かについては、過去に何度か書いたので
省略するが、それでなくても頭が上がらないのに
昼寝ネコ一族の世界最高会議・議長秘書なもんだから
これでも、公私ともに非常に気を遣っている。

「おじさん、北海道・東北の新聞社回り、ご苦労様でした」
「なんでそんなこと知ってんの、お前?」
「だから、前にちゃんと言ったでしょ!
おじさんは、最高会議の24時間監視下にあるって。
毎週、おじさんの行動報告書が上がってくるから、
姪の私に恥をかかせないでって、お願いしたじゃないの。
だからずっと品行方正で、やれやれって思ってたのに、
監視のこと、忘れてたの?呆れたわ」
「品行方正も何も、もうおいぼれだから、
行動力なんてゼロに近いよ」
「あら、そうなの?
それにしては、よく盛岡の街でピアソラの
生演奏をしている店を見つけたじゃないの」
「げっ!そんなとこまで監視してんのか、議長は?」

相変わらず気性の激しい女だ。
少しは母親の性格を受け継げば良かったのに。
まあ、昔のことを思い出してしまうから、
振り返るのは止めておこう。

「で、新聞社15社を回って、成果があったの?」
「ああ、今日現在で8社が記事にしてくれてね、
もう少し増えそうだよ」
「ふ〜ん、良かったわね。
ところでおじさん、相変わらず新聞を購読してないのね」
「ああ、そういえばそうだ」
「おじさん、この記事だけど。
内容は記憶にあると思うけど、
どこの新聞社の記事か分かる?読んでみて」
「あいあい」

無線ネコネットから、脳内にCATDF形式の画像が
瞬時に転送されてきた。
2012年06月09日付となっている。

*以下、CATDF形式の画像を人間向けTEXT形式に変換

 結末は始めから分かっているのにそれをあえてすることを「無分別」と呼ぶ。駐中国大使に丹羽宇一郎氏を任命した政府の認識がいかに甘かったか、ごみ同様これは分別が必要だったのだ▼英紙のインタビューで同大使は、尖閣諸島を東京都が購入するという石原都知事の構想を捉え「実行されれば日中関係に重大な危機をもたらすことになる」と発言、反対を表明したというのだからどこの国の大使かと首をかしげたくもなろうというもの。当然ながら政府は「国の立場と異なる」と注意し、党内からも批判が上がっているが、何を今さらだろう▼就任早々、役目を終えた対中国ODA(政府開発援助)を継続すべきと発言、国益を犠牲にしてまでの媚中ぶりが呆れられた同大使のことだから、中国のご機嫌をそこねることは間違いない尖閣購入に今度はどのような反応を示すか内々注目されていたのだが、横路衆院議長が中国要人と会見した際に同席し「日本の国民感情はおかしい」「日本は変わった国なんですよ」とおもねったとか▼同大使は伊藤忠商事の元社長だけに、出身母体を考えた場合、国益と社益の兼ね合いがからむこの任務にはふさわしくないという声が強かったが、その懸念通りとなったようだ▼この事実を報じた産経は「外交の重要性をわきまえないあり方が、専門家でも何でもない民間人の駐中国大使起用というパフォーマンスを生み、今や深刻な実害を招いている」とケチョンケチョン。商売なら何を売ろうと可だが、国までは売ってくれるな。
 (http://www.tohkaishimpo.com/→コラム→世迷言→2012年06月09日付の記事)

「ほう、なかなか威勢のいい記事だね」
「内容はどうなの?」
「いやあ、まったくその通りだけど、どこの国の新聞社なの?」
「日本よ!」
「今どきの新聞社なんて、ちゃんと本質を伝えにくい
経営環境に追いやられてるんだから、こんな論調で
商業新聞が成り立つ訳がないだろう?」
「だから、おじさんはいい歳をして世間知らずなのよ!」

やれやれ、またお説教が始まったよ。

「この新聞社はね、おじさんが訪問した
15社のうちの1社なのよ!
頑張ってると思わない?」
「えっ?どの新聞社なの?」
「おじさん、大船渡の高台にある新聞社のこと
自分でブログに書いたでしょ?」
「ああ、あの新聞社なのか?」
「川崎に住んでても、郵送購読できるんだから
まず自分が購読して、周りの人たちにも勧めてあげてよ」
「はあ」
「はあ、じゃないでしょ!
すぐに行動に移してちょうだいね、
議長も是非って言ってるから」
「ふう」

災害とクレモンティーヌは、忘れた頃にやってくる。
本当だな、まったく。
ああ、思い出した。
あの新聞社は「東海新報」だ。
大船渡市、陸前高田市、住田町が配布地域の。

クレモンティーヌには逆らえない。
いや、自分の意思で購読を決め・・・たことにしよう。
月額2,000円。郵送購読料2,200円か。

・・・そんな訳で、サイトの会社概要に目を通してみた。
・・・そんな訳で、つい先刻、サイトから「郵送購読」を申し込んだ。
・・・そんな訳で、ここまで読んでくださった皆さんにお願いしたい
   是非、東海新報の読者になっていだだきたい。

このブログを読んで、東海新報を申し込んでくださった方には
なんの特典も用意できていないのだが、
深夜クレモンティーヌが夢の中に現れて
感謝の気持ちを込め、冒頭の歌を歌ってくれるそうだ。

決してクレモンティーヌの恫喝に屈したのではない。
本当に心から真面目に懇願、哀願の気持ちでお願いする次第だ。

東海新報会社概要
岩手新報・河北新報などの記者を退職後の昭和33年12月、
鈴木正雄(平成21年4月5日死去、享年94歳)が創刊。
大船渡市は岩手県沿岸でもほぼ最東端に位置することから
題号に「東海」の二字を冠した。
外部資本の導入は御用新聞に堕するおそれがあると、
すべて独力での経営だった上、
2年後にはチリ地震津波で被災するなど
台所は常に火の車を強いられたが、
不撓不屈の精神でこれを乗り越え、
徐々に読者を増やしていった。
昭和54年には念願だったオフセット輪転機を導入、
さらに2年後の56年には組版をすべて電算写植にするなど
技術革新にもいち早く取り組み、平成10年には
新聞製作をすべてデジタル化、
なお、先進技術の活用と取り組んでいる。
エリアは、旧気仙郡の2市1町(大船渡市、陸前高田市、住田町)で、
平成23年3月11日の東日本大震災では2市が被災、
読者、広告主とも激減する苦境に立たされたが
1日も早い復興を目指し報道機関としての
業務を全うする覚悟を新たにしている。
[PR]
by hirune-neko | 2012-06-13 12:09 | 現実的なお話し | Comments(2)

最後の弔問者

Piazzolla Ave Maria Tanti Anni Prima Ballade



私が最後の弔問者だった。

横浜での会合が終わったのが午後7時。
急死した知人の通夜は
午後6時からと聞いていたが、斎場に電話で確認したら
午後9時には、家族の皆さんも引き上げてしまうという。
時計を見ると、午後7時20分。
雨脚が強くなっている。
間に合うだろうか。
高速1号線の、まだ羽田の手前だった。
途中、どこかで標識を見過ごし、
常磐道に入るべきなのに、結局は入谷で出た。
旧式のカーナビはおっとり過ぎて、頼りない。

南柏駅近くの斎場に到着したのは、
午後8時45分頃だった。
玄関で何人かの弔問客がタクシーに乗ろうとしている。
なんとか間に合ったと思ってロビーに入ったら、
彼らは弔問客ではなく、帰宅しようとする
ご家族と親族の皆さんだった。
「済みません、仕事が終わって駆けつけてきました」

空席の椅子ががらりと並び、もう誰もいない。
斎場の係の男性が、焼香を勧めてくれたので
真っ直ぐに祭壇へ。
遺影の前で立ち止まり、
棺を見ると、顔の部分がガラス張りになっていた。
無言の別れを告げ、仏式の焼香に倣った。

振り返ると、喪服姿の女性が立っている。
「奥様ですか?」
「はい、有難うございます」
こういうときは、なんて言えばいいのだろうか。
舞台上で台詞を忘れてしまった役者以上に、困惑が拡がる。

彼は高校の同期生なのだが、高校時代
一度も言葉を交わしたことがない。
数年前に、卒業後約40年にして初めて同窓会に出席した。
そのときは
「野球部でしたか?」
「バスケ部でしたよね?」
という簡単な会話だけ。
交換した名刺で、勤務先の会社を知った。
名の通った大手企業の業務部長だった。

高校生の私は、登校拒否などではなかった。
普通に登校し、出席点検が終わると窓から抜け出て
当時、室蘭には一軒しかなかった「ジャズ喫茶」に行った。
ジャズ愛好会が組織され、毎月研究会が開かれる、
今考えると、なかなかアカデミックなジャズ喫茶だった。
そこでコルトレーンやエヴァンスと出会い、
その付き合いは、今でも続いている。
学校を抜け出したのは、月に数度ではなく
毎日だった。
ジャズ喫茶に行って音楽を聴きながら
弁当を食べ、最終バスで家に帰る・・・
文字通り、それが当時の私の日課だった。
そんな学生だったので、ずっとずっと
自分は落ちこぼれの、はみだし人間だという
ある種の負い目を持ち続けていた。
なんて殊勝な性格だろうと、今でも思う。

卒業後の彼の経歴は知らなかったが、
周りの同期生の女性たちの話しを総合すると
かなりファンが多かったらしく、真顔で
「ずっと憧れていました」とか
「再婚することがあったら、私を選んでください」だってさ。
これらは、当時60歳近い女性たちの言葉だ。
物静かな雰囲気の彼は、ちょっとうつむき加減に
そして穏やかに黙殺したものだ。

その後、同期生何人かで富士五湖への
泊まり込みの旅行をしたときも参加したらしい。
来週の土曜日に、登別温泉のホテルで
同期生の宿泊宴会が予定されているらしいが、
彼はそれにも参加を予定していたそうだ。
私と違って、付き合いのいい男だったようだ。

とくに深い会話をした訳でもなく、
個人的な付き合いが生まれた訳でもなかった。
今夕の打ち合わせは、かなり前から予定されており
内容的にも、私が欠席する訳にはいかなかった。
それに、訃報を知らされたのは昨日だったので
通夜をパスしても決して非礼には当たらなかったと思う。
でも、昨晩からずっと気にかかっており
最期のお別れをしようと考えて、強行軍を決めた。
行って良かったと思っている。

彼の奥様は気丈に振るまい、何よりも驚いたのは
香典返しの中にあった挨拶状だった。
普通は、葬儀屋さんが用意した定型文が多いのだが
奥様からの、彼に対する思いが綴られている。
夫の急死の、おそらくはその日のうちに
書かれた文章なのだろう。
もしかしたら、文章を書く仕事をなさってるのでは、
そう思わせる、自然で心のこもった言葉の数々だった。
別れ際に、残されたお子さんの人数をお聞きして
「月並みですが、お力落としのないように」
と、ご挨拶するのが精一杯だった。
一瞬だが、かろうじて支えていた感情のバランスが
崩れそうになったのを見逃さなかった。

ピアソラのほとんどの曲は、暗い曲想だ。
フォーレのレクイエムでも聴こうかと思ったのだが、
記憶にある唯一の、ピアソラらしくない
実に穏やかな曲「アヴェ・マリア」を
私からの最後のメッセージとして
彼に送りたいと思う。

じゃあな。
[PR]
by hirune-neko | 2012-06-10 23:52 | 心の中のできごと | Comments(4)

ようやく、創作意欲が甦りつつある

Oblivion - Piazzolla/JCO & Cathie Travers


ピアソラ作曲の「Oblivion」を、ずいぶんいろいろな
演奏家で聴いたけれど、このCathie Traversが演奏する
・・・バンドネオンではなく、アコーディオンだけれど・・・
「Oblivion」の解釈が一番いいなと、結局はそう思うに至った。

大船渡と陸前高田は、岩手県なので南部藩だった、
という先入観があったけれど、
地元の図書館司書の方と話したときに
「いいえ、伊達藩でした」と、きっぱり言われた。
この地方の言葉は「気仙(けせん)語」だという。
一年前に書きかけた舞台脚本では、
非業の死を選択した女性の出身を、なんとなく
漠然と、仙台周辺で考えていた。
江戸城築城の時期に、伊達政宗公が
多くの家臣を江戸に住まわせて
城の落成に貢献したと読んだことがあり、
なので、その女性を伊達公の家臣の娘、と設定していた。

先日、生まれて初めて大船渡に行き
高台にある新聞社の駐車場から
遙か彼方の海岸線を見渡した。
鮮烈な印象だった。
さらに、女川の入り組んだ湾の景観も
何かを語りかけてくるのを感じた。
ずっとイメージしている悲話のヒロインは
おそらく江戸の時代に実在し、陸前高田の出身であり、
実際に非業の死を選択したのではないか。
その女性の絶ちがたい無念さが
不思議な方法で私を気仙の海までたぐり寄せ、
言葉にならない言葉で、心の想いを伝えたがっている、
そう思わざるを得ない一連の出来事だった。

黄泉の国から下界を見下ろしている
まだ見ぬその女性の残像を、必死に追い求めている私は、
おそろしく滑稽な存在に違いない。

舞う女性と語る婆や・・・そして
振り付け家とも、不思議な縁で出会うことができた。
これも、黄泉の国のその女性からの働きかけかもしれない。
何よりも、ピアソラの曲が離れがたく
常に日常生活にまとわりついている。

結局は、無念にも海に沈んでいった
数多の魂を鎮め、残された方々の心の
喪失感と欠落感を癒やす作品となるべく
知らず知らずのうちに、私自身が
死せる人々からの心からの想いを聴いているのだと感じる。
いつの日になるか分からないけれど
公演初日のその日が、今から楽しみである。
[PR]
by hirune-neko | 2012-06-08 21:35 | 創作への道 | Comments(6)

忘れがたき想い出の・・・女性

Nat & Natalie Cole "Unforgettable"


忘れがたき「想い出」・・・と書くと、なんとなくロマンチックで女性的で、
忘れがたき「思い出」・・・と書くと、なんとなく写実的なリアリティがあって、
いずれにしても私の場合、気恥ずかしくて「想い出」という表現は、
抵抗感が強くて使えません。

男性と女性の違いって、よくは分かりませんが
女性は80歳になっても恋愛感情を持つと聞きます。
「ひょえ〜」の世界です。
弘前で、新聞社に行くのにタクシーに乗りました。
運転手さんが自慢げに、そして嬉しそうに言いました・
「いやあ、今日、女優のカノウ・ミカを乗せたんですよ」
何やらロケが行われていると付け加えました。
「はあ、カノウ・ミカですか・・・聞いたことありますね」
で、数日後に、かの有名な叶姉妹の妹さんであることを
突然「思い出した」訳であり、決して「想い出した」のではありません。

不遜というか、なんといっていいのか分かりませんが、
最近は女性と対面しても、全然女性を意識しなくなって
しまっている自分に驚くやら呆れるやら。
40歳以下の女性なんて、みんなファーストネームに
「ちゃん」を付けて呼んでしまっているぐらいです。

私的洞察なのですが、恋愛の初期は
「男性にとっては、ある種の幻想と幻惑であり
女性にとっては、あくまでも現実である・・・
しかしその後、時間経過とともに、恋愛は
男性にとっては、明白な現実となり
女性にとっては、現実が幻想的に変質する・・・」
とまあ、そう思い返している次第です。

話しはひどく錯綜しますが、私にとって
ネコや犬と接するときには、性別が非常に重要です。
いずれも、オスは苦手で、メスには親近感を持ちます。
抱き寄せても、しっくりきます。
人間の場合、乱暴に分類するならば、
男性は論理的生き物であり、女性は感覚的です・・・
ではないかなと感じます。
でも、実際には女性ってとても現実的だと思うのですが
直感的でもあり、その移り変わりを感じ取るのも
なかなか興味深いものです。
男性は、究極的にはナイーヴであり
案外、感覚的な安住の領域を求めているものです。

なので結論として、
「忘れがたき想い出の・・・女性」
というのは、言葉も交わさずに、ちょっとすれ違っただけなのに
名も知らぬ香水の香りとともに、幻想と妄想と同化して
ふと想い出してしまう・・・そんな程度なんです。

なぜ、こんな屁理屈をこねているかといいますと
「亡くなった妻から、残された夫へのメッセージ」そして
「亡くなった夫から、残された妻へのメッセージ」という
2種類の文章を考えているのですが、どうやら
同一の文章にしてはいけないような気がしてきて、
自信を失いかけているんです。

久しぶりに地元の、ニカ領用水路沿いに
40分歩きながら、あれこれ考えました。
残念ながら、まだまだイメージが湧かず
頭の中は、ただただ混乱しています。

父娘でデュエットの「アン・フォーゲッタブル」を
久しぶりに、懐かしく聴きました。
論理性がなく、突然発生的な閃きを
イメージで捉えるというのも、なかなか難しい作業ですね。
もう少し、苦しんでみます。
[PR]
by hirune-neko | 2012-06-07 01:01 | 心の中のできごと | Comments(2)

藤沢周平記念館

UNDERCURRENT, Romain [1962]
Bill Evans(p) Jim Hall(g)


藤沢周平が山形県の出身であることは知っていた。
秋田県と山形県に行く予定があり、せっかくなので
藤沢周平記念館とやらに行ってみようと考えている。
調べたら、鶴岡市にあるらしい。
秋田県の大館に入り、そこからレンタカーで鹿角へ。
秋田へ行ってレンタカーを乗り捨てると、
次の目的地は、山形の鶴岡と決めていたので
どうやら一泊余分に滞在し、記念館に行けそうだ。
できれば、「蟬しぐれ」の舞台とおぼしき場所も
探してみたい気もする。

一年半ほど前に、久しぶりに津軽の金木を訪ねた。
偶然見つけた「津島家別邸」での、ある種の不思議な対話と、
次いで踏み入れた「斜陽館」での、ある種の意外な落胆。
地元新聞社の女性記者の言葉が、今もなお痛快に思い出される。
「太宰は地元の人間には、全然人気ないですよ」

東北では、唯一、山形県に足を踏み入れたことがない。
山深くにある、豊かな水量のゆったりと流れる河。
「蟬しぐれ」のいくつかのシーンを、脳内で覚醒させたい。
藤沢周平が目にしたであろう景観を、私も目にし
何かの痕跡を感じ取れればいいなと願っている。
藤沢周平の視点が、どこをから生まれたのか、
何を考えていたのか、それを感じ取りたい。

YouTubeで、藤沢作品の動画を探したが
思ったものがなかった。
なぜかイメージがニューヨークのマンハッタンに飛び、
ジャズコーラスグループのマンハッタン・トランスファー、
次いで、Skating in Central Park、MJQの演奏から
ビル・エヴァンスとジム・ホールの共演、そして結局は
Under Currentというアルバムに収録されている
その曲ではなく、このRomainを、懐かしく聴いている。
なんと、驚くことに、ちょうど半世紀前の演奏だ。

夕刻、久しぶりに室蘭民報の女性記者と電話で話した。
確か、高校の後輩だといって紹介された記憶がある。
数度、メールのやりとりをした結果、娘と同年齢だと分かった。
まことに不思議な心境だ。
でも、以前取材してくれた女性なので、
まるで旧知の間柄のような、ぞんざいな口調で話してしまった。
今回の出張で15新聞社の取材を受けたが、
改めて、地方新聞社の存在理由というものが
多少は理解できたような気がする。
その土地に連綿と伝わる、地域性というDNA。
ひと昔前と違って、ネットの普及は
情報伝達の壁を崩してしまったし、地方都市に
堂々と姿を現したショッピングモールも、
数十年前の、アメリカ地方都市のモールのコピーとしか見えない。

欧州の金融危機以上に、はるかに深刻といわれている
中国のバブル崩壊も、カウントダウン状態だという専門家がいる。
東日本大震災のような、目に見える大きな被害と、
時間差を伴って表面化する、修復しがたい心の傷跡。
現在の日常生活から追いやられ、辺境の地に疎開することを
強いられたら、何を持っていくだろうか。
同様に、持てるもの全てをもぎ取られたとき、
より頼める「何か」を持っているだろうか。
個人的には、このたびの東日本大震災は、何かの序章であり
この先のストーリー展開を予知して、それに備えるべき
動物的勘を覚醒させようとする、警告という名の配剤だった、
とすら思える。

しかし、私は依然としてマイペースであり、
ちょうど、北極星に向かって航路を維持し続ける帆船のように
ゆっくりとゆっくりと、前進することのみを考えている。
とても小さな帆船だが、眠っている間にも
何頭かのイルカに後押しされて、静かに航路を維持したい。
[PR]
by hirune-neko | 2012-06-04 22:30 | 創作への道 | Comments(0)

やっとひと息ついています

Another Day - Eliane Elias


Eliane Eliasの、歌ではなくピアノ演奏を聴いてみました。
聴き慣れると、ビル・エヴァンス特有の
超然とした排他性に較べ、人肌のぬくもりを感じます。
でも、やはりEliane Eliasは歌がいいなと思います。
どうしようもなく、くたびれ果てた神経には、なぜか
潤いを与えてくれると、私は感じています。

さて、今日は月末で木曜日でした。
つまり、前日にまとめて振込予約をすればいいのですが
無精な私は、銀行口座に売掛金が振り込まれるのを確認して
インターネットで振り込み作業を行います。
かなりの件数ですから、2時間近くを要しました。
今月の請求の締めと印税計算を行い、なおかつ
木曜日ですので、印刷が終了した絵本の本文を校正し
製本屋さんに届け、先週分を引き取らなくてはいけません。
とても多忙な日でした。

でも今日、函館新聞に記事が掲載されたようです。
それと福島民報でも報道されたらしく・・・
掲載紙を見ていないので、断言はできないのですが・・・
これで16新聞社中、6社が記事にしてくれたことになります。
お会いした記者の皆さんは、ほとんど例外なく
大概「記事にします」と言ってくれたのですが
「分かりました」としか言ってくれなかったのが
この福島民報の方でしたので、期待していませんでした。
でもちゃんと、記事にしてくれたんですね。
朝から、福島民報の記事を読んだといって
何人もの方からお電話をいただきました。
何かを慌てて処理している最中に、次の電話がかかり、
その応対中に、別件が入るという感じで
さしもの冷静沈着だけど気の短い私もパニック寸前でした。

電話応対ができなかった方に、何度か電話しましたが
結局はつながりませんでした。
夜になってその方から電話をいただきましたが、
一度切っていただき、折り返し電話しました。
おそらく40分以上お話ししたと思います。
福島の原発から数キロのところに住んでいた方で、
現在はご家族で県内の別のところに疎開されています。

被災地は何県かにまたがっていますが、
原発事故も重なった福島はまた、別の意味で
深刻な日常生活であることが伝わってきました。
この方は、ご自分自身も被災者でありながら
仕事上、子どもたちのお世話に当たっていらっしゃいます。
何人もの知人の方々が、一時帰宅のまま自殺されたそうです。
自殺を勧めない私にとっては、心の痛むお話しでした。
ずいぶん色々なお話しをしました。
とても人格者で、真摯な、知的でいい感性の方でした。
新聞記事を読まれて、精神面の支援の必要性を
痛感していたので、すがる思いで電話してこられたそうです。

北海道から青森を移動中は、あまり感じなかったのですが、
大船渡、気仙沼、女川、石巻の海岸線を車で運転しながら
漠然と何かを感じて移動していました。
福島は、浜通りの新聞社である、いわき民報へ行きました。
少しずつですが、なにかぼんやりとしたイメージが
拡がってくるのを感じていました。
そしてここ数日、新聞読者であり被災者である皆さんの
切実な声を聴き、もうじき何かが具体的に
見えてきそうな気がしています。

もう生きる力がなくなっている、と表現されるほど
希望を失い、生に対する執着が薄れている人に対し
どのような言葉を伝えればいいのでしょうか。
亡くなった方々は、姿が見えず会話することができないが
案外近くに存在して、生き残った家族に対する
気持ちを伝えたがっていると思うので、そのメッセージを
絵本に託してお届けしています、と説明しました。
とてもすんなりと、受け入れてくれました。

私は被災していませんので、第三者として
外部から、自分のできる範囲のことしかできません・・・
それは当たり前のことでしょうけど。
でも、一点だけ違う要素があるとすれば、それはおそらく、
亡くなった皆さんの近くに視点を置いて、
被災者の皆さんを観ている、ということかもしれません。

学生の頃、パスカルの「パンセ」を読み始め
ごく最初の部分で、人間はいかに論理的に
物事を理解しようとしても結局は限界に行き当たり、
「神学的発生」というものを認めざるを得ない、
という表現を目にしました。
哲学的なアプローチに傾倒していた私にとって
哲学者が「神学的発生」などという言葉を使っていることは
一種の衝撃でした。

今の私は、「感じたまま流」で、論理よりも直感に
信頼を置くようになっています。
じきに、私は被災地に何度も足を運ぶようになると思います。
子どもたちに自由な発想と空想で、好きなストーリーを
書くように勧めて発表の場を提供したいのです。
そして、小さな小学校に将棋クラブの創設を勧め、
将棋盤セット(安いのを)を寄贈し、将棋大会の
賞状も寄贈する・・・そんな学校が何校か増えるでしょう。
これは、冗談でもなんでもなく、真剣に考えていることなのです。
今日お話しした、被災者で子どもの世話をされている方は
大変喜んでくださったんですよ。
最後は明るい声の、お別れの挨拶を聞くことができました。

皆さんは信じないでしょうけど、本当に昼寝ネコ一族は
古代イスラエルの時代から存在し、世界の終末期には
そっと目立たないところで、人間の幸福のために尽力する
血統なんです。
私のように、堂々と新聞に写真掲載されるのは、本当は邪道で
ドゥーヴィルの姪ネコであるクレモンティーヌからは
そのうち、お叱りの電話がかかってくると思います。
なあに、気にすることはありません。
日本の新しいことわざにもあるように、
「ネコの耳に念仏」、「ネコのツラにショ○○ン(ここ検閲)」ですよ。
[PR]
by hirune-neko | 2012-06-01 01:01 | Comments(2)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
入力者のお名前が、お疲れ..
by hirune-neko at 01:42
日本晴れさん コメ..
by hirune-neko at 01:37
例の事件、素晴らし過ぎる..
by お疲れ様です。 at 16:03
お疲れ様です。 例..
by 日本晴れ at 00:48
日本晴れさん  昨..
by hirune-neko at 15:59
記事ランキング
以前の記事
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ