昼寝ネコの雑記帳

<   2012年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧

仕事環境が平常に戻りました

Eliane Elias - Dreamer (Vivo Sonhando)


北海道から青森、岩手、宮城、福島と移動中
2週間、ずっと13インチのノートパソコンでした。
OSの関係で、officeが開かず、従って
excelが使用不能であることが分かって焦ったのは
弘前か盛岡にいたときでした。
APP StoreでMAC OSの最新版をダウンロードし
急遽、会社からoffice2011を送ってもらって
なんとか仕事環境は復旧しました。
でも、QuarkXpress9がやはり使用不能で
お手上げ状態でした。事前確認ができていなかったので
浅く反省した次第です。

やはりiMacの21インチは、操作がとても楽です。
ようやく、平常の仕事環境に戻って、ほっとしています。

秋田は鹿角市(かづのし・と読むんですね。今知りました)と
大館市、能代市、秋田市の4都市に行きます。
山形は、鶴岡市、山形市、米沢市と、合計7都市に行く予定です。

これまでの仕事生活で、ちょっと経験のない
「数をこなす」営業パターンとなっていますが
一度でもお会いすると、比較的次が楽なものです。
それと、地元の新聞社に対して、どのような提案が可能か
かなり具体的に見えてくるものです。
レンタカーと新幹線、バスを使い分けて移動する
組み合わせも、なんとか要領が分かってきました。

一番困るのは、体調管理でした。
盛岡で、短時間ですが血圧が220を超えましたし、
昨晩は血圧が220を超えただけでなく
明らかに頭部と全身に異常な感じがありました。
普段はウォーキングを日課にして水分補給を
怠らないのですが、旅行中はなかなかうまくいきませんでした。
とくに食べ物は、完全外食で、しかもかなりの回数
コンビニに飛び込んで、車の中で済ませたものです。
昨晩は、さすがにちょっと不安でしたけど、
幸いに打たれ強くなっており、パニックにはなりませんでした。
今朝の血圧は117ですから、平常値です。
焦って病院に行き、血圧を下げる薬を
常用する方が、遙かに怖いと思っています。

美味しかったなあと思えるのは、
東北新幹線の中で食べた、前沢牛の弁当。
東北自動車道のサービスエリアで試しに買った
牛タンジャーキー。なかなかいけました。
あと、福島駅前の中合(なかごう)というデパートの
催事で販売していた、トルコ産の干しイチジク。
パンに入れて焼いたのは好きなんですが、
丸ごとは初めてでした、干し柿よりも甘かったです。

前回も書きましたが、女川の湾は本当に美しく
幻想的な景観でした。

でも、何よりも印象的だったのは、
子どもを亡くされた方、伴侶を亡くされた方など
実際に被災された方、何人かと直接お話しできたことでした。
陸前高田の女性は、3月11日にご主人を亡くされ
数ヶ月後に出産されたとおっしゃいました。
何か言葉をかけたいという気持ちになりましたが、
声の感じはとても気丈であり、幼子とともに
生きている母親の強さが伝わってきました。

これから、徐々にですが多くの方が絵本を手にされます。
書いた文章に対して、私は責任があるわけですが
皆さんの心に、たとえ少しでも何かが届いて
受け止めてくだされば、本望です。
新たな課題も生まれました。
伴侶を亡くされた方には「大切なわが子へ」の
基本パターンもイラストも使用できないのです。
以前から考えていた「大切なあなたへ」という絵本の
イラストを新たに作成し、親子関係以外の様々な
大切な方へ、使っていただけるようにしたいと思っています。
ますます、私自身の作業は増える一方ですが、
でも、健康管理をしながら、こなしていきたいと思います。

旅行中は、かなりEliane Eliasの演奏を聴きました。
今日見つけたのですが、1996年のHeinekenコンサートで
ピアノトリオの演奏をしています。
ドラムはジャック・ディジョネットです。
一時期、ビル・エヴァンスと一緒に演奏していました。
Eliane Eliasは、本当にビル・エヴァンスのエッセンスを
受け継いでいる演奏家です。
[PR]
by hirune-neko | 2012-05-30 22:59 | 心の中のできごと | Comments(2)

無事に帰還しました

Eliane Elias - "That's All"


旅程最後の訪問地、福島から帰ってきました。

昨日、市内の2新聞社に行って取材を受け、
ホテルに戻って、改めて新聞社の一覧表を確認しました。
もうこれで、主要な新聞社はすべて訪問したと思っていたからです。
いわき市は、内陸部で津波の被害はなかったと思っていましたが
備考欄を見たら「浜通り地域の中心部に位置し・・・」と
書いてありました。まさに津波被害が甚大だったところです。
一瞬、迷いがありました。
すでに15社を回りましたし、調べたらいわき市は
かなり遠く、電車も乗り換えが必要で片道2時間以上。
バスは本数が少ない・・・残る手段はレンタカーしかありません。
あともう1社に行くだけの気力が残っているだろうか。
そのときまた、あのコラムニストのネコが囁きました。

「君は、ニューヨークで会ったときに話した
ボクの絵本のストーリーのことを、もう忘れたのかね。
そりゃあ、各地域に何人の人たちが疎開しているか
ボクにも分からないけど、でも、たった一人しか
いなかったとしても、その人のために
努力するべきではないのかね。
なんでもすぐに忘れて、けろっとするのは
君の長所であるけれど、短所でもあるんだよ。」

幸いに、ニッポンレンタカーはすぐ近くにありました。
いわき民報社に電話すると、5時なら会えるとのこと。
途中、工事渋滞で予定より1時間多くかかりましたが
なんとか5時ぎりぎりに到着しました。
記者の方から身近の、父親を亡くした小学生の長男のことや
被災者のお話を聞きながら、ああ、やはり
来て良かったなと思いました。

片道、200キロ近くの距離でしたから
かなり遠かったですし、何よりも、初めての場所は
すっかりカーナビに頼り切っています。
それでも、帰途、磐越自動車道だったかの料金所で
福島への方向を確認したら、反対の方角に来てますよ
と言われて、がっくりしました。

大きなカバンはホテルから宅配便で送り
重いカバン1個を下げて帰ってきました。
帰りの京浜東北線の車中で、またあのネコの
囁きを感じました・

「君は、北海道、青森、岩手、宮城、福島まで回って
もうこれで終わった気になっているようだけど
秋田と山形には、疎開している人が
一人もいないと思っているのかね?」

そういえば、大館の新聞社の人が言ってたのを憶えている。
かなりの被災者が疎開してきているって。
オッケーオッケー!
6月になったら、秋田と山形に行くことにしよう。

訪問した新聞社の全ての記者の方に、
私たち、絵本の製作に携わる全ての人間が
このニューヨークのコラムニストであるネコと
同じ気持ちで、この被災者向けの絵本に取り組んでいます、
そう言って、ブログのこの記事を印刷して渡しています。
室蘭民報の常務さんは、ご自身自らのコラムに
何か書くとおっしゃっていました。
以前も紹介した、この記事です。
個人的に、気に入っている内容なんです。

「ネコから届いた絵本」

本当は人前に自分をさらけ出すのは嫌いなんですが
記事にしてもらうためには、やむを得ません。最後に、
「昼寝ネコ」って、私なんですよ、と告白しますと
ほとんどの記者様は、へ〜っ1!と、喜んでくださいます。
そうなんですよ。目一杯のサービス精神なんです。
すでに、弘前・陸奥新報と、盛岡・岩手日報には
顔写真入りで紹介されています。
もう、どうにでもなれです。

新聞を読んだ方々から、申し込みが始まっています。
ご両親を亡くされた小学生の女のお子さんのための絵本は
おじいちゃんからの申し込みでした。

3人の小さなお子さんを残して亡くなったお父さんの場合は
おばあちゃんからの申し込みでした。
人生の晩年で息子に先立たれ、小さな孫とその母親を
死ぬまで支えなくてはいけないと・・・
自分の悲しみに浸っている余裕はないのです。
不覚にも、電話口でもらい泣きしてしまいました。

生き残った人たちにとっての苦しみと悲しみは現実です。
でも、私には不思議と、亡くなった方々の気持ちの方が
強く感じられるのです。
どんな心象で、何を伝えたいと思っているか・・・が
分かるような気がするのです。
人生は、いつか振り返ってみるなら、たとえ
どんなに過酷と思える苦難であっても、
穏やかに受け止められる時期は、必ず訪れます。
そう思わないと、生きること自体がとてつもなく
重いものになってしまいます。
でも、時間がかかるかもしれないけれど、
いつかきっと・・・と思えるだけで、かなり重荷を下ろせるものです。
そう確信しているから、被災者向けの絵本の文章を
確信を持って作ることができました。

女川で小学生の息子さんを亡くされたお母さまとは
今でもメールのやりとりを続けています。
どうすれば、親を亡くされたお子さんたちに
この絵本の存在を知らせてあげられるかを助言してくれています。
絵本をお送りした頃と比べて、少し元気になられたような
そんな印象を受けています。

悲しみを心の中に塗り込めたままにせず、
自然に涙を流し、声に出すことで
苦しみは徐々に軽くなるものです。
感情は、涙と一緒に外に流れ出るものなのです。

旅行中、旧約聖書の中の物語を読んでいました。
預言者サムエル、イスラエルの王となったサウル、
次に王となったダビデ、その子のソロモン。
私は以前から、自分が生まれた頃の(勝手にそう思っています)
王だったダビデに親近感を持っています。
優れた統治者でしたでしたが、人間的な過ちを犯し、
夫のある身のバテシバとの間にできた子どもは
ダビデの必死な嘆願にもかかわらず、
出産後1週間で亡くなります。
栄光と挫折と苦難。

人生には様々なことが起こります。
苦難に直面したときに、人生を否定的に捉えるか、
あるいは可能性を信じ、希望の灯火を保ち続けるか、
まさに分岐点だと思うのです。

岩手日報に掲載された記事の右横に
イスラエルから招聘された、トラウマ治療の
専門家男女が紹介されていました。
テロの絶えないイスラエルでは、親を亡くしたり
子を亡くした多くの方が苦しみを背負っており
トラウマをいくつかのカテゴリーに分類し、
作業療法的に治療するらしいのです。

私が書いた文章も、日本人のPTSDの専門家が鑑定したそうです。
やや否定的な見解だったようですが、福祉団体が
熟慮の末、英断して助成を決めてくれました。
私は、頭で文章を考えていません。
心で感じたままを表現しています。
ですから、生き残った人を見つめるのではなく
姿は見えず、声も聞くことのできない
亡くなった方の思いを代弁しているという自負があります。

おそらく私自身に、そろそろお迎えが来るのかもしれません。
なので、死者に近い視点から事象を捉えているかもしれません。
もうそろそろかなと、そう思い始めたのは
30歳代からですから、かれこれ30年はダラダラと
生き続けていますので、もしかしたら
お前のような人間は、霊界では使いものにならないと
判断されて、迎え入れてもらえないだけなのかもしれません。

改めて、この
Eliane Elias・・・ポルトガル語でなんて発音するのか
分かりませんが、多分、エリアヌ・エリアスでしょうか。
少し陰影のある歌い方が、疲れを癒やしてくれます。
旅行中はまったくテレビを観ずに、ずっとiPadで
彼女の歌声に支えられて過ごしていました。
そして、時々はピアソラとDiana Krallに、です。

行きに、いきなり川崎駅のエスカレータを下りきったところで
転倒してしまい、最後まで無事にスケジュールをこなせるか
不安でした。盛岡駅前の広場の段差に気付かず、再び転倒。
さらに、ガソリンスタンドに車を入れるつもりが
縁石が目に入らず乗り上げてしまい、警察とレッカー車を
呼ぶ騒ぎもありましたが、なんとか無事に帰ってこられました。
正直に言うと、震災で亡くなったたくさんの皆さんが
結託して私を守ってくれているという、妙な安心感がありました。
声をかけられない子どもや、親に対するメッセージを
是非、受け取らせてやりたい・・・そんな気持ちを感じました。

使命感と達成感の両方を体得できた出張旅行でした。
現地に行って、記者の皆さんを通し、実感できることが
たくさんありましたので、さらに何をすべきか
考えたいと思っています。

明日からでも、秋田と山形に出発できる
気力と体力があることに、自分も驚いています。
[PR]
by hirune-neko | 2012-05-26 23:45 | Comments(4)

明日は仙台から福島へ向かいます

Gustav Mahler - "Ich bin der Welt abhanden gekommen" (Rückert) - Fischer-Dieskau


13日に出発でしたから、10日が経過しました。
仙台駅近くのホテルに滞在しています。
明日は最後の訪問地である、福島に向かいます。

北海道、青森、岩手、宮城での予定は
すべてこなしましたが、結局、田代島には
行けませんでした。

少し疲れが蓄積しているせいか、
ホテルの部屋番号を間違えてしまい
ドアが開かなくて焦ったこともあります。
前日滞在したホテルの部屋番号を記憶していて
開けようとするのですから、どうにもなりません。

今日までに、合計で新聞社13社に伺って
12社が記事化を明言してくれました。
今日、会社に青森・弘前の陸奥新報がとどきました。
今朝の岩手日報の記事を読んだといって
何人かの方が、お電話をくださいました。
私から電話して詳しく説明しましたが、
聞いている私が声に詰まるような、切羽詰まった状況で
絵本を希望されている方でした。
もう、新聞社訪問の効果が出て、動き始めたわけです。

福島の2新聞社に行って、旅程の終了です。

被災地の景観は、テレビを観ない私にとって
現地に行くまでは、実感の伴わないものでした。
でも、大船渡の新聞社から気仙沼の新聞社に向かう途中、
海岸線と並行に走りながら、目の当たりにしました。
単に建物や街並みが破壊されたというだけではなく
人間の希望や思い出をも破壊尽くしたかのような
自然の猛威と、1年を経てもまだ残る傷跡。
重い現実でした。

その二日後に、石巻から女川町に向かって
車を走らせました。
海とは、彼方に水辺線が広がっているというイメージでしたが、
複雑に入り組んだ湾は、まるで湖のように陸地に抱えられ
青緑色の水をたたえていました。
そこは、非現実の世界に近く、あたかも
死せし人々のあまたの霊魂が、離れがたく存在している、
そんな厳粛な雰囲気を感じさせました。

言葉で表現するには限界を感じます。
マーラーのこの曲は、リュッケルトの詩をもとに作曲され
原題の意味は「私はこの世に忘れ去られて」だったかでしょうか。
バリトン歌手、ホセ・ファン・ダムが主演した
ベルギー映画「音楽教師」の最後のシーンで流れています。
生き方を貫いた音楽教師の遺体を船で運び
水葬するシーンです。

震災で生き残られた方よりもむしろ、亡くなられた方々の
心象近くに、私の心の視点もまたあるような気がしています。
この世を離れて存在し、新たな世界を得て
この世を見下ろしている、死せる人々の目に映るもの。
その一部を、私も一緒に見ているようなイメージが拡がっています。

改めて、人間の心のもろさと、そして同時に
状況に即して変容していける強靱さの、両方を垣間見ています。
人間は、自分自身が底辺に身を落とし
挫折と苦難を経て初めて、他者の苦しみを理解できるし、
心を閉ざした人の心に届く言葉を発することができる、
と、そのように思える日々でした。
改めて、藤沢周平作品の、陰影ある味わい深い
人間の描き方に、敬服しています。
[PR]
by hirune-neko | 2012-05-23 22:38 | 現実的なお話し | Comments(6)

本当は、ネコは将棋が強いんです

ネコ将棋 第23期竜王戦  猫川竜王 対 猫島九段


ネコは、人前では将棋の実力を見せないものなんです。
でも本当は、とてつもなく強いネコが存在するんです。

私は、人間の格好をしているときは
まあ、四捨五入して一応は初段ですが、
実力は底なしなんですよ。
江戸時代から伝わる将棋の秘伝があるのですが
今では禁じ手として封印されており
たとえプロといえども、今ではその手を使って
指す人は存在しなくなりました。

私の将棋の師匠は、もちろん人間です。
入門したての頃は、初心者を装って
弱々しく将棋を指していましたので、まあ
実力的には10級ぐらいからのスタートでした。
でも、強い人と対戦していると、ついつい
ときどき本気になってしまい、徐々に
昇級してきています。

昨日、師匠から将棋の通信簿が届きました。
序盤、中盤、終盤それぞれに、細かい基準を設けて
採点してくれているのです。
点数は1から5までの5段階です。
5は、完璧に理解しているで、
4は、かなり理解している、です。
私の場合、4がふたつありました。
嬉しいものです。
3は、相応に理解しているで、5項目。
2は、少し理解しているで、8項目。
ということは、まだまだ伸びる余地がある
ということだと理解しています。

将棋のルールは至って明快で
相手の王様を取れば勝ちなんです。
江戸時代に、将棋の鬼才が編み出した
秘伝中の秘伝・必勝法は、実はなんと
夢の中で授かった戦法なんです。
でも、例えばタイトル戦の最終戦で
勝てば優勝、などという非常に重要な
対局でしか使うことができません。
それほど、厳しく制限されている戦法なのです。

相手が羽生さんだろうが森内さんだろうが、
100%の必勝法です。
まあ特別に内緒で伝授して差し上げます。
自分が後手番のとき、相手の初手は
常識的には7六歩か2四歩です。
その初手を見定めてから、やにわに手を伸ばし
相手の王様を取ってこう宣言します。
「王様を取ったのだから、拙者の勝ちでござる」

唖然とする相手を無視して、さっさと席を立つのです。
これで、将棋界からは永久追放になりますが
勝ちは勝ちです。
だから昔から言うではないですか・
「先手必勝」と。
この言葉には、実は深い意味があったのですよ。

まあ、おふざけはともかくとして
本当に嘘のような女流ネコ棋士のお話しを
5年前に書いたのを思い出しました。
これをお読みになれば、プロもかなわない
特殊な強豪ネコが存在することを、ご理解いただけると思い
再掲させていただきます。
将棋に興味がある方は、是非お読みください。

「盤上の女ネコ流棋士」  2007年のブログ記事です。
[PR]
by hirune-neko | 2012-05-10 23:55 | Comments(0)

なんて私は、素直なんでしょう

Harmony of Morning Mist


二日間、新聞社に電話をかけまくり
昨晩は、ぐったりして床につきました。
作成したリストの34社全部に電話するつもりだったのですが、
23社目で止めることにしました。
秋田県、山形県、北海道の4社を残し、
「もういいや」と思ってしまったのです。
理由は、津波発生の地域を離れれば離れるほど
被災とはあまり関係がない、という印象を受けたからです。

早朝、目が覚めました。
もうひと眠りしようと考え、睡魔に包まれるのを待ちました。
そのとき、突然ある思いを心に感じました。
他県に疎開して子育てしている家族の
分布状況などを把握できるはずがありません。
でも、ある地域にたった一家族だけが疎開しているとして、
人数が少ないから、その地域は無視するのか?
そういう思いをはっきりと感じたのです。

被災地向けの寄贈絵本を、なんとか形にしようと
悪戦苦闘していた去年の11月25日に
「ネコから届いた絵本」
というタイトルで、家族を失った人たちへの気持ちを
文章にしていたのを思い出しました。
ニューヨークのセントラルパークで
ミスター・フィロソファーと呼ばれるネコと出会い
どんないきさつで、一人のために一冊の絵本を書いているか、
そのお話を思い出したんです。
そのネコは、まるで私にこう言っているようでした。

「君は、ニューヨークで会ったときに話した
ボクの絵本のストーリーのことを、もう忘れたのかね。
そりゃあ、各地域に何人の人たちが疎開しているか
ボクにも分からないけど、でも、たった一人しか
いなかったとしても、その人のために
努力するべきではないのかね。
なんでもすぐに忘れて、けろっとするのは
君の長所であるけれど、短所でもあるんだよ。」

心に感じたことには、素直に従う性格なものですから
午前中から、新聞社への電話を再開しました。
津波で家族を亡くした人のための絵本よりむしろ
震災前後に出産し、不自由さと不安を感じながら
他県で子育てをしている家族がいるかもしれない。
そういう方々を励ます文章の絵本の方を紹介してほしい。
今日は、そういう論点で説得を試みました。
秋田県のある新聞社の記者の方は、こう答えました。
「こちらにも疎開してきている人が結構います。
それはとても有意義なプロジェクトだと思います」

そういう答えは期待していませんでしたので
嬉しかったのは言うまでもありません。
一気に秋田県と山形県を駆け抜け、
北海道の釧路、帯広、苫小牧、函館の新聞社に
電話して、ファックス送信し、めでたく
33社に全て資料を送った次第です。
宮城県の1社は、どうやら廃業しているようでした。

理論的に考えるのも好きですが
基本的には自分の直感を信じています。
理屈を超えて、何かしら強く感じることには
信頼を置いて生きてきました。

果たして、33社の新聞社のうち、何社が
どの程度の記事にしてくれるか、皆目見当がつきません。
でも、正直な気持ちをいいますと、おそらく
8割前後の新聞社が記事にしてくれると思っています。
数にして25社前後です。
記事化されたら、その都度このブログで報告しますので
昼寝ネコの直感が、どの程度のものなのか
冷やかし半分でいいですから、見守っていてください。

早朝の神聖なインスピレーションでした。
やはり今夜も、眠い眠いひとときです。
[PR]
by hirune-neko | 2012-05-10 01:38 | 心の中のできごと | Comments(2)

ジュリアン・クレールだって、いい年齢だと思います

JULIEN CLERC Femmes je vous aime.wmv


久しぶりに、脳内がオーバーヒートしています。

昨日から今日にかけ、午後の遅い時間からかかりきり、
青森、岩手、宮城、福島の全新聞社に電話しました。
記事にしてほしい案件があるので、
作成したプレスリリースを送るから読んでほしい、
それだけのことなんです。
でも、最近は電話営業ってほとんどしていませんので
普段、使わない筋肉を急に使ったような
しばし、もうろうとした感じです。
北海道の一部を含め、最終的に22社に資料を送りました。

人手がないので、事前に作成した基本資料を見ながら
1社ずつ電話し、結果を記録し、ほとんどのケースは
相手の社名と担当者名を差し替えて印刷し
すぐにファックス送信します。
その繰り返しです。

電話のやりとりだけでしたが、逆に
相手の熱意、理解度、そういうものが伝わってきます。
日用必需品の9割引、というような記事ではなく
心で嗅ぎ分けて、必要性を判断する商品なので
記事を見て、殺到してくるはずもなく、
なかなか難しさが伴う、忍耐の要る作業です。

クタクタの頭休めに、何か音楽を聴きたいと考え、
ふと思い出したのが、ジュリアン・クレールでした。
もうすっかり忘れていました。
初めて聴いたときに、独特の発声とメロディー、そして間。
食べ物で言えば、不思議な食感でした。

若い頃は、まるで女性のようなロングヘアーだったようですが
10数年前にテレビで観たときは、すでに中年のおじさんで
短髪に革ジャンといういでたちでした。
何曲か印象に残っていますが、この曲は
一度聴いたら忘れない、という感じです。

私はフランスに住んでいませんし
フランス語も理解しませんので、ジュリアン・クレールの
詳細はまったく知りません。
いわゆる、フレンチ・ポッポスのジャンルなのかもしれません。
でも、本当に不思議な食感としか表現のしようがなく
懐かしく思い出しています。
ちょうど、異国の地で新しい仕事を始めたときに
毎日毎日繰り返して聴いていましたので、
あの頃の心情や、見知らぬ街の風景が
ぼんやりと思い浮かびます。

20歳代の後半から、約20年間。
主にアメリカが多かったですが、英国とフランス、
そして少しだけドイツと、瞬間的にスイス。
かなりの距離を飛びましたし、まあまあ色々な人種と
接点を持ちました。
お金の儲け方は、今でもよく分かりませんが、
でも、大雑把な方向感覚と、リスクの所在場所、
人間の見極め、歩き回る土地勘、そういうものは
培われたように思っています。

果たして、私のこれからの人生で
再び役に立つ局面が訪れるのか、はたまた
そろそろ数年後には、どこかで朽ち果てているのか
皆目見当がつきません。
でもまあ、年齢の割には、コンピュータを
駆使している方だと自認していますので
あとは、英語を中心に数カ国語をマスターして
次の何かに備えようと、気概だけはまだ残っています。

たとえ目がかすみ、足腰がふらついたとしても
頭さえしっかりしてれば、まだ何か悪あがきができそうな
そんな気がしているんですよ。
ジュリアン・クレールの若々しい声に見習って。
[PR]
by hirune-neko | 2012-05-08 20:28 | 心の中のできごと | Comments(4)

楽曲情報公募中

Time Alone - Eliane Elias


長かったような、まだ短いとも思えるような
自分の人生を振り返ってみて、とてもたくさんのものが
いつの間にか濾過されて、跡形もないことに気付いています。
あれほど執着していた「こしあんドーナツ」には
今はもう目もくれません。
血糖値が上がったため、ジンジャーエールなどの
清涼飲料水と決別するときに
代用品としてがぶ飲みした、ノーカロリーの
ダイエットコークだって、セブンイレブンに行っても
その存在すら視界に入らなくなりました。

逆に、濾過されずに残っているものは何か・・・?
考えるまでもなく、「言葉」と「音楽」です。

言葉は実に不思議な存在感を持っています。
目で見ることもできるし、耳で聞くこともできます。
同じ言葉であっても、その人の感性によって
様々な形や色彩に変化します。
何よりも、言葉は心で感じることもできます。
感動させることもできるし、激怒させることもできます。
上手な使い手であれば、まるで魔法使いのように、
言葉には生命を吹き込むこともできるのです。
普段、何気なく使っている言葉ではありますが、
今さらながら、これからも言葉の塊を
なんらかの作品として残せたらいいなと、思っています。

言葉は、自分の中から湧いてきますが、
音楽はそういうわけにはいきません。
誰かの演奏した作品を繰り返し繰り返し聴いています。
感覚的に受け入れられる、居心地のいい音楽を見つけると
とても嬉しくて、数十回ではなく、数百回、
作品によっては、千回単位で聴いているかもしれません。

このブログが産声を上げたのは、2005年の2月です。
徐々に、文章と音楽を組み合わせて掲載するようになり
YouTubeは、とても好都合なツールであり続けています。
でも、困ったことに、自分の好きな演奏家は
絶対数がとても少ないので、どうやらもう
紹介し尽くしたようなんです。

標題の曲は、最近識ったEliane Eliasです。
APP Storeから数枚のアルバムをダウンロードし、
そこにないものは、アメリカの通販ショップで探して
2枚空輸してもらいました。
もちろんamazon.comにもなかったからです。

決して高望みをしているわけではありません。
くつろげて、長く聴き続けられる演奏との出会いが必要なのです。
そこで、ここにいらっしゃった方にお願いがあります。
お好きな演奏家と楽曲を是非ご紹介ください。
ジャンルは問いませんが、演歌とJPOPそれとKPOPは
どうも相性があまり良くありませんので・・・。

お礼に、いつか出版されたら
「続・昼寝ネコの雑記帳」または「昼寝ネコの創作帳」の
初版本をサイン入りで贈呈させていただきます。
だって、再版されるかどうかわかりませんので。
どうぞ、私の感性が干からびないうちに、
楽曲情報をお寄せください。
子犬のコーギー犬とか、スコティッシュフォールド(ネコ)も
いいなあと思ってはいるのですが、
でもやはり、音楽が一番のともだちです。
何よりも、創作イメージを補強してくれますので。

では、いずれの新たな演奏との遭遇を期待しつつ。
[PR]
by hirune-neko | 2012-05-05 18:34 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
暇工作さん コメ..
by hirune-neko at 23:53
多分誰かが書き込むだろう..
by 暇工作 at 10:23
> 豆腐おかかさん ..
by hirune-neko at 01:16
かつさん ありがと..
by hirune-neko at 16:14
岡崎トミ子は死んでますよ..
by かつ at 09:09
記事ランキング
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ