昼寝ネコの雑記帳

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放浪のフォトグラファー〜尾道物語

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どうしても古い因習に馴染めず、
尾道から逃げるように飛び出して28年。
一度も尾道に帰ることはなかったが
母危篤の知らせが、親不孝娘の私を郷里に呼び戻した。
尾道の風景は、昔と変わっていなかったし、
父は何も言わず、静かに私を招き入れた。
顔付きも身体も、すっかり老いてしまったが、
目の奥の優しさは、街の風景と同じだった。
歳月を経ても変わらない尾道は
かえって、私自身の無様な心象を際立たせた。

横浜から距離的に離れたせいか、離婚の心労からは
少し解放されるような気がする。

持ち直した母は、病室で私を見るなり
私の手をたぐり寄せて両手で握りしめ、
何も言わずにただぼろぼろと大粒の涙を流した。
その表情を見た瞬間、私自身の感情も
堰を切ったように、遠い過去から流れ出した。
こんなに涙を流すのは何年ぶりだろうか。
自分の中に、まだ感情という機能が生き残っている。
不思議に感じると同時に、安堵した思いだった。

このままずっと、両親の世話をしながら、
私自身も尾道の土に還るのだろうか。
それとも、薄情娘の本領を発揮して
またある日、突然家を飛び出してしまうのだろうか。
十八歳だったあの日の私と、今の私の違いは、
ためらいを感じるようになったこと、
両親の心情を推測できるようになったこと。
それともうひとつ、どこかで何かが待っている、
という幻想を持てなくなったことだろう。

病室の窓越しに、坂道に連なる海が見えた。
大きな船がゆっくりと移動している。
どんよりとした霧笛の響きは、昔と変わっていなかった。

*********************************

冒頭の写真は、アイルトンさんのブログ
「Ever Green」から、ご本人の許諾を得て
掲載しています。

アイルトンんは、神戸出身、函館在住、尾道出没、
という具合に、カメラバッグと一緒に放浪する
フォトグラファーさんなんです。
ずいぶん以前から、ブログにお邪魔していますが
生来の港町好きなものですから、
アイルトンさんのブログ写真のファンになっています。

尾道には行ったことがありません。
でも、アイルトンさんが撮られた何枚もの
尾道シリーズを目にするうちに、
何やら私自身の中で、尾道を舞台にした
妄想が拡がってきています。
そしてついに、若い頃、尾道を逃げるように飛び出した
女性の人格が、徐々に姿を現し始めました。
短い文章ですが、アイルトンさんの
一連の写真からイメージした女性の独白を
文章にして掲載してみました。

アイルトンさんは、最近、ブログランキングに
エントリーしていらっしゃいます。
「日常写真」とかいうカテゴリーです。
一度、のぞいてみてください。
いいなと思われたら、ご本人の創作の励みのために
「日常写真」ボタンをクリックしてあげてください。
宜しくお願いいたします。

Ever Freen by アイルトン
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by hirune-neko | 2012-03-31 01:31 | 創作への道 | Comments(2)

幸せのある日常

Charles Aznavour chante Mon emouvant amour 1995 - Carnegie Hall


最近、幸せだなと感じたのは、いつだろうか?
それは、どんなときだっただろうか?

今日、横須賀に住む三男が、妻子を伴ってやってきた。
何やらお土産を買ってきてくれたらしい。
聞くと、くりこ庵のたい焼きだという。
前回、その、くりこ庵のたい焼きを買ってきてくれたのだが、
むらさき芋あんのたい焼きを初めて食べて
あまりの美味しさに、感動的な至福感に浸ったのを覚えている。
なので、今日もその感動が再現するか・・・
いやあ、やはりとっても美味しかった。
心から幸せだった。
人間というのは、こんな些細なことで
幸せになれるものなのだ・・・いや、もしかして
大の甘党だからなのかもしれない。

ふと思い立って、久しぶりにアズナブールを
聴いてみたくなった。
邦題は「声のない恋」。
原題はMon emouvant amour。
聾唖者の女性との切ない恋愛感情をテーマに
アズナブールが作り、デュオの相手の女性は
確か、娘さんだったと思う。

初めてアズナブールを聴いたのは
およそ40年ほど前のことで、
かなり傾倒した記憶がある。
あれからずいぶん月日がたったが
アズナブールの声はまだまだ健在だ。
かえって円熟味が増し、落ち着いて聴ける。
そういう私は、円熟味どころではなく
半熟卵のように、未だに未熟な人格と
支離滅裂な思考回路の故に
呆れるほど試行錯誤している。

でも、こうして、束の間ではあるけれど
好きな音楽を聴くことに集中できる時間があり
没頭できるというのは、考えてみれば
幸せなことだと思っている。

くりこ庵・・・まだまだ未知の
幸せの領域が、世界には広々と
存在してるのだろうと想像するだけで
生きる希望が湧いてくる気がする。
結局は、なんだかんだ言うものの
単純な自分なのだとほっとしている。
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by hirune-neko | 2012-03-29 00:21 | 現実的なお話し | Comments(6)

映画「ラテンアメリカ 光と影の詩」

Liliana Herrero - El viaje (Astor Piazzolla)


原題は「El Viaje(エル・ビアヘ)」、直訳すれば「旅」だ。
これで、ソラナス監督・ピアソラ音楽の3部作を見終えた。
この作品を最後に鑑賞できて、良かったというのが率直な感想だ。
しっとりと余韻に浸れる作品だった。

雑踏のような回想シーンは使用されず、あるのは
幻想と現実の交錯する人間の心象風景。

少年は、再婚した母の家庭を飛び出す。
アルゼンチン最南端の町から自転車に乗り
いくつもの国を経て父の住む町を目指し、
南米大陸を縦断する。

映画のストーリーは「父を訪ねて三千里」なのだが
人生、社会体制、生き方、価値観など
考えさせられることが多く、貴重な疑似体験だった。
改めて、ピアソラが創り出すフレーズ、そして
バンドネオンの音色が、深く切なく、それでいて
原始的な生きる気力を奮いだしているのを感じた。

資料を調べたら、次の一節が目に留まった。

「ラテンアメリカの映画や文学によく見られる、
現実と幻想が混ざりあう『魔術的リアリズム』の手法」

長い年月を、振り返ってみると
現実を妄想に近づけ、同化させようと試みてきた
自分自身を知覚することができたように思う。
足下は大地に近くあり、ほどなく、その地中に
埋もれていくであろう実感がある。

世界中を旅してはいないが、
記憶の彼方に埋もれるようにして
いくつもの街と景色が思い出される。
それらは、ある種の幻想と妄想に生命を吹き込まれ
闇を手で触れるかのような、奇妙な現実感がある。

休日の午後の、ぼんやりした貴重な時間だった。

冒頭の音楽は、途中何度も、そして
最後のシーンでも使われているものだ。
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by hirune-neko | 2012-03-20 15:37 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)

映画「スール その先は・・・・・・愛」

Astor Piazzola y Roberto Goyeneche - Vuelvo al Sur


朝、外出してほどなく、花粉症の症状が徐々に悪化し始め
今現在はかなりひどく、悲惨な状況になっている。

ピアソラが音楽を担当した映画の、2作目を観た。
邦題は「スール その先は・・・・・・愛」となっていて
主人公がスールという名前の女性で、恋愛ものなのだろうと
そう思って見始めた。
原題は「Sur(スール)」で、スペイン語で「南」という意味。
テーマ曲として使われているのは
原題が「Vuelvo al Sur(ヴエルヴォ・アル・スール)」で
邦題はたしか「南へ行こう」だったと思う。
なので、スールという名前の女性ではなく、
南へ、という意味であり、当時の軍事独裁政権を
背景に、南へ自由を求める、という象徴的な
意味を持っている・・・はずだ。

いきなり、男性歌手のロベルト・ゴジェネチェが登場し
バンドネオン奏者として、どうやら若き日の
ピアソラの姿も見える。
この曲は、かなり前にブログで紹介したことがあるのだが
いつ、なんというタイトルで書いたか
どうしても思い出せなかったので、google検索してみた。
「昼寝ネコの雑記帳 ロベルト・ゴジェネチェ」で。
すぐに特定できた。2011年05月08日の記事で
タイトルは「旧友との再会」だった。
     *「旧友との再会」を読まれる方はこちらです。

映画で使用された音楽で、これ以外は
残念ながら、あまり印象に残っていない。
テーマを一言で表現するなら、軍事独裁政権に対する
「怨嗟(えんさ)」ではないだろうか。
作品の構成に関して一番気になったのは
カットバック、つまり回想シーンと現在のシーンが
あまりにも頻繁に交錯するため
頭の中で時系列に整理するのが難しかったこと。
結果的に、作品の中に没頭できなかった。

それと、男女間の愛憎があまりに直線的であり
草食老人の私には、改めて日本的なる「静謐さ」が
安住の地であることを再認識した。
なんだかんだ言って、私は日本的なもののファンである。
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by hirune-neko | 2012-03-18 20:59 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

映画「タンゴ ガルデルの亡命」

Astor Piazzolla - Duo de Amor


DVDを受け取ってから、ずいぶん日数が経ちましたが
映画「タンゴ ガルデルの亡命」を、やっと観ました。
最初の数分だけを観て、ブエノス・アイレスらしき街、
と紹介しましたが、どうやら早合点だったようです。

ブエノス・アイレスから亡命してフランス・パリに逃れた人たち、
という設定であり、全編がフランスでの撮影なのでしょう。
アルゼンチンは確か、南米のパリと呼ばれるそうですから
どこか似た印象があるのかもしれません。

個人的には、スペイン語とフランス語がまぜこぜに
出てきたので、二種類の好きな言語を聴けたのは
とてもラッキーでした。
音楽はもちろん、ピアソラでなくてはいけなくて、
冒頭の曲は、最初のシーンだけでなく、途中にも
使われていて、テーマ曲のような感じです。

アンドリュー・ロイド=ウェバーが作曲した
同じくアルゼンチンの軍事政権をテーマとする
ミュージカル「エヴィータ」とは時代的にずれており
直接的な関連はないようです。

内容に関しては、ピアソラの音楽、出演者の演技、
ふんだんに踊られるタンゴ・・・どれも高水準です。
ストーリーと流れに関しては、日本人にはちょっと
理解しにくい部分が多々あるように思います。
それと、製作手法が、私にとっては前衛的な部分があり
それが作品のリアリティーを減衰させていて、
人工的な作り物であることを随所で実感しました。

ですが、ピアソラとタンゴとフランス語が好きな、
ちょうど私のような人間には、楽しめる作品です

映画を鑑賞する上で予備知識としての背景説明を
映画オタクらしい方のブログでみつけましたので
ご紹介します。


ブログ「逸楽の映画選@リピートマニア」より
タンゴ ガルデルの亡命
原題:El Exilio De Gardel TANGOS

1985年 / フランス=アルゼンチン
監督  フェルナンド・E・ソラナス
脚本  フェルナンド・E・ソラナス
音楽  アストル・ピアソラ、ホセ・ルイス・カスティニェラ・デ・ディオス
出演  マリー・ラフォレ、フィリップ・レオタール、
                ミゲル・アンヘル・ソラ他


舞台こそパリになっているものの、
ソラナス監督がアルゼンチン人であり、かつ、
アルゼンチンが生んだ天才音楽家アストル・ピアソラの
最高傑作との呼び声も高い「タンゴ・ゼロ・アワー」
ともリンクしているので、アルゼンチン度という点では
本作に軍配が上がります。

1970年代にアルゼンチンで発足した軍事政権は、
徹底的な言論弾圧等を行ったため、政府による
強制誘拐・殺人等により生じた行方不明者は
数万人を下らないと言われています。
この間、多くの知識人たちは、難を逃れるため
海外に亡命しました。本作がパリで撮影されているのも、
ソラナス監督自身がそういった亡命者の一人であった
ことによるものであり、また内容についても
軍事政権を逃れてパリに亡命してきた人々が
祖国の現状と郷愁を訴えるタンゴの舞台を
作るというものになっています。

以下、本作を鑑賞するために最低限必要な情報を記しておきます。

① タンゲディアとは?
タンゴはただのダンスではありません。
喜び哀しみ怒りといった人間の様々な感情を
表現できる手段のひとつです。そしてタンゲディアとは
造語で、「タンゴによる悲喜劇」といったニュアンスの言葉です。

② ガルデルとは?
20世紀初頭に実在したアルゼンチン史上に残る
名タンゴ歌手です(日本でいうと美空ひばりみたいなもの?)。
国外に亡命こそしていませんが、世界中を公演で飛び回り、
若くして飛行機事故で亡くなっています。
日本でもCDが出ていますので気に入った人は
買ってみるのも一興でしょう。

③ サン・マルティン将軍とは?
アルゼンチン国内では、欧州からの植民地解放のために戦って
独立を勝ち取ったラテンアメリカの伝説的英雄として
評価されているそうです。もっとも、
欧州生まれのアルゼンチン人であり、ラテンアメリカ各国が
独立を勝ち取リ終わる前に理想と現実のギャップに
失望を感じて欧州に帰ってしまったので、
アルゼンチン以外ではあまり評価されていない模様。
映画で語られているとおり、最後はフランスで客死しました。

④ エンリケ・サントス・ディセポロとは?
20世紀前半のタンゴ界をリードしたスターで、
特に作詞面での評価が高いそうです。
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by hirune-neko | 2012-03-16 20:53 | Comments(0)

Scent of woman〜父の香り

Scent of woman - Tango


(創作スケッチ Scent of woman〜「父の香り」)

生前の父の希望により、葬儀は質素なものだった。
父には兄弟がいないので、親族は喪主である、娘の私だけ。

教会は父の希望を受け容れ、葬儀を執り行ってくれた。
司式者の方が、聖典からの言葉を引用し、
生前の父の善行を讃美している。
私は何歳まで、父と一緒にこの教会に通っただろうか。
毎週日曜日に教会に行くことが、徐々につまらなく思え
いつしか足を運ばなくなってしまった。
罪悪感がなかったといえば嘘になるが、
申し訳なく思うほど、父は寛容だった。

献花が始まるらしく、十数人の参列者が並び始めた。
一人ずつ観察してみたが、どの顔を見ても
父とどういう関係の人なのか、皆目分からない。
喪主である私に黙礼し、私は機械的に答礼する。
少しの感情も入り込む余地がないのが、不思議だった。
献花の順番が進む。

少し、後ろの方の、うつむき加減の女性が目に入った。
父よりは少し若い気がする。
髪は引き詰められており、顔立ちのはっきりした女性だ。
教会の関係者なのだろう。
その女性が、黙礼し献花台に立ったとき、
ほんの微かだが、香水の匂いが漂った。
葬儀に香水?となじる感情よりも前に
鮮明なシーンが甦った。

小さい頃から、母のいない生活だったので
子どもながらも、父の世話の真似事をしていた。
中学生になった頃だろうか。
帰宅した父の洋服をハンガーに掛けようとしたとき
香水の匂いがしたのを覚えている。
父はタバコを吸わなかったので、いつも
何も匂いはしなかった、
だから、そのとき香水の匂いを感じたことは
とても意外だったのだけれど、さして気には留めなかった。
中学生の私は、香水になんて全然興味がなかったものの
強烈な印象としてどこかに残っていたように思う。
今、この年齢になっても相変わらず香水に興味が持てない。

献花中のこの女性から漂う香水の特長ある香りは、
あのときの父の上着についていたのと同じものだ。
不思議なもので、20数年経った今でも
鮮明に覚えていることに、かえって驚きを感じた。
人生って不思議なものだと、改めて思った。
偶然のちょっとした取り合わせが、すっかり忘れ去っていた
過去の遠い思い出を、突然目の前に再現するのだから。

聞いてはいけない質問だということは
子ども心にも、なんとなく分かっていた。
でも、一度だけ父に聞いたことがある。
お母さんはどこにいるの?
事情があって、遠くに行ってしまい
一緒に暮らせなくなった・・・そう聞いていたので、
でも、会ってみたい気持ちが募ったときがあった。
あのとき父は、まだ会える状態ではないと、
曖昧な言葉で説明し、私もそれ以上
聞いてはいけないという雰囲気を感じて
その質問はもう、それっきりにした。
この女性が今日、参列していなければ、
そして、よりによってこの香水をつけていなければ
濃い靄に包まれて忘れ去られようとしていた
父の陰が、浮き上がることはなかったように思う。

* * * * * * * * * * * * * * * * *

教会の墓地は、秩父の山の麓にあった。
質素な、正方形の灰色の石蓋の下に納骨し
父に簡単な別れの言葉を告げると
そのまま関越自動車道を練馬インターに向かって
車を走らせた。

これで正真正銘、私は天涯孤独な身となった。
幸いに専門職なので、失業の心配はないだろう。
だが、独りで生活したことがないためか
漠然と将来に不安を感じていた。
こんなことは初めてだった。

帰宅して、緊張感が解け、同時に虚脱感に襲われた。
ふと、テーブルの上の会葬名簿が目に入った。
同じ文面だとしても、せめて会葬の礼状を出さなくては。
いなくなってみて、かえって父の不在が重く感じられ
あまりにも事務的に過ごした、この1週間への反省の
気持ちが生じた。
せめて、会葬者と父との関係を確認し
一筆添えるぐらいのことはしなくては。

教会の関係者の方に連絡を取り
一人ずつ名前を伝えて、父との関わりを確認した。
教会の関係者ではない三人の名前のうち
二人の男性は、よく父から名前を聞いていたので
かつての勤務先の同僚であることは分かった。
定年後も、時々一緒に会っていたようだ。
最後に一人の名前が残ってしまった。
どうやら、あの香水の女性なのではないだろうか。
なんとなくそんな気がした。
住所は、逗子になっている。
事務的に礼状を出しても、決して非礼なことではない。
そして、父が生きていた痕跡も、
これで完全に消滅してしまうのだ。

今まで気にも留めなかった「人生」という
現実そのものなのに視界に入らなかった概念が
突如、姿を現したかのように、戸惑いを感じた。

私が結婚相手に会ってほしいと伝えたとき、
一種の間を置き、いつ?どこで?と
父は、まるで商談のスケジュールを調整するかのような
事務的な口調だった。
いつ?どこで?・・・どうして「誰なの?どんな人?」って
聞かなかったのだろうか。少し意外だった。
この年齢になって、そのときの父の気持ちが
少しは理解できるようになったような気がする。

いろいろ考えたんだけど、私、離婚することに決めました。
戻って来てもいい?
思い切って父に打ち明けたときも、
父は以前と同じ口調で、いつ?荷物は?・・・だった。
理由はなかったが、突然涙があふれ出て止まらなかった。

人間は、理由がなくても決意したり
感情が溢れてくる生き物なのかもしれない。

逗子に行ってみよう。
思いがけず、会葬名簿に書かれた逗子の住所を
訪ねてみようという考えが頭の中を占めた。
理由はなかったが、これまで知らなかった
父の一面に接することができるのではないかという
漠然とした動機を感じていた。

* * * * * * * * * * * * * * * * *

まだ有休が残っていたので
翌日、第三京浜と横浜・横須賀道路を走り
午後の早い時間に、逗子マリーナを目指した。
カーナビのない車なので、初めての場所は
分かりにくかった。
海を背にして、坂を上り、何度か迷ったが
ようやく目指す住所を見つけた。
小さな旧式の一軒家で、小さな門と木戸がある
平屋建てだった。表札には
あの女性の名前だけが書かれている、

さすがにため息をつき、そのまま戻ろうと決めた。
なんて馬鹿なことをしようとしていたんだろう。
私立探偵でもあるまいに。
自嘲気味にそう考えると
運転席に戻り、エンジンをかけようとした。
そのとき、ルームミラーに人影を感じ、手を止めた。

なんてこった。思わず舌打ちをした。
春とはいえ、今日は肌寒い日だ。
彼女はベージュ色のコートで、髪は下ろしている。
葬儀の時とは、印象が違う。
そんなことより、このままやり過ごそう。
彼女が家に入ってから、車を出そう。
とっさにそう考え、何か探し物をしているように
顔を下に向けて、外の気配を探った。

木戸を開け、彼女は中に入ろうとしている。
だが、彼女はそこで突然振り向き
こちらの様子を窺っているようだ。
最悪の状況になるかもしれない。
いや、なってしまったようだ。

「わざわざ?どうかなさったんですか?」
「いえ、ちょうど鎌倉に用事がありまして
ご住所が逗子と書かれてあったのを思い出した
ものですから、なんとなくちょっと・・・」
最悪の間だ。
「お入りになりませんか?せっかくですから」

通されたのは、6畳ぐらいの洋間だった。
「先日は、遠くまでお越しくださって
有難うございました」
「いいえ、そちらの方こそお疲れ様でした」

*今日は、ここまでにします。
自分でも、仕事中だというのに、なんてアホなことをと
深く反省しています。

今朝、まだ若い年齢の男性が、緊急手術を受けたとの
連絡が入りました。
新婚夫婦で、奥さんは来月出産というのに
脳出血で緊急手術をし、さらに朝から再手術だそうです。
よく知っている夫婦なので、あれこれ気がかりで。
そうこうするうちに、あるシーンが思い浮かびました。
その知人の手術とは、なんの関係もないのですが
かなり、具体的なイメージでしたので
忘れないうちに、書き留めておこうと思い
仕事をほっぽり出しているのです。

この先の展開は、一応あるにはあるのですが
まるで韓流ドラマのように思えるので
まだためらいがあります。
続きは気が向いたときに書くことにします。
こうしてストーリーが、実際に見た夢のように
具体的に思い浮かぶなんて
相当、病的な状態だと思いますが、
まあ、同居するしかないでしょうね。

ちなみに冒頭の動画は
映画「Scent of woman」の一シーンです。
目の見えないアル・パチーノが、
離れた席に座る女性の香水の香りを感じて、
図々しくもダンスに誘うシーンです。
以前、飛行機の機内誌でダリの言葉が紹介されていました。
「音楽も香りも過去の思い出に結びついている」と。
このストーリーも、本来は香水を遠慮すべき場で
ごく僅かの香水を使用している女性が登場し、
その理由は最後に分かる、という構成なので
香水がキーワードの、この映画を思い出しました。
ただそれだけのことです。
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by hirune-neko | 2012-03-14 15:27 | 創作への道 | Comments(0)

ヴァレンタインのお返しです

Etta James - My Funny Valentine


2月のヴァレンタインには、
メッセージやチョコレート、クッキー
ギフトカードやこしあんドーナツを送ってくださった
全国のたくさんの女性の皆さん、
遅くなりましたが、心よりお礼を申し上げます。

明日はお返しのホワイトデーです。
本来は一人ひとりに直接
お返しさせていただきたいのですが
何せ、膨大な数の方々になりますので
この場をお借りして、昔から好きな曲
「My Funny Valentine」をお贈りし、
せめてもの感謝の気持ちに代えさせていただきます。

・・・なんてことを、一度は言ってみたいものです。

今日、被災地で絵本を受け取られた方から
受領葉書が寄贈団体の方に届きました。
その文面を読んで、達成感を感じることができました。

こう書かれていました。

「上品な表装にステキな絵本
それなのに涙があふれてきて 
なかなか最後のページまで読み進めることが
できないほど 愛がたくさんつまった内容に
ただ、ただ感動していました。
本当にありがとうございます。
私自身が震災から一年
心の復興につながったように思います。
そして津波被害をうけた地域の子どもたちに
読んであげたいと思います。」

被災して子育てされているお母さんたちからも、
仙台、福島、そして疎開先の静岡から・・・
子育て応援版の申し込みがありました。
心に解放感や癒やしを感じていただければ
とても嬉しく思います。
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by hirune-neko | 2012-03-13 18:01 | 現実的なお話し | Comments(4)

60歳の青春日記

Tangos, El exilio de Gardel (1985)


昨日、ブログに書かれていた、romarinさんのコメントを読んだら
「今日図書館でピアソラのCDを借りてきました。
Fernando E. Solanas の映画にピアソラが作曲して
演奏していると言うものです。」
と、書かれていた。
  *「ストーリー・ストーカーな自分」 2012.03.04

調べたら、次の記述を見つけることができた。
「2004年ベルリン映画祭にて『名誉金熊賞』を授与された
アルゼンチン出身の名匠、フェルナンド・E・ソラナス監督作を集めた
3枚組BOX。『タンゴ ガルデルの亡命』をはじめ、
『スール その先は…愛』『ラテン・アメリカ 光と影の詩』を収録する。」

近所のTsutayaに電話したら、在庫がなかったので
amazon.comで検索してみた。
在庫僅少・入手不可、と説明されて、3枚のDVD入りの
ボックスセットが出品されていた。
ためらわずに注文したら、今日の日中に届いた。
仕事の合間だったので、雰囲気だけでもと思い、
タンゴ ガルデルの亡命〜Tangos, El exilio de Gardelを
数分だけ観てみた。

いきなりピアソラのバンドネオンの演奏が流れ
感覚のどこかで忘れ去られていた部位が、
ふいに覚醒するのを感じた。
ブエノス・アイレスかどこかは知らないが、
旧い街並みを流れる川と、
アート作品のような橋が遠くに見える。
えっ!?
遠景ではあるが、男女が橋の上でタンゴを踊り始める。
・・・次々と展開する、非現実的で幻想的な映像と
何よりも、ピアソラの音楽に引き込まれてしまった。

ほんの数分だったが、
運命的な出会いだと、自分勝手に思い込んでいる。
「アルゼンチン出身の名匠、フェルナンド・E・ソラナス監督」
については、恥ずかしながら予備知識ゼロなのだが
ピアソラが3作とも音楽を担当し、演奏までしているとは
なんと贅沢な作品なんだろうか。
まだ全編を観ていないので、ストーリーも何も分からないが
生身のピアソラに出会えたような、新鮮な衝撃を感じている。

もうこの年齢なので、二度と海外に行くことはないと思っている。
しかし、この3作品を観てしまったら、もしかしてひょっとして
一度はブエノス・アイレスに行ってみたいと、
血がたぎるのではないだろうか。
そんな予感がする。
60歳を超えてなお、青春の息吹を感じるだなんて
・・・ここ数十年なかったモチベーションだ。

似た感覚は思い出す。
プッチーニのボエームと、アズナブールのボエームに心酔し
単に憧憬の地名にしか過ぎなかったモンマルトルの丘を
実際に訪れたときの、あの感覚に似ている。
ブエノス・アイレスに行ってみたからといって
何か自分の人生の大転機になるようなことなど
起きるわけがないことは分かっている。
ただ、なんとなく、亡命者がほんの束の間のひとときを
故国で過ごすことを許されたような、そんな安堵感、
全身の緊張が弛緩するような、晩年の感慨があるような
そんな気がしている。

冒頭の画像は、その映画の最初のシーンである。
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by hirune-neko | 2012-03-09 00:18 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

人権擁護法案ってご存知ですか?

Clémentine - Sukiyaki in French (Ue wo muite arukou)


先日は、河村たかし名古屋市長が
南京大虐殺は、なかったと思うと発言し、
南京市が反発しました。
中国大使館に至っては、市長の発言を理由に
撤回しなければ会わない、また南京大虐殺の
強固な証拠はたくさんある、と述べたようです。
河村市長は、公に議論しましょうと提案しているのですから
その「強固な証拠」を河村市長に突きつけて
「どうだ、参ったか!」と迫ってはいかがでしょうか。

今朝、早い時間にドゥーヴィルの姪ネコの
クレモンティーヌから電話がかかってきました。
いきなりまくしたてるもんですから、参りました。
「おじさん、日本で人権擁護法案が通るかもしれないの。
知ってたの?」
「平成22年に、鳩山内閣で亀井さんが署名せず、
廃案になったんじゃなかったのか?」
「へっ?おじさんもずいぶんノーテンキなのね。
フランスじゃ、みんな心配してるっていうのに。
賛成とか反対とか声高に言う必要はないけど
せめて、少しでも多くの人たちが関心を持つよう
ちょっとは働いたらどうなの?」

やれやれ。延々とクレモンティーヌのレクチャーが
始まったんですよ。
この法案の危険性を指摘する人が多いにもかかわらず、
マスメディアの報道が少なく
国民に十分に周知されない状態で、決まろうとしている、
せめて、多くの人が関心を持って見守っているという事実を
拡げたらどうなの?ときたものなんです。

確かに、かなり以前から以下の問題が指摘されています。
1)裁判所の令状もなしに家宅捜索や押収を行う事ができる(警察を上回る権力を持つ)
2)人権侵害の定義が曖昧で恣意的な運用が可能である
    (特定の人物に因縁をつけて家宅捜査することが可能)
3)人権擁護委員に国籍条項がない(北朝鮮の工作員なども容易に就任できる)
4)人権擁護委員が特定の団体によって構成されようとしている
       *wikipoedia「人権擁護法案」参照

で、全部を詳細に調べると、膨大な量になりますので
3)の国籍条項がない、という指摘に対する反論を説明します。
国籍条項はないけれど、地方参政権を有する者、という
条件を付けるので、実質的な国籍条項だ、というのです。
なんとなれば、地方参政権は現状では
日本国籍を有する者でなければ与えられていないからです。
ですが同時に、在日外国人へ地方参政権を与えよう
という動きも、一方で推進されているわけです。
つまり、在日外国人に地方参政権を与えたら、
すなわち人権擁護委員に就任できることになり
実質的には、国籍条項がなくなるわけです。

なぜ十分に周知・議論せず、この法案を通そうとするのか
単純に疑問に思いますし、マスメディアの報道が
ほとんど取り上げないことも不可解なのです。

「こんなんでいいか?」
「まあ、とりあえず今日のところはね。
でも、しっかりと社会の動きにも関心を持ってね。
お願いだからさ。ドーナツや大福ばっかりに
注意を向けてちゃだめなのよ。わかった?」
「あいあい、分かったよ」

とまあ、こんなやりとりで、ようやくクレモンティーヌから解放されました。
これをお読みになった皆さんは、とりあえず
南京大虐殺問題、さらに人権擁護法案の動向に
関心をお持ちくださいますよう、宜しくお願いいたしますね。

クレモンティーヌは怖いし、頭が上がらないんですよ。
とほほ・・・。
ん?
クレモンティーヌも少し老けたかな?
おじさんのせいで、苦労が絶えないんだね、きっと。

今日もまた、昼寝ネコの日記「おはこんばんちは」から転載でした。
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by hirune-neko | 2012-03-07 16:41 | Comments(0)

BBCが番組を制作すると、こうなるんだね



普段、テレビニュースを観ることがありませんので
NHKや民報が報道している「東日本大震災」の番組と
単純に比較してコメントすることができません。
あるブログで、BBCが制作した番組が紹介されていました。
BBCは、イギリスの公共放送局で、英国放送協会
The British Broadcasting Corporationの略称です。
ブログ主によれば、日本の放送局が触れなかった、
あるいは意図的にカットしたと思われる内容が
この番組の随所に見られるとのことです。
番組自体は、基本的に英語ですし、約1時間の長さなので
興味がおありになる方以外にはお勧めしません。

ただ、日本という国を大局的に考えるときに
誰が真に国を統治しているのか、
本当に民主主義が機能している国なのか、
マスメディアは真にジャーナリズム精神を発揮して
世の中の出来事を正しく伝えているのか、
など、一般市民が生活する基盤について
再考する材料になると考え、掲載紹介することにしました。

結論を先に言ってしまえば、
日本という国は、危殆に瀕しており
このまま暢気に、テレビのバラエティ番組と一緒になって
アハハと笑って過ごせる日常生活は
もう長くは続かないと、そのように判断しています。
じゃあどうすればいいのか、ですか?
即効性のある治療法は思い浮かびません。
ただ、丹念に良く考えながら情報発信を、
地道に継続するしかないように思えます。

(昼寝ネコの日記「おはこんばんちは」からそのまま転載)
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by hirune-neko | 2012-03-05 15:37 | 現実的なお話し | Comments(2)



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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