昼寝ネコの雑記帳

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まる二日間、寝たきりでした



三日前までは鼻水とクシャミが止まらず
久し振りの体調不良だけど、じきに治ると
軽く考えていました。
でも、咳が出るようになり、段々酷くなるんです。
一昨日はもう、まるで喘息のように
連続して咳き込んでしまって
その反動でぎっくり腰まで併発したんです。
すっかり覚悟を決めて、おとなしく布団に入り
うつらうつらと過ごしました。
今日、昼前に起き上がって外出しようとしたのですが
玄関先で脳貧血状態になり、玄関でしばらく
頭を下げてじっとする有様でした。

夕方には、ほぼ平常レベルまで快復し
思考力も大体いつもどおりの
ぼんやり状態まで復帰しました。
何かとお約束をキャンセルしてしまい
当事者の皆さんには、改めてお詫び申し上げます。

YouTubeを閲覧していると
関連した動画が次々と紹介されますが
その流れでしばし閲覧していました。
津軽塗りの説明→津軽の伝統工芸打ち刃物→
日本刀→日本刀で鉄を切る→投げナイフ術→
特殊部隊・ミリタリーナイフ術

おお、これは見たことがあるぞ。
スティーブン・セーガルが映画の中で
良く見せるファイティングスタイルだ、
そう気がつくと、普段は昼寝好きの
ボケ〜っとした昼寝ネコの野生本能が
呼び覚まされてしまったのです。
もう30年近く前に、日本で初めての
カスタムナイフの本を出版しました。
それ以来、既製品ではありますが
Buck Knifeと呼ばれるメーカーの
フォールディングナイフ(折りたたみ式ナイフ)を
何本か購入し、携帯しています。
空港のセキュリティチェックで
警察官がすっ飛んできたこともあります。
北海道でサミットがあったときでした。

ナイフには切り出しといって
グラインダーで研いで刃を焼き付けるのと
日本刀のように鍛造という、何層にもパイのように
薄く折り重ねて作るものがあります。
津軽の山刀は、どうやら前者のようですが
マタギの使用した山刀に近いのではと
思ったりしています。
その辺は詳しくないので
間違っているかもしれません。
*間違っていました。弘前にある
二唐(にがら)刃物鍛造所に電話して確認しました。
社長さんが説明してくれたのですが
やはり社名にあるように、日本刀の製造方法でした。
ペーパーナイフは切り出しだとのことです。

ちなみに戸川幸夫さんの
名著「マタギ」の復刻版を
私どもの出版社が刊行しています。
次回、津軽に行った時は
津軽塗りと山刀の工房を覗いてみたいと
思った次第です。

で、人には絶対に内緒で
この動画にあるような特殊部隊の
ミリタリーナイフ術を習いに行きたいなと
年甲斐もなく血が騒ぐのでありました。
それと投げナイフの技術も習得したいですね。
やっぱりネコには、野生の血が流れているのでしょうか。
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by hirune-neko | 2011-05-29 23:58 | 現実的なお話し | Comments(8)

舞台上のアーティスト

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至極当然のことだけれど
人は舞台上の役者を観て評価をする。
だが、私はこれまでの娘の苦労と努力、そして
妥協することができない頑固な性格を知悉しているので
別な視点から舞台上の演技と舞いを観ていた。

タイトルの「枡形城 落日の舞い」の名の通り
この作品は「舞い」が重要な位置を占めている。
振り付けは坂東冨起子先生で、
本来は日本の古典芸能である日本舞踊を
洋楽と融合させる実験にも、意欲的に
取り組んでいらっしゃる。

娘は花柳流の名取り試験、
そして専門部の試験を通っているが
日本舞踊の枠にとらわれない
新しい感覚の舞踊との遭遇でもあった。
宝塚時代から舞台を観てくださった
原作者の小川信夫先生に声をかけていただき
日本舞踊の「型」にはまらない振り付けを
してくださった坂東冨起子先生との出会いもあった。
本人の出来不出来はともかく
舞台生活における大きな転換点、出発点に
位置づけられる作品だったと思う。

舞いの音楽は川崎絵都夫先生の作曲。
いわゆる古典的な楽曲ではなく
シンセサイザーで演奏される、現代的な曲想。
これも娘が漠然とイメージしていた音楽で
まさに、永年の夢が叶った舞台だった。
松竹衣装のご協力もいただき
舞台映えのする、品格ある衣装だった。

東京新聞の記者の方は
かなりドラマチックな構成の記事にして下さった。
読みながら、ひょっとして作家志望の方ではないかと
思ったぐらいである。
その記事で触れていただいたように
娘は昏倒し、意識を失ったことがある。
しばらくうめき声は聞こえていたのだが
窓の外で、ネコが鳴いているのだろうと
暢気にも、あまり気に留めないでいた。
倒れている娘を目にした時は驚いたが
救急車で大学病院に運ばれるまで
比較的楽観的な気持ちでいた。
しかし、あらゆる検査の結果
「このまま意識が戻らず、植物人間になってしまう
可能性もあります」と告げられ、
娘を病院に残して帰宅したその夜は
悲しい思いで、ある種の覚悟をしたことを覚えている。

幸いに、翌朝、娘は意識を取り戻していた。
全身から力が抜けるほど安堵した。
顔面と腕に麻痺が残ったが、それも徐々に快復し
痕跡なく完治したことは、親として喜ばしかった。

不思議なことだが
娘が退院した日の夜、15年近く同居していた
ネコのシロが突然、力なく床にへたり込み
夜間診療のペットクリニックへ急ぐ車中で
短く叫んで絶命した。
まるで自分の命と引き換えに
娘を救ってくれたようなタイミングだった。
そんなことが実際にあるのかどうか分からないが
いつも私の心の中を理解しているネコだった。
深夜、仕事が終わるまで隣の椅子で寝そべり
2階に上がる時はトコトコと階段をついてくる
まるで忠犬のようなネコだった。
真に良き友人だった。

娘が演じた綾子のように
死してなお、見守ってくれているような
そんな優しさを感じている。
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by hirune-neko | 2011-05-26 22:51 | 創作への道 | Comments(4)

東京オペラシティ32階



東京オペラシティ32階には
アップル・ジャパンの本社があり
その会議室で行われたセミナーに出席した。
DTPソフトのQuarkXpress最新バージョンの
機能説明会だったからだ。
最新バージョンのQuark 9には
ePub仕様などの電子書籍に書き出せ、
しかもiPadやiPhoneの画面サイズに合わせて
容易に変更できる機能があるというので
参加した・・・ものの、出張の疲れが出て
気がついたら、何度もうたた寝してしまっていた。

でも、生活のリズムがようやく平常に戻った。
人と会い、説明し、説得し、質問に答え、
また次の所に行き、人と会食し、ときには
そのお店のご主人と歓談もする。
最も苦手なパターンをこなす日が続いたので
さすがにどこかに疲労が溜まっていたようだ。

久しぶりに、ダイアナ・クロール(Diana Krall)を
ゆったりと聴いている。
Why Should I Care。
彼女の歌では一番好きな部類に入る。

世田谷の経堂にこぢんまりした
しかしなかなかセンスのいい美容室がある。
店長さんはかなりの技量のフォトグラファーであり
その作品の多くは、強いイメージを発信して
創作意欲の刺激になるため、ときどき覗いている。
そして映画オタクでもある。
(写真ブログ「パパブブレ」で力作を紹介している
 http://papabubure.exblog.jp/)

アシスタントの女性は、絵が上手で
小さい頃から絵本作家になるのが夢だそうだ。
映画も好きなようだが、ちょっとマイナーな
ジャンルに傾斜しているように思う。

あるとき、私の髪型が非常にダサイと指摘され、
そんならこちらでお好きなように
デザインして下され・・・それ以来
その美容師さんが、
私の専属の「ヘアデザイナー」になって
今日に至っている。
・・・と表現すると「へぇ〜」だが
なんのことはない、あまりのひどさに
見るに見かねた親心に甘えているようなものだ。

その美容室で、ダイアナ・クロールを初めて聴き、
以来、好きなシンガーの一人になっている。
Why Should I Care・・・どう訳せばいいのだろう。
彼との過ぎ去った日々。
今さら悔やんでみてもどうにかなるわけでなし。
・・・そんな感じなのだろうか。
それとも
「折れた煙草の吸い殻でぇ〜
あなたの嘘がわかるのぉよぉ〜」って感じ?
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by hirune-neko | 2011-05-25 02:26 | Comments(4)

波の音しか受け付けません



北海道の後半がちょっとハードで
金曜日に帰ってから連日、またハードで
どうやらすっかり消耗してしまい
波の音しか受け付けません。

室蘭にあるチャラツナイ、トッカリショ、地球岬は
半島の稜線を縫って走る、観光道路に点在しています。
いずれも、青々とした水平線が遠く見渡せ、
後ろを振り向くと、広大な工場群が拡がっています。
ちょうど分水嶺のように、
海側には見事な断崖絶壁がそそり立ち、
反対側には、ライトアップで知られる工場地帯。
実に、コントラストのある光景です。

同行してくれたのは、市議に再選されたばかりの方。
高校時代は陸上部で、中・長距離走の選手。
国体に出場されたというだけあり、
階段も坂道も軽快に上って行きます。

いわゆる健啖家である、その方に案内されたのは
日本料理屋・さつき、お好み焼き屋・おらが村、焼鳥屋・鳥よし、
カレーラーメン店・大王だったかな?、うずらの卵プディング製造所、
洋食レストラン・蘭亭・・・あとはもう覚えていません。
でも「大黒糖」と命名された饅頭は
ちょっと珍しい食感で、美味しい逸品でした。
そうそう、地球岬の土産物屋さんで
「毒饅頭」というのを買いました。
一瞬、見間違えかと思いましたが
確かに毒饅頭、6個のうち1個だけが
激辛味だそうです。

もう、私のナイーブな神経はへなへなです。
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by hirune-neko | 2011-05-22 23:20 | 現実的なお話し | Comments(2)

北海道から眠気を込めて



昨晩、羽田から新千歳空港に飛び
無事に札幌に到着しました。
やはりまだ寒いですね。
でも、原発の事故の影響は、さすがに
ここまではないだろうと思えます。

mac book proをポケットwifiで使うという
初めての環境で仕事をしています。
そりゃまあ、有線LANで
直接つながっているのと
比較すると、動作は一拍ぐらい遅いですね。
でもまあ、なんとか許容範囲ではあります。

明日の午後からの打ち合わせに使う
資料をこれから作ります。
ですが、普段の生活リズムと比べて
すっかりテンポが落ちたので眠い眠い。
半分廃人状態です。
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by hirune-neko | 2011-05-13 19:04 | Comments(0)

旧友との再会



息も絶え絶えの私を救ってくれたのは
このピアソラの「南へ帰ろう」を歌った
ゴジェネチェの声だった。

もう、ずいぶん年数が経ってしまったので
いつ頃のことか憶えていないが
全てに行き詰まり、袋小路に迷い込んでしまって
一歩も進めなくなったときがある。
そんなとき、初めてこの歌声を聴いた。
魂の奥深くを揺さぶる声だった。
深い苦しみと悲しみから這い上がってきた
そんな人しか持ち得ない声があるように思う。
この歌を何度も何度も聴いて
なんとか再び前に進む気力を与えられた。

CDがどこかに紛れたらしく、どうしても
見つけられなかった。
覚えにくい名前とタイトルなので
探すこともできなかった。
でもこうしてまた、鎮静剤を身近に置くことができる。

まったく恥ずかしい話しだが
ブラジルとアルゼンチンでは
ポルトガル語が公用語だと思い込んでいた。
ポルトガル語はブラジルであり
アルゼンチンはスペイン語なのだ。
読むだけでいいので・・・歌えればいいので
ポルトガル語とスペイン語が習えないだろうか。
多少は話せるように、イタリア語と
フランス語を習えないだろうか。
つい2駅先に外国語学校ができていて
問い合わせたら、英語以外にも
各国語を習えるらしい。
今は状況が許さないが、せめて想像だけでも
していたい・・・原語で歌う姿を。
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by hirune-neko | 2011-05-08 00:31 | 心の中のできごと | Comments(4)

枡形城〜落日の舞い 初日観劇記



川﨑市民劇「枡形城〜落日の舞い」
初日の幕が開いた。
郷土・川﨑の史実を丹念に辿り
歴史上実在する人物が登場する。
地域的にはローカルなテーマではあるが
普遍性と社会性が根底にある作品に仕上がっている。

「観劇記」と書いてみたが、素直に
「感激記」とか「感銘記」と表現する方が的確だと思う。
市民劇ということで、キャストを公募したそうだが
プログラムを見ると、ほとんどが劇団に所属する
プロの俳優さんで占められており、水準が高い。

作・小川信夫、上演台本、演出・ふじたあさや。
川﨑市民劇の小川作品は三作目だが
正義、信義、信頼など、現代社会では
ほぼ死語になりかけているテーマに
正面から取り組む作者の姿勢には、
大いに共感を覚える。
いつもながら、一般民衆をしっかりと視野に入れ
低い視点から社会の構造全体を捉えようとする
作者の人間愛が随所に感じられる。

限られた予算だったと思うのだが
音楽は現代風のオリジナル曲で
違和感なく、場面を引き立てていた。
照明も効果的に使われ
抽象化されたシンプルな舞台も
照明の工夫との相乗効果で、観客を引き込んでいた。
衣装には相当の苦心をしたのだと思うが
当時の雰囲気が十分に出されていたと思う。
殺陣や音響、小道具にしても
目に見えない工夫や努力があったのだろうと
推測している。

キャストの皆さんは、それぞれ演技力があり
台詞もよく聞き取ることができた。
似た名前の登場人物が重なり、また
速いテンポでの展開なので
前半は人物の相関関係の理解が脳内で停止してしまい、
どちらかというと混乱したままだった。
(まるでブライアン・フリーマントル作品の
出だしみたいだと思ってしまった)
しかし、後半はテーマが徐々に絞り込まれ
一気に劇的な結末を迎える・・・テンポのある
さすがと思わせる展開だった。

主人公の武将・重成は、愛妻の病死後、出家してしまう。
その妻・綾子は、死してなお舞い、重成と綾子の絆の行方が
観客にとっての関心事のひとつとなるよう構成されている。
妻・綾子の舞いが、通奏低音のように、
最初から最後まで、効果的に使われていた。
まるで現代社会のように
奸知奸計によって仕組まれた嫉妬と疑念によって
人間の内面に潜む弱さや葛藤が浮き彫りにされる。
単なる歴史ストーリーに終始することなく
人間の内面から吐露される苦悩と向き合う
まるで藤沢周平作品のようなメンタリティを感じた。
そう感じたのは、私だけではなかったようだ。

本当に絶望した時、人間は、その本性を表すという。
寡黙になったり取り乱したりせず
危急存亡の時にも、心に抱く綾子の意を汲んで
裏切り者に慈悲を与え、さらには
民衆の行く末を案じ、自己犠牲を厭わなかった武将・重成。
そして死者となってなお、
夫と民衆を案じながら、舞い続ける綾子。
このような、目に見えない
清冽な魂の交流は、希有ではあっても
誰の心にも、その源泉が存在することを
教えられたような気がする。

久しぶりに、すがすがしく
感動の涙を流す作品だった。

*今後の公演予定
 ・多摩市民会館
 5月7日(土)午後2時 5月8日(日)午後2時
 ・川崎市教育文化会館
 5月20日(金)午後6時半 21日(土)午後2時
  いずれも当日券3000円
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by hirune-neko | 2011-05-07 01:29 | 創作への道 | Comments(4)

居心地のいい場所



冷房も要らず、暖房も要らず、軽装でいられ、
電話や来客がなく、宅配便も手紙も来ない。
窓を開ければ遠く水辺線が見え、
かすかに海鳥の鳴き声が聞こえる。
裏手に回れば、自然林があたりを柔らかく包み、
緑が目にまぶしい。
大声を上げる人はなく、高笑いをする人もない。
昨日は遠く忘れ去られ、
明日はしばらく待たなければやって来ない。
目を閉じれば、想像上の人物の生き方が展開し、
思いを語りかけて来る。
彼らの人格も言動も想像した枠をはみ出ない。
野菜や果物は限りなく自然に近くあり、
魚介類や肉類も安心して食べられる。
道を歩けば、建物も街灯もみな、
一枚のキャンバスに描かれたごとく一定の色彩を保ち、
意匠も作家の手になったものと思わせる。

大部分の人は、欲が空しいものであることを悟り、
ほどほどにしている。
自分の生活と同じように、社会や世界を大切に考え、
水や空気の清冽さを意識する。
人は弱い存在であることを理解して、
他人に寛容であり、また、
人は生き方を変えられることを信じている。

数少ない友人たちは、創作意欲に富み、
音楽や文学、歴史や哲学、芸術論に雄弁である。
商才長けたように見える人物も、
実はナイーブであり、葛藤を抱えて仕事をしている。

そんな場があれば、
なんて居心地がいいんだろうと思うに違いない。
それは、探して見つかるものなのか、
あるいは自分で構築していくべきものなのか、
それがわからない。
もし、現実世界には存在し得ないものなのであれば、
自分の内面に架空の世界として
作り上げるべきなのかもしれない。

「昼寝ネコの雑記帳」(クロスロード刊)より転載
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by hirune-neko | 2011-05-05 01:38 | 心の中のできごと | Comments(2)

さても重篤なりき、太宰の呪縛



このところ、少しばかり体調不良で
仕事に身が入らない。
なんとなく気が滅入り、気がついたら
「太宰治」をキーワードに検索していた。

三鷹に、フォスフォレッセンス
という喫茶店があるらしい。
店主の女性は、
卒論か何かで太宰をテーマに選び
研究するうちに、
すっかり太宰に傾倒してしまったそうだ。
で、太宰が一時期住み、
また入水自殺した玉川上水のある
三鷹に、太宰オンリーの古書店と
喫茶店を併設して開業したそうだ。
その店の名がフォスフォレッセンスだ。
何度か覚えようと試みたが、
長く難解な名称である。
これは太宰の短編小説の作品名だという。

調べるうちに、青空文庫という名の
まことに奇特なサイトに出会う。
名前は聞いたことがあったが
実際に訪れたのは初めてだった。
日本の現行法では
著者の死後50年を経過すると、著作権が抹消される。
著作権が消滅した作品を
ボランティアの皆さんがデータ入力し
無料で公開している。
それが青空文庫だ。

太宰の作品で公開中のものが二百数十点。
作業中のものも数十点あるようだ。

フォスフォレッセンス、斜陽、人間失格、
津軽、ヴィヨンの妻、走れメロスなど十数点を
有難くダウンロードさせていただいた。
パラパラとめくると、太宰ゆかりの
人名や地名が出てくる。

雲祥寺?
三十年近く前、系図探求の旅で金木を訪れたことがある。
あてどもなく、金木町役場の近くにある寺の境内に入った。
祖父が建てた墓石の周りを、親族が囲んでいる
写真を見た記憶が鮮明だったからだ。
くまなく探したが見つからず
諦めて帰ろうとしたとき
入り口の朽ちかけた墓石に
祖父の名と、その母の名を見つけた。
記念写真で見た墓石は真新しかったが
それは半世紀以上を経て、印象が一変していた。
寺の住職を訪ねて事情を話すと
檀家不詳で困っていたという。
改めて調べてみようと思うが
町役場の近くの寺といえば、雲祥寺のはずだ。

太宰は、井伏鱒二氏と親交があったようだ。
仏蘭西人形の写真集を出版した折
人形の所蔵家と旧い知り合いだという
井伏鱒二氏を、入院先の西荻窪の病院に訪ねた。
巻頭言を書いていただくことになった。
いつだったか、室蘭の海で獲れた鱈を
ガチガチに干したのをいただいたので
少しだったが井伏氏送ったことがある。
井伏夫人の手書きの礼状葉書が届いた。
「以前、太宰君から同じものを送ってもらい
食したのを懐かしく思い出しました」と
書いてあったのを憶えている。
送ってくれた室蘭の前田さんにコピーを送ったら
大層喜んでくれた。

金木、青森、弘前、蟹田、浅虫温泉、竜飛崎。
太宰の作品「津軽」には、昭和十九年に
望郷の念を抱き、思い出を胸に訪ねたという
地名が並んでいる。
金木、青森、弘前以外は行ったことがないのだが
是非とも行かねばという思いが募った。

「フォスフォレッセンス」という作品を
駆け足で読んでみた。
常々、自分の嗅覚が、或る分野では
異常に発達していると自覚しているのだが
この作品の行間から、太宰の持っていたであろう
精神、感性の致命的欠落感を
鋭敏に感じ取ることができた。

初めて津島家新座敷、斜陽館を訪れた時
若き日の太宰の目を通して見たような印象を得た。
数十年前訪れた時、中には入らなかったのだが
おそらく当時、斜陽館は旅館として
営業されていたのだろう。
その頃の情景を思い出した。

太宰に関する何種類ものジグソーパズルを
全てバラバラにした状態で麻袋に詰め、
封印してきたのだが
今になって、ひとつひとつ組み合わされ
私の中で立体化されつつある。
作家としての太宰は、多くの人に愛され
今もなお存在感を失っていない。
でも、私自身は、作品を超えた
生身の太宰を五感で捉え
その分身に命を吹き込もうという
感覚的な作業に着手し始めたのだと思う。

第三者から、不遜な言動と思われても一向に構わない。
この年齢まで、太宰作品に深く入り込まなくて
良かったなと、改めて実感している。
太宰が吐き出した言葉と情念は、
その源を疑似体験した人間でないと
本当の意味での実像を捉えきれないと
私は、そう思っている。

こうしてみると、現実に太宰の呪縛というものを
確かに感得している。
ときどき、日常生活の現実感から離れる時間があれば
この病的で疲れる作業を進めるのではないかと
そんな予感がしている。
少しずつ、少しずつ。
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by hirune-neko | 2011-05-03 18:05 | 創作への道 | Comments(0)

世の中を斜めに見ている・・・のか?



昨年の11月、営業の最後の日に
金木町(今では五所川原市に合併)の
斜陽館を初めて訪れた。
斜陽館を探していたら、偶然視界に飛び込んできたのが
「津島家新座敷」という看板。
太宰の魂と純粋に出会えた場所だった。
その「津島家新座敷」の動画が見つからなかったので
「斜陽館」のをアップした。

太宰の娘である作家・太田治子が
「明るい方へ 父:太宰治・母:太田静子」を
執筆するに至った経緯と苦しみを語るのを聴いた。
太宰の手によって著された「斜陽」の原型が
彼女の母・太田静子の日記に存在したことを
初めて知った。
私は母方の祖父が太宰と同郷であり、
ほぼ同時代人であることを知り
さらに「人間失格」や「斜陽」などという
暗いイメージのタイトルを目にして以来
太宰を遠巻きにしか見てこなかった。
自分の身体を流れる血の半分が、
津軽産ではあるものの、太宰の持つ
独特の暗さに呑み込まれるのではという
恐怖感が先に立ってしまったからだ。

青森・弘前に本社を置く陸奥新報。
聞くと四大将棋大会を主催しているという。
小・中学生に大人より強い子が多く、
アマ四段クラスも存在するらしい。
アマ四段といえば、県代表の実力のはずだ。
私の将棋の師匠である堀川修・指導棋士五段によれば
青森は全国的に見ても将棋が盛んな地域だそうだ。
青森といっても、おそらくは南部地方ではなく
津軽が傑出しているのだと思う。

私は目下、三段を目指してヨチヨチと勉強している。
十日ほど前から七手詰めの問題に取り組んでいるが
まず五分以内で解ければ上出来であり
今日トライした問題は最悪だった。
ちょうど一時間、必死になって考えたのだが
どうしても詰まない。
しゃくだったがヒントを見た。
攻め方は盤面に飛車が二枚と歩が一枚。
持ち駒は角が一枚の問題だった。
で、ヒントにはなんと書いてあったか?
「盤面の飛車は二枚とも捨てます」
ときたもんだ。じゃあ、残りは歩と角だけ。
そこから寄せの手順を見つけるのに
十二分もかかった。
将棋によって脳を鍛えているのだが
こんな話しを、将棋を指さない人が聞いても
ちっとも面白くないだろうことは分かっている。

私は、ときどき未来を予知する能力が、
自分に具わっていると思うことがある。
そんなに遠くない将来、おそらく津軽の
強豪小学生と対局する機会があると思う。
で、子どもの顔には明らかな表情が出る。
「おじさん、思ったよりたいしたことないね。」
数年前に、ネットでだが、関西在住の
「ちびまるこ」ちゃんという小学生の
女の子と対戦したことがある。
中盤までは絶対的に優勢だったのだが
終盤で、あっさりひっくり返された。
堀川修先生の「ネット将棋スクール」の
お弟子さんの一人だが、その数十人の
お弟子さんの中には、県代表クラスがひしめいている。
だから、私は、小学生の強さが良く分かっている。
恐ろしい世界だ。

近々、その陸奥新報に面会を申し込む予定だ。
ついでに、ちびっ子が集まる
将棋道場も見てこようと思っている。
中盤以降に、もう少し自信が持てるようになったら
よい子の皆さんに遊んでもらおうと期待している。
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by hirune-neko | 2011-05-01 02:11 | 創作への道 | Comments(6)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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