昼寝ネコの雑記帳

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怠け者のボランティア(2)・・・創作



車椅子と一体化していた生前の老婆は
物言わぬ寡黙な存在だった。
しかし、自ら命を絶ったと思われる死後の老婆は、
私の視界から消え去ってから、
かえって饒舌な存在となってしまった。

私に託した楽譜はやはり、リコルディ社の
古い楽譜だった。プッチーニのトスカの
ピアノ伴奏のフルスコア。
楽譜のあちこちに書かれたイタリア語は
判読するのにずいぶん難儀したが
どうやら音楽に関する記述ではなく
彼女の誰かに対する想いのようだった。
そして、あちこちに残されたシミや汚れは
彼女の涙の跡なのではないかと
いつしかそう思えるようになった。

声楽家を目指してミラノに行った彼女は
深い失意を味わって日本に帰り
生きる気力を失ったまま、再生されることなく
廃人同様の存在になってしまい
ついには、若くして施設に入所して一生を閉じた。
・・・に違いない。
唯一の確かな手がかりは、直筆で残した
「あなたのおかげで、人生を終える勇気を得ました。」
というひと言だ。
人生を終える勇気?
未だに彼女の真意が理解できないままになっている。

大学に入学直後の、軽い挫折感だけだったら
まだ人生は違っていたものになっていたかもしれない。
だが、彼女の存在および不存在、
そして生き方そのものが
私の内面を黒く塗りつぶしてしまった。

その後の私は、いつの間にか暗く重い言葉に
平安を感じるようになっている。

退屈(Ennui)、けだるい(Paresseux)、
無常(Incertitude)、不条理(Absurdité)、
虚無(Néant)、退廃(Décadence)

寡黙に人生を閉じた彼女は
誰にも決して過去の自分について語らなかった。
だが埋葬に必要な書類から、彼女の母親は
青森の津軽生まれだと分かったらしい。
結局は身寄りがなく、
親族を見つけることはできなかったそうだ。

私の祖父は、今の青森・五所川原市(当時は金木町)生まれで
太宰治と同郷である。
彼女と、血のルーツが一緒であることが、もしかして
不思議な因縁をもたらしたのかもしれない。
彼女はおそらく、ソプラノであり
トスカのアリアを歌っていたのだろうと
なぜか確信を持つようになっている。
そう。彼女はときどき、不意に現れては消える
亡霊のような存在になって、語りかけてくることがある。
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by hirune-neko | 2011-04-29 18:18 | 心の中のできごと | Comments(4)

怠け者のボランティア(1)・・・創作


Anjelika Akbar's New Video "Libertango Istanbul" by Astor Piazzolla

もう数十年以上前のことだが、
不意に記憶の底から甦ってきた。

一応は希望を持って学生になったのに
お茶の水周辺は、いつも機動隊で溢れていた。
大学のキャンパスは、ヘルメット姿の学生に占拠され
まるで押し出されるように、神保町の古書街を彷徨った。

目標を失ったが、何か有意義なことに携わりたい。

青学の文学部に在籍する、高校の同窓生から誘われ
文芸同人誌の立ち上げに参画した。
ある日、その同人仲間から思いがけない誘いを受けた。
「成城に、教会が運営する老人施設があるんだけど。」
興味を示さない私の表情を無視して、彼は続けた。
「自閉症、失語症で・・・認知症ではないらしいんだけど
根気強く話し相手になってくれる、ボランティアを探してるんだ。」

なぜ引き受けたんだろうか。
いや、引き受けたのではなく、断らなかっただけだ。
なのに彼はどんどん話しを進めてしまい、
初夏の、陽射しの強い日に最初の訪問が組まれた。
世田谷通りから、だらだらと長い上り坂はきつかった。
どうやら、ここがそうらしい。
応対してくれたのは尼僧姿の女性。
修道院?教会?カソリック?
そんなことはどうでもよかった。

かなり広い敷地は、緩やかな起伏が多かった。
手入れの行き届いた自然林、
そんなイメージだった。
建物から5分ほど奥に歩いた。
低い木立に囲まれ、白く塗られた
屋根付きのオープンスペースが目に入った。
近づくにつれ、車椅子に深く身を沈めた
老婆の姿を確認することができた。
尼僧は手短に私を紹介したが
耳が聞こえないのか興味がないのか
完璧に無反応だった。
「では、よろしくお願いいたします。」
引き返す尼僧の後ろ姿を見ながら
私は、ゆっくりと老婆の前に回り
ベンチに腰を下ろした。
「はじめまして。」

日本人なのだろうか。
白髪だが彫りの深い顔立ちだ。
手の甲と違って、不思議と顔にシワはなく
気品を感じさせる表情だった。
この施設に引き取られた経緯も
生い立ちも、知る人は誰もいないという。

「ぼくは、こうして初めて伺ったんですが
もともと人と話すのが苦手だし
好きではないんです。」
なんて間抜けな切り出しだろう。
言ってしまってからそう思った。

でも、無反応な相手だからこそ
気楽に話せるのかもしれないと思った。
同意も反論も、相づちもない会話が続いた。
我ながら、実に粗野で稚拙な人生論、芸術論だと
普通なら恥ずかしくなるところだが
鬱積していた何かが、徐々に風化されるような
かすかな安堵感を感じ始めていた。
その時、視界の遠くで尼僧の姿を捉えた。
老婆に簡単に別れを告げ、時計を見た。
1時間も何を話していたのだろうか。

翌日、尼僧から電話があり
翌週の同じ時間にまた来て欲しいという。
私で役に立っているかどうか不安に思ったが
老婆が拒絶しないので、是非にという。
拒絶しない?
どうやって意思表示ができるのだろうか。
とにかく、少しは自分が必要とされているらしく
引き受けることにした。

学習塾の講師のアルバイトが休みなので
毎週木曜の午後に、成城に行くことが
いつしか習慣になってしまった。
何度も面会するうちに、
私の方は勝手に親近感を持つようになり
すっかり饒舌で、親しげな語り口になっていた。
老婆は・・・最初とまったく同じで
無表情、無反応、無関心だった。
ときどき、ふとした時に
目の奥に感情が宿るように感じることがあったが
多分、思い過ごしだったのだろう。

クリスマスのイルミネーションが街に輝き
あちこちの戸口に、リースが飾られるようになった。
木々の緑は褐色に変化し、寒空に息も白い。

同じ場所で、老婆は厚手のキャメル色のコートと
同系色のマフラーで守られていた。
その日、私はプッチーニのオペラの話しをした。
ボエーム、トスカ、マダム・バタフライ・・・
「不思議なことに、主要な登場人物が死んでしまうんです。
結局、死というベールで包み隠さないと
醜悪な現実と向き合うことができないんですよ。
どんな芸術作品だって、架空の幻想世界を越えて
日常に生きる人間の現実にまで
干渉することは不可能なんですね。」
寒さを忘れての熱弁だった。

話しながら、
そういえば聴き分けられるだけで
実際にはアリアの一曲たりとも歌えない自分の
無知さが恥ずかしくなった。
ひょっとしたら「軽薄な解釈」なのかもしれない。
作曲家やオペラ歌手の才能、努力を知りもせず
尊大で生意気な態度なのかもしれない。
でも、ヴェルディだってアイーダの中で・・・
そういいかけた時、確かに言葉を聞いた。

「創作される作品は、現実から離れた人が
また現実生活に戻って行けるよう
人の心を純化するために存在するんです。」

周りには誰もいないし、確かにこの老婆が
言葉を発したに違いない。
だが、確かめる方法はなかった。
彼女の表情はいつものままで
視線はずっと遠くに向けられ
私にはまるで関心を持っていなかった。
幻聴だったのかもしれない。
でも確かに、聞こえた。
不思議な体験だった。

翌週の水曜日、反省した私は
明日こそ謙虚に、真摯に話しをしようと考えていた。
じゃあ何を話そうかと、構想を練っていた時
尼僧から電話があった。
短い内容だった。
「彼女が先週末に急逝しました。
もう来ていただく必要はなくなりました。
長い間、有難うございました。感謝しています。
お渡ししたいものがありますので、明日来てください。」

施設に向かう坂が、いつもより急勾配に感じられた。
面会室で向かい合った尼僧は短く礼をいうと
老婆が私に宛てたという包みを置いて、立ち去った。
テーブルの上の包みを、私はしばらく見つめたまま
現実感を失っていた。

明らかに古びた包みだった。
入っていたのは、擦り切れた布クロスのハードカバーで
しかも汚れとシミが目立つ楽譜だった。
タイトルは「トスカ」。
もしかしたら、昔のイタリアの
リコルディのものなのだろうか。
パラパラとめくってみたが
あちこちにイタリア語らしい書き込みがある。
残念ながら、私には判読できなかった。

ページの間から、何かが床に落ちた。
真新しい、白い封筒だった。
1枚のカードが入っている。

宛名は私の名前。
そしてたった1行の文章と、彼女の署名・・・日本名だった。
「あなたのおかげで、人生を終える勇気を得ました。感謝。」

何がなんだか、まったく理解できない。
なのに、たまらなく涙が次々と溢れ出てきた。
止まらなかった。
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by hirune-neko | 2011-04-26 20:50 | 創作への道 | Comments(12)

四字熟語・右顧左眄・右往左往



■これは昼寝ネコ村の職員採用試験問題の一部です。

*冒頭のYouTubeのネコ動画を観て、以下の問題に答えなさい。
(問題1)右顧左眄(うこさべん)の意味と、
 その代表的実例を挙げなさい。
   ・模範解答例:周りの空気を読んで、自分に責任追及が及ばない
          決定をしようとする余り、ずるずると
          有効で正しい結論をちゃんと導き出せない
          状態を続けて状況をますます悪化させること。
          その典型的な例は現在の日本国政府。
            
(問題2)右往左往(うおうさおう)の意味と、
 その代表的実例を挙げなさい。
   ・模範解答例:右を見てこっちかな?左を見てあっちかな?
          大局観を持たずに、人のミスだけを
          声高に、しかも居丈高に非難し続け
          国際社会の中の日本の位置を、そして国家観を
          明確なヴィジョンと共に掌握していないため
          迷走すること。
          その典型的な例は現在の日本国政府。

(問題3)自業自得(じごうじとく)の意味と、
 その代表的実例を挙げなさい。
   ・模範解答例:血糖値が上昇すると万病の元だと
          頭では理解しているのに、近所の洋菓子屋の
          高津ロールがおいしいと聞けば買いに行き
          セブンイレブンのあんころもちが値段の割に
          なかなかいけると聞けば買い求め
          かほどに甘いものの誘惑にコロッと参っては
          体調を崩すこと。
          その典型的な例は昼寝ネコじゃあ〜。

*今日からmixiと統合しましたので、これは試験記事です。
 従って、上記の問題は実在する現内閣や団体とはまったく
 無関係であり架空の設定です、とは必ずしも言えないのではないか
 そんな気がするここ数週間であります。

          
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by hirune-neko | 2011-04-22 23:37 | Comments(4)

春の野に咲き乱れる希望の花々

ALI PROJECT - JE TE VEUX (ERIK SATIE) I WANT YOU


60歳の誕生日を迎えて、ちょうど一ヶ月が経過した。
まったく何も根拠はないのだが、憑きものから解放されたというか
ある種の強迫観念が徐々に薄れ始めたように感じる。
目指してきた方向は、そんなに間違っていなかったなという
安堵感があり、あとは無理せずじっくり仕上げていけばいいやと
ずいぶん肩の荷が下りたように思う。

サティは、なかなか個性的な曲を作っているのではないだろうか。
数年前にアマチュア劇団の、舞台脚本の依頼を受けた。
(ここだけ読んで偉い先生だと誤解しないでいただきたい)
音楽を何種類か、サティの作品から選んだのだが
演奏家の方が「暗すぎる」といって、私の了承なしに変更してしまった。
あくまでも参考イメージとして、越権で選んだので
演出家もそう思うのなら、まあいいや、ということにした。
で、この「Je te veux(ジュ・トゥ・ヴー)」という曲のタイトルを、
ずっと永年「I Love You」という意味だと思い込んでいたのだが
どうやら「I want You」という具合に、もう少し
切羽詰まって情熱的なニュアンスらしい。

あちこちに、ときおり春の陽だまりを感じることが増えた。
希望の息吹が街を覆い始めている。
何かいいことが起きそうな予感がする・・・。
そう思わないと、人生なんてやっていけないさ。

情熱も欲望も、年齢相応に比例して減衰している。
そう実感している。
そんなにたくさんの食べ物は要らないし
旅行もそんなに遠くへは行けなくなるだろうし
本当にお話ししたい相手だけを選んで会えばいいのだし、
つまり、徐々に仙人に近づいているようなものだ。
「晩年」が視野に入り始めているのだろう。
時間に振り回されず、ゆったりと思索しながら
煩わしい仕事と人間関係とは徐々に離別し
妄想と創作だけは手放さず、自然に包まれて
静謐な時を送りたい・・・なんて贅沢な夢なんだろうか。
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by hirune-neko | 2011-04-20 01:16 | 創作への道 | Comments(2)

生きてて良かったと思える瞬間



これまでの人生で、生きてて良かったと思える瞬間なんて、
一体どれほどあっただろうか。

最初にマルチェロ・マストロヤンニが演ずる
「ムルソ−」をスクリーンで観て、それから
原作のアルベール・カミュ作「異邦人」を読んで以来、
あの不条理で無常な感覚に色濃く囚われ
これまでの数十年を生きてきたように思う。
何事にも価値を見出せず、感覚の軸がずっと麻痺したように
決して傾倒し、自分を売り渡す対象は存在しなかった。

不幸な人生だったとは決して思っていない。
ごく僅かではあるが、信頼できる人に出会い
良き親に大事に扱われ、献身的な妻に訓練を受け
人間的な品性の高い四人もの子どもたちに恵まれ
それぞれが良き伴侶と出会って家庭を持ち
有能そうな孫も、今現在三人いてもう少し増えるだろう。

そんな日常を送っていたある日
次男のお嫁さんから電話があった。
「今度の日曜日に、兄弟が集まるので
良かったら来ませんか?」
ここ数日、血圧が思うように下がらず
多少気が重かったのだが、三男の娘である
「怪獣ひなごん」の顔も見たいし、
じゃあ行こうということになり、夕刻に
次男の家に行った。

会食の始めに次男のお嫁さんが挨拶をした。
「え〜、今日の集まりの主旨は
3月に還暦を迎えたお父さんへのお祝いと
5月に還暦を迎えるお母さんへのお祝いです」

へっ?そうなんだ。ちっとも知らなかった。
一瞬、予測していなかった感情が芽生える。
次いで、次男が立ち上がった。
「え〜、目録を進呈します。
地デジ対応のテレビをお祝いに差し上げます」
へえ、どうせカタログを進呈します、という
オチなんだろうと思った。
すると、同居しているテレビ好きの
義母の分と2台が、明日配達されるという。
どうやら本当のお話らしい。

振り返れば、子どもたちのオムツなど替えたことがなく
お風呂に入れた記憶もほとんどない。
成績表を見て、勉強を教えた覚えもないし
父親としての責務を放棄したような生き方だった。
奔放な父親だったように悔悟している。
ああそれなのにそれなのに、こんなに思いやってくれるなんて
ああ、生きてて良かったなと心底思えた瞬間だった。

標題の歌のように、64歳には髪の毛がなくなって
あるいは総入れ歯になり・・・そんなことより
それまで生きてるかどうか自信はないが
でも、こうして心からのびっくりパーティーを
用意してくれる良き隣人たちがすぐ側にいてくれて
ああ、本当に生きてて良かったなあと実感した一夜だった。

みんな、どうも有難う。
本当にどうも有難う。
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by hirune-neko | 2011-04-11 00:34 | Comments(2)

見果てぬ夢・・・今こそ



地震と津波・・・そして深刻な原発事故。
日本国内だけでなく、世界のたくさんの国にも
放射能汚染問題は、不安感を与え続けています。
被災された皆さん、とくに亡くなられた方、
行方不明の方・・・そしてそのご家族の皆さんのことを
考えると、こうして明かりと暖房のある家に住むことが
とても申し訳ない気持ちになります。

災害による直接の被害はなくても、
購買力の低下、自粛ムード、日本製品の不買など
二次的・三次的な被害ともいうべき影響が
徐々に影を落としてきているようです。
でも、気落ちしてはいられません。
たとえ一歩でもいいから前進しなくては。

こんなときには、どんな音楽が励みになるだろうか。
そう考えたときに思い出したのは
ミュージカル「ラ・マンチャの男」で
アロンソ・キハーナ(劇中劇ではドン・キホーテ)が歌う
「見果てぬ夢」(The impossible Dream)でした。
数十年前に、市川染五郎(当時)さんと
鳳蘭さん(アルドンサ)の共演する舞台を何度か観ました。
「見果てぬ夢」(The impossible Dream)は
何度も何度も聴いて、自分への応援ソングになっています。

還暦の記念に挑戦し申請した、将棋初段の免状が
3月末に日本将棋連盟から届きました。
なんでも夏の「将棋世界」という雑誌に名前が掲載されるそうです。
四十の手習いというのは聞きますが、六十歳・・・
六十歳になった私はこれから、時間をかけても三段を目指します・・・
目指すことを宣言します。
たとえ難しくても、やはり何か到達目標を持つのは
大切なことだと思っています。
たとえどんなに遠くても、手足が疲れ果てても・・・。

c0115242_234332.jpg

(初段の免状です。自己激励のために敢えて掲載します。
 でもちょっぴり自己自慢でもあります。ごめんなさい。)
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by hirune-neko | 2011-04-07 23:04 | 心の中のできごと | Comments(2)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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