昼寝ネコの雑記帳

<   2007年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧

続・ダウニング街の昼寝ネコ「エピローグ」

c0115242_1144476.jpg

 (どれもこれも、画はカトリ〜ヌ・笠井さんです)

つまり、昼寝ネコは代々、世界の要人のそばに張り付き、他言できない様々な政治上・軍事上の機密を毎夜のごとく、要人たちから直に聞いているのである。以前、公にしたことがあるのだが、昼寝ネコの血は特殊である。死とともに他の場所で記憶を失うことなく再生し、また別の主人に仕える。数千年にわたって生きながらえているネコはザラなので、その知識と見識は卓越している場合が多い。

私が、どこの国の要人に仕えている昼寝ネコと親交があるかというような情報は、我々にとっては一種の掟として、つまり決して他者に洩らさないという厳格な規律のもとに受け継がれているのである。かつて、一部の要人が自分一人で保持できなくなった重要な秘密を、カソリック教会の神父様に告白し懺悔したことがある。彼は、カソリック教会がある意味で国際的情報ネットワークを形成していることを知らず、「敬虔・神聖な気持ち」で告白したのだが、政治家としてはナイーブすぎた。その情報は、ヴァチカンを経由してあっという間に世界を駆けめぐり、深刻な混乱を引き起こしてしまった。その点、われら昼寝ネコは、機密情報を得て投機に走り私腹を肥やすとか、誰かを欺いたり、果ては死に至らしめるようなことは決してしない。伝統的なユダヤ教の教理を軸に、あくまでも世界平和と人類の繁栄を願っており、昼寝ネコの持つ特殊能力で交信し、方向性と対応方法を協議している。そして、自分たちの接している要人たちには、努めて寛容に振る舞い、プラス思考のインスピレーションを与えるよう訓練されている・・・。そう・・・つまり、世界に影響を与えるような、ひとかどの人物に対して影響を与えるというのは、並大抵のことではない。「ブリッコ」の可愛いだけのペットでは、なんの役にも立たないのである。要人が、その鋭い眼で見つめても、決して眼をそらせてはいけないし、問いかけに対しても、うかつに返事をしてはいけない。非常に神経の張り詰めた激務なのである。だから、日中は十分に昼寝をして体力を回復しなければいけないのである。

つい先日、時差の関係で東半球に棲息している昼寝ネコのカンファレンスがあった。カンファレンスといっても、一堂に会するわけではなく、わかりやすくいえば、テレパシーで交信するようなものだ。テーマは「人間の生涯で克服するのが最も難しいことは何か」だった。そこで学んだ内容を応用し、要人たちが利己心を薄め、さらに世界平和に向けて最善の選択ができるよう「影響力を行使する」わけである。ここで、具体的な事案に触れるわけにはいかない。具体的なテーマを他者に洩らすことは規律に反することになるし、どの要人のネコから伝わった情報かがあからさまになれば、その昼寝ネコの生命に関わる重大な問題になってしまう。

さて、前述のカンファレンスで一番多かった意見は、「人間にとって一番克服が困難なことは、人を赦す、あるいは受け入れることだ」だった。政敵、軍事的敵対、覇権争いなどのような国際政治における敵対もさることながら、日常生活でごく普通に発生する「憎しみ」・・・もっといえば「憎悪」。これが人間の人格に影を落としているというのが、大方の分析結果だった。「憎悪」や「猜疑心」は確実に人の心を蝕み、誤った方向に人生や社会を導いてしまう。視界や脳裏は暗黒世界につながる思いで満たされ、小さな敵対心は容易に大きく膨れあがってしまう。さて、では我ら昼寝ネコは、その個性的な要人たちにどのような方法で正方向の影響力を与えられるのか・・・次回のカンファレンスでは、その具体的な方法を論議することになった。私?・・・私の意見は決まっている。やはり、定期的にこしあん系の和菓子を食べる・・・これに限るのである。

もし皆さんの飼っていらっしゃるネコが、こしあんぱんや、こしあんドーナツを好んで食べるようなら、まず間違いなく古代イスラエル時代から生きながらえている賢者のような昼寝ネコだと思う。だが、何事にも例外があるので、あまり過大評価はしない方がいいかもしれない。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。

人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-29 00:06 | 心の中のできごと | Comments(2)

ついに泣いた花嫁の父・・・そしてもらい泣き

c0115242_1941613.jpg

  (これが我が家の不思議ネコ「シロ」です。元祖昼寝ネコです)

私事で恐縮だが、昨日、三男の結婚式と披露宴があった。その前夜、不思議な出来事がシロに起きた。これまで、100%私の部屋で寝起きしていたシロが、どういうわけか知らないうちに三男の部屋にもぐり込んだらしく、朝起きたら彼の足下で寝ていたというのだ。三男が小学生のときに私が拾ってきたネコなので、長い付き合いであり、命名権を与えられてシロと名付けたのは、ほかならぬ三男だった。我が家で過ごす最後の夜を、シロは三男と一緒に過ごしたかったとしか思えない。もちろん、シロは結婚式にも披露宴にも同席させていないが・・・お嫁さんがネコアレルギーだし、いくらなんでもペットを会場に持ち込む人はいないだろう。そんなわけで、今日からは三男のいない家になったのだが、シロは何事もなかったかのようように、相変わらずクウクウ居眠りをしている。

さて、私は新郎の父親なので割合気楽に式に臨めるのだが、自分の娘の結婚する情景を想像しただけでも、心中穏やかではないものである。披露宴は教会のホールを借り、新郎・新婦の友人たちがボランティアで飾り付けから運営までのすべてを手伝ってくれるというので、前夜その会場に挨拶に出かけた。そのとき、新婦の父親と二人で話す時間があった。
「娘を嫁がせる父親の心境は複雑でしょうね」
と、水を向けてみた。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「はあ。私の知人は娘の結婚式当日は雲隠れして、出席しないといってますよ」
これは、実は私自身のことである。
「いえ、私は大丈夫です」
・・・うむ。なかなかしぶといな。

で、結婚式当日。挙式を終え、親族の集合写真撮影の後のどさくさに紛れ、新婦と父親が寄り添って写真を撮ることになった。思わず私はこう叫んだ。
「お父さん、もう泣いてもいいですよ」
「いえ、泣きません」
とキッパリ。おお、気丈だこと。私ならこうはいかないだろうな。

披露宴が始まった。司会者は、旧知の間柄の夫婦が二人で引き受けてくれ、淡々とプログラムが進んでいく。途中のアトラクションで、わが娘が「Crazy for you」の曲に合わせ、タップダンスを披露する。音楽学校の卒業試験では「タップ賞」をいただいているが、なにせ何年ものブランクがある。でもまあ、まずまずのできで無事終了。拙著「昼寝ネコの雑記帳」を一日で読了したという司会者夫人は、本文から引用し、
「新郎のお父様がお好きなジャズピアニストのビル・エバンスを、新郎も妹さんもお好きだそうなんです」
と、我が家の感性のDNAに、ちょっと触れてくれる。嬉しいことだ。
相変わらずリラックスして進行を傍観していた私だが、新郎新婦の生い立ちがスライドショ−風に壁に映され、平井堅の「美しい人」が流れ出すと、雲行きが怪しくなってきた。息子や家族の昔の写真は見慣れているし、そう感慨にふけることもなかったが、新婦の誕生から少女期、留学や学生時代の画像が大写しされているのを観て、まるで自分が新婦の父親であるかのような錯覚に陥り、目頭が熱くなる。そのとき、アッシャーの方が迎えに来て花束贈呈をするので、前方に来てほしいという。場内は暗く、来賓の皆さんは相変わらず壁面の画像に集中しているようだ。しめしめ、私のウルウルは気取られないようだ。

再び場内が明るくなり、花束贈呈。神妙な顔をして新郎が歩み寄ってくる。よしよし、最後まで無事に務めたじゃないか。すっかり落ち着きを取り戻した私は、余裕たっぷりで新婦とご両親の様子を横目で見てみた・・・ら・・・新婦と母親が感極まった様子で抱き合っている。おお、美しき光景だ。やはり母と娘の絆は深いものなんだ。・・・新婦が今度は父親の前に立つ。一瞬のためらいがあったようだが、今度は父親が自ら新婦を抱き寄せた・・・ように見えた。どちらからとはいえない自然の反応だったのかもしれない。その瞬間、えっ?私も新郎を抱き寄せるべきだったのだろうか・・・そんな気色の悪い・・・などと訳のわからない言い訳を考えていると、父親を離れた新婦が私の前に立っているではないか。当然だが目と目が合う。一瞬、当惑の思いが・・・衆人環視の中、ここで新婦を抱き寄せたら、白い眼で見られるだろうな。あとで娘からも軽蔑されるだろうし、シロからも非常識さをなじられるだろう。例によって、ほんの短時間にいろいろな思いが交錯する。

新婦の眼は真剣そのものだった。無言のごくごく短い瞬間だったが、新婦の眼は訴えていた。
「今、長い間育ててくれた両親に別れを告げてきました。お父様、私をよろしくお願いします」
私にできたことは、とっさに手を差し出し、握手することだけだった。気の利いたことは何も伝えられなかった。お汁粉を作るときは、つぶあんではなく、こしあんにしてちょうだいね、とか、娘の結婚式にはがんばって出席するけど、「サンライズ・サンセット」を歌うから、そのときは伴奏してね、とか・・・一切ひとこともいわなかった。ときとして「沈黙は金なり」というのも至言なものだということに、改めて思い及んだ。

予測していなかった自分自身の感情的動揺。ふたりの生い立ちを画像で観て感動を共有している来賓の方々の沈黙・・・。
「では、両家を代表し、新郎のお父様にご挨拶をお願いします」
えっ!?そうだった!ここで私が何か言わなくてはいけないんだった。事前に受けねらいのジョークはいくつも考えていたが、それを連発したのでは空気を読めなかった父親になってしまう・・・うぐぐ、どうしよう。
「え〜、世の中には残酷なことがいくつもありますが(何をいってるんだ私は)感動的な映画を見終わった直後にマイクを突きつけられ、『ご感想をひと言』と言われても本当に当惑してしまいます。そんな気持ちです」
まあ、その後一応は来賓やボランティアの方々に謝辞を述べ、少し落ち着きを取り戻した。そこで私は、前日、新婦の父親に「皆様へ伝えたいお気持ちがあればメモにしてほしい」とお願いしていたので、その用紙を取り出し代読した。そこには、淡々とした内容ではあるが、父親の娘に対する深い想いが綴られていた。後刻、聞いた話だが、私が代読していたとき、新婦の父親はついに落涙したそうだ。よくまあ最後まで頑張ったものだ。それが親としての、娘に対する偽らざる感情なのだろうと思う。
一方、我が家での息子への待遇はペット以下で、エサとねぐらを与えはするものの、あとはほったらかし。抱き寄せていい子いい子など、決してしてない。だから、ペット以下の扱いしかしなかったが、新婦の家族はそんな息子を大切に受け取ってくださるというので、こんなに有難い話はない。「差し上げますが、返品はお受けできません」と、スピーチで二度念を押させていただいた。

くたくたになって帰宅したが、シロは何事もなかったような表情で、いつものように、足下でだらだらと惰眠をむさぼっている。披露宴の途中で、司会者夫人が私の本の中からもうひとつ、「目に見えないもの、心の目で見えるものを大切にしてほしい」という一節を引用してくださったのを思い起こし、深い眠りに落ちた。新郎新婦のピアノの連弾は良かったなあ・・・。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。

人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-25 19:06 | 心の中のできごと | Comments(14)

ロンドン・ダウニング街の昼寝ネコ「プロローグ」

c0115242_1582464.jpg

 (画は、まだまだカトリ〜ヌ・笠井さんなのです)

今月、英国から発信された下記のニュースを、読者諸兄は覚えておいでだろうか。「世界の要人はなぜ、ネコを飼うのか?」この質問に答えるのは、われら「昼寝ネコ一族」の秘密に関わることであり、同時に国際政治の暗部にも踏み込むことにもなるので、そうおいそれとは語れない。この場で、英首相官邸に住むことになったネコ「シビル」の写真を公表することは、肖像権侵害の問題が発生するので、「シビル」ではなく、「シビル」の生みの親である「ジュヌビエービ」の肖像画を掲載するにとどめたい。

で、前述の「世界の要人はなぜ、ネコを飼うのか?」について、簡単に説明を加えたい。昼寝ネコ一族である「シビル」、そして彼女の生みの親である「ジュヌビエービ」の素性については、後日改めてご紹介したいと思っている。

さて、世界の要人たちは、なぜネコを飼うのだろうか。簡単に言ってしまえば、職業上知り得た秘密を他人にもらすことが、自分の失脚かあるいは下手をすると死につながることを・・・そうそう、かのJ.F.ケネディが良き教訓でもあり警告でもあるのだが・・・恐れるあまり・・・かといってどんなに強靱な意志力の持ち主であっても、長年にわたって口を閉ざし続けることは精神的な破綻を引き起こすので・・・結局、毎夜膝の上のネコに向かってぼそぼそと、人に言えない機密事項を話すしか解決方法がないということなのだ。複雑怪奇な国際政治を司る立場の要人にとっては、まさに生ける「心の栄養剤」として、われら昼寝ネコ一族は不可欠な存在となっていることを、読者諸兄にはそっとお伝えしておこうと思う。なぜ普通のネコではだめかって?それが昼寝ネコの存在理由だから・・・つまり、古代イスラエルの時代から連綿として受け継がれている、「血」の違いとしか言いようがない。あまり詳しく説明すると、世界中の要人に仕えている同胞たちの命を危険にさらすことになるので、下記のニュースを読んであれこれ推測してみていただき、続編をしばらくお待ちいただきたい。

【ロンドン11日時事】
英首相官邸でこのほど、ネコが飼われることになった。官邸のネコといえば、サッチャー、メージャー、ブレアの3代首相に「奉公」し、2006年に死んだハンフリーが有名で、官邸の新たなマスコットになるか注目を集めている。
英メディアによると、このネコはダーリング財務相一家が飼っている白黒の雌シビル。ブラウン首相一家が官邸の隣にある財務相公邸に住み続けていることから、ダーリング財務相一家が官邸側に住むことになり、その際に一緒に連れてきた。
ハンフリーはサッチャー政権下の1989年、官邸に住み着いた迷いネコ。一時行方不明になった後に保護された際、官邸は「メージャー首相(当時)はじめ全閣僚とも喜びに堪えない」との声明を出したほか、クリントン米大統領(同)一家の飼い猫、ソックスからも「祝電」が届いた。
シビルもハンフリーと同様、「自由に官邸に出入りすることが認められた」(首相スポークスマン)。ブラウン政権下で今後、多くのエピソードを残すことになりそうだ。 

【9月12日 AFP】
首相官邸があるロンドンのダウニング街10番地に、ネコ「シビル(Sybil)」が公式に居住することになったと、ゴードン・ブラウン首相の報道官が11日に伝えた。シビルは、アラステア・ダーリング新財務相の飼いネコ。英国では伝統的に首相はダウニング街10番に、財務相は11番地にそれぞれ居住することになっているが、11番地の住居の方が広いため、ブラウン首相は財務相と居住地を交換していた。そのため、シビルはこのたび10番地に居住することになったという。

発表後、「シビルが10番地の官邸執務室内を走り回ることになるのか」との質問が出ると、同報道官は「ネコの動きを規制するのは極めて困難なため、執務室内を走り回ることなるだろう。だがブラウン首相夫妻も同件に関しては『問題はない』とみている」と答えた。

同地にネコが住みつくのは、野良猫としてサッチャー首相時代にやってきて、メージャー首相の時代になっても住み続けた名物ネコ、ハンフリー(Humphrey)以来となる。

 1997年、トニー・ブレア氏が首相になった時ハンフリーが「引退」に追い込まれると、「ネコが嫌いなシェリー夫人がハンフリーを追放した」との憶測が飛び交った。ハンフリーは、メージャー首相の任期中に消息不明になったことがあり、その際は死亡したとみなされた。ところが官邸近くの医学大学のスタッフがハンフリーの弔辞を読み上げているその時に、当のネコが何食わぬ顔をしてその建物内に入ってきたという。1994年にハンフリーに「コマドリ殺害容疑」がかけられたとき、メージャー首相はただちにハンフリー擁護に回ったと伝えられている。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-22 15:04 | 心の中のできごと | Comments(2)

しばらく地方巡業と相成りました

数日前、札幌で独り住まいの母が入院しました。正確に言うと、30年行き来のなかった親戚が母に電話をしてきたのですが、具合が悪そうなので訪問してくれました。看護師ですのであれこれ測定したところ、心拍数が異常に少ないことがわかり、病院嫌いの母のゴタクを無視して半ば強制的に自分の勤めている病院に入院させたわけなのです。で、その二日後の昨日、ナースセンターのモニターが「ピー・・・」。いわゆる心拍が停止したわけなんです。正確には心拍数が30以下になったそうなんです。担当医の先生は、ペースメーカーの埋め込み手術をいやがる母を私が説得してから、と考えていたようなのですが、医師として独断で手術をします、とおっしゃっり、とりあえず緊急手術で、体外にペースメーカーを取り付ける応急処置をしてくれました。その結果、心拍数が60近くに上がり、本人も楽になったものですからこのたびはすっかり観念して、本式の手術を受ける覚悟を決めたようです。

その親戚というのは、正確に言うと私の祖父の弟の娘・・・つまり父の従姉妹に当たります。でも、私の1学年上になります。4人娘の3人が看護師で、息子は私と同学年。で、その強制的に入院させてくれた看護師のおかげで、母はすっかり命拾いしたわけです。いやあ、本当に偶然の電話でした。彼女の母親が亡くなって、香典返しのお礼の電話が30数年ぶりの音信だったわけですから、いかに無信心の私でも、亡くなったおばさんが命をひとつ、置きみやげに置いていってくれたんだろうなと、感謝の気持ちを新たにしています。

来週、本式の手術をしますので、札幌に行ってしばらく滞在してきます。いやあ、その看護師と最後に会ったのは、彼女が高校生ぐらいの時ですから、まぶたに浮かぶのは「白衣の天使」のイメージなんですよ。ですから、来週会ったときになんて言おうか考えているのですが、「有難う、有難う、あなたは本当に天使です・・・」とまあこう言ってハグしてもいいかな、なんて勝手に想像しているのですが、でもちょっと待てよ。30数年の経年変化というのを計算に入れないと、もしかして小錦体型になっていたら、「天使」という表現はちょっと寒いかな・・・う〜ん、私って心にもないことは決して言えない性格なので、まあでも命の恩人であることには違いないので、ここは何かのオーディションを受けたつもりで、くさい台詞のひとつも囁いてみることにします。

とまあ、そんなわけですので、足取りの遅くなったブログも、さらに中断することになりそうで、大変申し訳なく思っています。LAN環境のあるところに宿泊した場合は、アップしたいと思っています。次のタイトルは「ロンドン・ダウニング街の昼寝ネコ」です。どうぞお楽しみに。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-22 02:00 | 心の中のできごと | Comments(12)

ああ、どうすればいいのだろう?

c0115242_1315593.jpg

    (画は引き続きカトリ〜ヌ・笠井さんなのだ)

人は、人生を終えるまでに、何度天を仰ぐことがあるのだろうか。万事休す、四面楚歌、絶体絶命、茫然自失、自業自得・・・。最初に天を仰いだのは、もうかれこれ十数年前になる。飼われていたわけではないが、廊下の端の空いた場所に住まわせくれていた・・・独り住まいのおばあさんが突然亡くなり、その古家の取り壊しが決まった。私には年老いた母と、家内と、交通事故で亡くなった息子夫婦が残した七匹の孫たち。ネコとしては大家族だった。裏庭から出た道路がコンビニとファミリーレストランの裏口に面していたため、食べ物には困らなかった。すっかり安穏とした生活に馴れ、食べ物を自分で確保する技術もなくなってしまった。さらに住み慣れた家を追われてしまう。ああどうしよう。飼い主には身寄りがなく、せめて孫たちだけでも引き取ってほしかったが、それもかなわない。「路頭に迷う」という言葉が現実感を伴って頭の中を駆けめぐる。今日も解体業者が取り壊しの下見に来ていた。すぐにでも雨露をしのげる場所を確保しなくては。

これほど野良ネコとして生まれた自分の生い立ちを呪ったことはない。ああ、どうしたらいいんだろう。今さら他のネコの縄張りに侵入して寝ぐらを確保するなんて、まず無理だろうな・・・。考え疲れた頭はズンズン重くなり、ああそういえば今日はあれこれ思い悩んで昼寝をしていなかった、と思いながら、いつの間にか深い眠りについてしまった。

あれは夢だったんだろうか?目覚めた私は、ぼんやりした頭で記憶を辿った。やけにはっきりした夢だった。台所の隅に置かれた小さなソファで私を呼んでいる。「さあさあ、ぽん太。こっちにいらしゃい」
私はぽん太という名前で呼ばれるのがいやだった。本当はごん太というのだが、おばあさんはそんなことはお構いなしだった。
「私ももういい歳だからねえ」(うん、それは否定しがたいね)
「私にもしものことがあったら、ぽん太もこまるだろう?」(まあね)
「この包みを覚えておきなさい。このソファの破れ目の奥に入れておくからね」
(なんじゃい、それは?)
「これはね、ある人にとっては命の次ぐらいに大切なものなんだよ。私にもしものことがあったらね、これをあの人のところに届けてあげなさい。そうすればお前にすっかり感謝して・・・今では県内一の都市の名士だから、お母さんや奥さん、孫たちを住まわせてくれるよ。分かったかい、ぽん太や?」(分かるわけないでしょう?)
「私が生きてる限り・・・いやぁ、私がこのまま何も言わずに死んでしまった方がもっと、あの人は自分を責めるだろうね。でも、そんなことはないかもしれない。とっくに私を忘れ去っているかも知れないねぇ」(余計分かんないよ、おばあさん)
「まあとにかく、人生にはいろんなことがあるものだよ。ぽん太も、息子さん夫婦の事故の時は大変だったねぇ。ネコにもネコなりの苦難というものがあるんだよ。人間同様にね」(まあ、そりゃそうだわいな)
「ぽん太」(ゴン太だっていうのに)
「こうして独りで長い間暮らしてきたけど、お前たちが側にいてくれたので、私は気を紛らわせることができたんだよ。ありがとうね」(いえいえ、とんでもない。こちらこそ住まいと食べ物をいつも、感謝していますよ)
「どんなにいやなことを思い出しても、ぽん太のアホづらを見ていると、心がなごむものねぇ」(えっ?ほめてんの?けなしてんの?)
「でも、あの人は今でもふさふさした髪で・・・真っ白だけど、昔のまんまだねぇ」(あの人って?一体誰のことなの?)

夢はそこで終わってしまった。不思議な夢だった。外では解体業者の話し声がする。解体用の重機を待っているらしい。いよいよ住む場所が無くなる。

「さあさあ、ぽん太。こっちにいらしゃい」えっ?おばあさんの声がする。そんなはずはない。声がする台所に行ってみたが、誰もいない。見慣れたソファの裏側に回ってみた。夢で言われたように、破れ目があり奥に布製の包みが入っている。なんとか引っ張り出した。外では重機の音がする。私は家族全員に声をかけ、外に避難した。途中で一度だけ振り返ったが、住み慣れた家が崩れて行くのを正視することはできなかった。私たちは。正真正銘の絶望的な環境に追いやられた。残念なことに、ネコ一族には「悲観して自殺する」という思考回路がない。常に「どうずれば事態が少しでも好転するか」だけを考える資質がある。

とまあ、虚勢を張って偉そうなことを言っているが、本当のことを言えば、内心は穏やかではなかった。今は再びこうして、立派なお屋敷の別棟の物置の一角に専用の場所を与えてもらい、十分な食べ物を与えられている。何がどうしてどうなったかって?知りたい?全然興味がないの?じゃあ聞かせてあげよう。

白い髪がふさふさの町の名士って・・・ネコ仲間に聞いて回ったところ、評判の外科医らしいということになった。母と家内と七匹の孫を引き連れて、なんの確信もないままぞろぞろと、その外科医の家に向かった。長い道のりだった。

広い邸宅だった。駐車場脇の目立たない場所に陣取り、外科医の帰宅を待った。車から降りた外科医の目に飛び込んだのは奇妙な布袋をくわえたのを含め、総勢十匹のネコたち・・・さぞかし奇っ怪な光景だっただろうと思う。外科医は警戒するでもなく、私の方に近づいてきた。私はすがるような気持ちで布袋を足下に離した。

布袋に入っていたのは「カルテ」だった。一瞥すると、外科医は私たちを優しく邸内に招き入れ、メイドに言いつけて食べ物を与えてくれた。孫たちががっついて食べる様子を静かに眺めていた外科医は、メイドがいなくなると口を開いた。

もう何十年も前のこと。若手の外科医は患者から慕われ、病院内でも評判の名医だった。そこには、亡くなったおばあさんが看護師として働いており、お互いに尊敬の念を持っていた二人は、やがて愛し合うようになった。ところがある日、おばあさんは病院の理事長が、娘と外科医を結婚させようと考えていることを耳にする。おばあさんは悩んだ。その方が彼にとって充実した人生になるのは、目に見えていたからだ。そんな彼女の苦悩を知らず、彼はいつもやさしく振る舞い、立派に仕事をしていた。そんなある日、緊急手術後の患者が食べたものを戻し、窒息死する事故が起きた。手術をしたのは彼だった。おばあさんは、術前の面談記録を覚えていた。手術の1時間前に食事をしていたのだが、緊急手術がいくつも重なり、疲労と焦りで彼は術前面談の記録をきちんと確認しなかったに違いない。そう判断したおばあさんは、彼の医療過誤が表沙汰になるのを防ぐために、カルテを衣服の中に隠し病院を抜け出した。そして二度と戻らなかった。結局カルテは見つからず、責任の所在も曖昧で・・・何せ評判の名医の手術だったのだから・・・という判断で遺族の抗議も無視されてしまった。彼には内心、もしやという思いがあった。しかし、カルテは存在せず肝心のおばあさんも行方不明で、手の打ちようがなかった。時間が経てば人々の記憶も悲しみも薄れていくのが世の常である。彼は、院長の勧めに従い、その娘と結婚した。画に描いたような幸せな生活だった。

そこに私が、当時のカルテを持ってきたことになる。正確には、カルテの他にもうひとつ。茶色に変色しかかったカードが入っていた。おばあさんの筆跡だったが、当事者を特定できないように、宛名も署名もなかった。カードにはこう書かれていた。
「これを持ち出すことしか思い浮かびませんでした。そして廃棄する勇気もありませんでした。軽率な行動だったのかもしれませんが、あなたの将来のために、ちっぽけな私一人が犠牲になればいいという思いが頭の中を占めていました。でも、私は一人でないことが、後で判りました。ご迷惑をおかけしたくなかったので、私一人で育てる決心をしました。男の子でしたので、あなたのお名前から一字いただきましたが、はしかの症状が思ったより重く、二歳半で亡くなってしまいました。とうとう最後まで、何もお知らせすることができず、この便りも果たしてお手許に届くかどうか分かりません。新聞や雑誌、テレビで何度もあなたをお見かけし、その度に私の選択は正しかったんだと、自分を納得させることができました。短い時間でしたが、幸せな人生でした」

彼は、奥さんには何も話さなかった。しばらくして、おばあさんが亡くなったことを知り、私たちを車に乗せてお墓に行った。およそ仏式のお墓には不釣り合いの・・・周囲からは顰蹙を買いそうな・・・赤い薔薇の花束が墓前に置かれた。彼を取り囲むように座る私たちに声をかけると、ポケットからライターを取り出し、彼はあのカルテとカードに火を点けた。灰が足許で舞い、深々と頭を下げた彼の眼からは、涙が滴り落ちていた。

夏の終わりの朱色に照らされたおばあさんの笑顔が、一瞬だが見えたように思った。眠かったので、錯覚だったかも知れない。


よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-12 22:14 | 心の中のできごと | Comments(4)

深夜の将棋盤

c0115242_14192789.jpg
c0115242_14243928.jpg

c0115242_14195819.jpg
(左上・升田幸三九段 左下・大山康晴名人     右・昼寝ネコ14級→目指せ有段者トホホ)

仕事の性質上、なかなか朝型の生活に修正することが難しい。どうしても深夜が佳境で、締め切り間際には夜が明けてから眠ることも珍しくない。大概はシロが横の椅子で熟睡しており、仕事が終わるのを待って、一緒に二階の寝室までトコトコとついてくる。忠犬のようなネコだ。

仕事中は静かなもので、iTunesとか、最近ではyoutubeで好きな音楽を聞きながらパソコンと向かい合っている。頭が飽和状態になると、ネット上の手軽なゲームで気を紛らわす。最初の頃はYahooの「マージャンソリティア」という、同じ麻雀パイを選んでどんどん消していく単純なゲームを好んでいた。そのうち、Yahooのゲームに将棋が加わった。学生の頃、寮生活をしていたので、食堂に隣接したホールにたむろし、寮生仲間とヘボ将棋を指した覚えがある。ということは、かれこれ35年以上、将棋の駒に触っていないことになる。

35年ぶりの将棋。Yahoo・将棋に対戦申込みをしてみた・・・ポカの連続で、千戦錬磨の・・・相手の戦歴を見たら何百どころではないのである・・・顔の見えない相手にボロ負けの連続。こんなはずではなかった。当然、年齢相応の思考力低下を自覚しているが、でも悔しいものだ。どこぞに、将棋教室がないものか。検索してみたら、地元に将棋道場があった。電話して訪れ、道場主に相手をしていただく。本物の分厚い将棋盤に高級そうな盛り駒。35年ぶりなので、指先でまともに駒をつまむこともできない。あっという間に飛車と角をとられ、惨敗。

定跡本を買って読めば、序盤のある程度の組み立ては分かるだろうが、将棋は変化が多い。定跡を丸暗記したとしても、相手が手引き通りに指してくれる保証はない。さて、どうしたものか。

そこで、さらに検索を進めると「ネット将棋スクール」というのを見つけた。指導棋士四段の堀川修という方が主宰。ああ、プロの先生だ。実際にプロの先生に学びたいと考えていたのだが、往復の所要時間と交通費、毎回の指導料を考えると躊躇してしまう。だが、これだとパソコン上で対局し、しかも対局後にはskypeを使って指導もしてもらえるようだ。(skype同士なら通話無料)

思い切ってメールで問い合わせをしたら、すぐに返信がありskype用のヘッドセットを購入して入会を決めた。実際にはまだ数度しか対戦していただいていないが、とても親身にご指導くださり、欠点や弱点を的確に指摘される。人格者の先生なので安心して教えていただける。パソコンとskypeという、最新の機器を組み合わせての将棋スクール。場所を選ばず、プロの棋士の指導を・・・もどかしいチャットではなく、リアルタイムの音声で受けられる・・・こんなに恵まれた環境は得難いと思う。運に左右されず、非常に奥が深く、また変化が無限とも思える知的なゲームは、将棋の他にないのではないかと思う。将棋に興味のある方には、お奨めのスクールだ。

個人的には、努力型の正当派・大山康晴名人よりも、角使いの名手と言われ、奇人・天才的風貌の升田幸三九段の方に親しみを覚える。私?私はなんといっても昼寝の名人なので、ぼーっとした棋風であり、気がついたら詰まされて負けていた・・・そんな感じである。

ネット将棋スクール (指導 堀川修指導棋士四段)
http://www1.odn.ne.jp/shougi-school/?OVRAW=将棋&OVKEY=将棋&OVMTC=standard&OVADID=601366041&OVKWID=5559753541

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-10 14:09 | 心の中のできごと | Comments(10)

昼寝ネコの、ブロードウェイ営業雑記帳

c0115242_093653.jpg

もうずいぶん昔のお話です・・・。

社内で輸入ミュージカルの楽譜を扱うことになりました。調査したら、銀座のヤマハでも、有名なミュージカルのボーカル・セレクションが多少と、ボーカル・スコアなんてほんの少ししか店頭に並べていないことが分かりました。ミュージカル好きの私は「あっ、それ私に担当させてください!」と、無謀にも立候補してしまいました。「えっ?担当したい?じゃあいいよ。担当してね。アメリカでもイギリスでも、どっちでもいいから、ちゃんと仕入れルートを開拓して輸入できるようにしてね。」案ずることはない・・・まあ、行けばなんとかなるだろうと考え、一路ミューヨークに飛んだんです。マンハッタンのホテルに滞在し、早速「営業活動」が始まりました・・・なんてありっこないんですよ。大体、どこに行けばミュージカルの楽譜が売ってて、しかも、どうやって仕入れ先を確保するか・・・時差ぼけの頭を抱えて、ようやく事態の大変さを悟りました。

手始めに、当時ニューヨークで日本人向けのMusical Expressという、ミュージカルガイド雑誌を出版されていたMiyanjo(済みませんが漢字を忘れてしまいました・・・「みやんじょう」さんとおっしゃいます)ご夫妻のオフィスを訪ねました。楽譜や舞台関係の書籍・雑誌を扱っているお店にも案内していただいたのですが、小売店から卸してもらうとまったく条件が合いません。仕方なく、yellow pageをパラパラめくり、めぼしい店の名前を書き留めると、タクシーに乗りました。

最後に行き着いたのは、ブロードウェイにある楽譜屋さんでコロニーといいます。(Colony、Broadway & 50 St.)入ってみて、大感激でした。ミュージカルの楽譜が、セレクション、スコア、シートミュージックとまずまずの品揃えなのです。満面にんまりでした。一応は商品の所在を確認したのですが、そこは小売店ですから、どうやって卸元を突き止めるかなんですね。まずは正攻法でチャレンジ・・・。「とても商品のラインナップが豊富ですね」と、話しかけてみました。店員は3名ほどで男性だけでした。一番年配で眼鏡をかけ、鼻の下にヒゲをたくわえた男性に話しかけたんです。まったく無表情で「そら、そうやろ」という感じで鼻であしらわれました。「ところで、楽譜はどんな風に流通しているんですか?」とにかく訊いてみました。アメリカは日本と違い、出版物はnational distributor呼ばれる、全米をテリトリーとする問屋と、regional distributorと呼ばれる、州内で卸している二種類があることは、事前の調査で分かっていました。しつこく食い下がると、そのregional distributorから供給を受けているというのです。そこで本音です。「日本へ輸出したいんですが、その問屋さんの名前と電話番号を教えてもらえませんか?」すると、困った表情が数秒続き、「あきまへんな、教えられまへん」と英語で素っ気なく言われました。

そして翌日、再びコロニーに行きました。昨日のおじさんはいません。で、別の男性に話しかけました。「かくかくしかじかで、楽譜の問屋さんを教えて欲しいのですが、昨日のおじさんは今日、お休みなんですか?」すると彼は0.8秒ぐらいの躊躇の後、「よろしゅうおます、教えまひょ」と、すんなり社名と電話番号を教えてくれたんです。

コロニーを飛び出すと、公衆電話を探しました。相手が出ました。後は情熱で押しの一手です。ニュージャージー州・・・つまりニューヨーク州の隣の州にあるんですが主旨を説明すると、会ってくれるということになったんです。

・・・こんなお話、つまらないと思われるかもしれませんね。でも、昔の佳き思い出ですから、もう少し付き合ってください。

翌日・・・ニューヨークではレンタカーを借りないことにしていましたので・・・タクシーでその会社に向かいました。へっ?これが会社?と思うぐらいのんびりしていて、スタッフも数人。で、社長は結構高齢で、日本人が突然電話してきて楽譜を仕入れたいという珍客に、興味津々という感じでした。ものの5分ぐらいで条件が成立し、仕入れルートは無事に開拓できたんです。契約書もなしで、口頭の確認だけでした。あとはよもやま話し。かつては、全米でも一番大きな楽譜問屋だったとか、グレンミラーのエージェントをしていたとか・・・よく見ると事務所のキャビネットには洋酒のびんが数十本並んでいました。「アルコールはいけまっか?呑まはらへん?そうでっか・・・」と、少し残念そうな表情でした。

取引を始めて1年足らずで彼は他界し、事務所は閉鎖されました。でも、別会社に移ったマネージャーを捜し当てることができて、同じ条件で取引が引き継がれたのです。

結局、思ったほど日本でのミュージカルの楽譜は需要がなく、撤退して今日に至っています。亡くなった社長は、旧きよき時代のアメリカ人だったと思います。突然の来訪者に取引の門戸を開く度量の大きさ・・・それは今でもアメリカには存在しているはずです。ニューヨークもニュージャージーも、ずっと訪れていません。おそらく、コロニーは今でも営業していると思います。Miyanjo InternationalをGoogleで検索したら、奥様の名前しか記載されておらず、元ダンサーのご主人はどうされているのかなと、ふと気にかかりました。

いつかまた行ってみたい。ちょっとした望郷に似た想いです。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-05 00:10 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

summer of 2007・・・思い出のない夏

c0115242_2131276.jpg

     (画は、まだまだカトリ〜ヌ・笠井さんです)

ああ、消耗した夏でした。
今年の夏は、かき氷を食べないで終わりそうです。
まるまる休める日は、一日もありませんでした。
お墓参りにも行けませんでした。
ご先祖様、もう少し待っててください。
そういえば、海にも行っていません。
鎌倉から江ノ電に沿った道を走ると、
途中の商店街に肉屋さんがあり、そこの揚げたての
コロッケを食べるのが楽しみでした。
逗子の高台には、ひと区画が少なくとも500坪はありそうな
セレブ御用達の別荘地らしきところがあります。
入り口には管理事務所があるのですが、
来訪者を装って、怖じ気づかないで、
敷地内を一周したのも楽しい思い出です。
海岸沿いの道路は渋滞することが多いけれど、
潮の香りをかぎながら、水平線を見やるのはいい気分です。
ああそういえば、何度か行った海沿いのイタリアンレストランは、
もう廃業してしまったようです。
思い出がひとつ消え去ったような、寂しい気持ちです。
小さな漁港には、小さな食堂が並び、
目の前の海で獲れた魚介類が定食で出されます。
葉山御用邸の手前には、ちょっと高級なレストランがあり、
そういえば、ラ・マレ・ド・茶屋という
海に突き出したようなレストランは、まだあるのでしょうか。
マリーナと名がつく場所は何カ所かあり、
本気で船が欲しいと思ったこともありました。

湘南の思い出は、どれもが強い日射しに照らされています。
でもそういえば、少し暗い思い出もあります。
江ノ電・鎌倉高校前駅の近くに、
「パブロヴァ・バレエスタジオ」がありました。
夜に訪れると、まるで廃墟の洋館のようで
無人の館に見えました。
当時の主は、ロシアから亡命してきたバレエダンサーで
すでに亡くなっているエリアナ・パブロヴァの妹さん。
ナデジダ・パブロヴァでした。
ひょんなことから、彼女の入院先の病室を訪れるようになり、
亡命前のこと、ご両親のことをあれこれお聞きしましが、
その後、ほどなくして亡くなり、
お茶の水のニコライ堂で行われた葬儀に参列しました。

夏が徐々にその勢力を失って行くこの時期には、
人生だけでなく、何事にも始めと終わりがあることを
改めて思い知らされます。
同時に、この年になってもまだ
夏の終わりには感傷的になるようで、
映画「summer of '42(おもいでの夏)」の
ミシェル・ルグランの曲を、しんみりと聴いています。
・・・ちょっと、麦わら帽子は雰囲気に合いませんが、
なにせ暑いものですから・・・。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-02 21:32 | Comments(8)

チベット高原の昼寝ネコ

c0115242_0263042.jpg

 (画は、やっぱりカトリ〜ヌ・笠井さんです)

昔々、チベット高原にネコ王国が存在し、不思議なネコが住んでいました。何世代か前の先祖がヨーロッパから移住して来て、それ以来ずっとチベットに住んでいるのです。先祖ネコは、東欧を流浪していたジプシーと生活をともにし、少なからずライフスタイルにジプシーの影響を受けていました。

さて、その中に一風変わったネコがいました。「昼寝ネコ一族」と呼ばれ、昼寝を習慣として、いつも大草原で堂々と大の字になって眠るネコなのです。みんなからは「メダー」(チベット語で昼寝ネコを意味します)という名前で呼ばれ、親しまれつつも恐れられていました。なぜなら、普段はとても気のいいネコなんですが、夢を見ることが多く、その夢で見たことが必ずといっていいほど実際に起きるからなのです。「メダー」の先祖もそうでした。夢の内容を聞くために、地方からもぞくぞくと人が訪れるようになったのです。今では、年寄りから若い人までが、「メダー」の夢の内容を聞きに集まってきて、その内容は全国の町中に掲示されるほどなんです。夢の内容は、天変地異に関することよりむしろ、事故や事件に関するものが多く、実際に非常に正確な内容でした。ですから、多くの人は「メダー」の夢の話しを聞きたがったのです。

ある日、国境を接する隣国のネコ共和国が、公式にチベット高原のネコ王国に重要な提案をしてきました。隣国のネコ共和国はとても大きな国で、強大な軍隊を持っていましたので、無視するわけにはいきません。「どらにゃん3号」という、ネコが嫌う臭いのガスが詰まったミサイルが何百発も、チベット高原のネコ王国に向けられているのを、チベットのカラス偵察隊から知らされていたのです。

公式提案は、チベット高原のネコ王国にとって、不安な内容でした。チベット高原には「またたび」の群生する広大な土地があり、さらにきれいな湧き水がいたるところにあり、ネコの好む小魚も豊富にあるのですが、隣国のネコ共和国が、それらの貴重な資源を共同管理し、もっと効率的な生産をしようという提案なのです。でも、過去の隣国のネコ共和国の歴史からして、平和な共同管理のはずが、いつのまにか武力によって併合されるのではないか、という懸念を強く感じていたのです。チベット高原のネコ王国では、指導者たちが頭を痛め、どうしたらいいか議論を重ねましたが、なかなか名案が浮かびません。そこで、広く国民に意見を募ることにしました。多くの国民は、代々不思議な夢で危険を知らせてくれている「メダー」に頼んで、昼寝の時間を増やし、隣国のネコ共和国の提案に関する夢を見てもらおうと考えました。それまで、何百回となく、そして何十年にもわたって不思議な夢で民衆を導いてくれるネコだという評価が定着していたからです。もし「メダー」の見る夢が、隣国のネコ共和国の提案に肯定的な内容であれば、提案を受け入れようという空気ができあがりつつありました。チベット高原のネコ王国の指導者たちも、その考えに同意するようになりました。

ところが、こういうプロセスになるであろうことを、隣国のネコ共和国の支配者はずっと昔から予測していました。つまり、東欧のジプシーと生活していたネコたちを自国に連れてきて、特別な能力者に仕立て上げたのは、実は隣国のネコ共和国だったのです。何百年も流浪の身に甘んじ、定住することを許されなかった「メダー」の先祖は、チベット高原に定住の地と収入と食料を保証され、隣国のネコ共和国の意のままに動くことに同意しました。

「夢で見たことが実際に起こる」・・・それは当たり前なのです。不思議なネコ一族の能力を信じ込ませるために、あらかじめ夢の内容を「メダー」の先祖に知らせておき、発表したらすぐに、隣国のネコ共和国の手配のネコたちが、夢の内容とまったく同じ事件や事故を人為的に起こしていたのです。こうして何十年にもわたって、隣国のネコ共和国は「メダー」に対するチベットの国民の信頼を、絶対的なものにすることに成功しました。その頃合いを見計らって、公式提案をしたのです。国民の誰しもが、「メダー」の夢に判断を求めることをちゃんと計算していたのです。

ですから、隣国のネコ共和国の高官は、何度も極秘裏に「メダー」を訪れて、どういう夢を見たといえばいいか・・・を慎重にレクチャーしていました。近々、夢の内容を公に発表して、一気にチベット高原を支配しようという目論見だったのです。ここまでくればもう99.9999%は成功です。隣国のネコ共和国は自信満々でした。

ところで、この特殊な能力を持つとされる昼寝ネコ一族は、代々世襲制でその族長が決められ「メダー」と名乗ることが義務づけられていました。現在の「メダー」は初代から数えて七代目になります。代々の族長には、族長しか見ることのできない秘儀が記された「巻物」が伝えられていました。どのような訓練を積めば夢の予知能力が高まるかとか、天と地の摂理が書かれているらしいとの、噂でした。まことに神秘的なベールに包まれた不思議なネコ一族なのです。

さて、隣国のネコ共和国の高官から何度もレクチャーを受けた「メダー」の頭の中には、民衆に対して自分がどういう夢を見たと話せばいいのかが、完全にインプットされていました。いつでも話せるぞと、自信満々の状態でした。

いよいよその日が近づいてきました。明日は大会堂に全国の行政官が集まり、カラスや鳩たちも、夢の内容を全国に速報しようと待ちかまえていました。チベット高原のネコに化けてたくさんの公安ネコたちが、隣国のネコ共和国から紛れ込んでいました。万が一、思わぬ事態が発生したときのために備えているのです。すでに「メダー」の家族は隣国のネコ共和国の配下のネコたちの管理下に置かれています。もし、事前にレクチャーされたとおりに夢の内容を話さなかったら、「メダー」の家族は即刻処刑される運命にありました。

明日に備えて、「メダー」は先祖ゆかりの大平原に行き、大の字になりました。幾分緊張していたものの、やがて深い眠りに引き込まれました。当然のことですが「メダー」は夢を見たのです。夢には初代から第六代目の父親までが、ずら〜っと現れました。そして現在の「メダー」に対してなにやら助言をしたのです。

さて、散々前置きが長くなりましたが、実は、まことにあっけない結末だったんです。大会堂で大勢の同胞ネコを前にした「メダー」はこう言いました。

「同胞の皆さん。私は隣国のネコ共和国の提案に関する夢を見ました。その夢の内容について、皆さんに説明したいと思います・・・」
集まった全員も、隣国のネコ共和国から紛れ込んでいた公安ネコも、緊張の一瞬でした。「メダー」は、こう続けました。
「あっ、お話ししようと思ったのですが、なにか非常に眠くなってきました。これはきっと何か補足する夢を見なさいという意味なのだと思います。ちょっとだけ昼寝をさせてください」
そういうと、「メダー」は壇上でごろりと横になり、クウクウ居眠りを始めました。全員があっけにとられましたが、15分ぐらい経ったでしょうか。「メダー」はようやく目覚め、壇上に立って話し始めました。
「同胞の皆さん。私は隣国のネコ共和国の提案に関する追加の夢を見ました。その夢によれば、これは大変重要な提案なので、ちゃんとした夢を見なさいといわれる夢を見たんです・・・」
「メダー」は壇上でごろりと横になり、再びクウクウ居眠りを始めました。会堂ではざわめきが起こりました。隣国の公安ネコは様子がおかしいと判断し、本国に指示を仰ごうとハヤブサを飛ばしました。

さてその頃、隣国のネコ共和国では大変なことが起こっていました。膨大な数の地下ミサイル基地を作ってしまったものですから、住まいを奪われた天文学的な数のモグラたちが一斉に蜂起し、全国の「どらにゃん3号」ミサイルの周りをものすごい勢いで掘り始めていたのです。やがてミサイルが次々と倒壊してネコが嫌う臭いのガスが大量に漏れ出したからたまりません。隣国のネコ共和国全体がパニック状態になり、チベット平原の共同管理どころではなくなったのです。隣国のネコ共和国の関係者には緊急帰国命令が出され、囚われていた「メダー」の家族も無事に救出されました。

・・・やがて、偵察のカラス隊が戻ってきて、隣国でモグラが大反乱を起こし、「どらにゃん3号」ミサイルのガスが漏れて全土を覆う、悲劇的な状態だと告げました。

目覚めた「メダー」は、会堂に残っていたネコたちに言いました。
「昨日、大平原で昼寝をしていたら、代々の『メダー』が現れて、隣国のネコ共和国の提案に関する夢を見ても、決して話さないように言われました。会堂の壇上では、ただひたすら本分に徹して昼寝をするように。そうすれば、自然の摂理が大きな奇跡を起こすだろうから、その兆候が現れるまでは、何度でも昼寝をするように・・・これが大平原で見た夢の内容でした」
チベット平原のネコ王国は大歓声に包まれました。国民は、こぞって「メダー」を祖国の大英雄として表彰するよう歓喜の声を上げました。

そんな騒ぎをよそに、「メダー」は一族を連れて駅に行き、外国船が停泊している港に向かいました。国に残れば、代々の「メダー」と隣国の仕業を告白せざるを得なくなり、同胞に深い失望を与えてしまう。それよりは、たとえ美しい誤解であってもいいから、国を思う英雄が存在したという伝説を残した方がいいのではないだろうか。そう考えて、「メダー」はチベット高原を後にしたのです。

その船はどこ行きだったかって?川崎に到着して、そのネコたちは昼寝をしながら川崎市内に住んでいるかって?それはね、CIAでもモサドでも把握できない重要機密なんですよ。私は知ってますけどね。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
by hirune-neko | 2007-09-01 00:28 | 創作への道 | Comments(12)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
暇工作さん コメ..
by hirune-neko at 23:53
多分誰かが書き込むだろう..
by 暇工作 at 10:23
> 豆腐おかかさん ..
by hirune-neko at 01:16
かつさん ありがと..
by hirune-neko at 16:14
岡崎トミ子は死んでますよ..
by かつ at 09:09
記事ランキング
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ