昼寝ネコの雑記帳

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サミュエル・フレンチの恋人たち

 いろいろな編集上の理由で、12ページの空白ができてしまいました。来週の月曜日には、印刷会社に本文の最終データを送らなければなりません。カバーは本の厚さを決めてデザインし校正紙も出来上がっています。で、さあどうするか。あれこれ考える暇もなく、じゃあ短編小説をもう一作書こうということになったのがことの真相です。もちろん、死んだはずのシロが帰ってきて、その後病院からも退院しましたし、ときどき薄目を開けて私の表情を伺うものの、深夜三時半を過ぎたこの時間でも、隣の椅子に寝そべって仕事が終わるのを待ってくれています。ですから、この作品はシロに献呈するものです。登場するネコのムゼッタは全身が白い体毛です。まさにわが家のシロなんです。主人公のメリリーンは、最近知り合いになったとても感じのいいアメリカ人夫婦の奥様の名前を拝借しました。メリリーンの恋人であるメルビンは、別のアメリカ人の友人と同じ名前ではありますが、ジャック・ニコルソン演じる「恋愛小説家」の偏屈で潔癖性のメルビンからいただきました。で、書きながら繰り返し聴いた音楽はミシェル・ルグランの「思い出の夏」、summer of '42です。自分なりに気に入った作品となりましたので、やはり近刊「昼寝ネコの雑記帳」に収録することにしました。その人の感性によって感じ方は違うと思いますが、お読みになると涙腺が緩むと思います。とくにネコ好きの方には大いに共感していただけるのではないかと思っています。では、お時間のおありになる方は、どうぞお読みください。


【サミュエル・フレンチの恋人たち】 シロに献呈されたものです


 ミュージカルのタイトルにも使われているロス・アンゼルスの「サンセット・ブールバード(大通り)」。そのサンセット通りに面したサミュエル・フレンチは、圧倒的に映画俳優を目指す若者たちに利用されている。同名の店舗があるニューヨークでは、新作ミュージカルに投資しようと売れそうな作品を物色する投資家たちが蠢いているが、映画とて同じこと。投資コンサルタントが、売れそうな映画や金持ちの投資家を探している。演劇のメッカ、ロンドンにも小規模だがサミュエル・フレンチの店がある。
 一方、制作する側にすればギャラが安くて済む有能な若手俳優を発掘し、制作コストを下げようとひっきりなしにオーディションを行っている。サンセット通りのサミュエル・フレンチには、オーディション情報を満載した小冊子、アメリカ各地のアクセントを教えるテープ、舞台や映画の台本、演劇に関係した雑誌や書籍が並べられている。俳優を目指す若者たちにとっては、未来への扉を開くかもしれない鍵が売られている貴重な店なのだ。

 メリリーンがロスに住むようになって、まだ三年も経っていない。ハンコック・パークにほど近いルサーン通りのコンドミニアムに居を定めたが、ルームメートが結婚してしまい、引っ越すのが面倒なのでそのまま独りで住んでいる。ウィルシャー通りから歩いて数分入った所だが、意外と閑静で樹木も多く、気に入ってしまったことも理由のひとつだ。買い物には少し不便だが、散歩がてらに少し歩けばラーチモントの洒落た商店街にも行けるし、スーパーもある。ただ、独り住まいになったため家賃を稼がなくてはならず、週四回はレストランのウェートレスをしている。もっぱらランチタイムだけだが、繁盛している店なのでチップが思ったより多く、余計に笑顔を振りまいてサービス精神を発揮している。

 メリリーンの身体には四種類の血が流れている。アメリカ人、日本人、ベトナム人、フィンランド人を祖先に持つクォーターである。それなりに歴史的起伏のある血筋のようだ。さらにまた、異なる四種類の血も受け継いでいる。祖父母四人はそれぞれバレリーナ、オペラ歌手、ピアニストそして画家だった。国籍の違う血のみならず、メリリーンの体内には芸術的な感性に浄化された血液が流れている。毎日がレッスンの連続で、クラシックバレエ、声楽、演技、ヨガ、水泳、さらに外国語学校で三カ国語を学んでいる。どんな役でもこなせるよう、あらゆるスポーツや趣味を「かじった」経歴が自慢だ。おそらく、貴婦人から娼婦まで、どんな役を与えられても演じきるだろう。

 そんなメリリーンにも悩みがある。映画と舞台の女優を目指しているのだが、数ヶ月前にプロポーズされ人生の選択で迷っている。相手はやはり俳優志望のメルビン。事業欲も旺盛で映画投資ビジネスに知人が多い。なかなかハンサムで明るく清潔な男性だ。結婚して家庭に入るべきか、もうしばらく夢を追うべきか。なかなか決断がつかないでいる。メルビンとはときどきサミュエル・フレンチの店に行き、オーディション情報や映画・舞台の批評が掲載されている雑誌を買う。二人とも節約経済なので、車は年代物。食事も大概はスーパーで買って一緒に食べる。メリリーンはそれでも十分に幸せだった。お金で買えない貴重な絆があると思えたからだ。全てを失うことがあっても、メルビンとの絆が残ればそれでいい、そう確信できた。映画や舞台への道が険しいことは肌で感じていた。才能や能力、運に恵まれたとしても、それでも乗り越えられない現実の壁がある。公正なオーディションもあれば、そうではないものもある。一生を賭けて進むだけのだけの価値があるのだろうか。演出家やプロデューサーに評価されたとしても、肝心の観客に「見る目」が具わっていなければ、低い評価で終わってしまうのではないか・・・。朝起きたときは、それなりのパワーで一日を過ごそうとする気力がある。だが、疲労を感じる夜には、そして深夜に目が覚めて寝付けないときは弱気な自分を感じることが多い。
 メルビンには、おそらくビジネスマンとしての才覚もあると思う。男優としてもそこそこではあるが、多分主役は難しいだろうとメリリーンは感じていた。主役には特別な存在感が要求される。ジャック・ニコルソンしかり、ジーン・ハックマンしかり。メルビンには二枚目俳優の条件は揃っているが、職業として俳優業を続けていっても、いずれは行き詰まるのではないだろうか。その点はメルビン自身も自覚しており、だからこそ現実的な視点から映画投資ビジネスについて学び、知り合いも増やしているのだろう。純粋に芸術を追究した祖父母たちは、結局大衆からの支持を得られないまま、失意のうちに他界してしまった。「芸術的な耐乏生活」というものを、良く母から聞かされていたメリリーンにとって、現実生活で安心して暮らせる安堵感というのも抗えない誘惑だった。でも、もう少し女優業を目指してみたい。それも正直な気持ちだった。

 ラーチモントのレストランでのアルバイトを終えたメリリーンは、心地よい達成感と軽い疲労を感じていた。そんなに大きな店ではないが、パステルカラーを基調にしたインテリアで、開放感がある。そのせいで、忙しく働いていても疲労が少ないのかもしれないと思った。メリリーンはときどき自分が感覚的に過敏なところがあると思うことがある。いい音楽を聴いていると、ストーリーが自然に頭の中で展開する。しかも映像化されて展開する。何かストーリーが思い浮かぶと、それに感動して涙が止まらないことがある。周りの人間をじっと観察し、言葉遣いや表情からその人の出身大学や親の職業を言い当てて、人々を驚かせたこともある。想像や空想する行為が役作りの上で利点になることが多いと思う半面、現実生活では人の不幸までも背負い込むような気分になることが多い。

 レストランの裏口を出ると、メルビンが予告なしに笑顔で待っていることがよくあった。そういえば最近は見ていない。なにかと忙しいのだろうとメリリーンは思った。ラーチモントは近くに豪邸が多いせいか、見るからに「高価な」犬と一緒に買い物に来る客が多い。ふと見ると、積み上げた空き箱の上で小さなネコが、怯えた表情で辺りを警戒している。明らかに飼い猫ではない。迷いネコなのではなく捨てられたネコだと確信した。メリリーンが「ハーイ」と声をかけると、子ネコはそれに応えるかのように鳴き声を上げた。この子と一緒に暮らそう。メリリーンはその瞬間に決断した。

 その日は一日中メルビンからの連絡がなかった。夜遅くに、仕事の打ち合わせで時間がとれなかったことを詫びるメールが入っていた。メリリーンはあまり気にならなかった。子ネコの名前を考え、寝床とトイレを作り、さらに何時間もかけて話しかけることで大体の素性と家庭環境を把握する作業に熱中していたからだ。結局メリリーンは子ネコを「ムゼッタ」と呼ぶことにした。小さな雌ネコは、イタリア語に良く反応したのとプッチーニのオペラ、とりわけ「ラ・ボエーム」のムゼッタがアリアを歌うとそれに合わせるように声を上げたからだ。体毛は真っ白で、頭のてっぺんに少しだけ黒っぽい毛がある。ムゼッタと一緒にいるとメリリーンは、メルビンと一緒に過ごすときのように、自分の重い心を開くことができた。その夜、ムゼッタは何度か鳴いたかもしれないがメリリーンは朝まで熟睡することができた。
 翌日は楽しみにしていたオーディションの結果発表だった。UCLAで映画制作を専攻する学生の脚本だが、プロの間でも才能を評価されている女性の作品だった。実験的な映画だが、海外の映画祭への出品も約束されており、メリリーンは端役でもいいからオーディションに受かりたかった。家に置いてきたムゼッタのことは気になったが、どうしても自分自身の目で確認したかった。
 ウィルシャー通りでベルエア行きのバスに乗り、事務局のある建物を目指した。久しぶりに興奮で動悸がする。結果を知りたい気持ちにせかされた。結果はキャストの一員として迎えるとのことだった。昨日、哀れな子ネコに善行を施したのが良かったのだと、メリリーンは素直に喜んだ。

 事務局のある建物を出たメリリーンは、外の風景がいつもと違って見えるような気がした。せっかくの機会なのでたまにはセレブな女性になりきろう。そう考えると彼女はロデオドライブに向かった。店構え、商品、陳列棚、行き交う人々のいでたち、車の種類・・・すべてが別世界のように思えた。ウィンドウショッピングの客を装い、辺りを見回していた。
「へえー、渋い色のベントレーだこと。」
 メリリーンはいつセレブな女性の役を与えられてもいいようにと、一層集中して観察を続けた。通りの反対側に停まったベントレーの助手席からおりる女性のスーツは見るからに高価そうだ。専属の運転手がいるのだろう・・・しゃれたジャケットを着た男性が背を向けている。制服の運転手ではないんだ。メリリーンは意外に思った。えっ?あれはメルビン・・・背中しか見せず店内に女性をエスコートしたのは、確かにメルビンのように見えた。人違いなのだろうか。このところ、オーディションのことで頭がいっぱいだったが、考えてみたら電話やメールの回数が少なくなっている。何かあったのだろうか。メリリーンは携帯電話を取りだし、メルビンにメールを送った。

 その夜、メリリーンはときどきメルビンからの連絡を気にしながら、ムゼッタに話しかけていた。英語で、次にイタリア語で、ときどきフィンランド語で。
「ねえ、ムゼッタ。私はどうすればいいのかな?女優には向いていないのか、向いているのか。結婚して家庭に入って子どもを産み育てるのがいいのかな?どう思う?」
 ムゼッタは、ただ黙ってメリリーンの暗緑色の瞳を見つめていた。

 朝起きて、メルビンからメールが入っているのに気づいた。商用でポートランドの投資家に会いに来ているが、一週間ほどで帰るのでまた連絡するとのこと。やはり人違いだったんだと、メリリーンは安堵した。

 ムゼッタは、新しい飼い主に全幅の信頼を寄せていた。メリリーンは、人に対し容易に心を開く女性ではなかったが、ムゼッタには思ったまま、感じたままを話すことができた。ムゼッタと見つめ合っていると自分が理解されているという安心感を覚えた。メリリーンはムゼッタに対して徐々に饒舌になった。誰にも言えない葛藤や苦しみ。不安や罪悪感。試しにいくつかの言語で話してみたが、不思議なことにどの言葉も理解されているような表情だった。

 メルビンが帰ってくる前日、オーディション事務局から連絡があった。理由は知らされず、直接説明したいことがあるという。ラーチモントのレストランから真っ直ぐベルエアに向かった。事務局のスーパーバイザーと名乗る女性は、丁寧に説明してくれた。混乱する頭で理解できたのは、映画制作に二千万ドルの巨費をサポートする企業のオーナーの孫である女性が、どうしても映画に出演したいということになり、一人キャンセルすることになった。それがメリリーンだというのだ。その女性は同情を寄せ、遺憾の気持ちを伝えようとしたが、メリリーンの耳には何も届かなかった。キャンセル料として規定の金額を支払うと言い、小切手を渡そうとしたがメリリーンにとっては、意味のない紙切れに過ぎず、かろうじてあいさつを述べて事務局を後にした。どこをどう歩いたのか記憶にないほどメリリーンは落胆し、混乱していた。今までオーディションに落ちた経験は何度もある。その都度、自分には何が不足していたのかを思い巡らし、次のオーディションのバネにした。しかし、二千万ドルのスポンサーの孫・・・自分のポジションを確保するためには二千五百万ドルを用意しなければならないとでもいうのか。祖父母たちの生き方は、まさに芸術家らしいものだったと思う。舞台を作り上げるには観客を裏切らないよう、芸術家の魂と良心の促しに従って真っ直ぐ進むべきではないのか。メリリーンは、小さい頃目にした祖父母たちのそれぞれに質素だった葬儀を思い出した。参列者は少なかったが、集まった人々は心から惜しみ、悲しんでくれた。期待通りにことが運ばなくても、メリリーンは決して諦めなかった。自分の身体を流れる血が、いつも支えてくれた。子どもではないので、興業の採算の重要性は理解している。でも大金を持つ人々の高笑いの前に、これまで信奉してきた哲学は無力化し、努力が徒労となってしまったという思いが募った。自分の血筋に対し、怒りがこみ上げるのを抑えることができなかった。初めてのことだった。

 その夜、メルビンから電話があった。大事な話があるという。プロポーズの返事をこれ以上引き延ばすことはできない。結婚を待避所のように考えてはいけないのかもしれないが、映画や舞台への道は絶たれ情熱も風化してしまったように感じた。静かに暮らしたいという思いが頭から離れなかった。

 翌日の夕方、メリリーンは細心の注意を払って洋服を選んだ。女性らしく見えるドレスを選び、化粧とアクセサリー、香水にも気を遣った。メルビンがビバリー・ヒルズの高級ホテルを待ち合わせ場所に選んだからだ。なんて珍しいことだ、とメリリーンは思った。それと、近い将来夫になる男性に、自分の一番きれいな姿を見て欲しいという気持ちが昂じていた。もう迷うことはない。私はメルビンの妻として、確信を持って人生を歩んでいくのだと、自信を持って言うことができた。帰ってきたら、二人でお祝いしましょうねと、ムゼッタに語りかけ、メリリーンはホテルに向かった。

 ホテルのロビーには、すでにメルビンが到着していた。いつもと変わらない優しい笑顔。一生見飽きない素敵な男性・・・。メリリーンも精一杯の笑顔を返した。あらかじめ予約していたらしくレストランの隅の目立たない席に案内された。メルビンはオーディションのことを残念に思うと切り出し、心からの慰めの気持ちを述べた。そんな状況なのに大変申し訳ないがと前置きし、メルビンは静かな口調で語り始めた。
 話しの内容が呑み込めない。一体、なんのことだろう、誰のことだろう。メリリーンはメルビンの唇から発せられる断片的な言葉を理解しようとした。今日は四月一日なのだろうか。いやそんなはずはない。エイプリル・フールではない。結局メリリーンは、新たな現実に直面し、それを拒絶する権利を持ち合わせていない弱い立場の人間になったことを悟った。紹介したい人がいる。いつの間にか視界の中に、高価なドレスをまとった女性が現れた。名前を言われたが、差し出された手を弱々しく握るのが精一杯で、それ以降話された言葉全ては何の痕跡も残さず、呼吸をするのもやっとでホテルを後にした。

 ロデオドライブにさしかかった頃、メリリーンはようやく思考力が回復し始めたのを感じた。突然記憶が甦った。ベントレーから姿を現したあのときの女性だ。あれはやはりメルビンだったのだ。映画ビジネスで辣腕の女性。離婚して子どもが一人。その子が自分になついている。確かメルビンはそう言った。男性だからいつまでも夢を見続けるわけにはいかない。断片的な言葉が少しずつ組み合わされてくる。君は夢を捨てないで欲しい、いつか大女優として成功して欲しい・・・。人生の退路を絶たれたと思ったばかりなのに、確信を持って進もうと決意した道まで閉ざされてしまった。なんということだろう。メリリーンは自分の運命が呪われているように思えてならなかった。

 私は何をしようとしているのだろうか。よりによって白いドレスを選んでいる。この液体には、全てを終わらせる力がある。ただ、自分を極限状態に置き、生きようとする力が蘇生するのを待っているだけなのだ。メリリーンは自分にそう言い聞かせようとした。深夜ともなると、時折上空を旋回する警察のヘリコプターのエンジン音が耳につく。メリリーンは、小さな透明のグラスにその液体を注いだ。どれぐらいの時間、死に対する思いを巡らしただろうか。重圧から逃れたいというより、苦痛を感じる心を解放したいという思いが募った。深くため息をついたとき、突如すでに他界している祖父母たちの囁きが聞こえたように感じた。私を呼んでいる。これでいいんだ。メリリーンは心を決めグラスに手を伸ばした。その瞬間、ムゼッタがグラスに体当たりし液体はサイドテーブルにこぼれてしまった。我に返ったメリリーンを一瞬だけ見つめたムゼッタは、液体に顔を近づけた。抱き上げようとしたとき、すでにムゼッタの小さな身体は痙攣を起こし始めていた。
   
     △   △   △

 ムゼッタは私とは違い、死と同時に新たな生命体として他の場所に誕生する。古代イスラエルの時代からだから、何度死に何度生きたか私には分からない。しかし、記憶自体は喪失せず、従って十数世紀にわたって人間の生き様を眺め、人間に対する理解と愛情を深めてきた。私たちには不思議な能力が備わっており、遠く離れた場所にいても、ムゼッタが見、また聞いたことは私にも見聞きすることができる。ムゼッタは自分が死地に向かう姿を見せることで、メリリーンの生への執着心を覚醒させたかったと言っている。ムゼッタは、その後また別の場所で生まれ変わり、別の飼い主と暮らしている。見た目には普通のネコと変わらないが、人間に対する深い理解と愛情を持っていることを理解してやって欲しい。その後のメリリーンについて詳しくは聞いていないが、まだ無名かもしれないものの、どこかのスクリーンか舞台の一部でまだ女優を目指しているらしい。

 私?私はムゼッタとは異なる種類のネコで、やはり古代イスラエルの頃に生まれ、今日まで生きながらえている。つまり一度も死ぬことなく人間社会で生きている。これまでに数え切れないほどの飼い主と生活したが、駄目な飼い主ほど不憫なもので、無言の影響力を駆使して支えている。今の飼い主は相当鈍感な人間だが、私に無私の愛情を注いでくれるので、仕方がない。もう少し付き合ってやろうと思っている。
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by hirune-neko | 2007-05-26 03:49 | 創作への道 | Comments(0)

育った環境

数日前、母と電話で長時間話す機会があった。80歳を超えているので、わが家のシロ同様、いつ寿命が尽きてもおかしくない存在だ。

その母が嫁いできたとき、酒好きの私の祖父はすでに仕事をせず、毎日酒浸りだったようだ。毎晩飲み友だちを家に上げて、泥酔の果ての騒乱。いまでも私のトラウマになっており、日本酒のにおいを嗅ぐだけで気持ちが悪くなる。嫁の立場では一切の不平を言えず、ずいぶん苦労したはずだ。毎晩ただ酒を目当てに人が寄ってくるのだから、当然家計も苦しかったはずだ。そんな母が意外なことを口にした。

私がほしいといった本は、どんなことをしても買ってくれたそうだ。
小さい頃から、確かに本は読んだと思うが、ほとんどが漫画だったのではないだろうか。10冊とか20冊を横に積み上げ、一心不乱に読んだ記憶はある。
それと、母の父は昔の人間だが、かなり大きないくつもの書棚に、たくさん本を並べる読書家だったそうだ。だが、私が生まれたときにはすでに他界しており、面識はない。

酒乱の祖父と過ごした年月は長いが、結局私はそんな生活には染まらなかった。人の感性なり価値観を形成するのは、もしかして育った環境ではなく、身体を流れる血ではないかと思うことがある。おそらく、そうではないだろうか。
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by hirune-neko | 2007-05-24 00:49 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)

真夜中の推敲作業

もう深夜2時をかなり過ぎている。いつもなら、私が寝室に行くまで、隣の椅子でシロが寝て待っているのだが、今は病院の狭いケージの中で点滴を受けている。自然死と安楽死の議論が、頭の中で渦巻いている。

もしかしたら、シロの絶筆になるかもしれない「昼寝ネコの雑記帳」の最後の推敲をしている。本当に、シロからはたくさんのインスピレーションを受けた。年齢的にも死期が近いのは事実だが、彼女(メスネコです)の印象は、長く心の中に生き続けるだろうと思っている。

中断されず、邪魔されない時間帯というと、どうしても深夜からになってしまう。推敲しながら、何度も何度も繰り返し同じ音楽を聞いている。ミシェル・ルグラン作曲で、アメリカ映画のSummer of '42のテーマだ。邦題は「思い出の夏」だったかもしれない。小さなステージでの一人芝居用に、脚本を書き始めている。実際にはすでに頭の中で完結しているのだが、まだ数ページ分しか活字になっていない。
踊れなくなったバレリーナの恋愛物語。で、in the mood of Michael Legrandというサブタイトルがつけられ、ルグランの曲を使う。著作権料をどこにどう払うのかは確認していないが、ルグラン自身が映画のために作曲したいくつかの曲の曲想が、ストーリーのイメージに重なっている。ルグランにとってみれば、ありがた迷惑な話しだとは思うが、日本でもフランスでも、若く無垢な男女が感じ合う純粋な恋愛感情というのは、多分に精神性が高く、創作意欲を刺激する。

本当はいくつも遅れている仕事を抱えているし、そんな暇があったら早く推敲を終えて、営業に出る時間を増やさなくてはいけないのだが、やはり昼寝ネコは気まぐれなのだと、自分の中のその存在には諦めの心境だ。

舞台芸術への志向性が強い、ある若い女性のために書きたいと思っている。原作・脚本・選曲 昼寝ネコ・・・そう遠くない将来、どこか200席程度のホールで上演したいと希望している。・・・あ〜あ、本当に正真正銘のボヘミアンだと思ってしまう。でも、身体を流れる血の中に、旺盛な創作意欲があるというのは、これはもうどうにもならないものだ。出来不出来は別として・・・。

さあ、今日の推敲作業はここまでにしよう。
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by hirune-neko | 2007-05-23 02:49 | Comments(2)

発刊、秒読み態勢

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いよいよ「昼寝ネコの雑記帳」が世に出ようとしています。表紙のカバーもデザインが決まり、本文の最終校正にさしかかりました。いざとなると、こんな文章でいいのかなと自信もゆらぐものです。でもまあ、ここまで来たらもう引き下がれません。結果はどうあれ、思い切って発刊に踏み切る覚悟はできています。

映画であれ音楽であれ、どんな作品も売れないと継続できません。でも、売る努力なしに、自然に売れることなんてまずないでしょうね。なんらかの販売戦略があり、実行がある・・・一見すると作品の出来不出来と関係ないように思えますが、でもやはり最後は商品力だと思います。つまり、「昼寝ネコの雑記帳」は作品であると同時に、商品でもあるわけですから、読んでくれた方がどう感じるか。それが心配なんです。考えが堂々巡りをしていますが、まあ誰でも最初の作品はそんなものなんでしょうね。

改めてご紹介すると、表紙の画はカトリ〜ヌ・笠井さんが描いてくれました。表紙のデザインは、Little Elephantというデザイン事務所が担当してくれました。両方とも企画主の鈴木れい子さんの知己です。皆さんに助けていただいています。

ちょうど今週は、新刊案内のチラシが全国の書店に一斉に配布されています。今日、出版社に予約の第一号が届いたようです。なにせ無名の作家もどきが著者ですから、過大な期待はしないでおきましょう。

あと数日で本文も校了となり、いよいよ校正刷りを経て印刷・製本となります。これから出版しようと考えていらっしゃる方のためにも、時々、様子をお知らせすることにします。
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by hirune-neko | 2007-05-21 22:55 | 創作への道 | Comments(6)

おお奇跡だ。否、早合点だ

深夜過ぎまで、シロがいないか家の周りを探しました。
みんなに迷惑をかけまいとして、静かに自分自身で自分の人生に幕を引いた潔いネコだったねと、しんみりと語り合いました。

朝、娘が叫ぶんです。
「お父さん、シロがいるよ」
帰ってきたんですよ。でも、ぐったりしていることに変わりがなかったので動物病院へ連れて行きました。検査の結果、片方の腎臓の数値がとても悪く、入院して点滴を受けることになりました。

このブログを読んで、涙を流してくださった方が数人いらっしゃいます。
まことに、徒労の涙で申し訳ありませんでした。
なんと言ってお詫びしていいやら。改めてお詫び申し上げます。
まだ診断がついていませんが、もう少し寿命がありそうですね。

やはり、ネコって何回も生きるのかもしれませんね。
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by hirune-neko | 2007-05-18 22:06 | 心の中のできごと | Comments(2)

シロへのレクイエム

子どもの頃、野生の象は死期が近づくと人知れず、死に場所を探して行方をくらますという話しを聞いて、何か崇高で神聖な印象を受けた覚えがある。ネコも同様に、死期が近づくと己の醜態を晒すことに耐えられず、人知れず死に場所を探すと聞いたことがある。

今月の13日に、娘がある劇団を退団した。付属の学校を含めると8年間を過ごしての退団だ。2年ほど前に、同じく退団した同期生の家では、退団直前に飼いネコが死んだという。ここ数日、シロは急激に体調を崩し食欲が失せて衰弱した。昨日は水を飲むだけで、奮発して買ってきたネコ用ミルクや、ネコの離乳食には全く見向きもしなかった。目からはじわっと、透明の液が湧きだし赤くただれていた。こちらも具合を問いかけ、どさくさに紛れて子ども用の目薬を手早くさすものの、弱々しく拒絶するだけだった。

今日の午後、そのシロが消息を絶った。外出から戻ったら、家に帰っているのではないかと期待したが、戻っていない。もちろん、置き手紙もない。あるわけがない。家中探したがどこにもいない。
無断外泊をしたことは一度あった。学校帰りの子どもたちが連れ帰り、遠くで放置したらしく、相当やつれて帰って来た。だが、こんなに長時間外出したことはないので、明らかに異常事態だ。今日など、2階の暗い部屋に一人放置するのがかわいそうだったので、段ボール箱に衣類を敷き詰め、仕事場の足下に置いておいた。だから、いじけて家出したとは思えない。だとすると、死期を悟ってよろよろと死に場所を求めていったとしか考えられない。

何気なく、携帯電話に保存してある画像を開いてみた。10枚ほどの大部分がシロの画像だった。1枚は、無理矢理両腕を私の首に絡ませ、顔をくっつけているもので、明らかに迷惑そうに顔をそむけている。今にして思えば、人間の思いに気遣った利口なネコだったと思う。「昼寝ネコ」という名前も、あいつの昼寝姿から思いついたものだ。生後半年ぐらいの小さかったあいつを・・・多分迷いネコか捨てられたネコだったのだと思うが・・・拾ってきて同居し14年が経った。思えば家族同様の、そして人付き合いの悪い私の良き友人のような存在だった。フォーレのレクイエムが頭の中で流れている。リベラメ・ドミネ・・・

「をいをい、わたしを勝手に殺さないでくださいニャー」といって、押し入れの布団の中からひょっこり顔を出しそうな気もするが、あの衰弱ぶりだとまず無理だろう。

辞世の句を残したとすれば・・・メスネコだったので・・・
「ふん、人が具合悪くなったからといって、急に親切ぶらないでよ。ペット孝行、したいときにはペットなし、ってよく言われてたでしょうに。お先にこの世から失礼します。どうせ来世でまた会えるんだから、そん時はまたよろしくね。ニャーンちゃって。」
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by hirune-neko | 2007-05-18 00:26 | 心の中のできごと | Comments(4)

オリジナリティ、個性、自己主張

女流作家を目指す知人が、デビュー作を出版した。「黒蝶」というタイトルで、青年実業家を虜にし翻弄する女性が、いつも黒い洋服を身につけていることから、その女性を象徴する言葉として「黒蝶」を選んだのだと思う。

たまたま、第1稿から読ませていただく機会があった。相当苦しんで人物を掘り下げ、らしい台詞を創作し、情景をビジュアルに表現することに成功していると思う。外見だけの「異性装」は氾濫しているが、内面にまで切り込み、過酷なストレスにさらされる現代人の、脆弱なジェンダーに迫った作風。そして、世俗性から超越した「愛に殉じる」純粋さが身体の底から湧き上がってくる、主人公の甘美な葛藤と苦悩。哲学的に窒息している人々の、行き場のない閉塞感を代弁した作品だとも思う。

彼女の名は「麻生圭」。作品は「黒蝶(こくちょう)」。クロスロードという零細な出版社から刊行された。習慣的に、丸善、紀伊国屋、セブン&アイ、amazon.comなど主要なブックサイトで検索してみたところ、ちょっとした戦慄が走った。

検索サイトで著名なgoogleもamazon.comも、アメリカ出身の企業であり、インターネット、コンピュータの技術を駆使して機能を高めている。その両者に共通しているのは、明確な事業コンセプトと遠大な構想(理想)なのではないだろうか。
ネット上の書店はいくつもあるが、amazon.comの機能を詳細に見てみると、「出版社からのコメント、内容紹介」、「著者からのコメント」、「本文や目次などの中味紹介」、常時在庫ありにするために出版社と提携する「e託販売」・・・etc。
他の追随を許さない、実に緻密かつ大胆なシステムになっている。10年ほど前のamazon.comは、アメリカでも新興勢力で業界人は揃って財務体質や商品調達能力などに批判的だった。日本の老舗書店である丸善や、巨大な売り場面積を持つ紀伊國屋書店。いずれも洋書部門では大学の市場を寡占状態にしているはずだ。広い売り場面積を持ち、洋書市場を寡占状態にしている巨大書店とすれば、手間暇と巨額なシステム構築費用のかかるネット書店など、もしかしたら最初のうちは疎んじていたかもしれない。しかし、売り場を持っていなかったamazon.comは、ネット上に全経営資源を投入した。何年かのうちに、読者の心をつかみ続け、国際的に拠点を増やしている。

日本には日本の良さがあり、アメリカにはアメリカの独自性がある。ゼロから、夢と理想を決して手放さず、ひたすら自分たちの構想を実現しようとしてきたパイオニアたちに、畏敬の念と尊敬・羨望の気持ちを持つようになった。国としての土壌を考えるとき、やはりアメリカならではの企業なのだと思う。

私・・・?私は、ときどき甘い誘惑に負けて、ついドーナツを食べてしまうが、だからといって高邁な理想や信念がないわけではない。ただ関心事が、どうしても心の中の目に見えない部分に向いてしまうので、それと、やはり疲労を軽減する昼寝をおろそかにすることができないので、まあなんというか、昼寝ネコ色の世界をじっくりと作っていこうぢゃないかと、そう思っている。

そんなわけで、知人の女流作家の後塵を拝しながら、マイペースで書き続けようと心を新たにしている。でも、頭を酷使していると、やはり「こしあんドーナツ」が恋しくなることも事実だ。ああ、なんという甘い誘惑だろうか。
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by hirune-neko | 2007-05-10 03:03 | 創作への道 | Comments(7)

かくも長き不在・・・許されよ

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ひとつ学んだことがある。

日常生活で自分の心が、現実社会との接地面積をより広く保つほど、その人の価値観、あるいは価値基準が「現実そのもの」から大きく影響を受けるのだと認識した。

何かに追われ、何かに集中して人は生きている。時間や約束に追われ、自分や家族の健康状態、クライアントの動向に神経を集中する。かくして、自由な想像力や豊かな感性は徐々に湿度を失い、現実的な整合性に妥協して実社会に組み込まれてしまう。

魂の自由というのは、案外大切なものだと改めて思っている。生きるためには食べることが必要だが、生きることの意義をつきつめて考えてみて、そこにせいぜい一つか二つぐらいの「不滅の価値」を見いだせれば、そのための生存という意味での食事は、別に三つ星レストランのメニューである必要はなく、費用も労力も限られたものとなる。ましてや、身につけるもの、持ち歩くものなどに至っては、その機能を果たすものであれば、とりあえずは満足すべきなのではないだろうか。
たしかソロモンも、野に咲く一輪の花を例えにして、そんなことをいっていたように思う。

さて、小さなジョセフィーヌを護るようにかばっている昼寝ネコは・・・カトリ〜ヌ・笠井さんの画「何を見ているの?」のオリジナルシーンによれば・・・地上から少し離れた所で、人々の空しい争いを見ている。なぜ、あんな価値のないものに執着して争奪戦を繰り広げているのだろうか。
国境をはさんで向かい合う兵士たち。故郷で帰りを待ちわびる家族や友人を残し、はるか何万マイルも離れた安全なところから下される、統治者の命令により、家族と国のために命を捧げようとする若者たち。愛国というラッピング用紙に包装されて届けられるものの中には、利権や功名心、野心や尽きることのない欲望・・・。遠く離れて眺めてみれば、実に驚きだらけの人間の行動。

昼寝ネコとジョセフィーヌは、人間の欲望の渦に巻き込まれない平安な場所を求め、しばし彷徨っていたようだ。

魂が、地上の富や名声に対する執着を捨てない限り、そのあるがままの姿を見ることは、決してないだろう。

連休返上で仕事をしていると、かくもシニカルになるものなのだろうか。
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by hirune-neko | 2007-05-05 13:42 | 創作への道 | Comments(6)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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