昼寝ネコの雑記帳

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神学的発生

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パスカルの「パンセ」を読んだとき、実に面白い部分があった。宇宙の果てに行き着いたとして、その向こうはどうなっているのか。父の父、その父、という具合にずっと辿って最古の父にたどり着いたとして、じゃあその父はどこにいるのか。そんな問いかけの末に、パスカルは「神学的発生」という言葉を使用した。つまり、ものごとの起源とか、無限という概念は、もはや人智を超越していると言いたかったのだろうと思う。

この画は、いつもながらカトリ〜ヌ・笠井さんの手になるものだ。昼寝ネコのプクプクしたお腹で恥じらいながらくつろいでいるのは、ネズミのジョセフィーヌ。お互いに、ネコとネズミという「種」の違い・・・学校で生物の時間が退屈だったので、果たして正しいことを言っているのか自信がないのだが・・・を超越した魂の触れ合いを感じている。まあ、細かい詮索はさておき、この二人が・・・いや二匹が仮に家庭を持って子どもができたとしたら・・・ネコとネズミの間ににできた子どもは一体ネコなのかネズミなのか、という世俗的な議論は無視し、それこそパスカルの言う神学的発生によって、二匹が両親となったと仮定しよう。昼寝ネコとジョセフィーヌは子どもたちにどういう教育をするのだろうか。ネズミの捕り方だろうか。まさか。やはりこの設定には無理があるようだ。だがしかし、この両親は、なんとか子どもたちに生き方を教え、孫の教育の手助けをし、ひ孫を見守り、血統を保つだろうと思えてならない。

昼寝ネコとジョセフィーヌのことは、まだまだ謎に包まれているが、これだけ仲がいいところを見ると、ひょっとしてジョセフィーヌにはすでにネコの血が、いや昼寝ネコの方にこそネズミの血が・・・いやいやそんなことは無視しよう。彼らの純粋な絆を尊重して、静かに見守ることにしようではないか。
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by hirune-neko | 2007-02-27 01:41 | 心の中のできごと | Comments(4)

心の中のできごと

(どうやらまだ「トラックバック」の使い方がよく分かっていないようで、先日の記事の再掲になっています。ちょっとお許しください)

トラックバックカテゴリ:小説・詩・読み物
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心の中のできごとは、人間にとって一番大切なことではないだろうか。思うようにいかないことが多い世の中で、鬱症状が出たり、自閉的になったり。心が晴れないと睡眠にも影響し、体調も崩れてしまう。それほどに、心の状態は重要だと思う。

この画は、カトリ〜ヌ・笠井さんが描いてくれたものだ。「心の中のできごと」に、それもおそらくは先が見通せない何か憂鬱なことに神経が向いてしまい、名前を呼ばれても全身で反応できない昼寝ネコ。耳だけが反応している、人間だって、そんなことがあるのではないだろうか。

今日、読んだ本に、こんな一節があった。

「神が人に記憶を与えられたのは、人生の12月に、6月のバラを思い出せるようにするためである。」

ピーターパンの作者、ジェームズ・バリーの言葉だそうだ。スタンダールの作品を読むと、深い恋愛経験なくしては書けない表現が随所にある、と言った人がいる。きっと、そうなのだろう。
で、この「人生の12月に、6月のバラを」という表現は、やはり苦難を真摯に受け止めた経験がなければ、書けないフレーズではないかと思う。そんな、作者の感性に思いが及び、感動する。そして共感する。

人はそれぞれに個性が違うが、同じ感性、同じ価値観の同じ人種との出会いを探し求めている自分がいる。お互いに通じ合える言語によって、苦労を軽くし、感動を深める、そんな作品を書くことが、生きる動機になりつつあるように思う。
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by hirune-neko | 2007-02-26 11:26 | 心の中のできごと | Comments(0)

下積み生活

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舞台や映画、あるいは作家や音楽家の領域のお話しだ。もしかして人生にもあるかもしれない、下積み生活のお話しだ。
それに関連し、これはカトリ〜ヌ・笠井さんが描いてくれたもので、「創作小説・落語」の章に使用する画だ。創作を志す、創作力に満ちたネコの表情だ・・・と思う。

ふと思い出した映画がある。老いた女性ピアノ教師が主人公の「マダム・スザーツカ」。シャーリー・マクレーンが演じている。ストーリーを簡単に説明したいのだが、それが一番難しい作業だ。

興行師というのは、いずこの世界でも利にさといらしく、才能ある少年ピアニストを発見すると、すぐさま有名オーケストラとピアノ・コンチェルトを協演させたり、リサイタルをさせたりしようとする。少年も、興行師の甘言に乗せられて、有名になりたい気持ちがはやる。だが、このピアノ教師は「まだ早い」の一点張りで、外の世界に出そうとしない。興行師にそそのかされた少年は、とうとう強引に外の世界に出て行き、紆余曲折の末、そこそこ著名なピアニストになる。・・・やがて月日が経ち、その有名ピアニストには男の子ができる。そして自分同様ピアニストにしようとするのだが、ある日、子どもの手を引いて門を叩いたのは、かつて自分をなかなか外の世界に出そうとせず、根気よく音楽性を教えようとしてくれた、かの老いた女性ピアノ教師の家だった・・・。

ああ、なんといいストーリーだろう。個人的にはこの手の話しが大好きで、こうして思い出していても涙腺がゆるんでくる。努力しないで出世する方法はないのである。

・・・たいした努力もせず、下積みも経験しないで「成功する」方法は、あるにはある。それには少々、大人の知恵と、「良心を売り渡す覚悟」が要るのだ。つまり、値段をつける価値がないぐらい、良心というものを軽視している人には容易な方法であり、いくら高い値段を提示されても、良心を売り渡すことができない人にとっては選択の余地はない。実力で勝負するしかないのである。そこに下積み生活が発生する。

・・・たいした努力もせず、下積みも経験しないで「成功した人」は、華々しくスポットライトを浴びる。マスコミはこぞって取り上げ、金銭で籠絡された評論家たちも絶賛する。しかし、そこに携わった人たちは、舞台の魂を裏切り、観客をも裏切っていることになる。そしてその行く末は・・・ある種の悪魔にとっては用済みの存在となってしまう。チケットを買い支える資金も尽きてガラガラの公演が続き、恥にまみれて初めて、現実の冷たさに対面することになる。

・・・一方、良心を売り渡さなかった芸術家には、厳しい下積み生活が待っている。もしかしてパンを買うお金にも窮し、暖をとることもできないかもしれない。
しかし私は信じている。真摯に「下積み生活」に甘んじる芸術家には、必ず見守りがあり、ふさわしい時期には大いなる飛躍の機会があることを。そして、「下積み生活」に育まれた魂と感性には彩りが添えられ、創造する力が備わっていることを。
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by hirune-neko | 2007-02-26 00:51 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

心の中のできごと

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心の中のできごとは、人間にとって一番大切なことではないだろうか。思うようにいかないことが多い世の中で、鬱症状が出たり、自閉的になったり。心が晴れないと睡眠にも影響し、体調も崩れてしまう。それほどに、心の状態は重要だと思う。

この画は、カトリ〜ヌ・笠井さんが描いてくれたものだ。「心の中のできごと」に、それもおそらくは先が見通せない何か憂鬱なことに神経が向いてしまい、名前を呼ばれても全身で反応できない昼寝ネコ。耳だけが反応している、人間だって、そんなことがあるのではないだろうか。

今日、読んだ本に、こんな一節があった。

「神が人に記憶を与えられたのは、人生の12月に、6月のバラを思い出せるようにするためである。」

ピーターパンの作者、ジェームズ・バリーの言葉だそうだ。スタンダールの作品を読むと、深い恋愛経験なくしては書けない表現が随所にある、と言った人がいる。きっと、そうなのだろう。
で、この「人生の12月に、6月のバラを」という表現は、やはり苦難を真摯に受け止めた経験がなければ、書けないフレーズではないかと思う。そんな、作者の感性に思いが及び、感動する。そして共感する。

人はそれぞれに個性が違うが、同じ感性、同じ価値観の同じ人種との出会いを探し求めている自分がいる。お互いに通じ合える言語によって、苦労を軽くし、感動を深める、そんな作品を書くことが、生きる動機になりつつあるように思う。
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by hirune-neko | 2007-02-24 23:38 | Comments(8)

クリアホルダーと、すっかり仲良し

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なんとも、思わせぶりな画でござろう。舌なめずりをしているところを見れば、おそらくねずみのジョセフィーヌの所有物なるドーナツを、虎視眈々と狙っているのだと解釈するのが妥当なのだと思う。描いてくれたカトリ〜ヌ・笠井さんに訊かないことには、その真偽は判然としないのだが・・・。

改めて思い出してみると、やはりドーナツの生地は「ケーキドーナツ」にとどめを刺すと思うのだが、どうだろうか。「揚げあんドーナツ」というのもあって、なかなかいける。そうそう、田園都市線の宮前平という駅の構内に・・・いや駅ビルというべきか・・・ハンス・ローゼンというなにやらプロレスラーのスタン・ハンセンの親戚みたいな名前のパン屋さんがある。あそこのは「揚げあんドーナツ」で、中がこしあん。形容詞が見つからないが、よく買いに行ったものだ。想像だけで唾液腺が弛んでしまう。そうそう、宮前平駅から坂を上り、途中を右に折れた所にある・・・たしかフジベーカリーという名前だっただろうか。あそこのあんパンはこしあんで、なかなか旨かものだ。
・・・いやはや、食べ物の話しになると、もうどうにも止まらないので、これぐらいにしよう。

さて、本題はなんであったか・・・そうそう、クリアホルダーの話しだった。パソコンのハードディスクは、今では100GB単位なのでかなりの量を保存できる。しかも検索ができるので、ものぐさ人間には大変重宝するものだと思う。だがしかし、問題は書類。次々と増えてきて、ファイルしてもどこに綴じたかわからなくなる。野口悠紀雄先生発案の「超整理法」を見よう見まねでやってみて、いいかなと思ってはいるが、書類は次々と増える。今でも机の上に25センチほど積み重なっている。で、最近はクリアホルダーを便利に使っている。色のつかない透明なものを業務用の100枚パックで買い、案件ごとにまとめている。どうすれば重ならないようにきちんと管理できるかが大きな課題で、いい方法があったら是非、ご教授いただきたい。切にお願いする。

ところで、今朝mixiから返信があった。結論は、mixiとしては特定の出版物を応援することはできかねるというのだ。まあある程度は予測していたことだが、ちょっぴり残念だ。どうにかしてネットの仕組みをうまく利用し、告知に努めなければと、心新たに考えている。う〜む・・・。
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by hirune-neko | 2007-02-23 21:25 | Comments(2)

書店経営の実情

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この画は、これまたカトリ〜ヌ・笠井さんの手になるものだ。「昼寝ネコの雑記帳」には、映画や映画俳優について何編か書いている。その「映画、好きなんです」という章のとびらに使用する画を描いてもらった。

見間違いかもしれないが、十年ほど前と較べて書店軒数が半減しているようだ。2万7千軒ほどだったのが約1万3千軒になっている。ただ、大型書店は競って出店しているため、総営業面積はそんなに減っていないのかもしれない。

運転しながら電話で(もちろんハンズフリーで)、出版業界の方に様子を訊いたが、業界全体の売上はここ数年で、数千億円もダウンしているそうだ。

やれやれ、こんな大変な時期に出版するなんて、大丈夫なのかいなと、ふと弱気になる。結局、販売をすべて書店ルートに頼るのは危険だというアドバイスで、ひと頃と較べて、柔軟な営業活動を創出しなければならないというのが結論になった。
そんなわけで今日、mixiにメールを送って助力を求めてみた。どこを探しても電話番号が記載されていなかったからだ。果たしてどんな対応になるかが楽しみだ。近刊の「昼寝ネコの雑記帳」は。いうなれば奔放なエッセイで、何編かの創作小説や創作落語も収録されている。続刊で、大人まで読んでもらえるストーリーを考えているので、第一作をなんとかそこそこの販売部数に仕立て上げ、第2ステップに駒を進めたい。舞台のチケットを売る営業に近い心境だ。
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by hirune-neko | 2007-02-23 00:03 | 創作への道 | Comments(4)

これが「発刊案内」というものです

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新刊書を出す約一ヶ月前に、書店や図書館向けに、新刊案内のチラシを配布します。取次・書店ルートの場合はB5サイズに指定されており、費用を支払って配布してもらうんです。このチラシを見て、「ヨシ、置いてみよう」と思った書店さんは、注文冊数を記入して、取次店が回収します。左端にある「注文スリップ」のことです。
でもまあ、最近は書店さんの廃業も増えているようで、本屋さんで売るためにはいろいろな戦略が必要なようです。

ずっと以前は、本は書店の棚にあるものを手にとって吟味し、買う。それぐらいしか手段がありませんでした。ですから、大手出版社は豊富な人材、資金、売れ筋の雑誌や話題の書籍を武器に、棚を占有することができました。したがって、新刊書は読者の目に触れる機会が多く、結果的によく売れたわけです。

ところが最近はすっかり様変わり。インターネットで話題になった本が、ネット書店でどんどん売れて、つまり「電車男」に代表されるようなベストセラーが、書店の棚の占有力とは無関係に生まれるようになったのです。本当に大きな変化です。

さて、わが「昼寝ネコの雑記帳」は、どのような方法・手段によって読者の皆さんとの出会いが実現するのでしょうか。それはまだ未知数です。でも、このように「ブログ」を通して、事前に不特定多数の方に発刊のお知らせをすることなんて、まるでSF映画の世界の出来事のように、わずか5年前でも考えられないことでした。当時はホームページこそ急伸していましたが、ブログそのものはアメリカで火がつき始めたばかりでした。

この「昼寝ネコの雑記帳」は、その意味で大いなる実験なんです。私のように力も資金もない人間が、果たして出版にこぎ着けられるのか、また出版できたとしても一定数の販売が実現するのか。期待と不安が入り交じっているというのが正直なところです。でもまあ、もうサイは投げられました。希望的な観点で推移を見守っていきたいと思っています。
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by hirune-neko | 2007-02-22 00:07 | 創作への道 | Comments(4)

歌うとき、眼に映るものは

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一昨日のコンサートは渋谷近くの「青い部屋」だった。作家の戸川昌子さんがオーナーで、地下にシャンソニエ風のバーがある。空調ダクトがむき出しの青壁の部屋で、一番奥にステージがあり、グランドピアノがある。

1部と2部の2ステージで、知人はいずれもトップバッター。もともとクラシックの声楽家で、選曲はカンツォーネに焦点を当てていた。その後は二人の女性で、シャンソン、ブラジリアン、歌曲などを歌い、最後に戸川昌子さんが登場。

ふと思った。ヴォーカリストの方は、歌うとき自分の眼に何が見えるのだろうか。目の前の聴衆の顔を眺めていたのでは、イメージがふくらまず感情も移入できないだろう。しかし、数十人の聴衆を前にして緊張感を払拭し、自分だけの世界に没入するには、やはり相当数の場数を踏まなければ難しいのではないだろうか。

戸川さん一部の最後の曲はシャンソンで「人生哲学」という作品。ベッドの中で他の女性の名前を呼んでしまったときはどうするか。さあどうする・・・と、運悪く一番前列に座ってしまった私に迫ってくる。平気で曲を中断して、おしゃべりし、そして突然また曲に戻る。ピアニストは、よほど慣れていないと、戸惑うだろうな、というステージだった。途中で、次の曲はなんだっけ?と伴奏者に訊くのもご愛嬌だった。
2部の戸川さんは、ご自身の作詞になる「お貞・恨み節」という、阿部貞をモチーフにした壮絶なシーンを明るく歌う。小林亜星さんの作曲だそうだ。で、アズナブールを3曲歌いますとおっしゃったにもかかわらず、2曲でフィナーレ。挨拶の途中で1曲歌い忘れたのを思い出し、カーテンコールで後ろに並ぶ他の出演者を従えて、堂々と最後の1曲を歌った。
アズナブールの「ラ・ボエーム」が歌われ、涙腺が弛んでしまった。

で、標題に戻るが、戸川さんは歌っている最中、数々の・・・数え切れないエピソードをふくらませて、文字通り「歌は語れ」を地でいっている。ステージを観ていて、越路吹雪、淡谷のり子、深緑夏代のお三方がダブった。歌心のある、存在感のあるステージだった。

そうそう、この画もカトリ〜ヌ・笠井さんが描いてくれたもので、出版準備中の「昼寝ネコの雑記帳」には使用しないことになったのだが・・・線画ではなく色鉛筆で描いてくれた方に統一することにしたため・・・もったいないと思い、紹介させていただく。
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by hirune-neko | 2007-02-21 11:51 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

再度、見本の製本に挑戦

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気を取り直して、改めて見本の製本に挑戦です。ちょうど240ページになるのですが、ひと折りを4ページにして、ちゃんと連番にするのがうまくいきません。今日こそはうまくできますように。

製本が出来上がったら、カバーの作成です。最近は、用紙もサイズや仕様が豊富ですから、まあなんとかできるでしょう。

全部、出版社にお願いすればいとも簡単なのでしょうが、予算を抑えるとなると、どうしても自分でしなくてはけない作業が増えてしまいます。でも、友人たちと一緒の手作り出版というのは、愛着が湧いていいものですよ。完成して書店の店頭で見たら、感動するのではないかとわくわくしています。

今日の夜は、知人が初めてステージで歌うというので、行ってきます。初めてとはいっても、音大出の声楽の先生なのですが、シャンソンを歌うそうで、とにかく商業的なステージは初めてなんだそうです。50歳を過ぎてのデビューなんですね。さぞかし緊張のステージだろうと思います。ご主人もいらしゃるそうでうから、なおのこと歌いにくいでしょうね。
ご主人は、割と最近まで「四季」のステージに立っていらっしゃった方で、とてもナチュラルに歌われます。音大・大学院を卒業後、ヨーロッパでオペラを歌い、帰国後はミュージカルのステージを中心に演奏活動されていました。とても好きな声ですので、いつか発声法から基礎を教えていただきたいなと思っています。
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by hirune-neko | 2007-02-19 16:13 | 創作への道 | Comments(2)

おいらは逃亡者状態だ

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今日は土曜日。朝から仕事です。

知らないうちに仕事が増え続け、未消化のまま次々と自己増殖している感じです。パソコンは高性能のものに入れ替えましたし、近々「パラレル・デスクトップ・フォー・マック」というソフトを購入予定で、そうするとMAC上でWINDOWSも動くということになります。嘘のような本当の話です。ですから、処理能力は格段と高まっているのですが、それはあくまでパソコンの能力なんです。私の能力がパソコンに比例して高まるわけはないんです。そこに人生の葛藤と苦悩が生まれるんです。睡眠時間なんて、際限なく削れるものではありませんし、頭を酷使すれば脳細胞が糖分を要求しますが、カロリー制限中の厳しい生活。散歩はしたいけれど、時間と気力がない。ああ、どうすりゃいいんでしょうか。このままでは仕事に殺されそうです。でも、その緊迫感を楽しんでいる私でもあります。

そんなとき、思い浮かぶ情景があります。海なんです。フランスのドーヴィルという街は行ったことがありませんが、海岸沿いの別荘地だそうです。ジャン・ルイ・トランティニアンが、砂浜を車で走った、そして犬が伴走した・・・というかなりいい加減な記憶なのですが、映画「男と女」の一シーンです。それと、ミシェル・ルグランの甘美なメロディが印象的な「思い出の夏」。海辺で独り暮らす女性教師に寄せる、生徒の儚い慕情。ちょうどベトナム戦争の時代で、確か恋人が戦死した痛手を負っているという設定だったように思います。これもいい加減な記憶です。

かなり速いスピードの時間経過に馴らされた現代人。緊張感を強いられて、ストレスも倍加。知らないところで心が悲鳴を上げているに違いありません。そんなときに、ふと立ち止まって妄想する場所が、その人の原風景なのではないかと思うんです。
私の原風景はシベリアだと、すっと思っていました。どうやら、そうではないようです。日和見といわれても構いません。暖かい海岸沿いのリゾート地で椅子に寝そべり、冷たいレモネードを飲みながら、こしあん大福をパクリ。ああ、至上の楽園ですね。

今日の画は、おなじみカト〜ヌ・笠井さんが描いてくれたものです。近刊「昼寝ネコの雑記帳」の章に「本の世界」というのがあるんです。この画は、昼寝ネコがアルベール・カミュの作品を読みながら、頭の中ではドラえもんの「どこでもドア」でどこに行こうかと考えているうちに、眠りこけてしまった場面だと思います。アップでお見せできないのが残念です。表紙は確かにカミュなんですが、中身はドラえもんなのがバレバレなんです。そこまですることないのに。
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by hirune-neko | 2007-02-17 12:54 | 心の中のできごと | Comments(4)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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