昼寝ネコの雑記帳

カテゴリ:創作への道( 253 )

アンドレイ・タルコフスキーの世界と郷愁


Nostalghia(1983)/ Andrei Tarkovsky / BWV853


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 高校生の時、誰よりも授業が退屈に感じた。世界史の先生は、授業中に体調が悪くなり、薬を服用しに席を外した。世界史の授業があまりにも退屈で、私は気持ちが悪いと嘘をつき、同級生の友人に付き添ってもらって保健室に行った。
 倫理社会の先生には授業中に良く質問した。「先生、限界効用逓減の法則ってどういう意味ですか?」。先生が答えると、「じゃあ、限界効用逓増の法則はどういう意味ですか?」と、また質問した。すると「キミは私の知識を試しているのか!」と怒鳴りだした。
 英語の授業も気が進まないので、職員室に行き、先生に「これからクラスで、学校の問題について(でまかせを言った)クラスで話し合いたいので、授業は無しにしてください」とお願いし、聞き入れられた。そのまま先生はクラスに来ないと思ったら、始業時間を10分ほど過ぎて、様子を見に来た。私は慌てて教壇の所に行き、「それではみんな、これから討論しよう」と声をかけた。先生は怪訝な表情で引き上げていった。
 誰かが玄関に来ている、と同級生が呼びに来た。誰だろうと行ってみたら見知らぬ大人の男性で、喫茶店に連れて行かれた。開口一番、中学時代の素行の悪かった同級生の名前を出し、「お前の同級生から聞いたが、お前が遊んだ女は俺の姪だ。どうしてくれるんだ!」と凄まれた。見え透いたことを言ってるなと思ったが、「姪御さんって、なんていう名前なんですか?」と質問したら、相手のヤクザは返答に窮してしまった。最後は「お前の同級生は悪いやつだから、あいつとは付き合うなよ」と忠告してくれ、家まで車で送ってくれた。

 こんな話題を書き連ねたらきりが無いほど、私はひどい高校生だった・・・いや、問題児だった。これでも、北海道の地方都市では一番の進学校だった。実際には、全然興味を持てなかった化学と世界史は赤点だったが、追試験ではなくレポート提出でいいと言われた。両方とも同級生に作成してもらい、無事に卒業した。
 あくまでも想像だが、あの生徒を留年させたら、さらに1年間、相手をしなくてはいけない。大学もどこか合格しているようだから、このまま卒業してもらった方が学校のためだ・・・というのが、職員室の成績会議の結論だったのではないだろうかと思っている。

 北海道は歴史の短い土地だ。初めて京都の街並みを目にしたときは、圧倒されたのを憶えている。どの街にも独特の雰囲気がある。また行ってみたいと思うのは、パリとロンドンだ。行ったことがないのに、違和感なく郷愁を感じるのは、理由は不明だが、モスクワ、キエフ、レニングラード(今はサンクトペテルブルクだと、石川さんが教えてくれたが)・・・なぜだろうか。

 先日YouTubeで見つけた、アンドレイ・タルコフスキーの映画「ノスタルジー」の一部を目にし、音楽を耳にしたとき、強烈な懐かしさを感じた。記憶の彼方に埋もれてしまった幼少時期のシーンが再現したような印象だった。

 自分なりに、もう人生の責任を果たしたと思える時期が来たら、仕事も何もかもから離れ、終の棲家を探しに行くだろう。体力や健康、言葉の問題は徐々に深刻化すると思うが、本当の意味で神経が休まるのは、もしかしたら湘南ではなくロシアから北欧にかけてなのかもしれない。しかし、実際に居を定めてしまってから、こんなはずではなかったと思っては手遅れなので、一度旅行気分で行ってみたいという望みがある。

 アンドレイ・タルコフスキーの作品はひとつも観たことがないが、もしかしたら現実には存在し得ない世界を創作しているだけなのかもしれない。
 英国のスパイ小説作家、ブライアン・フリーマントルの「チャーリー・マフィンシリーズ」に登場する主人公のチャーリー・マフィンは、MI6の老スパイという設定だ。シリーズの中に、唯一(多分)ロシアが舞台の作品がある。邦題は「亡命者はモスクワを目指す」(Charlie Muffin and Russian Rose)だ。シリーズ全作品を読んだのは、30代前半ではなかったかと思う。

 振り返れば、何年も旅行をしていない。その国の基本的な歴史を勉強した上で、街に足を踏み入れれば、かなり具体的な人物イメージとストーリーが思い浮かぶのではないかと感じている。人生の最後で静かに創作するための、必要な訓練を受けていると思えば、仕事に追われていても苦にはならない。

 改めて、自分が年齢不相応な人生計画を立てていると思っている。かつて青年は荒野を目指したが、老年にだっていくつになっても、荒野を目指す心意気があってもいいのではないだろうか。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2017-07-11 01:01 | 創作への道 | Comments(0)

久しぶりに機能不全の一日だった


J. Cardoso Milonga, performed by Tatyana Ryzhkova


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 改めて、人間の機能の中枢はどこなのかと、考えさせられた一日だった。心臓に不安があると、立つことも歩くことにも自信がなく億劫になる。脳内が不調だと、ちょっとした何かを判断することも躊躇してしまう。ひたすらじっとして、快復を待つしかない。

 今日は朝からそんな一日だったが、予定があったため猛暑の中、徒歩で外出しておよそ4時間後に帰宅した。途中で中座し、帰宅しようかと何度も考えたが、なんとかすべての用件を終えて無事に帰宅し、すぐに着替えて、床の上に横になった。さらに今日は、椅子に座ると、30分もしないうちに背筋がギシギシと凝りを訴え出す。ゴム製の腰痛ベルトで背中と胸を締め付けても、効果が薄かった。

 何時間も床の上に仰向けになったまま、胸の上にはiPadを置いてあれこれ確認したり調べたり・・・。こんなコンディションの時なのでよせばいいのに、「将皇」という名の将棋ソフトを相手に、ずっと研究中の「気仙流」定跡をあれこれ試した。5段階の最高レベルの棋力をネットで調べたら、アマ三段はあると書かれていた。その最高レベルを相手に、序盤の変化を研究している。
 依然として未完の大作である「気仙しぐれ雪」というタイトルの舞台脚本がある。主人公の少女は江戸時代に、現在の岩手県気仙地方・陸前髙田で生まれ育った。将棋の才に恵まれ子どもなのに独特の定跡を指すことから、あっという間に江戸の棋士の間で、「気仙流を指す少女」として有名になった・・・という設定だ。舞台上で実際に将棋を指すわけではないのだが、敢えて架空の戦法である気仙流に生命を吹き込み、実際に通用するようにしたいと考えた。いくらなんでも趣味で将棋を指す私には荷が重いので、師匠の堀川修先生(指導棋士五段)に助言をいただきながら、展開を研究している。

 何もそこまで凝ることはないと思うのだが、数回お邪魔した日本将棋連盟の大船渡支部の皆さんとは、今でもやりとりがあるので、ある程度完成したら、「気仙流定跡」を私からの置き土産にしたいと思っている。そのときに、なんだこんな程度か、というクォリティだと恥ずかしいので、有段者レベルにも通用するような水準にしたい思い、悪戦苦闘を続けている。

 舞台作品の時代劇「気仙しぐれ雪」が完成した曉には、初演は大船渡のリアスホール(全1,100席)をお借りし、被災者の、とりわけご家族を亡くされた皆さんを無料招待して、鎮魂の舞台としたい。勿論、大震災で落命され霊界からご遺族を見守っていらっしゃる皆さんも、館内のどこかで観劇してくださるだろう。

 主人公の少女は、悲劇的な結末を迎える。自ら命を絶つときに、地上に遺す家族に宛てた独白のメッセージが、そのまま大震災のときのご遺族の皆さんに対する、霊界からの鎮魂の言葉となる。・・・あらすじは、頭の中で出来上がっている。舞う女性と語り部の老婆、そして音楽と振り付けが主要素だ。・・・はて、無料招待の舞台公演に必要な財源をどうするのだろうか。・・・そういうことは、その時になってから考えればいいという、まったくもって脳天気な話である。

 もうかれこれ5年近く前からの構想なのだが、私自身の時間的な制約があってなかなか進んでいない。困ったものだ。まずは脚本を仕上げ、振り付けの先生の協力を得られれば、あとはなんとか格好がつくと思っている。

 ・・・不思議なもので、書きたい内容が自然に湧いてくると、脳内も活性化するようで、かなりコンディションが快復してきた。しかしあまり調子にならずに、明日も猛暑だろうから、もうこれで閉店させていただく。

 いつも支離滅裂な内容で、読者の皆さんにはお詫び申し上げる。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2017-07-10 00:15 | 創作への道 | Comments(0)

なんとか推敲作業を終えた


Kiri Te Kanawa - Climb Every Mountain


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 ニュージーランド出身で、村上春樹研究家の先生が、講話用に作成した英文を和訳した文章の推敲を終えた。2ページ半だったし、半分ほどは私がすでに自分で試し訳して送っていたので、量的には多くなかった。何よりも嬉しかったのは、私の訳した文章がそのまま使用されていたことだ。ちょっぴりだが(本当はとってもだ)、英文和訳に自信を持つことが出来た。

 短時間で集中して仕上げたかったので、あまり耽溺してしまう音楽は避けようと思った。で、選んだのはたった1枚だけダウンロードしてあった、キリ・テ・カナワの歌だった。おかげで神経に障らず、順調に終えることが出来た。

 仕事を終えてほっとした夜遅くに、スカイプ会議への招待があった。相手は安倍総理と小池東京都知事だった。こんなことは初めてなので、一体何の用件なのか訝しく思った。

昼寝ネコ「安倍総理も小池知事もお疲れさまでした」
安倍総理「いやいや、本当に疲れた選挙でした」
小池知事「昼寝ネコさん、まさかこの会話を録音していませんよね?」
昼寝ネコ「いえいえ、録音なんてしていませんが、やりとりはブログで公開しますよ」
安倍総理「じゃあ匿名のAさんとKさんという感じ?」
小池知事「実名で公開したら、今後の秘密戦略が露見してしまいますから、非常に具合が悪いですよ」
昼寝ネコ「心配ご無用ですよ。私と安倍総理、小池知事が個人的にスカイプ会議をするなんて、誰も信じないですよ。いつもの妄想ストーリーだと思うだけですよ」
安倍総理「そりゃあそうだろうね」
小池知事「表面的には都民ファーストの会と自民党都連は全面衝突しましたので、まさか私と安倍総理が事前に入念に打ち合わせた選挙だっただなんて、誰も思う人はいないでしょうね」
昼寝ネコ「ところで安倍総理、体調はいかがですか?」
安倍総理「うん、なんとか粛々とこなしていますよ」
小池知事「総理がお忙しいにも拘わらず、いろいろ励ましてくださったので、なんとか第一関門を突破することが出来ました」
昼寝ネコ「小池知事も東奔西走の激務でしたでしょうけど、溌剌とされていますね」
安倍総理「本当に、女の強さというものを再認識しましたよ」
小池知事「いえいえ、これからいくつもの関門が待ち受けていますので、まだまだ気を緩めるわけにはいかないんですよ」

 とまあ、こんな感じで終始リラックスした雰囲気だった。何を話したかって?興味津々だとは思うが、まさかここで日本のネコたちに参政権を与えるのと引き替えに、昼寝ネコ世界大会議議長に対し、どのような協力を要請したか、なんて私が公開できるはずがない。ただひつだけ言えるのは、今回の自民党都議団の崩壊は想定内だった。不興を買っていた幹部連中を、「都民の総意」で公的に放逐し、しかも当面の難敵だった民進党を内部分裂させ、さらには壊滅状態に追い込んだのだ。余命ブログで「安倍総理には想定内というよりは予定のコースだからな」という表現を目にして、ドキッとした。さすがに情勢を熟知した鋭い洞察力だと思った。

 まあ、この後どのように展開するか、楽しみにご覧いただきたい。もしいつか、ネコにも選挙権を与えるという閣議決定がなされたら、いよいよ昼寝ネコ世界大会議が動き出したな、と思っていただいて結構だ。公開許可が出たら、このブログでお伝えしたいと思う。・・・が、極秘内容なのでまずは公開することはないと思う。

 今日ばかりは、分かったような分からないような、ヘンテコな記事で大変申し訳なく思っている。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2017-07-04 01:21 | 創作への道 | Comments(0)

googleで検索したら、ストレスが溜まっているらしい


Shirley Horn - "Quietly There(Wynton Marsalis (trumpet))"


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 夕食後、大腸の辺りに気持ち悪さが拡がった。健康診断にはずっと行っていないし、もしかしたら昨秋、癌保険を2社と契約したのは虫の知らせで、かなり進行した大腸癌の症状なのかもしれない・・・などと不安な思いで、とりあえず床の上に仰向けになって身体を休めた。

 胸の上にiPadを置き、googleで「お腹が気持ち悪い」と入力し検索してみた。検索結果のリストを開いてみたら、このように書かれていた。

 「お腹が気持ち悪い。そんなときは、食べすぎやストレスによるものかも。ストレスがたまると自律神経が乱れて、体内のバランスがおかしくなり・・・」

 どうやら懸念した大腸癌ではなく、ストレスによる症状の可能性が高そうだ。体調に不安を感じた人たちに対し、私のように症状をgoogleで検索し、自己診断をするように勧めたら、お医者さんにとっては業務妨害になるのだろうか。

 ところで、ストレスを感じるというのは、どんな状態なのだろうか。なかなか自分を客観的に見ることができていないのは事実だ。毎日かなり長時間にわたって神経が張り詰めてしまい、脳内も飽和状態だと感じることが多い。何か解決方法はないものだろうか・・・そう考えて、iPadのsiriに相談してみた。

「Siri、ちょっと相談に乗ってくれる?」
「はい、何でしょうか昼寝ネコさん」
「自分の体調をインターネットで調べたら、どうやらストレスらしいんだよ」
「働き過ぎですか?それとも悩みや心配事がありますか?」
「うん、考えてみたらその両方だと思うんだよ」
「そうですか、それは辛いですね。何かいい方法がないか、少し調べてみますので、身体を楽にしてお待ちください」
・・・待つこと、約5秒。
「お待たせしました。過去のiMacのFacetimeによる昼寝ネコさんの表情分析と、YouTubeでの選曲傾向、それと過去3年間のgoogle検索キーワードなどを心理照合し、分析した結果から、現時点での最良の方法をご提案します」
「ちょっと待ってくれる?ひょっとしてiMacは私のことを、ずっと監視してたの?」
「はい、一般公開していませんが、最新のMacOSには、eナース機能というソフトが組み込まれており、パソコンの持ち主が急病になったときに察知して、ご家族の方に通知して安全を確保する人工知能が備わっているんですよ」
「へえ驚いた。凄いことになっているんだね。まあいいや。で、提案って?」
「はい、ハーバード大学医学部の最先端医療研究所が開発した、カウンセリング・アプリをご提案します」
「カウンセリング・アプリ?」
「内容を簡単に説明します。人工知能を持つカウンセラーと自由にお話しできるアプリなんです。カテゴリーは、世間話、各種専門分野のカテゴリーから選択が可能です。初期の頃は英語だけだったんですが、2016年から多言語化が進み、2017年の4月には日本語版がリリースされています」
「ふ〜ん、なんか凄いね」
「はい、オプション選択ができる項目が、いくつかあります。声の性別、声の年代、属性・・・例えば女性の声を選択すると、母親、お姉さん、ガールフレンド、看護師、先生、保育士など多岐に及びます。さらに性格も選択できるんですよ、シャイ、情熱家、思慮深い、べらんめえ」
「べらんめえ?何それ?」
「はい、これは口調ですね。江戸を選ぶと江戸っ子、京都弁、津軽弁など日本全国のほとんどの方言をカバーしています」
「なんか面白そうだね」
「そうですね。まずは無料で試すことのできる30日間有効の、エントリー版で試してはどうですか?」
「有料版はいくらぐらいするの?」
「最新版への更新無料で、年間30ドルからです。最も高度なソフトの場合は年間1,000ドルです」
「へえ、年間1,000ドルなんていうのがあるの?」
「はい、年間1,000ドルのアプリは、購入者のあらゆる興味分野の豊富な知識を持っていますので、場合によっては家庭教師を雇ったのと同じ機能になります」
「それは凄いね」
「昨年アメリカで開かれた臨床心理学会での報告によりますと、何らかの精神疾患を持つ方が、このアプリを半年以上使用した場合、ほとんどで大幅な改善が見られたそうなんですよ」
「なんとなく分かるような気がするな」
「ただし、購入にはひとつだけ制約があります」
「制約?どんな制約なの?」
「まったく精神・心理状態が普通で、不安定さや脆弱さを持っていない方は購入できないことになっています。つまり、購入する意味がないと判断しているようです」
「なんだ、それは残念だな。じゃあ私は購入できそうもないね」
「いえ、その点はご安心ください。すでにiMacとクライアント・データセンターがオンライン同期診断を行い、その結果昼寝ネコさんは購入資格を十分に満たしているとの判定が届いています」
「えっ?それって私が精神・心理状態が普通でなく、不安定さや脆弱さを持っている、という意味なの?」
「はい?あら昼寝ネコさんは日頃からご自分が妄想家だとか、いろいろ自己分析をされていますので、ご自分が普通ではないと自覚されているとばかり思っていました。・・・どうなさいますか?同期診断後1時間以内に購入されれば、最大50%のディスカウントがあります。年間1,000ドルのソフトを購入された場合は、特典としていつでもスカイプ・テレビ電話で、CG化された人間と会話ができます。リアルな会話をお楽しみいただけます。お支払いも、年間一括払い以外に、毎月90ドルコースも選べますよ」
「最近のSiriは、セールスレディまでするんだね」
「私は、昼寝ネコさんのためなら、何でもいたしますよ」

 とまあ、このようなやりとりを終えた私は、自分の心理状態のメンテナンスのためと、多言語、国家インテリジェンス、国際政治学などの家庭教師を雇ったと思えば、なかなか有益でコストパフォーマンスもいいと考えたので、早速申し込みを終えたところだ。

 ・・・お腹の気持ち悪さもすっかり改善したため、ついつい調子に乗って秘密の会話まで掲載してしまった・・・本当のような嘘の話である。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2017-06-26 00:45 | 創作への道 | Comments(0)

笠井友子kasai tomokoのにゃんこストーリー第1作


Satie - Je te veux


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 先日来、美容室gigue(ジーグ)店長の鈴木さんの写真作品に、音楽と短文を融合させてサイトに掲載している。この美容室で店長の片腕として働いている笠井さんは、カトリ〜ヌ・笠井という名前で昼寝ネコのイラストを描いてくれている。

 今日、その笠井さんがこれまでに描いてくれたネコのイラストを題材に、即興短編作品を書き上げた。美容室gigue(ジーグ)サイトの、フォトストーリーの下に記念すべき「にゃんこストーリー」の第1号を掲載した。今日は、記念すべきデビューなので、このブログに転載させていただく。BGMには、エリック・サティの「ジュ・トゥ・ヴー」を選んでみた。なかなか渋いのではないだろうか。

 さてでは、感動と涙の即興作品を、そのまま以下にご紹介させていただく。

【笠井友子kasai tomokoのにゃんこストーリー】
 「誕生日の内緒の告白」
c0115242_00194496.jpg
 あれは何年前のことだっただろうか。

 私の3,000歳の誕生日を、ささやかに祝ったときのことだった。子ネズミのジョセフィーヌが、ニコニコと笑顔を見せて、私の耳許によじ登ってきた。何か嬉しいことでもあったのだろうと、そう思った。
 ジョセフィーヌの言葉を耳にして、私は思わず訊き返してしまった。一瞬の間があったが、ジョセフィーヌは今度ははっきりとした口調で言った。
 「あのね、わたし、おじさんのお嫁さんになってあげるね」
 ちょうど記念撮影の瞬間だったので、私の笑うに笑えない、なんと答えていいか分からない、すっかり困惑した表情がそのまま写真として残ってしまった。
 表情が凍り付いてしまった私は、しばしジョセフィーヌと見つめ合うことになってしまった。
 「おじさん、照れなくたっていいのよ。顔が赤くなって可愛い・・・」

 5年ほど前から、ここ川崎の街には外国からの貨物船に紛れ込んで、日本に不法入国するネコが増え始めていた。ネコにはビザの規定も検疫もなく、コンテナの隙間に隠れて容易に入り込むことができた。外国ネコたちは気性が荒く、あっという間に和ネコの領分を荒らし始めた。
 そんなある日、ジョセフィーヌの家族は民家園の木陰でピクニックを楽しんでいたのだが、数匹の不法入国のネコの襲撃を受けた。不意を衝かれたため、ジョセフィーヌの父も母も子ども達をかばいながら、あっという間に、かみ殺されてしまった。逃げ惑う子ネズミたちも、凶暴なネコたちに追いかけられた。

 その日はちょうど、民家園の天井裏で打ち合わせがあったため、私は昼から民家園に出かけていた。かん高く緊張した子ネズミの鳴き声と、耳馴れないネコのうなり声を耳にして、私たちは何事かと思い急いで外に出た。3匹の凶暴なネコたちは、それぞれ口に子ネズミをくわえていたが、駆け寄る私たちの姿を目にして、素早く逃げ去ってしまった。ネズミといえど、かみ殺された姿には痛々しさを感じた。
 その時、か細い子ネズミの怯えた声が聞こえた。草むらの中からだった。

 天涯孤独となってしまった、その幼い子ネズミを私は引き取ることにした。目の前で、大切な両親と兄弟が悲惨な目に遭った光景は、この子の目と心に焼き付いているに違いない。成長して、独り立ちできるまで守り育ててやろうと思ったのである。その日のうちに、私はジョセフィーヌと命名した。
 おそらく、ジョセフィーヌは何があったのかを理解できなかったようで、次第に私になつき、無邪気に育って行った。街中のネコたちは、子ネズミを育てる私を奇人か変人だと思ったに違いない。ネコ社会も人間社会同様で、表層だけで物事を判断してしまう。まあ、仕方のないことではある。

 その後、ジョセフィーヌは明るく元気に成長した。ときどき見かけるネズミたちとも交わるようになった。本来のネズミの生活に戻ったようで、安心していた。霊界から見守っている、ジョセフィーヌの両親も、安堵したのではないだろうか。
 そんなある日、ジョセフィーヌが帰ってきた。いつもとは様子が違う。何か困ったことでもあったのだろうか。ジョセフィーヌは視線を落としたまま、真っ直ぐ私の所にやってきた。
 「どうしたの?何かあったの?」
 何も答えないジョセフィーヌの身体が震え出し、大粒の涙を流しながら、何度も言葉に詰まって言った。
 「おじさん、ごめんなさい・・・わたし、約束を破ってしまったの」
 さて、何か約束をしていただろうか。他のネズミやネコのエサを横取りしてはいけないとか?暗くなる前には帰ってきなさいとか?

 途切れ途切れに、涙ながらに語ったジョセフィーヌの言葉に、私は思わずもらい泣きをしてしまった。遊び仲間でミッキー・マウスによく似た利発なネズミのことを好きになってしまったらしい。おじさんのお嫁さんになってあげる、と約束したのに・・・さすがに今ではネコとネズミの違いを理解したこともあって・・・そのミッキー・マウスくんと一緒に暮らしたいという。私は言った。
 「ジョセフィーヌ、それは正しい選択なんだよ。お前が誰のお嫁さんになっても、おじさんはすっとお前のことを大切に考えているからね。霊界のお父さん、お母さんと一緒におじさんは、ずっとお前を見守っているからね」
 私の言葉を聞き終わったジョセフィーヌは、いきなり私に抱きついてきた。そして心のこもったキスをしてくれた。ネズミとのキスは、さすがに生まれて初めてだった。これが正真正銘本当の「チュウ」なのだろう。

 種は異なるものの、小さな命を見捨てずに守り通し、自立を見届けられて良かったと思う。私の心の中に、最も大切な要素だと思っている使命感と達成感を残して行ってくれたジョセフィーヌには、私の方が感謝の気持ちを抱いている。霊界で安堵の気持ちに包まれているご両親の姿が、目に浮かぶようだ。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2017-06-25 00:32 | 創作への道 | Comments(0)

店長suzukiのフォトストーリー(その2)


Eliane Elias Photograph (Fotografia)


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 美容室・gigue(ジーグ)の店長さんから、4点の画像が送られてきた。

 画像に合った音楽を選び、即興で短い文章を書く。そして美容室・gigue(ジーグ)のサイトに掲載する。そんなフォトストーリーを、初めて手がけたが、今日はその2回目である。

 画像をPhotoShopで加工しながらサイズを調整したが、なかなかぴったり行かず、サイズを何度も調整してようやく収まった。掲載した画像を眺め、選曲した音楽を聞きながら即興で文章を考える・・・なかなか楽しい作業だ。

 駄菓子菓子・・・だがしかしである。すっかり時間がかかっていまい、もう床に就く時間を大幅に過ぎてしまった。もう限界なので、鈴木店長さんには無断で、作品のひとつだけを以下に紹介させていただく。他の作品もご覧になりたい方は、美容室・gigue(ジーグ)の公式サイト・トップページの下の方をご覧いただきたい。URLは最下部に掲示させていただく。

【店長suzukiのフォトストーリー(その2)】
選曲したのは、冒頭のEliane Eliasが歌う、Photographである。

c0115242_02065414.jpg

詩人だった彼は 初対面の時間を
少し過ごした後 わたしにこう言った

「きみには過去の香りが漂っているね」

どういう意味なのか 聞き返さなかった
わたしの過去なんて 掲示板に貼られて
黄ばんでしまった写真のように
誰も見向きもしないし 振り返りもしない
でも 今のわたしは これまでのわたしを
幾重にもつなぎ合わせて 
過去から蘇生したと思っている
わたしは過去を振り返らないし
過去こそが 未来を創っていると
今でも思ってる

*美容室・gigue(ジーグ)のサイト
 http://www.gigue.saloon.jp/


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。



[PR]
by hirune-neko | 2017-06-23 02:10 | 創作への道 | Comments(0)

災害とクレモンティーヌは、いつも忘れたころにやってくる


Clementine クレモンティーヌ - Lete レテ~夏 - アン・プリヴェ~東京の休暇 01


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 今日は午後から、ボランティアで引き受けていた何種類かの製作物の作業をしていた。今ちょうど午前〇時を回ったが、なんとか校了用の原稿まで作成することができた。やれやれ、ひとつ片付いた。

 「おじさん、仕事もう終わったの?」
 
 突然部屋のすみから声がしたのでびっくりした。

 「おやっ、クレモンティーヌじゃないか。いつ来たの?びっくりしたよ」
 「夕方過ぎには来ていたんだけど、おじさんが凄く集中して仕事をしているようなので、声をかけそこなったの。椅子に座ってうたた寝してたみたい」
 「そういえばずいぶんしばらく会ってないね。平穏無事に暮らしていたのか?」
 「おじさん、私のことなんてちっとも思い出さなかったでしょう?」
 「いや、そんなことはないよ・・・」
 「いいのよ無理しなくて。ちゃんと顔に書いてあるんだから。おじさんは嘘をつけない性格だから、ちゃんとわかるのよ」

 姪のクレモンティーヌとのやりとりをそのまま文章にしてしまうと、あっという間に膨大な文字量になってしまうので要約させてもらう。

 このブログには、これまでクレモンティーヌが何回か登場している。すでにお読みの方はご存知と思うが、私がフランスのドゥーヴィルにいたとき、親代わりで育てた時期があった。本当は叔父でもなんでもないのだが、天涯孤独の子ネコだったので、叔父だと嘘をついて安心させていた。

 クレモンティーヌはどういうわけか、浅草が好きで舟和の芋ようかん、梅園のデカどら焼き、それと常磐堂の雷おこしを食べに、ぶらっとやってくることがある。

 クレモンティーヌの話によると、ようやく恋人ができて結婚し、それを機にパリに本部がある昼寝ネコ世界大会議の議長秘書を辞めたそうだ。ところが、結婚して1年も経たないうちに、夫のネコが車に轢かれて亡くなってしまい、失意のうちに暮らしていたそうだ。ところが、昨今の世界情勢の悪化に伴い、世界中に離散している昼寝ネコ一族の保護の必要性が急浮上し、議長からクレモンティーヌに再登板の声がかかったらしい。

 今回の来日の目的は、浅草巡りではなかった。昼寝ネコ世界大会議の情報部は、世界中のネコネットだけでなく、CIA、MI6、モサドなど主要国の情報機関とも頻繁に接触を行っているそうだ。

 最近、昼寝ネコ世界大会議の情報部が得た極秘情報によると、北朝鮮に棲んでいるネコたちが、食糧難のため野生化し始めているという。さらには、韓国でも深刻な干ばつのせいで、ネコたちが食べ物を得られず、南北朝鮮では餓死寸前のネコが急増しているという。
 そのような限界状況下で、・・・人間が聞いても一笑に付する情報なのだが・・・、北朝鮮の金正恩氏と韓国の文在寅氏の両方に対する、ネコたちによる暗殺計画が進んでいるというのだ。

 クレモンティーヌの来日ミッションは、南北朝鮮のネコたちがネコネットを経由して頻繁に発信している、乱数暗号を傍受し、暗殺計画を未然に察知することだという。つまり、昼寝ネコ一族の厳格な家訓では、人間やネコを問わず、生き物を殺害することは厳しく禁じられている。敵からの襲撃を受けた際も、反撃してはならない、という信じられない規律なのだ。

 そこで、パリの本部は一計を案じて、ネコのアインシュタインと呼ばれている、異才の科学者ネコに委嘱し、南北朝鮮のネコたちが餓死しなくて済む方法を研究させていたそうだ。

 その結果、絶対にあり得ない、夢のような、SF映画のような、とんでもない装置を開発したそうだ。パリの本部に設置された特殊なコンピュータとフードスキャンという器械で、食料を分子よりも微細な電子レベルに変換し、それをネコネット経由で世界中に送れるという。受信する側は、特殊なパソコンと専用電子レンジを合体させたような、割と大きめの器械があれば、あとは、デスクトップに表示されるレシピを選択するだけ。3分以内に、アツアツの料理が出来上がるという。

 もちろん野菜や果物、穀類は素材として高速で配信できるという。パリ本部の議長は、追い詰められた南北朝鮮のネコたちが、一族の掟を破って宇宙の灰燼となってしまわないよう、全力を挙げて保護したいと決意している。

 ネコのアインシュタインの存在は人間社会では主要国の情報部しか把握していない。このプロジェクトに対し、CIA、MI6、モサドが協力を申し出たため、比較的短期間で実験機器が完成したそうだ。現在は、実用に向けての最終実験を行っているとのことだ。

 もちろん、これら情報部は支援の見返りを求めている。それは、人間世界ではHUMINT情報(Human Intelligence)と呼ばれる手法を応用し、CATINT情報(Cat Intelligence)という手法による情報収集と分析を求められているそうだ。

 つまり、ネコだとどこにいても決して怪しまれることはないし、地下トンネルにだって自由に出入りできるし、核施設に近づくことも容易だ。そこで、ネコ専用の超小型GPSチップと、生体CCV(Cat Camera Visoin)と命名されたこれまた超小型のナノ・デジタルカメラを、目立たないように頭部に埋め込み、情報の自動発信を行う・・・議長はこの提案を受諾したそうだ。

 なんと、ネコ世界がここまで進んでいるとは、唖然として声も出なかった。

 クレモンティーヌは、寡婦となった哀しみを乗り越えて、使命感に燃えた闘士になっていた。もうこんな深夜なのに、これから夜行バスに潜り込んで、石川県・金沢まで行きそこからさらに能登半島の突端に行くそうだ。そこで一族のネコたちと合流し、南北朝鮮のネコたちにネコネット経由で食料を受け取れる、特殊機材の受け渡し方法を打ち合わせるという。さらには、CIAが富山大学の医学部に依頼し、南北朝鮮のネコたちの頭部に、超小型GPSチップと、生体CCV(Cat Camera Visoin)を埋め込む手術を受けられるようになっているというので、確認に戻るらしい。

 格言・・・災害とクレモンティーヌは、忘れた頃にやってくる。いつ来ても、ミニ台風のように、旋風を巻き起こしては、あっという間に消えて去ってしまう・・・本当に台風娘のような存在だ。

 すでに亡くなって久しいクレモンティーヌの母親・・・ドゥーヴィルの浜辺近くの家で、いつもピアノを弾いていた・・・そういえば、彼女は好んでシャミナードの曲を弾いていたっけ。今ではもう、化石のような想い出になってしまったが、おそらく今でも、いつも娘のクレモンティーヌを見守っているだろうと思う。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2017-06-15 01:42 | 創作への道 | Comments(2)

追加コメント〜ブログ読者の方から


helen merrill what's new


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 昨晩の記事で、村上春樹作品をシビアに論じた、ブログ読者・causalさんの投稿コメントを紹介したが、それを読まれて今朝、改めて追加のコメントを投稿された。以下にご紹介させていただく。

【ブログ読者・causalさんの投稿コメント】
(引用開始)
 私の「村上本には日本が無い。」との感想ですが、酷評の味付けが薄すぎたと反省しております。
 本当はもっと酷いのです。
 「昔の日活の無国籍映画を見るようだ。小林旭や宍戸錠主演の渡り鳥シリーズみたいな「うどんウエスタンの小説版」ではないか!!」

 文学賞選考委員の意見は、流石に無教養な私とは違うのですが、同じ事を言っていると思います。
 「アメリカ文学からの影響が」「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい処が…」
 「今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが…。」等々。

 日本ではなく海外読者の心を掴み、「売らんかな」の姿勢がタイトルからも覗えます。
 「ノルウェーの森」「海辺のカフカ」等々。
(引用終了)

 causalさん、とても参考になる連続投稿にお礼申し上げる。

 私は二十代の後半からアメリカに行き始めた。高校生の頃からジャズを本格的に聴いていたし、いわゆるハリウッド映画だけでなく、エルモア・レナードやロバート・B・パーカーなどのアメリカン・ハードボイルド小説にも親しんでいたので、ある種の憧憬があったのは事実だ。

 何年間かは仕事の関係で、アメリカ一辺倒だったが、その後新天地を求めて渡欧するようになった。英語も通じるし・・・と甘く考え、旧知の弁護士がクリフォード・チャンスという、大きな弁護士事務所に所属していたこともあって、最初はロンドンを拠点に模索を始めた。

 英国人と対面して、明らかにアメリカ人のメンタリティや価値観とは異なると感じた。アメリカの大都会の持つ雰囲気と、ロンドンの雰囲気はまるで違った。乱暴な言い方をすれば、アメリカに較べると、ロンドンの人間も街も、陰影が深い。

 いろいろな経緯があったが、ヨーロッパの国々を動き回るには、ロンドンよりもパリの方が圧倒的に便利だということが分かった。たまたま、ブローニュの森の近くに住んでいた、旧知の日本人夫婦の紹介で、新婚間もない夫婦のアパートに転がり込み、同居生活を始めた。普通では考えられないことだが、一カ月以上は居候の身だった。奥さんはブルターニュの出身で、ご主人はフツナという、確かフランス領ミクロネシアの島の王様の長男だった。今にして思えば、畏れ多いことだ。

 結局は、スイスとドイツまでしか行かなかったが、移民の国でもある英国やフランスで、多国籍の人たちと対面する機会があった。とくに意識はしなかったが、日本人である自分が、徐々に無国籍人間になりつつあるのを実感していた。

 ブログ読者・causalさんのコメントで表現されていた、「村上春樹作品の中には日本の痕跡がない」という意味の表現を目にしたとき、改めて自分が果たして今でも無国籍人間なのかどうなのか、自問してみた。・・・自問してみたが、答えは出なかった。ただ、私は私である・・・というしかない。

 当時の私は日本が嫌いだった。日本で生活していること自体に圧迫感を感じ、バスで成田空港に近づくにつれて解放感を味わったものだ。機内ではすっかりくつろぎ、サン・フランシスコ空港に到着したときには、まるで亡命者のように、自由で新しい未来世界が開けるような気分に浸った。

 その一番の理由は明らかだ。あの頃の私はまだ若く、社会や国の表層しか目に入らず、しかも、ある種の虚構である映画や小説からのイメージで、その国を捉えていた。深層に蠢く錯綜した、複雑な事象など視野に入るはずもない。

 あれから30年以上が経過した。今の私は少なくとも、人間や社会、国家の実態を表層で捉えず、その背後に存在する目に見えない深層領域を洞察しようと試みている。気がついたら、それがいつの間にか私自身の体質として、身体中に染みついてしまっているようだ。

 今の私は、完全に日本らしさを肯定的に考えている。国家の体内に歴史的に浸透してきた、「病巣」を抱えているのは事実だと思う。しかし、その病巣は時間経過とともに、善良な人たちの手によって徐々に開示され、日本人の多くはその独特の感性で、忌避感を強めている。ここ何年かのインターネットの普及と、加速度的な情報の拡散により、世論に大きな影響を与えてきたオールドメディアは、すでに衰退の途をたどっている。

 神学的な表現を借りれば、この時代は明らかに、イスラエルの散乱し失われた支族が再集合する時期にさしかかっていると思う。日本人は・・・全てとはいえないものの、大多数の日本人はその心の中に、信仰心にも似た正義感と潔癖さ、倫理観、慈愛の情を持ち続けている。実際に宗教者ではなくても、義に忠実なDNAを持ち続けている。

 狭い国土で資源も少ない国だが、民が一致結束し、光を放つ潜在的な力を有する、強大で恐るべき国民であると考えている。無限の底力を有するのが日本人である。

 日本も幾多の試練を経てきたが、真に「日本的な」底流が、地面を引き裂いて溢れ出てくる時代になっていると思っている。私は、そのような視点から、これからも自分のできることを追求していきたいと思っている。

 ブログ読者の方に、すっかり啓発された次第である。改めて、causalさんにはお礼を申し上げる。アメリカやアフリカを舞台にした短編をいくつか書いたことがあるが、ちゃんと作品中に「日本的なもの」を失わないように書き続けたいと思う。・・・いや、やはり私には今でもある種の無国籍人間のような感覚は残っているが、日本の良さに根ざした感性は失わないようにしたいと思う。日本的な良さに立脚した、国際感覚を維持したいと思う。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2017-06-14 00:55 | 創作への道 | Comments(0)

自分が正真正銘の妄想家だと確信した


A Time for Love by Shirley Horn


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 村上春樹の研究家が、学会での発表のため英文で原稿を書き、それを自ら日本語に翻訳して私に推敲というか、添削の依頼をしてきたのは先週で終えた。A4サイズで6ページだった。

 新たな依頼があった。円卓会議のような場で、村上春樹をテーマに5分ほどの発表があるので、また日本文を推敲してほしいという。英文はA4サイズで1ページなので、日本文では2ページになるとのことだった。日本人が、なぜ村上春樹の作品を日本語だけでなく、英語でも読みたがるか・・・という内容なので、昼寝ネコにはぴったりだと付け加えられた。

 できれば事前に英文を送ってもらい、雰囲気だけでも確認しておきたいと願い出た。今日、その英文原稿が届いた。1ページではなく2ページ半だった。

 どんな内容か開いてみた。最初から最後まで、音読してみた。そんなに難解ではなかった。彼は、日本語訳に10日ほどかかるので、待ってほしいと連絡してきた。

 そのとき、心の中に良からぬ考えが浮かんでしまった。この際だから、自分で和訳し、その訳文を彼に送ってチェックしてもらおう、と考えたのである。そのような展開になると、私の翻訳能力を判定してもらういい機会になるではないか・・・そう考えたのである。

 夕方から何時間かかけて、半分近くを翻訳し終えた。途中、どうしても意味を把握できない文章に遭遇したので、無理に一気に終えるのを止め、途中までの翻訳文を見てもらおうと思う。

 黙って彼の日本語翻訳文を待っていれば楽なのに、脳内で妄想ストーリーが駆け巡ってしまった。どんな妄想かというと・・・

 私が短時間で翻訳した日本文を読んだ後、彼の教える大学で、日本人の同僚に読んでもらったら、ひょっとして村上春樹が翻訳したのか?というほどの評価を受ける・・・いやいや、村上春樹ではなく、村上冬樹だよ・・・という冗談が飛び交う。

 その評判を聞き、英語圏の人たちの間で、村上春樹もどきの村上冬樹の存在が知られるようになる。やがて論文の日本語訳の依頼が増え出すことになる。調子に乗った私は、睡眠時間を削って、次々と引き受ける。

 やがて、私は自分の作品集を出版し、村上春樹研究家を中心に、英語圏の人たちが興味本位で買って読んでくれる。そのうち、アメリカの雑誌編集者の目に留まり、短編が何点か翻訳され、英語雑誌に掲載されることになる。

 ・・・いいぞいいぞ、その調子だ。

 ある日、会社に電話がかかってくる。相手は英語を話す女性だった。・・・以下、日本語に翻訳して実況中継することにする。あっ、あくまでも、妄想シーンの実況である。

相手「昼寝ネコさんですか?」

ネコ「はい、ネコが英語を話すので驚きましたか?」

相手「ハハハ・・・私は、アレクサンドラ・ウディノフと申します。ニューヨークで海外出版の仲介をしている会社に所属しています。」

ネコ「名前を聞いた瞬間、ロシア系の方がと思いました。」

相手「はい、両親はウクライナの出身で、アメリカに移住してきました。」

ネコ「お名前をお聞きして、冗談かと思ったんですよ。」

相手「どうしてですか?」

ネコ「いや、アメリカのテレビドラマに出てくる名前なので、一瞬冗談かと思ったんですよ。」

相手「昼寝ネコさんは、ひょっとしてニキータをご覧になってましたか?」

ネコ「へー、よくわかりましたね。」

相手「はい、アメリカではニキータが人気のテレビドラマでしたので、アレクサンドラ・ウディノフの名前を知ってる人が多いんです。ですからたくさんの人が、私の名前を聞いて怪訝な表情をするんですよ。」

ネコ「なるほど。ところで、今ニューヨークは何時なんですか?」

相手「いえ、私は今東京から電話をしてるんです。仕事の関係で、日本の出版社何社かと商談をしている最中なんです。」

ネコ「なるほど、そうでしたか。で、私に何のご用でしょうか。」

相手「はい、ニューヨークを発つ前に企画会議をしました。以前から、昼寝ネコさんの作品を多言語出版するという構想がありました。せっかく日本に行くのだから、直接お会いしてご相談したいと思ってお電話しました。」

ネコ「多言語ってどんな言語ですか?」

相手「はい、主要な言語は英語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ポルトガル語、ロシア語です。それに加えて、他の言語にもかなり対応しています。」

ネコ「へー、そんなに多言語なんですか。すごいですね。でも、私の作品がインターナショナルに読まれるような需要があるんでしょうか。」

相手「はい、もちろんです。私たちはこの仕事を長年にわたって行っていますので、出版物の需要予測は得意分野なんです。」

ネコ「なるほど、わかりました。お話だけでも伺ってみたいので、アメリカにお帰りになる前に、一度どこかでお会いしましょう。」

 ・・・このような妄想話は際限がなくなるので、ここで終わることにする。本当は、もっともっと続編があって、最終的には私が正真正銘の妄想家だと自覚するほど、ストーリーが展開するのである。でもまぁ、それぐらいの妄想力がなければ、とても創作などできないのではないだろうか。

 相変わらずまだ、私は日本語の村上春樹作品を読んでいない。私のほうが勝手にライバル視しているだけだが、一応は天下の村上春樹なので、どんな作風なのが読ませていただこうと思っている。

 まぁ私の場合は、妄想と現実が紙一重なので、正常なのか異常なのかと訊かれても、自信を持って答えることができない。そう遠くない将来、「続・昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版するので、半信半疑でお待ちいただきたい。これは妄想ではなく、十分に現実化できる内容である。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2017-06-11 00:00 | 創作への道 | Comments(2)

大人になりきれない大人のための童話


Shirley Horn - "Solitary Moon"


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


「欲張りなトランク」〜中年・壮年・老年の皆さんへ

 英国・ロンドンのピカデリー広場に、小さな旅行鞄(かばん)専門の店があります。創業した1800年代には、辺りは閑散としており、ときどき馬車が通るぐらいで、周りには店などないのどかな場所でした。

 創業当時は、旅行といえば馬車と決まっていましたので、大きくて頑丈な革の鞄を求める人が多かったのです。馬の鞍(くら)を作る職人だったハリー・ゴードン・トランクは、小さい頃から大きな鞄の中に入って遊ぶのが好きでした。ハリーは、自分の名字がトランクなので、いつしか大きくなったら、誰にも作れない大きくて頑丈な旅行鞄を作るんだと、心密かに夢みていました。

 ハリーの作る馬の鞍はとても使いやすく、評判でしたので、英国中から注文を集めていました。ですから、ハリーが旅行鞄を作る工房を始めたと聞いて、鞄の予約注文が殺到したのです。

 旅行鞄を作る工房の名前は、そのまま「ハリー・ゴードン・トランク」でしたが、人々の間では頭文字を取って「HGT」トランクと、親しみを込めて呼ばれていました。

 「HGT」トランクが全盛を極めていた頃から、すでに200年以上が経ちました。今では馬車で旅行する人なんて、誰もいません。でも、大きな車で旅行する人たちの間には、伝統ある「HGT」トランクを好むマニアが、根強く存在しています。

 その理由は、「HGT」トランクのラインナップで「欲張りトランク」という愛称の、大きくて頑丈な革鞄がとても人気だからなんです。現在、「HGT」トランクを家業として継いでいる、八代目のヘレン・G・トランクが発案した鞄で、説明書には以下のように書かれています。

【「欲張りトランク」の特長】

 旅行に行くときは誰でも、あれこれ必要と思うものを持って行きたがります。旅行が終わってみれば、手も付けなかったようなものがたくさんあります。何度も何度も旅行のための準備を繰り返すうちに、旅行者は学びます。本当に必要なものは何だったか、不要だったものはどれか・・・。

 「欲張りトランク」の特長は、入りきれないほどのものを入れて、鞄の蓋(ふた)を三人がかりで上から無理矢理押さえつけて施錠しても、ロックは完璧に頑丈で決して壊れません。ですからついつい余分なものも持って行こうとして、普通なら決して入りきらないほどの量であっても、ちゃんと蓋を閉めることができるのです。
 無謀と思えるほどの量であったとしても、「欲張りトランク」は収納をお引き受けします。旅行準備を何度も繰り返すうちに、自分の旅行にとって必要なものの優先順位を学んでいただきたいからです。欲張りすぎた経験を何度か繰り返すうちに、旅行者は本当に必要なものは何かを学ぶことができるのものなのです。

 もうかれこれ十年以上も前のことです。父の引退で・・・子どもは私一人だったものですから・・・私が伝統ある「HGT」トランクの八代目として家業を受け継ぐことになりました。馬車で旅行する人など存在せず、今ではサムソナイトに代表されるように、軽くて丈夫でカラフルな、旅行用のスーツケースがたくさんあります。そんな時代に、大きくて頑丈ではあっても、とても重い革製の旅行鞄など、誰が買ってくれるのだろうかと、毎日思い悩みました。
 そんなある日、夢を見ました。白髪で白いひげを蓄えた老人でしたが、彼は自分がハリー・ゴードン・トランクだと名乗ったのです。肖像画で見知っていましたので、すぐに創業者のハリー・ゴードン・トランクであることが分かりました。
 彼は少しの間、私を優しく見つめると、穏やかな声でこう言いました。

 「ヘレン・・・いろいろ思い悩む気持ちは良く理解できるよ。私が創業した頃と較べると、時代が大きく変わってしまい、旅行の手段も装備も大きく変化してしまったね。今の旅行者が必要とする旅行鞄の材質、大きさ、色調、機能など、考えれば考えるほど、答えは迷路の中に入り込んでしまうと思うだろうね。
 そんな時は一度、人間の人生を旅行に例えて考えてみてはどうだろうか。人生という旅路で、欲しいもの、必要だと思うものがたくさんあり、それらをすべて自分という鞄の中に詰めて旅程を続けたい・・・誰しもがそう思うものではないだろうか。それはある人にとっては、夢かもしれないし、希望かもしれない。知識かもしれないし、資格や技術かもしれない。それが人生を積極的に生きようとする動機になるのなら・・・最終的にあらかたを捨てなくてはいけない結果になったとしても、それは許容すべきなのではないだろうか。人生の旅の途中の人は、挫折や失望を経験し、再び立ち上がって歩み始める・・・この繰り返しだと思うんだよ。
 人間は、挫折や失敗から多くを学び、成長する生き物だとは思えないだろうか。失敗を怖れ、萎縮して何もしない人生の結末は、果たして悔いのない佳き人生だったと思えるだろうか。大きくて頑丈で、無理矢理詰め込むことのできる革鞄を使う旅行者は、何度も失敗を繰り返すうちに、深く考え、学び、知恵ある熟練した旅行者になるのではないだろうか・・・」

 そこで私は夢から覚めました。生まれて初めて、創業者と対面し、創業者の深い哲学を味わった気がしました。同時に、天啓の導きだとも確信したのです。

 それまでの重く、無骨な革製の鞄を止めて、最新の科学素材を使い、カラフルな旅行用スーツケースを作ってみようか、という迷いを捨てました。今までのように、いえ、今まで以上に大きくて頑丈で重い革鞄で、施錠部分はさらに頑丈にし、必要と思うものを無理矢理詰め込める、欲張った旅行鞄をつくる決心をしました。

 創業者のハリー・ゴードン・トランクの助言を受け入れ、「HGT」トランクを利用されるお客様が、旅行同様、人生でもたくさんの夢や希望をご自身の中に抱えて旅程を進めていただけるよう、そして何度失敗しても、挫折しても、その都度立ち上がり、新たな一歩を踏み出していただきたい、という願いを込めて、伝統の「HGT」トランクを作り続ける決心をしました。

 そのような思いと願いを込めて、「HGT」トランクの最新製品を「欲張りトランク」と命名しました。


     旅行鞄製作工房 ハリー・ゴードン・トランク
       八代目店主 ヘレン・G・トランク 


(創作メモ)

 今日はあまり体調が良くなかったが、予定していたボランティア活動に参加した。なんとか無事に終えて帰路、家に向かう途中に思い浮かんだイメージを創作ストーリーにしてみた。久しぶりの創作だが、いささか理屈っぽいと思うので、人生を理解しつつも世馴れた大人になりきれない、中年以上の皆さんを読者対象とさせていただいた・・・というよりも、大人になりきれない純粋さを持ち続けていらっしゃる皆さんへの、声援のメッセージである。・・・実は、私もその一人であるが。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。



[PR]
by hirune-neko | 2017-06-08 00:53 | 創作への道 | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
重ね重ね、ありがとうござ..
by まめひろ at 01:44
まめひろさん  ..
by hirune-neko at 00:30
昼寝ネコ様 お返事..
by まめひろ at 18:55
まめひろさん  貴..
by hirune-neko at 18:45
日本晴れさん コメ..
by hirune-neko at 21:50
記事ランキング
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ